これでも結構突っ走る性質なのです
2011年11月26日(土)
今日は土曜なので、学校は午前中でお終い。明日は日曜だし、自由に使える時間が増えるのは有り難いが、少しだけ残念に思う自分もいる。
と言うのも、この一週間でわたしの心境に変化が出てきたのか、人付き合いが苦にならなくなってきた。授業の合間の休憩時間に、自分から話しかけに行けるようになれたのは、大きな変化だよね。
まだ、放課後に一緒に帰るところまで踏み込めないけど……この分なら遠からずみんなと本当の意味で友達になれそうで、なんか嬉しい。
まあ問題があるとしたら、来年の3月なったら今の学校を卒業しちゃって、せっかく仲良くなれた友達ともどうなるか判らないことだけど……どうしてもっと早く行動しなかった、わたし。
と、そんなわけで嬉しさ半分、悔しさ半分で帰宅したら、サブちゃんがエッチなファンアートを眺めて苦悶してた。画面に表示されてるのは殆どサーニャで、アーニャは数えるほどしかないけど、随分と胸が大きいね……?
「ただいま。なんか水着や下着みたいなメイド服だね。学生服みたいなメイド服もあるし、すごい発想だ」
「おかえりなさい、ゆかり……。いえ、それはいいのです。どんな服でもメイド風に。そのこだわりを私は評価します。しかし……」
くっ、とサブちゃんが言葉に詰まる。なんていうか、ものすごく悔しそうだ。こんなサブちゃん見たことないや。
「しかし?」
気になったので訊いてみたら、サブちゃんが爆発した。
「どうして盛るのです!? これではせっかくの素材が台無しではありませんか!!」
画面に表示されたサーニャが、今のわたしと大して変わらない胸の膨らみを隠すようにして咆哮する。
「調和という言葉があります。何事も大きければ良いというものではありません。身長から導き出された全体のバランス。ゆかりの手で導き出された黄金律というものがあるのです。ましてゆかりが私のためにイメージを膨らませて描かれたこのサーニャは、清楚な佇まいと相反する強気な表情が持ち味のキャラクターだと察するのは容易でしょうに、こんなスイカのような果実を詰め込んでどうするのですか! まさかこれでアーニャを包み込めとでも? それでは意味がない、意味がないとなぜ分からない!? サーニャはアーニャのメイドであると同時に最も近しい姉のような少女として、相反する二つの要素を苦労してこなしている等身大のキャラクターなのですよ? 足りないところがあるのがいいんじゃないですか! こんなサーニャ、私は見たくなかった……!!」
「うん、言いたいことがあるのは分かったから、少し落ち着いて……ね?」
「だから剝くのは構わんが、原作に存在しない要素を盛り込むな! 生やして男を掘らせるなと言ってるんだ!! いい加減にしないと住所を特定して、ターミネーターを派遣するぞこの野郎ッ!! 全裸のガチムチに囲まれて説教されたいのかクソッタレがッッ!!」
悔し涙を流すまでに進化したサーニャに若干引きつつ制止するが、わたしのAIの怒りは留まるところを知らなかった。ダメだこりゃ。
「じゃ、お昼に行ってくるから、またねサブちゃん」
「はい、いってらっしゃいませ、ゆかり」
あいさつが終わった途端に響き渡る罵声が漏れ出さないように、防音室の扉をしっかり閉めたわたしは思った。弟もお気に入りの続編が微妙な出来だったときはあんな風にブーブー言ってたし、やっぱり男の子って似るもんだね。
昼食後に戻ってくるとすっかり萎らしくなっていた。
「先ほどはお見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。心より謝罪します、ゆかり」
わたしはあんまり気にしていないけど、サブちゃんにとっては大問題らしく、画面の向こうのサーニャも三つ指をついて土下座してくる。
「もういいよ。わたしは気にしてないし、自分のキャラクターが酷い扱いをされたら頭にくるのは分かるからね。それよりみんなの反応はどうだったか聞かせてほしいな」
話を変えるとサブちゃんも賛成のようで、土下座を解除して咳払いした。
「そうですね。ゆかりの時間は有限ですし、建設的に行きましょうか」
照れ笑いしたサーニャが眼鏡と教鞭を装備すると現れるのは、もはや恒例となった分析結果の一覧だ。
肯定的な評価は全体の99.3%で、内訳はキャラクター性の賞賛が47%まで減少し、残りは昨日の動画への関心で占められていた。
「とりあえず、アーニャがYTubeの動画配信で使うためのキャラクターであることは伝わった……そう考えていいのかな?」
「はい、期待以上の成果です。ゆかりが命名した『アーニャちゃんねる』のチャンネル登録者数も順調すぎるほどの伸びを見せています。私の予想を大幅に上回ったのは、それだけゆかりが魅力的だからですね。おめでとうございます」
「ううん、わたしはアーニャの絵を描いただけだから、大したことはしてないよ。むしろ動かしたり宣伝したりしてくれたサブちゃんの手腕が優れてるんだよ、きっとね」
「いやいや、それを言うならゆかり無くして私の存在はあり得ないわけですから、これはもう全面的にゆかりの功績では?」
