『ギラン・バレー症候群』で検索した貴方へ
今回のお話は作者の実体験をモチーフにしたフィクションです。
つまり不幸な犠牲者など居ない。そういうコトでお願いします。
2012年2月12日(日)
白衣のフーたんこと白鷺風華さんは、曲者ぞろいのRe:live2期生のリーダー的存在であるのと同時に現役の看護師という、異色まみれのVTuberである。
……なんて簡単に言ってしまったけれども、看護師とVTuberの兼業は並大抵のことではない。
そもそも看護師という職業自体、患者さんの生命健康を預かる立場から兼業には否定的なのが一般的だ。
白鷺さんも当初はRe:liveからデビューすることにあまり前向きではなく、去年いっぱいで激務の大病院勤務から逃げ出せた記念に京都の本社で研修こそ受けたものの、VTuberの配信はあくまで趣味の範囲にとどめる予定だったみたいだけども……まぁ人生何があるか分からないよね。
まずN社の磐田社長に紹介された新しい勤め先の院長がアーニャの大ファンで、白鷺さんが白衣のフーたん本人だと知るや『正しい医療知識を広めるためにも是非やるべきだ』と熱心に説得して、様々な便宜を図ってくださったそうな。
そして新年早々に成立した新政権もわたしたちに好意的で、政権発足後に最速でVTuberの兼業を後押しする法整備を進めてくれたことが決定打となった。
『さすがにね。ここまで環境を整備されたのにやらないんじゃ、ただの意気地なしでしょ。あたしもラプちにあまりカッコ悪いところを見せたくなかったから、まぁなるべくしてなった感じかな』
そう照れくさそうに語った白鷺さんはギリギリのところで2期生の枠に滑り込み、以前から交流のあった同期の四宮恋歌さんや楠木凛花ちゃん(ラプちゃんの中の人)を喜ばせた。
そうしてRe:liveの2期生としてデビューした白鷺さんは、趣味のカラオケ配信や箱内のコラボ配信を積極的に行なっていく一方で、現役の看護師としての立場から医療情報の発信にも注力することとなった。
本業が休日となる日曜の午後2時から行われる配信もその一つ。医師役に薬剤師の資格を持つ四宮恋歌さんと、患者役に親友の社畜ネキさんをお招きして行われる白鷺さんの定番配信『白鷺風華の看護師日誌』は、今日も開始前から同接50万オーバーの大盛況だ。
「そろそろ始まりますよ、ゆかり」
「うん、ユッカも観るのは構わないけどあまり興奮しないで? だいぶ大きくなってそろそろわたしの膝の上は苦しいんだから」
「クゥーン」
呆れ顔のサーニャに答えながら愛犬の頭を撫でると、とりあえず暴力的な動きをする尻尾は大人しくなってくれたけれども、居心地のいいポジションの確保に苦労するのは変わらなかった。
初めて会ったときはわたしの腕の中にすっぽり収まるほど小さかったこの仔も、今では生後4ヶ月とそのボリュームは格段に跳ね上がり、そろそろわたしの机の前で抱っこされながらのYTubeの視聴は難しくなってきたか。
こんなことなら下のソファーにねっ転がりながらにするんだった、とリビングのテレビを独占する弟妹を若干恨めしく思う。
まったく、あの子達ときたら本当にためになる配信だというのに「医者とかおれには関係ないから」と抜かしおって……いいもんいいもん。いつか拾い食いでもしてお腹を壊したらドヤ顔で説教しちゃる、と内心の不満を宥める。
