幕間『無垢な少女は変わらず、ありのままに己の流儀を貫く』
2012年4月2(月)
今年の春休みは9日の日曜までとまだ半ばもいいところだけど、今日は新年度最初の平日ということもあって色んなイベントが開催される。
日本中の子供たちが期待に胸を膨らませて参列する入学式もそのひとつ──となると、今日から中学生になるわたしも奮って参加しなきゃだよね。
そんなわけで今朝は入学式に参加するために早起きして、上品な制服に身を包んだら朝食を頂いたんだけど……わたしのテンションが高めだったのはここまで。
自宅の前に停まっているやたら縦長の高級車と対面したわたしは、ままならない現実を突き付けられたような気がして、朝っぱらため息が止まらないのだった。
「どうしたんです、ゆかり。今日からピッカピカの中学生だというのに、これ見よがしにため息ばかりついて」
「だって中学初日の朝っていったらさ、初めての制服と楽しい中学生活を想像して心も体も軽くなり、ルンルン気分で桜並木をスキップするのを想像してたのに、現実はこれなんだもん。そりゃあね、ため息の一つや二つくらい出るよ……」
リムジンという専用の運転手を必要とする車種の、後部座席ならぬ客室で向き合うお付きのメイドにぼやく。
そんなちょっと普通ではない車が高速道路を駆け抜けて向かう先は、やっぱりちょっと普通ではなく、偏差値が70以上もあるという私立の中学校だ。
その名も京都修学院女子中等部。明治時代に皇族や華族のための教育機関として設立された、超が付くほどの名門校──それがわたしの通うことになる学校の名前だった。
いや、本当にどうしてそうなったんだろうね……?
「わたしはアーリャと同じ中学か、それが無理なら地元の中学に進学するつもりだったのに、どうしてこうなったんだか……」
「まだそんなことを言ってるのですか? ゆかりが公立の学校に通えるはずがないでしょうに……」
わたしとしては不満もあるが、そんなことはないって言い切れないのが悲しいところだ。
わたしこと真白ゆかりはもはや一般人と言えないところがある。
わたしがアーニャの中の人であることは広く知れ渡っているし、それがなくても世界の長者番付に名前を記されているという現実もある。
恐ろしいことに冬休みの前に敢行したファーストライブは、サーニャの未来予測を上回るほどの成功をおさめ、アーニャちゃんねるのチャンネル登録者数は10倍以上に跳ね上がり、当日に解禁したスパチャの総額もとんでもないことになった。
うん、思わず二度見どころか十度見くらいしちゃったもんね。
そちらはクリエイターの育成を目的に設立したサーニャの財団に全額寄付したからいいんだけど、他にも家族やペットなどプライベート周りの雑談をメインにしたメン限関連や、アーカイブ動画の再生数、広告収入、さらにはRe:liveの事務所が展開したグッズ関連の収益からは逃れられなかった。
いまや自分の口座で塩漬けにしている預金の総額は兆単位……そんなわたしが地元学区内の公立校に通った場合はどうなるのか?
サーニャの話によれば身代金目的の誘拐犯は、いまも24時間体制でわたしやわたしの家族を狙っているらしく、護衛の人たちが神経を尖らせてるとか。
護衛の人たちは全員が米軍の特殊部隊やFBIなどからの転属組で、わたしたち家族が平和に暮らせるのはこの人たちのおかげだけれども、彼らが校内のいざこざに介入するのは難しい。
そうなると出でくるわけだ。緊急事態を除いて護衛の人たちが立ち入れない校内に潜む危険にどう対処するのかという問題が。
残念ながらわたしの地元には反社と呼ばれる人たちが普通にいて、彼らの母校である中学校にはその影響下にある子供たちも大勢いる。
いわゆる不良と言われる男子生徒たち……過去には実際に女生徒を狙った痛ましい犯罪まで起きているとなると、そりゃあ心配性のお父さんじゃなくても不安になるよね。
もっとも、彼らが「おまえ俺と付き合えよ」だの「おい待てよ、逃すと思ってんのか」ってやらかそうものなら、わたしのメイドが一切の遠慮をかなぐり捨てて護衛の人たちを空間転移で送り込み、武力制圧を試みることは確実だからそういう展開にはならないんだけど……そんなことお父さんには説明できないよね?
