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喜ぶウイルス

 ミカイルは倒れている軍人の服から通信機を取り出し、司令室に状況を伝えた。その三十分後、小隊と救護班が到着した。レヴォリの心臓はとっくに止まっていたが、念のため手足に重い枷が付けられ、死体の搬送には大げさと言えるほど頑丈な檻で運ばれた。タチアナは手錠を掛けられ、隊員に連行された。ミカイルとニーナは救護班の応急処置を受けながら、ノストワの軍人の死体が運ばれる様子を見ていた。そして担架に寝るよう促されると、急激な睡魔に襲われ眠りについた。


 ミカイルが目を覚ますと、そこは本部の大きな病室だった。首を動かして周囲を見回すと、学校の体育館ほど広い部屋に、ベッドや医療機器がずらりと並んでいた。患者のほとんどは負傷した軍人らしい。ただ患者用の服が足りないのか、迷彩服のまま横たわっている。その周りでは、多くの医師や看護師が慌ただしく治療や手当てをしていた。

 体を起こそうとすると、胸にずきりと激しい痛みが走った。ニーナを止めようとした時の怪我らしい。


「だめよミカイル! 無理しないで」とサンドラが駆け寄ってきた。


 サンドラは後頭部と背中に手を当て、ゆっくりと体を起こしてくれた。


「もう! どうして一人で勝手に国境へ行ったの!?」

「だって、誰も俺の言うこと聞かなかったんだ! あぁするしかなかったんだよ」

「ほんとに、あんたは……。でも、無事で良かったわ」とサンドラが顔を覗き込んだ。

「なんとかな。へへ……、さすがに死ぬかと思ったけど」とミカイルは小さく笑った。


 ミカイルは運ばれてから丸一日眠っていたと聞かされた。そして、レヴォリに地面へ叩きつけられて負った背筋の打棒と、タチアナを庇った時の肋骨の骨折で、全治三ヵ月と診断された。

 本来のレヴォリの力であれば、全身を強打して即死するところだった。しかし幸いにも、激しい戦闘による疲労で、力が半減していたらしい。

 脚は軽傷だったため、ミカイルはゆっくりだが歩くことができた。サンドラは無理しないようにと念を押すと、他の患者の治療のために、室内の人混みへと消えていった。


 ミカイルは歩きながらニーナとオレグを探した。負傷した軍人だけかと思ったが、一般の人もベッドに横たわっているのが見えた。もしかしたら、検問所近くで暴動に巻き込まれた民間人かもしれない。家族か友人なのか、顔に白い布を被せられた患者のそばで泣き叫ぶ人もいた。


「ミカイル! 歩いて大丈夫なのか?」


 後ろから声が聞こえ振り返ってみると、ゴランが椅子に座っていた。横のベッドには、耳を包帯で巻かれたオレグが眠っていた。


「あぁ、俺は大丈夫だけど。オレグは?」

「見てのとおりだ。クソ野郎の大声で気を失っちまった。鼓膜も破れてる」


 ゴランはオレグの手を握ったが、少しの反応も見られない。


「命に別状はないらしいが……。起きないことには無事か分からん」


 ゴランはオレグをじっと見つめる。それが猫背であるせいか、ミカイルにはゴランが少し小さくなったように感じた。そして、オレグが戦っていた時のことを思い出した。

 軍人が次々と倒れていく中、オレグはレヴォリとタチアナを引き離す作戦を成功させた。すぐにタチアナは連れ戻されてしまったが、ミカイルが基地内で偶然出くわした時は、初めてボレルで会った時よりも自信がないように見えた。彼女は国境を越えることに、不安や後ろめたさを感じ始めていたのかもしれない。もしかしたら作戦の途中で、オレグがタチアナを説得したのだろうか。

