第10話 キャピタルの灯り
列車が谷を横切っていく。青い空の下に、一本の金属の線が引かれていくみたいだった。
山並みはゆっくりと後ろへ流れ、車窓の外で、村々が小さくなっていく。緑の屋根、 水車、小さな温室と水路。上から見下ろしたら、きっと古い地図の上に走るインクの線みたいに見えるだろう。
境天を出てから、アイコはずっと窓ガラスに張りついたままだった。
座席は十分に柔らかくて、車内もきれいで、空気には「ちゃんと整備されている機械」の金属っぽい匂いが少し混じっている。でも、どれも今のアイコには大して意味がなかった。頭の中は、「ここまで家から離れたことなんて一度もない」という事実でいっぱいだった。
パルスバンは、アイコと通路のあいだの座席を占領している。鼻先を窓にぴったりくっつけていたかと思えば、今度は足元のステップを前足でとんとん叩いたり。
「見て、見て、見て。あれ、村かな? それともでっかい農場? こうやって全部ちっちゃくなってくの、好きかどうか分かんないや。飛び降りてそのまま引き返したくもなるし」
「飛び降りたら、線路にパルスバンのパテが広がるだけだよ」
アイコは顎を窓枠に乗せたまま言った。
「で、そのパテを背負ったまま、一生パン焼くことになるのはたぶん私」
「大げさだなあ」
パルスバンは嘴……ではなく、口を尖らせる。
ケンジは前の席に横向きに座っていた。膝の上には折りたたんだ地図と分厚いメモの束。じっとしていられないらしく、何度もペンを走らせては書き込みを増やし、凡例を確認し、本から覚えた文章を頭の中で引っぱり出している。
「中央都には、大きく三つの“環区”がある」
誰にも聞かれていないのに、説明モードが始まる。
「外環区。補給エリアと、比較的安い居住区がまとまっているところ。中環区は商業区と各種ラボ、それに訓練施設。で、内環区が行政棟と探索団の本部……」
「それって、白い部屋で拘束具つけられて、ずーっと監視される場所のこと?」
パルスバンが口を挟む。
「その部分、説明から抜けてたよ」
ケンジは聞こえなかったふりをした。
「通信塔は、この環区と環区のあいだに集中しててね。夜になると、空が少し下に引き下ろされたみたいに見えるって聞いた。浮かんでる光の点が多すぎて」
「住んでるみたいな口ぶりだね」
アイコが言う。
「ケンジも、境天から出たことないくせに」
「本の中では、何回も出たよ」
ケンジは肩をすくめた。
「それも、立派な“経験値”」
「はいはい。けどさ、本って、匂いまでは教えてくれないんだよね」
パルスバンがすかさず返した。
アイコが何か答えようとしたときだった。耳の奥に居座っているノイズが、ぐっと伸びる。もはや、ただの形のない雑音ではない。
前は、「存在しないチャンネルに合わせたラジオ」がずっと鳴っている感じだった。
今は、そのノイズに、うっすらと“曲線”が見えはじめている。声になろうとして、途中で引っかかっているような。
……ダメ……
ごく短い断片が、アイコの意識をかすめる。
本当に聞こえたのか、ただ記憶が勝手に動いただけなのか、自分でも判別できない。
アイコは窓枠をつかむ指先に力を込めた。
通路側の少し後ろ、タケルはコートの前を開け、探索団の身分証を首から下げたまま座っている。スタートルは壁際のスペースにしゃがみ込み、甲羅を車体の壁に預けて、じっとしていた。胸の星形プレートも、今はただの冷たい金属のままだ。
A級使役者は、列車の揺れにまるで慣れきっているように見えた。本も読まないし、眠りもしない。ただ、観察している。ときどき視線だけが動いて、車内、窓の外、通路を順番になぞっていく。
ケンジが座席の上で少し姿勢を変えた。
「キャピタルには、ブイモンスターが役割ごとに配置されているゾーンもあるんだ」
彼はさらに乗ってくる。
「輸送専用、安全管理専用、エネルギーフロー制御専用、とかね。この前の新聞に、“水属性のブイモンスターを使った新型灌漑システム”の話が出てたよ。従来のポンプより──」
「“人も多いし、やらかしポイントも多い場所”って素直に言えば、説明終わるじゃん」
パルスバンが小声で文句を言った。
「タケル……」
アイコは、変わっていく景色から目を離さないまま口を開いた。
「私たちって、どこに泊まることになるの? “きれいな牢屋”か、“質問回数多めの宿屋”か、どっち寄り?」
