第二曲、どうか心を偽らないで、ありのままに楽しんで
2011年12月16日(現地時間11:45)
「こちらジュネーブ空港管制官。フロンティア・スピリッツ号、貴艦がこちらの滑走路を必要としているか応答願います」
「こちらフロンティア・スピリッツ号。本艦は垂直離発着機能を有しているので、滑走路は不要です」
「了解しました。それでは着陸スペースに誘導します。……すごい艦ですね。貴艦の航行速度を報告したときは、管制塔がちょっとしたパニックに見舞われましたよ」
「ははは、申し訳ない。事前に通達できればよかったのですが……」
「いいえ、こちらこそ失礼致しました。私たちスイス国民は貴方たちの友人として、貴方たちの訪問を心から歓迎致します」
そんな英語でのやり取りを耳にしながら、わたしたちのエスコートを完了した艦はゆっくりと空港に降り立った。
数えきれないほどの噴射口から桁違いのエネルギーを叩きつけられているはずの空港は、しかし砂塵が吹き荒れ樹木が横転することはなかった。この艦に搭載された摩訶不思議な機関が、周囲の爆風を完全に制御しているためだ。
着陸の衝撃もまるでない。わたしたちが立っているこのロビーも、艦体内部に浮かんでいるというのだから不思議な話だ。わたしたちだけではなく、スクリーン映し出される空港に押し寄せた報道関係者と思しき人たちも大変な驚きようだ。
まるで映像のような現実感のない光景は、だが紛うことなき現実のものだった。艦橋で提督のお爺ちゃんに何かしらの指示を出したキャップがこちらに戻り、親しげにこう切り出した。
「さて、これで私たちの任務は半分ほど完了したわけだ。君たちはタラップから降りることなく、この艦に積み込んだバスに乗って指定されたホテルに向かうといい。君たちの活躍を楽しみにしているよ」
「ありがとうございます、キャップ。この御恩は一生忘れませんわ」
差し出された手を両手で握って中村さんが深々とお辞儀をする。他の子たちもこの親切で陽気な男性の手を握って笑顔でお礼の言葉を口にする。
なかには社畜ネキさんのように抱きついたり、グラしゃんのようにほっぺにチューをして「おや、これはすごい役得だ。あとで艦長たちに会うのが怖いな」と困らせる大胆な子もいたが。
わたしはどうしようと思ったけれども、ここで社畜ネキさんたちの真似をして困らせるのもなんだし、普通に握手をしてお礼をすることにした。
「ありがとうございました。この前は残念なことになりましたが、3Gの配信ならまたそのうちやる予定なので、そのときはまた遊びに来てくださいね」
その代わりとびっきりの笑顔でそう伝えると、キャップは「それは楽しみだ。頑張る理由がまたひとつ増えたよ」と喜んでくれた。
最後にサーニャが不本意そうな顔をしながらも、満面の笑みを浮かべるキャップの握手に応じるのだったが……。
「もしかして囮になるつもりですか?」
どこか心配そうに、それでいて借りを作るのが忌々しそうに、サーニャは素直でない気遣いを見せてそう訊ねた。
「なに、君のことだからそれも計算のうちだろう? アーニャのファーストライブの開催地に、政治的にも中立を謳っているこのジュネーブを選択したのは賢明な判断さ。スイス政府は君たちを歓迎する式典をやるべきか悩んだそうだが、内々に相談された私が無用であると伝えると納得してくれたからね。これが他国ならそうはいかないが……空港のゲートに押し寄せた報道陣には、また別の目眩しが必要だからね。その役にこの艦と私は、まさに打ってつけの存在さ」
「キャップぅ〜!!」
ここは自分に任せて先に行け、という漫画のような光景を思い浮かべたのか、鴨川さんが感動したように涙ぐんだが、キャップの口から「私のことは気にするな。体に気をつけて幸せにな」という言葉が出ることはなかった。
本人はものすごく言いたそうにしていたけど、先読みした義理の娘に「くだらないことを口にしたら怒りますからね」って睨まれて渋々断念したのだ。サーニャったら、本当にお父さんには手厳しいんだから……。
「君は本当に私には厳しいね! 見なさい、パパだけじゃなくママまで困ってるよ!?」
「知りません! 貴男はいつからゆかりと夫婦になったのですかっ、図々しい!!」
