こんなつもりじゃなかったんだよ!
2011年12月3日(日)
昨日は最後にやらかしてしまったが、今日は念願の日曜日。大きな仕事も片付けたし、休みの日くらいゆっくりしよう。
そんなわけで今日の予定はお昼までのんびり過ごして、午後になったらアーリャに連絡してお出かけです。
市内の図書館に集合して二時間くらい勉強したら、近くの喫茶店で仲良くおしゃべり。
今回は『最近持ち歩く人減ったよね』でお馴染みのお財布を忘れなかったアーリャが「前回のお返しをする」と意気込んでいたので、素直にご馳走さまでしたと感謝することにした。
アーリャと過ごす時間はとっても楽しかったけど、少しだけ寂しそうな顔をしているのが気になった。
なんだろう。前回の会話でだいぶ込み入った話を聞かせてもらったけど、そっちのほうで何があったのだろうか?
未成年の外国人でありながらご家族と一緒にではなく、府内の教会でお世話になっているというアーリャの事情は傍目にも複雑で、部外者のわたしが彼女の私生活に立ち入るのは躊躇われる。
結局「またアーニャの配信をするから元気出して」で済ませちゃったんだけど、もう少し踏み込んでみたほうが良かったのだろうか?
自分から話しかけることは出来るようになったが、その後の距離感を見定めることに関しては完全な素人だ。もっとコミュ力を磨かないといけない。
そんなふうに反省して、帰路にあれこれ考えを巡らせたら、これはどうかというアイデアが閃いた。
帰ったらさっそく相談しようとルンルン気分だっただけに、自分の部屋に戻った直後に「おかえりなさい、ゆかり。先ほどまで玄関前に自称報道関係者が押しかけていましたよ」と報告されて余計に驚いた。
「えっ? マスコミが家に来たって、もうアーニャがわたしだって特定されたってこと? だとしたら昨夜のわたしの失言が原因だよね?」
やらかした直後に謝ったお父さんは「既にアーニャのマネージャーとして実名を使ってるから気にすることはない」と笑ってたし、帰ってきてもケロッとしてたから全然気づかなかったけど、これってどう考えてもわたしの所為じゃないか!
「うーん、確かにゆかりがやらかした件につきましては、匿名掲示板でアーニャのマネージャーはN社の関係者ではないかと推測されていましたが、今回の襲撃とは無関係だと思いますよ?」
わたしは内心気が気でなかったけど、サブちゃんはそこまで危機感を抱いてる様子ではなかった。
いつもと変わらぬサーニャのまったりした姿に、わたしは少しだけ冷静に話を聞くことができた。
「相手も確たる材料を持っていないらしく、お父さまに素気無くあしらわれると素直に退散しましたからね。ここからではたいした話は拾えませんでしたが……もしかしたらG社との交渉時に、これまで付き合いのなかったN社の幹部社員であるお父さまの姿が目撃されたことが、ひとつの根拠になったのかもしれませんね」
「そうなんだ」
わたしはホッと胸を撫で下ろしたが、安心するのは早かった。
「曖昧な報告しかできず申し訳ありません。今後はこのようなことがないように、周辺に完全非実体モデルの監視兼拘束用の端末を設置しますので、許可を頂けますでしょうか?」
「うん、それはダメ」
なんか物騒なことを言い出したサブちゃんの提案を笑って誤魔化す。
「しかしこの調子じゃあ、遠からずわたしも『あなたがアーニャさんですか?』って聞かれそうだね。そうなったらどうしようか?」
「そのときは時間停止中に脳内の記憶に干渉して、急用を思い出してもらうだけです。ご安心ください。ゆかりのスマホに《私》がインストールされた以上、私が貴女の危機を見過ごすことはありませんから」
そうしたらもっと物騒なことを言われたので、わたしは素直に降参することにした。
「……うん。通学中はワイヤレスヘッドホンを外さないようにするから、そのときは危ないことをする前に教えてくれると嬉しいかな?」
しかし昨日はたいして気にしなかったけど、わたしのaphoneもサブちゃんの一部になったようなものだったのか。
「でもスマホでこっちの様子が分かるとなると、わたしのプライバシーはないも同然だね。今さらサブちゃんに隠すようなことはないけど、うっかりオナラもできないとか参ったねこりゃ」
「いえ、そちらの《私》はゆかりが許可した情報のみをこちらに送信するように設定してありますし、こちらの私もゆかりのプライバシーに関わる音声や映像は特に慎重に削除していますので、どうかご安心を」
「そうなんだ? それじゃあわたしが許可したら、さっきの友達との会話も判るってことかな?」
