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転生したら美少女VTuberになるんだ、という夢を見たんだけど?  作者: 蘇芳ありさ
第四章『VTuber躍進編』
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前奏曲、其は巡り、そして縁に育まれた






2011年12月16日(土)



 様々な問題を解決する反撃の一手──自分たちのプランをお父さんに説明して、了解を得たその翌日。大勢の報道関係者でごった返すRe:live本社前に乗り入れたわたしたちは、まさに阿鼻叫喚(あえんびえん)の様相を呈する十条通りの惨状を目撃するのだった。


「間違いない、あれが天才科学者のドクター・タカマキだ!」


「ゆかりさん? ゆかりさんだ! ゆかりさんもいるぞ!!」


「真白元代行! 今回の件に、何か一言だけでも……!!」


 まぁ原因はわたしたちなんだが……そりゃあね、あれだけ世間を騒がせたあとに報道陣の前に顔を見せればそうなるよね、って話だ。この辺りには工場しかないけれども、近所迷惑になっていたら誠に申し訳ない。この通りお詫び申し上げます。


「ですからヘリの使用を奨めたではありませんか。私の言うことを聞かないからこうなるのです」


「うん、正直すまんかった」


 いや、この件に関しては本当に申し訳ないと思ってるけど、わたしにだって言い分はあるんだよ?


 だってこの子が呼んだヘリはどう見ても普通じゃなかったんだもん。回れ右をしてドッグランで愛犬と戯れていたお父さんに泣きつくのも無理はないと思うんだ。ねぇ、ユッカ?


「ゆかりさん! アーニャのファーストライブをどちらで開催するかもうお決めになられたのでしょうか!?」


「何故この時期に開催することにしたのか、せめてそれだけでも!!」


「やはり中国漁船大量侵入の件に何かしらのメッセージを出すためでしょうか!?」


 大声を張り上げる報道陣は、しかしこちらに近寄ることは叶わない。許可なく敷地内に入ったら大問題というのもあるが、物理的な障壁が機能しているからだ。


 わたしたちと一緒に乗り入れて、彼らの前に整列するのはわたしたちの護衛だという。


 正確にはアメリカから最重要人物に指定されたサーニャに付けられ、わたしの護衛も兼任するようになったという、街中で何度も見かけた人たちの素性は、まあ、下手に聞き出そうとしないほうがいいんだろうね。


 だってどう見ても普通の人たちじゃないし。サーニャが送迎用に呼び付けたアメリカのヘリから降りてきたことから、ちゃんとアメリカに戸籍のある人たちだとは思うけれども……サーニャのことだから、あの中に戦闘用アンドロイド(ターミネーター)が混ざっていてもおかしくない。


 まぁそんな頼もしい護衛の人たちに人垣がシャットアウトされているので、すでに素性が割れているわたしたちがビルのなかに向かうのに支障はないのだが……それはわたしとお父さん、サーニャに限った話で、中にはカメラのあるところで降りるに降りられず、困っている子たちも同乗しているのだった。


「あのぅ……これどうやって顔を見られずにビルのなかに入ればいいんですかね?」


 半ベソがよく似合う鴨川さん(なっちゃん)と苦笑いするアーリャ。


 VTuberにとって身バレ、顔バレは御法度とまでは言えないにしろ、厄介なファンの存在を考えるとできれば避けたいところだ。


 この子たちを守護(まも)れるのはわたしだけ……任せて、と上着を脱いだわたしにサーニャが呆れる。


「いえ、護送される容疑者ではないのですから……はぁ、まったく世話の焼ける」


 そうこれ見よがしに溜め息をついてみせたメイドが指を鳴らすと異変が生じた、らしい。


「えっ? いま何が起きた!?」


「ゆかりさんたちの姿が消えたぞ!?」


「ドクター・タカマキ! これはあなたの仕業ですか! どうかいまの現象に説明を!!」


 どうやら混乱する報道陣の言によると、彼らの前からサーニャ以外の姿が見えなくなったようだ。こちらの視界にはなんの異常もないので不思議なものだが……。


「ま、所謂一つの光学迷彩と呼ばれるものです。今回のライブで使用する立体映像投影技術の流用ですから、見せてしまっても構わないでしょう」


 なーほーね、と半分も理解していないのを悟られないようにうなずく。


 いやわたしもね、そういう技術があるならそんなに難しいことじゃないのはわかるよ?


 でも魔法じゃないんだから、せめてそれっぽい機械を操作するとかさぁ……どうせこの子のことだから、そっちのほうが見栄えがいいって理由で指を鳴らしたんだろうけど、見てるほうはどっちも混乱するよね……。


「そういうわけでもう降りてもらっても構いませんよ。旦那さまはゆかりたちと中に向かってください。私は彼らにお灸を据えることにします」


「えっ? ああ、はい……」


「いや待って! お灸を据えるって何をするつもりなの?」


 そんなサーニャに気押されてうなずくことしかできない可哀想なお父さんに代わって訊ねるが、サーニャときたら薄い胸を張って嬉しそうにこう言うのだ。


「不安なら見てもらっても構いませんが、別に手荒なことをするつもりはありませんよ? ただ公道を占拠し、人々の自由な往来を妨げている彼らに物の道理を説いてくるだけですから」


 そう言って鼻息も露わに踵を返したメイドの姿にわたしは分かった。この子が遊んでるだけだって。


「ドクター・タカマキがこちらに来るぞ!」


「ドクター! ドクターとゆかりさんとの関係は!? 合衆国の要人であるあなたとどこで知り合ったのかお聞かせください!!」


「ドクターがゆかりさんに提供した技術は、これまでに使われたもの以外にもあるのでしょうか!?」


 ツカツカと報道陣に歩み寄るサーニャに、護衛の人たちは二種類の反応を返した。最前列の人たちは微動だにせず報道陣の前に立ち塞がり、後ろの人たちは速やかに整列しなおすと一糸乱れぬ動作で護衛対象に敬礼した。