返事が返ってくるまで、一拍、間があった。
「“見られている”を、どう受け取るかによる」
タケルは淡々と言う。
「名目上は、探索団研究セクターの一角だ。実際には、“分類不能”な案件を置いておく場所」
「うん、まったく心が安らがないね、それ」
パルスバンはため息をついた。
「まあ、“レア物”扱いされてるってことなら、ちょっとだけ悪くないかも」
「レアというより、未知数だ」
タケルは訂正する。皮肉っぽさは一切ない。
「まだ、“脅威”か“解決の糸口”か、“症状の一部”かさえ、決まっていない」
山々は完全に遠ざかった。
景色は、少しずつ密度を増していく。真っ直ぐに区切られた畑、そのあいだに現れはじめる石と金属の構造物。くっきりとした線で走る道。空は同じでも、地面には“人の手”の跡が増えていく。
アイコの頭の奥で鳴っているノイズも、それに合わせて細く絞られていく。列車が進めば進むほど、こだまが“どこか”に向かっていく感覚。
……違う……
今度は、はっきりと二つ目の言葉のカケラが聞き取れた。
心臓が跳ねる。パルスバンは、呼吸の変化に気づいて、そっとアイコの脇腹を前足でつついた。
「まだいるんだね、あいつ」
「うん」
アイコは小さな声で答えた。
「でも……前より、整ってきてる。そっちの方が、正直怖い」
「中央都に到着するまで、あと五分」
タケルが、扉上の表示を一度だけ確認して告げた。
「ここから先は、パターンのピークが一つでも出れば、すぐ目立つぞ、アイコ」
「今までも、十分目立ってたけどね」
軽口で返そうとしたが、喉の奥は思った以上に乾いていた。
列車が減速を始める。車輪のきしむ音は、キャピタル全体のざわめきにすぐ飲み込まれていった。
***
最初に見えたキャピタルは、「壁」だった。
といっても、真っ平らな壁ではない。淡い色の石で積まれた高い建物が、まるで一本の線みたいに並んでいる。そのあいだを、広い通りがきっちりとした角度で切り分け、建物と建物のあいだをまたぐ連絡通路が空中を横切っていく。場所によっては、強化金属のフレームの上を水路が走り、通りの上を水が通り過ぎていた。
ところどころ、曇りガラスのような大きなパネルが外壁にはめ込まれている。内部に埋め込まれたモジュールから光を受けて、探索団の紋章や時刻、各種のお知らせが流れていた。
誰かが、境天の水車と工房を全部テーブルの上に並べて、定規できれいに揃えてから、そのまま空に向かって積み上げたら、きっとこんな景色になる。
「うわぁ……」
パルスバンが思わず息を漏らし、窓に張りつく。
「地面をそのまま上に引き伸ばしたみたい」
ケンジは、窓の外と地図を交互に見ようとして、どっちも中途半端になっていた。
「ここが外環区の中央駅、かな……いや、この建物の高さだと、もう中環区なのかも……」
「とりあえず、その地図見てる間は、“ここがどこか”分かってないってことは分かった」
パルスバンがぼそっと言う。
「一回窓の外オンリーにしてみない?」
駅の周囲には、様々なブイモンスターが動き回っていた。小さな貨車を引いて床を走るもの、箱をケーブルでつないだまま浮遊しているもの、所定の位置に鎮座して、身体の一部に接続されたモジュールを通して、都市の配線の一部になっているもの。
制服の色で役割や階級を示す使役者たちが行き交う。疲れ切った顔で歩く者、端末に話しかけながら早足で駆け抜けていく者。ここで足を止めて風景を楽しんでいる人間は、一人もいないように見えた。
列車は最後のトンネルを抜け、ガラスと金属の天井で覆われたホームに滑り込む。扉が開いた瞬間、声の音量が一段階跳ね上がった。
「降車は手早く」
タケルが立ち上がる。
「通路を塞ぐのは、キャピタルで一番簡単なトラブルの起こし方だ」
スタートルがゆっくりと立ち上がり、甲羅を引きずるような音を立てて歩き出す。アイコは小さなリュックを肩に掛ける。その軽さが、今いる場所の重さとまったく釣り合っていないのがおかしかった。
三人と二体は、人の流れに混じって出口へ向かう。
少し先に、いくつものゲートが並んでいた。ひとつひとつの上には金属製のアーチがかかっていて、その側面に埋め込まれたセンサーと、上部のパネルには針の付いたメーターや、小さな表示窓がいくつも並んでいる。光が点いたり消えたりを繰り返し、アイコには名前も意味も分からない何かを測っていた。
