アーニャのファーストライブを終えて
2011年12月21日(水)
渡る世間に鬼はない、とはよく言ったものである。
わたし個人としても大きな意味のあったアーニャのファーストライブは、Re:liveのみんなやサーニャのお義父さんたちの惜しみない協力もあって大成功に終わったが……流石にここまで世間を騒がせちゃうとね。元の生活に戻るのにもそれなりの苦労が付きまとうのだ。
まぁ対外的な苦労に関してはRe:liveの社長である中村さんや、アーニャのマネージャーである北上さんが引き受けてくれたおかげで、例えばわたしが帰国早々に血相を変えたマスコミに包囲されて悶絶した、という事実はない。
……しかしながら、わたしが学校で級友たちに包囲されて揉みくちゃにされるのは避けられなかった。
いやいや。さすがに包囲の最前列は女子だったから十分に加減されたけれども。休憩時間も外の廊下に全校生徒がぎっしり押し寄せるのはどうなんだろうか。おかげで授業が始まるまでトイレにも行けなかったよ。
そんな調子で一世を風靡する大スターとなってしまったわたしは今日も疲労困憊なんだけども……ここで冒頭の『渡る世間に鬼はいない』という格言に繋がるわけだ。
「ゆかりちゃんも大変やね。これも有名税と割り切れりゃいいけど、まだ小学生のゆかりちゃんになんちゅう税金を払わせるんだって、トモ思うよ」
「ねぇー。ゆかりちゃんはわたしたちが守護らねばならぬ。そう確信したわ」
「でもでも。ゆかりちゃんの話は寧々に聞けって啖呵を切ったら、なんか下にも置かせぬ扱いになって、寧々ちょっと得した気分」
わたしのあまりの扱いを目の当たりにして義憤に駆られたのか、それとも以前から機会を伺っていたのかは定かではないけど……去年の進級時に別々のクラスになって、疎遠に感じていた旧友たちとの距離も縮まり、こうして以前のように一緒に下校できるようになったことは素直に喜ばしい。
うんうん。この子たちもわたしの口からアーニャの話を聞きたいだろうに、自分たちからせがむことなく、あくまで入学以来の「ゆかりちゃん」として扱ってくれるこのTPOよ。これには対人スキルをあらためて磨き直してるわたしもにっこりだね。
「あっ、ゆかりちゃんのその顔、なんか嬉しそうやね。何かイイことでもあったん?」
「あったけど、いまは内緒ね」
「えぇー! 寧々知りたい知りたい!!」
「めっ。寧々ちゃんめっ、だよ。ゆかりちゃんも今はって前置きしとるから、そのうち話してくれるのを待とうよ」
「そうだね……。わたしもいつか恩返ししなきゃね」
「ゆかりちゃんが恩返し? なんのこっちゃ……」
まるで自覚のないトモちゃんが首をひねるのに合わせて、寧々ちゃんとかなめちゃんも頭上にクエスチョンマークを浮かべるけども、しつこいようだが今は内緒だ。
これもわたしがアーリャという素敵な天使さまと出会って生み出した奇跡の一つなのだろう。
人目を避けて縮こまっていた臆病なわたしはもうどこにも居ない。
今回は自分から行動したわけじゃないので、あまり偉そうなことは言えないけど……寿朋子ちゃん。鈴宮寧々ちゃん。角田かなめちゃん。この掛け替えのない友人たちが差し出してくれた手を、わたしは握れるようになった。そんなわたし自身の変化が何よりも喜ばしい。
「そんじゃ、ゆかりちゃんまったねー。寧々ちとかなめもまたなぁー」
「うん、また明日……今度はみんなで遊びに行こうね」
「おっ、いいねぇ……これは楽しみやわ」
「じゃ、こんど寧々んちで駄弁ろう! トモモとかなめもバイビー!!」
おかげで久しぶりの交差点でトモちゃんたちの姿が見えなくなっても、この手の温もりを胸に懐いたわたしは上機嫌。
ルンルン気分で帰宅して家族に愛想を振り撒き、弟に「ウゼェよ、ドブス」と悪態をつかれてもへこたれず。いつものように愛犬を抱いて、自分の部屋で我が家のメイドに「ただいまっ!!」って元気よくおかえりの挨拶をしたんだけど……。
「おかえりなさいませ、ゆかり」
うん。サーニャのひどく申し訳なさそうなこの表情……これは確実に何かあったな、と溜め息がてら心の準備を済ませる。
「サーニャってさ……わたしのことをよく『分かりやすい』って言うけど、少しは自分の顔を見てから言ったほうがいいと思うんだよね」
「失敬な。さすがにゆかりほど分かりやすい顔をしてないつもりですが」
「そうかもしれないけど、わたしはサブちゃんのお母さんだからね。子供の隠し事には敏感なんだよ」
とりあえずワンクッションを挟んでからユッカを足元に下ろしてやり、3人分のおやつとお茶を載せたトレイをちゃぶ台の上に置いた後に、よっこらせっとランドセルをいつもの場所に戻したら報連相の時間だ。
「それで何があったの?」
