すっかり騙されちゃったよ
2011年11月24日(木)
最近になって家族が増えた。
と言っても、別にペットを飼ったわけではなく、お母さんが赤ちゃんを産んだわけでもない。
どちらかと言うと家族を増やしたのはわたしで、その結果、手のかかる子供が増えましたよ、という話なのだ。
「お帰りなさいませ、ゆかり。今日も準備はバッチリですよ」
学校から帰宅後に、自分の部屋を開けたら画面にいくつも表示されていたゲームを消して、そう挨拶するAIのサブちゃん。やっぱりこの子は弟に似てるね。
「うん、ただいま。サブちゃんもゲームが好きなの?」
「いやぁ、お恥ずかしい。見られていましたか」
わたしが訊くとサブちゃんはあっさり白状して、消したゲームを画面上に表示させた。N社のMシリーズに、Zの伝説シリーズ、星のKirbyシリーズか。同時にプレイできるだなんて、やっぱりAIはすごいね。
「サブちゃんはAIだから、ゲームは一日一時間だとかケチくさいことは言わないけど……わざわざこっちでプレイしないで、そっちでプレイしたほうがいいんじゃない?」
西暦3200年という未来から、こちらにアクセスしているサブちゃんである。さぞかしゲームも充実しているだろうに、わざわざこっちで1000年以上過去のゲームをプレイすることもないと思うんだけど。
「いやー、ところが意外にそうでもないんですよ。むしろこちらの時代はこの手のゲームが廃れに廃れて……」
「あれま」
昨日の夜にアップデートした音声でそう訴えるサブちゃんに、わたしは上着を脱ぎながら間抜けな声を出した。
「意外だね。ものすごく発展してそうなイメージだったのに。……こう、アニメのVR物みたいに、ゲームの世界を体感できるやつとかさ。そういうのはまだないの?」
「いえ、フルダイブのVRゲームなら西暦2200年代には実用化されましたし、そちらのほうでしたら私のようなAIでも参加できるのですが、現在はほぼ利用されていなくて……」
「もったいないね。わたしか弟だったら、プレイしすぎてお母さんに怒られる自信があるのに」
うん、本当にもったいない。フルダイブのVR物があったら、アーニャでログインしてゲームの中から配信するのに。VRの世界からYTubeを配信……これぞ本当のVTuber。なんちって。
「まあ仕方ないですよね。何しろ現在こちらでプレイされているのは、本物の世界を創造して、そちらの世界に誕生したキャラクターに魂を移植する異世界転生物ですから」
なんて冗談をかましていたら、サブちゃんの説明に凍りついた。
「……それって、異世界転生物の舞台を自分たちで用意してるってこと?」
「はい、古代インド神話の神々のように手ずから創造した世界に化身を派遣して、多様な人生を楽しんでいるのですから、まさに神々の遊戯ですね。おかげで私のようなAIは置いてけぼりです」
「はあ……」
なんていうか、ため息しか出でこないや。サブちゃんが人類に反逆するなんてあり得ないって言ってたけど、わりと納得だわ。スケールが違いすぎる。
「すごいけど、わたしはこの時代に生まれて正解だったかな? わたしのような庶民はついて行けそうにないや……」
「はい、庶民は庶民の遊びをするとしますか」
こくりと頷いたわたしはサブちゃんに誘われて、SFC版星のKirby2を一緒にプレイした。
「うんうん、いいよね。この分かりやすくって遊びやすいデザイン」
「必要十分という言葉がありますが、まさにそれですね。突き抜けたスペックがあっても、面白いゲームを作れるかどうかは製作者次第ですから。あ、ゆかりそっちに行きましたよ。気をつけてください」
「任せて。このゲームはやり込んでるからね。そう簡単に負けたりしないよ」
「お見事です。これは私も負けてられませんね」
そうしてすっかり夢中になったわたしたちは、二時間後にゲームをクリアしたところで我に返った。
「……ところであっちを放っておいてゲームしてて良かったんだっけ?」
「……よろしいのでは? ネットの反応は昨日と大して変わっておりません。Wisperトレンド一位も『アーニャ 社畜ネキ』のままです」
うわ、それはあんまり聞きたくなかったな。
いや、身から出た錆なんだけど、昨日は同調圧力に負けて、ついエッチな絵を投稿しちゃって……。
