婚約破棄は必須イベント
身に覚えのない罪状が次々と挙げられる。平民出身だからといって、メイジーがライラを蔑むことなどないというのに。
「異論はないな?」
アーロン殿下は、婚約者メイジーの刑を宣言すると、せせら笑った。修道院行きでも、監獄行きでもない。極刑。
「何一つ事実がございません」
「馬鹿なことを言うな。全てお前の所業となっている」
周囲から見て二人の交際は穏やかに進んでいた。玉座に深く腰掛けた陛下は、続く応酬を手に顎を乗せ一頻り眺めている。周囲が気を揉んでいると、アーロン殿下の背後が光った。目が眩む。突如出来た光柱から、僅かに声が聞こえる。
「間に合った!」
「間に合ってないでしょ? この空気がわからないの?」
次第に薄くなる光から現れたのは、長身で儚げな容貌に滲み出る魔力を纏った男と、強気な口調からは想像のつかない柔らかな雰囲気の少女。
「ライラ……なんでここに」
実在しない被害を被った本人に知られるわけにはいかない。素直で天真爛漫な彼女が気付けば、黙っていないだろう。戸惑うアーロン殿下を尻目に、騎士はすぐさま臨戦態勢に入った。見知らぬ男の構えは、魔術だけでないとみた。
「遅れました。すみません」
振り向いたときには遅い。警戒していた男に、よく似た男がメイジーを抱き上げていた。目尻を下げ平謝りしている姿とは裏腹に、桁違いの魔力は怒気を帯びている。
「お前はっ、お前たちは何者だ!」
反射的に怒鳴ったアーロンを庇うように騎士が前に出る。息子の余裕のなさに、陛下が立ち上がった。
「貴殿らは、どうしてこちらへ」
「メイジーに何の用ですか」
平然と対応する陛下に、アーロンは不満を覚える。あと少しでメイジーを排除し、ライラの手を取れていたのにと、苛立ちが積もっていく。
「父上! 侵入者です! 早くこの者たちを、ひぇっ」
一本の矢がアーロンの鼻先を掠めると、壁に黒い羽が刺さる。
「大馬鹿者。 全くお前というものは」
「構いません。私としては、先に仕掛けてくださったほうが有難いくらいです」
腰が抜け床に座り込むアーロン殿下に誰も手を貸さないまま、話は進む。
「つまり。二人の婚約は幼少期に大人が決めたものだが、本人たちの意思を確認し、尊重しようという話になったと」
どういう風の吹き回しだろうね、と男が見渡せば、その場が凍りついた。黙って抱かれていたメイジーが、ちょいちょいと男の襟元を引っ張る。
「私は結婚したくないのだけれど」
「勿論、そうでしょう」
メイジーを横抱きにし、両手が塞がっている男は、頬でメイジーの頭を撫でる。ここまで黙って一部始終を見ていたライラは両手を胸の前で組み、横に立つ男に訴える。
「メイジーと離れるなんて嫌よ!」
「心配するな。このまま俺が貰ってやる」
腰を抜かしたままのアーロン殿下は、慌てふためく。
「え。待て。ライラ……。どういうことだ。俺から離れるのか! 俺のことが好きなのに」
「何それ?」
「何それって、あんなに」
「あんなに?」
「だって、ライラは……、俺たちは、あれ。いや、そんな」
「何かあるわけないでしょ。話したこともないのに」
「強制力って怖いわ」
「軌道修正が無理矢理なのよ」
メイジーとライラ、それぞれが小さく吐き捨てる。
メイジーとライラ。二人は物心ついたときから転生者だと自覚していた。流行りとして押さえた乙女ゲームの世界。攻略対象者が全員ヘタレで、一部で爆発的な人気を誇っていた。一応プレイした感想は、これはない。
攻略対象者との結婚なんて御免被りたい。ライラは、本来の婚約者に押し付け、目立つことはしない、モブとして学園生活を過ごそうと決意した。
どうして好きでもない男に浮気をされ、振られた挙句、罪に問われないといけないのか。メイジーは、ヒロインを探す為、町を歩いていた。この世界は、貴族の婚約が遅い。学園入学までに一定の教育を叩き込まれ、入学後、成績次第で婚約が決まる。メイジーは内心、攻略対象者のヘタレをカバーする為ではないかと本気で考えていた。何せ攻略対象者は社会的地位が高い。この国を、世界を存続させる為の救済措置……いよいよ面倒臭く感じる。落ちこぼれになってしまえば逃れられるかも知れないせれど、今の身分は曲がりなりにも侯爵家令嬢。家格も教師の評価も、落としてしまうことは出来なかった。
