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婚約破棄からはじまる物語

婚約破棄した公爵令息は辺境の地に飛ばされて魔物を討伐する

作者: 弍口 いく

「マリアナ! 君との婚約を破棄する!」

 俺は怒りに任せて言い放った。


 ここは王立学園内の渡り廊下、昼休みで人通りも多い。だが、そんなことは構っていられない、これ以上マリアナの非道を黙って見過ごすわけにはいかなかったのだ。


 俺はローデリア公爵家の嫡男アレクだ。オリーブの髪にヘーゼルの瞳、精悍な顔つきの自分で言うのもなんだがそこそこの美丈夫だ。オルビス侯爵令嬢のマリアナと婚約していたが、半年前に知り合ったマッケイ男爵令嬢のセリーヌと恋に落ちてしまった。それがトラブルの元だったことは反省しているが。


「君は陰険な嫌がらせだけでは飽き足らず、彼女を階段から突き落として怪我を負わせた!」


 そうなのだ、マリアナは俺に近づくセリーヌを排除しようと、愛する彼女を階段から突き落とした。打ち所が悪ければ命に係わっていたかも知れない大事件だ。


 不安げに俺の腕にしがみ付いているセリーヌは金髪碧眼の美少女、庇護欲をそそる可憐な少女だ。そりゃ、マリアナという婚約者がいながら、心優しいセリーヌを愛してしまった俺に非があったとしても、やり方が汚い。自分の取り巻きを使っての誹謗中傷に数々の嫌がらせ、誇り高き高位貴族のすることではない。


 ん?


 次の瞬間、激しい頭痛に襲われた。


 見たことのない風景が次から次へと脳裏に雪崩れ込んだ。こことは違う世界、馬車ではなく自動車と呼ばれる乗り物が行き交う道路、四角く高い建築物が浮かんでは消える。それは前世で生きていた世界なのか?


 そして、たった今、俺が言い放った言葉にも覚えがあった。妹がよくプレイしていた乙女ゲームのシーンだ。妹? そうか前世の俺には妹がいたんだな。


 妹は面白いからと俺にもゲームを強要した。そのゲームはセオリー通りではなく逆転劇、ヒロインは弾劾されようとしている令嬢の方で、彼女は悪役令嬢ではなく冤罪だったというストーリーだ。言い放った王子はハニートラップにかかった愚か者、……と言うことは?


 俺は王子じゃなくて公爵令息なので、記憶にあるゲームとは似て非なるものだが、パターンは酷似している。


 突然、脳裏に渦巻いた記憶に、俺が激しい頭痛で顔を歪めたことには気付いただろうが、それを見ながらマリアナは静かに口を開いた。


「私には身に覚えのないことですが、婚約破棄のお気持ちは承りました、ただ、私たちの婚約はローデリア公爵家とオルビス侯爵家の契約ですから、私がここで勝手にお返事するわけにはまいりません」


 さすが淑女の鑑と誉れ高い令嬢だ、顔色一つ変えず、ピンと背筋を伸ばした美しい姿勢も崩さずによく通る声を発する。


「それから、冤罪をかけられるのは矜持に反します、それはハッキリと否定させていただきます」

 そう言い残して、踵を返した。


 まだ頭がズキズキする。

「大丈夫ですか?」

 セリーヌが心配そうに俺を見上げた。

「ああ」


 セリーヌは俺の腕に頬を寄せた。

「これで私たち、結ばれるんですね」

「……」


 そうだ、とは言えなかった。

 前世の記憶にあるゲームの展開からすると、俺はこのあと逆に弾劾されて、公爵家から除籍され、平民へと身を落としてフェイドアウトする。その後は、どうなるんだっけ?



   *   *   *



 マリアナの宣言通り、冤罪が立証された。

 セリーヌが俺に言ったことは全て嘘だった。嫌がらせやイジメの事実はないし、階段から落ちたのも自作自演だった。


 それを証明したのは、なんと、俺の弟レイフだった。

 俺の浮気に悩むマリアナの相談に乗っているうちに二人は恋仲になったようだ。


「残念だよ兄上、あんな女にコロッと騙されるなんて。そんな浅慮じゃ、公爵家を継いでも、詐欺かなんかに引っかかって家を潰しかねない、俺がしっかり守っていくから、安心して任せてくれ」


 俺の愚行に激怒した父は、俺を廃嫡にした。そしてレイフを継嗣にして、マリアナと婚約を結び直した。


 結局、セリーヌは公爵夫人の座に憧れ、マリアナを陥れて、婚約破棄させようと企んだとんだ悪女だった。俺はまんまとハニートラップにかかった愚かな男だったという訳。真実の愛なんて幻想だったのだ、それはあっけなく泡沫と消えた。


 セリーヌは嘘がバレて、公爵夫人になれないと知ると、その日のうちに姿を消した。マッケイ男爵も彼女の行方は知らないという。俺がプレゼントした宝石類を売り飛ばせば当分金には困らないだろう。


