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【2】何でも屋は夜が遅くて朝が早い[3]

 うたた寝から目を覚ますと、星座が瞬いて流れ堕ちる天体が眼前に広がった。

 星々は醜く、色とりどりに輝いて、こんなはずじゃなかったと呻いて散って逝く。

 揺り椅子に深くもたれ、溢れる雫をそのままに煌めきの光景を眺め星屑を吐き出す。

 鮮明な赤の向こうで弾けて飛沫を上げる虹がドロドロと溶けて血溜まりを作った。

 ああ、美しい光景だ。だから、頭の中から出て行ってくれ。

 大嫌いなあの子の歌が耳を突き出す前に。屑が詰まって息が止まる前に。心臓が砕ける前に。

 恐怖で足が竦む前に。

 これで最後だから。






 ――……





「シリル!」

 呼びかける声に瞼を開く。顔を上げると、メリフが呆れた様子で腕を組んでいた。

「起きなさい! ディナーのお時間よ」

 シリルはぴくりとも反応しない。首を傾げるメリフの視界に入るように、机に手をかけ顔を出した。

「ここからは僕がお話しさせていただきます」

 メリフがこちらに気付いて視線を寄越す。ニコルが微笑んで見せると、デュランが来てシリルの体を抱き上げた。

「先にも申し上げた通り、シリルは意識が混濁するときがあります」

「だからあなたが出て来たのね」

 デュランがシリルを運んで行くのを眺めつつ、ニコルは頷く。いま、シリルは眠っている状態だ。話をすることはできない。

「ロスは何か掴んだでしょうか」

「そうね。聞きに行きましょ」

 メリフに当惑した様子は見られない。そういったものだと理解したらしい。ニコルが思っていたより聡明な少女のようだ。

 ダイニングに向かって歩いている途中、そういえば、とメリフが口を開いた。

「トラインとアイレー、デュランはラト家の使用人なのよね」

「はい」

「グレンジャー家の人間は別館に出入りしないの? つまり、シドニー・グレンジャー以外ね」

「はい。たまに末妹のマギーが顔を出しますが、それ以外の者は基本的には近付きません。別館はシリルが心安く過ごすための場所。他の使用人がいてはシリルが気にしますから」

「なるほどね。あたしたちが出入りしていることをシドニー・グレンジャーは気付いているかしら」

「もちろん。グレンジャー男爵に伝えたかはわかりませんが」

 勘の鋭いシドニー・グレンジャーのことだ。何でも屋がシリルに接触していることにはとうに気付いているだろう。彼がロスとメリフについてどう考えているかは判然としない。ただでさえ何を考えているかわからない男だ。しかし確かめる手立てはない。

「あたしたちのことを追い出したりするかしら」

「どうでしょう……。男爵とシドニーが判断すると思います」

「まあ、なんにしても派手な行動は起こさないようにしましょ」

「はい」



 ダイニングに行くと、先に着席していたロスが書類に目を通していた。メリフとともに来たニコルを特に気に留める様子はない。ニコルは労いの言葉をかけて、自分には大きいといつも思う椅子に乗り上げた。

「何か情報は集まりましたか?」

「ラト家の事業を調べさせてもらった」ロスは話し始める。「紡績関連のようだな。グレンジャー男爵が高い地位を求めるならどんな事業かと思ったが、特に変わったことはないな」

「グレンジャー男爵は野心家だったのかしら」

「どうでしょう……仕事の話はしたことがありませんから……」

 シリルはラト家の事業には一切、関わっていない。事業の話は父ともしたことがない。グレンジャー男爵がどう考えていたかなど、シリルには知る由もない。

「周囲の者を探ったが」ロスは続ける。「グレンジャー男爵の前伯爵への害意は判然としない。憎まれ口を叩いてはいたようだが、一方で前伯爵の急死で塞ぎ込んでもいたようだ」

 父の葬儀を思い出す。グレンジャー男爵の悲しみは深かった。表情を読むのが苦手なシリルでも、それが偽りでないことはわかった。いつものようにぼんやりしていたシリルも気にかけてくれ、気を落とすな、と励ましていた。

「ただ」と、ロス。「見たところ、グレンジャー男爵に人を死に追いやる度量があるとは思えない。激情型ではあるが、それが前伯爵の殺害に直結するかと言うと、怪しいところだ」

「……そうですね。ラト家とグレンジャー家は昔から付き合いがあります。前伯爵とグレンジャー男爵も、子どもの頃から縁があります。何かしらの情はあっただろうと思います」

