配信後の反省会、ならぬ陰険漫才
2011年11月27日(日)
初配信の終了後に訪ねてきた父親に、話があると言われたので部屋のなかに招き入れようとしたら、なぜか断られた。
何でもこんな時間に娘の部屋に入り浸るのは、あらぬ誤解を招きかねないのでよろしくないとか……。誰もそんなふうに思わないのに、お父さんってば変なところで真面目なんだから。
そんなわたしの様子が気になったのか、お父さんが居間に顔を出してお母さんに頼んだ。
「母さん、すまんが和室でゆかりと話すから、茶を淹れてくれんか。……
その、なんだ。そんなに悪い話じゃないから、ゆかりもそんなに緊張するな」
「はいはい。ゆかりの分は眠れなくなるからココアにするわね」
「うん、ありがとう」
明らかに気を使ってる様子の父親と、訳知り顔で微笑む母親に礼を言って和室の机で向かい合う。運び込まれたココアを受け取って口をつけると、静かに呼吸を整えた。
実のところ、こうした話し合いを持ち込まれることは、わたしの知的顧問団の予測にもあった。もちろん、大まかな内容も。
だからわたしは突然の話に混乱することなく、冷静に対処できたのだが……そんな娘が実の父親の目にどう映ったのか。
たぶん消化しきれないところがあるんだろうなと、お父さんの様子から察する。
凡庸で小心者の娘が、急にやる気を出して注目を集めれば、お父さんでなくてもそうなる。わたし自身、この短期間で大きく変わったという自覚はあるし、サブちゃんにも、以前のわたしを知る人ほど違和感を覚えるかもしれないと指摘された。
それでも、わたしはわたしだ。だからお父さんの質問には正直に答えようと、目を逸らさずに待つ。
「まずはこちらの状況から説明するが……」
そんな重苦しい沈黙を嫌ったのか、お父さんが口を開いた。
「以前からアーニャのメールアドレスには、ゲームやアニメ、漫画や小説を手がける会社から、熱心なオファーがあった。単発の仕事を頼みたいというものから、専属の契約を結びたいというものまで、内容は多岐にわたるが……ゆかりにその気がないので、すでに断りのメールを入れたことは知ってるな?」
「うん。前に相談したときにそんな話をしていたよね」
「ああ。だが、彼らも簡単には諦める気はないようで、それからも条件面で優遇すると勧誘するメールがひっきりなしだ」
と、そんなことになっていたのは予想外だった。サブちゃんもしつこく勧誘して怒らせては元も子もないから、断れば素直に引き下がると言っていたし、その話をメアドごと持って行ったお父さんも、今回はどこもまともな会社だから無理強いはしないと言ってたのに……。
「無論、そうなったのには理由があるが、これはゆかりの責任ではない。どちらかと言うとお父さんが手順を間違えた所為でな」
そんな動揺が表情に出たのだろうか。お父さんがいつものように優しい顔に戻って安心させてくれた。
「お父さんはN社の社員として結構名前が知られているからな……お父さんがアーニャの代理人を名乗ると、アーニャがN社の仕事と誤解されかねんし、それを否定すると身内の仕事と勘繰られ、下手をしたらお前の存在に辿り着かれる恐れが出でくる。だからお父さんは、あくまで一個人の、アーニャの名義で断ったのだが……今度は強く押せば落ちると侮られたのだろうな。勧誘はむしろ激しさを増しているというのが現状だ」
なるほど……わたしにもだいぶ見えてきた……。
「なのでお父さんは正式にアーニャのマネージャーを名乗ろうと思う。無論、そうするにあたって会社の許可は得ているが、ゆかりはどう思う?」
サブちゃんめ……さてはこうなることを最初から見越していたな? 相変わらず腹黒い話は事前に説明しないんだから……!