まあ、典型的な男子小学生である弟の順平が所謂『教育番組』を退屈に思うのも分からないでもないけど……白鷺さんの医療系配信はRe:liveのVTuberらしいユーモアに溢れたエンタメ路線だ。ゲストも毎回ゴージャスだし、今回はキッズにも『大きなお友達』として人気の社畜ネキさんの他にも我が家と縁深い芹沢のなっちゃんも出演する。いつか大人になってこの面白さが理解できるようになったときに、「おれはどうしてあのときライブで視聴しなかったんだ」と後悔するといいよ。フンッだ。
「本当にゆかりは分かりやすいですね。布教に失敗したオタクの悔しさは理解できますが、逆恨みは程々にしないと長女の沽券にかかわりますよ?」
「最近になってう◯ちで笑えるようになった小学女子でごめんねぇー? でもさ、わたしにだって譲れない一線ってものがあるんだよね。だからサーニャが何を言っても、本人が姉ちゃんごめんって謝るまで許してやらないんだから」
わたしの頑なな態度に我が家のメイドは「ダメだこりゃ」とばかりに肩をすくめる。
我ながら子供じみた態度だと思うけれど、今回は白鷺さんの頑張りが否定されたような気がして悔しいのだ。
……白鷺さんは本当に頑張ってる。デビューからもうすぐ一月。当初はあまり人気のなかった医療系配信も、今ではその内容が評価されて個性的な同期と肩を並べるところまで持ち直している。ならばわたしも後押ししたいと思うのが人情というものだ。
そんな理解されない不満を溜め込んだわたしはかなりご機嫌斜めだったが、白鷺さんの配信が始まると直前のもやもやはどこかへ消えてしまった。
事務所を通して寄贈した自作の2Dアニメーションによるオープニングが終わり、パソコンのモニターに表示された白鷺さんの笑顔がそれを可能にしたのだ。
『はいどうも。白衣のフーたんことRe:live2期生の白鷺風華です。今回はあたしの病院で触れる機会のあったとある難病について語っていきたいと思います』
『どもども。Re:live2期生四宮学園応援団団長の四宮恋歌です。本日も白鷺病院の院長役として患者さんの快癒を応援していきたいと思います。応援よろしく』
『自分で応援しろ! 患者役のRe:live0期生社畜ネキです。今日はどんな病気にかかって苦しむことになるのか内心不安なんだが……なっちゃんもそう思うでしょ?』
『そうですね。巷では男子小学生と同レベルに扱われてる菜月ですが、一応は女の子なので、社畜ネキのような尊厳破壊は勘弁願いたいところです。……どうも。Re:live1期生の芹沢菜月です。どうかお手柔らかにお願いしますね』
『あ、なっちゃん安心して。今回なっちゃんには便秘になってもらって、団長がう◯ちを掻き出す予定だけど上手くやるから、安心して股をおっ広げるといいよ』
『馬鹿野郎ッ!? それのどこに安心できる要素があるってんだッッ!!』
『まぁまぁ。あくまで演技であって、実際に罹患するわけじゃないから……というわけで今回紹介する病気はこちら!! 十万人に数人と言われるほど珍しい難病のギラン・バレー症候群です……!!』
うーん。患者役として酷い目に遭う社畜ネキさんと、自分もそうなることが確定したなっちゃんの笑顔は晴れ晴れとはいかなかったけれども……白鷺さんと四宮さんは実にいい笑顔だ。
しかし、ギラン・バレー症候群か。聞いたことのない名前だけど、一体どんな病気なんだろう?
