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ブイモンスター ~ Re:Alive ~  作者: manoru-kun
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第9章 同期テスト

境天の探索団詰所の会議室には、まだ冷えた石と紙、それから飲みかけの茶の匂いが残っていた。


長机の真ん中には、三つのものが並んでいる。


ひとつは、ライノメガから取り出した中枢コアが収められたガラスチューブ。淡い青い光が、いまも脈打つように揺れている。

ひとつは、残響施設の調査を記録した記録ディスク。

そして最後のひとつは、秤ともオルゴールとも実験装置ともつかない機械だ。金属のレールやコネクタが何本も走り、細いケーブルが天井の配線と繋がっている。


「本来は、センサー系や通信系の再調整に使う装置だ」

黒宮タケルが、横のリング状パーツを指で確かめながら言った。

「今日は、別の目的で使わせてもらう」


アイコと賢司は机の片側に座り、パルスバンは長い耳を前に倒して天板の縁に前足を掛けている。

スタートルはタケルの少し後ろ、床にどっしりと四肢をついて、コアと装置の両方を見張るようにじっと立っていた。


「その“別の目的”って、つまりは、あたしの頭の中の変なやつをいじるってことでしょ」

アイコが小さくこぼす。


消えることのないノイズは、今日も耳の奥でざらついていた。

ただ、こうしてコアを囲んで向き合っているだけで、ほんの少しだけ音量が上がった気がする。


タケルは記録ディスクに指先を置き、簡潔に続ける。


「整理しておこう」

声は淡々としているが、ひとつひとつの言葉に迷いはなかった。

「ここ最近、中央都の周辺では妙な事故が続いている。理由もなく暴走するブイモンスター。停止信号が出ていないのに、いきなり止まる列車システム。温室の制御装置や監視ネットワークが、同時に再起動を繰り返すケースもあった」


賢司の喉が、ごくり、と鳴る。


「そのいくつかで、センサーが共通の信号断片を拾った。――境天の残響施設で記録されたものと、まったく同じ信号断片だ」


「……『目覚めよ』」

賢司が、記録に残っていた言葉を口にする。


「そうだ」タケルはうなずく。

「中央管理局の分析班は“深層システムノイズ”と呼んでいるが、実際の振る舞いはノイズというより『命令文』に近い。ほとんどの人間には何も起こらない。だが、いくつかのブイモンスターには危険な影響が出た。そして――」


タケルの視線が、まっすぐアイコを捉える。


「君の場合、その影響は決して小さくない」


パルスバンが鼻先をひくつかせた。


「確認なんだけどさ。これは“ちゃんと管理された実験”なの? それとも“どれだけヤバいか測ってみようぜテスト”なの?」


「試さないことのほうが、今はリスクが高い」

タケルは表情を崩さない。

「強度は低いところから始める。想定外の反応が出た時点で、すぐに止める。目的は、中央都周辺の事例と境天の事例が同じパターンなのか。そして、その回路の中で君たちがどんな位置にいるのかを、確認することだ」