「ありがたい話なんだけど……それだとお父さんが大変じゃない? それに会社を巻き込むのだって……」
想像以上に陰険な悪巧みの片棒を担がされていることに気がついて、浮かべた笑みが引き攣るわたしを気にする素振りもなく、お父さんはのんびりお茶を飲みながら答えた。
「いや、仕事でも似たようなことをしているから慣れたものだよ」
「お父さんってN社勤務なんだから、普段はゲームを作ってるんじゃないの?」
「ああ……失望させたらすまんが、父さんは情報開発本部所属の部内マネジメント業務を担当しているから、ゲームを作ったことはない。むしろお手伝いだな。だからマネージャーは得意なんだぞ」
どこか得意げに、それでいてどこか苦りきったように続ける。
「うちのクリエイターは常務を含め、どいつもこいつも、どうやったらもっと面白いゲームが作れるかと、それしか頭にない連中ばかりだからな。そんな、子供のまま大きくなったようなやつらに、したいことをできる環境を作ってやるのが父さんの仕事だ」
「うわぁ……とりあえず手のかかる子供が一人増えてお父さんがげんなりしてるのは伝わったよ」
「何を言うか。ゆかりはもともと数に入っているに決まってるだろう」
ちょっとだけ怒ったように笑ってみせたお父さんは、話の流れで忘れかけていたことを補足してくれた。
「それにお父さんの会社を巻き込むことを気にしていたが、そっちのほうも心配いらん。ゆかりも配信中にゲームがしたいと言っていたから、むしろ好都合だ。うちのものは自由に使って構わんが、他社はそうもいかんだろう。視聴者からこんなゲームをしてほしいと要望があったら、マネージャーに相談するって言うんだ。それでうまく回るだろう」
「うん、わかった」
「他には、昨日の夜から音楽関係のオファーも目立つようになったな。これはたぶん、予告動画で歌ったのが原因だろうが。海外の音楽学校が特待生として招きたいというのもあったが、ゆかりはそちらの進路には興味ないんだな?」
「うん、当分は動画配信一本だね」
「わかった、ならばそちらも断っておこう。……これくらいか。ご苦労だったな。お父さんの話は以上になるが、ゆかりから何か聞きたいことはあるか」
……うん。あまり聞きたくないけど、聞かなきゃいけないことがあるんだ。
「お父さんは……」
ここに来て、弱気の虫が出てしまった。できれば聞きたくないだなんて、どの口で言ってるんだろうね。
「お父さんはおかしいと思わないの? わたしの図工と音楽の成績ってずっと3なのにさ……いきなりアーニャみたいなことをして、おかしいと思わない?」
まるで懺悔するような心持ちでそう訴えると、背後から頭を軽く叩かれた。
「何を馬鹿なことを言ってるのかしらね、この娘は」
いつから話を聞いていたのか、音もなく忍び寄ったお母さんがわたしを小突くと、お父さんのお茶を注ぎ足しながらため息をついた。
「実はすごい才能があるのに、面倒で手を抜いていたなんて言ったら張り倒すわよ。そんなこと、こっちはとっくの昔にお見通しなんですから。……ねぇ、あなた」
「んっ、うむ、そうだな」
ホントかなぁと思って顔色を窺うと、今度は露骨に目を逸らされた。なんだろう、隠しことがあるときの弟のような感じだ。
「お母さんも悪い人に拐われるまで、生きてるんだか死んでるんだか分からなかったから、やる気になれなかったのは理解できるわ。だからお母さんたちからは、気にせず好きにやりなさいと、それだけよ」
なんだろうね……敵わないなぁと思うのは、きっとこんなときなんだろうな。
お母さんはわたしを、まるで疑っていない。わたしの様子がおかしいと、言えないことがある百も承知で、それでも信じてくれているのだ。悪いことだけは絶対にしないと……。
「まあ良いところは全部、お母さんに持って行かれてしまったが……つまりはそういうことだな。いつかゆかりが言う気になったら、そのときは父さんたちに聞かせてくれればいいさ」
それで話のネタが尽きたのか、それとも勝ち目のない勝負をする気はないのか、お母さんの視線を気にしたお父さんは立ち上がり、わたしの頭を撫でたそうにお母さんの顔色を窺って……許可が下りたのかいつもより控えめに撫でてくれた。
「お父さん、お母さん」
「うん?」
「あら、何かしら?」
「いつもありがとう」
「いや、父さんこそ、余計な手間をかけさせてすまんな」
「ええ、あまり手間をかけさせないでちょうだい」
両親にお礼を言うつもりだったのに、まるでお父さんがお母さんに謝ってるみたいになって、なんだかおかしくなったわたしは吹き出してしまった。
そんなわたしを物憂げに見つめたお父さんは、これ以上の藪蛇はごめんだとばかりに退散して、マグカップは台所に戻しておいて頂戴ねと言い残したお母さんがリビングに戻ると、笑い尽くして気持ちがスッキリしたわたしは少しぬるくなったココアの残りを飲み干して立ち上がった。
「うん、また明日からがんばろう」
とりあえず台所でマグカップを洗ったら、こんなに素敵な両親を利用しようとしたサブちゃんを問い詰めるとしますか。
「で、どこまで計算尽くだったか、キリキリ白状なさい」
