幕間『御子柴さくらと谷町みい子のマ◯クラ奮闘記 〜彼女たちは如何にして仲を深め、フラグメントというコンビを結成するに至ったのか〜』
2012年7月20日(土)
マインズクラフトとは、海外のデベロッパーが開発したサンドボックスというジャンルの先駆けとなる作品である。
無限に広がっているとされる世界を構成する土や石、水や溶岩などさまざまな種類の立方体のブロックは自由に再配置可能で。それを活かして建築に精を出すのも良し、手持ちのアイテムを駆使して世界を探索するのも良し。マルチプレイでの協力や敵対も何でもござれ。マインズクラフトとはそんな自由なゲームであった。
わたしの記憶にある史実では、無限に広がる世界を維持するサーバー代金を甘く見積もったために、開発元のデベロッパーはサービス開始から半年で経営難に陥り、MS社に身売りしてサービスを継続。以降は順調に売り上げを伸ばし、世界で最も売れたゲームというギネス記録を樹立するまでの成功をおさめた。
そんなマインズクラフト、通称マイクラがこの世界ではどうなったのかというと、経営危機になったところまでは同じだけど、その後はなんとMS社ではなくN社の傘下に収まったというのだ。
この辺りの事情は、面白そうなものを見逃さない磐田社長が癌を克服して自由に動ける状態であったために、わざわざ海外に出向いて直接口説き、会社ごと抱き込むという、東北大の某教授のような末路を辿ったのだとか。
これがバタフライエフェクトかと、わたしこと真白ゆかりとしてはMS社に申し訳なく思ったり……。
ま、そんなワケでこの世界のマイクラは、N社の新型ゲーム機We X専用タイトルとして発売することになり、それが手元にあるとなったらやることは一つしかない。
史実でもVTuber御用達の定番アイテムだったこのゲーム。これはこの世界でもそうあるべきだろうと、さっそくアーニャ御殿の自室にあるパソコンの前に陣取り、ウッキウキで起動したDScordにメッセージを残すしかないよね。
「朝から楽しそうですね、ゆかりは」
そんなわたしをお付きのメイドは溜め息混じりにからかうが、その顔は半笑いだ。この子はわたしがそうなるのを十分に理解している。
だけどもう一人、黒い毛皮の帽子の少女は理解不能とばかりに呆れるのだった。
「マイクラなんぞ、所詮はVRが普及する以前のビデオゲームだろうに、今さらFDVR機能でプレイして何が楽しいのやら……」
「聞き捨てなりませんね。この時代のゲームはまさに人類の金字塔ですよ。それを追体験できるのですから、ゆかりの気持ちは十分に理解できます」
そうなのだ。マイクラなら以前に飽きるほどプレイしたから、新型のゲーム機で発売されただけならこうはならない。しかしそれがみんなと一緒に、しかもWe Xでとなったら話は別である。
以前のわたしが大好きだったVTuberのみんなが、遊園地のようなテーマパークを作り上げる工程を──今度は我が子も同然のVTuberのみんなと、We XのFDVR機能を使って直接再現できるとなったら、いてもたってもいられなくなるというのが人情というものだ。
期待も露わにお誘いのメッセージを発すると早くも返信があった。しかもマイクラ配信の一回目にぜひと望んださくらちゃん本人から音声の通話で、である。
「おー、マイクラかぁ……さくらも谷町とやったよ。楽しかったな」
「おおっ、そうなんだ? もしかして開発元が身売りする前にサービスを展開してたPC版かな?」
「ううん、アーニャたんの言ってるWeなんちゃらのヤツ」
だけどわたしが喜び勇んで訊ねると、さくらちゃんはちょっと不思議なことを言いはじめた。
「えっ? それはN社のテストプレイに参加したことがあるってことかな?」
「うん、たぶんそう……って言っても、向こうにそんな気はなかったみたいだけど」
ますます要領の得ない返事をする困ったちゃん……これは納得するまで訊ねるしかない。
「ちょっと本題から外れるけど、詳しい話を聞かせてもらっていいかな……?」
「いいよー。あれはね、アーニャたんのファーストライブに同行する……たしか前の日かな? そこでさくらは谷町とマイクラをクリアしたんだよね」
◇◆◇
??????