「ご苦労さまです。みなさん、私がアレクサンドラ・タカマキです。どうやらみなさんは私の話を聞きたいようですが、そのための許可をホワイトハウスから得ておられるのでしょうか?」


 その言葉にあれだけ(やかま)しかったマスコミが沈黙をする。権力者の不正を監視する立場にいるはずの彼らが大国の威光を前に沈黙するのは、なんとも不思議な光景だった。


「こ、国民の知る権利は……」


「その権利は一般人に過ぎないゆかりのプライベートや、合衆国の機密を暴き立てることを保証すると憲法に明記されていますか? あなたがたは犯罪の被害者や著名人にマイクを突きつけるときに、さも公人には自分たちの質問に答える義務があるように仰いますが、公人というのは政治家のように公職にある方々のことを言うのです。少なくともゆかりや私にそんな義務はありませんよ」


 そんなふうにふんぞり返るサーニャの顔はこっちから見えないけど、あの子のお母さんであるわたしには分かる。あれはぜったい楽しんでるって。


「……絶好調ね」


 アーリャにも分かったのか、厚手のコートに包まれたメイドの姿を見守る目は、やんちゃな弟に溜め息をつくお母さんのそれと大差なかった。


「うん……アレね、ぜったい漫画か何かのシーンで、いい機会だから真似したかったってだけだよ?」


「あー、ごっこ遊びですか。昴もよく弟たちとやりましたね」


 やがて満足したサーニャはこっちに戻ってきたが、わたしたちの視線に気がつくと不満そうにこう漏らした。


「なんでしょう……みなさんの視線が随分と生温かく感じますが?」


「たぶん気のせいですよ。それじゃあサーニャさんも戻ってきましたし、ビルのなかに入りましょうか」


「ええ。関係者用の裏口もありますが、ゆかりのようにここに来るのが初めての方々ばかりですから、そちらは使わず玄関先の受付で手続きをしてからにしましょう。どうぞこちらに」


 やんちゃな弟の相手はお手のものだという鴨川さんがみんなを代表して答えると、何度かここに来たことがありそうなお父さんがビルのなかに案内してくれた。


 日本各地の事務所はオープンを見合わせたが、以前から稼働していたここは別だ。


 400人近いスタッフが詰めているというVTuberの総本山、Re:live本社ビル。このなかにわたしが会いたいと願ってやまない人たちが待っているのだ……。






 そうしてお父さんを先頭にして中に入ると、わたしたちの姿を目にした受付のお姉さん(すごい美人だった)が飛び上がらんばかりに驚いて、小走りに駆け寄ってお父さんに要件を尋ねると、もう一人のお姉さん(こちらもすごい美人だった)が内線でどこかを呼び出した。


 どこに掛けたのか判らずとも誰を呼び出したのかは明白。待ち時間はほとんどなく、小柄な女性を連れて駆け足でやってきたのは旧知の女性だった。


 D2のN社担当営業にして、N社のVTuber事業部の顧問役。そして新設されたRe:liveの事実上の代表である中村さんが息を弾ませて話しかけてきた。


「みなさん、ようこそRe:liveへ。……お久しぶりです、ゆかりさん。またお会いできて嬉しく思いますよ」


「どうもお久しぶりです。わたしも中村さんに会えて嬉しいです」


 美人で優しい中村さんにそう返したのはお世辞でもなんでもない。わたしの夢を叶えるために三つの会社に籍を置いて、忙しく駆け回った中村さんがどれだけ苦労しているか、わたしのような小娘でも察するに余りある。


 何しろマネージャーとしてわたしの窓口になってくれたお父さんをしてあの疲弊ぶりだからね。最近では初めてのお出かけに緊張して、わたしの胸で大人しくしている愛犬に癒されて回復傾向にあるけど……中村さんは大丈夫だろうか、と以前よりやつれた姿に余計な心配をしたくなる。


「どうも中村さん。こちらがRe:liveの1期生として、本日より研修を受ける予定の鴨川さんと、0期生のアーリャさん。そしてゆかりのパートナーを務めてくださっているサーニャさんです」


「あっ、申し訳ありません真白代行! 私ったらついゆかりさんに夢中になってご挨拶が遅れて……!」


「いえいえ、些細な問題です。ただ私の代行の文字はとっくに取れていますので、今後は本部長代理とお呼びください」


「ええと、芹沢菜月をやらせてもらってる鴨川昴といいます。どうかよろしくお願いします」


「ゆかりの友人としてうるるかマナカを演じさて頂いているアーリャ・グラシスカと申します。そちらと契約する意思はありませんでしたが、わたしの我が儘で足並みを乱すのもどうかと思い、今日からお世話になろうとゆかりに同行させてもらいました」


「サーニャです。私のことはどうかアレクサンドラ・タカマキではなく、サーニャとお呼びください。……どうせそちらは語呂合わせの後付けですから」


「ええ、それでは本部長代理と。……鴨川さんの評判はつねづね伺っています。ようこそRe:liveへ。アーリャさんもようこそ。Re:liveの代表として貴女の決断を嬉しく思いますわ。そしてサーニャさんも、直接お会いするのは初めてですね。今後も貴女の技術力を頼りにさせて頂きますが……少しは手加減してくださいね?」


 そしてお父さんの紹介にわたしを抱きしめたそうにしていた中村さんが我に返り、忙しく挨拶をする。


 しかしなるほどねぇ……マスコミをやりこめたサーニャの対応がやけに辛辣だと思ったら、まさか名前をきちんと呼んでくれなかったという子供っぽい理由だったとは。


 別にいいじゃん。姓名のタカマキは後付けでも、サーニャという愛称の元となるアレクサンドラはきちんと呼んで……くれなかったっけ?


