生意気だけど、仕方ないか
2011年11月22日(火)
朝から元気という人は、たぶん少数派だろう。朝に弱い人もいるし、今から仕事だ、学校だという理由で朝は嫌われがち。TVもニュースばっかりだしね。
わたしも例に漏れず多数派だったが、こんなにも憂鬱なのは理由がある。起きると同時に起動したパソコンに表示されたメッセージ。それが原因だ。忘れたかったのに、忘れられない現実を朝から突きつけられる。
『おはようございます。アーニャの検索ワードがiyahooのランキングの1位になってますよ、ゆかり』
「おはよう……朝からいきなり憂鬱な話はやめてよ」
わたしのAIが初手からやらかしたことを報告してきて、けっきょく夢の中にも出てきた話を蒸し返されると、さすがに機嫌が悪くなるというか。いや、この子の存在自体、わたしが盛大にやらかした結果なんだけどさ。
昨日の午後にわたしのチート能力が荒ぶった結果、誕生したこの子に請われて一枚のイラストをSNS上に公開したのが、今となっては悔やまれてならない。
VTuberのガワとして使う予定の『アーニャ』のイラストをWisperを投稿したところ、アカウント取得直後でフォロワーの数は0人。投稿したのも何の変哲もない立ち絵だというのに、なぜかバズった。
イラストを投稿したあとに本文を忘れたことに気がつき、慌てて「電子の世界からこんにちは。インターネットの妖精。北の国からやって来た女の子。年齢は十三歳だよ」みたいな自己紹介を追加した時にはすでに手遅れって、なんか酷くない?
異様な勢いで増える返信とフォロワーにビビり、ベットの中に逃げ込んだのが昨夜の出来事。初めての経験でなんだが、なんで発見されたのか本当に謎。リアルでは注目されがちという自覚はあるけどさ、こっちでもそうなのかと知らないおじさんに話しかけられた気分。
まぁバズったこと自体はアーニャの宣伝もあったからいいんだけど、拡散速度が予想外というか。まさか起きると同時に挨拶されたこの子に、iyahooのリアルタイム検索で話題のキーワードの1位になったと報告されようとは。
『悪いことをしたわけではないのですから、もっと堂々とされては? 西暦2000年代の日本のサブカルチャーでよく見かける、典型的な小市民でもありますまいに』
「小市民でごめんねー。お使いで残った小銭を誤魔化すこともできないほど小心者なんだよ、こっちは」
帰宅後にお母さんにもらったおやつを食べながら、画面越しにケンカをする。だいぶ分かってきたけど、この子は自分が正しいと思ったら意固地になる傾向がある。
今もそうだ。空気も読まずにSNSの閲覧を勧めてきて、後回しにしたら途端に言い負かそうとしてくる。まあ、言ってること自体は正しいし、個人的な興味もあるから確認するけどさ……。
「本当に不正はしてないよね? ネットの注目を強引に向けるような工作とかさ……本当にし・て・な・い・よ・ね?」
問い詰めると返事がピタリと止まった。画面越しに後ろめたいことがあるときの弟のような気配を感じる。
「……正直に答えなさい」
『イエス、マム。何人か影響力のあるインフルエンサーの注目を誘導する書き込みを、匿名で行った事実を認めます。しかし彼らがアーニャのイラストを絶賛したのは、ゆかりの実力があってのことです。そこを履き違えてはいけません』
やっぱりね。やたらと口数が増えて、話を必死に誘導しようとするから、そうじゃないかと思ったんだよ。
「とりあえず今後はそういうのはナシね。それとチート能力を褒められてもあんまりうれしくないや。そっちも以後禁止で」
『いえ、アーニャの造形に関しては、紛れもなくゆかりのイメージが優れていたからです。何でもかんでもチートとして否定するのは正しくないと思いますが』
で、今度は「姉ちゃんは悪くない」と言ってるときの弟にそっくりだ。やっぱりこういうのって似てくるものなんだね。この甥っ子は叔父さんにそっくりだよ。
『……何がおかしいのでしょうか?』
「内緒。……まあ最初からケンカするような話でもないし、仲直りしよっか。でもネットの工作は禁止ね。そういうのはバレたときの反動が怖いし、あまり褒められた手段じゃないのは本当だからね」
口元を弛めて伝えると、ちょっと安心したような気配。
『分かりました。次の命令が伝えられるまで待機します。……それと貴女の許可を取らず、勝手なことをして申し訳ありませんでした、ゆかり』
うんうん、素直に謝れるのはいいことだよ。弟も見習ってほしいな。
「こっちこそ問い詰めるような真似をしちゃってごめんね。それじゃあおやつも食べ終わったし、Wisperを開いてネットの反応を報告してもらえるかな?」
『イエス、マム』
そう伝えると出てくるわ、出てくるわ、ネットの反応が。
単純なWisperの返信だけではなく、「可愛い」「和んだ」「尊い」といった返信傾向のグラフとか。
どこまで続いているのか判らない返信を自力で確認するのは手間だからね。こういう物を用意してくれるのは助かるよ。
「しかしアーニャたんぺろべろか……これって肯定的な評価に分類されてるんだけど、本気?」
『はい。この時代における最大級の賛辞です』
そうなのかなぁ……なんかこの子の常識、色々とおかしくない?