「でも、あなたたちは疑っているのよね」

 探るように問うメリフに、ニコルは曖昧に頷く。

「前伯爵の事業で前伯爵の跡を継いだ以上、可能性を潰すことはできません」

「シリルは、前伯爵と関わりのあるすべての人を疑っているんじゃない?」

「……どうでしょう。シリルには何もわかりませんから」

 そのとき、キン、と耳の奥に鋭い衝撃が走り、ニコルは顔をしかめる。窺う視線を向けるロスとメリフから顔を背け、ニコルはアイレーに呼びかけた。

「シリルの様子を見て来てくれる?」

「かしこまりました」

 アイレーはひとつ辞儀をして、ダイニングをあとにする。アイレーに任せておけば特に問題はない。ニコルはひとつ息をついた。

「シリルは動揺しやすくあります。動揺するということは、図星だったのでしょう。ですが、シリルの主観ではなく、ロスとメリフの客観的な情報のほうが当てになります」

 メリフは肯定するように、ふうん、と相槌を打った。

「客観性を求めるのは間違いではないが、お前たちの主観も必要だ」

 情報の報告をするときより語気を柔らかくしてロスが言う。ニコルが先を促すように首を傾げると、ロスはそのままの調子で続けた。

「ラト家にとってグレンジャー家がどんな存在であるか、その確かな情報源はお前たちだ。昔から家同士の付き合いあるなら、どんな関係だったかはお前たちに聞けば早い」

「……なるほど……。シリルの主観が、ひとつの情報となるのですね」

「なんでも情報よ」と、メリフ。「情報は結局、人に聞くのが一番に手っ取り早いの。貴族って噂好きで助かるわ」

「そうですか……」

 外部だけ得た証言のみが情報であるとは限らない。何よりシリルは目の前でラト伯爵とグレンジャー男爵の付き合いを見て来た。シリルより確かな情報はない可能性もあるのだ。

 ニコルがひとつ息をつくと、それを待っていたようにひと呼吸を置いたあと、緩めたままの語気でロスが問う。

「お前たちにとってグレンジャー男爵はどんな存在だ」

「はい。家同士の付き合いがあることもあって、シリルは子どもの頃から度々会うことがありました。シリルと接するときは、気の良いおじさん、といった印象でした」

 グレンジャー男爵は底抜けに明るい人柄で、豪快に声を立てて笑う。面倒見が良く、ぼんやりしていたシリルをよく気にかけてくれた。

「前伯爵とも古い付き合いで、折り合いが悪く気も合わないようでしたが、それでもよく会っていました」

 それがシリルにとって不思議なことだった。子どもの頃、父とグレンジャー男爵は仲が良くないのだと思っていた。おそらく周囲の者もそうだっただろう。それでもグレンジャー男爵は度々、ラト邸を訪れていたし、父もシリルを連れてグレンジャー邸を訪ねていた。そういった「気が合わないのに仲が良い」というのがシリルには不思議でならなかった。

「グレンジャー男爵は、六年前に奥様を亡くしています。それから自暴自棄のようになり、酒浸りになり、領地経営もろくにしなくなりました。男爵領では、民が自治組織を立てていたようです。前伯爵はそれを見過ごせず、グレンジャー男爵を事業に雇いました。現在、男爵領はラト家が統治を預かっています。代替わりすれば返還されるはずです。グレンジャー男爵は昔から働き者で、事業にも多くの貢献をしたそうです。グレンジャー男爵が前伯爵の死で塞ぎ込んでいたのは、情に加えて、恩のようなものを感じていたのかもしれません」

「それでも、グレンジャー男爵が容疑者なのね」

 頬杖をついて言うメリフに、ニコルは曖昧に微笑む。この問いには、はっきりと答えることができない。それだけの情報を持っていないのだ。

「シドニー・グレンジャーについてはまだ調査中だ」ロスが言う。「朝、起きると必ず寝室に居ると言っていたから張っていたが、今朝は現れなかったようだな」

「そんなはずは……。今朝も確かにシドニー・グレンジャーの気配を感じました」

「気配ということは」と、メリフ。「直接に見たわけではないの?」

「はい。シリルの意識が混濁しているときには、シリルの視界や聴覚は僕には共有されません。シリルはなぜか、シドニー・グレンジャーのことを僕にも閉ざしています」

「なるほどね。シリルが話してくれなきゃわからないってことね」

 ニコルがまた曖昧に頷いたとき、ニコルの小さな手がほろほろと崩れ始めた。塵のように散って消えていく。

「シリルが目を覚ましたようです。あとはシリルに訊いてください……と言いたいところですが、シリルには何もわかりません。何もお答えできないと思います」

「そう。わかったわ」

 特に気に留めた様子のないロスとメリフに微笑んで、ニコルはこの場から姿を消した。




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