第四幕 家出少女
玲暦二〇一一八年、薬の月十七日。今日は会議があるらしくて珍しく姉さんとのティータイムがなかった。それならといつもの木の下で日差しを避けながらマントにくるまってうたた寝をする。相変わらず夢見が悪いせいでずっと熟睡できていない。だからって週に一回必ずカモミールティーを出してくるのはいかがかと思うけど。別のハーブティーとかなかったの姉さん。
お昼寝でもいいから眠れないかな。ごろんと寝返りをうったその時、甲高い声をかけられてあたしの機嫌は地にまで落ちた。無視して木の上へジャンプして逃げた。子供の声なんかあったら寝れやしない。太い枝の上に陣取ってそっぽを向いてしまったあたしに相手はどうしようもなくなってしまったらしく、あー、とか、えー、とか言いながら踵をかえし走ってどこかへ行ってしまった。
あたしよりやや軽い足音が去っていく。よかったこれで少しは眠れる……と安心したのも束の間、先程よりも重い大人の足音がどたどたと聞こえてきた。
「ああ、いた。メア! 我が麗しの妹を知らないか!」
「麗し? ああ、姉さん?」
「そうだ、リリアナだ。会議の途中で怒って出て行ってしまったんだ。君は居場所を知らないか?」
「……それ知っててあたしが言うと思う?」
言うわけがない。ていうか呼び捨てにすんな。たとえ姉さんの身内であっても呼び捨てされる謂れはない。こいつは姉さんの兄、第一王子だ。成人しているため国政に関する会議への出席を許されている。まあ成人してるのは姉さんもだけど。成人してなくても王太子は参加してるけど。
で、だ。会議中に姉さんが怒って出ていく理由なんて一つしか思いつかない。降嫁先を勝手に決めたとか見合いを勝手に受けたとかそういった類のものだろう。そう指摘すると弱った顔をして肯定した。やっぱりね。姉さんは常々ただの王女として扱われることを嫌っている。宮廷魔道師団に入ろうかとか王太子と自分の兄を廃嫡して自分が王位についてやろうかなんて少々物騒なことも口にするくらいだ。宮廷魔道師団は結構いい考えだと思うし、姉さんが玉座に座るというのも山のようにあるという書類仕事が嫌じゃなければいいとは思う。だって王太子や第一王子より人気あるし。
さて姉さんの居場所を知らないかと言われたけど本当に知らない。どうやらキレて家出してしまったらしい。誰にも言わずに。いや、護衛しているヨリは場所をわかっているだろうけど。それに、大体想像はつく。
姉さんはかつて言った。「ただそこにいてくれればそれでいい」と。たしかにその言葉はその時だけはあたしを救った。だけどそれだけじゃ足りなかったんだ。だって未だにあたしはヨリに嫉妬している。常にそばにいることを許されている彼女を。認めてはいるよ? 自分を救った姉さんに報いたいと努力を、それこそ血の滲むような努力を重ねた彼女を。でもあたしはどうだった? 今でこそオルルへカートは自由に扱えるようになったけど、特に何もしてこなかった。姉さんに乞われるまま自由に、だけどそばにいた。あたし自身自由でいたいとしながらも常に姉さんのそばにいたい矛盾。だからあたしは姉さんの家出にすら付き合わせてもらえない。
ヨリだけじゃない。姉さんは血族を厭うけれど本当の意味で姉さんの妹になりたかった。血族に連なりたかったと思うことも何度あったかわからない。
だからあたしは嫌い。才のある者も、血縁も。姉さんの興味を引けるもの全て。それがたとえ好意でもそうでなくても。いいや、姉さんに好意を向けてくる街の人間も嫌い。美しく着飾る貴族も、姉さんから施しを受ける貧民も。嫌い嫌い嫌い嫌い。
誰も彼も、姉さんを取らないで。ねえ、リリアナ姉さん、どこにも行かないで。あたしだけ見て。ずっとそばにいてほしいって言ってくれたじゃない。そばにいてくれればそれでいいって。その言葉に甘んじたあたしがいけなかったの? 嫌だよ。はあ、とため息が出る。目には熱い雫が溜まっていた。
