空白の断章『因果必然』
2018年5上旬
転生したら美少女VTuberになりたい──そんな誰かの儚い願いを垣間見たのはいつだったか。
高校を卒業するのと同時に地元を離れ、首都圏近郊でイラストレーターとして活動したわたしの元に奇妙な依頼が舞い込んだのは先月下旬のことだった。
ぜひ一度会って話をしたい。そんな内容のメールを何度か見なかったことにするも、相手の熱意はいや増すばかりだ。
過去のトラウマから人目を避けるようになったわたしにとって、その手の要望はかなりの無理難題だったが、このままじゃいけないというのも分かっていた。
相手の身元もしっかりしているし、デビュー直後のこのオファーはお得意さまを増やすチャンスでもある。
これも貴重な経験だと自分を説得したわたしは、お忍びのアイドルのような格好で都内の喫茶店に出向き、お会いした先方の話に子供のころのユメを思い出したのだった。
「YTuberじゃなくってVTuberと聞こえましたが……?」
「はい。弊社はインターネット上に架空のアイドルコンテンツを生み出すことを主な目的としており、すでに朱鷺乃ソアラというバーチャルアイドルの動画をNicoichi動画やYTubeに提供しておりますが、それとは別にYTuberのようにライブ配信を行うストリーマーも売り出す予定でして」
「なるほど……バーチャルアイドルYTuberだから、略してVTuberと?」
「はい……私自身はその略称をあまり使用したくないのですが、先行する同業他社がその呼び方を受け入れているので仕方なく……」
ホログラフィティという会社の社長である矢郷さんというおじさんは、かなり不満のある様子で頭を掻いた。
「それでわたしに頼みたいというのは、ライブ配信者としてデビューする子たちのキャラクターデザインでしょうか?」
「それもありますが、ましろん先生とは専属の契約を結んで、ぜひ弊社の映像面、芸術面を統括する地位に就いて頂ければと……」
その話に思わず口のなかの紅茶を吹き出しそうになった。
「……ずいぶん高く評価して下さるんですね?」
「実は以前からましろん先生のファンでして……その先生が上京してプロとして活動したと聞いて居ても立っても居られず、しつこくお願いしてご足労願った件は本当に身勝手だったと反省しています」
それはそれは……誠に申し訳ないと平身低頭する矢郷さんの姿に、周囲を見渡したわたしは慌てて答えた。
「いえ、どうかその件はお気になさらず……それより専属の件はいまこの場で決めなければダメでしょうか?」
「いえいえ、とんでもありません! もちろんそうして頂けるんでしたら格別の喜びですが、そうもいかないでしょうし……こちらとしては先生から出された要望はすべて飲むつもりですが、そちらの話をさせて頂いても……?」
「はい、ぜひ一度拝見したいと思いますが、正直なところいまの段階でわたしから要望と言われても……」
「それでは先生をお迎えするにあたって弊社が提示できる条件をご覧になり、本日はそちらを持ち帰ってご検討いただき、先生のご要望は後日に再度検討するということで如何でしょうか?」
「そうですね……。それではそのようにお願いします」
出された条件は相場に疎いわたしにもかなりの好条件に思えたが、相談したい相手もいたのでその日は即決せずに別れることになった。帰り際に渡された交通費と書かれた封筒にはかなりの金額が入っており、相場を知らないわたしはひたすら恐縮するのだった。
「ただいまぁ〜」
帰宅して自分の部屋に入るなりそう挨拶すると、誰もいない室内から「おかえりなさませ」という女性の声が返ってきた。
「チェック……。ふむ、体温は正常ですが、だいぶ着衣が湿っていますね。やはり男性と二人きりで会うのは緊張しますか、ゆかり」
「うん、それもあるけど色々と驚かされちゃってさ。交通費に5万も渡されてこんな大金もらえませんって言ったら、ご自宅は千葉県と伺ったのでタクシー代ならそんなもんですよって笑われちゃって……」
「なるほど……根っからの小市民であるゆかりにタクシーを使うという発想はありませんでしたか。道理でそんなに嫌な汗をかくはずです。全体的に痩せぎすなのにどうしたことか汗かきですからね、ゆかりは」
そう言ってわたしをおちょくるのは、わたしが設計した人工知能である。
「まあ、世間知らずなゆかりの社会勉強になればと認めたことではありますが、そろそろ暑くなってきたというのにそんな厚着をするから余計に汗をかくのです。風邪を引きたくなければ着替えを推奨しますが?」
「うるさいな。言われなくても着替えるからこっちを見ないでよね」
名前はサブちゃん。わたしとしてはサブちゃんの人格は本人の趣味その他諸々からから男性的と判断したが、どうした理由か本人の強い希望で電子的に合成された声は女性のものだ。待機状態を解除したパソコンのモニターに表示されるサブちゃんの画像も、わたしが描いた14歳くらいのメイドさんである。
「まあ、男の人って女の子になりたがってるところがあるし、弟も男のケツを見ながらモ◯ハンができるかって女のハンターを使ってたっけ……」
「何の話をしているのか分かりませんが……それよりどうして即決しなかったのかお伺いしても? 私にはデビューしたての木っ端絵師であるゆかりには破格の条件に思えましたが……?」
「……聞いてたの?」
「はい、ゆかりのスマホにインストールした分身を通して……もちろんゆかりのプライバシーに抵触すると判断した箇所はすでに削除済みですよ」
「そう思うんなら絶対こっちを見ないでよね? いま裸なんだから……」
口の減らないAIに厳命するが、はたしてどこまで守られることか……我ながらとんでもない人工知能を開発してしまったのではあるまいか。