そんな父娘のやり取りにみんなの笑顔が途絶えることはなく、やがて降参したキャップはサーニャを宥めるとお別れのあいさつを切り出すのだった。
「名残惜しいが、また帰りの艦で会おうじゃないか! それまで達者でな!!」
「『はい! またっ!!』」
こうしてわたしたちは親切な隣人の助けもあって、政治的なしがらみとは無縁に異国の地に降り立つことができた。と言ってもまだ護送車のようなバスの車内だから、自分の靴で地面は踏んでないんだけどね。
ありがとうキャプテンAS。貴男はわたしたちにとって最高のヒーローだったよ。
「いやぁー! なんというか、10年ぶんくらいまとめて驚かされた心象ですねー!」
「ねぇー? あの艦も凄かったけどキャップもさぁ、完全に若かりしころのシュバちゃんって感じでお姉さん胸キュンよ」
「ったく、いきなり抱きつきやがってよ。見てるこっちがヒヤヒヤしたわ。……あんまり心配させないでよ、馬鹿」
車内の話題も当然この話題一色で、見事な紳士ぶりでみんなのハートを鷲掴みにしたキャップは大人気だった。
「別にええやん。ウチかてグッと来るもんがあったし、社畜ネキはこん中でブッチぎりのご年配やしね。なおさらチャンスは逃せんやろ?」
「しゃ、社畜ネキは永遠の17歳だから実際の時間経過に触れるのはやめて差し上げて!?」
「別にいいって。お姉さんの時間感覚は森の妖精準拠だもんね。今さら目くじらを立てるような話じゃないからさぁ」
「……言われて思い出したんですけど、そういや先輩もずいぶん色目を使ってたッスよね? やはり同年代として焦りのようなものもあるんスか?」
「あっ、言われてみればあの人って、歴代で初めてのファースト・レディ不在の大統領だから……」
「北上……そして日向も帰ったら覚えてなさい……」
一部、触れてはならない話に触れる人もいたが、当の社畜ネキさんはケロリとしてる。タフだなぁ……あれでわたしの配信が途絶えて参ってたとか信じられないよ。
「ところでゆかりたん。このあとホテルに着いたらどうする予定なの? お姉さんもうお腹ペコペコなんだけど?」
「あー、そういや晩メシ食ってなかったっけ……ややこしいね。もう昼なんだけどさ」
そして社畜ネキさんと杏子さんの言葉に、みんながすっかり忘れていたような顔になりながらも笑う。
うん、お昼にお菓子をバカスカ食べちゃったからあんまり空いてないけど、もうそんな時間なんだね。移動中はあの艦でお茶を頂いただけだからみんなお腹が空いちゃってるか。
「さくらと谷町、ロビーの自販機でアイスが売ってたから、親切なおじさんに買ってもらったけど……」
「なにしてんのさくら!? 昴初耳なんだが!!」
「あ、すみません。止めなきゃいかんのは分かってたけど、みぃちゃんもつい美味しそうだったから、食欲に負けちゃって……」
一部に上手いことやった子たちもいたようだけど、さてどうするかな。
この国の現地時間はもうすぐ正午らしいけど、日本時間に修正すると夜の8時。ちょっと遅めの夕食になる。杏子さんの言うようにややこしいことこの上ないが、こればかりは仕方がない。
一応この後の予定もノープランってわけじゃないけど、食事とか細々したところはお世話になる先方の都合というものもある。そのあたりを訊ねようと視線を向けると、ちょうどサーニャがバスの搭乗口に直立する護衛の人に確認するところだった。
「ふむ、隊長?」
「はい、ドクター。皆様の宿泊先であるジュネーブ・セントラルホテルは、皆様の故郷である日本でも馴染みの深い洋食を中心にディナーの用意をしていますが、お口に合わない方もいらっしゃるでしょうから外食なさっても構わないそうです」
なんと隊長さんでしたか。とても流暢な日本語ですね。
「外食が面倒なら、どこでもお好きな名店の料理をこちらで取り寄せ、お部屋までお持ちしますと。その辺りは皆様の都合が最優先だそうです。ただ各国がぜひ皆様にと提供された料理もあるので、できれば気が向いたときに一度ご利用頂ければ光栄とのことです。その場合貸切の食堂を用意して、料理の提供形式もビッフェで。テーブルマナーを問うこともないそうです」
そしてなんとも懐の深い。この国の政府がわたしたちの歓迎式典をやるべきかキャップに問い合わせた件といい、いろいろ気を使わせちゃってるなぁ……。