だから私立の女子校に通うことになったのはわりと納得してるんだけど、そこに磐田社長や現職のアメリカ大統領まで首を突っ込んできたのはどうなんだろうか。
彼らの言い分は、偏に『ゆかりさんに相応しい学校を』であり、そのために色々と手を尽くしてくれたことには感謝しかないが……最終的に京都修学院が選ばれたことについては今も畏れ多い気分である。
学力的にも身分的にも分不相応なことこの上ないが、この件について突っ込むといろんな人に迷惑がかかるため、不満はサーニャにしか打ち明けていない。
「ま、根っからの庶民であるゆかりには色々と荷が重いかもしれませんが、学力面のサポートには私がいますし、身分的なものも私の義父をあくまで視聴者の一人として割り切ったゆかりなら十分に乗り越えられるのでは?」
「うん、わたしも自分から望んでいまのわたしになったんだもん。だったら相手が何だろうと負けるわけにはいかないけど……それでもちょっとドキドキしちゃうのは見逃してほしいんだ」
「ええ、もちろんですとも……さて、今日のイベントは始業式と、クラスメイトとの顔合わせ程度ですから、配信者として鍛え上げたコミュ力で乗り切ってくださいね」
「わたしのコミュ力なんて大したもんじゃないって知ってるのに、そんなこと言っちゃってさ……ま、張り切りすぎてやらかさない程度に頑張るよ」
とまぁ、そんな会話をしたはずなのに、入学式の最前列ど真ん中で早速やらかしたのはご愛嬌だ。
別に本気で歌ったつもりはなかったんだけど、国歌斉唱のあとに周囲の新入生と壇上の教職員の注目を一心に浴びて拍手されたときはさすがに焦り、お辞儀して誤魔化したわけだけども、それで終わる話ではなかったようだ……。
「さすがゆかり様ですわね。わたくし思わず聞き惚れて、自分で歌うのを忘れてしまいましたわ」
始業式が終わり、割り当てられた教室に到着するなりとっても素敵な笑顔で話しかけてきたのは、なんとこの国の皇族である内親王殿下その人であった。
「しかもゆかり様のクラスメイトになれるだなんて! これからゆかり様と一緒に学べるのだと思うと、わたくし本当に楽しみで、楽しみで……ねぇ、輝夜さんもそう思うでしょう?」
「はい、麗子様。私のような浅薄な小娘が麗子様やゆかり様の御学友として相応しいか疑問は尽きませんが、選ばれた以上は誠心誠意努めあげる所存ですわ」
そして四菱財閥の御令嬢だという輝夜さんまでわたしを持ち上げるんだから堪らない。
どう考えてもこの二人の学友に相応しいか試されてるのは、わたしのほうだと思うんだけどな。
「……恐縮です。わたしも麗子さまと輝夜さまのクラスメイトして、ええと恥ずかしくないようにできたらいいなって思います」
「まあ、いけませんわゆかり様」
「はい、私たちはゆかり様とお呼びいたしますが、ゆかり様が私たちをそう呼んではいけません。父に知られたら、なんということをしでかしたのだと叱られてしまいますわ」
だというのになけなしの礼儀作法をかき集めて挨拶したはずが、二人ともまるでわたしのほうが格上の人物であるかのように止めてくるんだから、本気でワケが分からないよね……。
日本の象徴である天皇陛下のお孫さんと、国内トップ財閥である四菱本家の娘さん。そんな二人にお姫さまのように扱われてしまったわたしは、友人との距離が詰められず悩んでいた半年前に逆戻りしたような気分になった。
これならわたしの好きな悪役令嬢物のように「あら、高貴なる方々しかいらっしゃらないはずの当校に、随分と田舎くさい庶民の小娘が紛れ込んでいますわね」っていじめられたほうが気が楽まである。
そのときはどう接したらいいのか判らず、曖昧に言葉を濁すしかなかったわたしは、帰りの車内で頼れる相棒にさっそく泣きつくのだった。
「というわけで、二人とも自分たちは様付けを貫くのに、わたしがそうするのは許さなくってさ……ねぇ、笑ってないでこれってどうしたらいいと思う!?」
「何をいうのかと思ったら、なんともゆかりらしい……いえ、ゆかりらしくない泣き言ですね」
だというのにサーニャときたら、いつも以上に辛辣というか、なんというか……。
「お二人がゆかりにそのような態度を取ったのは、上流階級の政治感覚を思えば至極当然のことかと。今やゆかり単独で国内GDPの二割近くを稼ぎ出し、私の財団を通して国内外への投資も積極的に行い、世界経済に与える影響も絶大なのですから。私の義父や各国首脳とのパイプを除いても、公的な立場のある内親王殿下や、ゆかりの意向に神経を尖らせる四菱財閥の御令嬢はそう振る舞うしかありません」
