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序幕 記憶或いは眠れない夜の悪夢

「ぎっ、が……!」


なんでよ。異世界転生したら能力チートがお約束でしょう……!

前世の記憶? 覚えてるわ。死んじゃってこの世界に転生して、貴族の庶子として程々の人生と綺麗な顔を楽しんだ後、楽しそうだからって冒険者になって。初級だけど魔法も使えるようになったところだったのに。

どうして私は──右腕を引きちぎられているの。

あああああ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイ!!!!!!!


「うあああああああああ!!!!」


こんな可愛くもない悲鳴上げちゃって。私の人生ってなんだったの。


「いい声で鳴くねぇ。怖がらせるところからもっとゆっくり楽しめば良かったかな」


目の前にいるやつが言う。見た目こそ普通の人間だけど絶対に人間じゃありえない。だって人間にはこんな立派な角は生えていない……! 翼だってない……!


「あく、ま……」

「魔族って呼んでほしいなぁ。ま、ショック死も失血死しないでまだ生きてるだけすごいからもう少し遊ばせてもらっちゃおうかな」

「ひっ」

「そらよ」


ぞぶっ。魔族の手がお腹を突き破り内臓を引きずり出す。お腹の中で魔族の手がくちゅくちゅ鳴っている。今度はもう悲鳴にもならなかった。口の中は血でいっぱいだったから声が出なかった。ごぶっと血を吐き出す。


「────!!」

「いいねいいね、その表情。どこまで耐えられるんだ?」


表情? 痛みと恐怖と憎悪でいっぱいのこの顔のどこがいいっての?


「~~~~~~~~~!!!」

陵辱し(あそび)終わったらお前の体は綺麗(きれー)な白い花の苗床にしてやるよ。女の子は花が好きなんだろー?」


なんて優しい俺様ーとか悦に入ってて気持ち悪いけど、お生憎様、私は花は嫌い。白い花なんて最悪。ていうかこいつチャラい。

こんな終わりってない。希望を少しは持って生まれたのに、こんなやつの玩具にされて生涯を終えることになるなんて。酷い。神様。私が何をしたっていうの?

涙を流し、いるかもわからない神様への恨み言で頭の中をいっぱいにして、愉しそうな魔族の哄笑を聞いていたらずん、と衝撃が心臓に走った。誰か、誰かが────私の心臓へ短剣を投げつけていた。ああ、これが慈悲の剣(ミセリコルデ)か。私を魔族に凌辱されて殺されるのから救ってくれた。誰だか知らないけれど、あり、がとう……そこで私の意識はブラックアウトした。


こいつ、なのかな……?



☆☆☆



──よくできた蝋人形みたいだな。


棺に横たわる女性を見ながら私は思っていた。

閉じられた瞳。紙のように真っ白で固くなった肌。着せられた白衣。胸の前で組まれた手。

人形と違うのはその首元に青黒くついた両の手の跡。多分首を絞められたんだろう。覚えていないけど。

他人の遺体を見ているなら当然死んだ時のことを覚えているはずはない。私が見ているのは私の亡骸。

そう、今私は幽霊というものになっているようだった。

自分の手を見る。透けている。人からは見えないだろう。

ここに鏡はないけれど映るだろうか。自分に存在感を感じるから合わせ鏡とかしなくても映りそうな気がする。


『殺されちゃったんだなぁ……』


家族や友人のすすり泣く声を聞き、線香の香りや煙に少しむせながら一生懸命記憶を辿る。物に触ることができるなら自分に線香立ててみたくなった。

たしか自分の部屋で彼氏とおしゃべりしていたはず。喧嘩も……たしか、していなかったはず。だけど私はそこで横たわっていて、気づいたらこの姿。だからきっと私を殺したのはその彼氏なんだろう。参列者にいないし。すぐ事件が発覚して逮捕されたんだ。