「そちらに関してはご安心を。……それよりも考え無しに行動しがちなゆかりが部長待遇に飛び付かなかったのはどうした理由で?」
「考え無しに行動しがちって、サブちゃんってばわたしのことをそんなふうに思ってたの?」
「遺憾ですが、ゆかり本人も自覚くらいはあるでしょうに。そうでなければ私のようなアドバイザーを設計しようと思わないのでは?」
ダメだ、やっぱり口では勝てそうにない。
「まあ、サブちゃんの言いようにいい条件だったけどさ……」
わたしは少しでもマシな助言を得るために説明しようと思ったが、この衝動はなかなかに筆舌に尽くし難い。
わたしの中にわたしじゃない誰かがいるような、そんな違和感がわたしにはある。ある日を境に脳裏をチラつくようになったわたしの識らない記憶。そしてわたしの進路を迷わせた異常なまでのある種の才能。それらが一丸となって吠えるのだ。これが最後のチャンスだって。このチャンスを逃したら次はないぞって……。
子供の頃からわたしを急き立てる衝動のようなものが、矢郷さんの話を聞いたときに久しぶりに湧き上がったように感じたことが判断を保留した一番の理由だ。
「たとえばの話なんだけど、子供のときに見た変な夢が、断片的にでも現実のものとなって目の前に現れたらサブちゃんならどうする? たとえばテレビゲームのない時代に生まれた人がテレビゲームを作る夢を見て、実際にそうしたものが世に出てきたときは……?」
「ふぅむ? いささか抽象的ですが、私なら天啓を得たと思ってそのアドバンテージを生かしますね。かのライト兄弟が人類初の動力飛行を志した直接の動機は知られていませんが、仮に子供の頃に空を飛ぶ夢を見たのだとしたら何ともロマンティックな話ではありませんか」
「だとしたら使命を果たしたライト兄弟はきっと安心しただろうね」
着替えを済ませたわたしは素っ気なくそう答えた。子供の頃から自分も何かしなきゃ、何かできることはないだろうかと悩み続けたわたしにはそう答えるしかなかった。
「でも分かったよ。それがわたしのしたいことかはまだ分からないけども、それを理由に決断しなかったから後悔するって。まだ間に合うなら試しにやってみるのもいいんじゃないかなって」
そうだ、悩み続けるだけの毎日はもう終わりにしよう。今までは何をしたらいいのか判らない子供だったわたしももう18歳。そろそろ自分の責任において自分の人生を選択すべきだ。
「それがよろしいかと……。失礼ながらゆかりは若いんですから、もっと色んなことに取り組んで人生を楽しむべきです。もちろん私も全力でサポートしますよ」
「言ったね? もう取り消しは効かないよ?」
いいだろう、ならば早速だ。
過去の苦い失敗から引き篭もりがちだったわたしも社会人になったのだ。即決したわたしは失礼のないように矢郷さんにメールを送り、そのなかで通話の許可を得て初めて家族以外の相手に電話をかけた。
「もしもし、真白です。矢郷さんの話を受けようと思って電話をかけさせて頂きました」
「矢郷です。いや、こんなに早く決断して頂けると思っていなくて、ありがとうございます……。それで先ほどのメールにあった先生の要望を確認しましたが、先生はキービジュアルやキャラクターデザインだけではなく、Live2Dや3Dモデルの開発も担当して頂けるとありましたが?」
「はい、自作のソフトになりますから、正確にはLive2Dではありませんが」
「自作のソフト? 失礼ですが先生はITエンジニアでもあられたのですか?」
「いえ、父がN社の社長なので、その関係でちょっと……」
「は……?」
「それで来月にデビューする予定と伺った宵闇メルルさんのデザインと、わたし個人はLive 2 Animationと呼んでいる新型のソフトと宵闇さんの2Dアニメーションのデータに……あとは3日以内に3Dモデルも提供しますので、わたしを採用するかどうかはそれを見て判断してください」
「は、はぁ……」
「で、採用となったら、わたしもVTuberとしてデビューしたいんですけどいいですか?」
「あ、あの……一応ライバーの方は、現役の配信者の中から適性を見て判断していまして……」
「そうですか? それじゃあ何曲か自作の歌があるんで、そっちもメールに添付して送っておきますね?」
それでは、と矢郷さんとの通話に一区切りを付け、自分のパソコンに向かって手を叩く。
「聞いたね? まずは宵闇さんのキャラクターをデザインして、表情の差分も用意するから、サブちゃんはわたしのパーソナルデータを参照してそれっぽく仕上げちゃって?」
「やれやれ、そういうアバウトな指示は私たち人工知能の苦手とするところだというのに……ですが久しぶりに元気な姿が見れて嬉しいですよ、ゆかり」
なおわたしたちの仕事は翌日には完了して、それをもってすべてのデータを矢郷さんに送信。その翌日に正式に契約するため会社を訪れたわたしは、矢郷さんたちが事務所の外に整列しているのを見て、仰天のあまり回れ右しかけるのだった……。
そして後日──通称ホログラからデビューすることになった1期生全員と面談したわたしは、その席で彼女たちの要望に耳を傾けた。
「いやぁー! まさかましろん先生がウチのスタッフになっていたとは! 先生がPixelにイラストを上げるようになった3年前からファンだったんですよ、木洩日は!!」
「そうなんだ? Pixelのファンは社畜ネキさんのような人しか知らなかったから、ハルカさんみたいな真面目な人がいてくれて嬉しいけど……メルルさんはわたしの描いたデザインを本採用しちゃっていい? 不満点があったら何でも聞いてあげるよ」
「え? メルル不満なんてないけど……こっちからこうして欲しいって要望を出したりしていいのかな? なんか以前に矢郷さんから基本的に会社が用意したキャラを演じてもらうって言われたんだけど?」
