第一幕 あたしの名前はメア
これは白昼夢というものか。それともただの記憶の反芻なのだろうか。
良かった人生も悪かった人生もある。でも、その過去の集大成とも呼べる死が血なまぐさい挙句それを思い出せないときたら実はいい人生なんてなかったんじゃないだろうか。
木の上でなんとなく物思いにふけるあたしを現実に引き戻したのは姉さんの声だった。
「メア。お茶の時間にしよう。降りておいで」
その声に反応して下を向く。一人の女性がこっちを心配そうに見ていた。
そう、あたしの名前は、メア。メア・ラヴリーヌ。
「わかった。降りるよ、姉さん」
姉さんとは呼ぶものの彼女とあたしに血縁関係はない。なにせ種族からして違っている。
海色の髪にシルバーの切れ長の瞳が美しい彼女はリリアナ・ツーベルク・ド・アゼンタイン。この国のお姫様だ。半分は善霊族の血を引いているので普通の人間に比べて少し耳が長い。
一方のあたしは頭から髪と同じ漆黒の三角の耳が突き出て、ふかふかの尻尾もある幻狼族だ。
ぶらん、と空中ブランコのように木からぶら下がっていると姉さんは嘆息して水球を作り当ててくる。攻撃じゃないのでごく優しく。
「その降り方は止めなさいって何回も言ってるじゃない。どうして学習しないかな……」
「冷たいんだけど……」
ぶら下がっていた木からぐるっと回って飛び降り体を震わせて水を弾き飛ばす。
「ああもう、ちょっと! 私にかけないで」
「姉さんの魔法やろ。自分のせいやん」
その場に三人目の声が聞こえる。どこからって? それは姉さんの影の中から。
「失礼ね。メアへの仕置きよ」
「それで払ったメアからの水被ってるんやろ? 自分のせいで間違いないやん」
姉さんの影がずるりと動いて三次元に膨らむ。その中から出てきたのは金の肌の背の高い女性だ。
彼女の名前はヨリ・イェルシー。姉さんの近衛騎士だ。騎士にしては口調が大分フランクだが姉さんが許しているので問題ない(ということになっている。実は不満に思っている人はいそう、というかいる)。ちなみに彼女も「姉さん」と呼ぶけどリリアナ姉さんより年上らしい。おそらく姉さんの三歳上だと思うけど、実年齢は知らない。というか不明。なぜかといえばヨリは孤児院出身だからだ。赤子の時に置き去りにされたらしい。ファミリーネームのイェルシーは孤児院の名前でそこの子供にはもれなく与えられる。
ヨリは影霊族の血がどこかで混じっているようで褐色の肌と銀髪が特徴的だ。訓練で綺麗についたしなやかな筋肉とすらっとした背の高さ、優しげな滅紫のタレ目は王都でも大人気でファンがたくさんいる。本人も愛想がとてもいいから姉さんの影から出て街を歩くとよく色んな物をもらっている。あたしもたまにおこぼれをもらっている。
「ヨリもお茶?」
「姉さんがいい言うたらよばれよ思てな」
「どうせ側にいるんだから危険もないでしょ。いいわよ。席は私の隣ね」
「よっしゃ」
というわけで三人でティータイム。今日のお茶はなーんだ?