たしか、多分、はず、だろう。確定しない言葉。記憶が曖昧なのは必ずといっていい程記憶にノイズがかかるから。


そうこうしていたら葬式が始まった。読経が聞こえてすすり泣く声も湿っぽい雰囲気もぼーっとしている間に増していた。

釋尼縁明(しゃくにえんみょう)。私の新しい名前。ちなみに名前をもらっても何もめでたくはない。だって浄土に行くわけでもなければこのまま現世を彷徨うわけでもない。どうせどこかの誰かに生まれ変わるだけだから。お坊さんが名前の由来を話してくれてるけど軽やかに耳を滑っていく。だってもうどうでもいいし。

新しく生まれ変わったその時はまあ、めでたいのかもしれないけど。だから泣かないで。この私はここで終わるけど、もしよければ覚えていてくれたらそれでいいから。覚えているのが辛いなら忘れてもいいから。


棺が閉じられる前に献花される。花は嫌い。自分の死を嫌でもわからされるものだから。…………本当にそうだったっけ? いつから嫌いになったかって聞かれたらもうずっとずっと前から。

一年や二年じゃない。十年でもない。もしかしたら今の私として生まれた時からだったかもしれない。

だから止めて。私を花で埋め尽くさないで。嫌だ。怖い。

……怖い? なんで嫌いなだけじゃなくて花に恐怖心を持つようになったんだっけ? わからない。


『止めて、止めて……! 嫌なんだってば!』


私の声は誰にも聞こえない。止めようと伸ばした手もすり抜けて何も触れない。

そこで気づいた。さっきまで残っていた自分の存在感が急速に薄れていく。ああ、この私が本当に終わってしまうんだ。視界が暗くなっていき意識が遠のく。

さようなら、今の私。次はどうなるのかな。できるだけ幸せに。できるだけ、痛くも苦しくもなく。

そう願ったところでノイズが走りぷつっと意識が途切れた。



☆☆☆



赤い回転灯が幾つも辺りを照らして立ち入り禁止のテープで囲われた領域の外からざわつく野次馬がもう視えない視界の端を横切った。そのざわつきはわたしの耳を通り抜けて聞こえているのに聴こえていなかった。ブルーシートをかけられる。青くなったね。


「やっぱりあそこのご家族……」

「奥さんすっかり変わってしまったわね……」

「お兄ちゃんがいただろう。大丈夫なのか……」


痛くも苦しくもないといいな、と思ったのは何回目だっただろうか。

今回はすごく痛い記憶があった。何かあれば殴られて蹴られて。煙草を押しつけられたこともある。わたしの体は青あざや火傷だらけ。

気分でご飯抜きなんて当たり前。寒空の下ベランダに放り出されて一晩震えていたこともある。児童相談所の職員が訪ねて来たことは両手で数えられるくらいだったと思う。それ以上は数えていなかったからもっとあったのかもしれなかったけど。

死んじゃったお父さんによく似たお兄ちゃんをお母さんは溺愛していた。お父さんにもお母さんにも似ていないわたしは愛されなかった。ただそれだけ。


お父さんが死んでからお母さんは色んな男の人を取っかえ引っ変えして頻繁に家に連れ込むようになった。だからお兄ちゃんも人によってはたまに殴られていた。ううん、お母さんも殴られていた。狭い家からは怒声がよく響いていた。部屋にはお酒の缶が散らばっていた。


痛くて痛くて怖かった。力が欲しいなんて思えない程の幼さだったわたしは、ひたすら震えて時が過ぎ去るのを待つしかなかった。

誰も助けてくれない。お兄ちゃんは気にしてくれていたけれど、お兄ちゃんだって子供だ。やっぱり、無力なのだ。だって大人のはずの児童相談所の職員だってわたしを助けられずに今こうして無様な屍を晒している。


お巡りさんが来てちらりとブルーシートをめくってわたしを見ると、そっとかけ直して手を合わせた。


「可哀想に……」


可哀想。可哀想かわたしは。そっか。そうだよね、可愛くなかったんだから、愛されなかったんだから仕方ないよね。それともそういう意味じゃない? 若く、を通り越して幼くして死んだわたしへの手向け?