桜田教授の演者である御子柴さくらが夜半に体を揺さぶられて目を覚ますと、目の前には不思議な光景が広がっていた。
まるで16bitの家庭用ゲームのような世界。やたら角張った木や山が広がる光景に、その少女は早々に興味を失った。
「エロゲじゃないのか……寝よう」
これが彼女の愛するちょっとオトナな純愛学園モノの世界なら、とりあえずチュートリアルをクリアするまでは眠気を我慢してプレイしても良かったが、そうでないなら付き合う理由はない。不貞寝一択である。
だが緑色の地面の上に横たわった少女の安眠は、彼女の傍に座り込むその女性によって再び妨害された。
「寝るな! こっちは何がなんだか判らず途方に暮れてるんだから、せめて話くらい聞けっての!!」
体を揺さぶられるどころか蹴りを入れられたのもあるし、うるさくて寝れそうにないのもある。寝惚け眼を擦って上半身を起こした少女は自身の早合点を反省するのだ。
どこか見覚えのあるようで、吃驚するくらい初対面のその女性は見た目だけなら相当なものだ。胸のボリュームが残念なのと、余裕のない表情はマイナス点だが、開始早々のナイスアングルは悪くない趣向だ。
胸に関しても巨乳派とも貧乳派とも異なり、人それぞれに程よい大きさがあるという見解を持つ自分ならば十分に妥協できる。
「まさかエロゲだったとは……夢だけどとりあえずコイツを攻略するまでは付き合ってみるかな」
「夢じゃない! そろそろ現実を正しく認識しろ、お前は……!!」
「痛ってぇ!?」
スパーンと振り下ろされた右手に頭を叩かれて、御子柴さくらは痛みに悶絶した。
「……夢じゃない?」
お約束のイベントを消化したさくらは思った。とりあえず夢の中の自分は、右手を抱えて涙目になる目の前の女を現実のものと認識していると……どうやらそういう設定であるらしい。
ならば目を覚ますまでこれを現実のものと認めよう。御子柴さくらはたっぷり30秒以上かけて目の前の光景が現実ものであると一旦は異論を封じ込めると、加害者でありながら自分より痛がってる女性にジト目を向けた。
「ええと……とりあえず自己紹介をしてもらっていいですかね?」
「……私は谷町みい子。アーニャちゃんの配信で紹介されたアイドルVTuber箒星みい子の演者」
「あぁー! あの箒星かぁ!!」
道理で胸も小さいはずだとさくらは納得するが、谷町みい子も自分の胸ばかり見るこの少女が誰か察するに余りあるようだった。
「そう言うアンタはさくらでしょ? みぃちゃんの胸を馬鹿にして、サーニャちゃんに制裁された桜田教授の……」
「うん、そうだよー。よく分かったな、谷町」
「そりゃあね……アンタみたいな失礼極まりない強烈なキャラをそう簡単に忘れられますかっての」
そう吐き捨てたわりには、それほど悪く思ってもなさそうに。知り合いに会えて安心したのか、明らかに先ほどまでより態度を柔らかいものに変えた谷町みい子は、無邪気に再会を喜ぶ御子柴さくらにおずおずと訊ねるのだった。
「それでさくらはここが何処だか判る? みぃちゃんね、自分の部屋で寝ていたはずなのに、気がついたらこの世界にいて……目の前で眠りこけるアンタに気がついて必死に起こしたんだよね」
「うーん、そんなこと言われてもなぁ……」
未だにこれが夢の中の世界であるという認識は捨ててないものの、ひとたびお約束のイベントを経て、夢のなかの自分はこれを現実のものと認識しているという設定を受け入れた以上はその点にツッコミはしないが……いきなりそんなことを言われても「聞きたいのはさくらのほうなんですけど?」という気分が拭えなかった。
まぁそれはそれとして、知り合いが登場した時点でさすがにエロゲの世界はないだろう。
というか困る。竿役である主人公を通してならともかく、女同士でそんなイベントに遭遇しても。だからエロゲの世界じゃない。そうだと言ってくれ、頼む。
エロゲの線を消したい御子柴さくらはいつになく集中力を発揮して、角張った16bit調の世界を見回し、やがて見落としていたものに気がつくのだった。
よく見れば視界の右端に縮小したインターフェースのようなアイコンがある。それを右手でタップすると、視界を妨げない範囲で俗に言うところの『ステータス画面』が拡大された。