 気にはなるが、もう俺とは縁が切れた女だし……本当に愚かだった。





 この結末を知ったギデオンには大笑いされた。

 カサンドラ王国の王太子ギデオンとは、同い年の幼馴染だ。彼は半年間、他国に留学していたので、ちょうどセリーヌと出逢って夢中になっていた頃は不在だった。


 帰国したギデオンは『やっぱりお前も一緒に連れて行くべきだったな』と言ってくれたが、後の祭り。銀髪蒼眼で甘いマスク、温厚に見えるが彼は切れ者の腹黒、将来国を背負っていくのにピッタリの男だ。もしギデオンがいたら、セリーヌの本性を見抜いていただろう。


 しかし、俺が惨めに騙されてしまったことを知ったのは、すべてが終わってからだった。


「まあ、除籍されなくて良かったじゃないか、それに幸い卒業資格は既に取得しているから、王国騎士団に入団できるんだろ」

 それは恐らくギデオンが口添えしてくれたからだろう。俺は辛うじて路頭に迷うことはなくなった。持つべきものは友だ。


「でも、公爵家の跡継ぎでなくなった俺には価値がないそうだ」

 俺は立ち直れずにしょんぼり肩を落としていた。この醜聞は社交界にも知れ渡っている。俺の将来は真っ暗だ。


「それはあのセリーヌ嬢にとってだろ、剣の腕は一流だ、数年真面目に頑張ってくれれば、俺の側近として呼び戻してやるから」

「こんな醜聞、一生払拭できないよ」

「でも、俺は信頼できる者を傍に置きたい」

「ギデオン~~~」

「泣くな」





 そういう訳で王国騎士団に入団した俺は、息つく暇もなく魔物が大量発生しているスタークス辺境伯領へ派遣されることになった。言っとくけどこれは罰とかじゃなくて、実力を認められてのことだ。即戦力になると判断されたからだ。


 そこには一ヵ月前に聖女と聖騎士一行が王都から援軍として派遣されているが、まだ収拾しておらず苦戦しているらしい。スタークス辺境伯領を突破されれば王都にも被害が出るのは必定、なんとしても食い止めなければならなかった。


 俺は援軍の一員として辺境伯領へ旅立った。



   *   *   *



「レティシア・ギャレット、お前との婚約を破棄する!」

 到着早々、俺はとんでもない場面に遭遇した。

 デジャヴか?


 スタークス城の中庭で声を張り上げているのは、スタークス辺境伯の嫡男ミハエルだった。指を指されているのは彼の婚約者であるレティシア・ギャレット子爵令嬢らしい。黒髪に黒い瞳の地味な印象だが整った顔立ちの少女だった。


「お前は心清らかで美しい聖女様を妬んで陰険な嫌がらせをした、そんな性悪女とは結婚は出来ない!」

「私はなにもしていません」


 青ざめながらも気丈に言い返したレティシアを見て胸が痛んだ。あの時は頭に血が上っていて余裕がなかったけど、マリアナもこんな顔をしていたのだろうかと思うと居た堪れない。


「そうよミハエル、嫌がらせなんかされていないわよ」

 ミハエルに寄り添っている聖女がゆったりした口調で言った。


 強い神聖力を持つ聖女エディット様はフワフワしたアッシュブロンドにルビーの瞳で、ボンキュッボンのお色気たっぷり、二十歳の妖艶な美女だ。教会に所属する聖女は何人かいるが、エディット様は実力ナンバーワンと聞いている。しかし、俺がイメージしていた聖女様とはちょっと違う感じだ。


「なんだか彼女に嫌われているみたいって言っただけじゃない」

「とんでもない話ですよ、我らのために遥々来ていただいている聖女様に、そんなことを感じさせるなんて、それだけでも嫌がらせです!」


「そんな大袈裟に言わなくても、婚約者である彼女よりも私を大切にしてくれているのからヤキモチを焼いただけよ」

「聖女様を大切にするのは当たり前のことです」

「まあ」


 見つめ合う二人は完全に自分たちの世界に入っている。俺は何を見せられているんだ?


 回廊からその様子を唖然としながら見ている俺の横に立った騎士が溜息交じりに漏らした。

「聖女様にも困ったものだ」

「あなたは」

「俺はローランド・ランドル、一応聖騎士だ」


 俺も体格はいいが、それ以上にガッチリした肩幅で、服の上からでも鍛え抜かれた筋肉が想像できる逞しい躯体の男だった。年の頃は二十代半ば、黒髪に青い瞳の男前だ。


「一応?」

「聖女の部隊に聖騎士不在では格好がつかないし士気も上がらないだろ、そこで教会と王家の依頼で仮聖騎士として参加したんだ」

「それ、言っていいことですか?」

「みんな知っているよ、君は今日到着した増援部隊だね」

「アレク・ローデリアです、よろしくお願いします」

「君が」

 ローランド卿は意味ありげにマジマジと俺を見た。


「剣の腕は一流だと聞いているよ、ただ、やらかして飛ばされたとも」

「あ、ああ」

 やはりこんなところまで、俺の醜聞は届いていた。



   *   *   *



「こんな時間に一人でなにをしてるんですか?」

 夕食後、ブラっと中庭を散歩していると、噴水の縁に腰掛けて宵の空を見上げているエディット様を見かけて、なんとなく声をかけた。


 あの後、ローランド卿が割って入り、騒ぎは収拾された。

 俺たちは騎士宿舎に案内されて、任務の説明を受けた後、解散となった。今は聖女の結界で魔物の侵入を防いでいるものの、またいつスタンピードが発生するかわからない状況らしい。


「ミハエルに付きまとわれて鬱陶しいから逃げてきたのよ」

「えっ? 彼とはイイ仲じゃないんですか?」

「冗談でしょ」


 いやいや、あの状況を見せられたら誰だってそう思うだろ、ミハエルが聖女と浮気をして、婚約者であるレティシア嬢を捨てた、そんな場面だっただろ?