「同期読取ゲート……かな」
ケンジが、自分に言い聞かせるように呟く。
「通過する人とブイモンスター、リストバンドのデータ……取れるものは全部重ねてチェックしてるんだと思う」
「はいはい。キャピタル流“ようこそ”のハグは、全身スキャンからってわけね」
パルスバンは肩をすくめる。
「心の準備ゼロなんだけど」
列は、一定しない速度で進んでいた。すっと通されるゲートもあれば、まるごと一団を止められて、書類と質問で足止めを食らっているゲートもある。
「次」
右端のゲートの警備員が手で合図した。
タケルが先頭に立つ。
アーチをくぐると同時に、パネルのランプが強く光り、針の付いたメーターが一斉にぐるりと回ってから、すっと落ち着いた位置に戻る。金属面には、探索団の紋章が新しく刻まれたように浮かび上がる。警備員は身分証に視線を落とし、反射のような動きで軽く顎を引いた。
「A級使役者、任務登録済み。通過を許可する」
「このまま同行させる」
タケルは少しだけ顔を横に向けて、アイコたちを促した。
アイコは喉を鳴らしてから、一歩を踏み出す。
アーチの下をくぐる瞬間、空気の手触りが変わった。目に見えない薄い膜を押し分けて進んでいるような感覚。パルスバンは、足をアイコの脚にぴたりと寄せ、ほとんど影のように付いてくる。
頭上のセンサーランプが順番に点灯し、メーターの針が揺れ始める。
最初は、何もおかしくなかった。針はぶるぶると震えながらも、どこか一点に落ち着こうとしている。アイコは、一瞬だけ本気で「もしかしたら、このまま何も起きずに通れるんじゃないか」と思った。
ノイズが、そのタイミングを狙ったみたいに、音を変えた。
……違う……
途中で途切れていた言葉が、「文」に近づこうとする。全身の毛穴が一斉に逆立つ。パネルの小窓から強い光が弾け、メーターの針が跳ね上がったり落ちたりを繰り返す。誰かが、メカニズム全体をぐいっと揺さぶったようだった。
「おい」
右側の警備員が一歩前に出る。胸元のホイッスルに手が伸びた。
「フロー異常だ」
もう一人の警備員が近づいてきて、琥珀色の目でパネルを覗き込む。
「不安定パターン……」
彼は小さく呟いた。
「外側からフローをいじられてる感じだな」
「最近、“現役の残響施設”と接触した記録は?」
最初の警備員の声が、少しだけ固くなる。
アイコは口を開いたが、声が出てこなかった。
ケンジが一歩踏み出そうとすると、警備員の片手がぴしっと上がり、「その場から動くな」という合図だけが飛んできた。
後ろの列から、ため息や舌打ちが漏れ始める。
「時間ないんだけど」「だから田舎者は……」といった小さな毒が、列のあちこちで囁かれた。
パルスバンの毛が、ぴんと立つ。
「ねえ、それ、こっちのせいじゃなくて、そっちの機械の根性が足りないだけじゃない?」
「アイコ。何も言わないで」
ケンジが小声で制した。
警備員が、上の担当者を呼ぼうと息を吸い込んだそのとき。
タケルが一歩前に出て、彼らとゲートのあいだにすっと入り込んだ。声のトーンは変えずに。
「黒宮タケル」
彼は自分の身分証を指で軽く示した。
「中央都探索団本部からの正式指名で、このグループの護送と監督を任されている、A級使役者だ」
警備員の視線が、カードからタケルの顔へ、それからパネルへと行き来する。
「不安定記録……」
「その“不安定記録”こそが、今、彼らが僕と一緒にいる理由だ」
タケルは途中で言葉を切る。
「原因が何であれ、これから探索団先端研究セクターで解析される。“責任者は誰か”という点については、すでに決まっている」
彼は腕を少し持ち上げて、ゲートにもう一度自分のパターンを読み取らせた。
アイコたちのフローとタケルのフローが重なり、パネルの光がすっと揃う。メーターの針も、今度は迷いなく落ち着く位置を見つけた。
もう一度、探索団の紋章がくっきりと浮かび上がる。
それで、システムはようやく満足したらしい。
警告の色が消え、針も通常の範囲に収まる。
警備員同士が目配せをする。琥珀色の目の方が、肩で小さく息を吐き、半歩だけ下がった。
「監督者ありとして記録した」
彼はゲート横のパネルに手を伸ばし、小さなコードの列を呼び出す。