御子柴さくらは幸運にもそのステータス画面に見覚えがあった。自分自身の3D画像の左に装備欄と、その下にアイテム欄。そして右上に謎の9マス、プラスワンのスペース。ゲームをパソコンでプレイすることの多い少女は、偶然とあるサイトのお勧めにあったそのゲームをかなりのところまでやり込んだ経験があった。
「さくら分かった! これマイクラだよマイクラ!」
「マイクラ……って、それどんなゲーム?」
「いまから説明する。見てて……おりゃっ!!」
マイクラ未プレイらしき谷町みい子が首をひねると、御子柴さくらは唐突に立ったまま右腕をグルグル回転させはじめた。一瞬気が触れたのかと思ったがそうではなかった。目の前の少女の腕が何回か回転すると、緑色の地面がポコンという間抜けな音を発するや茶色いブロックに変化してその手に収まったからだ。
「見たか谷町。マイクラの世界はな、みんなこういうブロックが積み重なることで出来ていて、こうして自由に壊したり再配置できるんだぞ」
「おおーっ!!」
得意のオタク知識を披露した少女に、谷町みい子は若干大袈裟に称賛するかのように拍手してみせた。正直なところこの少女が調子に乗ってふんぞり返り、自分にないものを誇示する姿は癪に障るものもあったが……未知の世界に放り込まれた身としては、運良く出会えた知り合いが自分ほど無知ではないことを心強く思えたのだ。
「それで……このゲームを中断して、元の世界に戻るのはどうやればいいの?」
そしてごくりと喉を鳴らした谷町みい子は遂にその核心を切り出した。この夢のなかとは思えないゲームの世界から脱け出すにはどうしたらいいのかと──その質問にたっぷり2分ほど熟考した御子柴さくらは、しかし無情にもこう返答した。
「無理じゃね?」
「無理なのっ!?」
その悲鳴に仏頂面を崩さない少女は重々しく頷いた。
「諦めろ。これがたとえ夢の中の出来事であろうと、さくらたちがマイクラの世界にいるっていうことは、トラックか何かに轢かれてこの世界に生まれ変わったという設定なんだ。さくらたちはもう死んでるんだ。生き返ることはない。諦めろ」
その言葉に谷町みい子は膝から崩れて呆然とする。
「そんなことって……アーニャちゃんに会えて、歌ももらえて、これからって時に……そんなことになるなんて、みぃちゃん、夢にも思わなかったな」
知り合いの前で泣き出すほど弱くない。当たり散らかすのも違うだろう。ノロノロと膝を抱えてポツポツと漏らした谷町みい子はギリギリのところでプライドを守った。
そんな知り合いの女性にかける言葉を御子柴さくらは持ち合わせていない。独自の世界に生きる彼女はゲームのイベントに立ち会うように谷町みい子を見守ったが……しかし、そのことは御子柴さくらが何の感情も持ち合わせていないことにはならない。
豊富なオタク知識と現状を照らし合わせ、解決策を見出した少女は仲間となる年長の女性を喝破した。
「泣くな谷町! さくらが何とかしてやる! だから泣くな!!」
「なんとか……できるの?」
「たぶんな。これが終わりのないゲームならお手上げだけど、マイクラにはエンディングがある。異世界ならともかく、ゲームの世界に迷い込んだらラスボスを倒せば元の世界に帰るのがお約束だ。望みはある」
はたしてそうだろうか? 仮に自分たちがこうなった元凶がいるにしても、自分たちにそのラスボスとやらを倒せるとは限らないし、倒せたところでそうなる保証もない。
でも谷町みい子には御子柴さくらが自分を気遣ってそう言っていることが理解できた。年上の自分を呼び捨てにするわ、自分の胸を残念そうに見てくる失礼な少女だけど──谷町みい子はこの何を考えているのかよく分からない、御子柴さくらという少女が少しだけ好きになれた。
少なくとも何度も試した睡眠に逃避したり、こうして膝を抱えているよりは希望のある話だ。やるだけやって駄目だったら、そのときはそのときだ。
「あぁ〜あ、まさかさくらに励まされるなんてね……みぃちゃんもヤキが回ったなぁ」
ようやく微笑うことができた女性は立ち上がり、そして約束した。
「やろっかさくら。とりあえずラスボスをブッ殺して、明日からRe:liveで研修だ」
「いいぞ谷町。それでこそ谷町だ。さくらも頑張るから谷町も頑張れ」
照れくさそうに右手を差し出した谷町みい子は、だがやはりその呼び方が気になってしまう。