「メア? いや、知らないならいいんだ。手間を取らせ」
「本人に聞けばわかるじゃない」
そう言ってあたしはポシェットから羽の形のキーチェーンを取り出す。それに向かって起動句を唱える。これは嫌がらせ。あたしを置いていった姉さんへの八つ当たり。
「エリアルレイヴン、III、コール」
今頃向こうでは耳が痛くなる程のコール音が鳴っているだろう。さぞや驚いてるに違いない。後で怒られるかもしれない。
「Hello、どうしたの、メア」
「第一王子が慌てて探しにきたよ。どこ行ってるの、姉さん。……ああ別に言わなくてもいいや、当ててあげる。伯母さんのところ、メディカ女王国でしょ」
「わかってて通信してきたの? お兄様そこにいるんじゃない?」
「いるけど。姉さんがあたしを置いていくからじゃない」
「つい頭に血が上ってね。メアを呼ぶ余裕なかったのよ。ごめんね」
嘘だ、と思った。姉さんは短気だけど周りを見る余裕がない程いつまでも怒りを持続させない。瞬間着火瞬間消火するタイプだ。だからあたしを忘れることはない。ならばなぜあたしを置いていくのか。もしかしたらただ一人になりたかったのかもしれない。あるいはあたしに王族のどろどろした場面を見せないように気を使ったのかもしれない。どちらもありえる。あたしの知ってる姉さんは弱さを見せない。そして気配りのできる人でもある。
「お帰りはいつ?」
「明日には帰るわ。ごめんね、メア」
「わかった。そう言っとく。じゃあね」
「メア、ちょっとま」
────プツッ。
最後まで聞かずに通信を切った。なんとなくあたしも姉さんと話したくない気分だったから。
「明日には帰るって。わかったら一人にしてくれない?」
「あ、ああ。わかった。すまなかった」
あからさまに機嫌が悪いあたしを見て第一王子は去っていった。
そして。姉さんは次の日になっても帰ってこなかった。通信しても帰りたくないと言う。
さらに次の日。しびれを切らした第一王子と王太子があたしの元にやってきた。
「頼む。リリアナを迎えには行ってもらえないだろうか」
「姉君は我が王国にとって重要な方です。それがいつまでも家出など子供っぽいことをされては困るのですよ」
あ、こいつすごく嫌い。直感的にそう思った。本当に廃嫡させちゃえばいいんじゃないかと思う。姉さんの方がきっと王様には相応しいよ。思うだけで言わないけど。
「姉さんの意向を全無視しておいて何言ってんの」
「メア殿。リリアナ姉君は貴方の姉ではない。その呼び名は如何かと」
「……ちっ、るっさいな。それが頼む態度?」
機嫌を損ねたのがわかったのか、第一王子の方がなんと頭を下げてきた。ま、人にものを頼む時はそのくらいじゃないとね。
王族が、というのは珍しいかもしれないけど。その様子を見て王太子はあたしより更に不機嫌そうだ。イライラしているのが見てとれた。あー、だっさ。感情を隠す方法とか身につけたほうがいいよ。何があってもすました顔してなきゃ。やっぱこいつ王様に向いてないわ。まあその点はたまにキレる姉さんもだけど。
はぁーあ。大きなため息をついて芝生から起き上がる。こいつらの頼みを聞くのは癪だけどいつまでも姉さんと会えないのも寂しいしね。
「迎えに行くのはいいけど帰ってくるかは姉さんの機嫌次第だからね」
「わかっている。その説得も込みでお願いしたいのだ」
「あっそ。頑張ってはみるわ」
マントを羽織り直して王宮を出る。後ろでなんか兄弟喧嘩してたけどどうでもいい。知らない。どうせあたしの態度に対するなんちゃらでしょ。第一王子はまだ姉さんを心配する様子があったけど、王太子、あいつはだめだ。姉さんを政治のための道具にしか見てない。許さん。廃嫡云々より暗殺してしまおうか。ヨリと協力すればできる気がする。そうしたら姉さんが疑われるだろうか。第一王子くらいなら王太子になっても廃嫡させるくらい姉さんならできるだろう。だとすれば王位継承権が高い姉さんは容疑者たりえる。そんなところで姉さんに迷惑がかかってもいけない。弱味を握られてしまってはいけないのだ。じゃあだめか。ああ面倒くさい。姉さんの言葉じゃないけど本当に王宮という場所はどろどろしている。まるで本物の伏魔殿。怪物がたくさん住んでいる。
