表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブイモンスター ~ Re:Alive ~  作者: manoru-kun
1/10

第1章 パン職人とブイモンスター

朝日が山の向こうからのぼり、境天きょうてんの空を橙色に染めていく。

村を包んでいた薄い霧がゆっくりと消えはじめ、植物に覆われた屋根や、小さな風力タービン、光を吸う黒いパネルが朝の光を受けて静かに輝きだす。まるで村そのものが新しい一日を呼吸しているようだった。


藍子あいこは、目を開ける前に——パンの匂いで目が覚めた。


布団の中で天井の木目をぼんやり見つめながら、下の階にある薪窯まきがまがくぐもった音を立てるのを聞く。障子の隙間から差し込む金色の光が、畳の上に四角い模様を作っていた。


「……そろそろ焼きあがってる頃だよね」


お腹が小さく鳴り、藍子はむくりと起き上がった。黒い髪をさっと結んで引き戸を開けると、冷たい風が吹き込み、軒先の色とりどりの布が揺れる。屋根の植物が機械仕掛けの花びらを開き、内側の小さなパネルが朝日を吸収しはじめた。少し離れたところでは、小型タービンが風に合わせてのんびり回っている。


境天がゆっくり目を覚まそうとしていた。


藍子の部屋は狭いが、好きなものでいっぱいだった。

壁にはパンやケーキの絵が描かれた紙が貼られ、横には焼き時間や新しい具材のメモが並ぶ。低い机には料理本と、温室おんしつの野菜を使ったレシピ帳が積み上げられ、その上の棚には輝く蓄電石ちくでんせきや組み木人形くみきにんぎょう、昔の線路から拾った磨かれた金属片が置かれている。誰も覚えていない時代の遺物。でも、藍子にはそれらがたまらなく綺麗に見えた。


薄手の服を身にまとい、腰にエプロンを巻きつけて部屋を出た。


階段を下りるごとに、焼きたてのパンの香りが濃くなっていく。


厨房では薪窯が柔らかな橙色を放ち、パイプを通してパン工房こうぼう全体に温かさを広げていた。壁に埋め込まれた小さな蓄電石が、わずかに光を脈打たせている。


すでに父が作業をしていた。腕まくりし、粉だらけの手で生地をこねている。


「おはよう、寝坊助」


「寝坊してないよ。ちゃんと起きたもん」


言い返しつつも、藍子は笑ってしまう。


焼きあがったばかりのパンを籠に移しながら、ふと昨日見た夢を思い出していた。


「ねえ父さん……また試してみない? 北の温室で採れた果物と、あの根粉ねこを混ぜた生地」


「またそれか!」

父は笑った。「試したいなら小さい量でやれ。まずは村の朝ごはんをちゃんと作ってからな」


「でも、私のお店を開いたら絶対人気になるよ?」


「店ねぇ。名前はもう考えたのか?」


藍子が返そうとしたその時——


壁の蓄電石が青く光った。


振り向くまでもない。


「今日は早いんだね」


ぱちん、と小さな音を立てて、黄色い毛並みの影がカウンターに飛び乗った。

パルスバン——藍子と暮らす小さなブイモンスター。長い耳を揺らし、細い金属のリングに抑えられた火花を散らす。


「早く来ないと、藍子の一番うまいパンが他のやつらに取られちゃうだろ? 歴史的な不公平だぞ」


「はいはい、世界があなたの朝食を奪おうとしてるのね」

藍子は小さなパンを1つ置いてやる。「ほら」


パルスバンは大げさにかぶりついた。


「うん。やっぱり藍子は最高の人間だ」


「父さんの前で言わないで。絶対ヤキモチ焼く」


「ヤキモチどころか羨ましいぞ」

父も笑う。「客より食べてるくせに、褒められるんだからな」


藍子はもう1つパンを取り、布に包んだ。


「これはパルスバンのじゃないよ。賢司けんじに持ってくの。何も持ってかなきゃ、あの探索団たんさくだんの椅子と同化しちゃう」


「巻物守りは相変わらずだな」

パルスバンがぺろりと前足をなめる。


二人と一匹は工房を出て、朝の村へ歩き出した。


外の空気は冷たく、土と水の匂いが混ざる。

境天の道は素朴で、透明な水が流れる細い水路に沿って伸びている。水車が回り、その力で粉挽き用の石や灌漑ポンプ、小さな発電機が動いている。木造の家々には生きた屋根が広がり、草花の間に簡易パネルが並ぶ。竹と再利用金属の骨組みにツタが絡まり、光と風を優しく整えていた。


ブイモンスターたちも働いていた。


水の小型ブイモンスターが水路の中で小さな波を起こし、温室に水を運ぶ。

風の個体は羽根車の輪に入って回り、止まらない風力を作り出す。

火の個体は、共同窯のそばで丸くなってうとうとしていた。


パルスバンは軽い足取りで石から石へ飛び移る。


「なあ藍子! いつかさ、遠くまで行ってみようよ!」

両手(前足)を広げ、道全体を抱きしめるように言う。

「もっと大きな街、もっと大きな温室、見たことないブイモンスター! きっと世界には、一生かかっても食べきれないパンがあるぞ!」


藍子は苦笑しながら包みを抱え直した。


「そうかもしれないけど……私はここが好き。父さんも、パン工房も、朝の匂いも、屋上の畑も。小さくてもいいから、自分のお店が欲しいの。それだけで十分、私には冒険だよ」