 少し前に自分がしたことをまた思い出した。レティシア嬢の悲しそうな顔とマリアナがダブって見えてしまい、胸が痛んだ場面だ。


 今思うと、なぜあんな方法を取ってしまったんだろう、穏便に済ませることも出来たはずだ。ちゃんと話し合えば、セリーヌの事だって誤解だったとわかったはずなのに、公衆の面前で恥をかかせて貴族令嬢の矜持と心を傷付けた。全面的に俺が愚かだったんだ。


「レティシアに同情した?」

 エディット様は意味ありげに俺の顔を覗き込んだ。これは……俺のやらかしを知っている顔だ。


「知ってるんですね」

「まあね、ここにいても王都の噂は耳に入るから、特に高位貴族のスキャンダルは面白おかしく伝わるものよ」

「まいったな、みんなに知られてるってわけですか」

 俺は肩を落としながら、エディット様の横に座った。


「婚約者がいるのに浮気して廃嫡されたって?」

「ええ、お恥ずかしい次第です。野心家の男爵令嬢に誑かされて、長く婚約を結んでいた罪のない侯爵令嬢に公衆の面前で婚約破棄を言い渡した愚かな男ですよ」


「さっきの場面は、あなたがやらかした事と似ていたのね。でも、気にすることはないわよ、あなたの場合と違ってレティシアが望んでいたことだから」

「えっ?」


「ミハエルは屑よ、レティシアみたいなイイ子には勿体ないわ。婚約者として一年前にこちらへ花嫁修業として来てから、辺境伯の後継ぎとしての執務を全部押し付けられて、ミハエルは好き勝手に浮気し放題、侍女や下働きの子にまで手を付けているみたいなのよ。このまま屑と結婚しても幸せにはなれないから、レティシアは早くここから逃げ出したいと言っていたし」


「言っていた? まさか、聖女様と彼女は最初からグルだったんですか? 子爵家から辺境伯家へ婚約解消など言えないから、本人に言わせた?」

 そうだとしたら、レティシア嬢もエディット様も大した役者だ。


「うまく行ったでしょ、ミハエルは私がちょっと優しくしたら勝手に勘違いして靡いてくれたし、全然気付いていないのよ。私は任務が終われば王都へ帰るし、レティシアは解放されて明日には子爵家へ戻るそうよ。彼女の辛い立場はご両親にも伝わっていたようで、一年も我慢したんだから、好きにしなさいと言ってくれてるみたい。いい両親でよかったわ。もし、この後、中年の後妻にでも行けと言われるようなら、私が王都へ連れていくつもりだったけどね」


「そうだったんですか」

「あなたの場合とは違うでしょ」

「ええ、そのようですね」


 しかし、スタークス辺境伯がまともな人物なら、ミハエルの行く末は俺と同じだろう。廃嫡されて追い出される。俺たちと一緒に魔物討伐部隊に加えられるかも知れないな。


「でもあなた、見れば見るほどイイ男ね、あなたを袖にするなんて、男爵令嬢も勿体ないことをしたわね」

 エディット様は馴れ馴れしく俺に顔を近づける。聖女が男に擦り寄るなんて、そんなことしていいのか?


「やめてください」

「まあ、初心なのね」

「しばらく女は懲り懲りです、俺は女を見る目がないと身に沁みましたから。男として、いや、人としての自信を失いました。俺の眼は本当に節穴なんだなって」


 俺は本気だった。

 セリーヌを愛していたんだ。

 騙されていたなんて今でも信じられない。


「あらまあ、一度振られたくらいでクヨクヨして、女々しいのね。私がイイ女の見分け方を教授してあげようか?」

 さらに妖艶な笑みを浮かべる美しい顔を近付けられて、俺がタジタジになっている時。


 カーンカーンカーン!! 

 半鐘が鳴った。

 澄んだ夜の空気はその音を大きく響かせた。


「なんです?」

 今日到着したばかりの俺はその意味を理解していなかったが、非常事態が起きたことは想像できる。


「結界が破られたのよ」

 エディット様の表情が豹変した。

 スタンピードなのか? 到着早々ついてない。


 ついこの間まで学生だった俺は実戦を知らない。魔物と戦うどころか目の当たりにしたこともないんだ。膝が震える。マジでビビっているのが本音だが、行かなければならない。


「先に行くわ」

「えっ?」


 立ち上がった聖女様の足元に魔法陣が現れた。

 次の瞬間、彼女の姿は消えた。

 転移魔法が使えるのか? 初めて見た、凄い!


 でも、一人で?

 大丈夫なのだろうか?



