不思議の国の四人娘
2012年7月22日(日本時間11:05)
オートマッチングで振り分けられたチームメイトに恵まれたこともあってか、初見ながら1時間で10戦して7勝3敗と、かなりの好戦績に興奮を隠し切れない友人にわたしは訊いてみた。
「トモちゃん、楽しかった?」
「メッチャ楽しかった! またやりたい!!」
仮想現実による立体映像をカットして、元の風景を取り戻した室内でトモちゃんが見せた笑顔ときたら、それはもう一点の曇りもないものだった。
しめしめ……この様子なら勝手に配信したことはもう忘れてるな、と内心でガッツポーズ。
ふふふ、どうよ? わたしが忙しそうって理由で友達が誘いづらそうにしているなら、おんなじ沼に引きずり込んでしまえばいいっていうこの完璧な計画は?
これならDScordを覗けばわたしが暇そうにしていれば一発で判るからね。一緒に遊ぶのに何の障害もないって寸法よ。
「あれ? ゆかりちゃんのスマホメッチャ通知来てるよ。……って、こっちにも来てるわ」
なんて幸福な未来予想図を思い描いていたら、机の上に放置していたスマホが目に付いたのか、トモちゃんからそんな報告が。
「……うげっ」
そして自分のスマホを確認したトモちゃんが女の子らしからぬ悲鳴を漏らしたので、ついつい気になって横から覗き込むと……そこにはわたしの小市民的な良心をチクチクと刺激する恨み言が……。
[鈴宮寧々:裏切り者ぉ〜! 何かあったら連絡するって言ってたじゃん!!]
[角田かなめ:これは友人として許されんでぇ……]
[鈴宮寧々:トモちゃんは寧々たちに謝罪と賠償をすべき]
[角田かなめ:うんうん。これはどう考えもブッキーが悪いよねぇ……?]
なるほど……だいぶマイルドになってるけど、わたしのスマホにも似たような内容の通知が来てるな。
[鈴宮寧々:トモちゃんだけズルい! 寧々たちはもう友達じゃないの?]
[角田かなめ:ゆかりちゃんかなめ寂しいでぇ……悲しいでぇ……]
いや、わたしにはこっちのほうが堪えるけど……って反省しようと思ったら、何やらただならぬ気配が。
「『………』」
半開きのドアから覗き込む三つの目に、わたしはチョンチョンと友達の肩をつついた手をそちらに向けた。
「お前らぁー!?」
「キャーッ、見つかった!!」
「ユッカちゃんも逃げるでぇ」
「ワフン!!」
途端に始まる追いかけっこだったが、からかわれたことに気づいたトモちゃんの怒りも半分くらいは照れ隠しのようなものだ。
気の置けない友人たちの歓声を耳に、わたしはなんだか嬉しくなってその背中を追いかけるのだった。
……さて、全員で揃ったのでわたしの友達を紹介しておこう。
一人目はさっきの配信にも引っ張り出した寿朋美ちゃん。愛称はトモちゃん、もしくはブッキー。おしゃれとスイーツが大好きな等身大の女子中学生である。
二人目は◯魂大好き男子小学生……もとい人をからかうのが大好きな女子中学生、鈴宮寧々ちゃん。弟とやたら気の合う元気いっぱいな女の子である。
そして三人目がおっとりとした性格とぽわぽわした雰囲気に騙されると痛い目に遭うこと請け合い、中身はなかなかにしたたかな角田かなめちゃん。
みんな小学校の1年から4年まで同じクラスだった、今でも仲良くしてくれる大事な大事な友達だけど……紆余曲折を経てリビングに集合した彼女たちはどちらも言いたいことがある様子だった。
「トモ言ったやん。昨日一昨日は忙しそうやったからダメ元やけど、今日はゆかりちゃんのところに行ってみるって」
「言ってたね。でも一緒に遊べそうなら連絡するとも言ってたよ? それなのに二人だけで遊ぶなんて……」
「ショックだよねぇ……切なくって泣きそうになっちゃったよ……」
「だからゴメンって! でもさぁ、トモだって言い分があるんよ? とにかくあっという間に決められてさ……おい順平、お前こうなるって判ってたんなら言えよ!?」
「八つ当たりはやめてくれよな。そもそも姉ちゃんの配信を見てたらそれぐらい判りそうなもんだろ」
「ゆかりちゃんは思い込んだら一直線の暴走列車やからね……これはうっかり乗り込んだブッキーが悪いで」