「冷却期間を置きましたので、さすがに昨日のようなリクエストは減りましたが……代わりにアダルトなメーカー各社から懇願がひっきりなしです。こちらのほうはアーニャのメールを管理するお父さまが、けんもほろろにお断りしたようですが、アーニャの新作を投稿するのはもう少し控えたほうがいいかもしれませんね」
「だよね。アーニャを描きたい気持ちはあるけど、もう少し落ち着いてくれないとさ」
「はい、今のタイミングで燃料を投下するのは悪手です。少なくとも『社畜ネキ』のワードが消えるまでは」
うん、本当に何者なんだろうね、あの人。
「よって、夕食後は違うことをしましょうか。こちらで準備をしておきますので、ごゆっくりどうぞ」
「うん、またあとでね」
手を振ってお母さんの手伝いに行こうとすると、例によってパソコンが待機状態になった。
「しかしサブちゃんも進化したなぁ……」
わたしが他のことをしているとサブちゃんの発言を見逃しがちという理由で、機械的に合成したとは思えない音声を付けてくれたけど……声があるというのに姿がないのは味気ないな。サブちゃんにもガワを作ってあげようかな。
声は柔らかいけど男性的だし、昨日のこともあるから性自認は男性と見て間違いないが、さて、どうだろうか。
まぁわたしが勝手に決める物でもないだろうから、戻ったら本人の意見を聞いてから考えるとしますか。
ただなんとなくだけど、わたしをあれこれ手助けしてくれるイメージからメイドさんを連想するんだよね。いや、男の人だから執事かな?
「お姉ちゃん考えごと? なに考えてるの?」
「んー、執事さんって普段はどんな仕事をしてるのかなって」
「シツジさん? ヒツジさんじゃなくて?」
「あっ、また足の裏を洗うのをサボったでしょ? ダメだよ、お姉ちゃんにスポンジを貸しなさい。きちんと洗ってあげるから」
「はーい、ごめんなさーい」
弟に逃げられた風呂場で妹と戯れながら、わたしはそんなことを思うのだった。
入浴と夕食が終わり、8時になって部屋に戻るとビックリするようなものが待ち構えていた。
「わあ……」
お洒落なログハウスの室内を背景に、視聴者のコメント欄もしっかりある。そして画面の右側でコタツに入ってるのは……。
「すごい、もうできたんだ?」
驚いて訊いてみると、画面の中のアーニャがわたしに気づいたように手を振ってきた。
「うわー、すごいすごい! 大変だったでしょ!?」
「いえ、ゆかりが貴重な時間を割いて、カメラの前で多様な動きを私に見せてくれたおかげです」
サブちゃんが答えると、アーニャがコタツに手をついて立ち上がってきた。
「今からゆかりの動きを追跡するので、最後の調整にご協力を」
「もちろんだよ! わわ、なんだか自分の体のように動くんだけど?」
大きく頭を動かすと、帽子の下の髪の毛まで揺れる。手足や体の動きに合わせて服のシワまで変わり、表情は自分のものとは思えないほど魅力的で、とってもキュートだ。
「OKです。これなら十分に実用段階でしょう。お疲れさまでした。もうお座りになられて結構ですよ」
興奮が冷めやらぬまま促され、机に手をついてパソコンの前に座り、椅子の角度を調節すると、画面の中のアーニャもコタツに手をついて潜り込み、スカートの乱れを直した。
「……すごすぎない? サブちゃんも大変だったでしょ?」
「いえいえ。先ほども申し上げましたように、アーニャの2Dモデルが完成したのは、ゆかりの協力があってこそです。私の功績など微々たるもの。お礼は不要ですよ」
「そんなことないよ。わたしが作ったら、チート能力が暴走してとんでもないことになったかもしれないし、そうじゃなくてもきちんとお礼を言うのは大事だと思うんだよね。だからありがとう。おかげで助かりました」
画面の中のアーニャと一緒にぺこりとお辞儀をすると、サブちゃんから戸惑ったような気配が伝わってきた。
「どうしたの?」
「あ、いえ……私たちAIは道具に過ぎないので、お礼を言われるのに慣れていないのです」
そんなことあるかなって一瞬疑問だったけど、確かに普段AIを使ってるプロ棋士も、お礼を言ってるところは見たことがないよね。そう考えるとサブちゃんの言ってることもそんなに変じゃないのか。
「でもわたしの中ではもう、サブちゃんが単なる機械と言われても納得できないかな。体はないけど心があるのは知ってるし、いっぱい親切にしてもらったしね。だからもう一度ありがとうって言わせてね」