   *   *   *



 現場に到着すると既に戦いははじまっていた。

 巨大な魔物の群れを目の当たりにして、剣を持つ手に汗が滲む。

 聖騎士ローランド卿が先頭に立ち……いや、先頭はエディット様だ。


「遅れをとるな! 聖女様を護れ!」


 エディット様は結界を張り直している。

 一番前に出て、魔物が目前に迫るのも厭わず、聖なる結界を展開している。

 その姿は、さっき俺に迫っていた妖艶な笑みを浮かべるアバズレとは別人、凛とした引き締まった表情で、勇敢に戦う戦士だ。


 彼女の両手から神々しい光が広がり、魔物の進撃を食い止めている。

 その隙間を縫って突進してくる魔物を騎士たちが切り捨てる。しかし、数が多い。聖騎士のローランド卿もこれ以上の侵入を阻止しようとしているが、勢いに押されていた。


「ローランド卿!」

 ローランド卿が倒された。


 エディット様はすかさず彼の横に立ち、結界で彼を護ったが、聖女に出来るのは防御だけ、広範囲に結界を張ろうとしても、魔物の勢いは止まらずに重なって襲い掛かる魔物たちに破られてしまう。


 このままじゃ二人とも危ない!


 俺もそちらへ駆け寄った。

「バカ! ひとまず退却しなさい!」

「退却って、どこへ」

 そうなのだ、ここを突破されれば、スタークス領に魔物が雪崩れ込む。


 負傷したローランド卿はもう戦えない。聖剣を持つ右手は血に濡れていた。


「うっ!」

 その時、頭痛に襲われた。

 なんでこんな時に!


 それはマリアナに婚約破棄を告げたあの時と同じ感覚だった。それは前世で俺がしていたゲームのワンシーン。聖剣を手にしたヒーローが戦うスチール。


 なんでそんなモノが浮かぶんだ? 聖剣を見たから? あれを手にした俺はヒーローになれるってのか? いやいや、俺は悪女に騙されたおバカな脇役で、ヒーローじゃないし……なんてことを思いながらも、無意識にローランド卿の手から滑り落ちた聖剣を拾い上げた。


 俺が手にした瞬間、聖剣が眩い光を放った。

「なに?」

 エディット様が驚きの目を向けた。


 輝く聖剣は一突きで魔物を消し去った。

 普通の剣では何度も何度も斬りつけなければ致命傷にならない分厚い魔物の皮膚をいとも簡単に貫く。


 いいや、振り翳すだけで、剣の光に触れた魔物たちは消滅していく。

 これが聖剣の力なのか? スゴイ!!





 数分間後、魔物の進撃は止まった。


 騎士たちが切り捨てた魔物の死体が転がっていた。魔物の肉は案外美味い、持ち帰って宴会だ、と誰かが言っていた。

 何人かの負傷者は出たが、幸い死者はなかった。


 エディット様は広範囲に結界を張り直した。


「これで当分は持つでしょう、でも、森の中の瘴気溜まりにまだ潜んでいるわ、殲滅しなきゃまた襲われる」

 汗を拭いながらエディット様は言った。そして、戦い終わって無造作に放り出された――俺が手放したんだけど――聖剣を拾い上げ、それを片手に抱き着いてきた。


「凄ーい!! あなたが聖騎士だったなんてね」

 俺の頬に聖女様の柔らかな頬が触れる。

「あなたは聖剣に選ばれたのよ」

 聖女様の豊満な胸が俺の体を刺激する。俺はどう反応していいかわからず戸惑っていた。みんな見てるんだけど……。


「聖剣は教会が所持する本物だ、これが君に応えたんだ、君こそが本物の聖騎士だ。本物が現れたんだから俺はお役御免だな」

 ローランド卿が言った。

「はあ?」


「あなたが聖騎士よ! これで、この付近の魔物は一掃できるわ」

「えっ? 嘘でしょ、俺には神聖力なんてありませんよ」

「なかったら聖剣は輝かないわよ」


 まさか、俺ってヒーローだったのか?

 それにしても聖女様ボリュームある体って、気持ちイイ。



   *   *   *



 スタークス城に戻った時は、もう夜は明けていた。

 そして、宴会がはじまった。

 エディット様はいちばんの酒豪だった。


 光り輝いていた聖女の姿はすっかり鳴りを潜めて、ただの酔っ払いに成り下がっていた。騎士たちと一緒に酒を煽っている姿はオヤジそのもの、なんとも複雑な気分。ほんと訳のわからない人だ。


「お前が聖騎士だったとはな」

「お陰で命拾いしたよ」

 俺はみんなに感謝された。自覚はないのでなんだがむず痒い。


「胸を張りなさい、聖剣に選ばれし者なのだから」

 エディット様は馴れ馴れしく俺の肩に手をかけてしなだれかかる。


「聖騎士万歳!」

「これからも頼むぞ」

「頼りにしているぞ」


「任せなさい」

 なぜかエディット様は自分のことのように上機嫌。


 そんなエディット様を見ている時、また脳裏に前世の記憶が甦った。もう頭痛はなかったが、全身に鳥肌が立った。その訳は、ゲームで聖女と聖騎士が結ばれて大団円を迎えるというラストシーンが浮かんだからだ。


 もう一度、酔っぱらっているエディット様に目を向ける。

 いやいや、それはない。


 エディット様がまた酒のおかわりを取りに行ったのを見て、大きなため息が出た。そんな俺に、

「彼女の故郷の村は魔物に襲われて全滅したんだ。家族が殺されるのを見た時、聖女の力が顕現したらしい。もっと早く顕現していれば、家族を助けられたのにと、彼女は悔しがっていた。だから自分みたいに悲しい思いをする人を一人でも減らせるように戦っているんだ」