「みぃちゃん」
「え?」
「みぃちゃんはさくらのことをさくらと呼ぶ。だからさくらもみぃちゃんのことをみぃちゃんと呼んで。……まあ、すぐじゃなくていいから、そのうち気が向いたらさ、私を下の名前で呼んでいいよって話ね」
「わがった」
うん、この顔は確実に理解してないなと見切った谷町みい子だったが、その点は追求しなかった。それよりも大事な話がある。
「ところでこれから何をしたらいいの? みぃちゃんさ、あまりこういうゲームをやったことがないから、何をすりゃいいのかよく分かんないんだよね」
「そうか、谷町は初心者か。さくらは一応ラスボスをぶっ殺すところまではやったことがあるから……」
うーんと腕組みして、眉間にシワを寄せた少女はしばし自分の記憶に没頭する。自分も初めてプレイしたときは初心者だったし、無駄も多く抜けも多かったが……一応大筋はこれで間違っていないはずだ。
「たしか、木、ベッド、石、家の順番だったかな?」
自分のなかで結論らしきものが出たのか、さくらは不安そうに見守る仲間に「ちょっとこっちに来て」と手招きした。たっぷり5分も放置されたみい子としては、あまりにも頼りない姿に不安しかないという心境だろうが、とりあえず信じて行動すると決めた彼女は迷わなかった。
見渡すかぎりの緑色の地面の果てに、生い茂る樹木らしきもの見つけたさくらが「あれだ!」と駆け出し、急激な進路変更に慌てながらも追いすがる。
そうして樫の原木らしきものがそこかしこに乱立する森に到達した少女は、何をするのか掴めず首を捻る女性に当面の指示を出すのだった。
「見えるか谷町。これが目当ての木だ。まずはこれを素手で殴る」
「えっ? そんなことをしたら手を痛めるんじゃ……?」
さっきもさくらの頭を引っ叩いたら痛かったしと、反射的に右手を庇った谷町みい子に、御子柴さくらは大丈夫だと保証する。
「さっき地面を殴ったときは全然痛くなかったからな。たぶんゲーム的な処理が正常に機能する動作ならダメージはない。……というワケで行くぞ! うおりゃあ!!」
有言実行とばかりに、木の前でぐるぐるパンチをするさくら。すると不思議なものだが、木の一部がどんどんひび割れ、やがてポコンというコミカルな音とともに原木ブロックが生成された。
「おぉ〜!」
よく分からないが魔法のような光景に驚いて、谷町は両手で確保した原木ブロックを繁々と眺めると感動したように漏らした。
「まあそんなワケで原木は素手でも回収できる。まずは二人で手分けしてコイツをそうだな、二人分で木の二、三本も殴り倒せば十分だろう。分かったな、やるぞ谷町?」
「うん、わかった。でもこれ、支えもないのに浮いてるんだけど……?」
「その辺はゲーム内の都合だ。ツッコミは後にして、見つめて殴れば壊せる。一番上まで残らず殴れ谷町……うおりゃあああ!!」
「う、うおりゃあああ!!」
諸々の疑問と一緒に、自分は何をしているのだろうという羞恥心を胸の奥底に沈める。とりあえず隣で右腕を回転させる少女がこのマイクラとかいうゲームに詳しいのは間違いなさそうだ。ならば信じて協力する。それがクリアの早道だと、ぐるぐるパンチで原木を粉砕したみい子は、しばし無心で伐採に集中する。
そうして根こそぎ原木を回収した樫の木は10本近くになるだろうか。幹を失い枯れた葉から落ちた木の枝や苗木も回収した女性は、赤い果実を手にご満悦だった。
「見て見てぇ、みぃちゃんりんご拾っちゃった」
「おー、良かったな谷町。こっちにもあるし、動いて小腹が減ったから一個ずつ食ってみるか」
「うん、いただきまぁす」
不思議なものだがゲーム的な処理が優先されたのか、口をつけたりんごは瞬く間に食べ終わり、確かな満足感と酸味の効いた甘味を口の中に残した。
「美味しかったけど、これどうなってるんだろうって訊いても分かんないよね?」
「まぁな。そんなことを言ったらそもそも木をあんなに殴ったのに痛くも何ともないわけだし、禁句だな。ツッコミ禁止。それが一番」
自分の体まで信じられなくなりそうな議論を禁止したさくらに、珍しく心の底から同意したみい子は、この分ならトイレと歯磨きの心配はしないで済みそうだと安堵した。
「それよりも作業台を作りたいから、谷町が回収した原木をさくらにくれ」