あれ、そういえばどうして死んだんだっけ。誰に殺されたの?

お母さん? それとも誰か男の人? まさかとは思うけどお兄ちゃん? 首が折れて頭が陥没している気がするからベランダから落ちたんだろう。でもあのベランダはわたし一人じゃ乗り越えられない。持ち上げて落とした人がいるはず。誰だろう、ねぇ、誰だろう。このお巡りさんは逮捕してくれるだろうか。その人は裁かれてくれるのだろうか。

おそらく現場検証が終わって、わたしはその場から運び出される。首ががくんと傾き、地面についた血の痕が見える。この痕ってちゃんと消えるんだろうか。


ああ、そうだ。わたしへのお供えに、花は止めてほしい。子供なんだから、おもちゃでもお菓子でもジュースでも、何でもあるでしょ? でも事故とかじゃないからお供えはないかなぁ。それもちょっとだけ寂しいなぁ。

じゃあお墓にしよう。絶対にお花持ってくるところ。お花以外がいいな。甘いお菓子とかジュースがいい。

本当に本当に花だけは止めてほしい。嫌なの。怖いの。美しければ美しいほど恐怖を覚える。

だから、止めて、ね……


(──ノイズが走る)



☆☆☆



はっと気づけば壁に縫い留められていた。剣は心臓を真っ直ぐに貫いている。垂れ下がった手から、地面から数センチ浮いたつま先から、少しずつ塵になっていく。

何があった? そもそも私は誰? あなたも誰? なぜ剣で貫かれなければならなくて、身体は朽ちるでもなくゆっくりと塵に変わっていくのか? 私を貫く剣に血が伝って滴り落ちる。真っ赤なそれは地面に落ちたそばから黒い塵になって消えていく。

私を貫いた相手は立ち去るでもなく私をじっと見ている。気配でわかった。

よくわからないけれど、この剣には相手を滅する力があるみたいだ。聖なる物か魔に属する物かは判別できないけれど。だから私が消え去るのを待っているのだろう。


「ぁ……」


ほんの少しだけ声が出た。それが最後。もう声は出ない。腕は肘近くまで消滅していた。足も……感覚がないから多分すねくらいまで。

声を出した拍子に口の中に血が溢れて鉄の味がして金臭い。溢れて地面に落ちるそれも塵に変わる。

記憶のノイズが酷くて自分のこともわからない。たった一つだけ思い出せることがあった。辛い時のおまじない。出ない声で必死に脳内再生する。


『ハヤス・サノイン・カイゼ・リクシ・ヴィータ』

九重(ここのえ)の禍津日星の愛し仔よ、目覚め女神の祝福を)


こんな意味だった気がする。誰から教えてもらったのかは思い出せなかったけど、もう消え去りかけていた自我が少しだけはっきりした。それなら本当の本当に最期の足掻きとして私を殺す相手を見てやろうと思った。

少しずつ少しずつ顔を上げていく。視界がぼやけるがそんなことは知ったことではない。口から血が滴る。気にしない。見てやる。見てやるんだ……

やっと相手の顎先が見えた辺りですっと体の力が抜ける。もう時間がない。だめ、もう少しだから。懸命に力を振り絞って、顔を上げきる。

だけどもう月明かりで逆光の相手の顔を判別することはできないほど私の視界は暗くなっていて。一つだけ見えたのは、暗闇に光る一対の桃色の瞳。冷たくも温かくでもなく淡々としていて、それでいて笑っていた。世界が固まる。そこで意識が止まった。固まった世界の外から、白い花が投げ入れられた。手向けのつもりか。なぜか悔しくなった。


(──荒れた強いノイズ。世界から色が消える)


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