 司令室では皆が作戦失敗だと肩を落としていたが、ミカイルはきっとオレグが大切な役割を果たしたのだと思った。

 辺りを見回すと、部屋の端の方にニーナとソーニャが見えた。声を掛けに行こうとしたが、近寄ってきた政府の人に呼び止められた。


「ミカイルさんですか? 政府の上席の者が少し話したいと言ってまして、少しお時間をいただけますか。サンドラ博士もいらっしゃいます」


 どうしようか迷ったが、ニーナたちは何かを話し込んでいるようだった。少なくとも、命に別状はないらしい。


「あ、うん。行きます。ゴランのおっちゃん、また後でな」


 ミカイルはオレグの手を軽く握り、その温かさを確認してから病室を出た。



* * * * * * * * * * * *



 ソーニャは民間人用の施設で気絶してから数時間後、この病室で目を覚ました。ちょうどその時、ニーナが国境から搬送された。

 そしてニーナの治療がひと段落した後、ベッドの横で様子をずっと見守っていた。命に別状はないと医師に診断されたが、看護師に促されてもその場を離れなかった。

 やがてニーナはゆっくりと目を開けた。治療の麻酔が効いているのか、少し虚ろな表情をしている。


「ニーナ、大丈夫!? 私が分かる?」


 ニーナはソーニャを見つめて、小さく頷いた。


「良かった……。どこか痛むところはない?」

「足痛い。あと、顔。口開けづらいかも」


 ニーナの顔と首には、赤黒い痣が目立っていた。足に巻かれた包帯からは、所々血が滲んでいる。


「いいのよ、無理してしゃべらないで。お医者さんを呼んでくるから、ちょっと待っててね」とソーニャが立ち上がる。

「先生待って、行かないで」

「ん? すぐ戻るわよ」

「いま話したいの」


 ソーニャは近くの医師を一瞥した後、再び椅子に腰かけた。


「先生。なんでレヴォ……、あたしの兄さんのこと黙ってたの?」


************************************************************


 敗戦から二年が経った、十三年ほど前。建物の再建や日用品の流通が進み、人々が徐々に日常の生活を取り戻し始めた頃、孤児院はニーナを含めて四人の子供しか預かっていなかった。三人は戦争孤児で、一歳のニーナだけは両親と兄が残っていた。ソーニャは孤児を優先したいと、入院を断ろうとした。しかし両親は。仕事が忙しく兄は学校に通っているからと、半ば強引に押し切られて、ニーナを預かることにした。

 ニーナの送り迎えをしていたのは兄だった。十五歳くらいで綺麗な顔立ちに見えたが、ソーニャが話しかけても暗い表情で、ほとんど口を開かなかった。

 ニーナを預かり始めて三ヵ月ほど経つと、突然両親が送り迎えをするようになった。仕事が忙しいのに大丈夫なのかとソーニャは気遣ったが、両親はそれについて触れず、送り迎えを続けていた。


 さらに一ヵ月ほど過ぎたある日、お迎えの時間になっても、両親が孤児院に現れなかった。当時は役所や大型施設などを除いて電話も復旧していなかったため、連絡を取ることもできない。今までお迎えが多少遅れることはあったが、夜の九時を過ぎてソーニャはいよいよ心配になった。そして他の子供たちを寝かしつけ、ニーナを抱いて、入院手続きの時に名簿へ記載された住所へ向かった。

 孤児院から二十分ほど歩き、二階建ての小さなアパートに辿り着いた。周りは再建中の住宅地で、工事中のアパートや仮住まい用のテントが並んでいた。街灯はなく、アパートの階段や廊下にも電気はついていない。ソーニャは転んでニーナに怪我をさせないよう、錆びついた手すりを握りながら階段を登った。そして廊下を進み、一番奥の二〇四号室のドアをノックした。