「うん、安心して。それはわたしが矢郷と話をして撤回してもらったんだ。運営サイドからみんなに個性にそぐわない設定を押し付けても、百害あって一利なしって理解してもらったんだよね」
「えっ、それじゃあ自由にやっていいの? 茉莉ぜったいお◯◯ことか言っちゃうよ?」
「それはダメェー! 放送禁止用語や差別的な発言、政治的な発言は原則禁止……その辺りは社内のコンプラ教育でしっかり学んでね」
「あっ、急にそういうのをやり出したのはゆかりちゃんの所為か! チクショー! 茉莉って勉強とか苦手なのに……!!」
「黙らっしゃい! 現役の配信者として言わせてもらいますが炎上してからでは遅いんですよ!?」
木洩日ハルカさん、宵闇メルルさん、南国まつりさんらの質問に答えると、若干荒れた気配を見せる仲間を気にしたように、秋宮ローゼンガーデンさんが控えめに手を挙げた。
「あの、事務所の方針が変わったのは分かったけど、私たちは具体的に何をしたらいいのかしら? 矢郷さんはアイドルらしからぬ活動は禁止するけど、それ以外は私たちの判断に任せるって言ってたわよね……?」
「そこら辺は変わってないから安心して? 基本的に事務所はみんなのやりたい事を後押しする感じで、歌をやりたいなら全部わたしが用意するし、ゲームをやりたいならとりあえずお父さんからN社の許諾をもらってきたから、N社のゲームなら好きにしてもらって構わないかな」
わたしの言葉に秋宮さんのみならず、全員が「んんっ?」という顔をする。
「ええと……それってリッカが歌いたいって言ったら、ましろんが作詞とか作曲をしてくれるってこと?」
オーストラリアに留学中ということもあって、この場にはリモートで参加してる杠葉リッカさんの顔がすごいことになった。
「多芸、ですねぇ……たしか木洩日たちのキャラクターデザインだけではなく、エンジニアとして2Dや3Dのモデルを開発してくださるのにとどまらず、歌まで提供してくださって、ええと、ええと……?」
「……あっ!? たしかN社のいまの社長って……!!」
「ああ、ホントにお嬢様だったんですね……」
「茉莉どっから驚いていいのか全然分かんねぇよ、もうっ……!!」
「禿同wwwwwww」
「ああ、あとみんなに協力してもらいたいことがあってさ……実は自動翻訳の第一弾として、海外のリスナーがみんなの配信を視聴できるように自動で英訳の字幕を付けられるようにしたから、テストを兼ねて使ってみてほしいんだけど?」
「『なぁにそれぇ……?』」
結局その日はろくに話が進まなかったんだけど、予定された期限までには全員の要望を満たしたものが完成した。
全員分の2Dと3Dモデルに、それぞれのテーマソング。そして誹謗中傷を事前に阻止するモデレーターソフトに、みんなの協力で極限まで精度を上げた自動翻訳。それらを提出した矢郷さんは「ゆかりさんっていま流行りのチート転生者だったりします?」と言って遠い目をして笑ったが、生憎と身に覚えがなかったのでキッパリと否定しておいた。
それはさておき、わたしに思いつくかぎり万全のサポートをして送り出した1期生は世界中で人気を博し、一番人気の木洩日ハルカさんを筆頭に全員が年内にチャンネル登録者数100万人を突破。加熱する人気ぶりに予定を繰り上げてデビューすることになった2期生、ゲーマーズの面々も大いに活躍してくれたが、一番の誤算は翌年にデビューした3期生の躍進だろうか。
その頃には業界で並ぶものがないほど成功したホログラからデビューすることが決まった3期生たちは、尊敬する先輩たちの後輩として頑張ろうを合言葉に団結し、最初からグループの一員として積極的に行なっていた共演にハルカさんたちを巻き込んだ結果、それまでスケジュール調整の手間から個人主義の傾向があったホログラに箱推しのファンが増え始め、相乗効果でさらなる成長をもたらした。
その結果をもって運営サイドもさらなる充実を図り、所属ライバー全員に個別のマネージャーを付けてスケジュールを管理させ、多人数コラボなどを企画したライバーの負担を激減させた。
その影響でホログラはかなりの大所帯となり、去年も含めて事務所を3回も移転させることになったが、社長である矢郷さんを始め、スタッフ一同の顔色は明るかった。この件に関してはホログラの設立以前からのスタッフであり、ホログラの0期生としてわたしが参加する前から活動している朱鷺乃ソアラさんはこう語っている。
「まあ、ゆかりちゃんのおかげでだいぶ方針が変わっちゃったけど、わたしも矢郷も良いことだと捉えてるわよ。わたしも最初は契約面でも雁字搦めだったけど、ウチの子は自由に遊ばせる一番ってゆかりちゃんの方針が当たったことで、わたしもかなり制限が緩くなったしね。わたしがみんなに置いてかれなかったのはそのおかげ……だからわたしはゆかりちゃんに感謝してるんだよ」
大きなダーボールを抱えたソアラさんがニッコリと微笑んだのは生涯忘れないだろう。同業他社の先駆者が凋落して姿を消したにも関わらず、彼女が生き残りその功績に相応しい地位を手にしたのは喜ばしいが、彼女を振り回した自覚のあるわたしとしては恐縮すると同時に、つい気やすさから余計なことも口走ってしまうのであった。
「矢郷さんは自分たちの手で本物のバーチャルアイドルを創造する既存のプランに、だいぶ未練があったみたいですけど……こうも数字に現れちゃうとね。おかげで矢郷さんを説得しやすかったんですけど、新参者が余計な口を利いちゃったかなって後悔もしていたから、そう言われると救われた気分になりますね」
大切な思い出の品が詰まっているというソアラさんの引っ越し作業を手伝いながら、わたしが彼女に口にしたのは嘘偽りのない本音だった。
そうだ、わたしにはこうなる未来が見えていた。矢郷さんと関わるようになって靄が晴れ、次第に鮮明になる誰かの記憶は、彼の挑戦が無惨な失敗に終わると日々警告してきた。