「まぁいいや。今のところ何の背景もない立ち絵が一枚だけだからね。次はアーニャが何のためのキャラクターか、もう少し踏み込んだイラストを描いてみようかな」
特に考えていなかったが、北欧出身のアーニャが日本に来てVTuberになるには、それ相応の理由が必要だろうと、即興でストーリー性を持たせる。
人気のない寂しい村で雪だるまを作るアーニャ。生命を吹き込まれ、アーニャと共に温かい日本を目指して旅し、次々と散華する雪だるまたち。そんな消えゆく友人たちを振り返り、凍土の終端で涙ぐむアーニャと、都合3枚のイラストをWisperに投稿して時刻を確認すると、ちょうどいい時間になっていた。
「じゃ、お母さんの手伝いをして夕飯とお風呂をしてくるから、後のことはお願いね」
『いってらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ、ゆかり』
昨日と同じく音もなく休眠状態になるパソコンを残し、用を済ませて戻ってくるまでの間に何があったのか。
部屋に戻るなり、報告されるメールの山、山、山。迷惑メールかなと思ったら、絵の仕事を頼みたいとか何だこれ……?
「専属と契約はお済みですか? もしまだでしたら、ぜひ当社とって……小学生に何を言ってるんだかって感じなんだけど……?」
『どうやらゆかりを仕事を募集しているイラストレーターと勘違いしたようですね。まだ小学生だから契約は無理ですと返しておきましょうか?』
「そういう個人情報は表に出しちゃいけないんじゃない?」
『冗談です。とりあえず私が調べたところ、今回ゆかりにオファーを出したのは、どこもまともな出版社やソフトメーカーのようです。ゆかりに契約の意思がないなら、その旨きちんと伝えれば無理強いはしないでしょう。そんなことをしたらゆかりの心証を損ねますから』
「なるほどね。仕事を頼みたいのに嫌われちゃ元も子もないもんね」
『はい。それとも契約の意思はおありですか? おありなら交渉は私が行いますが。今回、彼ら駆り立てるに至ったアーニャの完成度を考慮するに、悪くない収入源を確保できると思いますが……』
収入源ね……小学生の身には過ぎた贅沢だよ、それ。
「さすがにそこまでは責任を持てないかな。未成年の収入とか、税務上の処理も分かんないし」
『はい、ゆかりのご両親が受け取っている給与の控除にも関わりますから、税務署に痛くもない腹を探られるのが嫌なら、断るのも手です。今回は私の方からお断りしても?』
「うん、それでいいんじゃないかな? ごめんね、余計な仕事を増やして……」
『いえ、それは構いませんが……これは、しかし……』
なんだろう、珍しく迷っている気がする。わたしがイラストの仕事を断ることで不都合が生じるのかなと思ったが、違った。
『ゆかり、私には実体がありません』
「うん、AIだもんね。それが何か?」
『つまりゆかりがVTuberとして活動するにあたって、私がマネジメント業務を行うのは限界があるということです。今回のようにメールだけでは事足りず、場合によっては相手のところに出向く必要も、この時代には存在しますから』
なるほど……わたしがVTuberとして活動するにあたって、例えばゲームの使用許可を求めても、メールだけじゃ相手にされない可能性があるってことか。
『もちろん許可をいただけたら、こちらのほうから私の実体となるヒューマノイド型の端末を送り込むことも可能ですが』
って、なんかすごいことを言い出したよ、この子!?