そう言ってニヤリと挑戦的に笑ったサーニャはこう言うのだ。
「それに相手が誰だろうと、一期一会の精神で全力で楽しませるのがゆかりの哲学でしょうに。彼女たちの謙った態度が不満なら、そんなことも考えつかないほど魅せてしまえばよろしいのでは?」
そうだった……わたしとしたことが一番大事なことを見失っていた。
「そうだね。サーニャの言う通りだ。……よし。月曜になったらさっそく『様付けなんてくだらねぇぜ。それよりもわたしの歌を聞け』ってやってみようかな」
「それは洗脳と変わらないから止めたほうが賢明ですね」
そんな話を冗談半分に交わしながら帰宅して、挨拶、手洗い、うがい、着替えと順番に済ませたら昼食の時間である。
食卓を囲うメンツはいつもと変わらず、いまや成犬と変わらないほど大きくなったユッカ以外は、誰もがわたしの話を聞きたそうな顔をしている。
こういうときにいい意味で遠慮がなく、果敢に斬り込んでくるのが弟の持ち味だ。
「なぁ姉ちゃん、うわさの超名門校はどうだったよ? わざと足を踏まれたり、靴を捨てられたりしなかったか?」
言ってることはまんま悪役令嬢物の定番だけど、弟ときたら心配そうな様子はまるでなく、むしろどう反撃したのかを聞きたがっているみたいで、わたしは思わず笑ってしまった。
「えっ、なになに? お姉ちゃん入学初日にいじめられたの?」
「ううん、むしろ逆だね。わたしとしては弱肉強食のサバンナに放り込まれたような心境だったけど、みんなとっても親切で、逆に緊張したって話よ」
そして面白そうな話なら迷わず食いついてくる妹にそうじゃないって答えると、お父さんが安心したように笑うのだった。
「京都修学院女子中等部は在校生の方々はもちろん、新入生の方々もれっきとした御令嬢ばかりだからな。順平の言うような低俗な嫌がらせをするような方々はおらんよ。たしか皇族の麗子さまもゆかりと同じ新入生だったか?」
「うん、クラスメイト。会って早々にゆかり様って呼ばれるわ、わたしが麗子さまって呼んだらわたしのほうが格上なんだから過度の敬称は不要だって注意されるわ、わりと散々だったよ」
そんなお父さんに初対面の騒動を報告すると笑顔が引きつり、お母さんが楽しそうに笑った。
「麗子さまらしいわね。もともとこの国の皇族の方は、自分たちのほうこそ天下万民に奉仕する立場だと仰って、過度の謙遜を好まれないのよ。だからゆかりも普通に接してあげなさい。そのほうが喜ばれるわよ」
「うん、今日は失敗しちゃったけど月曜からそうするつもり」
お母さんの言うように、中学生になって最初にできた友人達にお姫さまのように扱われるのは一度きりで十分だ。
あんなに居た堪れなかったのは、直近だとS社から発売されたアーニャのCDの件で、向こうの社長さんに土下座されたとき以来かな?
この件は今から三ヶ月くらい前の話になる。わたしのデビュー直後から待望論のあったアーニャのファーストアルバムは、昨年のクリスマスにN社公式生放送『社長に訊く』で正式発表され、年が明けてすぐとなる1月11日に発売されたんだけど……俗に言う転売屋の人たちの餌食になったんだよね。
当初の予定を変更して、ファーストライブの新曲も収録。直筆のフルカラー全64ページのビジュアルファンブック付きで、お値段3000円のファーストアルバム『Anya's』は、日々急増するアーニャちゃんねるの登録者数を考慮して全世界で3億枚が用意されたんだけど、それでも大部分が買い占められてしまったというのだから驚きだ。
だからよほど幸運な人を除いてファンの手元には行き届かず、フリマサイトで100倍近い値段で売りに出されるに至って、世界中の人たちの不満が爆発した。
抗議の動きは国際社会も巻き込み、WTOは今回の買い占めを単なる転売行為と見なさず、値段のつり上げを狙った事業者集団による悪質な買い占めと認定。
世界中の国でフリマサイトの締め付けが始まり、転売行為を原則禁止とする法律が相次いで制定されたわけなんだけど……そんな騒動の最中に、不手際を謝罪にいらしたS社の社長さんに土下座されちゃってね。
別に社長さんが悪いわけじゃなく、制度や法律が追いついていないだけなんだから気にしなくていいのに……いやぁ、あのときは本気で焦ったんだよね。
ま、災い転じて福となり、比較的短期間でこの問題も解決したわけだし、主にG社とAC社が主導するデジタル版を前倒しで販売して急場も凌げた。
損をしたのは定価割れの値段で過剰在庫の整理を余儀なくされ、制裁金も科された転売屋の皆さんだけ。誠にめでたしめでたし。この調子で今回もクラスメイトの問題を解決しよう!
