第23話 カトリーヌ嬢の憂鬱
アマノガワ ユーリとの出逢いは、まさに未知との遭遇だった。
ミステリアスな瞳に、憂いを湛えた陰のある目元。
左右非対称な黒髪と色白な肌によるモノトーンが、ある種の幽玄さを醸し出していて。
そんな知性を感じさせる佇まいに、私は正直、心を奪われていたように思う。
彼女が異世界からの廻生者という珍しい存在だったから――という理由だけではない。
探偵という在り方に、その生き様に、私は憧れたのだ。
…………そう。憧れた、はずだったのに。
その感情が、錯覚だったかもしれないと首を傾げながら。
私は、ベッドの上で丸くなっている「それ」に声をかけた。
「アマノガワ様、起きてくださいな! もうお昼になってしまいますわよ!」
――返事はない。ただの塊のようだ。
彼女は頭までスッポリと布団を被って、縮こまったまま微動だにしない。
冒険の旅に出て、3日目の正午前。
私、カトリーヌ・フロストは、宿屋の一室で大きな溜め息を吐いたのだった。
彼女と共に旅をする中で、いくつか分かったことがある。
このアマノガワ ユーリという女性は、私の見立てが正しければ、恐らく一般的な人間の生活様式に向いていない。
率直に言うなれば、だらしがない、生活力がない、気力がない、エトセトラ。
人並みの常識は持ち合わせているのに、それを実行するスタミナがないといった状態だ。
エネルギーを頭脳に全振りしているらしく、何も考えていない間は「省エネモード」に切り替わるのだとか。
探偵として謎解きに没頭している時の彼女とは、同一人物か疑わしいレベルで脱力系に変貌してしまう。
いったい前の世界では、どうやって暮らしていたのか見当もつかない。
きっと私の想像を越えた技術が、当たり前のように浸透しているのだろう。
……そう言えば確か「インターネット」というモノのお陰で、ほとんど家にいながら生活ができていたと、遠い目をして語っていたような。
その影響もあってか、彼女の体力不足は目に余るほどだ。
「昨日も外を歩いたのに、今日も直射日光を浴びなきゃいけないの……?」
そんなことをしたら溶けちゃうよぉ、とグニャグニャ駄々をこねる姿は、まるで噂に聞くスライムのようで。
日の当たらないダンジョンの中でしか生きられないという点も、どことなく似ている。
馬車を乗り継ぎながらの旅路でこの有り様なので、先が思いやられて仕方がない。
そんなワケで彼女の第一印象は、ものの3日で砕け散ってしまったのだ。それはもう、粉々に。
――この人なら信頼できる。この人についていこう。
そう心に決めた過去の自分を詰問したい気分だ。
頬を指で突きながら、何を根拠に判断したのか問いただしてやりたい。
それでも、ユーリ当人には悪意も打算もないことは分かっている。
異世界という文化のギャップ故の問題だから、余計に性質が悪い。
彼女の自由気儘な在り方を、私がとやかく言うものでもないなと、悟りの境地に入りつつあった。
……それにしても、まるで起きる気配がない。
「生きていますわよね……?」
窒息していたら大変だ。恐る恐る、布団を持ち上げてみる。
布の隙間からユーリの頭が現れた。
寝癖で髪が爆発して、大惨事になっている。
そして黒髪の隙間から見える、血の気の薄い肌とクマの濃い下まぶた。
寝息が聞こえてこなければ、永眠しているかのように見えるほどだ。
――なんて心臓に悪い女性なのか、とつくづく思う。
目覚めさせるにしても、少しばかり心の準備が必要だ。
しばらく私は、ユーリの寝顔を観察することにした。
「カナメ……もうちょっとだけ…………」
夢を観ているのか、彼女の口から私の知らない単語が飛び出した。
甘えるような、柔らかく弛んだ寝言。
普段の淡々とした彼女らしからぬ声音に、思わず胸が拍を強める。
カナメ。彼女は確かにそう呟いた。
人の名前なのだろう。性別は……分からない。