「あっ! 言われてみればしっかり拾ったはずのアイテムは何処に消えた!?」
「それならたぶん……ああ、あったあった。右下になんかボタンみたいなアイコンがあるのはわかるか? そこをポチッとやれば出てくるはずなんだが……」
「…………うん、あるね」
言われるまで気がつかなかったのもどうかと思うが、それだけ自分が追い込まれていたということなんだろう。ステータス画面を開いた谷町みい子は、顔の火照りを誤魔化すために顔を背けてそちらに集中した。
「ええと、みぃちゃんが持ってるのは、樫の原木が18と木の枝が5……あとは樫の苗木? というのが3つだけど、これ全部さくらに渡せばいいの?」
「いまは樫の原木だけでいい。それをこう摘もうとすれば掴めるから、こっちに放り投げてくれ」
訊くまでもなく渡し方まで説明した少女にぶつけないような軌道で放り投げると、地面に落ちてバラバラと分裂した原木は残らず御子柴さくらに吸い込まれた。
「あー、これどうなってるんだってツッコまないでいると、頭がおかしくなりそう」
「口にするのはいいぞ。だが本気で悩むのはやめとけ。頭がますますおかしくなるからな」
そう助言した少女は自分のステータス画面で何やら作業をしているようだった。こちらからは見えないが、手元を覗き込もうとしたら訊かずとも説明してくれた。
「谷町にもあとでやってもらうから説明するが、ステータス画面の右上に3×3の9マスがあるのは分かるか?」
「うん、あるね」
「そこに樫の原木を置くと、この通り、木の板ができる。そして今度は木の板をそのマスに置くと作業台が作れる……できたぞ、これが作業台だ」
ドンッと無骨な立方体を地面の上に置いて、マイクラ履修済みのさくらは完全に初心者のみい子に基礎から叩き込んだ。
「これがないと原木から木の板を作るように、本当に簡単なものしか作れないが、この作業台があればもっと複雑なものが作れる。道具とか武器とかも。谷町もここに設置したもの以外にも常に一つは携帯するようにしておけ。じゃないといざというときに難儀するぞ」
「わかった。そうするね」
素直な返事に満足したらしい少女が作業台で何らかのアイテムを製作する。まずは予備の作業台。そして木の棒に色々と付いた物。それらを直接渡しながら、ひとつひとつ名称から使い方まで説明する。
「これが木の斧だ。原木の回収はこっちのほうが早いから、使え谷町。こっちの木のツルハシは、余裕があったらで構わんが、濃い灰色したブロックを見つけたら使ってくれ。丸石が回収できる。それと木の斧の下が赤くなったらそろそろ壊れるから、そのときは自分で予備を作れ。これも勉強だ」
「勉強ね、わかった。ところでさくらの口ぶりだとみぃちゃんは原木の回収を続ければいいんだろうけど……さくらはどうするの?」
「うん、さくらは急いで羊を狩ってくる。日暮まであんまり時間がないから、そっちの説明は後回しな」
少女が見上げた空に浮かぶ太陽は、もう真ん中あたりを過ぎ去っている。あれが沈んだら何が起きるのだろうか……?
「わかった。さくら気をつけてね。みぃちゃんいい子にお留守番してる」
「うん、夜になるまでには帰る。帰ってきたら肉を食わせてやるから楽しみにな、谷町」
では行ってくるぞと駆け出した少女に手を振った女性は、その姿が見えなくなると「さて」とつぶやき与えられた役割に没頭した。
まずは引き続き原木の回収を行ったが、その合間に作業台を使ったアイテムの製作にも挑戦した。
「なるほどね……あの子の言うように、素手だと木の板と木の棒しか作れないけど、作業台があれば色々と作れるんだ」
御子柴さくらが手ずから作成した木の斧と木のツルハシ以外にも、木の剣や木のスコップ、さらには木の感圧板や木のボタンなど用途不明のアイテムも作れるようだ。
「さくらが作らなかったということは、いまは要らないってことかな? 素人判断で作って資材を消費するのもなんだし、アイテム下のゲージ赤くなったし、言われたとおり木の斧だけ作っておくかな」
その指示が正しかったことはすぐに証明された。引き続き樫の木の前で木の斧を振っていたら、やがてコキンッというマヌケな音とともに耐久値が0になった木の斧は跡形もなく消滅した。
「やっぱりさくらの言った通り壊れるんだ……」