そんなわけで昼食後は、自分の部屋で相棒と作戦会議の時間となった。
「やっぱりさ、わたしとしては地道に配信で勝負するしかないと思うわけよ。今日は初対面だからああだったけど、毎日コツコツ積み重ねればそのうちもっと詳しい話を聞かせてってなって、そのなかで距離を縮めていけるんじゃないかなって」
「なんていうか想像以上にまともな方法で驚きましたね。性急に結果を求めず地道に勝負する。ゆかりも成長したものです」
サーニャときたら相変わらず一言多いんだけど、基本的にわたしの方針を支持してくれたので、そうなると今日の配信をどうしようかって話になる。
わたしも以前はVTuberの存在を世間一般に定着させるために、アーニャの配信を毎日決まった時間にやってたんだけど、その目的を達成したのに加えて、自前のRe:liveや提携企業のRevisionに所属するVTuberが増えてきたこともあって、休みの日は他の子の配信に混ざったり結構不定期に活動している。
なので思い立ったら吉日とばかりにいますぐ配信してもいいんだけど、その内容をどうするか。
やりたいことはまだまだいっぱいあるし、できればやってほしいと頼まれていることもいっぱいあるので迷うんだけど……比較的優先順位が高いのはやっぱりアレかな。
「うーん、世間の注目が高いって意味で言うなら例のアレかなぁ……ほら、サーニャも一枚噛んでるヤツ」
「ふーむ……例の件はアメリカ国内の体制が整うまで延期になっただけですが、当事者が舞台裏を明かすわけにもいかず、部外者の憶測がさも事実であるかのように語られていますからね。ここらで正しい情報を発信するのは良いアイデアだと思いますよ」
サーニャもこう言ってるし、ならば善は急げだとばかりに、まずはDScordで事務所の了解を得る。
さっそく対応してくれた北上さんも「ぜひやって欲しいッス」と言ってくれたので、追加のメッセージで参加してくれるメンバーも集める。
すると予想以上に後輩たちの応募が殺到したけど、今回は配信の趣旨から言ってこの三人に決定。残念な結果となった後輩たちに、また今度いっしょうに遊ぼうねってフォローしたら、自分の枠を取ってWisperで告知。
さて、あとは時間になるまで準備するだけなんだけど……ディスコでN社から送られてきた資料には、まるでわたしの預金通帳のように目を疑いたくなる数字が記載されている。
「何度見てもデタラメな性能だよね。いきなりこんな話をして信じてもらえるかなぁ?」
「私が設計したフロンティア・スピリッツ号が超光速航行を達成して、たった数日で6.8光年離れた地球型惑星を発見して帰還してきたというのにそんな心配ですか? 世間はもうゆかりの言うことなら逆の意味で取り合いませんよ」
「あの艦のことまでわたしの所為にしないでほしいんだけど、他にもいろいろと前科があるからね……今回は世間に優しく、あまり驚かせない方針で行こうか」
まあ、そうは言ってもオブラートに包むほうは大変だよ。
特にこの最後の項目……聞いた話じゃ磐田社長にゲットされたサーニャのお仲間が関わってるらしいんだけど、さすがにこういうのは漫画やアニメの世界だけにしてほしかったな。
いや個人的にすごい楽しみなんだけど、自分で説明するとなると色々と手順がね。
わたしは困ったもんだとため息をつきながら、問題の資料を読み漁るのだった。
時刻は日本時間の午後2時。この時間ならヨーロッパは早朝、アメリカでも深夜前と、ワールドワイドの配信を意識したアーニャちゃねんるとしては悪くない時間帯だ。
配信形式はL2Aによる2Dの雑談形式。参加者は司会のわたしに、解説役のサーニャ。そして質問役にこの三人を抜擢。さっそくやっていこう。
「ハローYTube。みんなお待たせ、N社公式VTuber。アーニャちゃんねる主催の電子の妖精アーニャだよ。さて、本日第一弾の配信はご覧のゲストをお迎えして、みんなの気になる話をしていこうと思います。それじゃあ順番に挨拶してね?」
「はぁーい! どぉーもみなさん、Re:live0期生の仲上ハルカです。本日はゲーム業界に詳しい人間として呼ばれたんですけど、どんな話をするんでしょうね? それではよろしくお願いしまぁーす!!」
