episode:first《第三章》
遅くなりましてすいませんでしたm(_ _)m
実は別の掲示板で別の作品を掛け持っているため、これからも遅くなります。
できるだけ長くお付き合い、よろしくおねがいします。
誰かに知られない戦いを“選ばれた者”が繰り広げるのは
いい意味でも悪い意味でも誰かに知られたくないから闘うんだ
それが報われなく後悔しか生まないかも知れないと分かっていても
それでは自分の“大切”も護りきれないかもしれないとわかっていても
: 第三章 :
襲撃 :
いま十聖了斗は、普通に生きていたのならば会うはずのない事情に立ち会っていた。
目の前にいる、半鳥人と熊と虎。それは自分の知る現実にいるはずのない、ふたまわり程巨大で、動きが止まっている夕日により照らされているというのに、それはその色に染まるだけで、光が反映されない漆黒の身体。
そして恐怖を忘れている自分の横には、混沌領域により動きを静止されている四人の男女―――自分の友人達は、“彼女”が張った青い魔方陣から発生されている円錐形の結界で身を守られている。
この領域内で自分が動けるのは、あの怪物―――ロストスピリッツと闘うもの、精霊士の力の源、精霊魂を持つ適合者であるからだ。
だが、それだけだ。動けるだけで、むしろ喰われたら即死亡と言う枷を付けられている。
そして、自分の前にはそれと闘う者がいた。
その少女―――未麗は、夜空のような紺色の髪を煌かせて、精霊魂の力を解放した証しを見せている。さらに両手には銀色の銃“エターナルノヴァ”が握られている。すでに引き金に細い指が掛かっているため、臨戦態勢であることが分かった。
右手の銃をくるりと回して、後ろを見ないで彼女は告げる。
「了斗くん。もしかしたらあいつらは君を狙うかもしれない。そのときは一瞬でも時間を稼いだら助けてあげるから、死なないで頑張って」
幼さの残る声には、学校の屋上で触れた感覚は無い。それは、すでに一人の戦士のものであり、戦死の価値観だ。しかしそれに了斗は怒気を覚えることは無い。それが仕方ないことだからだ。
「わかった」
殺意しか見えない遠吠えを雲の動かない赤い空に向けて吐きながら、三体のロスト・スピリッツは強靭な体を前に進めた。ゆっくりと歩くのは最初の一歩だけ。次の一歩では橋を蹴破らんとするほどの力で踏み出す。
半鳥人は前方から。熊と虎は左右ずつ。退路は後ろしかない。しかし下がった瞬間に了斗達がターゲットとなるかもしれない。
「ほっ!」
思考の後、未麗は上に飛んだ。常人ではありえない脚力のそれにより左右前から振り下ろされた爪は大きく空振りをする。相打ちを引き出さなかったことに未麗は小さく舌打ちをした。
「ギガァァァッ!!」
半鳥人はすぐに気づいたらしく、言葉に取れない叫びを吐きながら、彼女を喰らいたいという欲望に押されるが如く彼女に向かう。その浅はかな知恵は、
「御馳走・空中・動けない」
といった思考を生み出した。
だが、それは間違いだった。なぜならご馳走を狙った必殺の薙ぎが、空を切ったからである。
それに気づかない鳥人は、辺りを見回すその前に後ろから蹴り飛ばされた。認識できない鳥人は無様な姿で熊と虎を巻き込みながら叩きつけられる。
未だ安全圏に居る了斗は、青き翼を広げる天使を見た。
宙でバック転をし、空中に滞空している未麗は、青い羽―――否、水を圧縮して作られた翼を左右四枚ずつ広げていた。その翼は夕日に染まることは無く、母なる広大な海の如くの、何者にも侵されない深い青だった。
「……これが、私の能力の一部よ。了斗君」
「……水を操る……力」
頷いた瞬間には、未麗は縺れながらも立ち上がった闇の獣へと逆放物線を描きながら向かう。虎が彼女に飛び掛るが、
「じゃま!!」