「分かったら謝罪と賠償としてそのWe Xを寄越せアル。寧々にもやらせろ、やらせろぉ〜」
「触んな! これはトモがゆかりちゃんから貰ったもんだぞ!!」
「順平くんもあまり見せつけんな。そういうコトをするならお姉さんにも考えがあるゾ」
「巻き込むのはやめろって。……おい、姉ちゃんも笑ってないで何とか言ってくれよ」
なんて微笑ましく眺めていたら弟を巻き込んで場外乱闘の気配を見せたので、台所から顔を出して「まあまあ」と宥めてみる。
「みんなお昼ご飯はまだでしょ? お母さんが用意してくれたハンバーガーがあるから食べてみてよ」
「キタコレ! 寧々さ、昨日の配信を見てからずっとヨダレが止まらなかったんだよね」
「肉……これは食わずにはいられない……」
「トモも食べる。でもあの縦に30センチぐらいあるヤツは勘弁な」
香ばしい匂いに釣られたのか誰も異存は挟まなかったので、わたしは内心ウッキウキでそわそわと着席するみんなの前に配膳した。
こちらの大皿には揚げたての熱々チキンとポテトが……そして向こうの大皿には焼きたての各種ハンバーグと、バンズ、野菜、チーズなどのトッピング類が。
もちろん取り放題、組み合わせも自由というゴージャスなランチにみんな目を輝かせる。
「えっ? これ好きなように食べていいの?」
「うん、そうだよ。でも野菜は嫌いだからお肉だけっていう偏った組み合わせはナシにしようか」
「あんまり細けぇこと言うなよ。おれは断然このトリプルてりやきバーガーだね」
「順平が行ったぁー! そしてやっぱりマヨネーズを飛ばしたぁー!!」
「布巾、布巾……順平も気をつけなよ? 寧々ちゃんの顔に飛ばしたら一生こすられるでぇ……」
みんな小さな頃からの付き合いだからかとにかく遠慮がない。
いや、本当に懐かしいねこの雰囲気。以前はよくわたしの家に集まってたんだけど、小学校で別のクラスになってからだんだんと減ってきちゃって……もっと大切にしたいなと、わたしもバーガーを作る。
見ればトモちゃんはオーソドックスなチーズバーガーを作ったようだが、かなめちゃんはチーズと野菜抜きの、順平と似たり寄ったりの肉のみのハンバーガーに。
そして寧々ちゃんはてりやきとフィレオフィッシュを同時に挟んだ、なんとも個性的なハンバーガーを作ったけれども、あの笑顔を鑑みるに、どうやら本人はいたく満足してる様子だった。
「あ、これすごく美味しい。ぶっちゃけ金が取れるレベル……さすがゆかりちゃんのお母さん。相変わらずいい仕事してるわ」
「うん。それにこのボリューム……さすがはアメリカン。これは食後の運動を怠ると確実に太るでぇ……」
「かなちゃんやめて! 寧々、食べてるときにまでそんな心配したくないよ!?」
「それなら大丈夫だよ。お母さんも言ってたけど糖質は控えめだから、意外とヘルシーなんだって……むろん野菜を抜いたりしなければだけど」
「ギクゥ」
「まぁ成長期の子供が太る心配をするぐらいなら、普段の生活によほど問題があるってコトだよな」
「順平ぇ〜! おまえ寧々の乙女心を抉ったな!? そんな悪い子にはこうしてやる!!」
「やめろよ! なんだそのチーズと野菜だけの肉抜きバーガーは……まさかこっちに押しつけるんじゃねぇだろうな!?」
まったく、みんなはしゃいじゃって。
ま、わたしも全力で楽しんでるから人のことは言えないけれども……。
それからおよそ30分後……デザートのアイスクリームまで完食した一同は、おやつのジャーキーに満足したユッカも含めて、みんなリビングのソファーで食後の牛のようにまったりしていた。
「あー、ちょっと食べすぎた。これがあるからゆかりちゃん家でご飯を食べるのはちょっと怖いんだよな」
「あとでユッカを連れて散歩に行こっか。それでチャラにならないかな?」
「なるにしても今は無理やで。外の地面は目玉焼きが焼ける暑さやからな……」
自分の名前と散歩というパワーワードが出てきたことから、落ち着かない様子でソワソワするユッカの毛皮を撫でながら、トモちゃんたち三人娘はご満悦の様子。
この調子なら行けるかなと、食器を片したわたしはかねてよりの腹案を切り出すことにした。