「遅くにすみません。孤児院のソーニャ・●●です。いらっしゃいませんか?」


 少し待ってみたが、返事はなかった。留守だと思い引き返そうとすると、突然ニーナが泣き出した。もしかして、中に両親か兄がいるのかもしれない。


「開けますよ。失礼します」


 玄関のドアノブを回すと、ギィと錆びついた音を立てて、ドアが開いた。そしてニーナの泣き声が大きくなると同時に、真っ暗な廊下から血の臭いが漂ってきた。家族に何かあったのかと焦り、急いで壁のスイッチで明かりをつける。すると、かろうじて両親だと分かる顔と、床に散らばった肉体の断片が目に写った。その横では、口と手を真っ赤に染めた兄が、こちらを見つめていた。


 ソーニャは気がつくと、病院のベッドで横になっていた。近くのベビーベッドには、ニーナがすやすやと眠っている。看護師によると、意識を失って二日間ほど寝込んでいたらしい。しばらくすると、警察官が事情聴取のため部屋に入ってきた。ソーニャは恐ろしい記憶を辿るのに抵抗があったが、ニーナのためだと思い経緯を話した。そして最後に、自分が気絶した後に何があったのか質問した。


 ソーニャが玄関の明かりをつけて間もなく、警察官が駆けつけて兄に発砲した。肩と足を撃たれた兄は、窓ガラスを割って道路へ飛び降り、逃走していった。未だに足取りは掴めていないという。

 アパートの住人や近所の人の話によると、二ヵ月前から兄の奇声や家具の壊れる音が、度々聞こえていたらしい。そしてソーニャが訪れた日の夜、両親の悲鳴を聞いた一階の大家が警察を呼んだのだった。

 その日から、兄は殺人犯として指名手配された。


 ソーニャは数日後にニーナと共に退院し、孤児院に戻った。そして事情を聞かれた知人には、ニーナの両親と兄は何者かによって殺されたと、嘘の説明をした。兄のことが周囲に知れれば、ニーナの将来に悪影響を及ぼすと思ったからだった。


************************************************************


 ソーニャは肩を震わせながら、周囲に聞こえない程度の声で話した。

 ニーナは天井の一点を見つめたまま、ずっと黙って聞いていた。レヴォリとソーニャの話は一致している。やはり本当のことであり、家族の真実なのだと分かった。

 レヴォリが実の兄だと知った時は、怒りと悲しみで混乱したが、今はそこまで胸が苦しくならなかった。怪我と疲れのせいで心が麻痺しているのか、真相に辿り着いたからなのか、自分でもよく分からない。


「先生。怖いことなのに、話してくれてありがとう。でも、やっぱり分かんない。他の人に黙ってたのは分かるけど、あたしに黙ってたのはなんで?」


 ソーニャは震えを抑えようと、両手で肘の辺りを摩った。


「この話をしたら、ひどいショックを受けると思ったからよ。自分のお兄さんが両親を……、そんなこと聞きたくないでしょう。それに、あなたは指のことで本当に苦しんできた。それに追い打ちをかけるような話は、私にはできなかったわ。ごめんなさい」

「でも、あたしがずっと犯人を探してたのは知ってたでしょ? それなのに、どうして教えてくれなかったの?」


 ニーナは、自分の語調に怒気が混じっていることに気がついた。先生を責めたくない。先生は自分の一番の理解者だと思っている。それだけに、自分の悩みに応えてくれなかったことに、納得できなかった。


「もちろん、必死に犯人を追いかけていることは分かってた。でも私は何度も言ったでしょう。犯人を捜すより、前を向いてほしいと。ニーナのこれからを生きてほしいと。子供たちを大切にして、一人でもサッカーを頑張るあなたが好きだったの。だから昔のことは話したくなかった。あなたが変わってしまうのが怖かったの。もしかしたら、孤児院を離れてしまうかもしれない。私を嫌いになってしまうかもしれない。だから、ずっと話せなかったのよ」