速度を緩めないでバック転した、際どい角度で舞うスカートに気も払わない彼女のサマーソルトを腹にくらい情けなく地べたを這う。
だが虎が落ちるよりも早く、ゴッ、彼女は鳥人に二つの銃口を眉間に突きつけていた。
「ひとつ!」
一瞬の内に六発分の銃撃音。
それにより超人の頭は落としたスイカのように弾け飛び、水の翼を霧散させた未麗が着地した瞬間にはそれはボロリと崩れ落ち、黒い砂へと還る。
すぐさま同胞が消滅したことに気づいた熊は、彼女に向かってこん棒のような太い腕を薙いだ。
だがそれを予測してたのか、未麗は精霊魂の開放により精霊気によって強化された回し蹴りを繰り出し、その腕を逆に加速された回し蹴りを繰り出し、その腕を逆に加速させる。言い直せば受け流す。精霊気がまるで水流のように体を流れ瞬間を了斗が無意識に感じた瞬間には、それにより振るいすぎた熊はその巨体のバランスを崩し、致命的な隙をさらけ出した。それを見逃すはずも無く、まるで剣でしたから真っ二つにするかのごとく銃を振り上げた。銃弾も撃ちながら。
縦に一閃した銃弾を受けた熊も、崩れた音を立てながら砂へと還る。
「ふたつ!」
そしてすばやく振り返り、倒れこんでいるはずの虎を銃を向ける。
引き金が引けなかった。
すでに起き上がった虎は、力を発揮していない生まれたままの精霊魂を感知したのか、了斗に狙いを定めてしまっていた。
「ガァァァァァッ!!」
野生の雄叫びを上げたそのとき、未麗はようやく自分の侵した失態に気づいた。どうしてとどめを刺しておかなかったのかと。しかしそのときには猛スピードで了斗に迫っていた。その雄叫びだけですら、常人をへたれさせるためには十分な威力を持っていた。
なのにもかかわらず、ほとんど常人と変わりない、むしろ感覚が優れているがゆえそれを直に受けやすい了斗は、しっかりと立っていて、自らの命を喰らおうとする漆黒の化け物を見据える。
―――護りたい。
その小さな、しかしゆえに強い想いがあった。自分の友達を護りたい。ただそれだけでも。自分なんかがヒーローになれるわけ無い。本当はとても怖い。今すぐにでも逃げ出したい。足が震えそうだ。こんな化け物と関わりたくない。すぐに家に帰りたい。そんな自己利益の感情が溢れそうになっている。
だけど―――
―――誰かが傷つくところなんて、絶対に見たくない!!
ある程度使える力。そして普段以上にさえる脳内。さらに人が絶対に失ってはならない想いが、彼を奮い立たせる。自分の安否なんて彼の頭に無い。
次の瞬間には、虎は彼ののど仏に噛み付こうと顎を開き、飛びついていた。後ろでは了斗が対象となっていて銃撃できない未麗が見える。
―――彼女を悲しませたくない!!
そう無意識に思ったと同時に、一瞬の内に身体を右に腰を捻る。虎はそんなのお構い無しに飛び掛ってくる。
「ぁぁあああああああっ!!!」
その数瞬後には、虎は橋の上から消え、そこから真横に飛んでいた。
怒号とともに放たれた打撃は、見事虎の側頭部へとジャストミートした。大きく振り下ろしたままの了斗が無様に倒れた。しかしそれはどこか誇らしげに思えた。
彼は彼女の名を叫ぶ。
「未麗ぃ―――!!」
その声に弾かれたように、今まさに重力に引かれそうになっている虎に、未麗は双銃を構える。
少女は応えた。
「うん!」
刹那に放たれた無数の弾丸は一瞬で虎の腹を貫き、それは一塊の砂となりバシャリと音を立てて川へ落ちた。
「は……はは……本気で死ぬかと思った……」
倒れた身体を起こしながら、了斗は少し狂った笑いをしているのは、修羅場を潜り抜けたゆえのものである。
「……あの、了斗君……?」
何故かおどおどしながら未麗が近づいてくる。その態度を気にしながらも了斗は
「なに?」
と応えようとした。
だが、その瞬間に、
―――なんだ、これ……!?
