過去
あいこは木の扉を押し開いた。
古い紙のにおいとお香の香りが広がり、なじみのある静けさが心を落ち着かせた。
図書館の中は、棚の間に吊るされたやわらかな灯りに照らされ、巻物がきちんと整理された山となって机の上に並んでいた。
奥の席で、本に囲まれながら机に向かっているのはけんじだった。
いつものことだ。
彼は青黒い上着を着て、鼻先にメガネをかけたまま、手元のノートに何かを書き込んでいた。目の前の巻物を広げ、古い文字を静かに読みふけっている。
あいこは彼のところへ歩いていき、机の上に小さな包みを放り投げた。
「食べて」
けんじは一瞬、読書の世界から引き戻されたようにまばたきした。包みの中のおにぎりを見てから、あいこの顔を見上げる。
「おれの空腹が命を削ってるのは知ってたけど、おまえにとどめを刺されるとは思わなかったな」
「あほ。食べるのを忘れて死なれたら、村で文学葬をしないといけなくなるでしょ」
けんじはゆっくりと包みを開き、まるで儀式のようにおにぎりを手に取った。
「じゃあ、ありがたくいただこう」
ひと口かじり、目を閉じて味わう。
「……うん、うまい」
あいこは腕を組んだ。
「わたしが作ったんだからね」
けんじは片目を開けた。
「おまえの父さんの方が好きだな」
「あんたね!」
けんじはクスッと笑い、メガネをかけ直した。
「からかっただけだよ」
あいこは呆れた顔をしながらも、小さく笑った。
けんじはいつもこんな感じだった。冷静で、計画的で、時々皮肉っぽいけど、それが彼のやり方だった。彼はあいこより少し年上で、小さい頃から兄のように接してくれていた。
でも、今日のけんじはいつもと少し違っていた。
「今は何を勉強してるの?」
けんじは口元を拭いながら、机の上の巻物をひとつ押し出した。
「遺跡だ」
あいこは眉をひそめた。
「遺跡?」
けんじはうなずき、手書きの地図を指差した。
「この巻物は数日前に図書館に届いたんだ。すごく古いものだけど、誰も気にしてなかった。でも整理しているうちに、今まで見たことのない場所が書かれているのに気づいた」
彼は村の周りの森を指差した。
「ここだ」
あいこは身を乗り出して、地図をのぞき込んだ。
「これ、ただのミスじゃない? もしかして誰かがインクをこぼしたとか」
「おれも最初はそう思った」
けんじは別の巻物を広げた。
「でも、これを見つけたんだ」
あいこは巻物に目を落とした。もう色あせて、半分読めなくなっていたけれど、はっきりとこう書かれていた。
「時がねじれる神殿。そこでは過去のこだまが残り続ける……」
背筋に冷たいものが走った。
「この ‘神殿’ はまだ残ってるの?」
けんじは小さく笑った。
「確かめるしかないな」
あいこは彼の目を見た。
「……行きたいの?」
「もちろん」
けんじは椅子にもたれ、腕を組んだ。
「古い本を読んでるだけでも楽しいけど、実際に目で確かめなきゃ意味がない。おれはただ本を整理する係になりたいわけじゃないんだ、あいこ。この世界をもっと知りたい」
あいこは言葉を探しながら、じっと彼を見つめた。
けんじがこんなふうに言うのは珍しかった。彼はいつも静かで、図書館の中が一番安心する場所だと言っていた。でも今の彼の目には、いつもとは違う輝きがあった。
「……それで、わたしも一緒に?」
「そうだな。おまえは危険な状況でも動じないし、泥まみれになるのも気にしないだろ?」
あいこは腕を組んだ。
「つまり、一人で行くのが怖いんでしょ?」
けんじは笑った。
「相棒って呼んでくれ」
あいこは地図をもう一度見つめた。
この遺跡の話は今まで聞いたことがなかった。でも、何かが心の中に引っかかる。
「わかった。いつ行く?」
けんじは巻物をすばやく丸めた。
「明日の朝」
「……明日?」
あいこは目を細めた。
「もう計画立ててたのね? わたしの返事も聞かずに」
「もし先に聞いてたら、おまえは ‘面倒だからやめよう’ って言ってただろ?」
あいこは口を開きかけたが、閉じた。
……まあ、否定はできない。
彼女はため息をついた。
「わかった。でももし野生のヴイモンスターに襲われたり、穴に落ちたりしたら、全部あんたのせいだからね」
けんじは肩をすくめて笑った。
「それも冒険のうちだろ」
あいこは小さくうなりながら、地図を指でなぞった。
「ぷるすばんを誘おうかな。彼、今導電性の高い金属を探してるし、古代遺跡なら何か見つかるかもしれない」
「ふむ、確かに昔の時代は金属をよく使ってたらしいな」
けんじはあごに手を当て、考え込んだ。
「ガラスの板みたいなものや、オレンジ色の金属の線があって、それでエネルギーを流してたっていう記録もある」
「あいつなら、きっと興味を持つよ」
けんじは笑った。
あいこは巻物を見つめながら、手に小さな震えを感じた。
遺跡。忘れられた神殿。
なぜか、ただの探検じゃない気がした。