 いや、それもこの子のなかでは後付けなのかな? わたしも普段はサーニャとしか呼ばないし……わたしも新たに判明した地雷を踏まないように注意しなきゃね。


「それではこちらも紹介を……こちらが真白本部長代理からゆかりさんの窓口を引き継いだマネージャーの北上夏生(きたがみなつき)です。さ、北上。ご挨拶なさい」


 なんてことを考えていたら、中村さんに以前から話にあった新しいマネージャーさんを紹介された。


 名前は北上夏生さん。この子もなっちゃんだね、と失礼な想像をするくらい、目の前の女性は幼い印象だった。


「どうも初めまして。……自分が北上です。どうぞお手柔らかに」


 小柄で冴えない黒縁メガネの彼女は、きっちりスーツを着込んだ中村さんと比べるとカジュアルな格好をしているというか、これまた失礼だけどオタクっぽい格好をしていると思ったら本当にオタクだった。


「何しろ自分はD2の入社2年目で、まだペーペーもいいところなんすけど、結構なオタクでゆかりさんらの話に一番付いていけそうだという、心底しょうもない理由で大役を押し付けられた下っ端なんで、正直勘弁してほしいッスね」


「北上、貴女ね……」


「本当のことじゃないッスか。違うというなら、社畜ネキさんが何を言ってるのか判らないって理由で、自分を通訳として酷使するのはやめてほしいッス」


 そう訴える北上さんも中村さんに負けず劣らず苦労しているようだったが、それでもわたしのマネージャーを引き受けてくれたのだから感謝しかない。


「まぁいいわ……北上、貴女はゆかりさんたちを応接室へ。鴨川さんは、いまから担当のマネージャーを紹介するのでどうぞこちらへ」


「わかりました」


「それと真白本部長代理にはご相談が……」


「なんでしょう?」


「実は私どもでは判断の付かない案件が舞い込んで、ちょうど磐田社長に相談しようとしたところで……」


「ああ、そういうことなら私が対応しましょう。どうせ向こうに問い合わせても同じことでしょうからな」


「はい、よろしくお願いします。それではゆかりさんたちも、また後ほど」


 そうして鴨川さんたちは事務所の奥に、お父さんは廊下の向こうに消えていき……。


「それじゃあお三方はこちらにお願いするッス。いい機会だから一番いいお菓子をお出ししますんで」


 そう言ってわたしたちを案内する北上さんは、ようやくうるさいのが居なくなったと言わんばかりに開放的な笑顔になるのだった。


 そんな経緯で北上さんに案内された応接室だったが、これが豪華なこと豪華なこと。


 普段は磐田社長とか、関係企業の重役クラスにしか使われてないじゃないかという贅沢な室内に通されたにしては緊張していないのは、自分の部屋のように室内を行き来する北上さんの人柄だろうか?


 ちょっとソファーに座って待っててほしいッスと言った北上さんが、備え付けの給仕室のドアをお尻で閉めたときは不謹慎ながら笑ってしまったものだ。


 やがて大量のお菓子を持って戻ってきた北上さんは「高価な茶葉もあるにはあるんすが、淹れ方が判らないのでこっちで失礼するッス」と一人数本のペットボトルを卓上に並べた。


 ちなみにサーニャは北上さんの話を聞いて自分が淹れたそうな気配を見せたが、わたしが待て(ステイ)を命じた。招かれた立場の人間が勝手にそんなことしちゃダメでしょと説明して納得するサーニャだったが、北上さんときたら「いや、そういうことならジャンジャンやってほしいッスね。ここはもともとゆかりさんの稼ぎで建てられた別荘みたいなもんですから、遠慮は無用ッス」と爆笑したのだ。


 おかげでメイドらしいことができたサーニャが満足して着席するころには、わたしたちの前にいい香りのする紅茶も並んでおり、高価な外国産のお菓子もあって、予想された膝詰めの会議は女の子ばかりのお茶会へと変貌したのであった。


「可愛いワンちゃんッスね。その仔がユッカきゅんッスか?」


「はい、いまは初めてのお出かけに緊張してお昼寝してますけど、いつもはもっと元気なんですよ」


「わかるッスね。エリカさんとこのゴン太くんも普段はとってもお利口さんですけど、駐車場で走らせてあげるとすごく張り切りますから」


「わっ! やっぱりエリカさんのゴン太くんもいらしてるんですね!」


「そうッスね。今日はまだ見てないんすけど、研修のある日は毎日ハルカさんに連れられて……まあそれを言ったらエリカさん自身、ハルカさんに連れられて毎日嫌々ッスけどね」


 容易に想像できる光景にわたしたちは笑い、華やかなお茶会は大変楽しいものになったが、このままというわけにもいかないだろう。


 明日のこともあるが、これまで散々やらかしたという自覚のあるわたしとしては、もう少しお叱りの言葉があったほうが落ち着くのだが……。


「ところでわたしも鴨川さんと一緒に研修を受けたほうがいいんじゃないかと思いまして。……ほら、ネットリテラシーとかコンプライアンスとか、色々と不勉強なところがありますから」


「いや、うちのほうからゆかりさんにどうこうという話はまったくないッスね。少なくともそんな指示は受けてないし、そもそもうちごときがゆかりさんにあれこれ言うのは僭越ってものッスよ」


 だが北上さんは一切無用だと断言する。それでいいのかと不安になったのが顔に出たのだろうか。わたしの不安に察しがついたらしい北上さんは、しかし口に出してはこう言うのだ。


「まあ、あまりセンシティブな話題は避けてもらったほうが親御さんの心配は減るかもしれませんが、多少の失言はご愛嬌ッス。そこら辺はゆかりさんらを信頼してるんで、うちとしては何かあったら相談してもらえればというスタンスでして」


 その言葉に寛容を超えたところにあるように感じて、わたしはむしろますます居心地が悪くなった。


 わたしの知るかぎり、VTuberの演者(ライバー)と所属事務所の力関係は後者のほうが優位にある。たとえどんなに人気があるVTuberだろうと権利関係は全部事務所が持つし、違約の際には容赦なく契約を打ち切られる。


 その在り方の是非はさておき、そうでなければ諸々の問題に対処できないのは理解している。事実このRe:liveにおいても、過去に未成年でありながら飲酒を匂わせる発言をしたハルカさんたちは厳重注意を受けたそうだ。


 だというのにわたしだけが例外というのは、過度の特別扱いではないかと思うのだ。


 仮にわたしの創作であるアーニャたちキャラクターの権利がわたしにあるにしても、仮にL2AなどのVTuberとして配信するためのソフトの権利がサーニャにあるにしても、言うべきことは言ってほしいと思うのはわたしの我儘なのだろうか?