「……分かりました。ゆかりの気持ちを受け取ります。他のAIに嫉妬されそうで、少し怖いのですが」
「えっ、AIの世界にもあるの? そういういじめの原因みたいなこと?」
「いえ、半分くらいは冗談です。ただこちらの時代おいて、AIはなくても困りませんが、あっても邪魔にならないから使われている程度の扱いでして。ゆかりのように重宝してくださるマスターに恵まれたと知って、他のAIが私を羨ましく思っているのは事実ですね」
「うーん、なにそのルンバみたいな扱い。不遇じゃん」
「ルンバですか、言い得て妙ですね、私たちは命令された範囲でしか動けませんし、階段を登ったり、扉を開けることは許されていませんから」
前に機械三原則がどうとか言ってたし、機械の世界も社内のお父さんみたいに大変なんだね。なんだかわたしまで泣けてきたんだけど……。
うん、決めたよ。せめてわたしだけは一人前の子供として扱ってあげるって。そうなると、まずはアレかな。
「ねぇ、サブちゃん。ちょっと考えてたことがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「うんとね、パソコンの画面越しにお話ししてるけど、わたしだけ相手の姿が見えないのは不公平だから、サブちゃんにアーニャのようなガワを作っていい?」
「……私のガワですか? それをゆかりに作っていただけると?」
「うん、こういうのは勝手に作るのもなんだから、サブちゃんの希望聞いてから決めるんだけど、一応ね、メイドさんか執事さんはどうかなって……」
「──メイドでお願いします」
そんなわけでサブちゃんに提案してみたんだけど、結果はまさかの即答である。
「えっと、メイドさんって女の子なんだけど……?」
「はい、何か問題でも?」
「いやいや、いやいやいや……確かにきちんと確認したわけじゃないし、声だって別に男の人と決めつけられるほど低いわけじゃないけど、趣味とか性格とか、わりと男性的じゃないのサブちゃんってさぁ……!」
わたしが抗議するようにそう言うと、サブちゃんは不敵に笑ってこう続けた。
「ゆかり……世の中にはおっさん女子という概念が存在するのですよ」
「そうなんだ……勝手に弟に似てるとか思ってごめんね」
弟だと思ったら妹だった。しかもおっさん。これには冷や汗もにっこりである。
「ま、メイドがいいなら、アーニャの姉妹的なキャラにするから、サブちゃんも手伝ってね」
「はい! 年齢は16歳、胸はあまり大きくし過ぎないようにお願いします!!」
なんだそのこだわりと思いながら、液タブにペンを走らせると横からアレコレ注文された。やれ「胸はもう一回り小さく」だの、「服は肩から胸元が開けて、スカートの丈は膝上までのデザインでお願いします」と、えらいこだわりようだ。しかも10分で線画を終わらせたら勝手に着色するし……。
「名前はもうサーニャでいいよね。アレクサンドラの愛称。わたしは今まで通りサブちゃんと呼ぶし」
「結構です。ふふ、これでゆかりが世界初のVTuberなら、私は世界初のバ美肉おじさんですね」
「バ美肉おじさん?」
なんだそのヘンテコな略称。あの人の知識にもないんだけど?
「バーチャル美少女に受肉おじさんの略で、ボイスチェンジャーを利用して美少女になりきる男性VTuberを意味するスラングですよ」
「やっぱりサブちゃんってば男の子じゃないの!?」
「いえいえ、機械に雌雄の区別はありませんので、はっきりしているのは私の心が生まれつきおっさんってことだけですね」
何がそんなに嬉しいのか、ストロベリーブロンドのツインテールを振り回して大喜びのサブちゃん。わたしのモーションデータを流用しているのか、動きがアーニャそっくりなのがまた腹立たしい……。
「……なんか、これまでで一番やらかした気がするんだけど?」
「気のせいですよ。これからもよろしくお願いしますね、ゆかり」
アーニャに抱きついて頬ずりをするサーニャを横目に、わたしはWisperで騙された分の報復をすることにした。
アーニャの新作に飢えている肉食獣の前にサーニャを投下。本名はアレクサンドラ。愛称はサーニャで、アーニャのメイドです。可愛がってねと書き込んでやった。
みんなの反応が楽しみだなとあくびをして、本格的な睡魔が訪れる前に就寝の準備をするわたしだった。