「ちょっと訊いていいかな? みんなもっとわたしと遊びたいんだよね?」
わたしが向かいのソファーに腰掛けるなり尋ねると、みんな「そりゃそうだ」とばかりにうなずいた。
「そりゃあね。ゆかりちゃんがアーニャの配信で楽しそうにしてるのを見たら尚更だよ」
トモちゃんの言葉に他の二人は「うんうん」と何度も頷いたが、「でもトモたちをVTuberにするのは勘弁な」というカウンターパンチにも熱心に賛同するのだった。
「えっ……ダメなの?」
わたしは内心ショックを受けつつ食い下がってみたけど、三人ともこれだけは譲れないとばかりに声を揃えるのだ。
「いやだって、トモたち何の訓練も受けてない一般人だよ? それなのにさぁ……あんな芸人とアイドルのどっちも極めてるようなRe:liveのVTuberになれって無茶振りやん」
「寧々も一緒に混ざりたいって気持ちもあるけど……寧々たちの所為で配信中の空気がヒェッヒエになったらどうすりゃいいのか分かんないのもあるし」
「他にもコンプラ? とかの難しそうな研修やお給料の問題もあるし。いきなり億渡されても困るし……そんなことになって真面目に働くのがバカらしくなった両親が仕事を辞めて、家庭が崩壊しても困るで……」
なるほど……考えてみれば至極もっともな言い分である。
誰もが琴子さんたちのように、この道で生きると決めたガッツのある子たちばかりではない。学生の身でありながら地道に研修を受け、VTuberとして両立させるのは大変なことだ。
だが、その一方で……。
「……でも、たまにわたしの配信に混ざりたいって気持ちもあるんだ?」
何度か繰り返し吟味したその言葉に、トモちゃんたちは躊躇いがちではあったものの確かにうなずいてくれた。
「まぁゆかりちゃんと遊ぶにはそうするのが手っ取り早いってのもあるけど……トモもさっきは楽しかったからね。たまに混ざる分には問題ないと思う」
「アーリャちゃんだっけ? ゆかりちゃんの友達の……あの子みたいに週一か周二くらいの頻度だったら、寧々たちにもできると思う」
「うん。でもあまり振り回すのは勘弁な……さっきの配信でいきなりブッキーが出てきたときは、こっちも心臓が止まるかと思ったでぇ……」
みんなの言葉がピースに変わって、頭の中で未完成のジグソーパズルに組み込まれていく気分を味わう。
……実のところ需要はあるのだ。N社の公式番組のように、子供向けを意識した配信に同じ目線で参加してくれるVTuberの需要は。
今はグラちゃんたち年少組が中心になって回しているものの、あの子たちもVTuberとして独り立ちして、段々とその目線は一般的な子供のそれから乖離しつつある。
そのギャップを埋める存在として、この子たちの存在は貴重ではないか……?
「確認するよ? 当面はわたしたち四人の身内だけの配信なら、三人ともわたしの配信にVTuberと同じ形式で参加するのは構わないんだよね?」
「そういうふうに訊かれると、答えはイエスだけど……」
「なんか怖いなぁ……寧々なっちゃんやぼんちゃんが居たら、緊張して何も喋れなくなりそう」
「まぁしばらくは身内だけって言ってるから信じるけど……逆に言えばそのうち絡むってことやろ? うっかりナ虐に参加してあとで平謝りすることになる気がする……」
「分かった。ちょっと確認するから待っててね」
わたしがスマホを取り出して相手を呼び出すまでの間に、弟が「何で言わなかって怒られるのが嫌だから言うけど、逃げるなら今が最後のチャンスだからな」と茶々を入れてきたが、三人ともそれで腰を浮かせることはなかった。
誰もが固唾を飲んで見守る中、わたしはすぐさま通話に応じた相棒に手早く説明すると、いつもの感心してるんだか呆れているんだかよく分からないため息の音が聞こえてきた。
「それはまた、何とも面倒なことを思いつきましたね」
「でも出来るよね?」
「出来ますね。とりあえず例の話は纏まりましたから、ご友人の方々の承諾が得られましたら、後ほどこちらの事務所にいらしてください。それで貴女の要望は叶えられますよ、ゆかり」
「わかった。いつもありがとうね、サーニャ」