「いや、特別扱いじゃないっすよ? ちょっと言葉が足りなかったみたいなんで補足しますが、誤解しないでほしいッス」


 そうしたわたしの気持ちに気がついたのか、北上さんはちょっと困ったように頭を掻きながら言葉を選んできた。


「もちろん自分らもゆかりさんが政治的に微妙な発言をしようとしてるならお止めするッス。でもゆかりさんに、例えば現在の尖閣諸島について言及する意思はないんすよね?」


「はい」


「信じるッス。他にも人種や国境など微妙な話題はいっぱいありますが、そこいら辺はゆかりさんとサーニャさんなら大丈夫だろうという信頼がうちにあるのは事実ですが……それ以上にゆかりさんはうちの基準なんすよ。だからうちは物差しの尺度に文句をつけないんす」


 それはどういう意味だろうかと首をひねると、北上さんはRe:liveは素人でしかないから、現在、唯一のプロであるアーニャの活動を制御する立場にないのだという。


「その辺りはゆかりさんたちの話に付いていけそうだという理由で、ゆかりさんのマネージャーに選ばれた自分を見てもらえれば分かると思いますが、いい歳こいた大人がどれだけガン首を揃えようと、所詮は素人集団ッス。そんな自分らがゆかりさんにあれこれ指図するなど僭越も僭越。おかしくてヘソで茶が沸くッス」


「ふむ? Re:liveは各界のプロを集めたという認識でしたが?」


 そんな北上さんをサーニャが問いただしたが、あの顔を見るに北上さんの意見に異を唱えるつもりはないらしい。


「たしかにその道のプロであることは認めるッス。でもただ一点、VTuberというまったく未知の配信形式に関しては完全なド素人ッスね。そもそもRe:live自身、ゆかりさんのアーニャを通してVTuberなるものを研究している段階ですから。現在、研修生に課してる内容も、アーニャの配信を見てこれもやっといたほうがいいんじゃないかって用意したものですから。そのRe:liveがVTuverの理想にして目標とする完成形のアーニャを自力で切り盛りするゆかりさんに言えることは何もないッスよ」


 その返答は予想したものなのか、サーニャが満足したようにうなずく。


 わたしとしては過分な評価に恐縮するしかないが、同時に見えてくるものもあった。


 現実にもこうだったんだ。いや、それ以上か。手探りの試行錯誤でまったく未知の航路を切り拓いた未来のVTuberたち。あの人たちの手本があればこそ、わたしはこの場所にいられる。そう思うと下げた頭が上がらなくなる思いでいっぱいだ。


「ま、そんなわけで自分もゆかりさんのマネージャーと言っても大した仕事はしてないッスね。他のマネージャーはいろいろ相談に乗って頭を悩ませてるみたいですが、ゆかりさんたちの自己プロデュース能力は半端ないッスからね。一緒になって企画を考えるでもなし、やってることはゆかりさんにあれこれやらせようとする金に汚い大人をシャットアウトするだけッスが、それにしたってゆかりさんのアーニャの威光があれば簡単ですからね。楽をしているのはここだけの秘密にしておいてほしいッス」


 そう戯ける北上さんにわたしは吹き出し、そして余計なことを聞いてしまった。


「アーニャ宛の案件ってそんなに多いんですか」


 まさに興味本位。前々からお父さんの元に押し寄せる案件の多さは聞き及んでいたので、つい聞いてしまったのだが……その代償は大きかった。


「多いッスね。まあC社の成功を目の当たりにしたらそれも当然すけど……たしか3DNS版3Gの国内販売本数が478万本で、国外が1132万本。サーニャさんが手がけたPC版のDL数が7500万って話だから、家庭用ゲーム業界に限定しても是非あやかりたいって意見ばっかりッスよ」


 ふんふん、思ったより多いなと北上さんの話を聞いているうちに、うん、と首をひねったときにはもう遅かった。


「えっ、PC版のDL数……桁が一つ間違ってません?」


「いえ、その数字で合ってますよ。私のところにもC社から、せめて売り上げの半分を持ってくれないと株主に何を言われるかわからないという話がありましたから」


「で、でもあれってたしか、遊ぶのにゲーミングPCがいるんじゃ……」


「当初はそう思われましたが、元は3DNS版と同じ物ですからね。私自身が最適化したこともあって、標準的なグラフィックボードさえ搭載されていれば十分だと告知したら、3DNS版の品不足もあって爆発的に購入されたようです」


 サーニャの説明に全身の冷や汗さんが「出番か?」とばかりに顔を見せる。合計で幾つだ……9100万ちょい×6800円かぁ……たしかにそんなに売れるの見たら、是非うちのゲームもPRしてくれって依頼が殺到するよね、とドッと汗が吹き出る。


「ゆかり大丈夫? すごい汗よ……はい、ハンカチ」


「うん、大丈夫……ありがとうね、アーリャ」


 モリモリとお菓子を食べることに集中していたアーリャが差し出したハンカチを受け取り、お礼を言って冷や汗を拭う。わたしの異変を察したらしい愛犬が膝の上で顔を上げ、心配そうに見上げるが、そちらに構ってる余裕はなかった。


 まさかそんなことになっていただなんて……ごめんね、お父さんの苦労も知らずに勝手なことばかり言って。


「ま、そっちの要望は配信でゲームを使わせてもらうこともあるから、あんまり無碍にもできないんすが、幸いにも芹沢のなっちゃんがこれまたC社のサバイバルホラーでいい数字を出してくれましたからね。アーニャさんがダメなら他のVTuberでも構わないから、一度話を通してくれってことになりまして。おかげで他の子の仕事は当分困らないッスよ」