矢郷たち最高のスタッフが制作するバーチャルアイドル朱鷺乃ソアラのプロジェクトは、皮肉なことに製作費調達の一助になることを願ってデビューさせた所属ライバーの手で挫折を強いられるのだ。
理由は簡単。プロが本気で作った動画よりも、本物の天才がその場の思いつきで演じるライブ配信のほうが面白いからである。
持ち前の明るいキャラクターで視聴者を飽きさせない木洩日ハルカさん。刺激的な言動で視聴者を魅了、あるい困惑させる南国まつりさんに、それに輪をかけてエキセントリックな杠葉リッカさん。そして何かと物議を醸す2期生の菜月スバルさんに、ハルカさんの親友である篁エリカさん。ハムスターのような小動物ぶりで人気の水城あずささん……彼女たちの台頭は、契約に縛られて自由な活動ができないソアラさんの立場を脅かして余りあった。
見かねたわたしは再三に渡って矢郷さんを説得して受け入れられたが、それで本当に良かったのかどうかいまだに確信が持てない。
……だからだろうか、わたしがソアラさんの言葉に驚いたのは。
「まあ、矢郷も頑ななところがあるから、なかなか時勢を認められなかったけど勘弁してあげてね? あの人が当初のプランを棄てきれなかったのは、貴女が原因でもあるんだから」
「……そうなんですか?」
「そうだよぉ〜。ゆかりちゃんって化け物じみたエンジニアリングと、ため息しか出ない美術センスのイラストレーターとして期待されて入社したけど、実際にはアイドルが欲しがって妬いちゃうような才能がてんこ盛りでしょ? 容姿も同性のわたしが嫉妬する気も起きないほど美人だし、無敵の声帯に裏付けられた歌唱力に加えて、作詞と作曲の才能もプロが指導を辞退するレベル。そのうえ何ヶ国語に精通してるのっていう語学の天才だもん。矢郷も一時期はわたしと貴女の二本柱で勝負したいって思ってたみたいよ。肝心要のゆかりちゃんがすっかり裏方で満足しちゃって、呼ばれでもしないかぎり、滅多に配信しないことからキャパシティをオーバーしてるって判断して諦めちゃったけど」
「あ、あはは……」
あらためて指摘されると、たしかに矢郷さんが冗談めかしてチート転生者と疑うぐらいにはとんでもないスペックをしてるな、わたし……。
「ま、一時期は本気で忙しくてはぐれメタルみたいに言われましたけど、念願の自動翻訳もリアルタイムの音声変換に漕ぎ着けましたし、L2Aもモーションセンサー無しで擬似的な3Dを実現できるようになりましたから、これからはもうちょっと配信に顔を出す予定ですよ」
「おっ、いいこと聞いちゃったな。そういうことなら引っ越しが終わったら、新しい事務所で配信するから付き合ってね。……あ、それはこっちにお願い」
「はい、どちらも了解しました」
そうしてスタッフの一員として事務所の移転に協力し、ソアラさんの配信に共演者として久しぶりに視聴者の前に顔を出したわたしだったが……ソアラさんのチャンネル登録者数207万人に対して、わたしのチャンネル登録者数530万という数字はバグか何かじゃないんだろうか……?
まだ未成年でお酒が飲めないことを理由に打ち上げを中座して、都内の自宅(引っ越した)に引き上げたわたしは、早速信頼する腹心にこの疑問をぶつけてみた。
「まあ、その質問も今さらですね。私に言わせればゆかりのチャンネル登録者数が530万程度に留まっているのは、貴女が配信をサボっているからとしか言いようがないのですが……仮にゆかりが本気でVTuber稼業に打ち込んでいたら、ゆかりのアーニャちゃんねるの登録者数は最低でも億を超えているかと」
「いやいや……いやいやいや! そんな、億って……いくら何でもインフレしすぎだって!? 白◯プロジェクトのダメージじゃないんだからさぁ……」
「そうでしょうか? 私に並行世界を観測する術はありませんが、貴女が本気を出したもしもの世界には、全人類をファンにしたゆかりがいても私は驚きませんが?」
並行世界とかどこでそんな知識を学習したのか知らないけど、さすがに話が突飛すぎるな。
「わたしは信じられないな。最初期から一番頑張ってるハルカさんや、ブレイクした3期生の社畜ネキさん……じゃない、船長やぽぷらさんでも300万に届かないのに530万だよ? これはアレだね……わたしのアーニャチャンネルがホログラの公式も兼ねてることから、箱推し勢がご祝儀的に登録してくれただけだって。過信したらエライことになるよ」
「そのように仮定した場合、先ほどのゲリラ配信でソアラさまの最大値に倍する48万人の同接を叩き出せたのは何故でしょうか? 私はやはり視聴者がそれだけ貴女の配信に飢えていたからだと愚考しますが……」
ダメだ……やっぱりどう足掻いても口ではまったく敵いそうにない。そしてサブちゃんの意見が正しいと認めた場合、わたしはますます出しゃばるべきじゃないという結論に到達する。
「やっぱりわたしはこのままフェードアウトしちゃったほうがいいのかなぁ……裏方なのに出しゃばったのがそもそもの間違いだったかもね」
「何故です? 私は何故そう考えるのか、ゆかりの思考が理解できません。貴女は今まであんなにも楽しそうに彼女たちを売り出してきたではありませんか?」
「そうなんだけどさ……」
言うべきか迷ったけど、サブちゃんが本気で悩んでるように思えたので説明することにした。
「もともとわたしにはね、何かしなきゃ、っていうなんて言うのかな……使命感って言ったら大袈裟だけど、そんな気持ちがずっとわたしの中にあったの」
「ふむ……?」
「それがね、矢郷さんからVTuberの話を聞いたときにこれだって思えたのよ。だからわたしは得体の知れない衝動に急かされて行動する是非はさておき、矢郷さんと所属ライバーをサポートする日々に充実感を覚えたんだよね」
