不安しかないWeスポーツ配信回と急転直下の出来事
2011年11月31日(木)
これは本当に見慣れたWeスポーツの画面だろうか?
本来なら操作するキャラクター──ユーザーが自由にカスタマイズできるMeの表示される場所に、極限まで進化したアーニャたちのL2Aが重ねて表示される。バッターボックスに立つアーニャは大きめに、遠くマウンドに立つサーニャは小さめに配置されているのもリアルだ。
いや、リアルなのは遠近感の表現に留まらない。目の前でバットを構えるアーニャの華奢な肢体。膝をたわめた姿勢から強調されるお尻。ブルマに薄っすらと浮かび上がる割れ目に、布地からはみ出したお肉。かすかに汗ばんだ肌の表現。何もかもリアルだった。
マウンドのサーニャが振りかぶると、小ぶりながらも形のよい胸が強調される。左足が持ち上げられ、右足が地面を蹴ると躍動し、本人の意思によらずして弾んだ。
アンダースローで投げられた球を打ち返そうとバッティングを開始する。開かれて踏み締める両足に、回転する腰。その動きと連動し、躍動して慣性の法則を再現するのはアーニャのお尻も例外ではない──なんだこれ恥ずかしい!
「アウト! ゲームセット!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
わたしは試合結果とは関係なしに悲鳴をあげ、お尻を隠してうずくまった。わたしは生まれて初めて羞恥に悶えた。女性の肉体を無防備にさらけ出してはいけないことを痛感した。
「よい悲鳴でした。私も姉として大変喜ばしく思いますよ。何しろ女性としての自覚に欠ける妹が恥じらいの概念を習得したのですから」
試合が終わってマウンドから解放されたのをいいことに、こっちにやって来たサーニャが勝手なことを言いながら頭を撫で回した。
なんていうかわたしのことを恥知らずのように言うのはやめてほしい。わたしにだって恥じらいはある。生まれた時からの付き合いである家族は別として、人前でみだりに肌を見せてはならないという、公序良俗はしっかりと弁えているつもりだ。その証拠に、アーニャのあられもない姿を衆人環視に晒したわたしは、まるで我が事のように恥ずかしがっているではないか。
……ちなみにこれは配信中の出来事なので、当然のことながらコメント欄も恥ずかしいことになっている。
「うーん、これは恥ずかしいネ]
[二人の2Dはどこまで進化するんだ……?]
[ふぅ……これはいいものだ]
[これを見たら女子陸上が大人気なのも納得ですね]
[お前らいい加減にしておけよw]
[今回も撮れ高しかないじゃん!]
[ここが俺たちの理想郷だ]
[これはもう俺たちの大勝利でいいのでは?]
[これはバズるぞ……間違いなくバズる]
特に最後の人、不吉な予言はしないで! これがバズったら、今後のアーニャちゃんねるはとんでもないことになりそうなんだから!
「さて、いつまでも恥ずかしかっていてもいけませんよ? 私たちはあくまで健全な配信をしているのです。その証拠に私たちの衣装は、日本の教育現場で広く用いられている体操服です。何もやましいことはありません」
本当によく回る口だね。わたしが恥ずかしがってるのは体操服のせいじゃなくて、君たちが進化させすぎたL2Aだというのに……。
「まぁいいや……みんなも見苦しいものを見せちゃってごめんね。次から普段の衣装にスパッツを穿かせて配信するから」
わたしが暗に体操服のお蔵入りを宣言すると、それまで余裕をぶっこいていたサーニャの顔色が変わった。
「何故ですか? この進化した2Dモデルのどこに不満が?」
「そんなの明後日の方角に進化しすぎたことに決まってるでしょ? みんなもこの子にリアルならいいってもんじゃないって言ってやってよ!」
[うーん、これは正直どっちの意見も分かる]
[さすがに体操服が汗ばむ表現はやりすぎかもね]
[まあ女の子は色々と揺れるものだから……]
[これサーニャたんは2D担当スタッフでもあるってこと?]
[またケンカしとるw]
[時間がなくて打ち合わせができなかったのかな?]
[うーん、舞台裏が見えちゃいそう]
[Anya is not sexual. Don't look with nasty eyes.]
[すごいけど配信して大丈夫か、これ?]