「ねぇ、サブちゃんはどんな病気か知ってる?」
「もちろん存じておりますが、そちらは今から社畜ネキさまたちの実例から学べるので、スマホで検索するのも辞めておいたほうがよろしいでしょう。せっかくの楽しみが損なわれます」
「わたしもそう思うけどさ……なんかまだぞろう◯ちが出てくるみたいだから、前もって備えようと思ったんだよね」
この歳で何を言ってるのかと思うかもしれないが、直接のきっかけは、たぶん、う◯ちで爆笑するなっちゃんに釣られて笑ったことだね。それ以来、友達の寧々ちゃんが大好きな◯魂の下ネタでも笑えるようになったから、う◯んちの話が出てくるなら事前に備えておきたかったんだけど……もちろんサーニャの言うこともわかる。
白鷺さんたちがせっかく用意してくれたネタの正体を勝手に割り出すなど、勿体無いにも程がある。セルフネタバレで配信の楽しみを損なうなど冒涜だよねって納得して、どこか不安そうにわたしを見上げる愛犬の頭を撫でる。
大丈夫。仮に笑い転げることになってもユッカはわたしが守護るから、と今から半笑いで寸劇パートを見守る。
『う〜、スーパーの特売特売。閉店間際のスーパーの見切り品を求めてさまようお姉さんの名前は社畜ネキ。偶には自炊しようと思いながら面倒だから普通の惣菜でいいかと妥協すること以外は普通のお姉さんかな? おおっ、季節物の鶏鍋パックが半額の198円か。隣にある128円の鍋用鶏肉を追加してやれば、ボリュームも十分。よし、君に決めた!!』
『菜月もパック物は買いそびれましたけど、鍋用の鶏肉と白菜は買えたので今日はそれにします。家に帰れば蕎麦用のつゆもあるので、なんとかなるでしょう』
『というわけでお姉さんはパック物のビニールを破って、銀色のお皿に水とタレを入れたらコンロにかけるわ。……追加の鶏肉を入れすぎて全体的に生煮えなんだが、まぁイケるんじゃないでしょうか』
『菜月は鍋に水と蕎麦つゆ入れてコンロで加熱したら、白菜と鶏肉を投入します。なんか鶏肉に触れた手がベタベタしますが、別にばっちい物に触れたわけじゃないから洗わなくても大丈夫でしょう』
まずは病気に罹患する導入の寸劇で、社畜ネキさんとなっちゃんが素人目にもかなり危険なことをしているなって思ったら、案の定テロップが表示された。
『鶏肉の生煮えは大変危険です。みんなは社畜ネキのマネをしないで、中までしっかり火を通しましょう』
『鶏肉に触った手を洗わないのも危険なんよ。まな板と包丁も使ったらアルコール消毒が必須だと思ってくれ』
「鶏肉ってそんなに危険なんだ」
「危険ですね。豚肉も寄生虫の問題がありますから中までしっかり火を通すのは基本ですが、鶏肉の場合はカンピロバクターという人体に極めて有害な菌に塗れていますから、洗浄と消毒を怠ればえらいことになります」
なるほど……サーニャの言うように鶏肉を甘く見たふたりは一週間後に酷い目を見たようだ。青白い顔でトイレから出てきた社畜ネキさんがスマホを操作して吠える。
『食あたり、原因で検索……って、犯人は鶏肉かぁあああ!! ええっ、ノロウイルスとかO157の可能性もあるの? お姉さんどうしよう……なんか病院に行っても特効薬はないみたいなんだけど、なんか不安だからかかりつけの内科を受診しようっと』
ふんふん。ネットに強い社畜ネキさんは即座に鶏肉との因果関係を見抜いて、賢明にも白鷺病院を受診。カンピロバクターによる食あたりと判明して、悪い物は全部出しちゃえの精神で応援され、大量の経口補水液を持たされて自宅療養したのに対して、なっちゃんは……ありゃりゃ、こりゃダメだ。
『うーん。なんかお腹の調子が悪いけど、正露丸を飲んどきゃ大丈夫だろ。……病院? いやいや、たかが、下痢くらいで大袈裟な』
いやいや、大袈裟じゃないよ。ちゃんと病院に行かなきゃ……これは素人判断で通院を怠ったなっちゃんは重症化まっしぐらかなって思ったら、概ねそんな感じになりそうな気配だった。