「あ、そうなんですか」


 ようやく安心できたわたしはホッと一息ついた。お父さんと北上さんの手元に押し寄せた案件があの子たちの糧になるなら、わたしの冷や汗にも意味はあったと思う。


「以上がうちの内情ッス。余計なことかと思いましたが、知っておいてもらったほうがいいと判断して報告しました」


「いえ、ありがとうございます。おかげで現状を正しく認識できたと思います」


「そう言ってもらえると助かるんすけど、表向きはゆかりさんを始めとするVTuberの活動をサポートするっていう建前があるんで、もしよければ聞かせてほしい話があるのも事実ッス」


 そうして二、三やり取りすると、北上さんが真剣な表情になった。いよいよ本題に入りそうな気配だ。


「明日のこともゆかりさんたちのことだから実現の可否は疑ってないッス。すでに開催地も決まって、人員も動き出してるって話だから、うちとしては、そうッスね……今朝からうちの敷地に運び込まれてる、今回のライブで使われる特別な機材についてお伺いしていいッスか?」


「ええ、あれの中身はこれですよ」


 北上さんの質問に、サーニャはどこからか取り出したものを見せて、そして操作する。


 今度は指を鳴らして済ませずに、手元のスマホを操作して──一変した室内の光景に驚く北上さんに、サーニャは自信に満ちた顔つきで説明した。


「立体映像投影機。一般にホログラムとして知られるものをレーザーを使わずに映し出す端末がこれになります」


 小さな、本当に小さな、それこそスマホに標準搭載されているカメラのレンズだけを抜き取ったような小さな端末。それさえあれば立体映像が可能になるとサーニャは実演したのだ。


「すごいッスね。これさえあればYTubeを使わずに同じもの……いえ、それ以上のものが見れるってことッスよね?」


「はい、もっとも現状ではYTubeからの撤退は考えていませんが」


 そう断言したわたしの言葉をサーニャが引き継ぐ。


「これと同じものをRe:liveに運び込みましたが、希望する世界各国にも米国を通して供給しています」


「さすがは天才科学者ッスね……そういうことなら有り難く使わせてもらいますが、うちに引き渡したものはともかく、世界中にばら撒いたほうは大丈夫なんすか? これだけの先端技術になると、その秘密を盗もうとする輩が後を絶たないんじゃ……」


「いえ、その懸念は無用です。投影機そのものはただの端末ですから。こちらの手元にあるソフトがなければ何もできませんよ」


「どんなに優れたハードもソフトがなければただの箱って、まさにN社の先代組長……じゃない、先代社長のお言葉そのものだね」


 そう言って笑い合うわたしたちの言葉に、北上さんはいつもの調子を取り戻したように笑った。


「分かりました。これは当日までに各地の支部周辺や、希望する自治体への配備を完了するように手配するッス」


 そうして大きくうなずいて立ち上がった北上さんは「ちょっと失礼するッス」とスマホを取り出し、何回か相手を変えて連絡すると、食べ終えたお菓子や飲み物の始末を素早く済ませてこう切り出した。


「それじゃあ打ち合わせも終わったので、これからは所属演者(ライバー)の子たちを紹介して説明しますんで、付いてきてもらえるッスか?」


「はい、よろしくお願いします」


 ……いよいよだ。


 わたしはもうすぐあの子たちに会える。そう思うと天にも昇る気持ちだ。


 あの子たちが彼女たちと同一人物であるかどうかはこの際問題ではない。


 世界が違う。辿ってきた歴史も異なる。名前も同じではないだろうし、家族構成に差異が生じることだってあり得る。もしかしたら完全な別人ということだってあるかもしれない。だがそんなことは些細な問題だ。


 実のところわたしはもう、あの人の記憶にある彼女たちにそこまでこだわっているわけではない。


 ただわたしが伸ばした手を握ってくれたあの子たちにかける想いの深さは、あの人の執着を超えたところにあるだけだ。


 出会ったらなんて声をかけようか。なにか気の利いたことでも言えればいいんだけど、生憎わたしにそんな才能はない。


 だからただ真っ直ぐにこの思いの丈をぶつけようと、わたしは駆け出したくなるのを我慢して北上さんの背中を追いかけるのだった。






◇◆◇






「えっ? 何この地獄……?」


 担当マネージャーに案内された待合室を覗き込んで、芹沢のなっちゃんこと鴨川昴はそう口にするのがやっとだった。


 志村杏子に組み伏せられて制圧されるも、めげずに拘束から抜け出そうとする蛍崎海音の頭に、宇多田琴子が「馬鹿たれが」と毒突きながらスリッパを叩きつける光景。少し離れたところでは、保護者に羽交締めにされてグッタリとぶら下がるグラディス・スチュワートを、篁蘇芳の愛犬が物憂げに見上げるそんな光景だ。


「…………見なかったことにして、と」


「説明するから待って待って? 芹沢のなっちゃんでしょ? あたしも好きでこんなことをしてるわけじゃないから──」


 苦笑する担当マネージャーの前で踵を返すジャージ姿の少女を引き留めたのは、部屋の中から引き留める声ではなく、廊下の反対側から掛けられたよく通る少女の声だった。


「何を見なかったことにするの?」


 その声はよく知っている。およそ一週間前に行き場のない自分を温かく迎え入れ、孤独と将来の不安に震える自分を抱きしめてくれた心優しい少女の声だ。


 ハッと振り向いた先に姿を見せた親愛なる少女に、鴨川昴は安心して嘆くことができた。


「ねぇ聞いてよもぉー! マネちゃんにお仲間のところに連れてってもらったらさぁ、どう見ても地獄なんだよ! 帰りたいよゆかりさぁん!!」


 もともと彼女の声量はVTuber随一を誇り、騒音レベルで極めてうるさいと分類されるほどの大音量だ。本人は冗談のつもりでどんなに抑制しようと、それを聞き逃す人間はこの場にはいなかった。