あらためて抱きあげたユッカと一緒におやつの前に座ってから尋ねると、サーニャはとても分かりやすい顔になった。
あの表情はわたしの耳に入れるのを迷っているのではなく、お得意の未来予測で返答の手順や口にする言葉を検討しているのだろう。
時間にしてほんの数秒──満足のいく回答が得られたのか、ちゃぶ台の向こうに腰を下ろしたサーニャは、ちょっと変わった質問を返してきた。
「確認しますが……ゆかりはこの国のマスメディアの現状に思うところがありますよね?」
「……そりゃあね」
日頃テレビや新聞のお世話になってる身で僭越かもしれないけど……日本のマスコミに思うところがあるかと訊かれたら、答えはイエスだ。
「日Kもお父さんや磐田社長のN社や、中村さんや北上さんのRe:liveに意地悪な記事を書いてくれたし。アーニャのファーストライブでも最前列に割り込んだり、館内で飲食して注意した警備の人を怒鳴りつけて、最終的にスイスの兵隊さんが出動する騒ぎになっちゃったらね。さすがに何も思わないわけにはいかないかな」
「まあ、そうなりますよね……」
サーニャの可愛らしい口元から漏れた溜め息が固形物のようにわだかまる。
予想はしていたけど、お母さんのおやつを食べながらする話にしては最悪の部類になりそうな展開だ。
「ゆかりの言うように、この国のマスコミはこのところ失点続きでありまして……。アーニャのファーストライブでの醜態に関しても、従来の報道しない自由を駆使して『無かったこと』にしようとしましたが、これははっきりと失敗でした。このネット社会でその手の隠蔽工作が通じるはずもなく、現地にいた海外の記者たちのWisperが『あのスレ』を経由して拡散してしまい、蜂の巣を突いたような騒ぎになりましたよ」
「うん……まあ、そうなるよね」
「他にも長年のアンチ政府与党のお仲間である、民社党政権が盛大にやらかしましたからね。まさか独裁国家に自国民の引渡しを求められ、嬉々として応じる旨を発表する記者会見を開くとは……。前回の総選挙で『一度民社党にやらせてみよう』と応援した手前、マスコミ各社にクレームが殺到する事態となったのは、まぁ自業自得と言ってしまえばそれまでですが……」
「うん……さすがにその件は『無かったこと』にはできなかったか」
「しかもその会見で病院送りになった首相らが、暴動を起こした記者たちを刑事告訴しましたからね……。これには長年のお仲間であるマスコミも遺憾砲を発射して、左翼お得意の内ゲバは止ところを知らないというのが現状なのですよ」
「うん……まあ、いつものことだよね……」
おかしいな。お母さんが作ってくれた大好きなロールケーキなのにまったく味がしないんだけど?
なんかおやつのササミを美味しそうに平らげるユッカが羨ましくなってきた……。
「ま、そんなわけで『私』の予測によると、来年中には機能不全に陥ることが確実なマスコミ各社は話題逸らし、失礼、挽回に必死で……なんとかアーニャを味方につけようと連日のようにRe:liveの本社に押し寄せ、自分たちに好意的なコメントを引き出そうと躍起になってるようです」
「……なるほど。そりゃ大変だ」
もちろん中村さんたちが、という意味だけど……しかし話の流れとサーニャの表情を鑑みるに、どうやらマスコミ対策に苦慮しているとの報告ではなさそうだ。
いや、むしろこれは……。
「具体的にどんなコトを言ってるの?」
「一番の要望は、やはり自局の番組への出演依頼になりますが……それが無理ならせめて取材だけでも応じてほしいと」
「なるほど……」
サーニャはさっき、このまま放置したら来年中には日本のマスコミが機能不全に陥ると、はっきりと明言したが……それはわたしとしても歓迎できない事態だ。
まあ、アーニャのファーストライブでもお行儀よくしてた国営放送のNNNと、ライバル誌の自滅で業界No.1の地位が安泰になった讀會系列は生き残るだろうけど、テレビと新聞がそれだけというのはいかにも寂しいし……ウチの贔屓は地元の阪神だから、巨人贔屓の露骨な新聞しかなくなったらお父さんの機嫌が心配だ。
「……いくつか条件があるけどいいかな?」
「どうぞ」
「まずどんなにせがまれても、わたしは政治的な発言はしないし、マスコミを擁護するコメントもしないよ。もちろんわたしのプライベートに関する質問もナシ」
「ええ、当然ですね」
「それと自分から素性を明かしたわたしはともかく、他の子のプライバシーを侵害するような行為は厳禁。守秘義務は上から下まで徹底すること。……この条件が守られるなら、中村さんたちが企画内容をチェックして問題ナシと判断した番組なら出演する。もちろん自分も出演したいって希望した他の子たちも同様ね」