「“位置”って言い方、きれいに言ってるだけでしょ。中身は“モルモット”」

パルスバンがぼそっと言う。


「わざわざ命に関わるような危険に突っ込ませるつもりはない」

タケルはそう付け足すと、アイコに向き直った。

「それでも、向き合ってほしい」


アイコは、ゆっくりと息を吸う。

この部屋の匂いは、薪窯のあるパン工房とはまるで違う。

それでも、まだ暗い時間に膨らんでいく生地の感触を思い出して、自分の中に足場を作る。


このまま、何もなかったふりをしてパンを焼き続けるか。

それとも、もう中から扉を叩いているこのノイズと、真正面から向き合うか。


「……わかった」

アイコはうなずいた。

「やって」


タケルが記録ディスクを装置のスロットに滑り込ませる。

周囲の小さなモジュールが、じわりと光量を上げた。装置の上に、一本の線が浮かび上がる。

心拍のように、ゆっくりと上下をくり返す光のライン。


「レベル1。出力は最小だ」

タケルは、淡々とした声でだけ状況を告げる。

リング状のパーツをひとつ、わずかに回した。


部屋の空気が、ほんの少しだけ変わる。

遠くのパイプの中を風が抜けていくような、かすかな振動。


賢司はしばらく耳を澄ませてみたが、やがて肩の力を抜いた。


「……何も、ですね。音もしません」


「オレも。ビリッともこない」

パルスバンは耳を動かしてみせる。

「ねぇ、これ本当に流れてる? オレ、完全に蚊帳の外なんだけど」


タケルは、二人の反応を短く確認したあと、アイコに視線を戻す。


「アイコは?」


頭の奥のノイズが、さっきよりも分厚くなっていた。

痛みではない。ただ、距離が縮まった。

薄い扉の向こう側で、誰かが一歩近づいてきたみたいに。


「いつものノイズ」アイコは言う。

「でも、少しはっきりした。ぐちゃぐちゃな落書きが、曲がった線になった感じ」


ガラスチューブの中で、中枢コアの青い光がかすかに揺れた。

同期するように、上の光のラインもわずかに振幅を変える。

スタートルは、ただ四肢に力を込めたまま、その様子を静かに見ていた。


「低出力で反応するのは、コアと君だけか」

タケルは、心の中でメモを取るように、小さくつぶやく。


彼はもう一つのリングを調整した。光のラインが、ぎゅっと細く絞られる。


「レベル2」


それだけ言って、手を離す。


ノイズの方が先に来た。


アイコの頭の中で、ざらつきが一気に広がる。

背景の音ではなく、壁そのものになっていく感覚。


部屋そのものも、少しずつ「ずれて」いく。

会議室は消えない。ただ、もう一つの会議室が、その上にぴたりと重なったように見えた。

長机も装置もコアも、ちゃんとそこにある。それなのに、その輪郭の上から、細い光の線がなぞり描いていく。

誰かがこの部屋の「別モデル」を空中に投影したみたいに、透明な図面が広がっていく。

装置の上に浮かんでいた光のラインが、空間全体へと滲み出していった。

ライノメガのコアを収めたチューブは、ガラスの筒であると同時に、どこまでも落ちていきそうな深い井戸にも思える。

タケルの背後、本来ならただの石壁しかないはずの場所に、一瞬だけ残響施設と同じ金属でできた塔の影が立ち上がる。

ずっと遠く、かすむような距離に、背の高い細い人影のようなものも見えかけて――すぐに、砂嵐のノイズみたいにほどけて消えた。


……アクセス……

……第一レイヤー……

……メザ……


途切れ途切れの声。

それでも、さっきまでの意味不明な雑音とは違う。

バラバラだったピースが、どこかで勝手に組み上がっていく。


そして、決定的なひとことが、はっきりと届いた。


「――目覚めよ」


誰の声でもなかった。

黒宮タケルでも、賢司でも、パルスバンでもない。

外側から投げ込まれた命令文が、アイコの胸郭をスピーカー代わりにして響いたような感覚。


中枢コアが、チューブの中で強く光る。

青い光が脈打ち、残響施設でライノメガの身体が崩れ落ちたときの、あの四角い粒子を思わせる揺らぎを帯びる。


「アイコ!」

パルスバンは、自分の身体には何の変化も感じなかった。それでも、机の縁をつかむアイコの指先の強張りだけで十分だった。


賢司も、ノイズも声も聞こえてはいない。

しかし、光のラインが制限値をあっさり飛び越え、ぐちゃぐちゃな山脈みたいな波形に変わっていくのが見えた。


「黒宮さん、データが――」


言い終わる前に、タケルの手が動く。


リングが、迷いのない角度で一気に回された。

光がふっと消え、装置の低い駆動音も、そこでぷつりと途切れる。


アイコの内側で荒れ狂っていたノイズが、引き潮のように遠ざかっていく。

消えはしない。

けれど、いつもの“背景”にまで押し戻される。


重なっていたもう一つの会議室が、薄い膜ごと剥がれ落ちていく。

残るのは、石の壁と木の机、ざらざらした天板の感触と、ガラスチューブの中で揺れるコアの光だけ。


「……っ」


アイコは、わずかによろめいた。


パルスバンが、さらに近づいて前足をアイコの腕に押し当てる。


「ほら、こっち見て」

長い耳をふるふると揺らしながら、額をそっとアイコの腕に寄せる。

「一緒に息して。吸って……吐いて……そうそう」


賢司は、消えた光のラインとコアを交互に見る。

数字に変換できない何かが、そこにあることだけは理解できた。