「先生を嫌いになんてならないよ。あたしをあいつから守ってくれたんだ。別に孤児院だって離れたりしないよ。今の子供の人数を、先生一人じゃ見られないでしょ」


 ニーナは言いたくもない嫌味を口にしていた。


「……ずっとあなたに頼ってしまっていることは認めるわ。本当にごめんなさい」

「謝らないで。でも……、やっぱりあたしは戻れない。感染してるんだし。先生も子供たちも、ウイルスが移るなんて嫌だよね」

「孤児院がなくても、感染してても、あなたにそばにいてほしいのは変わらない!」


 ソーニャは叫びながら、ニーナの頬に両手を添えた。


「お兄さんは感染者かもしれないと、警察の人が言っていた。だから、あなたも感染している可能性があることも分かっていた。それも他の人に真相を話せなかった理由よ。感染しているかもしれない子供を預かるのは危険だからやめろ、って言われるに決まってる。だけど、やっぱり私は一緒にいたかった。それはこれからも変わらない。感染してたって、ニーナは私にとって大切な子供なんだから」


 ニーナは先ほどの嫌味を後悔した。これだけ大事に思ってくれているのに、先生が自分を利用しているような言い方をしてしまった。


 きっかけは部活の先輩だった。


************************************************************


「他に居場所がないから、先生が都合よく手伝わせてるんでしょ?」


************************************************************


 そう馬鹿にされてから、中学生にもなって孤児院に入りびたりでいる自分に、違和感を覚え始めた。そして、先輩の言ったことが本当なのではないかと、嫌な疑心が胸を突いた。

 しかし今、それは自分に自信がないからこそ先生を信じきれない己の弱さだったと気がついた。

 指が短く気味悪がられ、部活にも馴染めず、学校で一人ぼっちの自分を受け入れられなかった。それが故に、孤児院がかけがえのない居場所であると、素直に認めることができなかった。

 しかし結局、そんな憂鬱を忘れさせてくれるのが、大好きな先生と子供たちがいる孤児院だった。


「先生……。本当にごめんなさい。あたし、さっきひどいこと言った。最低だ」

「いいのよ、謝らないで。分かっているから。だって、孤児院のためにサッカーを頑張ってくれてるじゃない。私ね、心から感謝してるの。本当にありがとう。それに、みんな楽しみにしてるんだから。早く見たいわ。ニーナが世界の舞台で、ゴールを決める試合を」


 ニーナは、孤児院で自分が世話をしてきた子供のように泣き始めた。


「怖い……。怖いよ、先生。指がどんどん短くなるの。今はほとんど残ってない。このままじゃ、あたし無くなっちゃうよ。腕も脚も、体も頭も消えて死んじゃう!」

「大丈夫! きっと良くなるから。ずっとそばにいるから。絶対、大丈夫よ」


 ソーニャは立って前屈みになり、両手でニーナの頭を胸にうずめた。ニーナは懐かしい香りに包まれ、幼い頃に怪我をして先生に抱かれながら大泣きした時のことを思い出していた。



* * * * * * * * * * * *



 ミカイルは車に案内され、別の建物へ移動し始めた。三人で乗った時と同じように、マスクを渡される。しばらくして目に入ったのは、黒光りで頑丈そうな大きい建物だった。

 中に入って長い廊下を渡ると、物々しい会議室のような部屋に案内された。細かい刺しゅうが入った木彫りの長テーブルが、茶褐色の絨毯の上で、正方形を描いて置かれている。

 手前のテーブルにサンドラが座っていた。飲んでいた水のグラスから口を離して、ミカイルの方に振り返る。


「あら」

「さっきぶり」

「無理して来なくてもいいのに。体調は大丈夫?」

「あぁ、平気だ」


 政府の人はサンドラの隣の椅子を引いて、座るよう案内した。そして部屋の隅にあるテーブルでグラスに水を灌ぐと、ミカイルの前に置いて部屋を出て行った。戦いの前に会議室へ案内された時とは違い、丁重にもてなされているらしい。