「ありがとうございます、隊長さん。おかげでよく分かりました。……うん、そういうことならわたしたちのプランは二つだね」
感心したように隊長さんの話にうなずくみんなを見渡し、まずは右手の人差し指を立てる。
「一つ目はこの国じゃなく、日本の時間に合わせて行動するの。ホテルに着いたら食堂でご飯を食べて、お風呂に入ってゆっくりしたら、明日の相談をしてからちょっと遅めに……この国の夕方くらいには就寝して、翌日の早朝には起床するの。これなら時差ボケを最小限に抑えられるんだけど?」
わたしが一番無難で面白くないプランを説明すると、みんなわたしに遠慮したのか反対の声こそ上がらなかったが、賛成の声もまた聞こえなかった。
「悪くないわね。みんなはどう思う?」
「えー? でもそんな夜中に起きてもエロゲしかやることないし……一応持ってるけど」
「なんちゅーもんを持ち歩いてんだおまえはっ!?」
見かねた中村さんに答えるさくらちゃんと、ただちに応戦する谷町さん。思わず笑っちゃったけど、さくらちゃんがリュックの中から見せたものにはドキリとさせられた。危ない危ない。
「うん、だから二つ目のプランはこうなの。ホテルに到着したらご飯を食べるところまでは同じだけど、せっかくのオフだし、みんなも全員揃ってるんだから、明日の説明も兼ねてオフコラボなんてどうかな?」
人差し指に続いて中指を立てながら説明すると、途端に色めき立つみんなの横で口の悪いメイドがこれ見よがしに溜め息をついた。
「また面倒なことを思いつきましたね……」
「でもできるんでしょ?」
「……可能です」
実は明日のライブで使用されるホログラムの説明を聞いたときから考えていたことがあったんだ。いい機会だから実演してみよう。
「隊長さん、ホテルの食堂に配信用の機材を持ち込むことは可能ですか?」
「え、ええ……良い宣伝になるから撮影の許可も得られると思いますが……」
よしよし。さっき確認したけど予定通りYTubeも復活してるからね。ここはVTuberの流儀で異国の夕食(実際には昼間だけど)を楽しむことにしますか。
◇◆◇
一方その頃、在日米軍横須賀基地から謎の大型艦が飛翔したという報告を与太話として聞き流した日本政府の与党幹部たちは、ほどなく中国政府から届けられた「なぜ我が国の領空を侵犯した米軍機の発進を許可したのか」という抗議に顔色をなくし……さらにジュネーブに到着した問題の大型艦から降りてきた米国大統領が押し寄せた報道陣の質問に答える光景が放送され、一連の舞台裏が明かされると完全に逆上した。
「またあの小娘か! 国民に選ばれた我々をなんだと思っているのだ!!」
「うぬうっ! 警備部長があの小娘がライブをやりたがっているというから協議の時間を作ってやったというのに、恩を仇で返しおって……!!」
「せやで! あたしの地元で勝手に商売をして儲けてるだけでもけしからんっちゅうに、これは思い知らせてやらにゃあかんわ!!」
「いや、今回あの娘のことはどうでもいい! そもそも米国は何を考えているのだ? 我々に事前通告すらしなかったということは、もはや我々など眼中にないということか?」
「それよりも問題はあの艦です! 米国はいつの間にあんなものを……警告のために発進した中国軍機が飛び立つころにはロシア領空に到達し、ジュネーブまでこんな短時間で到着するなど……」
そんな怒号と悲鳴を発する与党幹部たちを、政調会長の野々宮倫太郎は冷ややかに眺めた。
(アメリカの思惑を気にしたり、あの艦の性能に衝撃を受けている者たちはまだ見込みもあるが、中には真白ゆかりの罪を本気で問おうとする阿呆もいる。馬鹿が。政治的自殺なら一人でやれ。もっともそれをやったら、貴様の居場所は地球上のどこにもなくなるだろうがな)
野々宮は官僚主導の政治にほとほと嫌気が差して下野し、既得権益の打破を公約に掲げて大勝した民社党と連立政権を組み、その豊富な経験を見込まれて政調会長を任された男だったが、とんでもない失敗だったと自分自身の見る目のなさに呆れる次第だった。
おそらく彼だけは、この左翼思想に狂い果てた学者崩れや元弁護士、英雄気取りの学生運動出身者、もっと過激な市民運動家や、与党が親米だから自分たちは反米という短絡思考の野党議員ばかりの『素人集団』と異なり、現実というものが見えていた。
