第25話 透明盗人(ファントムシーフ)
ここ数ヶ月に渡って、アスティオール王国各地を騒がせている1人の盗賊がいる。
その手口は、あえて人々が監視している中で、貴重な品を盗み去るという大胆なものだ。
寄せられた数少ない目撃証言から、犯人は若い男であるという説が囁かれているが、それ以外の情報はいまだ謎に包まれている。
何故、監視の目がありながら、その姿さえ分からないのか?
それは彼が「透明化魔術の使い手」であるからだ、と人々は口を揃えて言う。
その特性ゆえに、騎士団や傭兵団が手を尽くしても彼を捕らえるには至っていない。
神出鬼没な大悪党を恐れ、人々は彼をこう呼んだ。
見えざる強奪者――透明盗人と。
「そのお尋ね者が現れたのよ、この店に!」
ソニアおばさまの声は、怒りと悔しさで震えていた。
噂に聞く程度の遠い存在だった魔術犯罪者が、一気に現実味を持って私を侵食し始める。
「4日前に盗みに入られてね。売り物の魔法石が27個も獲られちまったのさ! アタシはもうお手上げ、泣き寝入りだよ……」
大きく溜め息を吐いて、おばさまは涙を拭く素振りをする。
恐ろしくて聞けないけれども、被害総額は金貨数十枚にもなりそうだ。
「魔法石がひとつ平均1万メルエスとしても、約20倍だから……540万円相当!? 宝石強盗並みじゃん!」
被害者の目の前で金額の概算をするユーリ。容赦がない。
「心中お察ししますわ。本当に災難でしたわね……」
「そうなのよぉ……。もう、悔しくて悔しくて…………」
すかさずユーリが質問を投げかける。
「事件が起きた時、ソニア様はどこに?」
「営業中の昼間だったから、今日と同じで受付奥の工房にいたわよ。誰かが店に来たら、すぐ気付けるんだけどねぇ……」
確かにソニアおばさまの言う通り、私たちが店に入った際は、すぐに受付に顔を出していた。
やはり透明人間は、まるで気配を感じさせないのだろう。
「事件に気付いた時のことを、詳しく聞かせていただけますか?」
前のめりに質問を続けるユーリ。もうすっかり探偵モードだ。
ソニアおばさまは、待ってましたと言わんばかりの表情で語り始める。
「最初に気付いた異変は、防護結界についてさ。魔法石を飾っているショーケースには、特製の結界術式を組み込んでもらっていてねぇ。ガラスに衝撃が加わったら警告のサインが出る仕組みになってるのよ」
術式を自在に拡張するというのは、そう簡単なことではない。
お得意様の中に、腕の立つ結界魔術師がいるのだろう。
「工房で作業をしてたら、急にサインが光るもんだから、何事かと思って魔法石売り場を見に行ったのね。そしたらビックリ、目の前でショーケースが割れて粉々になったのよ!」
「その場に人の姿はなかったと?」
「そうさね。ガラスがひとりでにガッシャーンってね。何事かと思って、アタシゃ慌ててショーケースを覗き込んだワケ。魔法石が盗まれていたら大変だもの。そしたら――」
そこでソニアおばさまが言葉を止め、私はゴクリとつばを飲む。
「――あったのよ、魔法石。その時には、全部揃っていたわ」
「ということは……その直後に?」
「えぇ。それで安心したのがバカだった。瞬きをしたら、魔法石がひとつ減っていたのよ!」
目を見開いて、下唇を突き出すソニアおばさま。
「本当に一瞬の出来事でねぇ。見間違いかと思って、目をこすって確かめたら、またひとつ、またひとつと魔法石が消えていくじゃないの! もう腰を抜かしちゃったわ」
犯行の瞬間を見せつける悪質な手口。
噂に聞く、透明盗人の特徴と一致する。
「盗みを止める方法は、何かなかったのでしょうか? 例えば、透明化魔術を無効化するといったことは……」
「そんなスゴい魔術を、アタシが使えるように見えるかい? お嬢ちゃんったら買い被りすぎさね。盗人がいそうな場所に向かって、腕を振り回すのが精一杯だったよ」
「それで……犯人に触れることはできたのでしょうか?」
「いいえ、まったくの空振りよ。私の腕では捕まえようがなかったわ。そこにいたはずなのに、どうしてかねぇ」
その証言に引っかかりを覚えたのか、ユーリは私に小声で問いかけた。
「透明化魔術で、物理的にすり抜けることってあるの?」
「その答えならノーですわ。すり抜けるという効果は、透明化ではなく透過に分類されますから」
「ということは、透明盗人は透明化に加えて透過魔術も使える?」
「どうでしょうか……。その2つを同時に発動するのは、とても人間業とは思えませんが……」
透明化も透過も、対象に属性を付与する「効果付与魔術」の系統だ。
特に透過は「何と何をすり抜けさせるか」の把握と制御が難しく、他の魔術と併用できる代物ではないというのが常識である。
「ついつい話し込んじまったよ。愚痴に付き合ってくれてありがとねぇ」
「いえ、こちらこそ貴重な証言をありがとうございました」
お礼を述べるユーリの瞳は、どこか遠いところを見つめている。
今の話で何かに気付いたのだろう。まだ私の頭脳では、その領域にまで届きそうにない。
その事実がもどかしくもあり、それでいて頼もしくもある。
そうだ――今、私がすべきなのは。
探偵が推理に集中できるように、情報収集のサポートをすること。
それも助手の、大切な役目だ。
「最後にひとつ、お尋ねしたいことがありますの。よろしいかしら、おばさま?」
「なんだい、急に改まって。なんでも聞いてみなさいな」
「それが、その……呪具に関することなのですが…………」
「あれま! ウチでは取り扱っていないわよ。人を不幸にする品なんて、商品失格だもの」
人差し指をピンと立てて、口を尖らせるソニアおばさま。
「呪いたいほど憎い人がいてもね、呪術や黒魔術に手を染めるのは絶対にダメよ。まだ若いんだから。真っ当に生きなさい、いいわね?」
「誤解です! 呪具がほしいワケではありません!!」
「あら、そうなの? アタシったら、てっきり買いに来たのかと思っちゃったわ」
……呪具なら、もう間に合っていますので。
正直に話してしまいそうになるのを、必死に心の中に留め置いた。
「お聞きしたいのは、呪具の出処についてです。《魔素喰らい》と呼ばれている、ナイフの形をした代物なのですが……」
「ごめんなさいねぇ。その手のモノについてはアタシ、まったく知らないのよ。表のルートに出回っていないのは確かだわ」
ソニアおばさまの言葉に、ユーリが鋭く反応する。
「裏のルートでは、流通している可能性があるんでしょうか?」
「まあ、呪具が取引されるとしたら、そうでしょうねぇ。盗品が売られるような闇市でなら、あり得る話よ」
「そうですか……。分かりましたわ、ありがとうございます」
私とユーリの二人だけでは、法の目が届かないところでの調査は危険極まりない。
さて、一体どうしたものか――。
「……あ、そうそう! 思い出したわよ、呪具のことを知ってそうな人」
ソニアおばさまの大声に、ユーリが反射的に身震いする。
「透明盗人の調査のために、王都から偉い人が来てるのよ。魔術犯罪の担当なんですって」
確かに魔術犯罪に詳しい人なら、呪具絡みの事件についても情報を持っていそうだ。
「事件のあった日に、この店も調べに来てくれてねぇ。必ず捕まえるって約束してくれたから、まだこの街にいるはずよ。探してみたらどうかしら?」