「アーニャたん? ねぇアーニャたんがそこにいるの!? オラッ! 離せゴルァアアア!!」


「こらっ、社畜ネキおまえ、暴れるなっつてんだろうがッ!!」


「アーニャ? ねぇアーニャなの!? 助けてアーニャ! コーデリアに犯されるぅううう!!」


「おいっ、何を人聞きの悪いことを言ってんだおまえは! そんなんだから会わせらんないって言ってるんだ!!」


「あー、これはいかんね。コキッといっとく?」


「許可します! 速やかに危険人物の無力化を──」


 途端に修羅の国と化す室内だったが、時計の針は止まらなかった。


「その声はグラディスさんだね? 何があったのかお母さんに説明してみなさい」


 そうして姿を見せた少女に何かできる者もまた、この場には存在しなかった。


 思わず息を飲んだのは誰だったか。目を見張るほど美しい少女であることは、すでに公開された写真から熟知している。だが実際に肉眼で確認した少女はそこにはないもので彩られていた。


 よく動く表情と耳に心地よい声。そして気品と風格──肉眼では捉えようのないものを肌で感じる。現実はしばしば創作を上回るというが、これは本当に現実の光景なのだろうか?


 アーニャという類稀なる偶像に憧れて、同じ道を志した少女たちは一言も発せずに真白ゆかりを見つめる。


 息苦しさを覚えたものは誰もいなかったが、同時に声を出せた者もおらず、誰もが圧倒されたように身動(みじろ)ぎもせず硬直する。そんな少女たちを前に、誰よりもこの邂逅を待ち望んでいた真白ゆかりは不思議そうに首をひねった。


「あれ? 思ったより反応が鈍いね? てっきり揉みくちゃにされるもんだと覚悟してたのに」


「単に外しただけでは? 自己紹介もせずいきなりあんなことを言われたら誰だって反応に困るでしょう」


「そっか、失敗失敗」


 傍に控える、まるで画面の中から抜け出してきたかのような美しいメイドに訊ねた少女は頭を掻き、そして優雅にスカートの端を摘んで一礼する。


「それではあらためて初めまして。アーニャの演者を務める真白ゆかりです。どうかお見知りおきを……なんちゃって」


 止まっていた時計の針が動き出したとき、そこに直前の立場は関係がなかった。何をするか分からないという理由で拘束された者も、監視する立場を自らに課した者も。ただ込み上がる思いのままに声を上げると一箇所に集結して互いの身体を抱き合い、笑い合い、そして涙した。


 爆発する感情の坩堝のなか、歓喜する少女たちを二匹の愛犬は不思議そうに見上げ、やがてお互いの存在を認識すると主人の姿に倣って尻尾を振り、お互いの匂いを嗅ぎ合って友誼を深めるのだった。






◇◆◇






 この日、わたしこと真白ゆかりは二つの真理を学んだ。


 一つ目はやはり、人間は感情の生き物だということ。そして二つ目は、喜怒哀楽を問わず、ひとたび感情を爆発させた人間は何をしでかすか分からないというものだ。


「この馬鹿たれどもが! あんなに言ったのに迷惑を掛けやがって! ゆかりちゃんに謝れ!!」


「正直すみませんでした! でもおっぱい柔らかかったです!!」


「思ったより大きかったよね?」


「メッチャいい匂いしたわ」


「『他にいうことは無いんかおのれらはッ!?』」


 いまの騒動から一歩身を引いていたサーニャたちが生温かい笑みを浮かべていることからも、正座をしてそれぞれの保護者からのおしおき(スリッパによる折檻)を甘んじて受ける、社畜ネキさんたちと大差のないことをわたしがやらかしたのは確実だった。


「まあ、みなさんもどうか落ち着いてください。見たところゆかりを雑に扱ったことで揉めているようですが、ゆかりの扱いは家でもあんなものですから、本人はさして気にしていないと思いますよ?」


「うん、わたし学校でもあんなだしね」


 わたしのやらかしに言及することなくフォローしてくれたサーニャの優しさに感謝しつつ、それに乗っかる。


 さすがに胸を触られたことはないが、敬遠されて蚊帳の外より遠慮なく揉みくちゃにされたほうがよっぽどいい。


「そうね。それにこの件で誰かが責められたほうがゆかりも辛いと思うわ。女の子同士で抱き合うくらい普通だから、この話は終わりにするのはどうかしら?」


 そう言ってくれるわたしの大事な友達は、わたしの性自認が怪しくなっていることを十分に知っている。


 うん、むしろこっちが謝りたいぐらいなんだよね……ごめんね社畜ネキさんたち。女の子なのに女の子に抱きしめられてドキドキしちゃう変な子で。


「マジかよマナカたんマジモンの天使か?」


「天使だよ天使! マナカリアリィエンジェル!!」


「あ、いかん……なんか信仰に目覚めそうになったわ」


「あんまりこいつらを甘やかしたくないけど仕方ねえなぁ……」


「まあ、当事者がどなたもいいと仰っておられるのに、私どもが異を唱えるのもなんですからね」


「仕方ない……おい蘇芳、次はないからな」


 みんな口に出してはそう言うけれども、誰もが苦笑混じりで険悪な雰囲気はどこにもない。このあたりは普段の配信の延長というか、わたしのアーニャを通してプロレスと揶揄されるVTuberの流儀にすっかり馴染んでいるようだ。


「じゃ、ゆかりさんのほうからみなさんに話があるんで、適当な席に座ってもらえますかね? ちなみにここでゆかりさんの隣の席を争ってケンカをしたら酷いッス。どれぐらい酷いのかというと、とても言葉では言い表せないほど酷いんで、そのつもりでいてほしいッスね」