この時点で御子柴さくらに対する谷町みい子の信頼はかなりのものになった。相変わらず何を考えているのか判りづらい顔をしているが、このマイクラとかいうゲームの知識だけは信用してもいい。谷町みい子はそう判断した。
「それとみぃちゃんにウソを教えて困らせようとしなかったことと、励まそうとしてくれたことも評価しなきゃね」
おかげで右も左も分からないゲームの世界に迷い込んで不安だったのがウソのように落ち着いている。あいつは未だに夢のなかでそういうゲームをしているという認識みたいだけど、夢のなかでも他人に優しくしたのはちょっとした長所だと認めざるを得ない。
「さて、そろそろ濃い灰色の地面を探して丸石っていうのを回収しなきゃだけど、さくらのヤツは上手くやってるかな……羊を狩るって言ってたから、たぶん今ごろ戦闘中だろうけど……反撃されて怪我してなきゃいいんだけどさ」
自分を連れて行かなかったのは、初心者にレクチャーしながら戦う時間的な余裕がないからだろう。なんか珍しく焦ってたし……と、湧き上がる不安を誤魔化す。
不安……そうだ、自分はいまだに不安だ。いや、その不安は独りになってむしろ強まる一方だ。
元の世界に戻れるのかという不安に加えて、今や唯一の寄る辺となった少女を失うのではないかという不安。それを誤魔化すように森の周囲を探索した谷町みい子は、偶然見かけた剥き出しの石壁にツルハシを振るったが、空が真っ赤に染まっても御子柴さくらは帰ってこなかった。
彼女が帰ってきたのは完全に日が落ちて、周囲が真っ暗になってからだった。
「さくら遅いよー。あまり心配させないでよ、バカ」
駆け出したくなるのを我慢して帰還した少女に文句をつけたが、返ってきたのはいつになく深刻な声だった。
「すまん、谷町。牛と豚は腐るほどいたが、羊は二匹しか狩れなかった。これじゃあベッドを作れない……谷町は木材の確保は順調か? あるならさくらに半分くれ。急いで家を作るぞ」
強張った声に加えてこの表情……これはただ事ではないと判断するや一切の疑問を封じ、言われた通りに木材を渡して指示を仰ぐ。
「家はどうやって作るの?」
「とりあえず作業台を中心にした5×5の場所に木材を3段目まで置いて天井を塞ごう。有り合わせだけどそれで凌げるはずだ」
言われた通りに縦と横に五個ずつ木材を置いて、三段目まで積み上げたら、最後に天井に蓋をする。不思議なものだが壁の横に置いただけの天井はその場に貼り付き、窓もなければ入り口もない即席の家は完成した。
「間に合った……これで朝まで何とかなる」
するとようやく安心したらしい少女は、いつもの何を考えてるのかしれない仏頂面ながらゆるい雰囲気になり、安心して文句を言える空気になった。
「で、何をそんなに焦ってたの? 夜までに帰るって言ってたのにさぁ……こっちはぶっちゃけ何かあったんじゃないかって心配だったんだけど?」
口が裂けても不安だったとは言えないが、責任が向こうにあるならプライドは傷つかない。谷町みい子は遠慮なく不満をぶつけたつもりだったが、相手の受け取り方は彼女の想像を超えていた。
「心配って、さくらに何かあったんじゃないかって心配してたってこと?」
「……そうだよ。しちゃ悪い? 元の世界に戻れば同期のVTuberになるんだし、今だって背中を任せる大事な仲間なんだからさ。心配くらいするでしょ?」
光源が何もない闇の中なので断言はできないが、微かな輪郭の動きから目の前の少女は微笑っているようだった。
「そうか、谷町はさくらのことを心配してくれたのか……いいヤツだな、谷町は」
その言葉に訳もなく顔が熱くなって、判らないはずなのに思わず顔を背けてしまう。
谷町みい子は孤独こそ愛する女性だった。理解者は過保護な姉一人で十分。真の天才は孤独なものだと強がり、信じる道をひたむきに邁進してきた。
だというのに姉との繋がりを断たれたらこの始末。不安でたまらず、新たな寄る辺となった少女の無事を確認したときは、嬉しくって抱きつきたくなるのを必死に自制した。
そんな心の奥底から思わず顔を背けたが、幼児のように赤面したこの顔はどうにもならなかった。
そんな自分の顔を確認しようとしたわけではないだろうが、御子柴さくらは唐突に木の壁をくり抜いて「やっぱりな」と外の様子を確認した。