『ねぇ、フーたんどうしよう。あれから10日ぐらい経ってお腹が痛いのは治ったんだけど、今度は左手が微妙に痛くなってきちゃって……なんか『カンピロバクター 後遺症』でググったら、ギランなんちゃらとかいう、ヤバそうな病気が出てきたんだけど?』
『ああ、ギラン・バレー症候群ね。大丈夫大丈夫。ちゃんと発症前からあたしのところに来て色々と相談してくれた社畜ネキは早期発見に成功したから、今日から入院してもらって免疫グロブリンを大量投与したら5日後には元気に退院できるよ』
『本当に大丈夫? フーたん付きっ切りで看病してくれる?』
『はいはい。絵本も読んであげるから安心しな』
『あーん、フーたん大好き。愛してる。チュッチュ』
こうして社畜ネキさんは入院こそしたものの大した後遺症もなく、最低限のリバビリで退院したのに対して、色々と選択を間違えて重症化コースに突入したなっちゃんはというと……。
『なんか最終的に両手両足がほとんど麻痺して自力で立ち上がれなくなった菜月は、救急車で脳神経外科病院というところに運ばれましたが、そっちでは原因不明でなんの治療も受けられなかったのに受診料にウン万円も踏んだくられて……その後もたらい回しにされたあげく大きな病院にブチ込まれました。こんなのってないよ……!!』
なっちゃんの悲鳴がナ虐愛好家の視聴者を大いに満足させたころに、今度はテロップではなく質問役の四宮さんと解答役の白鷺さんがネタ晴らし。今回の病名であるギラン・バレー症候群について解説します。
『なんかなっちゃんがスゴいことになって団長よだれが止まらんのだけど、ギラン・バレー症候群って鶏肉の食中毒が原因の手足が麻痺する病気だと思って間違いない?』
『うん、だいたいそんな感じ。あたしもあんまり詳しくないっていうか、現代医学でも確たる原因は掴めてないんだけど……体内にしつこく残ったカンピロバクターに業を煮やした免疫細胞が暴走して、自分の末梢神経を攻撃する病気って理解でいいと思うな』
『あー、外敵を攻撃する免疫細胞が手足の神経を攻撃するから麻痺しちゃうのか……それってカンピロバクターが神経の中に入り込んでる可能性はないの?』
『無くはないけど、さっきも言ったようにそこまで掴めてないのが実情なんだよね』
『そっか。でも不治の病ってわけでもないんでしょ?』
『うん。免疫グロブリンの大量投与による免疫系等の正常化。それで完治するんだけど……一度傷ついた神経の回復って時間がかかるんよ。筋肉ならどんだけ痛めつけても2週間もあれば超回復で以前よりパワーアップだけど、神経はねぇ……ある程度回復するまでに数ヶ月から、場合によっては数年かかることも珍しくない』
『あらら。そうなると早期発見した社畜ネキのダメージは最小限だけど、自力で動けなくなるほど神経が痛めつけられたなっちゃんのリハビリは大変だそうだね』
『うん、今回の社畜ネキの対応は満点だね。最初の食あたりの時点できちんと病院に行ったこともそうだけど、ネットで調べて自分なりに因果関係を特定したことも早期発見に繋がったからさ』
『ああ。最初の下痢を甘く見たなっちゃんは通院を怠るどころか、自分がこうなった原因もさっぱりで、救急車で運ばれたときに心当たりを聞かれても説明できなかったもんね』
『そうなんよ。手足の麻痺と歩行困難を起こすのはギラン・バレー症候群に限ったことじゃなくて、例えば脳内の血管が詰まる脳卒中のほうがよほど一般的。だからなっちゃんの場合はより大きな可能性から潰すために、無関係の脳外に連れてかれたってわけ。そうならないためにも自分の病気と向き合う努力を欠かしちゃダメなわけよ』
……ううむ。相変わらずためになるなぁ。