(まだ詳細は判らんが、おそらくあの艦は単独で大気圏を離脱し、自由に宇宙を行き来するだけの性能があるだろう。時速6万キロと言うが、大気圏内でそれだぞ? まさに桁外れと言うしかないが……タカマキ博士の天才ぶりを思えばそれも納得か。しかもエネルギー分野の飛躍的な発展だけではなく、他にもいくつかの分野でその兆候が見られるが……これは他国の技術を盗むことしかできない中国では相手にもならんな)
事は単に軍事技術の一分野に留まるものではない。今も大量に刷られ続けている米国ドルの価値が一向に下落しないのは、米国が滅びて米ドル札が紙クズになることは絶対にないという信頼によるものだ。その信頼があの艦を公開することによって確信に変わったとき、日本はどうなるのか。
(はぁ……これは早々に手を打たないと1ドル40円を割り込む超円高の時代が来るか、それとも正反対の超円安に振り切れるかまったく読めんが、どちらにしろ財界と自由党から苦情が来るな。現在の1ドル80円の円高とて日本経済が強いわけではなく、日本製品の締め出しを歓迎する各国の謀略に何の手立ても講じない現政府の無能を反映しているだけだというのに。どちらに振り切れても食料と原材料の輸入と製品の輸出に頼ってる日本は終わりだ。だがコイツらときたら支持率3%を恥とも思わず逆に酔う始末で、マスコミも報道しない自由を駆使してまるで自浄作用が働かん……)
自分がまだ見込みのある者たちを誘って離党しても、政府与党が過半数を割り込む事はない。正直なところ打つ手がなかったのが本音だったが、それがここに来て変わった……。
「どっちにしろアメリカは真白ゆかりとかいう小娘を運ぶためだと公言してるんだ! だったら中国の領空を侵犯した軍用機に乗ってた小娘も共犯! 国会で証人喚問にかければ十分罪に問える……そうだな?」
「はい、外患誘致は例外なく極刑と決まっております」
みっともなく喚き散らした首相に訊ねられた御用学者が、むしろ煽動するように答える。
「なら決まりだ。もともとあの小娘は騒乱罪で中国から身柄の引き渡しを求められているんだ。どうせ死刑になるならくれてやっても構わんだろう」
「ボクもそれでいいと思いますよ? 何をやったか知りませんが、みんなが怒ってるんだからどうせろくでもないヤツなんでしょ? どうなろうと知ったこっちゃありませんね」
前首相も賛成し、これで民社党政権の終焉が確定した。
こんな話を外に漏らしたら最後、沸騰した世論は容赦なく首相らを焼き尽くすというのに、未だになぜそうなるのか想像すらできないでいる。
真白ゆかりの証人喚問を口にしただけでも支持率0%は確実だというのに、独裁国家に嬉々として自国民をひきわたそうとするとは……。今度ばかりは共犯のマスコミもコイツらを見限るだろう。
(巻き込まれるこちらの立場も考えて欲しいものだが、コイツらにそんな能力などないか。仕方ない、当然の報いだ。せめて国政が混乱することのないように自由党と協議して、政権の引き渡しを速やかに完了させるのが私の役目だ……)
嫌な役目だと思ったが、こんな政権に加担した自分が悪いと野々宮は潔く認めた。おそらく旧来の野党勢力はこれで完全に消滅する。その後に出てくるのは真白ゆかりの保護を謳った勢力か。
自分の見たところ彼らは政治の実務は未経験だが、思想的にはよほど穏健で、センスも悪くないと思うのだ。少なくとも他国に偏見を持たず、どんな国のファンでも差別せず仲良くやっているのは大したものだ。
不思議なほど驕ることのない彼らは、仮に当選して一定の勢力を築いても謙虚に学ぶ姿勢を崩さないだろう。それならば与党時代こそ腐敗が目に余ったものの、本質的には保守穏健で現状維持を望む自由党と協議し、監視する立場の野党としても、連立政権の一員としても申し分ない。
そのとき自分はこの国に居場所がないだろうが、こればかりは仕方がない。国民のために働けなくなるのは無念だが、どうか頑張ってほしいと、野々宮はあのスレの一員としてエールをおくるのだった……。
◇◆◇
「うわぁーすごいすごい!!」
「すごぉーい! 本当にこんなすごい部屋に泊まれるの!?」
どことも知れぬ地下駐車場から専用のエレベータで向かった先は、なんとワンフロア貸し切りのロイヤルスイートルーム!