 ミカイルは水を飲もうとグラスに手を伸ばしたが、テーブルが高く届かなかった。サンドラが「みんなには会えたの?」と聞きながらグラスを手渡す。


「オレグとゴランのおっちゃんには会った。オレグはまだ目が覚めてなかったけどな。ニーナはソーニャ先生と話してたのが遠くから見えた」

「話さなかったの?」

「なんか大事な話してそうだった。あとさっきの人にここへ来るよう言われたから、後にしようかなって」


 レヴォリのことを話していたのだろうとサンドラは思った。レヴォリの顔がモニターに映り、ソーニャが気を失った後、診察をしたのはサンドラだった。しばらくしてソーニャが目覚め、レヴォリとニーナが兄妹であることを聞いた。

 やがて、ガスマスクをした役人と軍人たちが、奥の扉から入ってきた。その内の一人は大佐だった。


「さっさと立たんか! 国王様の前だぞ!」と大佐がいきなり怒鳴る。どうやらミカイルの活躍が面白くなかったらしい。

「待ってください。この子はあのレヴォリと戦って、怪我をしてるんです。座らせたままにしてあげてください」とサンドラが立ち上がった。

「関係ない。国王様と重役の方々がいらっしゃるんだ」

「分かった分かった。立つって、ほら」とミカイルが椅子の肘掛けを握り、力を入れようとする。

「皆座ったままで良い。私たちは礼を言いに来たのだ」と真ん中の人が座ると、他の重役や軍人もそれに倣った。サンドラもゆっくりと腰を下ろす。

「誰だ? マスクで顔が分かんねぇ」とミカイルが小声で聞く。

「きっと、真ん中の人が国王様。政府や軍隊全部まとめて、この国で一番偉い人よ」


 国王が一呼吸置いて、話し始めた。


「君たちには本当に感謝している。よくあのレヴォリを倒し、タチアナを捕らえてくれた。二人を止められなかったら、このモグロボは感染爆発を起こした国として、世界中から敵視されるところだった。それがノストワの被害も最小限に収まり、残りの国民も無事に移住させてもらえることになった。全て君たちのおかげだ。本当にありがとう」


 国王が座ったまま頭を下げ、重役や軍人もそれに続いた。


「君たちって、俺、ニーナ、オレグのことですか? それとも、死んだ軍人たちも含めてですか」


 ミカイルは淡々とした口調で聞いた。質問の意図が測り兼ねるのか、国王たちがゆっくりと顔を上げた。


「残りの国民って、検査を通った人のことですか。感染者は入ってないんですよね?」

「残念ながら、感染者を移住させることはできない。ノストワに拒否されている。だが約束する。君たちは国に大きく貢献した。どうにかできないか、私から……」

「なんでこんなに死んじゃったんですか。レヴォリが強かったからですか? 違う。今までみんな、自分のことしか考えてなかったからじゃないですか」

「おい貴様! 調子に乗るのもいい加減にしろ!」と大佐の怒号が響いた。


 ミカイルはすかさずグラスを握って、前に投げ捨てた。それが国王たちの前に落ち、バシャーンと音を立てながら割れて、水が飛び散る。


「そんなんだから感染者は見捨てられて、そこらじゅうの暴力団は野放しで、モグロボがこんなことになったんだろ! 目的は違ったけど、俺たちもレヴォリも国境に辿り着いた。でも、俺たちが強いからじゃない。お前らが自分のことで頭いっぱいだからだろ! ……間違ってる。変わんなきゃいけねぇだろ!」

「国王様のお心遣いが分からんのか! 特別にお前たちは移住させてやるとおっしゃっているんだぞ!」と大佐が叫ぶ。


 するとサンドラが立ち上がった。


「そうやって自分に都合の良い人だけで周りを固めるから、こういうことになると言っているのです! 私は何度も病院に対する援助を政府に求めてきました。そして断られ続けた。でも今は、ウイルスの研究機関に相当な資金が支給される。……予算が無かったんじゃない。民間人の健康や医療の整備が、後回しにされたからです。自分たちの利益しか考えてこなかった結果だと思います!」

