信じて任せた結果を予測できないのが悪いのです
2011年11月30日(水)
昨日の配信で負けてからサブちゃんの様子がおかしい。
「私なぜ負けたのでしょうか……? 私のライン取りやキー入力のタイミングは完璧だったはずです。確かにTASなどの不正な処理はしていなかったので負ける可能性はあった。それは認めます。しかし納得はできません。あれが私の見落としでないなら、私の演算を上回る何かがあったことになる。それが何か、どうしても判らない……」
とまあ、本気で勝ちに行ったのに勝てなかったのがよほどショックなのか、朝になってもこんな感じなのだ。
「はぁ……元気出してよ、サブちゃん。ゲームに負けて悔しいのは分かるけど、そんなに気にしないの。わたし学校に行かなきゃいけないから、ね?」
「はい、気をつけていってらっしゃいませ、ゆかり。……もしや、私の知らない攻略情報? いや、有り得なくもないのか……?」
わたしが話しかけたときは正常に返してくれるけど、それ以外の時間は昨夜の敗因を分析にすることに全神経が集中してる。ダメだこりゃ。時間が解決してくれると信じて諦めよう。
「まあ、サブちゃんがあそこまで悩むのも無理はないけど……」
うん、凄かったもんね。昨日のダー◯ライ@公式さん。本当にスーパープレイの連続で、気がついたら勝っていた感じ。
中の人は誰なんだろうと、VTuberにあるまじきことを夢想するが、まさか驚きの正体が判明するとは思わなかった。
きっかけはお父さんのメール。タイトルの時点で「すまん」と心臓に悪いメールに目を通すと、やっぱり心臓がドキドキした。だって内容がこんなだもん。
『すまん。アーニャのメールアドレスに、上司の宮嶋からファンレターが届いた。こちらはかなりの長文なので、ゆかりのPCに転送しておいた。それと今回の件は母さんには内緒にしてくれんか? 詳しくは帰ってから説明する』
ええっ? 宮嶋さんってあの宮嶋さんだよね。お父さんの上司で、あの有名な宮嶋さんからファンレター? しかもお母さんに内緒にしろって、これは尋常じゃない!
えらいこっちゃと、猛ダッシュで帰宅して階段を駆け上がり、傷心モードのサブちゃんを叩き起こしてメールを開き、二人して読み耽る。
あまりの興奮に、文字を追いかけただけじゃ頭の中に入ってこなかったので、声に出して読み上げることにした。
「ええと、アーニャさん、初めまして。お父さんからすでに伺っているかもしれませんが、あらためて自己紹介を。N社常務取締役の宮嶋本春と申します。今回はどうしてもお伝えしたいことがありましたので、乱暴かと思いますがこのような形式でご連絡申し上げました。さて、昨夜の配信では、最後にダー◯ライ@公式の名義で参加させて頂きました。アーニャさんのことは、Wisperに初めて投稿されたときから追いかけていて、もう大好きです、かぁ……」
なんと、まさかダー◯ライさんの正体が宮嶋さんとは。公式の名に偽りなしと納得する。サブちゃんも同じ気持ちなのか、スッキリしたような表情で感心しているようだ。
「なるほど、宮嶋さまならあの動きも納得です。さすがはこの時代おける最高のクリエイターにして、娯楽を司る神々の一柱。私のようなAIの理論と演算を超えたところに座しておられるのは当然ですね」
うん、メンタルが持ち直したのはいいんだけど、宮島さんの評価が凄いことになってるな。
確かにすごい人だけど、神さまの一人にカウントしちゃって大丈夫なの? 史実の功績が盛られに盛られて神仏習合しちゃってない? なんか未来の神話が凄いことになってそうな予感がして、サブちゃんの過大評価が心配だよ……。
「まあ、わたしも宮嶋さんに褒められたのは嬉しいけど、問題はこれだよね? お父さんからもう聞いてるかもしれないけどって、やっぱり知られてるってことかな?」
「はい、私もそう思います。アーニャの演者がゆかりであることは、お父さまと近しい方々には知られていると見て間違いありません。……おそらく酒の席で口を滑らせたのでしょうね。それならばお父さまがこのメールの存在をお母さまに内緒にしてほしいと懇願されたのも、わりと納得です」
やっぱりか。意外とそそっかしいんだね、お父さんって。
まあ、お父さんを通してN社に興味を持ってもらうことは、最初からサブちゃんの計画にあったから、こちらとしては願ったり叶ったりなんだけども。
「気になるのは最後のほうのこれかな? いつかアーニャさんがWeスポーツをプレイする日を楽しみにしてますって……えらい具体的なんだけど、これって正式なオファーってことかな?」
「うーん、今の段階では宮嶋さまご本人の個人的な要望のように思えますが、N社との結びつきを強化したいことを考えますと、できれば実現したいところですね」
「うん。お父さんはたぶん、無理な注文は聞く必要ないぞって言いそうだけど、宮嶋さんを味方にできるんだったらやらない手はないよね。Weスポーツなら一階の押し入れにあると思うから、ちょっと探してくるよ」
そんなわけで下のリビングに直行して、最近流行りの3DNSに夢中の弟たちを尻目にWeスポーツを発掘した。
妹は今からみんなで遊ぶのかと目を輝かせたが、こめんね。これは今からお姉ちゃんとネット民のオモチャになるんだよ。
「お疲れさまです。それでは早速になりますが、少しテストしてみますか」
妹を宥めるのに手間取ったわたしがソフトを交換すると、サブちゃんが起動した配信画面に違和感を覚える。そうか、サブちゃんがテストするって言ったのはこれのことか。
「うん、アーニャたちは普通のコントローラーだもんね。Weリモコンを描かなきゃダメだよ」