いや、実際には違うのかも知れないけど、天蓋付きのベッドとか大理石の浴場とかそうとしか思えない豪華さだよ!!
「すごいわね! わたしなんだかお姫さまになったみたい!!」
「すごいよね! わたしも夢を見てるのかな!?」
アーリャと抱き合ってキャーキャー騒いでるけど、はしたないとはこれっぽっちも思わない。
「ゆかりたん見て見て! あのお風呂スッゲェの! あとで一緒に入ろうねー!!」
「あっ、抜け駆けはズルいよ! わたしだってゆかりと一緒に入りたいのに!!」
「いいよいいよ、みんなで入ろう! こんなに広かったらみんなと一緒に入れるよね!?」
「そうね! みんなと一緒ならきっと楽しいわよ!!」
社畜ネキさんたちに抱きつかれて一緒に入ろうと言われたから、ついオーケーしちゃうほどテンションが振り切れたけど、それはあとにしよう。
中村さんたちはとっくに行動しているのに、こりゃサーニャもお冠だね。自分から無茶振りしておいてこれだもの。でも楽しい。社畜ネキさんだけじゃなく、グラしゃんとも「ぜったい一緒に入ろうね」って約束しちゃったけどよかったのかな?
いいよいいいよ、わたしの裸なんてたいしたモノじゃないし、むしろこっちこそお願いしますって感じ。キャップじゃないけどすごい役得だよ。
「よっしゃあーっ! 言質取ったどおー!!」
「オラァ社畜ネキ! なんちゅう約束をしてんだお前は!!」
「私も入ります! ゆかりさんは私が守護るッッ」
「えっ? 思わぬライバル誕生だわ……」
みんなもすごいすごいと大喜びなので、こんなすごい部屋はわたしには勿体ないといういつもの小市民根性も働かず、わたしもアーリャと一緒にキャーキャー言ってばかりだったが、あまりサーニャに笑われるようなことばかりしてもいられない。
「いやー、こんなにすごいとご飯も楽しみだね。たしかいろんな国から珍味が届けられてるんだっけ?」
「イエス! これはもうお酒のほうも楽しみでなりませんね!」
「せやな! これはこっそり楽しまにゃあかんわ!!」
「おまえまだ懲りてないのか!? ノンアルコールで我慢しなさい!!」
「ゆかりさん、こっちからいい匂いがしますよ! 昴の直感はこっちに食堂があると見ました」
「あっ、本当に何かあるね! みんな行ってみようか!?」
「きちゃあ〜! 行くぞお前ら、ゆかりちゃんとゴーゴー!!」
みんなもお腹を空かしているだろうし、色々と準備をしなきゃいけないもんね、と振り切れたテンションのまま行動する。
「うわぁ、本当にあった……あたしもうお腹ペコペコ。これ勝手に食べていいの?」
「いいんでない? ねぇーゆかりたん、うちの娘がもう食べていいかって訊いてるんだけど?」
「うん、いいんじゃない? 多すぎて何がなんだがよく分からないから、みんなで適当に摘んで美味しかったものを報告し合おうよ!?」
「あっ、お寿司もある……一個もらおう。ほれ谷町」
「はむっ……うん、すっごく美味しい。みぃちゃん幸せぇ……」