彼は、とてつもなく大きな力が近づいてくるのを感じた。まるで忍ぶように、しかし確固たる目的と欲望を感じた。
彼の本能が、今までの人生最大の、常人では体験できないほどの警報を鳴らす。
その方向へと叫ぶ。
「誰だ!?」
突然のことに、未麗は身をすくませながら驚いた。彼女がそれを問いただそうとする前に、
「くくく……君は特別みたいだね……」
眼で視認できるほどの密度がある風の衣がまるで何かを包み込むように繭を作る。
「……まさか!?」
一瞬で了斗に感じた違和感を頭の隅に押し込みながら、未麗はは思い当たる情報を引き出そうとする。
その前に、“それ”は現れた。
白いタキシードに身を包み、軽くネクタイと首元を緩ませている細面の男。否、青年というべきか。
外国人のようにシャープな、しかしどこか遊んでいそうな顔。長髪にした金髪に、緑色の眼。手も白い手袋で包まれており、白で統一された姿で肌が出ているのは顔だけだ。
それが肌と認識できるかは、疑問だが。
それは風に身を軽く浮かせている。不思議と彼自身は髪がなびいたり、服がはためくといった現象は起こらない。
その姿を見て、油断無く構えた未麗は呟いた。
「A-3……ジルス=カルス」
浮かんでいる青年―――否、ロストスピリッツはニヤリと口元をゆがめた。
「いかにも……私は“楔無き殺風”(くさびなきさっぷう)ジルス=カルス。はじめまして、“銀翔の軌水”(ぎんしょうのきすい)、そして未確認適合者」
青年の形をした人ならざる者は、軽薄な笑みを浮かべながら腕を組んで了斗達を見下ろしている。
ただそれだけなのに、二人はどうしようもない威圧感に襲われる。了斗は虎に殺されかけたとき以上の冷や汗を流す。まるで抜き身の刀の剣先がのどに突きつけられているような感覚を覚えた。
それに臆せない未麗は、腰を低くした構えを取りながらジルス=カルスを睨みつけている。
「貴方だったのね……今の低級を操ってたのは」
その言葉に了斗はハッとした。本来、A以下のロストスピリッツは太陽があるうちは動けないのである。それなのに今は夕日が火の終わりを告げようと弱々しく光っている。 弱々しいと言えど、そこには確かに光が存在している。そして未麗の言葉から導かれる答え。
この上級のロストスピリッツが媒体となったとしか考えられない。
「ふふっ、さすがに君ほどの実力者となると低級では歯が立たないな」
「……まさかそっちの基本の錬朴じゃなくて、紛いも無いロストスピリッツを操るなんて……やはり恩恵を授かったの?」
「ああ、“失われた目覚め”が起こり、私はこの能力を得た。おそらく他の者達もレベルを上げると様々な能力を得るのだろうな。私は最近になって能力が増えたところでね、とても機嫌がいいのだ」
「……とても嫌な展開ね」
「私達側ではこの上ないほど嬉しいことだがな」
了斗の知らない世界で、抜群の緊迫感を表しながらの会話のなか、未麗は苦渋に満ちた表情を、ジルスは軽薄の笑みを深めている。そして唐突に彼は了斗へと視線を変える。
「くくく……まさか最小限にまで抑えた私の力に感づくとは……しかしそれも多少私側が近づかなきゃいけないみたいだがな」
「十分よ。私でも感じれないほど凝縮された力を感じるんだから。だから未確認なの?」
「そうだよ……くくっ……ハハハハハハ! ハハハハハハ!!」
心臓が握り締められるような緊張感の中、ジルスは狂ったように、右手を顔に押し当て哄笑した。了斗はそれを見て『世界一の宝を見つけたトレジャーハンター』と、どこか変に感じる比喩を思い浮かべた。―――その宝が自分であることに気づいて、ただでさえ流れている冷や汗が余計に溢れてきた。
自分の思考を裏付けるように、哄笑の余韻を残しながら、興奮気味にジルスは了斗に視線を向ける。
「ハハハ……未確認の精霊魂は食べるとき不思議な感覚があるからね、これは楽しみだ……しかし残念ながら……それはお預けのようだ」
言葉の通り残念そうな表情、なんてものは欠片も出てない。三日月のように歪めたそれは、むしろ『楽しみの前に楽しみが増えた』といった種類の笑みだ。