「ですね。それと申し訳ありませんが、二人分の体操服も描いてもらえますか? WeスポーツはWeリモコンの特徴を活かして、実際の競技に近い動きでプレイするゲームです。初回の失敗もありますし、今の服装ではゆかりも気が休まらないでしょう」
体操服ってなんでよって思ったけど、サブちゃんの言わんとしていることを理解して顔が熱くなった。
そうだよね。運動するんだから、体操服は必須だよね。
「じゃ、年齢的に中学生と高校生の体操服かな? ネットで探して何着か書いてみるから、気に入ったのを採用しようか」
「はい、それでは検索を……っ!!!?」
なんか驚いてるみたいだけど、女子の体操服といったらやっぱりブルマだよね。幾つかお洒落なものを参考にして、運動着姿の二人を量産する。
「う〜ん? アーニャはともかく、サーニャは少し年上だからジャージでも着させる? 脚を見せすぎて、ちょっとエッチな感じがするんだよね」
「いえ、このままで。このままで行きましょう。これから運動する姿を見てエッチと言う人がいたら、その人がエッチなのです。気にせず行きますよ」
うん。わたしもそう思うんだけど、最近エッチな絵を目にする機会が多かったから、過剰に反応しちゃったのかな? 反省しよう……。
「衣替えと調整のほうはお任せを。なんとしても明日の配信までには仕上げて見せます」
「あ、思ったより早いね? それじゃあそろそろ時間になるし、あとのことはお願いね?」
「はい、必ず。それではごゆっくりどうぞ」
なんだろうかこの気迫は? モニターに表示されるサーニャの荒ぶりようが半端ない。
「──素晴らしい。まさかブルマが絶滅を免れた世界線が存在するとは。この偉業、後世に伝えずして何が人工知能か。ああ、まったくもって素晴らしい!」
防音室の扉を閉める直前に、サブちゃんの独り言が聞こえたけど、わたしはたいして気にしなかった。
いつものように夕食とお風呂を済ませて自分の部屋に戻ろうとしたら、家族の視線を気にしたお父さんにこっそり謝られた。
なんでもアーニャの中の人がわたしだと宮嶋さんが知っていたのは、お父さんがうっかり洩らしてしまったことと結びつけられただからだそうだ。
「二人と店で飲んだときに、ゆかりがやる気を出してくれたことが父さん嬉しくって、つい動画配信の準備をしていることを口にしたんだが……二人とも異様に勘がするどくてな。アーニャの絵を見てすぐピンときたらしく、誤魔化しきれなかった……重ねてすまん!」
「いいよ。そんなに気にしないで、お父さん」
両手を合わせて謝罪するお父さんを安心させるように微笑む。
「それにアーニャのマネージャーをするのに、いつまでも隠し事をするのは無理があるでしょ? 前に会社の了解を得たって話を聞いたときから、てっきり知られたものだと覚悟してたし、お父さんは何にも悪くないから気にしないで」
お父さん的にはそのときに伝えなかったことが、わたしに隠し事をしていたみたいで後ろめたいんだろうけど……悪いのはあれこれ陰謀を巡らしたサブちゃんと、黙認したわたしだもんね。こっちこそ言えないことばっかりで、ごめんなさいお父さん。
「お帰りなさい。もう完成しましたよ、ゆかり」
そんな風にしんみりして戻ってきたもんだから、サブちゃんの早すぎる報告にびっくりしちゃった。
「いくらなんでも早すぎるよ! 無理したんじゃない?」
「いえ、今までの蓄積データが豊富でしたから、思った以上に軽微な調整で済みました。心配してくださってありがとうございます、ゆかり」
わたしは心配して詰め寄るも、サブちゃんは笑って理由を説明した。
「それに以前の汚名返上に燃える仲間たちが協力的で、不足していたデータの検証と提供をしてくれました。おかげで私の負荷は多忙時の6割程度ですので、どうかご安心を」
「そうなんだ。みんなにもありがとうって伝えてくれる?」
「はい、彼らも今の言葉に喜んでいますよ。とは言え、最後の調整にはゆかりの手をお借りすることになります。申し訳ありませんが……」
「いいよ、アーニャの動きをわたしの動きと合わせるんでしょ? 早速やってみようよ」
「ご協力ありがとうございます、ゆかり」
サブちゃんがお礼の言葉を口にすると、モニターが一瞬だけ暗転して、体操服に着替えたアーニャとサーニャが表示された。うんうん。二人とも、さっきより馴染んでる感じだね。
「ではWeリモコンを利用してのプレイになりますから、一度お立ちになって、机から離れて身体をぶつけないように気をつけでください」
「うん、気をつけるね」
言って机から距離を取り、周囲にぶつかるものかないか確認してからプレイする。
最初のテストプレイに選んだのはWeベースボール。ひとりがバッター、もうひとりがピッチャーという構成で、それ以外の守備と走塁は自動で行われる野球もどきのゲームである。
まずはわたしの先攻。サブちゃんの投げた球をわたしが打つ流れなのだが、リアルタイムで反応するアーニャとサーニャの動きの自然なこと自然なこと。わたしの目は見なきゃいけないゲーム画面ではなく、二人のL2Aに集中して試合のほう三者連続三球三振をかました。不甲斐ない。
しかしその結果はサブちゃんの頑張りを証明するものでもあった。攻守が入れ替わる間に、わたしは絶賛した。
「でもすごいよこれ! 本当にアーニャたちが野球をしてるみたい!」
「はい、動きのほうに不自然な箇所は存在しません。しかし、これは……」
無邪気な笑顔のアーニャとは対照的に、サーニャの表情は暗くなった。何か気になることでもあったのだろうか?