「よし毒は無しと」
なんというか、これはアレだ。わたし自身はまだ未経験だけど修学旅行のノリだ。漫画やアニメでお馴染みの楽しそうな女の子の姿にわたしまで楽しくなる。
「うわっ、調理してからだいぶ経ってるだろうにホカホカだから驚いたけど、これ下がプレートになってるのか。さすが高級ホテル。贅沢だなぁ」
「見てゆかり、こっちがフレンチであっちがイタリアンよ。ブリティッシュもあるわね。紅茶コーナーの他には揚げ物しかないけど……」
「うーん、残念。ハギスもあったらぜひ記念にチャレンジしたかったけど……」
「ゆかりさぁん!? それはさすがに命に関わりますって……!!」
「あっ、隠せ隠せ! 誰だこんな劇物を持ち込んだの!!」
とにかくみんなと騒ぐのが楽しくて仕方ない、そんな雰囲気だ。
以前の友達と距離があったころのわたしはこの手の光景に、わたしが参加してもぜったいに楽しめないだろうなって諦めていたところがあっただけに、そうならなかったことが余計に嬉しい。
だから頭の片隅から「こんなことをしている場合じゃないよ! ご飯もあるけど配信の準備もあるから急いで!!」という声が聞こえても、やはりキャーキャー言いながらじゃないと行動できない。わたしたちのテンションにワンちゃんたちも大喜びだよ。
「あっ、ゴン太のメシもあったわ! こちらは世界のシェフが愛犬のために腕を振るいましたって日本語で書いておるわ!!」
「おーっ、それは親切ですねぇ……よしゴン太、ユッカちゃんとこっちに来なさい。ご飯にしますよー!!」
おーっ、それは有り難いとユッカたちを追いかけて食べすぎないように監督していると、鴨川さんのマネージャーである日向のぞみさんが忙しそうに何か設置する姿を目撃した。
楽しい気分は変わらなかったけど、さすがに知らん顔はできなかったので声をかける。
「お疲れさまです、わたしも手伝ったほうがいいですか?」
「あっ、もうすぐ終わるから大丈夫ですよ。ただサーニャさんが何か言いたそうな顔をしているので、そろそろ声をかけてあげたほうがいいと思いますよ」
「なんと、それは一大事」
さすがに羽目を外しすぎたかと楽しい気分のまま反省して、ご飯を食べ終わった愛犬を抱っこしてからそちらに向かう。
「北上、スクリーンの設置は終わったわね?」
「ういッス。のぞみちゃん、投影機の設置はどんなもんッスか?」
「はい、サーニャさんの指定した場所に全部配置できたと思います」
「ええ、それでは一度テストを……おや? その前に迷惑なお客さまがいらしたようですね」
そんなワケでわたしたちのテンションは、いい匂いのする食堂らしき部屋に突撃する以前からのハイテンション。彩りも鮮やかなビッフェにすごいすごいの大合唱。
だけど中村さんたちが設置したスクリーンを目にしたわたしはやるべきことを思い出して、少しだけ冷静になった。
楽しい気持ちに変わりはなく、今にも歌い出してしまいそうな気分だけれども……こんなことって初めてじゃないかな?