 ローランド卿が言った。


「騎士団が全滅する前に俺の力が顕現して良かったのですかね」

「そういうことだ、あのままだったら俺は助からなかったし、多くの犠牲が出ていた。一人の犠牲も出さずに戻れたことを、彼女はすごく喜んでいるんだよ」

「それにしても、飲みすぎじゃ」


「自分に正直なだけだ、嬉しい時は嬉しいと飾らずに自分を曝け出す、ある意味純粋な心の持ち主だよ」

「そうなのですか」

「君もそうだろ、純粋な心の持ち主でなければ聖剣に選ばれることはない」


「俺はただ単純な愚か者ですよ、女を見る目がなくて騙されて」

「本当にそうだったのかな?」

 違うと思いたい。セリーヌは俺を本当に愛してくれていたと信じたいのは山々だが、実際、俺が廃嫡されたらすぐに姿を消したし。


「でも、そのおかげでここへ来て、聖騎士の力があると知ることができた、ある意味、運命だったのでしょうかね」


「アレクぅ! こっち来て飲みなさい!」

 聖女が呼んでいる。

 ああ、酔っ払いの相手は嫌だな。





 聖騎士となった俺は、次の日からフル回転で魔物を討伐した。


 聖剣を一振りすると十の魔物が消滅し、十回振ると百の魔物が消え去る。

 辺境伯領の森に生息する魔物は急速に数を減らした。


 魔物だって命あるモノ、それを奪い続けるのには少し抵抗があったものの、俺は聖騎士として恥ずかしくない活躍をしたつもりだ。


 そして一ヵ月。

 スタークス辺境伯領の森に発生する魔物を殲滅し、聖女エディット様の力で瘴気の吹き溜まりを浄化した。



   *   *   *



「もうすぐ王都へ戻れそうね」

 昼食を摂りながらエディット様は上機嫌。

 この一ヵ月、彼女と俺はコンビで活躍した。まあ、聖女と聖騎士は魔物討伐の現場ではそういうものらしい、息が合えば合うほど討伐はスムーズに運ぶらしいけど……。


 聖女に相手にされなくなったミハエルは気に入らないようで、いつも俺を睨んでくるが、聖騎士に面と向かって文句は言えないようだ。


 レティシア嬢はあの翌日、子爵家へ帰っていった。今まで彼女に押し付けていた執務が溜まったミハエルは呼び戻そうとしたらしいが、スタークス辺境伯夫妻は婚約破棄騒動を聞いていて、『アレはない』と頭を抱えたらしく、子爵家の意向に添って正式に婚約解消された。


 そして、この長男に跡を継がせることを考え直しているようだとエディット様は言っていた。相談を受けたとか……。





「アレクにお客なんだけど」

 そこへ、先輩騎士がみすぼらしい姿をした子供?を伴っている。


「イーサン……か?」

「アレク!」

 イーサンは俺の姿を見つけるなり突進して来た。手には短剣が握られている。


 殺気!

 イーサンは短剣を俺の心臓めがけて突き刺そうとしたが、そんなへっぴり腰にやられる俺ではない。難なく躱して、手刀で短剣を叩き落した。イーサンはあえなく床に転がった。


「くっ!」

 イーサンは近くにいた騎士に取り押さえられた。

 俺を睨み上げる瞳には憎しみがこもっている。


「誰だ、こいつは、知り合いか?」

「ええ、まあ」


 彼はセリーヌの弟だ、年はまだ十三歳、セリーヌと付き合っていた時に紹介してもらったことがあったので覚えていた。しかしセリーヌとの縁は切れたんだ、イーサンが俺を遥々追ってきて、命を狙うなんて……意味がわからない。彼に恨まれる覚えはない、セリーヌに捨てられた俺のほうが被害者なんだけど。


「なんのつもりだ?」

「姉上を殺したのはお前だろ!」

「はあ?」

 殺された? 事故でも病気でもなく殺されたと断言した。いやいやそれよりも、

「セリーヌが死んだ?!」


 脳天をかち割られたような衝撃、心臓を一突きされたような痛み、それはまだ彼女に未練があった証拠だ。騙されて捨てられても俺はまだセリーヌを愛していたんだ。


「いったい誰に殺されたんだ?!」

「惚けるな! お前しかいないだろ」

「待て待て、俺にはそんなこと出来ないぞ、ずっとここにいたんだ」

「お前ほどの地位があれば、人を雇うことだって出来るだろ」

「振られたくらいで人殺しはしない」

「じゃあ、誰が……」


「セリーヌは本当に殺されたのか?」

「ああ、見たんだ。姉上の様子が変だったから、後をつけたんだ。そうしたら誰かと話をしていて、内容までは聞こえなかったけど、いきなりその相手に刺された。その後、姉の遺体を運んで行ったんだ。後を追ったけど、馬車だったので追いつけなくて……」

 イーサンはポロポロと涙を零した。


「……なんで、なんで姉上は殺されなきゃならなかったんだよぉ!!」

 号泣しはじめた。

 まだ十三歳の子供だ、姉を失ってさぞ辛かったのだろう。


「アンタとのことは噂で聞いてた。姉上はなにも言わなかったけど、噂を知った両親の方が、もしかしたら玉の輿に乗れるんじゃないかと舞い上がっていたんだ。でも姉上は暗い顔をするばかりで、俺はなにかあると感じて……。やっぱり身分が違うから邪魔になった姉上をアンタが殺したんだと」