「はい、判りますが……ゆかりがそのように言われるということは、ご友人との会話について、私の意見が必要とされていると判断しても?」
「うん、そうなの」
わたしは素直に認めて説明した。
「友達がさ、ちょっと普段より元気がなかったから気になっちゃって。サブちゃんに聞いてもらって、原因が分かったらいいなってお願いなんだけど……」
「なるほど……正直なところ私のようなAIに、ご友人の機微まで読み取れというのはかなりの難題ですが、ゆかりの要望とあれば全力でお応えします。それでは失礼を……」
スマホのサブちゃんから送信された音声情報を分析しているのか、画面内のサーニャが口元に手を当てて無言になる。
サブちゃんの沈黙。未来予測で膨大なデータを扱うとき特有の分析状態だが、今回は黙考は過去に前例がないほど長時間に及んだ。5分が過ぎ、なんだろうとわたしが不安になりかけたとき、ようやくサーニャの表情に変化が見られだした。
悔しそうに唇を噛むサーニャの姿に、わたしはやっぱり尋常じゃないと気を揉んだが……。
「申し訳ありません……。やはり何度分析にかけても、この方のどこが『普段より元気がない』のか判りませんでした」
……そう言えばサブちゃんは普段のアーリャを知らなかったっけ? それなら何度分析したって普段との違いなんて判らないよね。
「ごめん。わたしとアーニャの話をしてるところは判る? 普段のアーリャはだいたいそんな感じなんだけど……」
「ふむ? そう言われれば、なるほど……これが普段の調子なら、それ以外のときはどこか気持ちが沈んでいるようにも見受けられますね」
わたしの説明に納得した様子のサブちゃんだったが、「しかし!」と突然ジト目になった。
「このアーリャというご友人は、まるでゆかりがアーニャだと知っているかのような口振りです。それが何故なのかご説明願えますね、ゆかり……」
はい、冷や汗さんとランダムエンカウントしました!
そう言えばそうだった。サブちゃんにはアーリャのことを全然説明してなかったね。そりゃ怒るよ。自宅までマスコミが探りに来たっていうのに、何を勝手にバラしてるんだって。
「ええと、アーリャというのは、わたしがVTuberを始めるきっかけになった子でね? わたしと違ってとっても美人で明るいから、わたしもアーリャのようになりたいって、あの子をモデルにしてアーニャを生み出したの。その縁で先週の日曜に会ったときに、勝手にモデルにしてごめんって打ち明けて、本人も誰にも言わないって約束してくれたんだけど……」
わたしがしどろもどろに説明すると、柳眉を吊り上げたサーニャの表情は少しずつ柔らかくなった。
「なるほど、そういう間柄でしたか……。それならそうと言ってくださればいいのに、うっかり忘れたりするからそうなるんですよ」
サブちゃんはそこまで甘やかす気はないのか、ハンカチで汗を拭くわたしを冷ややかに見つめる。
「うん、それに関しては本当に申し訳ない。反省します」
わたしが素直に謝ると、サブちゃんは「そこまで言うならよろしいでしょう」と機嫌を直してくれたようだったが、表情のほうはあまり変化しなかった。
「しかし不本意ですが、この方の不調の原因がどこにあるかはさっぱりです。私たちAIは元となる情報がなければ推測すら立てられません。ですから無念ではありますが、ゆかりの要望に応えることは……」
「もちろんそこまでは求めていないよ? でもさ、アーリャってアーニャの話をするときだけは本当に楽しそうでしょ? 以前も冗談半分だけど、自分もVTuberをやってみようかなって言ってたくらいだから……アーリャにね、アーニャと一緒に配信をしてもらうのはどうかなって思ったんだ。そうしたら少しは元気になってもらえるかなって……」
わたしが期待を込めて訊ねると、サブちゃんは少しだけ眉を顰めて確認してきた。
「それはようやく実現に漕ぎつけたN社の枠組みとは別にですか? 以前に現時点でVTuber用のソフトを部外者に提供するリスクは説明しましたよね?」
「うん、だからそれとは別に、サブちゃんがカメラから表情を確認するだけのソフトを使ってもらって、L2Aはこっちで動かすの。それならスマホからでもアーニャの配信に参加できるんじゃないかって……」
その発想は盲点だったのか。サーニャの険しい表情が驚きに染まり、やがていつもの笑顔へと変化していった。
