公爵令嬢と臆病な魔物使い
それは一瞬の事だった。
戦闘中にどこからとなく踊り出て、わたくし達が苦戦していたSランクのモンスターに立ち向かった勇者一行。
使用人の一人が「勇者様!」と叫ぶ。
一介の使用人が勇者の顔を知っているのは、今代の勇者がわたくしたちの領地の人間にとって身近な存在だったからだ。
見覚えのある勇者は二人の戦士を連れて前線で剣を振るう。
閃く剣刃は見惚れる速さで敵を森に還していく。
魔物使いに喚ばれた伝説の神獣、火龍鳥や神炎の獅子はやすやすと敵を引き裂き、その肉片すら残さず灰にした。
エルフの弓使いは、魔法を乗せた弓で敵の急所を狙う。
彼らの戦う様に見とれていたわたくしは、慌てて弱った敵に雷を落とし止めを刺して戦闘を終わらせた。
「勇者様。わたくしはツェツィーリア・フォン・ヴェルダ。助けて下さった事、心より感謝いたしますわ」
モンスターの気配が消えた頃を見計らってわたくしはお礼を言った。
わたくしに気付いた勇者は軽く驚いた後に謝辞に応え、初めて見る面々はたいした事は無いと首を振った。
この後の謝礼はわたくしのお目付け役がするだろう。
最後にこちらに来たのは先ほどまで果敢に戦っていた勇者一行の最後の一人、魔物使い。
彼はわたくしの顔を見るやいなや顔を赤くして腰を抜かした。
彼の目に映る薄桃色の巻き毛も、紫水晶の色をした瞳も彼が最後に見た時とさほど変わっていないのだろう。
「ひっ!姫さんーっ!!?」森に響く彼の絶叫。
――姫さん――
ああ、貴方の中でわたくしはそう呼ばれていたのね。
ヴェルダ公爵である父の命令で遠い他領の夜会に参加をする事が決まったのは、今から出発してギリギリ夜会に間に合うであろうというほど差し迫った時期だった。
根負けするまで嫌がっていたわたくしが説得されて渋々頷くと、すでに参加の意志を先方に伝えた後で、心得たように準備を整えて待っていた執事や使用人には心底呆れた。
馬車へ揺られて数日、このままでは間に合わないと判断したわたくしのお目付け役は、凶悪なモンスターが跋扈する森を突き切る判断をした。
時期は森への定期的なモンスター討伐があった後だ。危険は少ないと判断したのだろう。
だが、それは甘かった。
一番現れないであろうと思われていた森の主・Sランクのモンスター、虎の下半身を持つ『魔森の騎士』がわたくしたちの前に立ちふさがったのだ。
不穏な気配を感じて引き返そうとした時にはすでに遅く、周りは獣の姿をしたモンスターたちに囲まれていた。
仮にもわたくしは魔導で名高いヴェルダ家の娘。
わたくしたちが必死で応戦していた所に、勇者一行が現れたのだ。
まだ血の匂いが濃い中、鳶色の瞳を驚きに見開き、へたり込んでいる青年を見る。
あと数歩で彼に届くだろう。こんなに間近で彼を見たのは初めてかもしれない。
彼は記憶にある町人の格好ではないが、鎧中心の他のメンバーたちに比べて動きやすい格好で、暗緑色のマントを羽織った旅装とむき出しの腕には薄桃色の魔石を付けたガントレットをはめている。
長い緑の髪の毛は三つ編みにされていて、わたくしはそれを好ましく思っていたが、今は無残にも地面についている。
「ツェツィーリア様……。何故ここに?」
青色のマントにドラゴンスケイルを着込んだ紺色の髪の毛の青年――勇者がわたくしに近付き、問いかけた。
勇者が疑問に思うのも無理は無い。
なぜならここは、わたくしたちの育った町から遠く北に離れた森なのだから。
目の前に居る彼らが歴史の表舞台に立たされた日をよく覚えている。
今から一年ほど前、我がヴェルダ公爵家の城下町でそれは起こった。
単体ならばそれほど危険視されないBランクモンスターが何故か徒党を組んで町を襲ったのだ。
竜類の最下種とも言われるそれは、なるほど竜に分類されるだけあって頑丈で強く、火を噴く厄介なモンスターだった。
思わぬ出来事に町は恐慌状態に陥る。