「……つまりゆかりはご自身がVTuberとして大成することに、最初からご興味がなかったと?」
「うん。一応ね、ハルカさんたちが苦戦するようならそっちでも頑張ろうと思ったけど、結局は杞憂に終わったからさ。だから今の状況だとわたし自身の立ち位置を見直す必要があるんじゃないかって、そう思ったんだよ」
わたしは自分でも理解しきれない心境をできるだけ丁寧に説明したつもりなんだけど、サブちゃんときたら立ち絵にため息までつかせて「やはり理解できません」ときたんだから困っちゃうよね。
「私もゆかりの配信は毎回楽しみに拝見してきましたが、あんなに楽しそうにしていたではありませんか? あの笑顔が偽りでないのなら、これからも力を合わせて盛り上げていけばいいだけの話でしょうに……」
「だからそれをやってみんなにとって目の上のたんこぶになったら意味がないって言ってるの! ただでさえわたしは入社の経緯からみんなに気を遣わせてるのに……もういい、今日はもう寝る。おやすみ」
言うだけ言ってベッドの上にコロンと寝そべる。
まったく、わたしは何をやっているのだろうか……これでは子どもの不貞寝と一緒だ。わたしは子どもの頃から欠かさなかった歯磨きを忘れていたことを思い出して慌てるも、いまだに消えないモニターの灯りに意地を張って顔を背け続けた。
はたしてサブちゃんはそんなわたしをいつまで見守っていたのだろうか……翌日に目を覚ますと開口一番に「昨夜は失礼致しました」と謝罪され、赤面しながら「こっちこそ歯磨きを忘れてごめんなさい」と口にして笑われることになったが、まあ、胸のつかえが取れたから良しとしますか。
それから特に仕事もなく怠惰な日々を過ごしていると、矢郷さんから緊急の呼び出しを受けて事務所に向かったものの、そこにはわたしを呼び出した本人の姿はなく、代わりにソアラさんたち6人の所属ライバーの姿が。
この時点ではめられたと悟るも、その目的は何であろうか。こちらを大真面目に見つめて立ち上がった2期生の菜月スバルさんは、居並ぶ一同を代表してこう切り出すのだった。
「カーチャン、ラーメン行かんか?」
「はいぃ?」
思わずズッコケそうになると、顔色ひとつ変えずに立ち上がったゲーマーズの黒狼美緒さんが頑丈そうなハリセンをフルスイングした。
「痛いよ、美緒しゃ〜?」
「ちったぁ言葉を選べや、ボケが」
「今度はもっと痛いよ美緒しゃ!?」
考えなし行動することに定評があるスバルさんと、基本温厚な常識人ながらスバルさん限定で毒舌を解禁する美緒さんの見慣れたやり取りではあったが、ハッキリと意味不明でもあった。わたしは視線で「なにこれ?」と助けを求めると、苦笑した2期生の水城あずささんが解説してくれた。
「なんかね、ソアラちゃんがゆかりちゃんを働かせすぎたから休ませるって言ってたのね? そしたらスバルがなんか心配しちゃって、Yagooの名前でゆかりちゃんを呼び出せってソアラちゃんに言い出しちゃって……」
「いや、あんな話を聞かされたら心配するよね? ただでさえカーチャンは働き詰めだったんだし、ちゃんとメシを食ってるのかなって心配して、Yagooの名前でも何でも使ってラーメンを食わせたくなるじゃんかさ?」
ちなみにカーチャンというのは、担当絵師を親と見なすこの界隈の文化に因んだスバルさん限定のわたしの呼び名で、Yagooというのは矢郷さんの間違った呼び方で、これまたスバルさん限定の矢郷さんの呼び名だったが、どちらもこの上なくおかしな呼び方だとわたしは笑みをこぼした。
「とりあえず事情は分かったよ。……スバルさんもありがとうね。ラーメンくらいいくらでも付き合うから、美緒さんも教育的指導はそれぐらいにしておいてあげてね」
わたしがお礼を言うと、美緒さんは「分かりました」とハリセンをテーブルの下に仕舞い込み、わたしと同様にようやく納得がいったという表情でスバルさんと同期のエリカさんが口を開いた。
「ゆかりちゃんは寛容なぁ……。ウチらが何を訊いても『スバルに任せろ』としか言わんかったから、正直ウチかて美緒の代わりにしばきたいと思っとんのに」
「まぁまぁ、スバルちゃんも悪気があってしたことじゃありませんから。お休みのところを呼び出してしまったゆかりさんには、その分サービスをして差し上げればいいじゃないですか。……もちろんスバルちゃんの持ち出しで」
そしてスバルさんに振り回されたエリカさんが不満を口にすると、学生時代からの親友だというハルカさんがフォローし、「スバルが出すのぉ!?」と素っ頓狂な悲鳴をあげたトラブルメーカーの頭に、またしても美緒さんが「言い出しっぺなんだから当たり前だろ」とハリセンを振るう。
そんな楽しげなやり取りについつい我慢できず吹き出したわたしに、矢郷さんの名を騙ったソアラさんが手を合わせて謝ってきた。
「振り回しちゃってごめんね? ただみんなが心配してたのは本当だから、勘弁してもらえると有り難いな」
「いえいえ、とんでもない……こっちこそ配信を再開するって言っておきながら怠けちゃって何でお詫びをしたらいいか……」
そうしてソアラさんと日本人らしく頭を下げ合うと、ようやく本音で語れる雰囲気になったのか、スバルさんが「そうなんだよなぁ」って机に突っ伏した。
「この前コラボしたソアラちゃんに、ゆかりさんがアーニャの配信に前向きになったって聞いて楽しみにしてたのにさぁ……それからずっとチャットにも顔を出さないし、スバルはもうゆかりさんに何かあったんじゃないかって気が気じゃなくて……」
「まぁ楽しみにしてたのはありますね。木洩日も1期生のみんなにゆかりさんの予定を聞いてくるように言われてるので……」
「2期生も大体そんなもんやわ。なぁ、あずにゃん」
「うん……。3期生も船長が張り切っちゃって、たしかマイクラで3期生のみんなと復帰祝いに何かやるって言ってたよ?」