「何かあったら、そのログは全部、そっちに飛ぶからな、黒宮」
「もう、飛んでるよ」
タケルは淡々と返し、そのまま歩き出した。
アーチを抜けたとき、アイコの膝から力が抜けそうになった。パルスバンは廊下を出るまで、ぴったりと彼女に張りついたままだった。
「ようこそキャピタルへ、アイコ」
彼はできるだけ軽い声で言う。
「ここじゃ、“中身チェック”は入口の扉から始まるらしいよ」
アイコは笑えなかった。
ノイズは、相変わらずそこにいる。
けれど今は、どこか「耳を澄ませている」ようにも感じられた。都市のどこかで、さっきの装置の反応に応えた何かがある──そんな気配。
***
キャピタルの匂いは、境天とはまるで違っていた。
金属と人の匂いだけじゃない。高い位置に作られた庭から降りてくる花の匂い、急いで焼かれる屋台の食べ物の匂い、油の匂い、上の水路から落ちる水の匂い、どこかで甘いものを売っている気配。
一行は、ホームから外に出ると、何層にも分かれた広場に続くプラットフォームを歩いた。頭上には何本もの橋が交差し、不規則な四角い影を地面に落としている。
周囲の建物の壁一面を、ガラスと光のパネルが覆っていた。
あるパネルには探索団の紋章と、短い注意書きやお知らせ。
別のパネルにはブイモンスターのイラストと、その扱いに関する簡単なルール。
さらに、都市全体のエネルギーフローをリアルタイムで表示しているとしか思えない、線と数字だらけのボードまである。
ケンジは、当然のように目で追い切れていなかった。
「たぶん、あそこが訓練施設で……あの塔が通信塔だ。ほら、上の方に探索団の紋章が──」
「そのままつまづいても、私、拾わないからね」
パルスバンは並んで歩きながら宣言する。
「先に宣言しとく」
アイコは周囲を見回しながら歩いていたが、同時に、「見られている」感覚も手放せずにいた。
角を曲がったところで、空を飛ぶタイプのブイモンスターが、小さな荷物を細いベルトでぶら下げて運んでいるのが見えた。指定された配送ポイントにふわりと着地し、くるりと向きを変えた瞬間、その視線がアイコとぴたりとぶつかる。
さっきまで無機質だった瞳から、自動的な光がすっと引いていく。
代わりに、何か別のものがそこに映り込んだような、濁った揺らぎが走った。
アイコの頭の中のノイズが、跳ねる。
広場の周囲に並んだパネルが、一斉に瞬いた。
ほんの一瞬。
けれど、はっきりと。
どのパネルも、同じものを映し出した。
お知らせでも、数字の列でもない。
内部からひび割れたガラスを投影したような、細かく砕けた線の模様。
あの“途切れた円の印”に、気味が悪いほどよく似たパターン。閉じきらない円と、その真ん中を斜めに走る割れ目。
……目覚めるな……
さっきと同じ“何か”だ。
けれど、向きが逆だ。
前は押し出そうとしてきたのに、今は、必死で引き留めている。
その言葉は、まっすぐに入ってきた。
冷たい何かが背骨を伝って流れ落ちる。アイコの肺から、空気が抜ける。足元の地面が、突然“確かではないもの”に変わる。広場の喧騒は遠ざかり、世界は自分の心臓の音と、同じフレーズだけになった。
……目覚めるな……目覚めるな……
身体が横に傾く。
地面に倒れ込む前に、誰かの手が腕をつかんだ。包帯の巻かれていない方の腕だ。
そのまま、重さを受け止めて引き戻す。その動きがあまりにも自然で、まるで何度もリハーサルした振り付けみたいに滑らかだった。
「こっちだ」
耳元で、タケルの声がする。近すぎて、逆に遠く聞こえた。
「息をしろ」
スタートルも同時に動いていた。甲羅を少し前に出し、二人の前に立ちふさがる。見えない衝撃から、影で庇うように。甲羅が一度だけ、硬く震え、それから静かになる。
パネルの映像が、ぱたんと元に戻った。
母親に手を引かれていた子どもが、「また画面固まった」と文句を言う。
串焼き屋台の主人が、「メンテナンスまだかよ」とパネルに向かって悪態をつく。
この都市にとっては、「また調子の悪い装置が一つ増えた」以上の出来事ではなかった。
あの言葉をまともに聞いたのは、アイコだけだ。
「……平気」
どうにか声を出す。かすれた声だった。
「ちょっと……立ちくらみしただけ」
「ピークだ」
タケルは、つかんでいた腕を慎重に放しながら言った。