「はいっ、日本はもう昼だけど昼寝をしてる場合じゃねぇぞお前ら! 朝の地域は起きろ起きろ、夜の地域はまだ寝るな! Re:live1期生のC2ことブリテンの赤き竜の末裔、コーデリアさまのお通りだ!! 今日はあさココLIVEニュースの出張版ってことで話をもらってるからな? そのノリで行くから覚悟しとけよ!?」
「オウッ!? ワタシはそのノリで行くか迷ってましたのに、コーデリア先輩はさすがですね……ンンッ、どうもみなさん、Re:live EN1期生の不死川キアラです。本日はあさココLIVEニュースの助手としてお呼ばれしました。どうやら興味深い話が聞けそうですね。どうぞよろしくお願いします」
Re:liveのVTuberで一番ゲーム業界に詳しく、立体映像投影機能を使ってゲーセン貸し切り配信をやってSG社から感謝状を送られた仲上ハルカさん。
そしてハルカさんの次にゲーム業界に詳しく、自前のニュース配信でVTuberの魅力を世界中に発信しているコーデリアさんと、彼女を尊敬してサポートするようになったキアラさんが今回のコラボ相手だ。
「アーニャさん! 今日は特大のネタを頂けるそうなので、さっそくお伺いしたいところなのですが……その前に一つだけよろしいでしょうか!?」
こちらの期待通りに急かしてきたのはいいが、ちょっと想定外の反応もしてきたので目をパチクリしてから訊ねる。
「いいけど何かな?」
「昨日の朝刊の両面を使った広告のことです! あれはエイプリルフールだからこそ許される冗談の類ですかね!?」
コーデリアさんのツッコミに、ハルカさんが「あれのことかぁー!!」と爆笑する。
「サーニャさんの会社が出した例の広告ですよね? 子供部屋おじさん(女性も大歓迎)募集。定員は2000名で、待遇は月収30万、専用の新居(子供部屋)完備で、業務内容が自室で絵を描いたり、小説を書いたりする創作活動で、講師としてプロの漫画家やイラストライター、専属の編集者の指導も受けられるって、わたしたちオタクの天国じゃないですか! エリカのヤツ、今からでも転職したいってメッチャ羨ましがってましたもん!!」
うん、そうなのだ。サーニャの財団が日本でも業務を展開するにあたって、そんな冗談のような広告を大々的にぶち撒けたのだ。
本人はキリのいい新年度の初日って言って聞かなかったけど、エイプリルフールにしてもひどい冗談だと思われるからやめとけって言ったんだけどね……。
「ふーむ、断言しても構いませんが、募集内容に虚偽はありませんよ? これはすでに米国などで実施している、人材確保を兼ねた職業訓練ですから」
そんなわけでちょっとばかり不服そうに、サーニャが眉を顰めて答えると、すかさずコーデリアさんのツッコミが。
「それではサーニャさん、自宅の部屋で絵や小説を書いてるオタクの方は、今回の募集に応募して採用されれば、これまで通りの生活を送ってるのにお給料を貰えて、しかも本職の方の指導も受けられると!?」
「はい……ですがそんなに驚くことですか?」
「それは驚きますよ! こんな手厚いニート対策、どこの国でも議論にすら上がりませんから!!」
「だが聞いたなお前ら! こんなチャンス二度とないぞ! とりあえずメールだけでも送っとけ!!」
そうしてようやく本気の募集だと確信したのか、キアラさんがため息混じりに賞賛するとコーデリアさんが視聴者を煽り、コメントは凄まじい反応を見せた。
おそろしく早いコメント……わたしでなきゃ見逃しちゃうね、とばかりにスルーする。
「とりあえず募集の件はそんな感じで、そろそろ本題に入ってもいいかな?」
「『アッ、ハイ』」
のっけからわたしという暴走列車を走らせる路面のレールが明後日の方向にひん曲がったので軌道修正すると、赤面したコーデリアさんが謝罪してきた。
「アーニャさん、すみませんでした……昨日からずっと気になって、私の配信でも触れたいのをずっと我慢していたものですから」
「いいよ。今日はみんなの気になる質問に答えるって趣旨だから、想定してなかったのはこっちのミスだね」
「そう言ってもらえると助かります……それではアーニャさん、本題をどうぞ!!」
「わかってるよ! みんなも今の話の次くらいに知りたいのは、やっぱりこのまえ正式に発表されたと思ったらいきなり発売が延期された例のアレだよね!?」