電話の向こうにいる相手にお辞儀してお礼を言ってから通話を切ると、こちらの様子を伺っていたトモちゃんが心配そうに訊いてきた。
「今の電話はもしかしなくてもサーニャちゃんに……?」
「うん、そうだよ。ちょっとRe:liveとは別の枠組みを作ることにしてね。そっちの報告をしてオーケーをもらったから、あとでお隣さんに顔を出すことになったけどみんな構わないよね?」
わたしがそう言うとみんな引き攣った顔をしたけど、最終的に三人とも同意してくれたので助かったよ。
これで友人への義理立てと個人的な目論見を両立できたとばかりに、わたしは何の躊躇いもなく笑うことを自分に許したのであった。
そうと決まれば善は急げとばかりに行動するのがわたしの流儀だけれど、今回はわたしだけ突っ走っても意味がないのは分かっていたので、それまで腹ごなしを兼ねて当家のドッグランで時間を潰すことになった。
うん、ゲームもいいけどこうして汗を流すのも楽しいね。
トモちゃんたちもこうした遊びは新鮮なのか、みんなとっても楽しそうにユッカと追いかけっこをしている。
時間にして1時間ほど……流れる汗を拭き、水分を補給した頃、わたしのスマホにサーニャから通知があったので、そのままユッカを連れてお隣さんのアーニャ御殿へと向かうことになった。
みんな今になって緊張しているのか、道中は「大丈夫かな?」「ええい、当たって砕けろ」と心配そうな声が目立ったものの、そんな不安は警備員さんに挨拶して門を潜った次の瞬間には吹き飛ぶことになった。
「ワンッ」
おそらくはわたしとユッカの気配を見逃さなかったのだろう。蘇芳さんの愛犬であるゴン太くんが本邸の玄関から猛烈な勢いで飛び出してくると、待ちきれずにリードを引っ張るユッカのところに脇目も振らずに駆け寄ってきた。
「えっ? この子ってリアルゴン太くん?」
「うわっ、メッチそっくり……わわっ、こっちにも来たでぇ」
「おーっ、いい子いい子……寧々犬だい好き。この子も連れ帰って寧々の子にしたい」
「おい、それ犯罪」
配信中のお利口さんな姿から、今や名犬ゴン太くんとして有名な黒いラブラドール・レトリーバーの男の子は弟分のユッカだけではなく、初顔合わせとなるトモちゃんたち三人にも尻尾を振って紳士的に愛でられるのであった。これにはユッカや三人娘だけではなくわたしもにっこり。
「それじゃあゴン太くん。わたしたちは仕事があるからユッカを任せていい? 本邸裏のプール前が日陰になってて涼しから、遊ぶんだったらそっちでお願いね」
「ワンッ」
わたしが頼むとゴン太くんはひと声吠えてからユッカを連れて、何度か振り返りつつお願いした通りに本邸裏の日陰へと消えていった。相変わらずわたしの言うことを完全に理解してるあたり、本当にお利口さんだなぁ……。
「えっ? 日本語が完全に通じてる?」
「うわぁ……知ってたけど本当にお利口さんやん。これは飼い主も鼻が高いでぇ……」
「その飼い主にも飼い主がいるけど、寧々黙ってよっと」
「ハルカさんだね。興味があるなら後で紹介するけど、今はわたしのマネちゃんたちを待たせてるから、先に事務所に行こうか」
いまは社畜ネキさんたちも居るからね。予想される未来の光景に笑みを漏らしたわたしは、途端にソワソワする三人を促して三階建ての事務所へと向かった。
二重になった顔認証付きの自動ドアを通り抜けて、空調の効いたおしゃれな室内に入り、こちらに気づいた数人のスタッフに会釈を返すと目的の人物はすぐに現れた。
「ようこそゆかりさん。ご友人の方々もどうぞこちらへ」
相変わらずおしゃれとは無縁のスーツ姿。初めて会ってからずっと振り回しっぱなしの北上さんはわたしの思いつきに嫌な顔するでもなく、幼い顔立ちに満面の笑顔を載せてわたしたちを歓迎してくれるのだった。
「すみません北上さん。忙しいのにこんなことを頼んじゃって」
「構いませんよ。自分が好きでやってることですから。……さあ、どうぞこちらの待合室に。いまお茶の用意もさせてるんで」
一つだけ変化があるとしたら、それはお茶の用意をしてくれる部下ができたことだろうか。以前はいなかった部下を抱えるようになった北上さんは、わたしの所為で急速にその地位が上昇したにも関わらず、優しそうな笑顔を浮かべたお姉さんに「ありがとう」とお礼を言うことも忘れなかった。