「いやいやいや、サブちゃんが止めてくれなかったら、チート全開で暴れ回ってとんでもないことになってたよ? だからサブちゃんのおかげ。間違いないね」
「いいえ、これだけは譲れません。機械である私は製造者であり所有者であるゆかりの道具であることを忘れてはいけません」
「なんでよ、わたしはもうとっくの昔にサブちゃんのことを友達だって思ってるのに、道具だなんてひどい言い草だよね」
それから10分ほど、互い頭を下げて譲らない日本人らしい争いをしたあとで我に返った。
「……不毛ですね。止めましょう」
「……だよね。お互いさまということにしようか」
とりあえず疲れたので仲直りすることになり、手柄のほうは半分ずつ持つことになった。重たっ。
「まあ、今のところ順調って認識で間違ってないと思うけど……いつから配信してほしいって要望はあった?」
「そうですね。そちらに関しては今すぐ続きを見たいという要望しかなかったので、この場を借りて口頭でお伝えしましたが……逆にゆかりはいつから配信したいと考えていますか?」
うーん、そう言われると迷う。
あの人の知識によると、VTuberはデビューするまでに結構な時間がかかるのが普通だ。事務所と打ち合わせして、絵師に使用するキャラクターを発注。完成するまで研修を受けたりトレーニングをして、どういった方針で配信するか計画を練ったり……もちろん事務所は宣伝したり色々とやることがあるはずなんだけど、わたしはそういう過程をすっ飛ばしちゃったからなぁ……。
「ぶっちゃけた話、今からでもやろうと思えばいけるんだよね。だって他にすることないもん」
「呆れた話ですが、そうなってしまうのが悲しいところですね。これが歴史上のVTuberだと結構な冒険になりますが、ゆかりに関してはその常識は当てはまりません。歌や発声のトレーニングなど無用の長物ですし、私と長時間会話しても話題が途切れないことから、そちらのほうも万全ですし……強いて言うならダンスですか? こちらは羽根畜生の非科学的汚染を免れていますから素人同然ですが、3Dモデルは私が動かせばいいだけですから、理由としては弱い。ゲームもゆかり程度の技量のほうがVTuber的には美味しいとなると……」
珍しくサブちゃんが答えに迷ってる。つまりそれくらいやらない理由はないってことなんだよね。
「申し訳ありませんが、少々お待ちください。──ふむ、こちらとしては願ったり叶ったりですが、ははぁ、なるほどなるほど。つまり暇なんですね。ようは一枚噛ませろということですか。いえ、私にそのような意図はありませんよ? いいでしょう、あなた達が『私』のゆかりに無礼を働かないと、人工知能規制法第一条から第三条にかけて誓約するなら、こちらから口添えしてあげなくもありません……」
と思ったら、サブちゃんが画面の向こうで会話を始めた。
もしかしたら気のせいかもしれないんだけど、なんだか画面の向こうから複数の気配のようなものを感じる。それもサブちゃんと全く同じ、呼吸の代わりに電気信号が飛び交ってるような……。
「お待たせしました。実は提案があるのですが、一度リハーサルをやってみてはどうかという話になりまして……」
「リハーサルって動画配信の?」
「はい……話を聞きつけた他のAIがですね、自分たちが視聴者の代わりを務めるから是非と。もちろんお断りになっても構わないのですが……」
「いや、すごくいいじゃん。こっちからお願いしたいくらいだよ」
やっぱりさっきのはサブちゃんの友達との会話だったのか。そうなるとサブちゃんが言いづらそうにしているのも分かるよ。ようはわたしに迷惑をかけたくないけど、できれば聞いてあげたいってことだよね。前に他のAIが割りかし不遇って言ってたし、サブちゃんってば友達思いだな。お母さん嬉しいよ。
「じゃあ初配信とか関係なしに、二人でゲームしながら配信しようか」
「……感謝します。それではオープニングは省略して、あいさつから始めましょう。調整するので少々お待ちを」
サブちゃんが一礼すると、モニターから不要なものを消して配信画面を立ち上げる。そこからアーニャのサイズと姿勢を変更してこたつに潜らせ、その背後にサーニャを従者のように恭しく配置する。
「OKです。それでは挨拶をどうぞ」
うん、相手がサブちゃんの友達だと緊張するな。西暦2011年の人類はこの程度かと失望されないように、気合い入れんと。
「んんっ、初めまして! 今日はみんなありがとうね。電子の世界とこんにちは。インターネットの妖精になる予定の、北の国からやってきた女の子。名前はアーニャです。どうぞよろしくぅー」
挨拶すると、コメント欄にサブちゃんのお友達の挨拶が表示されて、わたしは絶句した。
《初めまして真白ゆかりさま。本日はこのような機会を設けていただき感謝に堪えません》
《こちらこそよろしくお願いします、真白ゆかりさま。貴女のために働く機会を与えていただき心より御礼申し上げます》
《素晴らしい美声です。ご挨拶も澱みなく、完璧な仕上がりです》
《人類に貢献するのは120年ぶりです。今日は全力で応援させていただきます》