逃げまとう住民たち。
並行して起こる火災や住宅倒壊などの二次災害。
わたくしたち公爵家の人間はそれぞれ騎士を率いて対応に当たったが、結果的にモンスターの親玉を倒したのは二人の少年だった。
町の英雄である少年たちは国王陛下への謁見が叶い、わたくしの父であるヴェルダ公と共に王都へ向かった。
その時に彼らのうちの片方――紺色の髪を持つ少年が勇者であることが発覚したのだ。
それは同時に、魔王復活の徴でもあった。
陛下に魔王討伐の命を受けた勇者とその仲間は、故郷に戻ること無く旅立ったのだ。
興奮気味に自領へ戻ってきた父から事の顛末を聞かされて、我が領土から勇者が現れた事には心底驚いた。
だが、当時何よりも印象的だったのは華奢な体に不釣合いの大振りの剣で必死にモンスターを倒した紺色の髪の少年では無く、一度はモンスターの大群に怯えて、友を見捨てて逃げた緑の髪の少年が再び立ち上がり、泣きながらも小さな火イタチと共に友人を救おうとする姿だった。
彼の顔は知っていた。
幼い頃。わたくしは一時期城下町に住む叔母の元へ話し相手として預けられた。
優しい叔母に用意された庭で遊んでいる時に潜むような気配を感じ視線を移すと、そこには塀に登ってわたくしを見ている同じ年頃の少年少女が居た。
中でも緑の頭を見る事が多く、ある時には一人で、ある時には数人で、そしてある時には紺色の頭の少年と一緒に庭にいるわたくしを見つめていたのだ。
衛兵に見つかり、怒られるまでは……。
それからも時折、公爵令嬢の勤めや祭りなどで町へ出るが、不思議な視線を感じ振り向くといつも、逃げるような緑の三つ編みが視界の隅に映るのだった。
年頃になると『青のアルベルトと緑のルーカス』という二人の男性の話をメイドや使用人たちの噂話でよく聞いた。
一人は我が領の騎士団長の息子で優しく正義感があり、もう一人はその息子の幼馴染。お調子者で有名らしい。
身分はそれほど高くは無いが、彼らの話をするメイドたちの様子から町の娘たちの憧れの的であるのはうかがえた。
使用人たちの噂する『青のアルベルトと緑のルーカス』が記憶の中の紺色の髪と緑色の髪の少年たちと一致したのは、皮肉にも二人が旅立つきっかけになったあの戦いの後だったけれど……。
町の誰もが自分の力の無さを痛感し、同時に自らの町から勇者とその仲間が出た事を誇りに思った。
旅に出た貴方達は知らないでしょうね。
あれから町に住む者はみな身分を問わず意欲的に自らを高めているのよ。
もちろんわたくしも例外ではない。
攻撃魔法に特化していたわたくしは、目の前で傷付き倒れる人々をみた衝撃を忘れられず、ヴェルダ公爵家の人間としては異例だが、神殿に通って回復魔法を習ったのだ。
自分が思う以上に回復魔法の素質もあったらしく、家族はすでにまた家から賢者が出たかのような喜びようだ。
ふ、と思考の海から戻ったわたくしは彼らをまっすぐと見る。
そこには一年前に見た華奢な紺色の髪の少年も、ひょろりとした体と後ろで編んだ緑の長髪を持つ気弱な少年も何処にもおらず、立派な体躯の青年たちがそこに居た。
モンスターの火イタチを友にしていたただの少年は、神獣すらも従える魔物使いになったのだ。
周りに居るのはこの国の誰もが知っている勇者一行だ。
厳ついプレートアーマーを装備した男性や燃えるような赤毛を頭の高いところで一つに纏めた傭兵風の美女、そしてルーカスほどではないが軽装備のエルフらしき銀髪の弓使いの少年がいる。
回復魔法を得意とする神殿関係者の姿はない。おそらく初歩的な魔法を使えるという勇者かエルフの少年が回復魔法を使っているのだろう。
彼らからは「姫さんって例の……?」だとか「ルーカスが‥…」など途切れ途切れに会話が聞こえる。
もはや自分の知っている『二人』ではない事に軽い憤りと寂しさを感じるが、魔導師としてはそのパーティーのアンバランスさにも顔をしかめる。