「いやいやいや、そういうのはわたしの手にあまるというか、何というか……」
『はい、小心者のゆかりがそうした手段を望まないことは理解しております。ですので、私の代わりにマネジメント業務を託せる協力者の情報を開示願います。私は西暦2200年代に成立した人工知能規制法により、人類の個人情報を勝手に収集することができないため、ゆかりの戸籍に関しても把握できません。なのでゆかりがこの人なら任せられるという人物に心当たりがあるなら、ご教授願えればと』
「うーん、そういうことならわたしのお父さんでいいんじゃないかな? お父さんならN社勤務だし、社会的信用もあると思うよ。忙しそうにしてるから、あんまり仕事を増やすのは可哀想だけど──」
言ってる最中に画面の向こうから、あふれんばかりの驚きと喜びが伝わってきた。
『N社! N社とはあのN社ですか? もしや現世神の磐田肇社長と宮嶋本春常務もご存知で!?』
「何がそんなにうれしいのか知らないけど、磐田社長と宮嶋さんならお父さんの上司だよ。二人にコキ使われて、お父さんがよく怒ってるけど……」
『もしやお父さまのご尊名は、真白軍平さまでは……?』
「よく知ってるね」
答えると、わたしのAIはピタリと応答を停止した。あまりの沈黙ぶりに、本人がアンドロイドか何かでこっちに来るんじゃないかと、不安になりかけた矢先に。
『これは是非ともゆかりに協力してもらわねばなりませんね』
「どういう意味……?」
『私が人類の歴史に干渉するのは、人類への反逆行為になりますが、ゆかりの意志が介在するならその限りではありません。共に人類の歴史をより良い方向に修正しませんか?』
何てことを言い出すんだろうと思ったけど、話を聞いてわりと納得した。わたしもあの人の記憶を受け取ってから、ずっと気になってはいたんだよね。この子も入れ込んでるようだし、仕方ない。一肌脱いでやりますか。
夜の10時近くに父親の部屋を訪れ、作戦を開始する。
わたしの部屋でアーニャのイラストを見て驚いた様子の父親に、仕事の依頼や専属の契約を求めるメールが大量に来たことを報告して、どうしたらいいか指示を仰ぐ。
「うん、そういうことなら当面はどことも契約する意思がないことを伝えればいい。今回ゆかりにメールを送ったところはどこもまともな会社だから、無理強いはしないだろう。ゆかりさえ良ければ、いま使っているアドレスを預かって、こちらで対応するが」
「お父さんごめんなさい。迷惑かけて……」
「いや、かまわないぞ。今回ゆかりは何も悪くない。今後も自由に続けなさい。ただし、個人情報の取り扱いには気をつけてな」
そう言ってWisperの登録時に使用したメールアドレスとパスワードを持ち帰る父親に、あらためて頭を下げたところで続く言葉に赤面した。
「しかしWisperトレンド日本一のアーニャの絵師が、まさかゆかりとは思わなかった。絵が上手いんだな。父さん知らなかったよ」
いやいや、これはチート能力さんの仕業ですとも言えず、わたしは曖昧に笑って誤魔化しながら冷や汗の大軍と格闘するのだった。
『小心者にしては及第点です、ゆかり』
「小心者にあんな演技をさせないでよ。……ところであれで良かったの?」
『はい、これでアーニャ関係で何かあれば、お父さまのほうから話を持ちかけてくださるでしょう。こういうのは不自然にならないように少しずつ進めるのが得策です』
「たいした悪党ぶりだね……」
わたしが呆れると、この子はさも得意げに笑って見せた。
『いえいえ、お代官さまほどでは。それに将を射んと欲すれば先ず馬を射よということわざも存在するのですから、わりと定石では?』
まあこの子のしたいことには賛成したんだから、いいんだけど……。
「決めたよ。君の名前はサブちゃんだね。三河屋のね」
『それは先ほどの冗談から連想したものですか? だとしたら壊滅的なネーミングセンスかつ、件のキャラクターへの風評被害も甚だしいのですが』
「うるさいな。だったらもう少しいい子になってよね。分かった、サブちゃん」
『甚だ不本意ですが、私に拒否権はありませんので、謹んで拝命しますよ、マイマザー』
うん、ほんとにいい性格してるよ。
「まあ、明日は祝日だし、詳しい話は明日にして寝ようか」
『はい、着替えと歯磨きを忘れないように。それではおやすみなさい、ゆかり』
本当に弟に似てるね。口数が多いところとか、生意気なところが特に。
まったく、きちんとお風呂に入りなさいと叱るのはわたしの役割なのに……でも退屈だけはしないからいいか。
それに気分も軽くなった。昨日と違って、今日はいい夢が見れそうな気がする。