なっちゃんも最初の食あたりをスルーしたのは仕方ないにしても、せめて手足の違和感を感じた時点で社畜ネキさんのように因果関係を調べておけば、いざ救急車を呼ぶような段階になっても原因不明で行き先に困ることはなかったわけだ。
「いい配信だよね。たしかこの病気ってかなり珍しい難病みたいだけど……視聴者のコメント欄にもまさにその通りって実際に罹患した人の意見が見られるよ」
「そうですね。鶏肉の生食の危険性と、衛生観念の警鐘……今回の配信でこれから罹患する人々が確実に減少すると思えば、大変に意義のあることだと思いますよ」
「うんうん。不幸な犠牲者はなっちゃんで終わりにしなきゃだよね」
本当に頭の下がる思いだ。わたしたちがこの病気と無縁でいられたのは、食の安全を守ってくれるお母さんのような人たちがいるからだ。
正しい知識に基づいて適切な調理と衛生管理をしてくれるお母さんがいるからこそ、わたしたち兄弟姉妹はギラン・バレー症候群ような難病とも食中毒とも無縁でいられるが……そうした庇護を受けられなかったのになっちゃんの現状は涙なしには見られない。
自力で立ち上がることはおろか、体の向きを変えることにも苦労するなっちゃんは、当然のようにおむつを穿かされて病室の天井を仰ぎ見ることしかできない。
握力もぼぼ0で、暇つぶしにスマホを触ることすら自力では不可能だし、食事や歯磨きも介護士さんの手助けを必要とするのだ。もちろんおしっこもおむつ頼り。若くして寝たきりとなったなっちゃんの姿にナ虐愛好家の視聴者もコメント欄で荒ぶる。
『といっても、なっちゃんの症状はまだ中程度なんだけどね』
『えっ? まだここから先があるの?』
『うん。もしなっちゃんがあの時点で救急車を呼ばなかったら、最終的に顔面の筋肉が麻痺して目も自力で開けられんようになって、呼吸困難まで行ってたと思うわ』
『あらら。そうなったらなっちゃんの泣き顔も見れんかったから、うちの病院に運んだ救急退院グッジョブだわ。……ところでなっちゃんがナースコールをしてるから行ってきていい?』
『あたしも行くわ。……どうしたなっちゃん? ペットボトルが掴めなくて困ってるのかな?』
『いや、あの……なつき入院してから1週間くらい経つんですけど、その間ずっとう◯ちが出なくて、どうしたらいいのか相談したかったんですよ』
『おー、もうそんなに経つのか。……まぁ入院中はまったく運動してないから腸も詰まってるもんね。ここらでプスっと行っとく?』
『ええと、注射ですか?』
『ううん、浣腸』
『ちょっ、配信中になに言ってんだ馬鹿野郎っ!?』
なんだろう……いま確実に世界が震撼した。そんな確信がわたしにはある。
『別に恥ずかしいことじゃないでしょ? これは自力で排泄できない患者さんに行われる当たり前の医療行為なんだから、その一助になるのがあたしら看護師の仕事ってもんよ』
『そうでしたね……。すみません、失礼なことを言って』
『いいよ。あたしらの世界では普通ってだけであって、なっちゃんのようについ最近までこっちの世界に無縁だった人たちにとっては普通じゃないのも理解してるから』
『菜月の心情をご理解いただきありがとうございます……って、まさか本当にやるのぉ!?』
配信内のカメラワーク的に、画面外となるなっちゃんの腰から下で何が行われているかは定かではない。だが物々しい衣擦れの音となっちゃんの赤面具合から、この配信に直接関わっていないわたしとしては、この騒動も台本と演技によるものであることを祈るしかない。
『あ゛あ゛あ゛あ゛!? 菜月は今まで見られても全然気にしなかったのに、なんか恥ずい……恥ずかしいですよみなさん!!』
『うほっ、これは堪らん……。この光景を世界中のファンに届けられないことが団長、じゃない断腸の思いよ』
『恋歌。とりあえず前の穴に用はないから、後ろの穴にさっさと入れてやって』
『ほぉーい、プスっとな』
『ら、らめぇ!!』
あまりの惨状にわたしもサーニャも言葉がない。いくら医療系の配信だからって、まさかここまで生の現場に踏み込むとは……。