うん、大丈夫じゃなかった。
こんなときだというのに「あ、海外の視聴者さんだ」って喜んだ直後にYTubeの接続が切断。思わず体操服姿のまま呆然とすると、一足先に回復したサブちゃんがYTubeを更新したが、表示された日本語は何とも残酷だった。
『このチャンネルはYTubeの利用規約で禁止された性的なコンテンツを配信したため、アカウントを凍結しました』
「……………………」
なんというか言葉もない。肌色面積の問題か、それとも挙動がリアル過ぎたのが問題か。とにかくYTubeの運営にえっち過ぎると判定されて、まさかのレッドカード。一発退場である。
「よもや警告無しの一発BANとは。少し本気を出しすぎましたかね?」
「少しどころじゃないでしょ? わたしすっごく恥ずかしかったんだからね」
「そうですね。何でもかんでもリアルにすればいいわけではありませんでした。私としたことが、デフォルメにはデフォルメの良さがあることを失念していたようです」
「失念してましたじゃないよ。どうすんのよ。アカウント凍結されちゃったよ。VTuber人生バッドエンド確定だよ」
「その心配は無用です。私たちは健全な配信をしていただけなのですから、胸を張って再審議を要求したらいいんですよ。もちろんアーニャのマネージャーであるお父さまを通してね」
「それ一番ダメなやつじゃん。こんなのお父さんに報告できないよ……」
自分の子供を信じて任せたら、女性のキャラクターをリアルに表現しすぎてアカBANされただなんて、どの口で報告しろと? いやもう、色々とやりすぎでしょ?
「とりあえず凍結が解除されてもブルマは禁止だね。今後はジャージかスパッツを穿こう」
「ぐっ……まさか汎人類史からブルマが根絶された歴史を追体験するとは。今回は戦犯なので何も言えませんが……」
「そうだね。マリCaのときは何も言わなかったけど、今回はしっかり反省してほしいかな」
まったく、女の子のお尻があんなにエッチだなんて。わたしは同性だし特に気にしてなかったけど、じっくり見せられると、どうしても意識しちゃうね。わたしも気をつけよう。
「はい……今回も配信の趣旨を忘れて感情的になったようです。誠に申し訳ありません」
うん。サブちゃんは口先だけではなく本当に反省しているようなので、わたしは微笑って許すことにした。
さて、サブちゃんが反省したとなると今度はわたしの番だ。お父さんにしっかり謝って許してもらわないと……。
とりあえず抜き足、差し足、忍び足。お父さんの部屋の前で深呼吸して、おっかなびっくりノックする。
「ゆかりか、入りなさい」
すると中から明るい声。なんだろう、お父さんあんな動画を監視していたにしては随分と機嫌がよさそうな……?
「……失礼します」
「なんだ、そんなにコソコソして。悪いことをしたんじゃないんだから、もっと堂々としなさい」
顔だけ出して様子を伺うとお父さんに叱られたが、声の調子はどこまでも明るい。うん、子供は大人の顔色を伺うものだけど、あんまり卑屈になってもいけないよね。心のどこかで恐縮しながらも、言われた通りに堂々と入室すると、笑顔のお父さんが迎え入れてくれた。
「今回は災難だったな。YTubeの運営元には明日にでも連絡して、アカウントの凍結を解除させよう」
そしてわたしを労い、慰めるお父さんの言葉から苛立ちのようなものは感じられない。それが不思議でわたしはお父さんに訊ねた。
「お父さん怒ってないの?」
「なんでだ? ゆかりは普通に配信していただけだろう? もし問題があるとしたら、子供の絵をいやらしい目で見た周囲の大人たちだ。もちろん、扇情的であると断じて警告なしに排除したYTubeの運営元もこれに含まれる」
……そんなものなのだろうか?