「なに……?」
「谷町も見ておけ。この世界の現実をその目に焼き付けておくんだ」
幸いにも顔の火照りはだいぶマシになった。これなら見られたところで気づかれないだろう。谷町みい子はそう判断して御子柴さくらの助言を聞き入れ、遠慮がちに家の外を確認して絶句した。悲鳴をあげなかったのは奇跡に近かった。
「何これ……?」
「マイクラの世界は昼は平和だが、夜はこうなる。ベッドさえあれば寝ることで夜をスキップできるんだが……作れなかった以上はこのなかで耐え忍ぶしかない」
外には夥しいほどの化け物が蔓延っていた。弓を持った骸骨に、複眼を光らせる巨大蜘蛛。そして緑の化け物に、紫色の粒子を撒き散らす黒い巨人。さらには──。
「ゾンビだ。あまり顔を出すなよ……気づかれたら面倒だ」
「う、うん……」
言われるまでもない。素直に腰を引いた女性はそこで足をもつれさせ、その場に尻餅をついた。
しまったと思った時はもう遅い。物音に気付いたゾンビは隙間の向こうからこちらを覗き込んでいた。
「この化け物め……!!」
自らの失態で危機を招いたという自責の念に加えて、初めておぞましい化け物と遭遇した谷町みい子は冷静ではいられなかった。咄嗟に手にした木の斧を狂ったように振るった谷町みい子は、家の壁もろともゾンビを滅多打ちにした。
「やめろ星町、そいつの肩には──」
制止の言葉もまるで届かない。ゾンビは倒れ、ついでに破壊された家の壁も塞ぎはしたが、残された隙間から子供のゾンビが侵入してきた。
「いやぁー! なんなのコイツぅ!?」
そしてこの叫び声が何よりも致命的だった。自分でくり抜いた壁の穴も塞ぎ、侵入してきた子供のゾンビも大事になる前に倒せたが──家の外には化け物が群がり、周囲におぞましい唸り声が満ちる。
そのなかで谷町みい子は腰を抜かし、ボロボロになった木の斧を手にしたままガタガタと震えるのだった。
「さくらごめん……みぃちゃんの、みぃちゃんの所為でこんなことに……」
そんな仲間のやらかしをこの少女が責めなかったのはなぜか?
家族にも『少し変わっている』と見なされて、誰も矯正してくれなかったために周囲から浮くことになったが、この御子柴さくらという少女は決して情に薄いわけでもなければ、理解不能な怪物というわけでもなかった。
彼女は恐慌状態に陥った女性になんと声をかけたらいいか判らなかったものの、安心させようとする努力を怠らなかった。遠慮がちに膝をついた少女は、自分より背が高いわりに肉付きの薄い女性を抱きしめ、その背中を優しげに撫でるとこう言った。
「安心しろ谷町。あいつらは設置済みのブロックを移動させることができない。つまりこの中は安全だ。さくらの言うことに誤りはない。さくらは詳しいんだ」
だから安心しろと口にした少女は、この恐ろしい夜が終わるまで初めて抱きしめる女性の背中を撫で続けた。
そうしてどれだけの時間をそうして過ごしたか──やがておぞましい唸り声に混じって化け物どもの悲鳴と、日光に浄化される音を確認した少女は立ち上がり、再び家の壁をくり抜いて安堵の声を漏らした。
「おーっ、外は朝になったな。もう大丈夫だぞ、谷町」
差し込む朝日の眩しさと、何より一晩中抱きしめてくれた少女の声に、止まっていた時間が流れ出す。ノロノロと立ち上がって外の景色を確認した谷町みい子は、いつになく優しい顔をした年下の少女を抱きしめると、その胸で思う存分泣きじゃくった。
「生きてる……みぃちゃんたち生きてるよ、さくらぁああ!!」
「泣くな谷町……さくらはこういう雰囲気は苦手なんだ」
そう苦笑しつつもすっかり手に馴染んだ女性を抱き返し、ごめんね、ごめんねと繰り返すその背中を困ったようにさすってやった御子柴さくらは、やがて癇癪が治ると照れくさい空気を入れ替えるように提案した。
「谷町も腹が減っただろうし、さくらもペコペコだ。丸石はゲットしたか? あるならかまどを作るから渡してくれ。肉を焼いて食べるぞ」
そう言われて丸石を手渡した谷町みい子は俯いたまま無言だった。手伝うべきなんだろうが、正直なところ頭も心もグチャグチャでそれどころではなかった。
この半日で晒せるかぎりの醜態をさらして、恥という恥をかき尽くした気分だ。声をかけるどころかどんな顔をしていいのかも判らない。