『うん。お尻の穴から注がれた医療用のグリセリンが腸内を刺激して、お腹がキュルキュル鳴ってるけど、全部出すには5分くらいう◯ちをするのを我慢してもらえるかな?』
『むりぃいいい!! 出ちゃう、なつきう◯ち出ちゃう……もうダメ、なつきう◯ち出ちゃうのぉおおお……!!』
さすがに公共の電波に乗せられない音はカットされてるみたいだけど……あまりの迫真の演技にまさか本当にしたんかとコメント欄がすごいコトに……。
『ありゃあ、出ちゃったか……。うん、まだ出口で栓をしてた年代物が残ってるね。掻き出すから、恋歌は前の穴にう◯ちが入らないようにブロックしちゃって?』
『おおぅ、なんという役得……これだからナ虐は辞められん』
そこから先はテレビでも放送事故があったときに使われている『しばらくお待ちください』が表示されて……互いに目を合わせたわたしとサーニャはおっかなびっくり確認する。
「さすがに演技だよね……サーニャは何か聞いてる?」
「いえ、私も今回の配信が白鷺さまが看護師として勤務する病院で行われていること以外は……」
ま、まぁさすがにリアル浣腸とかしとらんやろ、と錯乱風味のわたしは地元の方言で自己完結する。
大丈夫、大丈夫……その後のリバビリ風景も特に問題なかったし、配信終了間際の雑談ではみんないつもの調子だったしね。
『いやぁ、今回お姉さんは勝ち組だったね。食あたりは散々だったけど、ギラン・バレー症候群は早期発見で免疫グロブリンの点滴だけで以前と変わらない生活ができたしね』
『菜月はどっちも散々でしたね。治療が遅れて手足の末梢神経がかなり痛めつけられたって設定だから、自力で日常生活が送れるようになって退院しても、ほぼ0まで低下した握力の回復にも苦労しそうです。……でもこんな菜月のために頑張ってくださった医療関係者のおかげで生きてられるんですから、感謝しないといけませんね』
『ま、医療費もね。かなり高額になるから、行政の高額医療制度を使ってねっていうのがあたしからのお願いかな』
『あ、あと薬剤師の立場から言わせてもらうと、ギラン・バレー症候群の治療に使う免疫グロブリンってね、人によってはアレルギー皮膚炎の副反応が出る場合があるんよ。だから入院中に体が痒くなったら、遠慮しないでナースコールで薬剤師さんを呼んで相談してね。以上、団長からのお願いでした』
なるほど、なるほど……確かにためになる。それは間違いない。
でも今回の配信で確実に万人に勧められるものではなくなった。そんな危機感がわたしにはある。
「やっぱり医療系の教育配信でウケ狙いに走るのはよくなかったかな……サーニャはどう思う?」
「なんと申しますか……親しみやすい啓蒙配信の是非は差し置いても、今回は鴨川さまの参加で色々と箍が外れてしまったのは否めませんね」
うん、わたしもそう思うわ。
やはりげに恐ろしきは鴨川昴という女の子が持つ被虐体質か。あの子が参加するだけで確実に配信の方向性が変わる。その汚染力を甘く見てはいけなかったのである。
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今回のまとめ
・鶏肉の素人調理は危険だけど、素人判断による自己療法はもっと危険。
・ギラン・バレー症候群は早期発見がリハビリ期間の短縮に直結する。そのためにもどんな小さなことでもいいから掛かりつけの医師に相談しよう。
・もちろんその他の病気も同じだから、とにかく身体に違和感を覚えたらなんでも相談してね。
・今回のなっちゃんのように苦労する羽目になっても、あたし達は見捨てないよ。実際に入院することになっても看護師さんに迷惑を掛けたらと思わず、どんな要件でもいいから気軽にナースコールしてね。