「殺すわけないだろ、俺はセリーヌを愛していたんだ、騙されていたと知った今だって彼女のへの想いは消せない、恨みも憎しみもない、彼女との思い出は俺の中に奇麗なまま残っているんだ」


「この人に殺せないわ、魔物を殺すことにさえも胸を痛めているような人だもの、人殺しなんか絶対無理よ」

 エディット様が口を挟んだ。なんで俺の気持ちを知ってるんだ? 魔物を殺すのに罪悪感がるなんてことは誰にも言っていないのに。


「本当に?」

「そのセリーヌさん、ちょっと羨ましいわね、これほど一途に思われて、婚約者さんもさぞ嫉妬したでしょう」

「マリアナは嫉妬なんかしないよ、最初から俺を嫌ってたもん、ただ自分の立場を守ろうとしただけだ」


 政略とはいえマリアナは正式な婚約者だった。俺に特別な感情はなくても結婚するものと思っていただろう。貴族の結婚なんてそういうものだ。俺もそう思っていた、セリーヌと出逢うまでは。


「ところで、セリーヌが殺されたことは通報したのか?」


「いいえ、両親にも姉上が殺されたことは話してない、俺が目撃していたことが知られたら俺や両親も消されるかも知れない、そんなヤバい雰囲気の相手に思えたから……。それに本当のことを訴え出ても、俺みたいな身分の低い子供がなにを言おうと誰も取り合ってくれないだろう、確たる証拠もないし……男爵令嬢一人が行方知れずになったところで調査もされない」


 しゃくり上げるイーサンの背中をエディット様は優しく摩った。

「辛かったわね」

「う、ううっ」

 涙が止まらないイーサンをエディット様は優しくその胸に抱き寄せた。それはダメだろ! まだ十三と言っても男だぞ、エディット様の豊満な胸に反応しないわけがない。


 俺は慌てて引き離し、

「わかった、俺が王都へ戻ったら、必ず捜査する。セリーヌを殺した犯人を突き止めて、なぜ、殺したのか明らかにする」


「アレク様!」

 おや、〝様〟付きになった。

「必ずセリーヌを殺した犯人には報いを受けさせる」


 その後すぐ、俺はギデオンに一筆したためた。俺が戻るまでに少しでも調べてくれれば助かるし、だた、彼が取り合ってくれるかはわからないけど。



   *   *   *



 凱旋パレードなるものが用意されていた。

 魔物を殲滅した我ら一行は大歓迎で王都に迎えられた。


 エディット様は慣れたものもで、眩しい聖女の微笑みを惜しみなく浮かべながら手を振っていた。みんな知らないんだろうな、彼女の中身は大酒飲みのオヤジだってこと。


 王都のメインストリートを練り歩いたのち、王宮で国王陛下に謁見する。

 俺は柄にもなく緊張していた。それは国王に会うからではない、陛下はギデオンの父親、この親子はそっくりで、柔和な笑みの下には何を考えているのか読めない腹黒さを秘めている曲者だ。そんな陛下が俺の望みを聞いてくださるのか不安だった。


「この度は大義であった。特に聖女エディット、聖騎士アレクの活躍は目覚ましいものだったと聞いている。よくやってくれた」

「聖女として当然のことをしたまでです、それに私たちの力だけでは成し遂げられませんでした。討伐隊全員の功績にございます」


 エディット様は上品な笑みを浮かべながら頭を下げた。この人は役者だ、相手や場所に応じて演じ分け出来るのは凄い。


「アレクよ、お前が聖騎士だったとは驚いたぞ、子供の頃から見ていたのに、まったく気付かなんだわ」

 陛下はハッハッと笑った。


「なあ、ローデリア公、父親も気付かなかったのか」

「お恥ずかしい次第です」

 参列している父上はバツ悪そうに冷や汗を浮かべている。

 父上の横には神妙な顔のレイフと婚約者マリアナ、そして、その他にも名だたる高位貴族が顔を揃えていた。今回の魔物討伐は挙国一致の悲願だった。それを成し遂げた我ら一行はまさしく英雄だ。