「ゆかりちゃん、なんだか嬉しそうだね」
「分かっちゃう? やっぱりね、こういう変わらないところにこそ、その人の本質が現れるんだよ」
なんて、以前の北上さんを知らないトモちゃんにはチンプンカンプンな話をしてしまったけど、とりあえず以前のスーツがこんなにピリッとしてなくってヨレヨレだったことはわたしの胸にしまっておこう。
「この人もたまにゆかりちゃんの配信に出てくるマネちゃんだよね? 本当にビックリするくらいそっくりなんだけど……」
「トモちゃんもそっくりだったし、寧々どうしよう……。寧々さえない顔して顔してるから、配信で使う絵はなっちゃんほどじゃなくても少しは盛ってほしいかも」
「うん。さっきは描き溜めておいたものを使ったけど、希望があればいくらでも描き直すからそこは安心して?」
いよいよ本番ということもあってか、ますます緊張した様子を見せる寧々ちゃんたちを落ち着かせる頃には、書類を揃えた北上さんの用意は完全に整ったようだ。
「まずはご挨拶を。自分はゆかりさんのマネージャーと、ゆかりさんのアーニャ関連の実務全般を兼任するRe:live営業部の北上夏生といいます」
あらためて頭を下げて挨拶する北上さんに、トモちゃんたちは慌てたように返事をする。
「あ、すみません。自分はゆかりちゃんの友達をやらせてもらってる寿朋子っていいます」
「ね、寧々は鈴宮寧々です。ゆかりちゃんとは小学校からの付き合いで……」
「……角田かなめです。あの、本日はよろしくお願いします」
まるで会社の面接みたいになってきたね。何度落ち着かせても緊張がとれないトモちゃんたちは段々とテンパってきたのか、硬い表情とビッシリ浮かんだ汗だけではなく呼吸のほうまで怪しくなってきた。
そんな三人娘を前に「あちゃー、失敗失敗」と頭を掻いた北上さんは、明らかに先ほどまでの雰囲気とは異なる口調で謝罪するのだった。
「一応は初対面だからと変な気を使ったのがいけなかったんスかね? 自分はこっちのほうが地なんで、みなさんももっと気楽にしてもらえると助かるッス」
突然おどけた北上さんに目をパチクリとさせたトモちゃんたちを横目に、わたしは素直に吹き出しながら応じた。
「やっぱり人間慣れないことはするもんじゃないですよね」
「正論っすね。でもこっちはおっかない先輩がうるさいんスよ。普段はいいけど、お客さんのいるときはもう少し敬語で喋れって。……みなさんはゆかりさんの配信に詳しいようだから言いますが、自分はおちゃらけ社員の北上なんで安心して弄ってもらっていいッスよ」
「あっ、いえ……すみません、てっきりちょっと別人かもって思ったりもしましたけど……」
「寧々もそういう芸風なのかなって……」
「こっちこそすみませんでした。かえって混乱させちゃったみたいッスね。……あ、みなさんの好みを知らないので、とりあえずアイスティーを用意してもらいましたが、お口に合わなかったら交換しますんで」
「いえ、いただきます」
わりと図太いところのあるかなめちゃんがストローに口をつけると、トモちゃんたちもだいぶ打ち解けた感じで飲み物とお菓子に手をつけてくれた。
さて、それからは緊張緩和を加速するためかお仕事抜きの雑談タイムとなったが、これは結構恥ずかしかった。
「へぇ? ゆかりさんも昔は結構やんちゃだったんスね。そうなるとみなさんと別のクラスになった時期がゆかりさんの暗黒期だったと?」
「まぁ昔から知ってるならともかく、ちょうどそれぐらいの年代になるとゆかりちゃんは完全無欠のお嬢さまで通ってましたからね。本人も周囲の同調圧力みたいなものがあったんじゃないんですか」
「寧々もゆかりちゃんが急にウ◯チで笑わなくなったから心配したんよ。金◯の前立腺ブレーキで死ぬほど笑ったゆかりちゃんが遠いところに行っちゃったなって、寧々本気で悲しかったんだから」
「それな。初めて聞いたときは前立腺ブレーキしたさにお◯ん◯んをほしがったゆかりちゃんの正気を疑ったで」
お願いだからわたしの黒歴史を北上さんに披露するのはやめてもらえないかな?