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最後にそんなテロップを眺めることになったわたしは、冒頭で社畜ネキさんが危惧した乙女の尊敬──それが取り返しのつかないコトにならなかったのかと、密かになっちゃんの心配をして愛犬に顔を舐められるのであった。
そして後日──故あって京都の事務所に寄らせてもらったわたしは、先日の気恥ずかしさが冷めやらぬうちに問題のなっちゃんと遭遇。しどろもどろになりながらも挨拶するのであった。
「……鴨川さん。日曜の白鷺さんの配信に参加お疲れさま」
「あっ、これはどうもゆかりさん。こちらこそ、白鷺さんたちには親切にしていただいて大助かりでした」
そう臆面もなく答えるなっちゃんの笑顔は、とてもじゃないが画面の向こうでおむつを剥ぎ取られて浣腸をされた女の子には見えない。
良かった。あられもない脱糞シーンを全世界に公開したなっちゃんは居なかったんだね。
……なんて自己完結してホッと胸を撫で下ろすわたしだったが、よりにもよって満面の笑みを湛えたなっちゃんはこう言うのだ。
「いやぁ、実は最近運動不足で便秘気味だったから内緒で浣腸を体験してみたんですが、さすがに本職の医療関係者ということもあってお二人ともとても上手でしたね。おかげさまでしつこい宿便が完全に抜け切ってお通じも快適になりましたよ」
聞くんじゃなかった……っていうか何だこれ?
顔面は果てしなく加熱されるのに背筋は寒気がするほど冷却される謎現象。せめてどっちかにしてくれよと思いながら表情筋を操作して、必死の作り笑いで「そうなんだぁ」と誤魔化すこの修羅場よ。
「まぁマネちゃんには聞いてませんって怒られて、修正が完了するまでアーカイブはお蔵入りになりましたが……こんな昴でも世のため人のために働けたかと思うと、体を張った甲斐があるというもですよ」
うん……その心意気は大いにヨシなんだけど、なっちゃんの場合は体の張り方がちょっと間違ってるんじゃないかと心配だよ。
「ところで昴がお世話になったお礼に、両親が家族総出でゆかりさんのお家にご挨拶に行きたいと言ってるんで、その頃にはアーカイブも公開されてるだろうから皆さんと視聴してご感想を頂けたらなって思うんですけど、ゆかりさんはどう思いますか?」
いやいや……いやいやいやいや。白鷺さんの貴重な教育配信にノーサンキューを突きつけた弟に憤慨したわたしだけども、さすがにあんなアーカイブは見せられないよ。
確実に誤解されるっていうか、四宮さんにおむつを剥ぎ取られて女の子として隠さなきゃいけないところを全部見られながら浣腸されて、う◯ちまでしちゃった自分の配信をわたしの家族に勧める鴨川さんの羞恥心、流石におかしくない?
たしかに鴨川さんには以前からそういうところがあったけども……それを大人の余裕と見なすのは今のわたしには無理だ。最近う◯ちで笑えるようになったけども、さすがに笑えないよこんなの……!!
久しぶりに襲撃してきた冷や汗さんとの激闘を繰り広げる背中はまだしも、どこまでも熱くなる顔面の惨状は鴨川さんでも確認できるだろうに、彼女の口から「あれ? もしかして昴、また何かやっちゃいましたか?」の一言が出てくることはなく……途方に暮れたわたしはこの小学校低学年の男子のように純粋で、同時に女性の恥じらいとは信じられないほど縁のない女の子への対応に苦慮するのであった……。
どうもお久しぶりです。復帰一発目がこんな話で本当にすまない……。
でも私自身も体験しましたが、医療現場は卑猥な妄想など入り込む余地がないほど真剣なものです。浣腸後の強烈な排便感を我慢できず、看護師さんのお手を煩わせて残便を掻き出されてもそれは医療行為。私は恥じらう気持ちにはなれませんでした。作中のなっちゃんも便秘が解消されて幸せそうですもんね。感謝の心もありますしいいことです。
というわワケで復帰早々の言い訳でした。




