第24話 交易都市マケマト
私の生まれ育ったフロンタムの街は、アスティオール王国の最東端に位置している。
そこから北西へと伸びる街道に沿って、旅を続けること3日目の夕方。
私たちは、交易都市マケマトに到着した。
人が集まる場所には、自然と情報も集まってくるものだ。噂話というカタチで。
ここでなら《魔素喰らい》や、呪術師の手がかりを得られるかもしれない。
その可能性に賭けて、私はマケマトを最初の目的地に選んだのだった。
「見てください! あちらが中央商店街ですわ」
広場には、見渡す限りの露天商。
あちこちから声が飛び交い、溢れんばかりの活気が伝わってくる。
広場を中心として、クモの巣状に細い路地が張り巡らされており、大規模な商店街を形成していた。
それぞれの通りでは、食材から工芸品、魔道具に至るまで様々な商品が並べられている。
「うぅ……人が多い所は疲れるよ……」
「そうですか? 活気をお裾分けされる感じがして、私は元気が湧いてきますけれど」
「それは羨ましい……。私の場合、ここにいる人たちが皆、違うことを考えながら、違う人生を送っていると思うとね……。あまりの情報量に脳がパンクしそうになっちゃう」
「それは……考えるのを止めたらいいのでは?」
「無理難題を言わないでよ。思考は脳の呼吸なんだから。止めたら私、死んじゃうって」
「…………初めて知りましたわ」
やはり、ユーリの生態は未知の謎に溢れている。
「カトリーヌは、前にもマケマトに来たことがあるの?」
「えぇ、何度かお父様に連れられて。お世話になっているお店があるのですが――」
長旅になる可能性もあることだし、備えておくに越したことはないだろう。
「少しだけ、立ち寄ってもよろしいですか?」
その隠れ家は、路地の奥まった場所にひっそりと建っていた。
古ぼけた看板には《魔法専門店 カーフ》と書かれている。その文字も雨風に曝されて掠れ気味だ。
「……この店、潰れてない?」
「ちょっと! 失礼ですわよ」
扉を開けると、カランと鈴の音が鳴り響いた。
店内に他の客の姿はない。棚には杖や魔導書、魔法石などが美しく陳列されている。
これ程の品揃えは、王国東部でも有数なのだとか。
高品質かつ高価格というモットーが、隠れた名店たる所以である。
少しして、店の奥から店主の御婦人が現れた。
「いらっしゃい……おや! フロストさんのところのカトリーヌじゃないの! 久しぶりねぇ」
「ご無沙汰しておりますわ、おばさま」
「こんなに大きくなって……。初めてウチに来た時は、まだ4歳とかだったでしょ。もうすっかりオトナのレディね」
「そんな! 恥ずかしいですから……」
両親に連れられて、このお店を訪れた記憶が蘇る。
物心がついて間もない頃に、ここで魔法の杖を買ってもらったのだ。
そう――あの時はまだ、お母様も一緒だった。
思い出の中の優しい微笑みが、胸の奥でじんわりと広がってゆく。
「隣のお嬢ちゃんは、どちら様?」
「付き人のアマノガワ ユーリですわ。こちらの方は店主のソニア様です」
「ど……どうも、初めまして。天野川遊理です」
「ソニアよ。ゆっくり見ていって頂戴ね」
「は、はい…………」
ソニアおばさまの大きな体から発せられる「圧」に、たじろぐユーリ。
「どう? フロストさんは元気にしてる?」
「それが……最近ちょっと寝込んでしまいまして。それで私がお使いに出ていますの」
「あら、そうなの!? 早く元気になるといいわねぇ……」
無用な心配を避けるため、呪いの件は伏せておくことにした。
それでも、「お父様は元気にしています」とは言えなくて。
……きっとユーリなら、顔色ひとつ変えずに嘘を吐いてみせるのだろう。
若干の心苦しさと情けなさを、唾に混ぜて飲み込んだ。
「今日は何が必要なのかしらん?」
「この杖の『調律』をお願いできますでしょうか」
私は懐から魔法の杖を取り出すと、カウンターの上に置いた。
先端に氷魔法石が組み込まれた、特注の氷属性魔法強化杖だ。
両親からプレゼントされた大切な宝物である。
「ほんとだ、少し濁りが出てるわね。任せてちょうだい。ちょっと待っていてね」
杖を受け取ったソニアおばさまは、奥の工房へと戻っていった。
隣で固まっているユーリを指でつついて、声をかける。
「お店の中、案内しましょうか?」
「せっかくだし……見ていこうかな」
まず目に入るのは、カウンター横の魔法石コーナーだ。
ガラスケースの中に、色とりどりの魔法石が飾られている。
小さいものから大きいものまで、様々なサイズの結晶が取り揃えられていた。
そこに添えられた値札を見て、ユーリが目を丸くする。
「この小さいヤツ、3000メルエスってことは……銀貨30枚で合ってるよね……?」
「えぇ、合っていますわよ」
「宿屋が一泊で銀貨3枚だったから……その10倍のお値段ってこと!?」
「そうなりますわね」
「じゃあこの大きいヤツは50万円相当……ハイエンドゲーミングPCが買えるお値段じゃん……!」
元いた世界の通貨で換算して、かなりのショックを受けたらしい。
聞き慣れない単語を呟いては身震いしている。
「魔法石の価値をご理解いただけたようで、良かったです」
「はい……もう二度と無駄遣いしません…………」
それから私たちは、お店の中を隅々まで見て回った。
魔術耐性の高い衣服や、儀式に用いる薬や植物の素材。手に入りにくい魔導書や、精巧に造られた魔動義肢など、選りすぐりの品揃えだ。