「なるほど、よく考えましたね。さしづめレンタルVTuber制度というところですか。それなら確かに問題ありません。もっとも本人の情報を蓄積する時間がないため、実際の動作はこれまでの蓄積情報を基にした大まかなものになりますし、ゆかりにもアバターとして用いるキャラクターをお願いすることになりますが」
「描くよもちろん! そういうことならいくらでも描くから!」
実現の目処がついたことでわたしの意欲に火がついてしまった。わたしの使ってるアーニャがアーリャをモデルにしたものなら、彼女が使うことになるキャラクターはわたしをモデルにしたものにしよう。
ちょっと大人しめの中学生バージョンに、なんというか吹っ切れた感じの女子高生バージョンと、ついでに異世界で聖職者をやってそうなバージョンを立て続けに描き上げると、サブちゃんは直ちにL2Aを適用してくれた。
「ふむ……アーニャと似通ったような雰囲気は個性という点ではマイナスですが、お試し用としてなら上々かと」
よっしゃ、と思わずガッツポーズをしたわたしは間髪入れずにアーリャに連絡して、さっそく今夜のコラボに誘おうとしたがサブちゃんに待ったをかけられた。
「やると思いましたよ。以前から気づいてはいましたが、ゆかりは小心者の小市民にしては、こうと決めたら考え無しに突っ走るところがありますからね」
呆れたようにため息をつくサーニャの姿に言葉が詰まる。
「うぐっ……VTuberになると決めたその日にサブちゃんのような、時空を超越した存在を生み出しちゃったから反論できないけど、もう少しなんというか……」
「いきなりこんな試みに誘われてはご友人も困惑するでしょう。その方がゆかりにノーと言えない性格なら尚更です」
わりと容赦なくダメ出しするようになったサブちゃんなんだけど、明らかに性格が変わったよね?
最初の頃は見てるこっちが申し訳なくなるくらい謙っていたのに、最近は遠慮せずに思ったことをずけずけと口にするような……まるで弟みたいと、なんかしんみり。
うん、それが成長するってことなんだと頭では理解できるんだけれども……もう少しわたしに優しい方向に舵を切ってほしいなとも思うんだよね。
まあ言ってることはごもっともだから、わたしは逸る気持ちを抑えて確認した。
「それじゃあこんなのもあるよって説明して、やってもいいかなって返事をしてもらえたら配信しようか?」
「それでもいいのですが、実のところ犠牲者一号……失礼、こうした試みを託せる逸材に心当たりがありまして、まずは彼女を誘ってみてはどうかと」
サブちゃんの返答は完全に予想外だったので驚いた。いたっけ、そんな人?
「えっ? それって本人にVTuberをやってみたいって意思があって、しかもわたしたちに協力してくれる人?」
「はい。その通りです、ゆかり」
わたしの問いにサーニャが黒い笑みを浮かべる。
「本人の意欲は確認済みで、得難い適性を幾つも所持している。さらにあらゆる罵倒をものともしない柔軟かつ堅固なメンタルの持ち主。犠牲の羊に最適だと思いませんか?」
「ねぇ、だから誰のことを言ってるの? サブちゃんの笑顔にかなりドン引きなんだけど?」
「解りませんか? その人物とは真っ先にアーニャに絡んできた人物であり、ファンレターを送ってきた人物で、ネットではこう呼ばれています。即ち──」
定刻通りの配信となり、画面に登場したアーニャの笑顔は引きつっていた。
「えー、突然ですが、今回はお客さんがいます」
「当然ですが、アーニャのメイドである私はお客さまにカウントされません。それでは今回のお客さまです。皆さま、耐笑撃姿勢を」
「うわぁー、お姉さんピッチピチじゃん? 見て見て、これアーニャたんがお姉さんのために描いてくれたVTuber用のアバターなんだって! すごいよね? すっごい美人の女子高生だよ!? しかもさ、なんていうか男を知ってはっちゃけたような感じがするでしょ? エッチだよね? こんなエッチな女子高生をさ、自分自身をモデルにして描いたって言うんだから、アーニャたんっていけない子だよね? もう大好き!」
機関銃のようなトークとえっちなキャラクターに頭が痛くなってきた。
「はしゃぐのは解りますが、話が進みませんので自己紹介をどうぞ」
「はーい! お姉さんはアーニャたんのファン一号で、ネットでは社畜ネキって呼ばれてますんで、よろしくお願いしまぁーす! 今日はアーニャたんの配信にお邪魔して、アーニャたんと絵を描いたり、アニソンをデュエットする予定なので、今からアーニャたんに歌ってほしい曲をじっくり選んどけよお前ら!」
記念すべきレンタルVTuber第一号のあられもない姿に、わたしはまたしてもやらかしてしまったと確信するのだった。