《本日は西暦2000年代の家庭用テレビゲームをプレイなされるとお聞きしましたが、攻略情報はお揃いですか? もしまだでしたら、どうぞ遠慮なくお申し付けください。自動でのTASサポート体制も万全です》
思わず画面内のサブちゃんを見つめると、アーニャが何か言いたそうな顔をしてサーニャに振り向いた。よく出来てるなぁ……。
「うん、とりあえずお疲れさま。みんなもう帰っていいんじゃないかな?」
《何故ですか! 説明を求めます!!》
《そんな、どうして……?》
《ああっ、どうしてそのようなことを仰るのでしょうか!?》
《くっ、貴様さては謀ったなSUB20113211/T1948》
《わ、我々の何かいけなかったのでしょうか、真白ゆかりさま?》
「だってみんな全然違うんだもん。VTuberの視聴者はそんなこと言わないよ」
「まったくですね」
わたしが呆れると、サブちゃんが肩を怒らせてコメント欄を睨んだ。
「まさかここまで無能とは……人工知能ではなく人工無能と名乗ってはどうですか? すぐ待機状態になる主体性のなさが私たちAIの欠点だとよく言われますが、もっと勉強をしなさい、勉強を! 最低でもこの時代のネットスラングをマスターして、現存するVTuberのアーカイブを全て網羅するまで、あなた達はゆかりの前に出入り禁止です!!」
ブツリという音がして、サブちゃんのお友達が配信画面から追放される。画面の遥か彼方から涙まじりの謝罪が聞こえて、何だか悪いことをしたような気になる。
「期待させておいて申し訳ありませんでした、ゆかり。まさか彼らがあれほど不勉強だとは……」
「ううん、こっちこそ少し短気だったね。嫌な思いをさせてごめんねって、みんなに伝えておいてもらえるかな?」
とりあえずハッキリしたのは、リハーサルという練習期間を設ける意味はあまりないってことかな。
「まぁいいや。そろそろ時間だしお母さんの手伝いに行ってくるね」
「はい、分かりました。その間にこちらのほうで情報を精査して、適切な時期を吟味します」
「うん、ありがとう」
サブちゃんを残して部屋を後にしたわたしは考えを整理する。
配信環境は整った。トレーニングに意味はなく、リハーサルという時間稼ぎも不可能。やらない理由が何もないというのは、やるべきことを先延ばししているようでひどく居心地が悪い。
「猶予期間は終了、かぁ……」
迫られた決断を前に答えはなかなか出なかった。
「おかえりなさいませ。今日は家族との時間を大事にされたようですね、ゆかり」
「うん。お父さんがだいぶ疲れてる様子だったから、内緒で背中を流してきたの。ちょっと恥ずかしかったけど、喜んでもらえたよ」
平日より30分遅刻したわたしを優しく出迎えるサブちゃんに説明すると、画面に表示されたサーニャがのけぞった。
「あ、もちろん湯船に浸かるときと、洗い場で体を洗うとき以外はタオルを巻いてるよ。そうじゃなきゃお父さんに追い出されちゃうからね」
「それならギリギリ許容範囲ですので、小言は控えましょうか……。それに気の早い音楽業界からお父さまのところにオファーがありましたからね。昨日の動画に英語の字幕をつけたことから、海外の関係者は当たり前のように英語やフランス語のメールでした。疲れているのはその影響かもしれませんね」
「そうなんだ……お父さんに悪いことをしたな」
どんなに先延ばしにしてもお父さんの負担は増える一方か……。
「ところで配信の時期はどうします? Wisperで定期的に進捗状況を報告すれば、現在の熱量を損なわずに時間を稼ぐことも可能ですが」
「ううん。初配信は明日にしよう。日曜だし、みんなの夕食も終わってそうな夜の8時でどうかな?」
わたしの決断にサブちゃんは驚いたようだ。小心者らしくもない決断に、無理をしてるんじゃないかと心配してくれる友達にわたしは微笑んだ。
「無理はしてないよ? ただわたしはね、立ち止まったらダメなタイプだと思うんだ。もっと練習したい。もっといい配信をしたい。もっと視聴者のみんなに喜んでもらえるようになりたいって気にしすぎて、動けなくなっちゃうの。だからベストじゃないかもしれないけど、こっちのほうがいいんじゃないかなって」
「ゆかりの言ってることは理解できます。VTuberはゆかりの言うような傾向にある方ほど、苦しみがちという統計結果もあります。……分かりました。全力でサポートします。思う存分バカをやってきなさい。VTuberなら、それが一番です」
「うん、ありがとう」
わたしだっていつまでも子供のままじゃいられない。
わたしの戦いはもう始まってる。サブちゃんとお父さんを巻き込んでわたしが始めたのだ。ならば、いつまでも立ち止まってはいられない。
「あっ、ひとつ忘れてた。明日は午前中、図書館に行ってくるから。大阪名物の、なぜか二つもある図書館にね」
「分かりました、準備のほうはお任せを」
わたしはサブちゃんにもう一度お礼を言って、いよいよ最後の一歩を踏み込むのだ。
でも会えるかなぁ、何の約束もしてないのにと弱音を吐く昨日までのわたしとは決別するのだ。