あと◯魂を金◯って伏せるのは色々と問題があるから、そっちもやめてもらえると……。
「いやぁ、笑った笑った。……ん? 死にそうな顔をしてますけど、ゆかりさんはどうしたんスか?」
「いえ……寧々ちゃんたちを配信に出して大丈夫かなって、ちょっと心配に……」
「子供向けを謳っていればこれぐらい平気ッスよ。クレヨンし◯ちゃんのけつ出しがけしからんって本気でケチをつけるような人は、もうこの界隈には残ってないんで」
そんなものだろうかとわたしは半信半疑だったが、言われてみれば以前にニュースサイトなどで稀に見かけたアーニャ関連の意地悪な記事を目にしなくなって久しい。
「世界はいまや寛容と多様性の時代に舵を切ってますからね。アメリカやヨーロッパでも政治的な正しさに過敏になっていた人たちの声が小さくなってますから、これもゆかりさんたちの功績ってことで」
ポリコレ時代の終焉はよく聞く話で、誰もが当たり前のように差別しなくなったから大声で講義する必要も無くなったそうだけど、それをわたしたちの功績と言われるのは些か面映い。
まあ、アメリカの放送禁止用語として有名な『ファック』が公のメディアで解禁されたのは、間違いなくわたしの『FAQ』の所為だけども……。
「さて、気持ちよく笑ったところでそろそろ本題に……みなさんの希望は世界的なインフルエンサーであるRe:liveのVTuberになることではなく、気兼ねなくゆかりさんと遊ぶことだと聞いているので、みなさんにはゆかりさんのアーニャプロジェクトに所属して頂いて、We Xの紹介など子供向けの配信に参加してもらえればと考えています」
そう切り出した北上さんに向けられるトモちゃんたちの顔は真剣で、先ほどまでの過剰な緊張は欠片も見出せない。この子たちの緊張を解くきっかけになったんだったら、わたしの致命傷にも意味はあったかと彼女たちの話し合いを見守る。
「質問なんですけど、トモたちは自分用のパソコンも持ってないし、配信中の操作もまったく分からないんですが、それでも大丈夫ですか?」
「そちらはWe Xも含めてゆかりさんのほうから全部支給されるから大丈夫ッス。操作に関してもサーニャさんの作ったシステムが優秀なんで、スマホアプリで使われているタップなどの操作に違和感がなければいけると思いますが、初めのうちは自宅ではなくこちらに集まって配信していただければ習熟まで面倒を見ますし、なんならそっちの操作をゆかりさんに丸投げもできますんで安心してください」
「やったで。それなら寧々ちにも出来そうや」
「寧々のことをオチに使うな。……あっ、何か書くものありますか? 急な話だったから、寧々ハンコも用意してないんですけど……」
「そっちは後日、そちらの都合のいい日時に配信用の機材をお届けしたときに書いていただくから、できればその前にご両親の許可だけは取っておいていただけると助かるッスね。ダメならうちの弁護士がウンと言うまで交渉してもらうつもりなんで、無理だと言われても自棄を起こさずにいてくださいね」
北上さんは不測の事態を想定してそんなことも口にしたけど、そっちはまぁ大丈夫だろうと、何度かお会いしたことのあるみんなのご両親を思い浮かべて楽観する。
「じゃ、他に質問もないようなのでこっちからは以上ッス。あとは自由にしてもらって構いませんが、ゆかりさんは後で報告があるみたいなんで、サーニャさんのところに顔を出してもらっていいッスか? 昨日はお義父さんの相手があって仕方なかったんですけど、ご主人さまと離れ離れになってだいぶションボリしてたんで」
「分かりました。色々とありがとうございます、北上さん」
「いえいえ。それではごゆっくり……」
説明用の書類を戻した北上さんに合わせて立ち上がると、わたしを見上げる三人の顔に緊張の翳りが戻ってきた。
「みんな聞いたね? 向こうに用があるから本邸のほうに顔を出してくるけど、みんなはどうする?」
ゴクリという喉を鳴らす複数の音が聞こえてきたけど、誰も帰りたいと言い出すことはなかったが、さすがに事務所の一階から本邸へと向かう足取りは重く、その呼吸は次第に荒ぶるのだった。
……いや、本当に大丈夫かな?