「冒険の定義がずれてるんだよなぁ……」

パルスバンは耳から小さな火花を散らしながらため息をつく。

「山の向こう、ちょっとは気にならないのか?」


「よく知ってる場所が好きなの。冒険って、何を失うか分からないんだよ」


その言葉に、パルスバンは歩幅を落として隣に並んだ。

いつも明るい青い瞳が、ほんの少しだけ真剣になる。


「……分かった。でもさ。もし藍子がいつか山の向こうを見たいって思ったら——」

にっと笑う。

「呼んでよ。その日が来るまでは、俺が向こうから冒険を持ってきてやる」


藍子は吹き出し、胸が少し軽くなる。


やがて二人は探索団の建物へたどり着いた。境天を守る、“軍隊みたいな”組織の本部だ。


周りの家より大きく、再利用金属で補強された木造の館。

屋根は屋上庭園のように緑で覆われ、雨水タンクがのんびり水を滴らせている。

入口には、根と回路を組み合わせたようなブイモンスターの紋章。


中は古い紙と金属油、それに外から入り込む細かな埃の匂い。


賢司はカウンターで、鼻にずり落ちた眼鏡を直しもせず、再生紙の新聞に沈み込んでいた。周りの棚には巻物や地図、古代の金属片がきれいに整頓されている。


藍子は包みを置いた。


「賢司、休憩。食べて」


彼はゆっくり顔を上げ、何度か瞬きをしてから微笑んだ。


「藍子か……何か忘れてると思ったんだよ」


「いつも何か忘れてるでしょ」

パルスバンがひょいとカウンターに飛び乗る。

「藍子が持ってこなきゃ、お前その新聞と一緒に干からびるぞ?」


賢司はため息をつき、新聞を慎重に閉じた。けれど指はまだ端をつまんだままだ。


「……普通の新聞ならよかったんだけどな」


藍子は首を傾げた。


「どうしたの?」


新聞を押しやるように差し出す。


「……首都で起きたらしい」


見出しには、暴走したブイモンスターの報告。

封鎖線の突破、エネルギー施設への襲撃、主要温室の混乱——

伴いともないてとの“絆”の断絶、原因不明のエネルギー暴走。


パルスバンの耳が跳ねた。


「暴走? 酒場の噂じゃなくて、正式な新聞に?」


「そうなんだ」

賢司は渋い顔で言う。「しかも一件じゃない。各地で起きてる。中央の探索団から警告も来てる。局所的なのか……もっと大きいのか、判断がつかないらしい」


藍子の背中に冷たいものが走った。


首都の巨大温室が荒らされ、蓄電石が割れ、タービンが止まり、街全体が闇に沈む光景がよぎる。

境天の水車、工房の畑、朝から動いている薪窯——

その全部が一瞬で壊れる想像が胸を締めつけた。


包みを持つ手に力が入る。


「……こっちにも来るの?」


賢司は一瞬黙り、そして言った。


「単なる局地的な異常なら来ない。……でも、報告の中に『残響施設ざんきょうしせつ』が近くにあったって記述もある」


パルスバンがぴたりと動きを止める。


「残響施設……またかよ」


「まだ確定じゃない。ただ中央からの指示ははっきりしてる。

——ブイモンスターの異常行動。


——古い施設の周辺での不審な動き。

どちらも、すぐに報告しろ、って」


賢司は二人を真っ直ぐ見た。


「二人とも、ほんと気をつけて」


藍子は静かにうなずいた。


外では、境天がいつも通り穏やかだった。

走り回る子どもたち、水車の回る音、優しく光る蓄電石。

パンの香りと花の匂い——何も変わらないように見える。


でも藍子の胸の奥で、何かがかすかにきしんだ。


——この平和は、思っているより脆いのかもしれない。


沈黙を破ったのはパルスバンだった。


「ま、暴走なんて起きても俺たちが何とかするだろ!」

胸を叩きながら言う。

「境天には、戦うパン職人と伝説の電気パートナーがいるからな!」


「その“伝説”、あなたが勝手に言ってるだけでしょ」

藍子が笑うと、賢司も少しだけ笑った。


けれど新聞にもう一度目を落とすと、その笑みは自然と消えた。


——暴走したブイモンスター。

——残響施設。

——不安定なエネルギー。


今朝まで藍子が考えていたのは、パンを焼き、自分の店を持つ夢だけだった。


境天はまだ静かだ。

けれど、遠いどこかで始まった“何か”は、確実にこちらへ近づいている。


そしてそれがたどり着いた時——

“パン職人の藍子”のままでは、いられなくなるのかもしれなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