「当然よ、私がそんなことをさせない。なんなら私が貴様を今この場で消滅させるわ」
戦士としての表情を醸し出しながら、未麗は右手に持つ銃と刃に似た鋭い視線をジルスに向ける。しかしそんなことをせずとも、ジルスには今手を出すつもりは無かった。
鋭い視線に、敵は笑みで応えた。
「フフフ……まあ、簡単には手を出せないけど、そのスリルを楽しむのもまた乙だ……」
見た目は柔らかな視線を了斗に向ける。しかし了斗はそれに、抑えがたい禍々しい欲望が渦巻いていることに気づいた。異常なまでに集中された感情に、もはや身震いも起こらず、身体がコンクリート漬けにされたように固まってしまった。
「楽しみにしてるよ……フフフ……ハハハハハハ…………」
風とともに現れた敵は、風によって身を包み、風のようにどこかへ消えた。
了斗と、銀の双銃を光とともに霧散させた未麗が呆然としている中、混沌領域を包むベールのようなドームははがれ、覆われていた世界は源たる世界と時間を共有する。
立ち止まっている二人を見て、誠弥は
「どうした?」
と声をかける。了斗達は
「なんでもない」
と少し無理矢理笑みを作りながら、友達のところへ合流した。
汗でべっとりとしたシャツの感触が、了斗を今居る現実へと帰した。
* * * * *
「じゃ、また明日な」
この町では数少ない公園は、了斗の家を住宅街の中心―――事実そうなのだが―――と考えると、ややビル街よりのところにある。ここが主な彼らのターニングポイントなのである。
了斗の別れの挨拶に、
「ああ」
「それじゃね」
とそれぞれ返し、誠弥は南に、起衣璃は西にある家、またはマンションに向かう。圭と香は変える地点がほぼ一緒なので東のマンションへと向かう。了斗は誰も知らない事情の後ともあり、人気の全く無い公園の、少し錆び付いた鎖で下げられたブランコに座っている。
未麗は、というと―――
現在拠点にしているホテルには行かず、了斗の隣のブランコに座っている。ただのんびり掛けている了斗と違い、キイ、キイと音が大きめに響く程度にそれを揺らしていた。
そんな中、了斗は自分の中の葛藤の末に、ついに未麗に問いかけようとした。
だが、先手は未麗だった。
「ごめんね」
後悔と悔しさに満ちた表情で、ザザ、と靴を地面に擦らせブランコを止める。土煙がわずかに残る夕焼けに染まる。
「戦う前、
「死なないで頑張って」
なんて言ったけど、ホントは君に迷惑は掛からないようにするつもりだった。なのに、むしろサポートされちゃうなんて……」
「私は……何のために……」
と己の不甲斐なさに、下唇を噛む未麗。
そこで了斗は、彼女がジルス=カルスが現れる直前におどおどと話しかけようとしたことを思い出した。それは、自分を危険な目に合わせたことを謝りたかったのだ。
苦笑した。そこまで自分なんて気遣わなくてもいいのに。
「いいよ。別に。結果的にはよかったんだ。それに俺だけだったら圭達を護れなかった。ありがとう」
こっちが謝罪したというのに、お礼を言われるなんていうイレギュラーな事態に、ポカンと呆ける未麗。その表情に少々満足しつつ、しかし了斗は表情を引き締める。
「じゃあ、教えてくれないか。俺が未確認と言われたこと。あのロストスピリッツのこと。“失われた目覚め”とか言うやつのことを」
その言葉により、未麗も表情を引き締める。それには幼さなんて欠片も残ってなかった。
「まず最初に……簡単に言うわ。貴方が未確認といわれた理由。それはアイツにすばやく感づいたから」
「それは未麗も同じじゃないか? 精霊士なんだから一種の精霊の塊であるロストスピリッツくらい感じ取るくらいできるんだろう?」
眼をパチリと瞬きし、了斗は聞き返す。
「その通りなんだけどね」
と未麗は前髪を押し付けるように額に手を当てる。
「でもアイツは気配を限界まで消していて、実際ギリギリまで近づいてきたあの瞬間まで感じれなかった。それを君は感じたのよ」
……なんだって? 恐らくこの世界のどこかにまだいるはずの適合者と同じように混沌領域を動くことしか出来ないはずの自分が、精霊士である未麗以上の感覚を持っているということか?