「アレクを廃嫡したのは早計だったな、今からでも遅くはないぞ、元に戻したらどうだ」

「もちろん考えております、国を救った英雄ですから」

 レイフの眉がピクッとしたのを俺は見逃さなかった。マリアナは相変わらずの無表情だが。


「褒美を取らせねばな、希望はあるか?」

 陛下は俺に言った。この時を待っていたのだ。

「調査をお願い申し上げます」

「調査とは?」

「セリーヌ・マッケイ男爵令嬢が殺害された事件です」


「お前! まだあの女のことを! ん? 殺害された? 逃げたのではないのか?」

 父上が身を乗り出した。

「殺されました。彼女の弟イーサンが目撃しています」

 後ろに控える騎士団の中からイーサンが出てくる。


 そして、国王の横に控えていたギデオンが口を挟んだ。

「間違いはありません、セリーヌ嬢の遺体を森で発見しました」

「それは真か」

 思わぬ展開に、少々困惑している陛下にギデオンは畳みかけた。

「それだけではありません、昨日、アレクに暗殺者が放たれました」


 ギデオンが視線で合図すると、近衛騎士が猿轡を噛まされた男を引き立てて来た。

 そう、王都に到着する前日、最後の宿で俺は暗殺者に襲われた。



   *   *   *



 イーサンから話を聞いた俺は、すぐにギデオンに伝書鳩を飛ばした。もちろんセリーヌ殺害の調査依頼だ。

 三日後、ちょうど王都へ帰還する日に返事が来た。入れ違いにならなくてよかった。


 ギデオンは俺の手紙が届く前から既に調査を始めていたという返事だった。俺が男爵令嬢に入れ込んで無茶をし、廃嫡されたと言う顛末を聞いて、違和感を覚えたらしい。


 セリーヌの遺体は途中まで追ったイーサンの証言をもとに発見したらしい。森に捨てられ獣に喰われ無残な状態だったが、ちゃんと埋葬してくれたそうだ。


 ギデオンは短期間でかなり調べ上げてくれた。さすが王太子、優秀な情報網を持っている。


 セリーヌの実家マッケイ男爵家は、小さな領地が去年水害に見舞われ、領民からの税が見込めなくなった。このままでは貴族税も払えなくなり、もう領地と爵位を返上して平民になるしかないところまで追い詰められていたらしい。セリーヌも学園を退学して働くつもりだったようだ。


 俺はそんな事情を全く知らなかった。なぜ打ち明けてくれなかったんだ。俺は信用に値しない男だったのだろうか。


 そんな時、援助の申し出があったらしい。


 どうやら、俺を篭絡して陥れることが条件だったようだ。それは見事に成功した。セリーヌの噓に乗せられた俺は大勢の前で婚約破棄を言い渡すという愚行に走り、公爵家の後継ぎとしての資質を疑われて廃嫡された。依頼主の筋書き通りに運んだというわけだ。


 事が終わり、依頼主はセリーヌを口封じしたのだろうとのことだった。


 でも誰が、何のために俺を陥れたんだ? その詳細は俺が帰還してから直接話すと書いてあった。


 しかし、一度失脚した俺が英雄となって王都へ戻れば、都合の悪い人間がいるようだ。ギデオンは〝王家の影〟を向かわせてくれた、俺の命も危ないと言う。


 なんで俺が?

 人から恨まれる覚えはないんだけど。

 俺が聖騎士になったところで、なにが変わると言うんだ?

 俺の単純な頭では理解できないことばかりだ。


 それに、凱旋する一行は聖女をはじめとする強者揃いの王国騎士団だぞ。そんな中にいる俺をどうやって殺すんだ?

 しかし。


 ギデオンが危惧した通り、王都に入る手前、最後の町の宿舎で、深夜に暗殺者が来た。王国騎士団の騎士たちが泊まる宿に侵入するなんて無謀と思えるが、そこはプロの殺し屋だった、気配もなく俺の部屋まで侵入した。

 しかし王家の影はプロの暗殺者を上回った。


 危うく暗殺されるところだった俺を救い、実行犯を拘束した。そして騎士団のリンチに遭う前に、とっとと王都へ連行した。



   *   *   *



「セリーヌ嬢の殺害事件とアレクの暗殺未遂事件は繋がっています。私の調査結果と、捕らえた暗殺者が証拠です。セリーヌ嬢を殺したのもこの者です。金を積めばなんでもやるプロの暗殺者ですが、雇い主に忠誠はありませんから、簡単に白状しました」

 陛下に調査をお願いすると言ったが、ギデオンによって既に終了している。謁見の場はまるで法廷のようになった。


「いったい誰が雇ったのだ」

「わかるでしょ、アレクが失脚していちばん得をするのは」

 おのずとレイフに視線が集まった。


「えっ? 俺はなにも……」

 レイフは困惑の表情、そうだろう、彼が仕組んだことではない。


「悪い女に唆されたのでしょう」

 ギデオンの視線は涼しい顔をして横に立っているマリアナに移った。

 レイフは信じられないといった表情で彼女に目を向ける。


「私が直々に王家の捜査機関を使って調べ上げた。私はアレクが廃嫡された話を聞いてすぐにピンときた、嵌められたなって。少し調べたらセリーヌ嬢は行方不明、口封じされたのだと確信した。でも、弟のイーサンが殺害現場を目撃していてよかった、唯一の証人だからな」


「でも、身分の低い俺が訴え出ても、信じてもらえるかわからなかったから、アレク様を頼ったんです」

 違うだろ! 俺が犯人だと決めつけて、敵討ちに来たくせに。


「どう言うことなんだマリアナ、君はいったいなにをしたんだ」

 レイフがオロオロしながらマリアナに尋ねる。芝居じゃないだろう、レイフも知らなかったのだ、マリアナの本性を。


「セリーヌが後をつけられていたなんて」

 マリアナが観念したようにボソッと漏らした。


「アレクとは結婚したくない、でも、公爵夫人の座は欲しい君が、セリーヌ嬢を使ってアレクを陥れたんだな」

 ギデオンの言葉にレイフは、

「君は俺を公爵家の継嗣にするために兄上を排除したのか?」

 愕然としながらも、ほんの少し嬉しそうな口調でもあった。


「俺と結婚したくなかったのなら、そう言ってくれればよかったのに。マリアナが俺に好意を持っていないことは薄々感じていた。君とレイフが恋仲になっていたのなら、こんな策を巡らせなくても、俺は跡継ぎの座なんかに執着していなかったから譲ったのに」