あと半年で入学式。ヒロインには入学してからと言わず、今からでも愛を育んでもらいたいところ。全力でヒロインをサポートする所存だ。まずは彼女の現状を知るところから。自宅を抜け出し、平民街を歩く。すれ違えば絶対わかると息巻き、周囲を見渡す。
「えっ? ……悪役令嬢」
小さな呟きにもかかわらず、この世界で初めて耳にする単語に思わず振り返ってしまう。
「ヒロ……!」
「今、ヒロインって言い掛けましたよね?」
転生者と知られずに接触したかった。メイジーもライラも、思わず口にしたことを悔やむ。自分だけが転生者とは限らないことはある。前世でいくつか読んだことのある小説がそうだった。もし、もしも相手が転生者だった場合、足をすくわれてしまうかも知れない。
杞憂に終わった。
公園へ場所を移した二人は、早々に意気投合した。同じ世界の同じ国。同じゲームをしていて、攻略対象者にうんざりしている。お互いが、攻略対象者を押し付けようとしていたと知ると、有り得ない! と揃って笑った。
一ヶ月後。ライラはメイジーの妹となった。平民を友人として紹介してきたメイジーに父親は驚いたが、ライラの魔力に気づくと、他家の手が及ぶ前でよかったと、あっさりと養子縁組をした。公にはしていないが、ライラの実家は侯爵家の庇護下にある。
無事入学式を終えた午後、二人は学園敷地内の森へと向かった。建国前からある巨樹。高く伸びた幹は、四方へ枝を伸ばし豊かな緑をつけている。この森は続編のヒロインが迷い込み、新たな出会いが誕生する場所だ。
「あれ? 人間がいる」
「困りましたね」
メイジーとライラは天を見上げる。
「「嘘。双子なの!?」」
入学前に学園での過ごし方を何度も話し合った。二人が最も恐れたのは強制力。いつものようにお茶を片手に学園の地図を眺めていたライラは、ふと続編の存在を思い出した。舞台は同じなのに、一新された魅力的な攻略対象者たち。中でも、初めて登場したシークレット、魔王には興味があった。彼ならば力技で逃れられるかも知れないと、藁にもすがる気持ちになる。折角なら見てみたいという好奇心も、ついでに湧いた。魔王に会いに行くという提案は、メイジーも二つ返事で快諾したが、早速会えるなんて考えてもみなかった。しかも、双子だなんて。キャラクター紹介にもなかった。
魔王アルサダムと、双子の弟アルヒドラにとって、人間界で姿を見られてしまったのは失態だった。即座に記憶を消そうと左手を上へ構えたが、彼女たちは恐れるどころか、歓喜の声を上げていた。興味は次第に好意に変わる。三度目に会ったとき、メイジーは気まずそうに目を逸らした。望んでいなかった婚約が結ばれたという。
「まあいい。さっさと帰りましょう。長かった茶番も終わりです」
アーロン殿下は、茫然と座り込んでいる。無意識にライラを目で追っていると、横抱きにされている女性に近づく。
「メイジー……」
アーロン殿下は、久々に婚約者を見た気がする。パッと放たれた光が婚約者の姿を隠す。再び上がった光柱が消えると、そこには誰もいなかった。
希望した純白のドレスに袖を通す。魔界は、人間界より寛容だと日々感じている。誰一人、人間だからと軽視することはない。支度部屋で、鏡に映った自身を見つめる。胸元に石を縫い付けたエンパイアライン。裾はとろみのあるオーガンジーが使われている。
執務室にて、ひたすら書類にサインをしている兄の姿に、アルヒドラは開いた口が塞がらない。
「なんて顔をしているんですか」
「まさか働いているなんて思わないだろ」
とっくの昔に支度を済ませ、メイジーの元へと向かったと考えていたに、侍女からアルサダムの姿がみえないと告げられ、まさかと思った。
「代わってくださいますか? 今だけと言わず」
書類から目を離さずアルサダムが投げかけた。アルヒドラは頬を引き攣らす。なんでも自分でしてしまう兄が王をしているから、比較的悠々と過ごせているのだ。