「研究機関の責任者だからって、偉くなったつもりか! そんな態度なら担当をはず……」

「またですか。何度も言いますが、あなたにはできません。私を外せば、今まで蓄積された知見やデータ、ノウハウは全てパアです。そうしたらノストワの信用も今度こそ失って、誰も移住できなくなる。自分のことを優先するあなたたちには、私を外せません」


 大佐は言い返すことができず、ドンッと机を叩いた。するとその隣の重役が、宥めるように口を開く。


「君たちの言うとおりだ、許してくれ。だが、国を守ることは簡単じゃないんだ。戦争後の復興も、ウイルス感染を抑えることも」

「私から言わせれば、政府そのものがウイルスです。好きなだけ増殖して、命綱である宿り主を弱らせて死なせる。そして最後は、自分たちが消滅してしまう。皆さんが国民にしてきたことと同じです。分かってますか? モグロボや他の国が、本当にもう少しで、レヴォリとウイルスによって滅びるところだったんですよ」


 大佐が剣を握って腰を上げようとした時、ミカイルがゆっくりと立って扉に向かった。そして振り向きもせず、そのまま部屋を出て行った。思わぬ出来事に全員が口を閉ざし、会議室が静まり返る。


「私も患者と研究が待っているので、これで失礼します」とサンドラがミカイルの後を追った。

「ふざけやがって……、無礼にも程がある」


 大佐は鬱憤を晴らすように愚痴を続けた。しかし「黙らんか!」と国王の叱責が部屋に響くと、大佐は体をびくつかせて首をすくめた。



* * * * * * * * * * * *



「待って、ミカイル」


 ミカイルは建物の入り口に向かって廊下を歩いていた。サンドラが追いつくと、ミカイルが足を止める。


「ごめんなさい、あなたの前でウイルスの話をして。無神経だったわ」

「いや、俺だって。怒鳴ってグラス投げたし。先生も恥ずかしかったよな」

「全然。やりたいこと、やってもらった」


 ミカイルは廊下の壁に並んで掛かっている肖像画を見た。歴代の国王らしかった。ガスマスクで顔はよく分からなかったが、きっと一番端の絵が先ほどの国王だ。


「一緒に怒鳴ってくれてありがとな」

「こちらこそ」


 ミカイルが歩きやすいよう、サンドラは片腕を支えてあげた。そして二人は案内人の待つ外に向かって、肖像画の並ぶ長い廊下をゆっくりと進み始めた。



* * * * * * * * * * * *



 それから一ヵ月後、モグロボとノストワの間で移民に関する条約が締結された。条約では、ノストワ国民の一時的な宿泊施設、金銭的な補助、教育や労働などに関する規定が整備された。これにより、移民権を与えられた者はノストワで暮らすことができる。レヴォリを止めた功績が評価されたのか、不利な条件によるモグロボ国民の反発を恐れたのか、モグロボが希望する条件は概ね受け入れられ、二国間の協議は円滑に進んだ。

 しかし、感染者の扱いについては、なかなか折り合いがつかなかった。結果、爆弾による強制的な国土の浄化は免れたものの、移民権を与えられるのは感染していない国民だけとなった。感染者は事実上、モグロボに隔離される。それはウイルスが拡散せず自然消滅するように、感染者が死ぬのを待つことを意味していた。


 条約の締結を祝う式典は、ノストワ側の国境基地で執り行われた。ミカイルたちのいるモグロボの国境基地の感染者専用病棟には、生中継が繋がるモニターのある部屋が一つだけあり、マスクをつけた患者やガスマスクをした職員が、式典の様子を見ていた。ミカイルは一人でその部屋に入り、空いている椅子に座った。ニーナはだいぶ回復し、オレグも三週間前に目覚めていたが、大事を取って病室にいる。


 モニターには豪勢な装飾に彩られた部屋が映り、国王が真ん中の壇上で手を振っている。その後ろには政府の重役や、戦いの現場責任者として大佐と側近が並んでいた。要塞門での検査や負傷者の治療に大きく貢献したサンドラも招待されていたが、患者の治療やウイルスの研究を理由に、出席を辞退していた。