「楽しそうですね、ゆかり。気の合う友人との旅は楽しいですか?」
ここでサーニャが少しでもいつもの辛辣さを発揮していたら、こんな気分も続かなかったと思う。手伝いもしないで遊んでいたことを恥じて居た堪れなくなったと思うんだ。
でもそうはならなかった。サーニャはどこまで優しい目でわたしを見て、とても幸せそうに微笑んでいたから……。
「いまの気持ちを忘れないでください。それはゆかりにとって最も大事なものですから」
だからこの子のこんな顔が見れて、わたしは少しだけ照れくさく思ったけれども、この不思議な高揚が消えることはなかった。
この気持ちはなんだろう……まるでお気に入りのゲームに夢中になってるときのような、満足のいく配信ができて視聴者と一体感を感じたときよりも強く、自然で、尊い感情は……。
「分かりますかゆかり? それが大好きな友達と一緒に遊べて楽しいという感情ですよ」
「ああ……」
その言葉に理解が気持ちに追いついたような気がした。
「そうだったんだ……わたし、変われたんだね……」
「はい、とっくに。いまはようやく実感を得られたというところですね」
友達に迷惑をかけたらどうしよう。こんなことを言ったら嫌われると、それしかなかった心の変化に今さらながらに気がついて、わたしは素敵な気分のままおかしそうに笑うのだった。
「ゆかりちゃん見て見てこのお肉! 蕩けそうなほど柔らかくてプルンプルンなの! はい、アーンッ!」
「アーン」
そんなわたしに抱きついた琴子ちゃんが差し出したお肉を頬張ると、とっても柔らかいのに噛み応えがあって、とってもジューシーで美味しの。
「あっ、琴子テメェ! 抜け駆け禁止条約はどうした!?」
「へヘーンだ。そんな条約とっくの昔に過去の遺物に決まってんだろ? バーカ、バァーカ」
わたしが変われたように、この子も変わっていくのだろう。いつか社畜ネキさんにむかしの自分に言及され、照れ隠しに怒ったふりをする姿がまぶたの裏に浮かんでくる。
「いまの気持ちを大事になさってください。人間は感情の生き物です。気持ちは人間のあらゆる分野に影響を及ぼしますから、いまのゆかりなら最高のアーニャを演じられるでしょう」
「うん、ぜったいに忘れないよ」
「さて、それでは最後の調整に協力願いたいのですがよろしいでしょうか?」
本当に見惚れるほど素敵な笑顔だ。サーニャってばこんなに幸せそうな笑顔を隠していただなんて……胸がポカポカと温かい気分のまま、少しだけ悔しく思ったわたしは、それならサーニャも同じ気分にしてやろうと思ったのだ。
「うん、よろしくね。いつもありがとう……大好きだよ、サーニャ」
その言葉にサーニャは「今さらそんな分かりきったことを言われても困りますね」と嬉しそうに悪態をつくと、右手のスマホを操作するのだった。
おそらくは普通のスマホではなく、この時代のスパコンなど歯牙にも掛けない性能の──AIから人間に生まれ変わるために切り離した超技術の結晶は、つつがなく主命を受諾したようだ。
周囲の空間に何かしらの力が作用したように感じるが、これはたぶん、この子がわたしのために用意してくれた立体映像投影機だ。
当然のように展開されたホログラムは、しかしわたしたちの姿を塗り替えることなく別のものに作用した。
中村さんたちが用意してくれた、100インチはあろうかという大きさの薄型ワイドスクリーンに豪華な食堂の光景が映し出されたが、そのなかで笑い合うわたしたちの姿は現実とは違うものだ。
わたしがこうあって欲しい、こんな女の子だったらいいなと願って描いたわたしたちの姿がそこにはある。
「うわぁあ……ご飯を食べながら配信するって言ってたからどうやるのかなって思ってたけど、こうやるんだぁ……」
「うん、わたしも初めて見たけどすごいよね」
「言っておきますが簡単なことではありませんからね? 本来の用途から外れているので調整に難儀するというのに……ゆかりは本当にそっちのほうが楽しそうだという理由で無理難題を口になさる」
「あはは、ごめんごめん」
琴子ちゃんと一緒に感動したら、苦労させてばかりのサーニャが溜め息をついて、わたしが慌てて謝る。そんなやり取りが楽しくって仕方ない。
「ま、そんなわけで再現精度にまだ不安が残りますので、ここらで一曲歌ってください。それで調整します」
「うん、いいよ。それじゃあこんなときにピッタリの新曲を歌うから演奏をお願いね」