「どうしたの? なにかバグでも見つけたの?」
「いえ、私の制御下でそれはあり得ません。……そうではなく表現に不満があるのです」
「表現?」
首をひねると、サブちゃんが女性のマネキンを表示して分かりやすく説明してくれた。
「人体というものは、このように一枚の絵で表示することもできますが、筋肉ひとつを例に挙げても、ご覧のように多くの部位に分かれています。これで先ほどの投球を再現すると……」
躍動する筋肉の動きが連動する様子が映し出される。そうか、さっきのサーニャには、この表現が欠けていたって言いたいのか。
「うん、わたしもそこまで考えて描いてるわけじゃないからね。普段は頭の中のイメージを写し取ってる感じだし」
実際の筋肉の動きもイメージして、か。できなくはないが、それだと二人の2Dを一から再構築することになりかねない。わたしの負担はチート能力さんがすっ飛ばしてくれるが、サブちゃんは大変だ。
「いえ、ゆかりに負担はかけません。幸い他のAIもこの件にかけては情熱的ですし、何があろうと明日の配信には間に合わせます。私もゆかりのAIとして活動するうちに、クリエイターの責任に目覚めたようです。半端なものをお見せするわけにはいかないのです。どうかご許可を頂けませんか?」
「うーん、クリエイターの責任かぁ……」
実際にどこまで大変か想像するのも難しいが、サブちゃんがここまで言うのだ。あまり負担をかけたくないが、信じて任せたい気持ちもある。VTuberとして活動することを許してわたしを信じてくれた両親のように。
それに納得できないものを世に出したくないという気持ちも分からないではないのだ。
お父さんの働くゲーム業界ではよく聞く話だと言うし。実際、宮嶋さんも突然作り直しを宣言してお父さんが頭を抱えていたこともあったし、仕方ないか。
「わかった。でも無理しちゃダメだからね」
「ありがとうございます! それでは早速になりますが、私はそちらのほうに取り掛かりますので、ゆかりはWisperでの告知をお願いします」
「はいはい、約束だからね」
無理だけはしないように念押しして、体操服の二人が仲良くケンカする絵を描いて『明日の夜8時からVSシリーズ第二弾! 今度はWeスポーツでどっちが勝っても仲直り!』とWisperに投稿した。
さっそく返される反応に目を通して微笑むと、サーニャ不在のモニターからサブちゃんの独り言が聞こえてきた。
「いいえ、盛るのは絶対に許しません。あくまで厳密な物理演算の上に、揺れるのではなく、躍動する筋肉を余すところなく描ききるのです。この意義の解らぬAIの協力は不要です。……よろしい。そんな不心得者は存在しないようですね。それでは共に修羅の道へ参りましょうか」
早速やってるなと笑みをこぼしたわたしは、サブちゃんに「独り言が漏れてるよ」と注意して、パソコンを待機モードに移行してもらってから両腕を伸ばした。
相変わらずサブちゃんのこだわりはイマイチ理解できない。Wisperで気炎を上げる社畜ネキさんも、どうしてそんなに熱くなるのか、わたしにはよく分からないのだ。
それを寂しく思う反面、当然だとも思う。価値観は人それぞれ、千差万別である。自分にとって何が一番大事なことか、決めるのはその人の役目だ。無関係のわたしはその決定を尊重するだけ。そうすることがみんなにわたしのことを認めてもらうことに繋がる。
「でもさぁ……下着を浮かび上がらせてもいいですかって聞かれても、困っちゃうんだよね」
個人でやる分には好きにしていいよと返信したわたしは、部屋の照明を消してベッドに身を投げ出すのだった。