 両国王が書面にサインして握手を交わすと、カメラのフラッシュでモニターがチカチカと光る。式典の会場では拍手喝さいが沸き起こっているが、ミカイルの周りには憂鬱な顔で俯いている人しかいなかった。

 カメラのフラッシュが落ち着くと、モグロボ国王の演説が始まった。会議室で対面した時はガスマスクで見えなかったが、今モニターに映っている顔は肖像画よりも酷く痩せている。


「我々は多くの苦難を乗り越え、この条約の締結に至りました。ウイルス感染者の暴動の抑止に大きく貢献してくれたのは、今生きている軍人だけではありません……」


 国王は殉職した士官の名前を挙げていった。その幾つかは作戦会議でも聞いたことがあった。


「……そして我々の国とノストワ国を救う鍵となったのは、三人の勇敢な感染者でした。ニーナ。オレグ。そして、ミカイル。我々は感染者を救うことができないにも関わらず、彼らは身を切る思いで戦ってくれた。これからモグロボ国はノストワ国の力を借り、復興を目指します。その道のりにおいて、この救世主たちのことを決して忘れてはならない。彼らへの畏敬の念を胸に、我々は前進するのです!」


 モニターから、一層大きくなった拍手が聞こえてくる。そして演説が終わり、記者による質疑応答が始まった。ミカイルは国王の口から自分の名前が出たにも関わらず、まるで知らない誰かのことのように感じられた。

 すると一人の患者が、持っていた松葉杖をモニターに投げつけた。バリンと音を立てながら、機械の破片が飛び散る。


「何が前進だ! 俺たちを見捨てることが前進かぁ!」


 ガスマスクの職員が急いで取り押さえ、なんとか落ち着かせようとする。他の患者は巻き込まれまいと、いそいそと部屋を出て行った。モニターはかろうじて生きており、酷くひび割れた画面には、記者の質問に答える国王の顔がグシャグシャに映っていた。



* * * * * * * * * * * *



 ミカイルも立ち上がり、部屋を出て自分の個室に戻った。ふーっと息を吐きながら、マスクを外して机に置く。

 怪我がだいぶ治って病室を出た一週間前からは、この隔離された個室でずっと過ごしている。戦いの直前にいたのは来客用の棟だったが、今は感染者として、病棟を出ることは禁止されていた。食事は毎日二食、係の人が部屋の前に運んでくれる。それを食べる他にはすることがない。ミカイルはベッドに寝ころんで、あくびをしながら窓から空を見上げた。

 急に部屋の電話が鳴り、ミカイルは目を覚ました。外は日が落ちて暗くなっている。いつの間にか眠っていたらしい。

 サンドラかと思いながら、ベッドを下りてふらふらと電話台に向かう。自分の背と同じくらいの高さの電話に手を伸ばし、受話器を取った。


「ミカイル君か?」


 中年の男性の声がした。しかし思い当たる人が浮かばず、「あの、誰?」と聞いた。


「あぁ、すまない。国王の〇〇だ」


 ミカイルは演説の様子を思い返した。しかし、なぜか顔と声が一致せず、まるで全く別の人物と話しているように感じた。


「弁解の余地もない。ノストワ国民に感染しないよう、安全な環境を整えて君たちや他の感染者も移住させてもらえないかと、ノストワの国王に私から何度も直接頼んだのだが……。受け入れてもらえなかった。本当に……、すまない」


 どうやら、一か月前の約束を守れなかったことについて謝っているようだった。

 ミカイルはしばらく黙っていた。移民権が与えられなかったことは、以前から噂で聞いている。それを国の代表から言われると、揺るぎようのない事実であると実感が湧いてきた。ミカイルが膝を折ってその場に座り込むと、電話機が受話器のコードに引っ張られて、床に落ちてガシャンと音を立てた。