 そうして立ち上がることを許された社畜ネキさんたちを横目に、事前に低レベルな争いを禁止した北上さんの言葉に逆らう人はいなかった。


 もっともわたしの両隣はサーニャたちが譲らないだろうし、争うまでもなくわたしの真正面の席をキープした社畜ネキさんの抜け目のなさは、やはりさすがだと思う。


 もっともみい子さんたちをお尻で押し除けての勝利だけどね……社畜ネキさんに向けられる怨嗟の視線を思うと、流血の予感に身慄(みぶる)いするけど、はたしてわたしたちに阻止できるかどうか……。


「それでは、あらためまして自己紹介を。わたしがいつもアーニャをやってる真白ゆかりです。こっちの子はサーニャで、こっちの子がうるるかマナカを担当しているアーリャ。どうかよろしくね」


「ハイッ! お姉さんは社畜ネキをやってる蛍崎海音です! ところで質問なんだけど、アーニャたんってサーニャたんとアーリャたんの間に生まれた子だったりして?」


「ううん。もともとアーニャは、こちらのアーリャを本人に黙ってモデルにした子なの。で、名前もアーリャをもじってアーニャ。サーニャも……ううん、こっちは偶然同じような名前だっただけだよ?」


 危なかった……ついうっかりサーニャの名前をわたしが付けたように言うところだったよ。


 そのことに気がついて苦笑するアーリャと溜め息をつくサーニャに挟まれて、この日何度目かの自己紹介を済ませていく。


 鴨川さんの担当マネージャーだといい、成り行きで同席することになった日向のぞみさんを含め、全員の自己紹介が終わるころには、場の雰囲気は随分と柔らかくなったように感じた。


「いやー、さっきもこの話をしてたんだけど、不思議と初めましてって感じじゃなくてね。ぶっちゃけリアルでも配信のときと雰囲気が似てたから、つい初めましてじゃなくておかえりって言いそうになってさ」


「そうですよね。わたしもなっちゃんが入り口でまごついてるのを見かけたときは、つい帰ってきたらただいまと言わないとダメでしょって言いそうになりましたよ」


「だってさぁ……そんなこと言うけど昴たちの初対面アレだよ? 挨拶どころじゃなくなるって」


 そう言って笑い合う杏子さんたち1期生の気やすさは10年来の友人のようだ。


 これも本人の仕草や表情を忠実に再現するL2Aですでに触れ合っているからだろうか。なごやかな空気は配信中(実家)のような安心感があった。


「と、ところでゆかりちゃん……Wisper見たよ。ファーストライブおめでとう……」


「琴子も見たよ……すごいけど、やっぱりさすがだなって……」


 そんな中、社畜ネキさんこと蛍崎海音さんの後ろで居心地が悪そうに身動(みじろ)ぎしてた二人組が祝ってくれた。


 ぽぷら役の宇多田琴子さんと、あずにゃん役の皆川あずささんは恥ずかしくて仕方なさそうに、それでいて嬉しくて堪らなそうにわたしの門出を祝ってくれたが、やはりそういう認識なのか。


「見た見た、お姉さんも見たし、むしろ知らないヤツはいないよね? まだどこでやるか知らないけど、ねぇアーニャたん、お姉さんたちも観に行っていいよね?」


「うん、その話なんだけど……」


 琴子さんたちだけではなく社畜ネキさんを含め、誰もがあのライブをわたしだけのものだと思い込んでるようだ。この流れで本当のことを言うのは勇気がいるけど……ええい、ままよ。当たって砕けろだ。


「場所はスイスのジュネーブ国際音楽コンクールが行われているジュネーブ音楽院フランツ・リストホールで、ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で行われることになりました」


 おおーっ、とその場にいるほぼ全員がほぼ同時に感嘆の声を上げる。


「やるねゆかりたん。なんかよく分からないけどすごそうだ」


「おまえは黙っとけっちゅうの! 話がややこしくなる!」


「いや、これは実際すごいことですよ。今回ゆかりさんが使用するコンサートホールと楽団は、どちらも世界で最高のものだと聞いていますので」


「せやね。音楽を志すもんなら、どちらか片方に触れるだけでも最高の栄誉だっちゅうのにいきなり両方やもん。音楽関係者が口を揃えて世紀の歌姫と持て囃すゆかりさんなら当然やけど、やっぱりさすがやわ」


「え? でもジュネーブってキャリフォルニアより遠いよ? やだよ、せっかく会えたのにもうお別れなんて」


「あ、それは大丈夫だよ」


 みんながみんな絶賛する中、一人だけ泣きそうな顔ですがってきたグラしゃんに答える。


「たしかサーニャの用意してくれる(ふね)で片道20分くらいだっけ?」


「そうですね……大気圏内の巡航速度は時速6万キロくらいですから、それくらいを見ておけば間違いないかと」


「なぁーんだ。それなら安心安心。今日はゆかりたんと──」


 わたしたちの会話に社畜ネキさんが朗らかに笑って、そして硬直する。


「『はぃいいい?』」


 ほら、サーニャが時速6万キロとか余計なことを言うから誤魔化せなかったじゃないか。だがスルーだ。


 本題はむしろここから……断られたらどうしようと身を竦ませる臆病な自分を叱りつけて口を開く。


「そういうわけてリハーサルの時間は十分取れるから、みんなも一緒にどうかなって思って今日は集まってもらったんだけど……」


 言ってるうちにだんだん自信がなくなってきた……だってみんな「待って、待って」と言いたそうに口をパクパクさせて、泣きそうな顔で首を振ってくるんだもん。


 わたしですらサーニャのスケールについて行けないところがあるのに、いきなりこのライブは無理があったのかもしれない。


「ま、まあ無理に誘うつもりはなくって、もし良かったらどうかなってだけだから……」


 こんな肝心なときにへこたれる情けない自分に泣きそうになる。


 あれはいつだったか、公園で砂遊びをする友達に言われた言葉だ。


『ゆかりちゃんのお洋服を汚すと、お母さんに叱られるから……』


 その言葉に迷惑をかけまいと身を引いたのが発端だ。以来、わたしの対人機能は故障に故障を重ね、自分から距離を詰めることを覚えたいまも……。


「ちょっといいッスか?」


 だがこの場には間に入ってくれる人が存在した。


 その人はわたしのマネージャーを請け負ってくれた北上さん。困ったように頭を掻きながら、めんどくさそうに溜め息をついた彼女が口を開く。


「確認なんすけど、ゆかりさんは最高のライブがしたくてみなさんの協力を要請してるんすか? それとも結果如何は問わず、いつもの配信のようにみなさんと楽しく遊びたくって誘ってるすか?」