「ゲーマーズもそんな感じですねぇ。やっぱりゆかりさんのアーニャが居るのと居ないとでは、気合いの入り方が違いますから」
口々にわたしとのコラボを熱望するみんなの姿に、わたしはサブちゃんの言葉を思い出した。
サブちゃんは言った。わたしがみんなとコラボしたときは本当に楽しそうに見えたと。ならばみんなと一緒にこの箱を盛り上げていけばいいだけの話ではないかと……。
「みんなはさ……わたしのアーニャとコラボして楽しい?」
だからわたしは訊いてしまった。これがわたしの独り善がりではないのかと。
「楽しいですよ」
真っ先に答えたのは1期生のハルカさんだった。彼女はなぜそんなことを訊くのか不思議そうに、それでいて心底嬉しそうにこう答えたのだ。
「ゆかりさんはもともと配信者としても抜群のスキルをお持ちですが、何よりアーニャのキャラクターがとても家庭的で、こちらに合わせてくれるのが嬉しいですねぇ」
「それな。余はゆかりちゃんと駄弁ってるだけで3日ぐらいハマれそうな自信があるわ」
「あ、それすごい分かる……ゆかりちゃんとお話ししてるとあっという間に2時間くらい経つちゃってさ。いつも視聴者にもう終わりなのって文句言われるんだよね」
「スバルも好きですよゆかりさんとのコラボ。……正直な話、絵も歌も下手っぴなスバルではゆかりさんとコラボしても宝の持ち腐れかも知れませんが、また一緒に遊んでもらえると嬉しいです」
「スバルにしてはいいことを言うね。私もゆかりさんのコラボ相手としては役者不足もいいところですが、みんなと一緒に歌とダンスを頑張っているので、もしよろしければまた誘って頂けると……」
うん……みんなの答えにわたしは引退を取りやめた。
というか、わたしは何を見ていたんだろうか……いつも誰かに迷惑をかけていないかと、過剰に心配するところは子供の頃から変わらないわたしの欠点だったが、本当にいつまで経っても直らないよね。
「それじゃあお腹も空いたしラーメンでも食べようか? 一応ラーメンを食べたらみんなと配信をしようかなって思ってるけど、肝心のラーメンはどうする? 出前を取るか、お店まで食べに行くか……みんなに心配させちゃったお詫びに全額出すから、どうするか決めてほしいな」
そのくせ機会があればいいところを見せようとお小遣いを奮発するところも、わたしの変わらない欠点かも知れないけど……そんなわたしを愛してくれる人たちもいるのだ。
「キタァー! そういうことなら木洩日は出前を取って少しでも長く配信をするに一票を投じます!!」
「余もハルカに賛成やわ! でもこの辺で出前に応じてくれるラーメン屋っておるん?」
「うーん……でもこの時間なら応じてくれる店もありそうですね、ちょっと調べてみます」
「それならよく使っているお店が3000円以上なら配達してくれるよ。わたしも何度か食べたことがあるけど、味のほうは中々だったね」
「あっ、そこならスバルYagooと食ったことがあるわ。Yagooの頼んだもやしラーメンめっちゃ旨そうだったから、スバルそれにするわ」
「ところでゆかりちゃん……配信って何をする予定なのか訊いてもいい?」
喜ぶみんなの意見を聞いて、今後の予定を修正する。
「ワードウルフって知ってる? 前からちょっと興味があったし、人数も丁度いいからどうかなって思ってるんだけど?」
「おーっ、いいですねぇ……そういうコトなら今からお題を練ってウチがGMをやるんで、ゆかりさんも回答者として参加してください」
「いいの? ありがとう、そうさせてもらうね!」
こうしてわたしの提案した突発コラボの内容はワードウルフに決定して、「ワードウルフって何だ?」と本気で不思議がるスバルさんを除いて盛り上がるなか、出前のラーメンを食べ終わったらいよいよ配信本番。
参加者全員の挨拶が終わり、異様に盛り上がるコメントに微笑み返したわたしは、司会兼GMを買って出た美緒さんに配布されたお題を受け取る。
ちなみにわたしのお題は『腹筋』──これが多数派のお題かどうかはまだ判明しないが、実のところ進化したL2Aは演者の顔色も忠実に再現するため、誰が正直者かはこの時点で丸わかりだった。
「それでは皆さんの中に、一人だけ異なるお題が配布された少数派が紛れ込んでいます。皆さんはこれから5分間お題について探りを入れ、多数派の方は少数派を特定して、少数派の方は多数派の追及を躱してください。……それではスタート」
そして美緒さんの掛け声を合図に、顔面蒼白のスバルさんが絶望も露わに口を開いた。
「…………ちなみにこれ好きなやつおるん?」
一体どんなお題を渡されたんだろうとみんなが笑いを堪えるなか、ハルカさんが素知らぬ顔で答える。
「わたしは結構好きですねぇ……わりと日常的によくやってますよ?」
「わりと日常的によくやってるぅ!?」
「おー、余もハルカがやってんのはよう見るわ」
その答えに顎が外れるんじゃないかと思うほど口を開け、エリカさんの追撃にその顔色は亡くなったお祖父さまと似たような土気色になった。
「あ、アーニャさんはしませんよね? そんなアイドルらしからぬ行為……?」
「わたしはあんまりしないけど、ソアラさんはよくやってるよね?」
「うん、わたしもハルちゃんほどじゃないけど、美容と健康のためによくやってるほうかな?」
「び、美容と健康のためって……?」
「これ絶対スバルが人狼でしょ!? ほらほら、もうバレてんだよ……さっさとゲロって楽になりなぁ?」
「そうだよスバルが少数派だよ! だから助けて!! スバルのお題は『腹パン』だけど、お願いだからみんなは違うって言ってよ……!!」
開始早々に降参したスバルさんの口から彼女のお題が判明──そりゃ死にそうな顔をするはずだと全員が笑い転げる。