そう促してくれたコーデリアさんに微笑みつつ、勿体つける気のないわたしはサーニャに目配を済ますと、遠慮なく本題をブチ込むのだった。
「わたしもどうなってるのか気になって、お父さんと磐田社長や、サーニャのお義父さんのキャップを質問責めにして、ようやくハッキリした舞台裏を明かしていくよ。……それがこちら!!」
ドドンッと背後のホワイトボードに『N社の新型ゲーム期We Xは何がすごいのか? またどうして発売延期になったのか?』という垂れ幕が現物の写真とともに表示されると、視聴者のコメントはもちろん、共演の子たちも大変な盛り上がりを見せた。
「キタァー!! これもうホントどうなってるのか仲上も知りたくて知りたくて、ディスコで浜ちゃんに訊いてみたりもしたんですけど、こっちの方が知りたいよって言われてしまって……」
ハルカさんの言ってる浜ちゃんというのは、S社の鈴木さんが社長を務めるRevisionからデビューした浜面信通さんのことだ。
家庭用ゲーム雑誌『ファミ研』の現役編集長にして、世界初の実在するVTuberにして、世界初のバーチャル美少女に受肉おじさんっていう異色まみれの経歴。そうか、この話をするならあの人も呼んだほうがよかったのかと思いつつも、今からじゃ調整がつかないかと諦めて説明を続ける。
「まぁ浜面さんも気になるだろうけど、難しいよね。わたしの場合は当事者がたまたまうちの子だったから詳しい話を聞けたんだし。それが普通なんだろうけど、いつまでも誰のものか判らない憶測が一人歩きしてるのもどうかと思ったから、今回はこの件について正しい情報を発信していこうと思います」
「いいですね! そのジャーナリズム精神、私はいいと思います!!」
「イエス。これは人々の知る権利に応えることであるのと同時に、憶測に基づく誹謗中傷を防ぐ意味でも重要なことです」
「ありがとう! というワケで、まずはUe Xがどうしてあれだけのスペックを発揮できるか説明していくよ。それじゃあサーニャ、さっそくお願いね?」
わたしがコーデリアさんとキアラさんに応じながら話を振ると、凝り性のメイドは光を反射する眼鏡と伸縮自在の教鞭を装備してどこか得意げに説明するのだった。
「はい、そもそもの遠因は私がMIT時代に提唱した常温超伝導物質生成理論にあります」
「常温超伝導ですか? 話がゲーム業界ではなくSFになってきましたが、サーニャさんが関わっているとなると興奮の度合いが違いますね!」
「フロンティア・スピリッツ号を思い出しますね!? 私あれ本当に大好きで、またいつか乗りたいとずっと思って!!」
「いいね、いいね。またキャップにお願いして、今度は惑星探索に同行してさ、超光速通信があるならみんなで配信しようよ」
「うわぁ、それは楽しみです! そのときはワタシだけじゃなく、アリシアやカテリナたちENの子もお忘れなく!!」
「ええ、どうせあの男のことですから、てぐすね引いて待ってるでしょう。……さて、話を戻しますが、常温超伝導物質とは、その名の通り常温での超伝導を可能とする物質です」
ふむふむと、若干の脱線も気にせず講義を続けるサーニャの有り難い説明を拝聴する。
「あらゆる物質には電気抵抗が存在するため、電気の流れやすさを示す伝導率に優れた金属でさえ、通電時には抵抗が発生、発熱します。スマートフォンなどの電子機器が長時間の使用で発熱するのはこのためですね。しかし、私が提唱して実用化した常温超伝導物質──通称『RTSC』ならばその弊害はありません」
単純に専門用語を駆使するのではなく、わたしたちでも理解できるようにその利点を伝えると、ハルカさんが感動したように漏らした。
「それは革命的な発明ですねぇ。現状ではどれだけ高性能のCPUでも、結局は発熱と消費電力を気にして、スペックを低下させて運用しないといけませんから」
「単純に電子回路の導体をRTSCに置き換えるだけでも、その恩恵は計り知れませんね!!」
そしてコーデリアさんがその有用性を分かりやすく纏めると、若干ドヤ顔のメイドは満足そうにうなずくのだった。
「はい、まさにお二人のおっしゃる通りで、実はアメリカ国内では数年前から軍事など限られた分野での実用化が始まってましたが……昨年末にその制限を撤廃して、民間への公開を始めると、合衆国から共同で権利を持つ私のほうに連絡がありまして」
