6.彼女彼女彼女
「失礼します」
ノックをしてから体育職員室に入ると、男子を受け持っている根岸先生と目が合った。
「おぅ、七瀬か!」
「こんにちは」
軽く頭を下げて室内を見回すと、机に顔をうずめている先生を見つけた。
私が来たことも気づいていないようだし、微動だにしない所をみると、どうやら寝てるらしい。
(どうしよう)
「七瀬どーした?」
困って動けずにいると、根岸先生が声をかけてくれた。
「倉田先生に、昼休み教えてもらう約束をしてたんですが……」
小声でそう返すと、徐に席を立って。
「そうか、待ってろ」
根岸先生が、倉田先生の肩を軽くたたく。
「倉田先生!」
「ん……」
「可愛い彼女が来てますよ!」
(え!)
「……根岸センセ、それセクハラっすよ」
(彼女彼女彼女……)
根岸先生は、普段からこういうことを言ったりする先生だったが、冗談だとわかっていても、『先生の彼女』と言われたのが嬉しくて、頭の中で何度もリピートしてしまう。
「ふぅ」
倉田先生が小さく息を吐いた。顔色が優れないし、なんだか体調が悪そうに見える。
「先生具合悪いの? 大丈夫? 昼練するの、やめますか?」
「いや……大丈夫だよ。お前一人か?」
「だと思います」
「わかった。着替えておいで」
先生のことは心配だったけれど、自分からもう一度止めるとは言いたくなくて、頷いて体育職員室をあとにした。
時間が早いからか体育館は無人で静まり返っていた。
急いで着替えを済ませ、更衣室から体育館へ戻ると、すでに床にはマットが敷かれていた。
(先生、体調悪いのに……)
「マットありがとうございます」
「ん? 気にすんな、暇だっただけだから……それより、なにが聞きたい?」
「えっと、今度のテストで高い難易度の技を入れようと思っているんですが」
「そうか、うん。授業で一通りの基礎はできていたから、応用を少しずつやってみるか」
「はい!」
先生は、生徒が私しかいなかったのに、嫌な顔一つせず、優しく丁寧に教えてくれた。
「ほら、そこで勢いよく飛び込んで……そう!」
「身体のバネを利用するんだ」
先生と仲良くなりたい。そんな邪な気持ちではじめた練習。
先生の優しさに応えたい。そう思って、一生懸命練習に励む。
しばらく練習していると、ちらほら生徒が体育館へやってきた。
たまに話しかけてくる程度で、練習の邪魔をするわけではなかったけれど。それでも、二人きりじゃなくなったのがちょっとだけ寂しく思えた。
──キーンコーン
昼休みの終わりを告げるチャイムがなる頃には、先生の周りは生徒でいっぱいになった。
「せんせ~、私も教えてー」
「私も私も~」
「わかったわかった。練習時間の時に見てやっから」
(先生にお礼言いたかったけど、無理そうだなぁ)
そう思いながら先生の方を見てるとふと目が合って、声には出せないので深く頭を下げて気持ちを示す。
「それにしてもっ、昼練だったとは、ねぇ」
授業が始まり、準備体操の最中にクラスメイトが声をかけてきた。
「ずいぶん、慌ててるなぁ、って、思ったけど」
「や、ほらね」
体操中なのをいい口実に、なるべく目を合わせないように答える。
「練習するって、なんか、言うのハズイじゃん?」
「ハズイ、ね~」
そう言ってにやにやしながら見てくるクラスメイトに、私は苦笑いをするしかなく、なんだかいたたまれなくなって目を泳がせていると、女の子と目が合った。
(ん?)
すぐに目は逸らされたが、なんとなく睨まれたような気がして不思議に思う。
彼女は隣のクラスの森田睦美。校内三大美女と言われるくらい綺麗な女の子。性格が悪いという噂を聞くが、噂は噂なのであまり信じていない。
ほとんど話したこともないし、恨まれる覚えもないので、目が合ったのは偶然だろう。
そう思って気にせずにいたのだが──
(……まただ)
授業中に視線を感じて、その方を見やると彼女がいる。もう何度目だろう。気が付かないうちに何かしてしまったのだろうか。
(まったくわかんないんだけど……まぁ、それより)
彼女の意図も気になるが、気になっていることがもう一つあって。
(やっぱりちょっと具合悪そう……)
時々咳をしていたり、生徒に話しかけられても上の空だったり、すこし疲れがみえる。
(無理、させちゃったのかな)
先生は大丈夫だって、いいよって言ってくれたけど、本当は生徒に言われたから先生としてやらざる負えなかっただけかもしれない。
私が辞めるって言えば良かったのに、言えなかったし、もっと正直に言えば、言いたくなかった。
そもそも早く会いたいからって、昼休みが始まってすぐに行ったのも自分勝手だったと今更思う。
そんな私のわがままが、先生を無理させてしまったのかと思ったら、自分がどうしようもなく不甲斐なくて……放課後、購買で購入した『のど飴』を片手に体育職員室へ向かうことにした。