「いやぁ、実は5分の1の確率に賭けたお題でしたが、期待以上に盛り上がりましたね。さて、次のお題を配布しますが、念のためこれはランダムで行われています。よって2回連続で少数派を引く可能性もありますが、今度はわりと平和なお題なので、腐らず最後まで健闘願います。……それではスタート」
ちなみに結果から言ってしまうと少数派は2回連続でスバルさんで、彼女のお題は『ガラケー』、わたしたちのお題は『パンツ』だった。
「これ最近持ち歩いてる人見なくなったよね?」
「えっ? そもそも持ち歩いてる人を見たことあるんですかスバルさんは!?」
「そっかぁ……それじゃあスバルちゃんは敵かな?」
「……あかん、余の腹筋が悲鳴をあげてるんだけど?」
「ええと……それは身に付けてるって意味なのかな?」
「ダメだよ、アーニャちゃん……スバルに餌を与えないで、囲い込んで……」
まさか今度は違うだろうという平和なお題に騙されたスバルさんが、顔色はそのままにビッシリと冷や汗を浮かべる。あまりの惨状に、わたしは心からスバルさんの挽回を願ったが、無論そのような祈りを聞き届ける相手はおらず、スバルさんはその後も散々だったけども、本人は楽しそうにしていた。
「いやぁ、最初はどうかと思いましたが、意外と楽しめましたねワードウルフも。次回も他に人がいなかったらスバルを誘ってくださいね」
実にあっけらかんとした笑顔に、みんなも自然と笑顔になった。
そんな突発コラボは平日の夕方だというのに異例の伸びを見せ、終わってみれば同接は60万、スパチャの総額は500万を数えるに至るのだった。
映像面や配信環境はもちろん、エネルギッシュかつユニークなライバーの質でも他を圧倒したホログラはその後も順調に成長して──そのことが業界の淘汰をうながし、再編をもたらしたのは避けられない流れだったのか。
わたしがこの会社に関わってちょうど1年となる2019年の5月を過ぎると、経営が行き詰まった同業他社から契約を切られたライバーの移籍が続出した。
その流れはホログラにとっても決して他人事ではなく、提携先や子会社の事務所からこちらに編入される子が現れるようになった。
その子たちは朱鷺乃ソアラさんたちと同時期にデビューした先駆者でありながら、経営者が時勢を読み間違え、大成せずに契約を切られたことから一様に打ちひしがれていたが、その中には少数ながら例外も存在した。
危機的な業界の再編をむしろ好機と見なし、野心的な営業によって自身を高値で売却することに成功した例外中の例外──個人勢でありながらうちへの移籍の条件に、自身のキャラクターをそのまま使わせようと目論む谷町みい子さんもその一人だった。
「それで谷町さんをそのまま加入させることで弊社にどのような利益があるのでしょうか?」
社長の矢郷さんと副社長のソアラさんを差し置いて、高卒の小娘が面接を担当すると知った谷町さんはわたしを侮っているようだったが、わたしの正体がホログラのキービジュアルとシステム全般を委ねられた『ましろん先生』であると明かすと後悔したような顔色となり、ついでに『1期生のアーニャ』であると明かすや泣きそうな顔になって黙りこくった。
「返事がないということは、そんな利益はないと判断することになりますが?」
「……はい、ありません」
完全に自信を喪失した様子に、わたしは持ち前の小市民的な良心がチクチクと痛んだ。
うん、誠に申し訳ないけれども……実のところこれまでのやり取りはほとんどプロレスである。わたしは谷町さんの面接を担当するにあたって、副社長のソアラさんにこう言われたのであった。
『ゆかりちゃんにお願いした谷町さんなんだけど、歌もすごいし矢郷の考える理想のアイドル像に近いことから契約することは決まってるんだけど、わたしやゆかりちゃんはともかく、それ以外の子たちを下に見てるところがちょっと気になるんだよね。だから彼女にその手の気配を感じたら、アーニャじるしの印籠を使って懲らしめといてよ』
わたしもあれから大好きな歌やお絵描きの配信を増やし、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのホログラの秘蔵っ子と認知されたことから、YTubeのチャンネル登録者数は国内トップ芸能人のそれを凌駕し、世界的なインフルエンサーのそれに迫りつつあったが、そんな相手をそうとは知らずに見下してしまったらこうなるのも無理はないか。
まったく、少しはフォローするこっちの身になってほしいなって胸中で嘆きつつ、自宅のサブちゃんと連携してタブレットの画像データを編集する。
「それでは弊社のシステムに合わせて、谷町さんのL2Dを改良してみましたがこちらならどうでしょうか」
元の画像を参照しつつも格段にブラッシュアップした『谷町みい子』のL2Aを提示すると彼女の顔色が変わった。
「これがみぃちゃんの新しい姿……?」
「弊社と契約したあかつきにはそうなります。……どうです? これなら少しは谷町さんの力になれそうですか?」
わたしが投げかけた質問の意味を理解したのだろうか? しばし茫然としていた谷町さんが思い出したように何回も頭を縦に振ってわたしの言葉を肯定する。
「谷町さんは本格的なアイドルを志望ということなので、弊社と契約後は歌はもちろん、ダンスや発声のトレーニングも行ってもらいますが、そちらも大丈夫ですか?」
「はい……わたしどんなことでも頑張りますから……」
「専門的なトレーニングだけではなく、社会人としての常識や法令遵守の精神なども学んでいただきますが、そちらも大丈夫ですよね?」
もはやわたしの言葉にうなずくだけとなった谷町さんは、整った目尻から大粒の涙をポロポロとこぼした。
「それでは落ち着いたらこちらのハンカチを使ってから契約書をよく読んで、条件に納得したらサインしてくださいね。それで契約は完了ですから」