「うげ」
「やあね、メアったら。お茶でもだめなの?」
「……いいけど。飲めるんだけど」
蜂蜜を入れたカモミールティーだった。姉さんがそれを選んだ理由は言わなくてもわかっている。このところあたしが寝不足で日中ぼんやりしていたり昼寝をしてはうなされて飛び起きたりしているからだろう。そ! れ! は! 重々承知しているけど、好き嫌いは別だよね。
インフュージョンより普通のお茶が良かった……とは今更言えない。あたしは花が嫌い。怖い。
まあなんなら甘ーいホットチョコレートがいい……と言いたいところだけど、そこまで言うとお子ちゃま! って馬鹿にされるから絶対言わない。
あたしの花嫌いを姉さんはよく知ってる。それでもこれを出すってことは余程あたしの寝不足を心配してのことだろう。
だから黙って飲むことにした。お茶菓子はあたしの好きなフィナンシェとクッキー。さくさく、もぐもぐ。バターの香りがふわりとする。いい匂い。
「何考えてたの?」
「……別に?」
「嘘」
一言で断じられてしまった。それも仕方ない。姉さんと付き合いだしてから……えっと……もう八年になる。
そのくらいがわからないほど姉さんは鈍くない。さっき木の上にいるところを見てなかっただけで、ヨリもそのくらいわかってるだろう。二人との付き合いは長い。姉さんなんて人生の半分は一緒にいる。二人はもうあたしの身内と言ってもいい。
お茶を飲む手が止まったのを見てか、姉さんが気づかってくれる。……そういえば仮にも国の王女がメイドもつけずにお茶会って変なの。無くなったり冷めたりしたらどうするんだろう。
「もう一杯くらい飲んどきなさい。相変わらず眠れてないんでしょ?」
さっきの予想は当たり。やっぱり寝不足のあたしがいるから今日のお茶はこれなのだ。ちなみにこのお茶の頻度は結構高い。基本あたしが寝不足気味だから。
「寝不足の原因はまたアレなん?」
「……そう。アレ」
「普通に聞いたらなんのこっちゃ思うけど、メアのはただの夢とかじゃ片付けられへんしな」
アレ。あたしの寝不足の原因。元々よく寝られる質ではないのだけど。
あたしには無数の記憶がある。……ちょっと訂正。あたしには無数の人生の記憶がある。何回生きて何回死んだのかわからない。共通しているのは、毎回誰かに殺されること。天寿を全うしていない。病気でも事故でも自殺でもない。必ず殺されている。だけどその辺を思い出そうとするとなぜか記憶がもやもやと霞がかったように思い出せなくなる。
眠る度にそんなものを見ていたら寝不足にもなる。ここ最近はフラッシュバックのように起きていても夢を見ている感覚にさえなる。
いつの頃からの記憶があるのか、あまりにも膨大な数の人生を見てしまってよくわからない。最古の記憶とか何年前なんだろう。どれが最古かわからないけれど。
「クマが酷いわ。可哀想に。代われるなら代わってあげたい」
「姉さんにこんなの代わらせたらそれこそ国を挙げてあたし殺されそうなんだけど」
なんせ姉さんは王位継承権第三位。貴族にも平民にも貧民にも優しく平等で覚えもめでたい人気の王女様なのだから。正直姉さんが玉座につけばいいと思うのはあたしだけじゃないと思う。
「出会った時は五日くらい死んだように眠っていたのにね」
「夢は表層意識。それより深く眠っていたら見ないよ。でもあの時は別の意味で魘されてたかも」
「別の意味ってなんなん?」
「姉さんに保護される前のこと思い出して」
「ああ、あの時ね。今も見つからないんでしょう?」
「うん」
☆☆☆
玲歴二〇一一〇年、その日も雨の月らしく小雨が降っていた。あたしと一つ年上の親友ノドカは幻狼族の里を抜け出してミスティメイズの森で剣の稽古をしていた。
「やっ」
「はっ」
子供の──成長した今もだけど──手には余る大剣。魔剣オルルヘカート。幻狼族の宝で、剣に選ばれた者だけが持つことができる。理由は知らない。だけどあたしは選ばれた。それなら選ばれた者なりに使えるように訓練しようと思うわけで。よくノドカを誘って森へ行き素振りをしていた。ノドカが持つのは訓練用の木剣だったけれど。
「十三、十四、十五……はぁっ。やっぱり十五回が限界ー」
「持てるだけすごいよ。うちもだけど選ばれない人が持とうとしても重すぎて持てないんだから」
「せっかく選ばれし者なら剣振れないと格好つかないじゃん」
「はは、まあね。だから頑張ってよ。じゃあ次は実戦。ほらっ」
ノドカは訓練用の木剣をもう一本投げてよこす。キャッチしたあたしはオルルヘカートを持っていた時のように構える。ノドカも同じように構えた。
「……せっ!」
「……んっ!」
カン、カン、カン。打ち合う軽い音が響く。どちらかが剣を落としたり弾かれるまで打ち合いは続く。はずだった。
今日に限ってイレギュラーなことが起きた。
「なっ、魔族……!?」
「っ! メア、逃げて!」