そして最後に辿り着いたのは、魔法の杖の陳列棚。
どれも一流の職人によって造られた、生涯使える一級品ばかりである。
ユーリはそれらを眺めながら、不思議そうに腕を組んだ。
「そもそも魔法の杖って、何のために使用するの? 杖を使わなくても、魔術は発動できるみたいだけど」
「いざ説明しようとすると難しいですわね。何か良い喩えは……」
しばし思考を巡らせてから、私は人差し指を立てた。
「魔法の杖は、ペンのような存在なのです」
「――ペン、と言いますと?」
「指にインクを付けても文字を書くことはできますが、綺麗な線を引くのは難しいでしょう? ペンを使えば、より精微でバランスの取れた文字を書けますよね」
「うん、それは仰る通り」
「それと同様に、我々魔術師は杖を介することで、より繊細かつ大胆に魔術を制御できるのですわ」
「繊細かつ大胆に――って、どういうこと?」
「まず、杖で狙いを定めることで、遠くの標的に対して命中率が向上します。さらに、魔術の強さや大きさを調整しやすくなるのです。これが繊細な制御に該当しますわね」
離れた位置をピンポイントで狙う場合、杖によって魔術の命中精度が10倍以上に跳ね上がる。
私にとっては、特に氷弾魔術を放つ際に欠かせない装備品なのだ。
「そして杖で射程が長くなる分、より広範囲に魔術を発動させることができます。これが『大胆』と表現した理由ですわ」
「なんとなく分かった……ような気がするよ」
「杖を使うメリットは、それだけではありませんの。実は先端部の魔法石の効果で、魔素を効率良く魔法に変換できますのよ」
ユーリが真剣に耳を傾けてくれるので、つい魔法の講義に熱が入ってしまう。
「魔法にも属性があると、魔力適性の説明時にお話しましたわね」
「うん、それは覚えてる。炎や水などの元素魔法に基づいた属性や、空間属性などの細かな分類があるって」
「それと同様に、魔法石にも属性が存在するのです」
棚に並ぶ魔法の杖は、それぞれ異なる色の魔法石が取り付けられていた。
「魔法石の属性は、魔素が結晶化する環境によって決まります。私の杖の氷魔法石は、雪山の冷気を吸って生まれたので、氷のように青白くて冷たいんですのよ」
「へぇ、それは暑い日に役立ちそうだね。首元に当てたら涼しそう」
……氷魔法石を氷のように扱うのは、はしたないと思うけれども。
「そしてその属性は、魔素から魔法への変換効率に影響しますの。例えば氷魔法石であれば、空気中や魔術師の体内にある魔素を、最低限の消費量で氷魔法として利用できますわ」
「なるほど。杖の魔法石と、行使する魔法の属性が一致していると、無駄が少なくてネンピがいいってことね」
ネンピ……また知らない言葉が出てきたが、納得はしてもらえたらしい。
「さらに魔法石は、魔素を効率的に魔法へと変換すると同時に、周囲の魔素を溜め込む器でもあるのです。魔法石内の魔素を消費しても、時間が経てば再利用できるようになりますの」
「ほえぇ……。触媒とバッテリーの役割を兼ねているのか……」
「ね? いかがです? 杖を使うと良いことづくめでしょう?」
「確かに、魔術師にとっては必需品になるワケだね。まあ……魔力適性のない私には無縁そうだけど」
残念そうに首を振るユーリ。
すかさず私は、小声でツッコミを入れる。
「その代わりとして、アレを預けていますのよ。魔道具なら、貴女でも扱えるのですから」
「魔道具というか……呪具でしょ、これ。護身用だとしても、あんまり使いたくないかも……」
そう呟いて、ユーリは懐に手を当てる。
お父様に呪いを刻んだ《魔素喰らい》の刃は、長い議論の末、ユーリが携帯することとなった。
攻撃手段のない彼女の方が、私よりも持ち歩くのに適任だと判断した結果である。
といっても出処からして、おいそれと人前で使える代物ではない。
他に打つ手がなくなった時のための、最後の切り札という位置づけだ。
その時、おばさまの大音声が店内に響き渡った。
「待たせちゃったわねぇ、二人とも! 杖の調律、完了したわよ」
早足にカウンターまで戻ると、おばさまは明かりの下で私の杖を掲げていた。
先端の氷魔法石がキラキラと輝いている。
「どうだい? 魔法石の曇りが取れて、綺麗になっただろう?」
「はい…………! 新品みたいにピカピカですわ」
隣のユーリが、私に小声で耳打ちをする。
「調律――って何のために行うものなの?」
「長く杖を使っていると、魔法石が濁って本来の力を発揮できなくなってきまいますの」
「そこでアタシら『調律師』の出番ってワケさ」
自慢気に微笑みかけるソニアおばさま。
ユーリは、それを受けてぎこちない愛想笑いを浮かべた。
「数年ごとに手入れしてやれば、魔素の巡りも元通りさ。ほら、カトリーヌ。持っておいき」
「ありがとうございます! あの、お代は――」
「特別サービスで、と言いたいところなんだけどねぇ……。最近ちょっと損を出しちまってね。銀貨4枚に負けとくよ」
ソニアおばさまの表情に陰りが出たのを、私は見逃さなかった。
隣のユーリも、同じく事件の匂いを感じ取ったらしい。
「何か、あったのですか?」
「それがねぇ……盗まれちゃったのよ、魔法石が。しかも犯人は、噂の透明盗人らしくて……」
「その話、詳しく聞かせていただけますか?」
ユーリは勢い良く、カウンターに身を乗り出していた。
その横顔がやけに眩しく見えて、私は目を細めた。