王都をふらりと歩いてミスティメイズの森へ向かう。面白いことに王国のどの領地へ向かうのにもこの森は通らなければならない。他の国へ行くのにもだ。王都をぐるりと囲んでいる森へ足を踏み入れる。
さく、さく、さく。草むらを踏んで上を向く。すーぅ。風の匂いを嗅ぐ。霧が深いけど匂いでわかる。メディカ女王国はこっちか。とん、と地面を蹴って思いっきり走る。姉さん、どうして帰りたくないのかな? 姉さん、どうしてあたしを置いていっちゃったの? そんな鬱々とした思いを吹っ切りたくて全力で走った。姉さんの馬に乗せてもらうのも気持ちいいけれど、あたしは自分で走る方が好き。こんな時、自分はやっぱり獣なんだなと感じる。たとえ人に近い姿をしていても。鼻がきく。耳がきく。ずっと速く長く走れる。姉さんと違っていて悲しく思うこともあれば、こういうところを気持ちいいと思うこともある。なんてわがままなんだろう。野生の獣は自由を好み飼い慣らせない。だけど姉さんになら飼い慣らされてもいいやと思ってしまう自分もいる。あたしの気持ちは……どっちなんだろう?
あ、痛った。なんでか木にぶつかったと思ったらよく見ればトレントだった。
「……機嫌悪い時に出会うとすっごくむかつくね、魔獣って。凍る?」
ひゅうう。ザザザザッ。冷気を手にともすとトレントは慌てて動いて道を開けた。嫌なら突っかかってくるなよ。ああ、本当にイラつく。自分で自分の気持ちがわからないって落ち着かない。すっきりするのに少し暴れたら良かったかな。ああ、やっぱり、あたしは────獣だ。自由を愛し、本能のままに。
ねえ、大好きだよ、姉さん。だからあたしに首輪をつけて飼い慣らして。あたし、姉さんのものにならなってもいいよ。ふふっ、なんてね。嘘。本当。やっぱり嘘。やっぱり本当。嘘。本当。嘘本当嘘本当嘘本当。さあ、自分でもわからないこの気持ち。アナタには、わかるかな?
走るのを止めてゆっくり歩く。姉さんを連れ帰ってほしいって言われたけど大急ぎなんて言われなかったし、このくらい、いいでしょ。
大体────もう国にはついた。メディカ女王国。善霊族達の国。姉さんと来たことがある。姉さんはどうせ王宮にいる。だって身内がそこにいるのだから。
ん……困ったな。あたしだけで入れてもらえるだろうか。まあいいや、行ってみよう。王宮は国の北にある湖の上にある。あたし的にはアゼント王国の王宮より美しいと思っている。だって水の上に浮いているなんて、よっぽどの水魔法の使い手じゃないと建てられない。
あちこちに水路がある美しい街並みを眺めながら歩く。お金を持っていれば近くまで舟に乗っても良かったけど生憎小銭も紙幣も持ち合わせていない。いつもはどこへ行っても姉さんが支払うから。水路に沿って北上していくと陽の光を反射する美しい湖が見えてきた。あれがペネロペ湖。そしてその上に優雅に浮かぶベネロンディ宮。さて、どうしよう。あの宮殿に行くにはあちら側から橋を架けてもらうか自分の水魔法で湖を渡るしかない。そして当然だけどあたしには水魔法は使えない。この湖の水は不凍なので自分で橋を架けることもできないしそんなことをしようとしたら警備兵がすっ飛んでくるだろう。というわけで大人しく門兵(?)に取り次ぎをお願いする。
「アゼント王国から来ました、メア・ラヴリーヌです。うちの姉さ、じゃなかった第一王女殿下が女王陛下とお会いされていると聞きましてお迎えに」
「ちょっと待て、王宮に問い合わせる」
兵士はすぐ通信魔法で連絡を取ってくれ、そしてそれが本当とわかるとすぐに宮殿側から虹色の橋が伸びてきた。うん、これ綺麗だよね。姉さんは自分で歩けるけれど、ちゃんと王女らしくしっかり取り次ぎをお願いしてこの橋を架けてもらっている(ただし帰りは自分で渡る。あくまで来た時だけ)。だからこの橋には見覚えがある。