「待ってくれ兄上、俺は公爵家を継ぎたいなんて思っていなかった。最初の予定通り、父上から伯爵位を譲ってもらって、マリアナと結婚出来ればそれでよかったんだ。マリアナが公爵夫人に執着しているなんて知らなかったんだ」


「私はアレク様と婚約した十年前から、公爵夫人になるべく厳しい教育を受けてきたのですよ、今更、伯爵夫人に落とされるなんて屈辱でしかありません」

「そんな、愛さえあればそれでもいいと言っていたのに」

「愛だけでは足りないのです、私の十年間の努力が無駄になってしまうなんて耐えられなかった」


 俺に向けた瞳は僅かに潤んでいた。でも、人前で涙を見せるなんて淑女の矜持に反するのだろう、必死で堪えていた。この表情は昔、見たことがある。マリアナも最初から完璧な淑女だったわけじゃない。将来公爵夫人になるために厳しい教育、努力を重ねて築き上げたものだ。俺はそれを『大変だなぁ、偉いなぁ』と他人事のように見ていた。自分の婚約者なのに、自分のためにしてくれていることなのに、寄り添おうとしなかった。あげく、セリーヌに心を移して……ほんと、最低な男だ。


 でも、だからと言って、人を殺してもいい理由にはならない。


「計画通り俺は廃嫡となり辺境伯領へ飛ばされた、なのになぜ、セリーヌを殺したんだ? 殺す必要があったのか?」


「私に向けて下さったとこのない優しい笑顔を向けられていたからです」

 マリアナは蚊の鳴くような声で言った。


 はあっ? まさか、それは嫉妬なのか?

 マリアナは俺を嫌っていたはずだろ? 嫉妬なんかするはずない、じゃあ?

 わけがわからない。


「それは、どう」

 どういう意味なのかさらに聞こうとしたが、エディット様が俺の袖を強く引いて止めた。


「詳しい話は取調室で聞かせてもらおうか、連れて行け」

 ギデオンが指示すると、近衛騎士がマリアナを拘束した。

 呆然と見ている俺に、マリアナはフッと寂し気な目を向けた。


「うまく行ったと思っていたのに、まさか聖騎士になって、英雄になって戻って来るなんて、どこまでも運がいい人なのね」


 騎士たちに連行される時、マリアナはしっかり顔を上げて前を向いていた。凛とした姿は最後まで淑女の鑑だった。


 レイフは愕然と崩れ落ちた。

 彼もまた、騙されて利用されたのだ。兄弟揃っての醜態、ローデリア公爵家の未来は暗いな。それ以上にオルビス侯爵家は厳しい立場に立たされるだろう。



   *   *   *



 逮捕されたマリアナは裁判が始まる前に、拘留されていた牢屋で自害した。

 実家からは除籍されて見捨てられたようだ。殺人犯とはいえ未成年なので極刑はないだろうが、厳しい刑を科せられるよりも死を選んだ。彼女らしい最期だったのかも知れない。


 そして俺が聖騎士とは知らず廃嫡した父と、兄を追い落とす手伝いをさせられたレイフは、立ち直れずに寝込んでいる。特にレイフはマリアナに本気で惚れていたようでショックは大きい。


 俺を弾劾したとき、『残念だよ兄上、あんな女にコロッと騙されるなんて、そんな浅慮じゃ、公爵家を継いでも、詐欺かなんかに遭って家を潰しかねない、俺がしっかり守っていくから、安心して任せてくれ』

 なんて、豪語したものだから、

「兄上に顔向けできない」

 と部屋に籠っている。

 繊細な神経のレイフが立ち直るのには時間を要するだろう。


 と言うことは、俺が頑張らなければならないのだ。父上は引退するとか言っているけど、勘弁してくれ、いまさら公爵家に戻れと言われても……。


「しっかりローデリア公爵家を建て直してもらって、俺の後ろ盾になってもらわなきゃ困るからな」

 ローデリア公爵家の応接室でギデオンが言った。


「ああ、それから」

 ちょうどその時、なぜかエディット様が入室した。


「聖女様にはここに住んでもらうことになったよ」

「はあ? 教会に戻ったんじゃないんですか?」

 エディット様は遠慮なしに、俺の横に座った。


「スタークス辺境伯領では息の合った大活躍だったそうじゃないか、相性がいいんだよ。父上がその感覚を忘れないように、近くにいたほうがいいのではないかと言ってな。魔物がいつまた発生するかわからないし、普段から一緒にいて心を通わせておいたほうがいいだろ」


「いやいや、そんな話必要はないだろ」

「公爵家の酒蔵なら、さぞ上等のお酒が眠っているんでしょ、こちらでお世話になるわ」

「ギデオン~~~」

「あきらめろ」





 その後も名コンビとして魔物討伐で活躍した聖女エディットと聖騎士アレクのローデリア夫妻は、魔物からこの国を守った英雄として、後世に名を残すことになる。


   おしまい


 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 婚約破棄からはじまる物語をシリーズにしましたので、他の作品も読んでいただければ幸いです。

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