「でも! 置いてなんて行けないよ!」
「うちは大丈夫だから」
「ノドカ何も持ってないじゃない!」
「魔法でなんとかするよ」
嘘だ。ノドカもあたしも魔法の技術は同じくらい。つまりは未熟。しかも目に見えてる魔族はおそらく高位。絶対適うはずがない。
どうしよう。ノドカが、あたしの大事な友達が殺されてしまう。
その躊躇いと焦りがあたしの判断を狂わせた。
「このぉっ!」
逃げずにまともに振れないオルルへカートで斬りかかったのだ。
そんなへろへろな刃が届くはずもなく、あたしは思い切りぶん殴られた。頭を強く打ってぐらぐらしながらもなんとか起き上がろうとする。だけど力が入らない。霞む視界に最後に映ったのは、何かの魔法で茨で縛られているノドカの姿だった。
☆☆☆
「私が見つけたのは、その後だったわね。気を失ってからも頑張って歩いたみたいで体中傷だらけだったけれど」
「氷原に助けを求めに行こうとしたのか、あるいは追いかけようとしたのか。全然違う場所で見つけられたしね。方向感覚おかしかったんだと思う」
私がメアを見つけたのは十歳の時。その時の課題が煮詰まってて気分転換に森に乗馬をしに行っていた。私の愛馬は聖獣ユニコーン。純白の毛並みにアクアマリンの角の可愛い子。名前はアルネ。
アルネがやけに騒ぐからそっちに行ったらぼろぼろで倒れてる女の子を見つけたの。駆け寄って生きてるかどうか確認したら呼吸をしているのがわかってほっとしたわ。だけどあまりにも弱々しいからとにかく応急処置だけでもと思って魔法を使ったの。私の水魔法は相性がいいのか少しだけ顔色が良くなったからそのままアルネに乗せて一緒に王宮へ帰って保護することに決めたわ。
幻狼族だって気づいたのはその時よ。お恥ずかしながら、抱え起こした時には三角の耳に気がつかなかったのよ。アルネに乗せる時に尻尾まで見えて始めてわかったの。私も動揺してたのね。
とにかく王宮へ連れ帰って宮廷魔道師へすぐ回復魔法を頼んだわ。でもどうにも効きが悪くて……結局私の応急処置に毛が生えた程度の治療にしかならなくて寝かせておくしかなかったわ。何かあったらすぐ知らせるよう侍従を部屋に置いて、私は心配だったけど普段の生活に戻るしかなかった。
☆☆☆
「目が覚めたらふかふかの豪華なベッドで驚いたよ。体中痛くて寝返りもうてなかったけど」
「目を覚ましたと聞いてはしたないと言われても走って部屋に行ったわ」
「それはもう大変心配をおかけしまして」
あたしより少し年上に見えるその人は、とても美しかった。よく見ると耳が長かったからこの人は善霊族でここはメディカ女王国だと思った。でも実際はアゼント王国──人間の国で、その人も人間と善霊族の合の子だと聞いた。それを聞いて少し警戒した。幻狼族はあまり人間と交流がない。馴染みがない人間はちょっと怖い。
「体は平気?」
「なんとか……あの、あなたは」
「私? アゼント王国第一王女、リリアナ・ツーベルク・ド・アゼンタインよ。森でぼろぼろになっていたあなたを見つけて保護したの」
「……ありがとう、ございます」
ハーフとはいえこの人は人間、しかも王族。簡単に気を許してはいけない。そう思って、いたのだけれど。
王女様は事情を詳しくは聞いてこなかった。あたしから話すのを待っていたのかもしれない。
その代わりに他愛もない話をたくさんした。たくさん、たくさん。それで一日がすぎた。ご飯も出してくれて。それで「また明日ね」と部屋から出て行った。
……変わった人だと思った。
次の日も朝食を食べ終わるとリリアナが来た。昨日気づいたことをリリアナに聞いてみた。
あたし、武器を持っていませんでしたか? と。
そうしたら彼女は答えてくれた。錆びたナイフを持っていたけれど、あれは大事な物? って。
オルルへカートは所有者の意思の力で本来の大剣の姿を現す。錆びたナイフというのは間違っていない。だから大事な物だと答えた。もしあるのなら返してほしい、とも。
錆びたナイフじゃまともな武器にはならないだろうと思われたのか、その要求は割とすんなり通った。
手元に戻ってきたナイフを胸にぎゅうっと押しつけるように抱く。
「余程大切な物なのね」
「幻狼族の……宝、だから」
「そう」
気にはしていても素っ気ないフリをしてくれる優しさが嬉しかった。
ノドカのことも聞いてみたけど、ぼろぼろだったあたしを連れ帰るので手一杯でほとんど見ていなかった、だけどすぐ近くにはいなかったと言われた。
ノドカは……どこに行ったんだろう。すぐ殺されてしまったんだろうか。それとも生きては、いるのだろうか。
生死もわからないというのはこんなにも不安。それでも里に報告だけでもしなければ、と思いリリアナに帰りたい、と言った。
「いいわよ。送って行ってあげる。終わったら私とここへ帰ってきましょ」
「……は?」
送ってもらえるのは嬉しい。けど、ここへ帰ってくる理由は何?