だが不思議とプライドを傷つけられた気はせず、むしろ自分に恋人がいたことはないので断言はできないけど……憎からず思っている相手と甘酸っぱい夜を過ごした、そんな錯覚すらするほど悪くない気分だった。
「ニヤニヤ笑ってないで少しは手伝え。そのあとは同じ失敗をしないために説教だ。さくらの説教は厳しいから、覚悟しろよ谷町」
だっていうのにコイツめ……。
「はぁーい、反省してまぁーす。どうもすみませんでした……ケッ」
「おい、最後の『ケッ』はなんだ? 最後の『ケッ』は?」
御子柴さくらの上がりすぎた好感度を下降修正した谷町みい子は、さてなんだろうねと面憎いアンチクショウに笑いかけると、焼けたばかりの肉をつまみ食いして舌鼓を打つのだった。
そのあとは単独行動を嫌った谷町みい子を連れて羊狩りとなり、三つめのウールを入手すると拠点に戻り、念願のベッドを入手。
ついでに拠点の家も7×6のサイズに拡大して、窓代わりのスペースに木の柵を埋め込んで出入り口に木のドアも設置すると、相変わらずの豆腐ハウスではあったものの、家と呼んでも過言ではないものができあがった。
それが終わると無駄に刈りまくった肉を消費して焼肉パーティーをしつつ、原木同士を燃やして木炭を確保。木の棒と組み合わせて松明を作成。拠点周辺に設置してゾンビのような敵対MOBに襲われないように湧き潰しをした。
「今日のところはこれくらいだな。昨日から寝てないし、さくらも疲れた。ちょっと早いけどもう寝るぞ谷町」
「うん、そうだね。もう寝よっか」
そんな夕暮れ時に服を脱いで、下着姿になる谷町みい子に御子柴さくらは『何してんだコイツ』という目を向ける。
もしかして好感度が一定値に達してエッチシーンに突入したのだろうか? そうだとしても相手がコイツじゃ気まずいだけでこれっぽっちも嬉しくないんですけど?
そんな自分の内心を見透かしたわけではないだろうが、正気を疑う自分の視線に説明の必要性を認めたのだろう。少しだけ恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうに照れ笑いした谷町みい子は整った口元を開いた。
「さくらも脱いだら? 着たまま寝ると服を痛めちゃうよ」
「ああ……」
その言葉に『よかった、自分の勘違いか』と安堵の息を漏らした御子柴さくらは、しかしそうする必要性を見出せなかった。
マイクラ履修済みの彼女は知っている。たとえマグマ溜まりに飛び込んだとしても、服が燃えるようなゲーム的な処理はされないと。
「さくらはいいよ。谷町も服を脱ぐのはいいけど、失くさないように注意しろよ」
「うん。ありがとうね、さくら」
何より眠いしめんどくさい。そうあくびをした少女は、畳んだ服を作業台に置いて戻ってきた女性のために場所を開けてやるのが限界だった。
そうして狭いベッドで眠った少女は痛感した。風呂に入ったわけでもない目の前の半裸の女性からいい匂いがするのはどういう訳だろうか?
やはりこれは心臓に悪い。寝るだけならベッドは一つで十分と早々に羊狩りを打ち切ったのは失敗だった。明日になったら忘れずにベッドをもう一つ作ろう。艶やかな半開きの唇を見つめながら眠りについ少女が、その話を思い出すのは翌日の朝。
けたたましい悲鳴に叩き起こされた御子柴さくらは、下着姿で頭を抱える谷町みい子に呆れるのだった。
「無い! 作業台の上に置いたはずのみぃちゃんの服が何処にも無い! みぃちゃんの服はどこに消えたぁ!!」
「そう言えば、チェストや手持ちのアイテム欄に保管してないアイテムは5分で消えたな。無限にアイテムが放置されてサーバーが重くならないための処置だ。これに懲りたら今度から気をつけろよ、谷町」
「そんな大事な話を! 手遅れになってから口にするな! この馬鹿さくらぁああ!!」
スパーンと振り落とされる手を甘受した少女は思った。これはうっかり全裸になったらとんでもないことになるな。
とりあえず運営に見つかったら何を言われるか判ったものではない相棒の姿に、御子柴さくらはあまり働かない頭を悩ませるのだった……。
今回の話で、作者が第二部で書きたがってる話がどんなものかご理解いただけたでしょうか?
そうです。私はずっと「◯◯てぇてぇぜ」という話が書きたかっただけなのです。