配信中に推しを公言したトモちゃんは分からないでもない。彼女の推しの一人でもある箒星みい子さんこと谷町みい子さんが姉妹ともどもこちらに定住していることは、ファンの中では有名な話だ。不意に遭遇したら平常心を保てないのだろう。
さっきの話によると寧々ちゃんの推しである杏子さんは不在だけど、それ以外の面子も軒並み濃いのが揃ってるからな……ここは先達として後輩の誤解を解くべきやもしれん。
「みんなそんなに固くならなくても大丈夫だよ? みんなアイドルみたいに扱われてるけど、根っこのほうは本当に普通だから……」
再び顔認証式の自動ドアを通り抜けて、見慣れた本邸ロビー受付の左側に出ながら軽口を叩くも、背後をチラ見したみんなの顔は驚きに染まって──。
「あれ、ゆかりたん?」
鬼が出るか蛇が出るかといった足取りのトモちゃんたちの前に現れたのは、なんと社畜ネキさん。
これはまた濃ゆい面子の中でも特段に濃い人が出できたなぁ……。初っ端がこの人でみんな大丈夫かなと少しだけ心配になったが、そこはさすがに社畜ネキさん。一目でおおよその事情を察した彼女は変に偉ぶることもなく、あくまで自然体の笑みを浮かべてこう口にするのだった。
「ああ、聞いてる聞いてる。その子たちがゆかりたんの友達ね? そういうことなら、さあ、お姉さんの胸に飛び込んでおいで」
両手を広げて歓迎のポーズを取るこの人のようなVTuberは一人しかいない。トモちゃんたちは「社畜ネキだ」「社畜ネキさんだ」「本物の社畜ネキさんや」と一目でその正体を看破して大喜びだ。
「おっ? そっちの子はお姉さんのファンかな?」
「ファンです! 寧々、社畜ネキさんの下ネタが大好きで、いつも配信に張り付いてます」
中でも◯魂大好き男子小学生の寧々ちゃんは特に波長が会うのか、その顔は三段積みのハンバーガーに齧り付いたときよりも輝いていた。
「嬉しいことを言ってくれるね! でもそういうコトなら分かってるよな? さあ掛かって来い!!」
「はいっ! わぁーい!!」
両手を挙げて抱きつく寧々ちゃんと、その小さな肢体を豊かな胸で受け止める社畜ネキさんの姿に、他の二人も先ほどまでの緊張はどこへやら「本当に裏表のない人だな」と気の抜けた様子。
だが微笑ましく見守るかなめちゃんはともかく、「何やってんだか」と呆れたようにつぶやいたトモちゃんの余裕は次の瞬間には吹き飛ぶことになった。
「あれ? ゆかりちゃん、その子たちは?」
「えっ? ほぁあああああ!?」
何の前触れもなく現れた優雅な人影を視認するや、トモちゃんが錯乱寸前の奇声をあげた。
緩やかなウェーブのかかった黒い長髪と、鋭く引き締まった美貌に浮かぶ柔和な笑み。スレンダーな肢体を包むファッションには一点の隙もなく、完璧で究極のアイドルは推しの登場に驚くファンとその後ろで固く抱き合う変人たちの姿を目にするや、即座に理解と寛容に満ちた微笑をその口元に浮かべるのだった。
「ああ、なるほどねぇ……その子がトモちゃんってわけか」
「ほ、ほほほ本物のみぃちゃん……ああ、はいっ! トモがトモです!!」
再び挙動不審になるトモちゃんを前に、艶やかに微笑したみい子さんは「うんうん」と満足したようにうなずくと、あろうことかその両手を広げるやとんでもないことを口走るのだった。
「そういうことなら話は簡単だ。社畜ネキじゃないけどいい機会だしみぃちゃんのことを抱いとけ」
「抱くぅ!!?」
変わったなぁ、この人も……。
以前は間違ってもこんなことをする人じゃなかったけど、さくらちゃんとコンビを組むようになってからというものの、この手のスキンシップにむしろ積極的になってしまったから手に負えない。
「出来ません! 出来ないよトモ……みぃちゃんのご尊顔を直接目にするのも畏れ多いのに、みぃちゃんの素肌に触れるなんて、そんな……」
「いいからいいから。トモも星読みの一人なら知ってるよね? 推しの言うことは絶対だって。それにうちらはもう他人じゃないでしょ? 同じ戦地を駆けた仲間なんだから遠慮しないの……ていっ」
「グハッ!?」
本質的に捕食者である彼女に言い訳は通用しない。哀れ、ガッチリと抱きしめられたトモちゃんはそれを最後に動かなくなった……。
「ああ、気絶しちまったでぇ」