「私ね、あなたのこと気に入ったの。だからそばにいてちょうだい」
その言葉がストレートすぎて笑ってしまった。里にいて気まずい思いをするよりいいかもしれない。それに、なんかこの人、好きだ。そう思ったら自然と口から言葉が溢れてきた。
「いいよ。姉さん」
この時からだ。リリアナを「姉さん」と呼び始めたのは。彼女もあたしを妹のように扱った。甘やかして、時には嗜めて。そこいらの姉妹よりよっぽど姉妹らしいと思っている。王宮内のドロドロした関係を見てからは尚更。
この国の王様には十人の妻がいる。皇后陛下、第一〜第四までの皇妃殿下。五人の側室。皇后陛下の息子が王太子、姉さんのお母さんは第一皇妃殿下で第一王子も産んでいる。ちなみに王太子は第二王子である。王位継承権は第一位が王太子、それから後ろに生まれた順に続くため姉さんが第三位となっている。腹違いであれば同じ年齢の妹もいたりして姉さんは複雑そうだ。ちなみに子供は十九人いる。一番下はまだ生後五ヶ月。さすがにちょっと作りすぎな気がする。王族ってそういうものなんだろうか?
閑話休題。そんなわけで姉さんの愛馬で幻狼族の里────ハガリニッド氷原まで送ってもらったあたしはノドカの失踪を報告。あたしの無事は喜ばれたけれどそれ以上に驚愕の報せを聞いた。
幻狼族の宝────魔剣オルルへカートと対になる魔剣ティアハーディスが紛失したというのだ。ティアハーディスもオルルへカートと同様剣に選ばれた者しか持てない以上選ばれた誰かが持ち去ったことは確定。
もし里に帰る気がないのであれば、ティアハーディスを探してほしいとのことだった。もちろん了承。ティアハーディスは割とどうでもいいけどノドカを探したい。言ったら雷が落ちるからお口にチャックしたけど。
というわけで今現在あたしは王宮に居候している。ノドカを探したいのはやまやまだったけど、剣も振れない子供じゃ無理だし何より姉さんが離してくれなかった。気に入ったというのは本当だったらしい。まあ食べ物は美味しいし、自由を謳歌するにはまあまあの場所だ。花壇や温室にさえ近寄らなければ、だけど。
「あの木も花は咲くのよ?」
「何年かに一回でしょ。そしてあたしは蕾も見たことない。だから気にしない」
「私が生まれた日には満開だったって乳母に聞いたけどね」
先程までくつろいでいた木には実は花が咲くらしい。冬に銀色の小ぶりな花を。姉さんが生まれた日────星の月二十五日には満開だったらしいけど、あいにくそれから咲いていないらしく姉さんも花は見たことがないらしい。そうなればただの大木。ぼーっとするにはちょうどいい木ってわけ。
「でも花が咲いたところ見てみたいんだから大切にしてよね」
「はいはい」
「はいは一回」
デコピンをくらってしまった。
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