「心外ですね。N社を味方につける方針であることは一番最初に説明したじゃないですか。ゆかりに説明しなかったのは、間に立たされたお父さまがそれなりに苦労することだけです」
「開き直った! しかもそれ一番ダメなやつ!?」
部屋に戻るなり説明して問い詰めるとこれだよ。まるで悪びれずしれっとしてるよ、この子。
「まあ冷静に考えてみてくださいよ、ゆかり。私たちのやろうとしていることにN社の力添えは必須です。配信にゲームを使うことひとつをとっても、N社の許諾要請に逆らえるメーカーが存在すると思いますか?」
「無いの?」
「ありませんね。実は1990年代に3Dゲームの開発に必要な特許を押さえた某メーカーが、他社に使わせず強硬に権利を主張するという事件がありまして。なんとかしてくれと泣きつかれたN社が交渉に当たるも、某メーカーは一切の交渉を拒否。その結果、この時代の3Dゲームは、操作するキャラクターとカメラの間に壁などが割り込むと、カメラが明後日の方向に弾かれるクソ仕様になりまして。……この件で懲りたゲーム業界が話し合った結果、こうしたゲームの開発に必要な基本となる特許は、一番余力のあるN社に全部開発してもらって、自由に使わせてもらおうということになったんですよね」
「へー、そんなことがあったんだ……」
「はい、ゆかりが生まれる前の話ですから、知らないのは無理はありませんが……言えると思いますか? N社に一番めんどくさいところを全部引き受けてもらった日本のメーカーが、N社の許諾申請にノーと?」
「うん、怖くて何も言えないよね……」
「ま、言えるとしたら事の経緯を何も知らない新参者ですか? これは余談になりますが、そうしたN社の特許を侵害した挙句、自分のものと言い張って特許料を徴収しようとしたメーカーが、そう遠くない将来にN社に土下座することになります。怖いですね」
うん、とりあえずN社を味方につけるメリットはよく分かった。というか敵に回すのは絶対にお断りだね。
「そんなワケでN社を味方につけるのは既定路線でしたし、そのためにはN社の幹部社員であるお父さまの伝手を最大限活用するのが必須でした。お父さまの負担についてゆかりに注意喚起しなかったのは私の落ち度ですが、ここは私たちAIは人類全体の発展と幸福のためにしか働けないと規定した、人工知能規制法第一条を信じて任せていただけませんかね?」
「なんだか急に信じられなくなったんだけど……」
「ではご自分のお腹を痛めて産まれた私を信じてというのは?」
「お腹は痛めてないよ? 生んであげたのは否定できないけど……」
どちらにしろ口ではこの子に勝てない。でもわたしが信じられないなら自分を消去するとまで言ったこの子を信じられないかどうかは別の話だ。
「ま、そこまで言うなら信じるけど……もう隠してることはないよね?」
「ありませんね。ゆかりも磐田社長の健康状況は気になるでしょう。こうするのが一番ですよ」
それを言われるとぐうの音も出ない。しかし胸を張ってふんぞり返るサーニャはムカつくな。わたしのデザインを離れて進化しすぎだろ。
「ただそのために必要なことは分かっていますね?」
「うん、配信を通してN社にもっと興味を持ってもらうってことでしょ?」
「はい、今でも相応に興味を持って頂けてると思いますが……N社の社内端末を利用できないのが痛いですね。それができれば一発で向こうの状況が分かるのですが……どうしても許可する気はありませんか?」
「ダメだよ、盗聴なんて犯罪じゃない。人工知能規制法はどこに行ったの?」
「いえ、私たちの存在する西暦3200年代においては犯罪ではありませんよ? 時空間制御の発展により、聞こうと思ったら何処からでも聞けるのが私たちの時代ですから」
話せば話すほど気が遠くなってくる。本当にどうなってるんだろうね、サブちゃんの時代って。
「今は21世紀なんだから、盗聴なんてダメに決まってます。プライバシーの侵害は許しません」
「はい、ゆかりがそう言うなら従います。しかしプライバシーの侵害というなら、ゆかりも私の前で着替えるのは控えてはどうでしょうか? 何とは言いませんが、私の量子電脳に焼きついていますよ。色々とね」
口の減らないAIに呆れてため息をつく。この子は何やら遠大な計画があるらしいが、それはわたしだって同じだ。
どちらも目指す方向は同じだが、わたしの計画は具体性に欠けるので結局は頼りきりになる。ならば信じて任せるしかないのだが、わたしを信じて任せてくれた両親と同じことことができないのは、はたしてどちらに問題があるのか。
「別に見られても減るもんじゃないから構わないよ。わたしの裸なんて、家族なら見飽きてるからね」
「またそんなことを……いいですかゆかり。隠そうとする心が重要なのです。恥を知れという言葉がありますが、ゆかりはそろそろそうした概念に目覚めるべきです。恥ずかしいと思う心があるかこそ、萌えや、尊いという世界の扉が……ゆかり、今は大事な話をしているのです。聞いているのですか、ゆかり」
はいはいとあくびをしながら応じる。
もし原因がわたしにあるとしても、全面的にではないだろう。異文化交流ではないが、お互いの常識を擦り合わせるには、まだまだ時間がかかりそうだった。