そこでサーニャは、まるでそうなった原因がわたしにあるかのように見つめてきた。
わたしは「また何かしちゃったかな」って過去を顧みるしかできなかったが、共演の三人はすぐにピンと来たようだ。
「あっ、そうか!! アーニャさんのおかげで世界は協調路線に突き進んだから、軍事利用を警戒して隠しておく意味がなくなったのか!?」
ハルカさんが手を叩いて声を上げると、サーニャが「正解です」と惜しみない拍手で応じた。
「たしかにフロンティア・スピリッツ号を他国に売却しといて、今さら軍事機密の漏洩もありませんよね」
「そうですね! どっちにしろ英断としか言えませんが、これでまた次の大統領選でキャップの『オレに投票するなよ? 絶対にするなよ? いいな、振りじゃないからな?』が見れそうになりましたね」
「そうですねぇー。さすがにこれだけの功績を挙げたら、キャップ本人がどれほど嫌がっても周囲のスタッフが逃してくれなそうですからね」
そんな会話にわたしの小市民的な良心がチクチクと痛んで、たまらずお世話になってばかりの恩人に謝罪する。
「本人は一期限りで引退して、子供部屋おじさんに戻りたいって言ってたけど……そっかぁ、またわたしの所為で運命を狂わされた人が出てきたかぁ……ごめんねキャップ。今度サーニャを連れて挨拶に行くから許して?」
「あの男に関しては本人のヒーロー気取りが原因ですから、アーニャも責任を感じることはありませんよ。口ではどう言おうと、好きでやっていることですから」
だっていうのにサーニャときたら、お義父さんには相変わらずツンデレだよね。
「まあ、そんなワケでアメリカ国内では、先ほどコーデリアさんが仰っていたように、電子回路の導体を入れ替える動きが進んでますが……私はそんな迂遠なことをするつもりはないので、自ら設計した試作品をN社と関わり深いSH社に持ち込んで、新型のプロセッサを量産しまして」
「わぁ……目の付け所がとってもシャープだね」
なんて冗談を口にしたが、わたしは呆れるやら何やらで、とっさに他の言葉が出てこなかった。
「SH社ってたしか、電卓ブームが去ったことで抱えることになった液晶の在庫を、わたしのお爺ちゃんがゲームウォッチで使うために丸ごと引き取ったことからN社に感謝してるんだっけ?」
「ええ。その関係は横田氏が死去した現在も続いているので、磐田社長の紹介状を持っていたら一発で採用されましたね。有り難いことです」
「いや、それがなくてもサーニャが売り込んだら、よほど見る目のない人以外は見逃さないよ」
「まぁ私もあまり横紙破りなことはしたくないので、こうした手順は重要ですよ」
わたしの言葉に共演者はもとより、視聴者もそりゃそうだとばかりに呆れるが、おそらくサーニャには口にしなかった思惑もあるのだろう。
わたしの所属企業であり、後ろ盾でもあるN社に力をつけさせることで、今後も政治的な軋轢からわたしを保護させる。サーニャにはそんな狙いもあるのかもしれない。
有り難い話なんだけど、わたしのメイドの笑みを見るに、ほどほどにしておいてほしいと願わずにはいられない……。
「さて、そんな経緯で完成したこのSUB01チップですが、計算速度はこれ単体で64.01PFLOPS……1秒間に6京回とまずまずの性能です」
「え゛っ? それって既存のスパコンを上回る性能なんじゃ……?」
「はい、詳しいですね。仲上ハルカさまのおっしゃ通り、およそ3倍程度の計算速度になりますが、もちろんこれを使って専用のスパコンも組みましたよ? そちらのほうは20万個のSUB01を使って、もう二つ上の単位になりますか。まだまだ試作の段階ですが色々と捗って満足していますよ」
サーニャの説明に驚きの声を上げたハルカさんが見るからに戦慄して、コーデリアさんとキアラさんが気まずそうに目配せする。
「ねぇ、すごいのは解ったんだけど、家庭用ゲーム機に搭載するには過剰じゃないかな? 性能のほうもそうだけど、コストとか値段とかそういうのもさ……」
「まあN社の家庭用ゲーム機はN社が作りたいソフトが動けば必要十分みたいな考え方が主流ですが、しかしスペックに余裕があればできることが増えるのも事実ですよ。勿論これは私のゴリ押しではなく、磐田社長も賛同してくださったことですので、どうかご安心を」
うん、安心はできないけど色々と納得はできたかな?
