神の子
天地創造。Am Anfang schuf Gott Himmel und Erde.
原初の時、神は天と地を創造した。
神は言われた。
「光在れ」
かくして光があった。
神は光と闇を分けよしとされた。
神によって創造されし世界エーリュシオン(Eelysion)は美しかった。
見よ、乙女が身ごもって「男の子」を産む。
その子はインマヌエルと呼ばれる。
神よ、とこしえに共に在らんことを。
ディオドラ(Diodora)はザンクト・エリザベータ(Sankt Elisabetha)修道院に所属する修道女だった。
彼女は10歳から修道院で生活していた。
ザンクト・エリザベータ修道院はシベリウス教系の修道院である。
当時のディオドラは15歳だった。
シベリウス教とは預言者シベリウスによって創始された宗教で、天地万物の創造者、唯一にして父なる神を信仰する宗教である。
このシベリウス教はシベリア人の民族宗教だったが、ツヴェーデンにも宣教され、ツヴェーデン全土に広がり、多数派の信仰になった。
シベリウス教は光=善と闇=悪との闘争を説く。
神は光、悪魔は闇に属し、人は光にも闇にもなることができる。
ただし、人は神と共に光の側に立ち、闇と戦う義務がある。
その日は急な雷雨が起こった。
土砂降りの雨が降り注いだ。
修道女ディオドラは洗濯物をしまいに、外に出た。
外は激しい雷が起こっていた。
「大変、すぐに洗濯物をしまわないと!」
ディオドラは濡れた洗濯物をかごに入れた。
その時であった。
天が光った。
ディオドラに一つの雷が直撃したのだ。
ディオドラは雷の直撃で倒れた。
その体を雨が濡らしていく。
ディオドラの異常にほかの修道女たちも気づいた。
三人の修道女がディオドラを修道院の建物に運び込んだ。
その日、ディオドラは目を覚まさなかった。
ディオドラは眠り込んでいた。
その日の夜、ディオドラは夢を見た。
それは普通の夢ではなかった。
それは幻視だった。
幻視とはビジョンである。
ディオドラは自分が夢の中にいるとわかった。
「Ave,Diodora.おめでとう、祝福されし人」
ディオドラの前に女の天使がいた。
「あなたは誰ですか?」
「私は大天使レミエル(Remiel)。七大天使の一人です」
「私の何が祝福なのですか?」
「あなたは神の子を身ごもりました」
「どうしてそんなことがありましょう? 私は一人の修道女です」
つまり男性と関係は持ったことはないということだ。
ディオドラは15歳にしては豊かな胸、引き締まったウエスト、油のあるヒップをしていた。
修道女でなければ男が放っておかなかっただろう。
彼女は整った顔つきをしていた。
「神の子とは雷の息子――そして英雄です。あなたは選ばれたのです。不滅の名誉を成し遂げる英雄の母に。あなたのおなかに宿ったのは神の力を受け継ぐ男の子です。神はあなたの信仰をご存じです。そしてその男の子はエーリュシオンの希望、未来となり、光の輝きで全世界を照らすでしょう。ゆえに、おめでとう、幸いなる方。これは幻視です。夢を通して神のメッセージを私は伝えているのです。あなたと同じ夢を、あなたの兄アンシャル(Anschar)も見ています。彼はすぐにこの修道院にやってくるでしょう。あなたがたはほかの人とは異なる人生を歩まねばなりません。不滅の英雄の父、そして母として神の子を育てるのです。多くの人にこの事実を話してはなりません。一笑にふされるだけでしょう。多くの人たちはあなたを信じず、生まれてくる子供を「マムゼル(私生児)」とか「ディオドラの息子」などと言うでしょう。人の中には兄と妹の近親相姦によって子供ができたと思う者もいるでしょう。それでもあなたがたは耐えねばなりません。神はあなたがたに不滅の英雄の父にして母となることを望んでいるのです。神は常にあなたがたとともにいらっしゃいます。ほほえみのある時も、侮辱されているときも、神はあなたがたと共に在ることを忘れてはなりません。それではディオドラ、ごきげんよう。神の祝福が、あなたがたと共にありますように」
そう言うと、レミエルは去っていった。
ディオドラは目を覚ました。
ディオドラはさきほど見た夢を思い出した。
自分が神の子を身ごもっったことが信じられなかった。
自分のおなかに子供が宿ったことを。
ディオドラは妊娠を隠して、エリザベータ修道院にいたが、やがてそれもばれてしまった。
その場にはアンシャルもいた。
アンシャルは長い金髪に、碧眼、白いコートを着ていた。
ディオドラも長い髪を三つ編みにして、左右にもみあげを垂らしていた。
瞳は碧眼だった。
「クレメンティア(Klementia)修道院長、ディオドラの追放は待ってはもらえないだろうか?」
「……ブルーダー・アンシャル……あなたの姉妹は不義密通を働いたのです。ディオドラには修道院にとどまる資格はありません」
クレメンティア修道院長が答えた。
彼女はディオドラに侮蔑の目を向けた。
クレメンティアから見ると、ディオドラは売女、けがらわしい女にすぎなかった。
「せめて子供の誕生まで待ってもらえないか? 頼む、この通りだ」
アンシャルは頭を下げた。
「わかりませんね……ディオドラだけでなくあなたまでが、誇り高いあなたが頭を下げるなんて……いったいどうしてです?」
「それは言えない……言うことは禁止されている。ただ、ディオドラが身ごもった子供は聖なる子供だということだ」
「聖なる子供?」
クレメンティアはますます理解できないというような顔をした。
「ブルーダー・アンシャルからは多額の寄付を受けています。そのあなたの願いですから、ディオドラの出産まで追放は待ちましょう。ですが、譲歩できるのはここまでです。子供の誕生と同時にあなたがたを追放します。そして当修道院に二度とディオドラは入れません。以上です」
アンシャルはディオドラのもとに行った。
ディオドラは一人で部屋にいた。
「入っていいか、ディオドラ?」
「兄さん? いいわ、入って」
アンシャルが沈んだ顔で部屋に入ってきた。
「それでクレメンティア修道院長はどうだったの?」
「ああ、子供の誕生まで私たちの滞在許可が下りた。私はそれまでに借りられる部屋を探しておく」
「でも、兄さんは学業が……大学はどうするの?」
「大学は中退するしかない」
「そんな!? 兄さんがツヴェーデン大学に入りたかったことを、私は知っているのよ!?」
「その通りだ。だが神の子を育てること――それが最優先だ。だから私は大学をやめる。仕事は傭兵になるしかないだろう。なあに、今だけの辛抱だ。いずれ生まれてくる子供のことをわかってくれる人もきっと出てくるさ」
今ディオドラに近づく修道女はいない。
「うつる」から近づくな、と言われているらしい。
まるでバイキン扱いだった。
けがらわしいという思いが透けて見えた。
ディオドラは一人、部屋の中でよく泣いた。
しかし、おなかの子供の名誉だけは守るつもりだった。
ディオドラはレミエルの言葉を、神からのメッセージを信じていた。
やがて時が満ちた。
ディオドラは一人の男の子を出産した。
生まれた子供はセリオン(Selion)と名付けられた。
出産にはアンシャルが立ち会った。
アンシャルは「青き意思」という意味を込めて、「セリオン」と名付けた。
ディオドラは慈母だった。
子供が生まれると、ディオドラはザンクト・エリザベータ修道院から放逐された。
アンシャルは父として、母子を守った。
セリオンはディオドラの愛を一身に受けて育った。