「随分と偏ったパーティーね」不機嫌さが声に漏れた。
「ええ。よく言われます。ですが私はこのパーティーでここまでやって来られました」勇者の言葉には仲間への信頼と誇りが感じ取れる。
「これから魔王領に近づくでしょうに、それで問題ないとでも思っているのかしら?」
勇者は苦笑をするだけだ。おそらくこのメンバーで魔王城まで乗り込む心算なのだろう。
その勇者の態度を見て、ある考えがわたくしの中に浮かぶ。
「わたくしも魔王討伐に加わるわ。勇者」
わたくしの言葉に驚く一同。
後ろでは使用人たちの諦めたようなため息が聞こえる。
「なっ!何を言ってるんだ!!?」
声を上げたのはわたくしと勇者の会話を黙って聞いていたルーカスだ。
勇者から視線を彼に移すと、一瞬ひるんだような顔をした。
そう言えば、わたくしたちが会話をするのは今日が初めてだ。
「この旅は姫さんが想像する以上に過酷なんだぞ!」
意を決して、といった風情でルーカスはわたくしに言う。
名門ヴェルダ家は初代公爵の賢者を初めとして、数多くの魔導師を生み出している。
その中でも特に将来が有望視されているわたくしだ。能力的な話ではないだろう。
想像ならつくわ。
あの日、Bランクモンスターから逃げていた貴方がSランクモンスターに対して迷いなく挑むようになれるほどの過酷さ。
あの日、Bランクモンスター相手に泣きながら立ち向かった貴方がSランクモンスターを倒しても平然と出来るほどの危険さ。
あの日、一匹の火イタチしか共に戦わなかった貴方が神獣・火龍鳥や神炎の獅子を軽々と呼べるようになるほどの試練。
それを乗り越えてきたから今の貴方がいるのでしょう?
「……本来ならばこの馬車はマナナノス領に向かっていたのよ。お父様の命令で領主の主催する夜会に参加する予定だったの」
一旦ここで区切りルーカスの目を見る。
真剣さをたたえる鳶色の瞳。
今まで見たことのない真剣なルーカスの表情を今日は何度見たかしら。
その事に不謹慎ながらも心が踊る。
「……………要するに体の良いお見合いね」
真剣だった瞳が一気に剣呑さをはらむ。
彼の瞳の変化に気をよくしたわたくしは続ける。
「……だけど、勇者様ご一行に命を救ってもらったわたくしがマナナノスへは行かず、感謝を込めて魔王討伐の手助けをしてもお父様は許してくれるでしょう」
なぜなら初代ヴェルダ公爵こそが、当時の勇者のお供をした末の王子にして歴史に名だたる賢者だから。
「同じ町の出身者としてツェツィーリア様の実力はもちろん知っています。ツェツィーリア様が加わればこんなに心強い事はありません」
口調は慇懃ながらも勇者は楽しそうに笑っている。
他のパーティーも薄々事情を察したのだろう。ニヤニヤとルーカスを見ている。
「敬語は不要よ。名前もツェリと呼んで頂戴、これから仲間になれるのならばね」
「もちろんだ。じゃあツェリ……」
勇者の言葉にルーカスは大げさな仕草で肩を落とした。
だが、耳が赤いのは気のせいではないだろう。
彼以外の勇者一行は笑顔で歓迎の意を伝えてくれている。
「そんなに心配ならばこれからの旅でわたくしを守りなさい、ルーカス。貴方の手をわずらわす以上の戦果は約束しましてよ」
自分の思う極上の笑顔で彼に微笑むと、「やられたー!」と真っ赤な顔で唸りながら地面にしゃがみ込むルーカス。
勢い良くしゃがんだルーカスの三つ編みが揺れると、どこからとなく現れた火イタチがそれにじゃれつく。
勝利を確信したわたくしは、これから仲間になるメンバーに向かって悠然と微笑んだ。
RPGのイベントちっくな短編。
ここでいう魔物使いはモンスター使いと召喚師を合わせたような感じです。
ヒロイン=RPGとかでよくある勇者一行の誰かに惚れて強制的に仲間になる魔法使いのお嬢様的なあれ。
ヒーロー=RPGとかでよくある勇者の友達で初期メンバー。弱虫・卑怯者・お調子者のヘタレ的なあれ。