私達は、まだ出逢って3日の間柄だ。
向こうの世界の話について、きちんと聞くことができずにいる。
――その話題は、彼女の死の瞬間を避けては通れないから。
廻生者の多くは、志半ばにして命を落とした者なのだと、以前お父様が教えてくれたことがある。
確かに私の知る限りでも、廻生者は召喚された時点で、若者と呼べる年齢層の人がほとんどだ。
10歳若返っていることを加味しても、高齢の方が召喚されることは極々稀と聞いている。
要するに、老衰などで天寿を全うした者は、こちらの世界に来られないのだろう。
病気、事故、あるいは事件によって、不幸にも望まぬ死を経験した魂たち。
その後悔とも呼ぶべき強い想いが、巡り廻って再び肉体を得るための条件となる。
100人以上もの召喚を行った経験から、お父様はそんな仮説に辿り着いた。
そしてきっと、それはユーリにとっても例外ではない。
初めての共同捜査の前、彼女は「事件に巻き込まれやすい体質」なのだと明かしてくれた。
あの時のユーリの暗い表情が、まだ脳裏に強く焼き付いている。
想像を絶するほどに不条理な運命と、彼女は戦い続けてきたのだろう。
……だから私は、待つことに決めていた。
彼女が自分から話そうとするまで、私からは過去を詮索しないと。
それまではユーリが訊いてきた事柄について沢山話をしよう。
王国の歴史や魔術に関する知識、そして私という人間に至るまで、幅広く。
そして打ち解けて、少しでも心の距離を縮められたら――。
「どうしたら、もっと仲を深められるかしら……」
例えば、「ユーリ」と呼んでみるのはどうだろう?
彼女は私の付き人になったのだし、名前で呼ぶ方が自然だ。
あのタイミングで、呼び方を変えてよいか確認するべきだったと強く思う。
「……ユーリって呼んでも、よろしいでしょうか? なんて――」
心の呟きを声に出してみても、ユーリが起きる気配は全くない。
まぶたを閉じていると、いっそう睫毛が長く見えるな――なんて発見はさて置いて。
幸せそうな彼女の寝顔を眺めながら、私は思案を続ける。
ユーリの口から零れた、カナメという名前。
夢に出てくるような親しい間柄なのだろうか。
友人――いや、親友? もしかして恋人だったりして……。
自由律で無軌道な妄想が、頭の中で止めどなく立ち昇る。
その中身に何故だか心がチリチリと痛んで、そんな自分にギョッとした。
……いったい何を考えているの、カトリーヌ・フロスト?
余計な詮索はしないと決めた傍から、失礼極まりない憶測の暴走だ。
そんな雑念を振り払うように、私は思いっきり、ユーリの包まっている布団を引っぺがした。
温かな繭を失って、大きな赤子はゆっくりと目を開く。
私の顔を認識してから若干の間を置いて、彼女はバツが悪そうに愛想笑いを浮かべた。
「お……おはようございます、カトリーヌお嬢様…………」
「はい、こんにちは。よく眠れまして?」
「それはもう、ぐっすりと……。歩いた次の日はよく眠れるって本当なんだね」
「それは良かったですわね。これから毎日ずっと、深い眠りにつけますわよ」
「…………うぅ、ごめんなさい。メザマシドケイがないと朝弱くって……」
またしても聞き慣れない単語が出てきた。
恐らく、異世界に普及している高技術な時計の一種だろう。
「次また私が寝坊したら、その時は容赦なく蹴っ飛ばしてくれて構わないから!」
「それは流石に……お行儀が宜しくないですわね」
「ならユサユサで! 無限ユサユサでお願いします!」
「…………分かりました。時間通りに起こしますわね」
「ありがとうございます、お嬢様……!」
冷静に考えて、雇い主に起こされる付き人というのも前代未聞の職務怠慢だ。
それでも受け容れてしまう自分の甘さに、私はちょっぴり溜め息を吐く。
貴女がとても気持ちよさそうだったから、起こすに起こせなかったのだ――なんて。
そんな本音は、胸の内にしまっておくことにした。