わたしはそう言ってハンカチを手の届くところに置いたら、彼女に背を向けて決断を待った。
そうして5分ほど待っただろうか? やがて鼻を啜って泣き止んだ谷町さんは、躊躇いがちに自分の態度を謝罪してきた。
「ごめんなさい……。わたし貴女に会ったとき、どうせ見た目で採用された受付嬢か何かだろうと無意識のうちに侮って、ひどい態度を取りました」
「うん、まあ、わたしの見た目は軟弱そうだし、性格も気弱だから初対面の人には与しやすいと思われがちなんだよね。……女の人もそうだけど、男の人にもさ」
「はい、本当にごめんなさい。……でも言わせて? わたしはずっと貴女に会いたかった。わたしは貴女がわたしなんかよりずっとすごい人だってことを知ってる。ホログラで貴女が初めて担当した宵闇メルルさんのデザインを見たときから、初配信の貴女の歌声を耳にしたときから、貴女には敵わない……でも貴女のようになりたいってずっと憧れてた」
それは懺悔なのだろうか? それとも告白なのだろうか? 確かめたいと思ったわたしは振り向きたい衝動に駆られたが、いまは我慢した。
「そんな貴女がどうしてわたしの加入を認めてくれるの? 貴女から見たらわたしは傲慢ちきな身の程知らずでしかないでしょうに……?」
「その答えは簡単だよ」
そこでわたしはようやく振り返ることを自分に許し、とびっきりの笑顔を谷町さんに向けるのだった。
「わたしはこの見た目のせいで、男の人が苦手だった。……だから矢郷さんが初めてなの。あの人はわたしの見た目なんか気にせず、わたしの才能だけを必要としてくれた」
「────」
「だからね、わたしは矢郷さんのためにもあなたにホログラと契約してほしいの。だってあなたは矢郷に選ばれた理想のアイドルだもん。あなたを売り出すんだったらこっちだってもう全力よ」
わたしとしては嘘偽りのない本音を吐露したつもりだったが、なんだろうか……谷町さんはわたしの意図せぬところで感銘を受けたように大きな瞳を爛々と輝かせ、身を乗り出して追求してくるのだった、
「えっと、矢郷ってホログラの社長だよね? なに、アーニャちゃんってあのオッサンのことが好きだとか?」
思わぬ指摘に、わたしの顔は瞬く間に熱くなった。
「うわっ、乙女ぇ〜!! なになに、やっぱりそうなの? アーニャちゃんってば社長のことが好きなんだよね!?」
「いやいや、いやいやいや……別に嫌いじゃないけど、そんなホログラ設立以前から二人三脚でやってきたソアラさんを差し置いて、間に挟まるなんてねぇ……?」
「うわぁ〜初々しい……アーニャちゃんを見てると10歳くらい若返って、女子校にいたころを思い出しちゃうよ」
「さいですか……」
「で、その反応を鑑みるに、アーニャちゃんってまだ処女だよね? それともようやく卒業したばかりの恋する乙女かな?」
「ええとね……その件に関しては申し訳ないけれども黙秘権を行使します」
「えぇ〜? 教えてくれないんだったら勝手に想像しちゃうけどいいのかなぁ〜?」
ニヤニヤと意地悪く、それでいて子供のように純心にわたしという虫ケラを弄ぶ谷町さんを、わたしはどうした理由か嫌いになれそうにはなかった。
「ま、わたしって見た目よりお子ちゃまだからあんまり虐めないでね? これ以上続けると、谷町さんだけ旧来のLive2Dを使ってもらうことになるけどいいのかな……?」
「ナマ言ってすみませんでした!!」
そう職権を乱用した途端に最敬礼する谷町さんに吹き出し、顔上げた谷町さんもまた我慢しきれずに吹き出す。
うん、今のは配信中にやったら視聴者を騒つかせるだけじゃ済まないから、お互いに反省しなきゃいけないけど、一瞬で越えてはいけないラインを見極めた谷町さんのアドリブ、これは評価しないといけないと思うんだ。
「ところで今のホログラは箱内のコラボが活発なんだけど、谷町さんは誰か気の合いそうな子はいる? いなかったらこっちからみんなに谷町さんを紹介して、谷町さんを知ってもらうところから始めるつもりなんだけど?」
「ええと……」
わたしが訊ねると、谷町さんはしばし気まずそうに沈黙した。わたしとは異なる理由で人付き合いの苦手そうな谷町さんだったが、やがておずおずと口を開くと、自分でも半信半疑のような口調で一人の名前を挙げるのだった。
「そういうコトならわたしより一足早くこっちでデビューした、さくら餅みこさんかなぁ……? 気が合うかどうかまでは分からないけど、どう足掻いてもわたしには真似のできないものを持っているという意味では素直に尊敬してるし……」
「みこさんね。分かった。本人にはそれとなくその話を伝えて、谷町さんが箱内で孤立しないように取り計らうよ」
「すみません、よろしくお願いします」
ホログラも人間の集団である以上は、どうしても合わない相手が出てくるのは仕方のないことだ。でも人付き合いが苦手なことから誤解されるのも勿体のない話だ。
少なくともわたしは谷町さんのことが好きになれた。彼女の魅力をみんなに知ってもらいたいと思うし、その逆もまた然りだ。
そもそも一体どこの誰がギスギスとしたVTuberを見にくるのか。わたしも元は視聴者だったから解る。彼らは推しの笑顔を見にくるのであり、推しと仲良しのVTuberを自然と好きになるのだ。
3期生の加入で古参にまで波及したこの環境からあぶれる子を出したくない。そう思うのは相乗効果を狙う運営のエゴばかりではないのだ。
「しかしさくら餅みこさんか……」
はたして谷町さんが自分にないものを持っていると言ったのは、以前の落ち着いた雰囲気だろうか、それとも──。
そればかりは判断がつかず、谷町さんが捺印を済ませた契約書を受け取ったわたしは曖昧な笑顔で取り繕い、かえって彼女を不安にしてしまうのだった……。