「してるねぇ。大丈夫かなあの子?」
「ああっ、誰かと思ったら本物のふーたん!?」
そしてその騒動を聞きつけたのか、困惑の笑みを浮かべる白鷺さんにかなめちゃんが目を輝かせる。
「あのっ、わたしゆかりちゃんの友達でふーたんのファンをやらせてもらってる角田かなめっていいます」
「うん、分かりやすい自己紹介ありがとうね。そういうことならあたしもサービスしちゃおっかな」
「ああっ、これは役得やでぇ……!!」
かくして不思議の国に迷い込んだ三人娘はそれぞれ推しに捕食されて終わった。
社畜ネキさんの胸に顔を埋めた寧々ちゃんはだらしない笑顔で。みい子さんのさば折りを食らったトモちゃんは昇天して。白鷺さんと抱き合うかなめちゃんはほわほわとした笑顔で。それぞれ下心の度合いこそ異なったが、あまり大差のない末路に、遅れて到着した四宮さんが「やってねんねぇ」と誤解を招きそうな喜び方をして……。
「…………何これ?」
唯一無罪のリリアさんが阿鼻叫喚の地獄絵図に何度も目を瞬かせるのだった。
「さしずめ兵どもが夢の果てかな……ところでリリアさんの体調は大丈夫かな?」
「あっ、大丈夫です。……すみません、昨夜はとんでもないご迷惑をお掛けしたのにご挨拶が遅れて」
すみません、わたしに出来ることなら何でもしますと何度も頭をさげるリリアさんを見て、やはりこの人は信頼できるとわたしは確信する。
「大したことはしてないから気にしないで。……でもそういうことならこの場は任せてもいいかな? わたしサーニャに呼ばれてるから、機嫌を損ねる前に顔を出したいんだよね」
「あ、はい。そちらはもちろん任せてもらっても構いませんが……」
「とりあえずわたしもすぐ戻ってくるから、それまで談話室かどこかであの子たちの話し相手になってもらえると助かるかな。……社畜ネキさんたちが手に負えないようだったら姉町さんに言ってもらえれば何とかしてくれると思いますから、お願いしますね」
「分かりました。どうぞごゆっくり」
あらためて一礼するリリアさんにこちらからも頭を下げると、わたしはサーニャの待つ二階の自室へと向かった。
サーニャは例の話は纏まったと言ってから、多分そっちに全員集まってるだろうと思ったらやっぱりそうだった。
「やあ、ゆかり。お早い到着だね」
まず目に入ったのは、奥のソファーに座るキャップとキャサリンさん。
「そうさね。何だか返事を急かしたみたいで申し訳ないよ」
そして隣のソファーに腰を掛けるゾウのおばさんとターニャちゃん。
「ふふ。ゆかりはそういう子だから気にしたら負けですよ」
「その辺りはゆかりの性分ですね。おかげで生身で付き合うのは大変ですよ。困ったものです」
さらに天使の翼を隠そうともしない修道服姿のアーリャに、こんなときでも給仕に手を抜かない凝り性のサーニャがわたしを待ち構えていた。
しかしこうして見るとすごい面子だ。自律型の人工知能に、天使、未来人、宇宙人、そして転生者に、現職のアメリカ大統領。
地位はおろか、生まれた時代や種族すら異なる人々が一堂に介しているのを目にすると、何やら不謹慎な想像に口元の辺りが弛んでくるのを感じる……。
「おい、何をニヤついてるんだお前は?」
「うん、何となくね……なんか人類が団結して魔王に挑むみたいだなって嬉しくなって」
「阿呆かお前は? この世界に魔王なんぞおらんぞ。そういう世界に転生することを夢見ているなら、あとでそちらの天使と相談するんだな」
わたしの笑顔を見咎めたターニャちゃんは遠慮なく叱り飛ばすも、例えに出した魔王という単語をキャップとゾウのおばさんは笑わなかった。
「いや、この世界にも魔王は存在するよ」
「ええ……。私も以前から疑問に思っていましたが、サーニャと貴女の情報開示を受けてようやく確信できた。この世界にも魔王は存在する」
なんだろう……? みんなやけに深刻な雰囲気だけど、ここは笑い飛ばす場面じゃないよね?
「それは偏見という魔王だ。私たちは誰しも心の奥底でその魔王と繋がっている。だからこそゆかりのように旧い呪縛から解き放たれた子供が必要とされたんだ」
キャップの自信に満ちた言葉に、わたしは何のことを言ってるのか判らずしきりに首を傾げるのだった。