ようは3月27日の会見でN社が発表したWe Xの性能は、日Kの飛ばし記事に書かれた総会対策のハッタリでもなんでもなく、この子が好き放題にした結果だって。
「既存のスパコンを軽く凌駕するスペックを誇り、版権さえ許せば自動エミュレートでハードの垣根を撤廃してあらゆるビデオゲームのプレイが可能! 立体映像投影機能を搭載してヘッドマウントディスプレイ無しで高密度のVR体験も可能! これだけ盛り込んでお値段29800円で何が不満だというのですか!?」
「個人的にはそうだね……そんなのを世に出したら既存の半導体産業と、パソコンとかスマホの会社は全部死ぬんじゃないかなってことかな?」
わたしが指摘すると、サーニャは痛いところを突かれたのか悔しそうな顔になったけど、やっぱりか。
道理で国内外のあちこちのメーカーから「ちょっと待って」って遠慮がちに声をかけられ、この子のお義父さんが仲裁に乗り出すはずだよって納得する。
「なるほどぉ……それで調整に手間取ってるんですね?」
「うーん、軟着陸を計るなら、既存の半導体メーカーにはライセンス生産を許し、パソコンやスマホのメーカーにも同じものを提供して、新しいハードの生産体制に目処がつくまでは、発売を見合わせるってところになりますね」
「まさにキアラさんの仰ってることが発売延期の真相ですね。……サーニャさん、少しは加減しろバカッ!!」
うん、この子も好きなことになると周りが見えなくなるのは変わらないよね。くっと喉を詰まらせて泣きそうな顔になるサーニャにかける言葉は、はてさて……。
「ま、これでWe Xに関する疑問はだいぶ解決したけど、ちょっと気になることも出てきたね」
「あ、仲上も実はサーニャさんに聞きたいことが増えまして、この立体映像を使ったVR体験ですけど、それってSAFみたいにゲーム内のキャラクターに憑依するような感じですか?」
「そうですね……あまりリアルに寄せすぎると現実との区別が曖昧になる懸念もありますが、現時点ではSAFのようにゲームの世界に囚われる可能性はありませんよ」
「SAFだと無理にログアウトしようとすると脳がフットーしちゃいますが、立体映像ならそうなる心配はありませんか」
「ワタシからもいいですか? 先ほどの版権さえ許せば、ハードの垣根に囚われず過去作のプレイも可能の件ですが、そちらの話し合いも進んでいると考えても差し支えないと?」
その後は多少持ち直したサーニャを囲んで質疑応答が続けられ、この日のアーニャちゃんねるで明かされた真相は、各国のメディアでも大々的に取り扱われるのだった。
2012年4月9日(月)
そんな配信三昧の日々を送りながら春休みを過ごし、舞い戻った学校で始業式に参加して気持ちを学生モードに切り替えると、見るからにそわそわした様子の麗子さんたちが話しかけてきた。
「あのゆかり様、少し時間を頂いても構わないかしら?」
「わたしの時間なら少しと言わず何時間でも構わないけど、様付けはやめてね?」
わたしが答えると、麗子さんは明らかに困惑したような顔になった。
「わたしに関していろんな考えがあるのは知ってるよ。社会的な地位が高い人ほどわたしのことを重要視してるのも知ってる。でもそれってまだ子供のわたしたちに関係あるのかな?」
わたしが臆することなく言い切ると麗子さんはたじろいだようだったが、その背中を支えた輝夜さんは真っ直ぐに見返して確認してきた。
「貴女の機嫌を損ねても父の会社に不利益なことはしないと、そう言い切るのね?」
「うん。わたしは二人と友達になりたい。だからわたしはそんな人間じゃないって信じてもらうのがわたしの戦い。言っとくけど負ける気はないから」
わたしももう少し大人になれば、この子達のように自分の立場に囚われるのかもしれない。
いつまでも子供じゃいられないのは間違いないが、まだ中学生のわたしたちにはもう少し猶予期間があるはずだ。
プライベートの時間まで人目を気にする必要はないのだ。いずれ色んな計算を働かせるようになるにしても、いまはこれでいいと二人に手を差し伸べる。
「麗子さんと輝夜さんはもちろん、今ここにいるクラスのみんなは全員友達だと思ってるよ」
だからもっと楽しもうと視線で訴えると、やがてどちらともなく頷き合った二人はわたしの手を取ってくれた。
「ごめんなさいね。そしてありがとう……わたくしもゆかりさんと本音で付き合いたくないわけではなかったのよ」
「ええ、私もそう……ただ国民栄誉賞の授与だの、陛下との会見だの、そういうことを計画している大人の思惑を知ってるとね」
なるほど、苦労してるんだって柔らかい手を握り返したわたしは、さっそく新しい友人たちを遊びに誘って、お気に入りの店で特大のパフェをご馳走するのだった。
とりあえず第二部の前に間の物語を一話追加。これで一応次回から第二部の予定です。