「“いじられちゃいけないところ”まで揺れたってことだ。普通のことみたいにごまかすな」
パルスバンは、すぐにアイコの肩に飛び乗った。どう見ても、地面にいるのは気に入らないらしい。
「君が瞬きするたびに都市の画面がブラックアウトするようになったら、噂話が一気に増えるね」
パルスバンは、半分だけ冗談の声で囁く。
アイコは、大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。
一度。二度。輪郭を失っていた景色が、少しずつ戻ってくる。
「さっきと同じ声、だった?」
ケンジが心配そうに聞く。
「……うん」
アイコは頷いた。
「でも、今のは……ただ“呼んでる”だけじゃなかった。どっちかっていうと、“止めてる”感じ」
それ以上、うまく言葉にできなかった。
そもそも、言葉にできる種類のものなのかどうかも怪しい。
「中心に近づけば近づくほど、強くなる」
タケルは、歩き出しながら言った。
「“慣れる”なら、違和感じゃなくて、“こういうものだ”っていう事実の方に慣れろ」
「それ、優しさのつもりで言ってる?」
パルスバンが睨む。
「正直さのつもりだ」
タケルは、あっさりと返した。
***
一行は、探索団の紋章がより頻繁に目に入る通りへと入っていく。旗、看板、金属プレートの浮き彫り。進めば進むほど、建物は高くなり、形も揃っていく。「ここはちゃんとして見えなきゃ困る」と誰かが決めた区画、という印象だった。
角を曲がったところで、アイコはそれを見た。
キャピタルで一番高い塔でも、一番派手な建物でもない。
それでも、一目で「ここだ」と分かる存在感だった。
探索団──少なくとも、その中枢を担う複合施設のひとつ。
基礎部分は、古い石組みをそのまま生かしているように見える。残響施設から持ってきたようなブロックが、補強用の金属フレームと組み合わされていた。
そこから上に向かって、新しく作られたガラス張りの回廊や、棟と棟をつなぐ通路が伸びている。さらに高い位置からは、空に向かって伸びるように、いくつもの細長いモジュールが突き出していた。都市全体の何かを受け取り、何かを流し出している、“光の槍”のように。
正面の壁一面を、探索団の紋章が占めている。
完全には閉じない円と、そこから都市全体へ広がっていくように描かれた線。
入口の両脇には、大型のブイモンスターが台座に立っている。石像のように動かないが、瞳だけがゆっくりと動き、周囲を見張っていた。
頭の中のノイズが、また変わる。
今度は、音量も痛みも増えない。
ただ、妙に落ち着いている。
ここは、最初から自分の居場所でしたよね──とでも言いたげに。
……ここ……
それが、本当に聞こえた言葉なのか。
それとも、アイコの側が勝手に当てはめてしまったものなのか。
答えは分からない。
ただ、「中にいる何かが、この建物を知っている」という確信だけが、はっきりと残った。
「探索団先端研究セクターだ」
階段の一番上で、タケルが立ち止まる。
「ここに入った瞬間から、君たちはもう“境天の人間”だけじゃなくなる。ここにとっての“フルタイム案件”になる」
「ご飯、出る?」
パルスバンが、反射で聞いた。
「協力的でいてくれるなら、休憩時間くらいは確保する」
タケルは本気とも冗談ともつかない口調で答える。
彼は、警備員と入口横のパネルに探索団の身分証をかざした。
扉の脇に埋め込まれたモジュールが反応し、枠に沿って光が走る。石と金属の構造体全体が、かすかに低い音を立てた。
扉が横に滑って開く。
大袈裟な演出も、圧をかけるような派手さもない。
ただ、静かに口を開ける。
中には、白く明るい廊下と、奥まで続く部屋の影。各所に設置された計測装置が、光を抑えて沈黙している。まるで、合図を待って息を潜めているようだった。
アイコの中のノイズが、そこでまた姿勢を変える。
誰かが、長く伸ばしていた身体を、一度大きく伸びをしてから座り直したような、そんな感触だった。
この中でキャピタルが求めているのは、「答え」だけじゃない。
アイコとパルスバンが、まだ自分たちでも知らない“何か”そのものだ。
タケルが、一歩、建物の中へ足を踏み入れる。
「行こう」
振り返らずに言った。
「本格的な評価は、ここからだ」