「やだよ。ライラとの時間が減る」
「だから、お願いしているのです。私だって、メイジーとの時間が欲しいんですから」
「よく執務室に連れて来ているくせに。ちゃんと、一週間後には帰って来てよ? 封鎖は、兄さんもいないと出来ないんだから」
魔界と人間界を繋いでいた巨樹の通路は、暫く使われていない。好意が恋慕になり、想いが通じてからは、一秒でも早く会いたいと侯爵系直通の通路を作ってしまったからだ。もう、巨樹の通路は必要ない。
「人間だけでは通れないとはいえ、不用心ですからね。さっさと閉じてしまいましょう」
アルサダムは書類を揃えると立ち上がった。
「入るよ」
アルヒドラはドアを開く。天窓から差し込む光がライラを照らしている。
「綺麗だ」
「アルヒドラも、似合ってる」
「ありがとう。こうして着飾ったライラと二人で過ごしたいのは山々なんだけれど、急いだ方がいいかも知れない」
「ふふ、わかってるわ。行きましょう」
ドアをノックする音がする。メイジーが返事をすると、一人の侍女が中から扉を開ける。
「お待たせしました。メイジー……なんてことを」
「私、何か失態でも」
大きな手で頭を抱えたアルサダムに、メイジーは戸惑いを隠せない。
「私たちのお披露目は中止にしましょう」
「えっ」
「駄目です。部屋へ戻りましょう」
メイジーの手を取り、ドアノブに手を掛けると、勢いよくドアが開いた。
「な? 来てよかっただろ」
「本当。思った通りね」
「入ってはいけません」
アルサダムはドアを閉める。ドアが壊れてしまう勢いに、 思わずメイジーはアルサダムを見上げる。忌々しそうにドアを睨みつけていたアルサダムは、視線に気づくと微笑んだ。
「メイジー。貴方に落ち度はありません。まさか、アルヒドラたちが来るとは。想定外でした」
優しく頭を撫でる手が頬を包む。
「安心してください。私が無事、部屋まで連れて行きます」
「ありがとうございます?」
「あー!もう。だから、なんでそうなるんだよ」
メイジーに気を取られ、アルサダムがドアを押さえる力を緩めしまった先を見計らって、アルヒドラはドアを再び開けた。ライラはアルヒドラの後ろから顔を覗かせ、メイジーに駆け寄る。お互いのドレスを褒め合う二人。睨み合う男たち。
「出て行ってください」
「そういうわけには、いかないの。皆んな広間に待たせているんだから」
「私たちは行けません」
「あのー。いいですか?」
ライラと手を繋ぐメイジーが、もう一方の手で挙手する。アルヒドラは言葉を中断させると、メイジーに向けて、にかっと笑った。アルサダムは、憤怒の形相だ。
「メイジーちゃん。アルサダムの独占欲って凄いね」
ビューっと音を立てた突風は、ドカンと窓に当たり、カーテンが大きく舞う。アルヒドラは咄嗟に踏ん張った。メイジーとライラだけは避けるという、器用な風。
「こんなに可愛いのです。攫われたらどうするのですか? 勿論、そんな輩は息すら消し去りますが」
「物騒ー」
「息すらって。大体、魔王に喧嘩を売る馬鹿っていないと思うけど」
「馬鹿は実行するから馬鹿なのですよ」
アルヒドラとライラは目を合わせ、同時に溜め息を吐く。
「それよりも。アルヒドラ。 メイジーのドレス姿を見ましたね? 」
「減らないって」
「いいえ。例えアルヒドラでも、束の間も許容したくないです」
「全く。いい歳して駄々をこねたりしない! 中止に出来ないのは、わかっているだろ? もう時間だ」
「わかっています。はー。仕方ないですね」
軽く髪を掻き上げると、アルサダムはメイジーを横抱きにした。メイジーはバランスを取ろうと、アルサダムの首に腕を回す。
「幸せです」
アルサダムはメイジーの頬に顔を寄せる。呆れたように笑うアルヒドラは、よしっと声を出すと、同じようにライラを抱き上げた。
「俺たちも、これで行こうか」
「最高!」
恭しくドアが開かれる。愛する伴侶を横抱きにしたエスコート。前代未聞の出来事は、これから先、何代にも渡って受け継がれていく。
「私の最愛を紹介する!」