わたしは目の前で強調されるアーニャたちの身体がわけもなく恥ずかしかっただけで、問答無用で拒否してしまったけど……お父さんの視点は、アーニャたちの体操服とリアルな人体の挙動に沸く視聴者とも、技術者の視点が先行するサブちゃんとも違って、わたしの心を落ち着かせてくれた。
「あとは文化の違いがあるな。日本の学校で用いられる女子の体操服は、子供を性的に搾取する児童ポルノの温床になっているという批判が、欧米では根強い。今回はそうした声と態度だけは大きい大人の標的になっただけだ。気にすることはない」
「なるほど……色んな考えがあるんだね」
「ああ。女子の体操服と言えばブルマが一般的だが、恥ずかしいという子のために、今ではスパッツや膝上までのショートパンツも認められている。無論、暑さが気にならないのであれば夏季にジャージの着用もな。願わくば、多様性と寛容の精神を忘れないでもらいたいものだな」
多様性と寛容の精神か。さすがはわたしのお父さん、いいこと言うよね。
「もっとも、個人的にどちらが好きかと問うなら断然ブルマだが……とにかく交渉は任された。今回は上司の宮嶋がゆかりを焚きつけた面もあるからな。法務を動かすことも社長が了解済みだ」
なんか気になる話があったような気もするけど、それより……。
「宮嶋さんがわたしを焚きつけたってどういうこと?」
「うむ、先ほど電話で問い詰めたら白状したよ。なんでも肌が露出している状態で関節の動きが見たかったそうだ。……本人は可動式の人形のように、関節を基点としたモデルを想像していたようだから、アーニャたちが完璧な人体モデルを再現していることに喜んで、随分と口が軽かったから楽なものだったが……まったくあの男は」
お父さんがいつものように苦りきりながら、どこか誇らしげな顔をする。
「とにかく興味があるのは分かるが、子供を焚きつけて利用するようなやり方は誉められたものではない。本人には社内で会話が成立する数少ない人間である、社長自ら釘を刺すと言っている。この件に関しては完全にこちらの落ち度だ。すまなかったな、ゆかり」
「ううん! 宮嶋さんは何にも悪くないから、あんまり叱らないであげてね?」
「あの男にそんなことを言えるだなんて、ゆかりは大物だな。さすがは父さんと母さんの娘だ。頼もしいぞ」
朗らかに笑う父親の姿に、わたしは大事なことを学んだ。
子供は学校で学ぶことが全てではない。子供が両親を視線で追いかけるのは、顔色を窺うためじゃない。その姿から大事なことを学ぶためだと。
「お父さん……」
「ん? どうした、そんなに畏まって?」
「あのね、これからもお父さんからこういう話を聞かせてもらっていい?」
「いいとも。だがそういう話は明日にしよう。Wisperもアーニャのアカウントが凍結されたと知って、暴動でも起こしそうな勢いだ。ゆかりのほうから軽く事情を説明して、それが終わったら今日は早めに寝なさい」
「うん。それじゃあ、ちょっと早いけど。お父さん、おやすみなさい。また明日ね」
「ああ、おやすみ。また明日な、ゆかり」
本音を言えば抱きついておでこにキスしたい気分だけど、さすがにそういうのはもう卒業した。代わりに部屋から出る前に振り返って、ペコリと一礼する。
そうして部屋に戻ったら、まずはサブちゃんに説明する。わたしも初めて知ったが、海外で女子のブルマが問題視されていることは特に強調して、使用にはこうした懸念に配慮するように理解を求める。
「そうですね。やり過ぎた結果が大規模な撲滅運動に繋がっては本末転倒です。ここはお父さまのおっしゃる多様性と寛容の精神を尊重して、L2Aの再調整を約束します。……今になって思えば、少し重力に逆らう筋力の影響を強くしすぎましたしね」
幸いなことにサブちゃんも『漢のこだわり』に拘泥せず、譲歩の姿勢を惜しまなかったのでこちらのほうは一安心と。
そしてWisperのほうはお父さんの言う通り阿鼻叫喚の様相を呈していたので、まずは「マネージャーさんが誤解を解いてくれると約束してくれたから、みんな落ち着いて」と一報を入れてから、アーニャたちが「今回の配信で配慮に欠ける面があったことを深く陳謝します」と謝罪するイラストを投稿したところ、事態は沈静化に向かってくれた。
「まあ、iyahooのリアルタイム検索ワードランキングは酷いままだけど……」
「もう少ししたら、先ほどの投稿に関連するワードと入れ替わると思いますよ。『アーニャ 乳揺れ』『アーニャ プリケツ』の検索ワードがトレンドから姿を消すまで頑張りましょう」
「うん。わたしはアーニャたちに可愛い以外の感情がなかったから、今まで理解できなかったけど……それ以外の感情もあるって学んだからね。配慮しないと……」
「おや? やはり少し大人になったようですね? 善き哉、善き哉。私も骨を折った甲斐がありましたよ」
やっぱりそうだったのかな……?
サブちゃんは以前から、わたしに女性としての意識が欠けてるんじゃないかって気にしているようだったしね。そんなに急には変われないだろうけど、気になるところは少しずつ改善するから許してほしな。
「さて、今日のところはここまでにしておきましょうか」
「そうだね。お父さんも早めに寝るように言ってたし、今日はもうお休みするね」
「はい、後のことはお任せを。それでは、どうか良い夢を……」
ふふ。いい夢なら毎日見させてもらってるよ。
そうだ、何も焦ることはないのだ。だってわたしの道標は、こんなにも明るく瞬いているのだから。