スタートルはしばらく警戒した姿勢を崩さなかったが、アイコの息づかいが落ち着いてくると、ようやく肩の力を抜き、短く息を吐いた。


タケルが、静かに口を開く。


「……同期テストは、これで十分だ」


いつもよりわずかに低い声だった。


賢司が一歩、アイコに近づく。


「今の……また、聞こえたんですか?」


アイコは額に手を当てる。

内側のどこかに、「目覚めよ」という文字が、焼き付いたみたいにこびりついている。


「うん。さっきより、ずっとはっきり」

言葉を探しながら続ける。

「ちゃんと言葉として届いた感じ。……“周波数が合った”って言えばいいのかな」


パルスバンが顔をしかめた。


「おめでとう、アイコ。生体アンテナとして正式稼働だよ。チャンネルのセンスは最悪だけど」


タケルの目尻が、ほんの少しだけ柔らぐ。

しかしすぐに表情を戻し、装置の電源を完全に落としてから、コアと三人を順に見た。


「中央都周辺で“目覚めよ”の信号断片が確認されたときは、ほとんどがシステム側の異常だった」

タケルは淡々と並べていく。

「制御系を失ったブイモンスター。理由不明の停止を起こした列車システム。温室の環境制御や監視ネットワークの一斉再起動……どれも、人間は“巻き込まれた側”だった」


そこで少しだけ言葉を切り、アイコを顎で示す。


「だが、中枢コアと人間が、ここまで分かりやすく同期して反応した例は、今まで一度もない」


賢司が、小さく息を飲んだ。


「……じゃあ、境天は、“たまたま似た事例があった場所”じゃない、ってことですか」


「そうだ」

タケルは目をそらさずに答える。

「君たちは、今まさに組み上がりつつある回路の“結び目”だ。世界のほうがどう思おうと、もうそこから外れてはいない」


パルスバンが、わざとらしくため息をつく。


「やったねアイコ。村のパン屋さんから、“古いシステムの重要パーツ様”に昇格だよ」


「ずっと前から、もっと地味な肩書きでいいって言ってるんだけど」

アイコは苦笑にもならない声で返す。

「よりによって、それか……」


タケルはコアから視線を外し、立ち上がる。


「――今の結果を踏まえて、中央管理局の方針は確定した」


会議室の空気が、また一段重くなる。


「境天残響施設案件は、これより中央管理局の直接管理下に移される。中枢コアおよび関連データ一式は、すべて中央都へ移送される」


その言葉自体は、誰も驚きはしなかった。

こうなることは、どこかでずっと予想していた。


アイコの胸が、じわりと締めつけられる。


パン工房の薪窯。

まだ暗い時間に立ちのぼる、あの香り。

父親が小麦粉の袋にもたれて、「窯さえ生きてりゃ、うちは世界のどこかに居場所がある」と笑っていた顔。


窯は、これからも境天で火を入れられるだろう。

けれど、アイコの“居場所”の形は、もうあの日のままではいられない。


タケルは続ける。


「そして、今回の案件に直接関わった三名――アイコ、賢司、パルスバンは、俺の監督のもと、中央都へ移動してもらう。境天からの異動期間は未定だ」


賢司は、視線を机の向こうへ飛ばす。

壁の先には、自分が並べ直した本棚や、湿気た箱から救い出した本、放課後に話を聞きに来る子どもたちがいる。


「……図書室は、どうなるんでしょう」

気づけば、声に出していた。

「誰が、あそこを見てくれますか」


タケルは少しのあいだ考え、それから正面から答える。


「俺たちが中央都で、やるべきことをきちんとやれたなら――」

言葉を選びながら続ける。

「戻ってきたときにも、君を必要とする場所のままでいてくれるはずだ。それ以上の約束はできない」


パルスバンは、アイコと賢司、そしてタケルの顔を順番に見て、それから自分の胸を軽く叩いた。


「行けば、このノイズの正体に近づけるかもしれない。あの日からアイコの頭ん中をつついてるやつが、何なのかも」


アイコは、そっと目を閉じる。

ノイズは、まだいる。

その奥で、名前のないどこかから視線だけを投げてくる何かが、次の“目覚めよ”のタイミングを待っている。


もう、知らないふりをしていられる段階ではない。


「出発は、いつ?」

賢司が尋ねる。


「二日だ」

タケルは即答した。

「身の回りの最低限の準備と、必要な人たちへの挨拶。それくらいの時間しか取れなかった。三日目の夜明け、境天北門に集合してくれ」


二日。


受け入れるには短すぎる。

考えないようにするには、長すぎる。


アイコは、自分の膝の上で指をぎゅっと握りしめる。

ライノメガに刻まれた傷が、その下でじん、と自己主張する。


「……正直、ここを出るのは怖い」

それでも、言葉は口からこぼれた。

「でも、何もなかったみたいにパンだけ焼き続けるほうが……もっと怖い」


タケルは、小さく頷く。

スタートルが低い声で鳴いた。短いが落ち着いた声で、「了解した」とでも言っているようだった。


窓の外では、境天の水路を流れる水の音が、いつも通りに響いている。

けれど、その水面に映る空の色は、さっきまでとはほんの少し違って見えた。


三日後の夜明け。

境天北門から伸びる道は、中央都へとまっすぐ繋がっている。


その先に何が待っているのか、そのときはまだ誰も知らなかった。

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