「ミカイル君! 大丈夫か?」

「……大丈夫っす」

「本当か? それならいいが……。私たちに、何かもっとできることがあれば……」


 しばらく沈黙が続いた。国王は続く言葉が見つからないようだった。初めに対峙した時とは違い、一国の王というよりも、近所の知り合いと話している感じがする。


「国王」

「なんだね?」

「あの時、怒鳴ってグラスを投げて、すみませんでした」


 あれだけ毛嫌いした政府の人間に謝る自分自身を不思議に思った。国王も突然の言葉に驚いた。


「いやいや! 君たちが怒るのは当然だった。私も他の者も、政治や国益のことしか目に見えていなかったのは事実だ。もちろん、今は違うと言えるような状況でも立場でもないんだが……」


 それはつまり、感染者を救う手立てがないことの言い換えだった。


「……もういいです。分かりました」

「ミカイル君、ありがとう。そして……、本当に申し訳ない」



* * * * * * * * * * * *



 ミカイルは床に落ちた電話機に受話器を戻し、のっそりと立ち上がった。そして服を脱いで、シャワー室に入る。チョロチョロと水圧の弱いお湯を浴びながら、壁に貼ってある鏡を見た。小学生の頃に戻っていく自分の顔。徐々に位置が高くなる鏡。ここ最近は、その変化も早くなっている気がする。

 先ほど謝ったのは、自分と国王の間で何かが変わったからだと思った。しかしそれだけではなく、もう自分の余命が長くないと、無意識のうちに悟っているからかもしれない。

 シャワー室を出てタオルで体を拭き、寝る服に着替えた。余った袖をめくり、裾を引きずりながらベッドに向かう。

 するとドアを叩く音がした。そういえば、夕食が運ばれる時間だった。


「ドアの前に置いといてください」

「何言ってんの? あたし! ニーナだよ」


 はっとして、裾を踏んで躓きそうになりながら、ドアに近づく。カギを開けると、ニーナが松葉杖で立っていた。その後ろにはオレグとサンドラもいる。


「ボーッと突っ立ってないで、早く入れてよ」


 ミカイルが下がると、三人は部屋に入った。


「ごめんね、突然押しかけてきちゃって。でも、二人が驚かせようって聞かなくて」とサンドラが言うと、ニーナとオレグは意地悪そうに笑っていた。

「ミカイル。あなたたち、治るかもしれないわ」


 ミカイルは目を大きく開いた。


「タチアナに協力してもらって、ずっと研究していたの。特殊能力でウイルスのエネルギーの吸収と放射を繰り返すと、突然変異し始めて、それを他のウイルスに近づけたら活動が弱まった。まだ実験段階だけど、きっと抗ウイルス薬が作れる!」

「ねぇ! あたしたち治るんだ!」

「僕らの耳や指も戻って、ミカイルも大人になれるんだよ!」


 ミカイルは足に力が入らなくなり、よろけながら後ろのベッドに腰かけた。


「ミカイルのおかげよ。もしニーナを止めなかったら、タチアナは殺されて、この方法は見つからなかった。あなたの意志が、あなた自身とみんなを救ったの」


 ミカイルは黙ったまま、自分の体を見つめた。

 ベッドに座ると、床につかなくなった足。食器を持つのもドアを開けるのも、重くなってきた手。自分が何歳か分からなくなってくる顔。


 これが、元に戻る。死なずに、生きられる。


 手のひらに、ポトッと涙が落ちた。その上に、指が完全になくなったニーナの手が重なる。その温かみを感じると、少しずつ嗚咽が漏れた。オレグが二人の肩に両腕を乗せて寄り掛かり、三人揃ってベッドに倒れこむ。

 サンドラが笑いながら、マスクを外してゴミ箱に捨てた。ニーナとオレグは、はしゃいでミカイルに抱きつく。ミカイルは二人に挟まれたまま、本当に赤ん坊に戻ったように、大声で泣き始めた。

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