頼まれなくても歌いたくって仕方のない気分だったんだ。ユッカを自分の足元に下ろしたわたしは、自然と身振り手振りを交えてその曲を高らかと歌いあげた。
歌うのはアーニャの代名詞と言われるほど有名になった『祈り』の続編。原曲はロシア語だけど、ここには日本人しかいないから日本語のスペシャルバージョンを歌おう。
極寒の地に雪の妖精として誕生したアーニャは冬が嫌いだった。この寒さで大好きな友達はみんな自分の家に引き篭もって自分は独りぼっち。クマのぷーさんも、リスのみーちゃんも、もちろん人間のお友達も……。
だからアーニャは吹雪に倒れた人たちを救助しながら願わずにいられなかった。こんな辛くて寂しい冬は早く終わってほしいと祈らずにはいられなかった。春になったら自分は消えてしまうと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
そうして吹雪がおさまり、凍りついた雪も融けて、力を使い果たしたアーニャは、凍える手で地面を掘り返し、そこに春の訪れを知らせる新緑の芽吹きを見つけ、最後に良かったとつぶやいて消えていく……。
だがアーニャが消えても助けられた人々は忘れなかった。吹雪の日に道に迷い、岩陰で震える自分を助けてくれた女の子がいたことを。周囲から熱を奪う雪の妖精は、春の陽射しに照らされて消えたのではなく、自分の熱を周囲に分け与えることで消えていったのだ。
そんな優しい女の子がいたことを人々は忘れず、その祈りは誰かに聞き届けられた。お人好しの天使さまが電子の妖精として生まれ変わらせたアーニャは願った。今度こそみんなと一緒にいられるといいなって、それだけを願って、いまの自分に相応しい場所を目指して旅立つ。
そんな旅の最中にレンジャーの少女や海の魔王と出会って友達になり、無人島に漂着した少女とサバイバルを生き抜き、やがて通りすがりのドラゴンに送ってもらって、いつか再会しようと約束した。その約束は果たされ、日本で多くの人たちと友達になり、長い旅を終えたアーニャの元に彼女たちが訪ねてきてくれたからだ。
だからこの歌のタイトルは『再会』。運命の悲哀を歌った『祈り』とは異なり、ただひたすらに楽しくハッピーエンドの歌に仕上げた。そうだ、この歌はようやく自分の心を取り戻した、いまのわたしに相応しい歌だ──。
「スッゲェ……」
気がつけばみんなが料理を手にしたままわたしを取り囲み、茫然と立ち尽くしていた。言葉にならないと、ただひたすらに嬉しそうに。
「ハイッ、というわけでご静聴に感謝を! 今のが明日のライブで歌う予定の新曲でした!!」
ちょっと照れ臭かったので自分から拍手すると、みんな大慌てで食べかけの料理を置いて拍手を返してくれた。
いや、いいのよ? 今のはちょっとした余興だから、みんなお腹が空いてるだろし、食べることに集中してもらっても……。
「えっ、……あっ、アーニャちゃん! アレッ、アレッ……」
そう思って自分も食べようと半歩進んだら、何かに気がついたようのあずにゃんがモニターを指差して必死に呼びかけてきた。
なんだろうと思って振り返ると、そこには悪戯っぽく含み笑いするメイドの姿と、画面いっぱいに流れるコメント欄が……あれ? もしかしてもう配信が始まってる?
「さては騙したね……さも調整に時間がかかりそうに言っておいて、いきなり始めるなんてひどくない?」
「はて、なんのことやら……私は調整にご協力をとしか言っていませんし、無断で配信を開始したのも、新曲が今日のオープニングに相応しいと判断しただけですが?」
なんてこった、まんまと一杯食わされたよ。これだから油断ならないと気持ちを引き締める。
だけども楽しい気分はそのままに。かつてない高揚と幸せな気分に、この突発的に開催したオフコラボはきっとみんなに楽しんでもらえると確信して。
「ハローYTube! 木曜は3Gの配信が中断して残念だったね。バーチャルYTuber、略してVTuverのアーニャです。今日は明日のライブに備えて、アメリカとスイスの好意で用意してくれた、このジュネーブ・セントラルホテルからお届けします。みんなも訊きたいことがあるだろうし、わたしもお話したいことがたくさんあるから、ご飯を食べながらでちょっとはしたないけど、最後まで聞いていってもらえると嬉しいよ」
わたしは現実と幻想の光景が混じり合うモニターの向こうで驚く視聴者に、そう言って笑顔で手を振るのだった。
近く総会が開かれるのでその準備のため確約はできませんが、後編はあまり遅れないように頑張ります。