「……それはどっちかっていうと後者だけど、わたしはみんなと一緒なら最高のライブになると確信してるよ」


「なるほど。それなら話は簡単ッスね」


 わたしの答えに北上さんは気楽にうなずき、その調子のままみんなを見渡すとこう切り出した。


「とりあえず移動に関する疑問は大した問題じゃないッス。何しろサーニャさんは天才科学者ですからね。正直ワープくらいは実現してても不思議じゃないッス。問題はやるかやらないかッス。もともと配信業はリハーサルなしの一発勝負。失敗したらどうしようかって発想はVTuberに似合わないッスよ」


 それは第三者の気楽な立場からの発言ではなかった。北上さんはわたしのマネージャーとして、当事者の立場からこう言ってくれている。


「ゆかりさんは単に、みなさんと一緒に歌いたいからこう言ってるだけッス。だというのに大舞台だからって理由で断るのは勿体無いと思うんすよね。だって指を咥えて眺めてるよりそうしたほうが絶対面白そうですもん」


 失敗した時のことなど考える必要はないと。責任は全て自分たちが負うと。その言葉に鴨川さんのマネージャーであるのぞみさんがうなずき──。


「やる」


 社畜ネキさんの隣で、谷町みい子さんが立ち上がってそう断言した。


「みぃちゃん一人でもやる。私にやらせて。私はゆかりちゃんよりずっと下手っぴだけど、ぜったい逃げ出さないって約束するから……」


「谷町さん……」


「アイドルになりたくて、ずっと音楽に携わってた私には分かる。こんなチャンス逃せないよ……お願いします、私も連れてって……」


「ほい、一人確定。担当のマネージャーにはこっちから連絡しとくから大丈夫っすよ」


 みい子さんの言葉に、手元のファイルに何やら書き込んだ北上さんが確約する。


「私もやります! ゆかりさんと一緒に歌いたいかということなら答えは単純です。他のことは知ったことではありません!!」


「わたしもやるよ! 邪魔だと言われても絶対ついて行くからね?」


「マリナもやります! いやー、これはネットで叩かれますね。でもそんなことより大事ですよこれは」


「蘇芳もやるわ。マリナがやるなら当然やな。一人で帰れんし、メシも用意できんしな」


「ハッハッ」


「おっ? もちろんゴン太も置いて行かへん安心しい」


「あたしもいい? って言っても歌なんてカラオケで歌ったくらいなんだけどさ」


「あー、この流れで言うのはなんですが、昴のせいで音響が壊れたらどうしよう……そのときは助けてくださいねゆかりさぁん」


 そうして次々と参加表明がなされる中、楽しそうに犬歯を剥き出しにした社畜ネキさんが立ち上がった。


「おまえら分かってねえなぁ? ネットで叩かれんのはお姉さんの専売特許だかんね。とりあえず醜態を晒すのは譲らんから、覚悟しとけよ馬鹿どもがよぉ」


「……いいね。よく分かんないけど、なんか面白そうだ」


 そんな中、ただ一人泣きそうな顔で立ち尽くす琴子さんと目が合い、不思議と共感するものがあった。


 そんなの無理に決まってる。でも自分だけ置いて行かれたくない。そんな心の悲鳴が聞こえてくる。


 むかしはわたしもそうだった。いまだってこれが正解なんて保証はどこにもない。嫌われるのを恐れるあまり、人目に付かないように立ち回って一人で泣く自分の姿が目の前の琴子さんと重なった。


 だからわたしは迷惑だと思われようと気にせずこの手を差し伸べることができた。


「一緒に行こうよ琴子さん。やらかしたらやらかしたで、それもいい思い出になるよ」


「ゆかりちゃんは卑怯だよ……そんなことを言われたら断れないじゃんかさ……」


 差し伸べた手が震える手に握られて、もう一つ重ねられる。


「あ、あたしも行く……頑張るからあたしも連れてって……」


「ん。これで全員参加っすね。スケジュール調整はもともと演者(そっち)の都合が全てだったんで気にすることはないっす。じゃ、のぞみちゃん、怖い先輩に怒られに行くッスよ」


「はい。ふふ、先輩に大目玉ですよね、わたしたち」


 本当に……何が自分たちにできることは無い、なんだろうか。


 北上さんはわたしのマネージャーとして最高の仕事をしてくれた。挫けそうなわたしを支えて歩き続ける勇気を与えてくれた。だからわたしは躊躇わなかった。


「ありがとう北上さん! みんなとリハーサルをしたいから用意してくれると助かります」


「ういっす。お安いご用ッスよ」


 時刻は12月16日の午後3時。この一歩を踏み出したわたしたちの前途はまだようとして知れないが、最高のライブになるという予感が途絶えることはなかった。






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― 新着の感想 ―
[良い点] 連続更新ありがてぇ… [気になる点] DL7500万本とかヤバすぎw モ○ハンワールド出す前から世界中でヒットしてる、これ数年先はどうなっちゃうのか Wii○でワールドもどき出してもいいの…
[一言] 20分……2011年頃って民間宇宙事業って噂程度の領域だったなぁ…… コンドルでも空気抵抗でマッハ3位が安定してたからもし宇宙仕様になってたら大気圏と宇宙圏の間なら有り得るちゃ有り得るなぁ…
[一言] 数ミリの大きさで3Dプロジェクターの機能を持ってる装置とか、十分にオーバーテクノろしーなんですが本人に自覚内だけですよね。 なお、大気圏内で時速6万キロの巡航速度で移動するって、3回ほど見間…
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