橋を渡って扉を開くと大広間が見えた。様々な絵が飾ってあるが、一番目立つところに初代女王の肖像画が飾ってある。善霊族らしく朝日のような黄金の髪に空色の瞳。柔らかそうだけど重厚な白いドレス。重そう。動きにくくなかったのかな、とぼんやり絵を見ていると「メア!」と声が聞こえた。
「姉さん」
「連れ戻しにきたの?」
「説得も込みらしいから、まあそうだね」
「……帰りたくないわ」
「だろうね」
帰りたくないなんて言われることは予想していた。そうじゃなきゃとっくに帰ってきているはずだから。何かの折り合いがつかないから姉さんは帰らない。親とか兄弟ならそのくらいわかっても……いや、あの王太子じゃ無理だな。わかってもわかってて無視しそう。
とはいっても説得を込みでという言葉に了承してきた以上ちょっとは頑張らなきゃいけない。たとえ時間制限がないとはいえいつまでもここにいるわけにはいかないから。
「何か言われたの」
「お見合いを勝手に決められたわ」
「見合いなら会ってから断っても」
「宰相のご令息でも?」
……それはちょっと難しいから会う前に断りたい。そういえば嫁ぐよりも宮廷魔道師団に入りたいとか言ってなかったっけ。その案は却下されたのだろうか。
「王太子殿下が先陣を切って却下されたわ。陛下はどちらともとれない態度だったけれど」
よし、ちょっと一回くらい殴ってきてもいいかな。問題になりそうだけど。たとえ姉さんの異母弟であり王太子であっても。正直あたしには関係ない。だけどそうしないのは姉さんの名誉に傷がつくから。せめて廃嫡してくれたら遠慮なくぶっ飛ばせるんだけどな。
「伯母様に愚痴をこぼしたらどうにもならなくなったらこの国に嫁げばいいし、なんなら子供のいない自分の養子になってもいいとまで言ってもらって少しすっきりしたところだったの。この国に来ても王位継承権はないけれど、その辺の貴族のただのお飾り妻よりマシかなって」
「国同士の橋渡しを母娘でやるってこと?」
「そんな政治が絡みそうな言い方しないで。でもそういうことよ。この国の方が女性の人権は尊重されているわ」
「何があってもあたしもヨリも姉さんについていくよ」
「せやで」
わかっているけど突然影の中から声がするのは地味に不気味だ。たとえ覚えればいいと焚きつけたのが自分であっても。
「だからさ、帰ろ? 姉さんがいない王宮なんてつまんなさすぎて死ぬかと思ったよ」
「……そうね。でも、あと少しだけ。伯母様の好意に甘えさせて」
「うん」
玄関先でそんなことをしていたら女王陛下に見られてしまった。そして迎えに来たあたしに感心し使者として丁重にもてなし、正式に迎えには来ない王国に呆れ、本当にいつでも待ってるから来ればいいと言ってくれた。
そこから数日メディカ女王国に滞在してのんびりした。アゼント王国にいるとなんとなく気を張ってぴりぴりしてしまうから、こんな時間は本当に貴重。そうしていたら、姉さんに対する狂おしいくらいの執着も少し溶けていった。だけど、姉さんにはちょっとだけ怒りをぶつけて甘えた。
「ありがとう、伯母様。本当にどうにもならなくなったらこの国に来るわ」
「お世話になりました、女王陛下」
「姉さんをありがとうございました」
挨拶をして帰路につく。メアはもう少し行儀を教えるべきだったわね、と姉さんは笑っていた。それを学んだらあのクズ王太子ぶん殴ってもいい? と聞くと更にころころと笑っていた。
姉さんが家出して、実に一週間がたっていた。
王宮に戻ってから姉さんは王様に正式に抗議して、宮廷魔道師団に入るかメディカ女王国に行くか選べ、と迫った。
ところが、その答えが出る前に事件は起きてしまった。
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