「……だからといって、私は君を無理矢理精霊士になれだなんて言わない。君の判断しだい」
「考えてみるよ」
と軽く了斗は返したが、内心は葛藤していた。
このまま何も見なかったことにするのか。
この力を誰かのために役立てるか。
どちらの道を進んでも、失い、得るものがある。
その思考の複雑さを察しながら、未麗は話を続ける。
「さっきの敵―――ジルス=カルスは、A-3のランクで、最近になってから名を上げてきたロストスピリッツなの」
「名を上げた……って?」
「アイツに立ち向かって生き延びたものはいない。資料によると低級のころからかなりの力を持っていたみたいよ」
信じられなかった。恐らく未麗と同じように、世界各地に散らばっている人間の中では最強であろう力を持つ精霊士が、倒すべきである敵に倒されていたなんて。
「……今のところどんな能力を持っているかは不明。でもかなりの強敵だわ。まさか同じロストスピリッツを錬朴の代わりにするなんて……」
「錬朴?」
「奴らが好みで作る下僕。だけどそれ以上にロストスピリッツは強いから、結果的に力のコストは上がるはず。かなりきついわ」
厄介な奴らしく、未麗は苦虫を噛み潰したような顔をする。了斗はあの細面の男にそんなに力があるなんて思えなかったが、しかしあちらの世界ではこちらの常識は通用しないと痛感した。
「最後に……失われた目覚め。これは何年か前、正確には分かってないけど、何らかの現象が起こってロストスピリッツは急激に力をつけて、新しい能力を得るようになってしまった。ほとんど不明で何も分からず、その原因を知っているだろうロストスピリッツが何も話さないから、そう呼ばれている」
その事情そのものが苦痛のように言葉を吐く。了斗には未麗が何かに耐えているということを感じた。勘だが、それが彼女が精霊士になった理由にも繋がっている気がした。しかしそれに気づかないフリをするのが、“友達”として当然なものと感じた。
「それもせいでひっそりと続けられていた戦いは、今のように表沙汰で行方不明者として目立つようになってる。その情報処理をするのに本部はかなりの苦労をしているわ」
「……そうか」
「…………んじゃ、そろそろいこっか。遅くなるとまた襲われるかもしれないし」
ブランコから立ち上がった未麗は、先ほどの苦痛の雰囲気を霧散させるように伸びをする。その雰囲気も、いまや元に戻っている。
「了斗君のお父さんとお母さんは?」
その当然であるべき質問に、何故か了斗は憧れに近い感情を向けられていることに気づいた。そのことを疑問に持ちながら答える。
「今海外で仕事してる。収入は結構いいらしいから、俺もこうやって一人暮らしできる」
「その言い方だと、すごく誇りに思っているんだね」
「まあ、そうだな」
率直な未麗の感想に、少し照れながら返す。
そして、そこで別れた。
* * *
未麗と別れて数十分後、了斗は自宅の前に立っていた。白で彩られ、少し孤立したどこにでもあるような二階建ての一軒家が、今の彼にとってどこか彼を護ってくれる守護神のように見えた。非日常に半分足を踏み入れかけている少年にとって、日常の象徴は何よりも心安らぐところだった。
ここに来るまで自分はどうすればいいのか葛藤していたためか、頭の中はぐちゃぐちゃである。それの整理もかねて、彼は今この家の扉を開けた後するべきことを口にする。
「まず鍵を閉める。その後自分の部屋に行って服を着替えて、シャツや靴下を洗濯籠に入れる。宿題は無いから鞄は机において、風呂を洗う。溜まる間はテレビ見るかゲームかギターで遊んで、あがったら夕飯を作る……後でなに作るか考えよう。食べた後は乾燥機に入っている水を捨てて洗濯物をたたんで皿を洗う。そのあとは……まあ自由時間の後就寝だな」
「一人なのに大変だね〜」
「まあ、もう慣れたけどな」
「それは感心だね」
「そりゃどうも」
どうも彼は落ち着きすぎたために、急に話しかけてきた声になんの違和感もなしに反応した。
「さて、入るか」
と言いながら、二つの鍵穴を慣れた手つきで開けて、その鍵を鞄の外ポケットに入れる。そしてガチャリと扉を開けて、
「ただいまー」
誰も答える声が無い帰宅の癖を口にした後、
「お邪魔しまーす」
後ろから続いた声に、
ようやく気づいた。
「っていや誰!?」
鞄を放り投げ勢いよく振り返った了斗が見たのは、ベージュのハーフパンツに白いコットンの長袖といった軽装に、大きなボストンバッグを持った未麗だった。それは今にもバッグに振り回されるような錯覚をもたらした。
その大きなバッグを見て、了斗はしばらく思考停止した。未麗はその様子がおかしかったのか、クスクスと笑う。
「すごくおもしろいね、了斗君って」
さらにニコニコ顔を彼に向けた瞬間に、了斗はようやくショートした思考に冷却装置を作動させることが出来た。
「な、なんでここにいるの? ホテルに戻ったんじゃなかったの?」
だが少し冷却したくらいでは熱が収まるはずも無く、軽い混乱を起こしながら真っ先にするべき質問をする。
そして少し難しい表情をしながら未麗は答えた。
「本部に連絡を取って、いろいろと報告したらこうしろってさ」
「こうしろって、どうしろと?」
ようやく冷静に戻った了斗は、自分が予想している答えと違うものとなってくれと願った。
しかし、現実はたかが人間の思考に左右されないということが、彼はこの瞬間悟った。
「私を、この家にしばらく住ませてくれない?」
日常の象徴が、非日常という中々過激なスパイスを加えた瞬間であった。