「はい、その条件ならばかなりの裁量権が認められるでしょう」
うんうん、やっぱりサーニャってば分かりやすいね。そんなに嬉しそうな顔をしちゃって、まぁ……。
「やっぱりマスコミとの和解は既定路線だったんだ?」
「はい……私たち人工知能にとっては、彼らもまた奉仕すべき人類の一員ですから」
「そうなんだ……でも、それにしてはファーストライブの前日にRe:liveの事務所の前では手厳しかったね?」
「アレはもっとしっかりしろという私なりのエールです。仮にも言論界の一員があの程度で論破されては困りますから」
ようやく安心して飲食できる心境になったのか、お母さんのロールケーキを口に運ぶサーニャの口元は柔らかな微笑を湛えていた。
「まあ、ゆかりに無用の心労を与えたのは慚愧に堪えませんが……彼らを救済するにあたって問題となるのは、やはりゆかりの心情でした。無論、ゆかりが徹底抗戦のおつもりなら地獄の底までお供する覚悟ですが……行き着く先がこの国の内戦では和解を薦めないわけにもいかず」
「うえっ!? ななな、内戦って……サブちゃんの未来予測だとそこまで行っちゃうの!!」
「行きますね。……こうなったら言ってしまいますが、先の大戦前後からこの国に根差した親ソ反米の病魔はゆかりの想像以上に深刻ですよ? アメリカの代理人として権力を握った自由党を悪と見なし、それと対決する自分たちの正義を盲信する方々はマスコミに限らず、政界、財界、官界といったこの国の上層部にも大勢存在します」
「…………」
「よって、あまりに追い詰めた場合は……世界の常識を一変させたゆかりを諸悪の根源と見なし、武装したテロリストがこちらに押し寄せるのはほぼ確実です」
「……………」
まさに二の句が告げないとはこの事だ。
「ああ、そんな顔せずともゆかりやご家族の安全は保証しますが、さすがにこれだけの大事件となると隠蔽は不可能ですからね。いかに一部の極左勢力の暴走であろうと、国内はもちろん、関係諸国も黙っておれませんでしょうし、中世の魔女狩りさながらの左翼弾圧が吹き荒れるのはまず間違いないので、内戦という言葉を使いましたが……いま思うと過激な表現でしたね。もっとゆかりの心情を気遣うべきでした。謝罪致します」
たぶん、わたしがよっぽど酷い顔してるんだろうから謝ったんだろうけども……危なかった。
もしここでわたしが聞く耳を持たなかったら大惨事だったよ。またマス◯ミかって思わずよく決断した、わたし。
「……確認するけど、和解が必要なのはマスコミだけ? 民社党政府は放っておいてもいいの?」
「ああ、そちらは放置しておいても構いませんね。既に来年の衆院選挙で0議席の自然消滅が確定していますから」
「それはそれは……」
うーん、ウチの選挙区から当選したのは評判のよろしくない民社党幹部の女性議員だから、落選後の逆恨みが怖いところだけど……サーニャが特に言及しないってことは、わたしなんぞが心配しても仕方ないってことなんだろうな。多分。
しかし疲れた……まさかテレビ出演を解禁しただけでこんな話を聞かされるとは。
まさにアーニャの虚像、ここに極まれりだね。わたし自身はどこまでもチンケな小娘に過ぎないのに、こんなコトになっちゃってさ……。
わたしの傷心を察した愛犬が必死に立ち上がって慰めてくれてるけど、できればもうちょっと何かあると……そうだ! 今日は久しぶりに順平たちも誘ってみんなでお風呂に入ろう!!
うん、想像しただけで元気になってきた。
そうなったら善は急げ。サーニャが中村さんたちへの報告を済ませたらさっそく家族の温もりに包まれるのだ。今夜はきっといい夢が見れるぞ……!!
2011年12月23日(金)
クリスマスから始まる冬休みを前日に控えた今日は学校の終業式。
というわけで午後になったら最速でRe:liveの事務所を訪ねて打ち合わせに参加する。
もちろん明日の夜8時から予定している大事なコラボ配信も気になるけど、一昨日に事務方に一任したマスコミとの交渉が気になって仕方ないのはご愛嬌である。
そのことは中村さんや北上さんも分かっていたようで……正式にデビューした0期生と研修終了間際の1期生の全員が集められた会議室で、真っ先に報告されたのはNNNの年末歌謡祭への出演依頼だった。
「まずはゆかりさんに感謝を……。これは私たちRe:liveだけではなく、NNNや民放各社からもよろしく伝えるように頼まれましたわ」
「前置きはいいんで、さっさと伝えますが……結果から言ってしまうと、ゆかりさんの要望は全部通りました。まずNNNの年末歌謡祭ですが……こちらは辞退したいという子がいない限り、原則全員の出演が確定しました。もちろんアーニャのファーストライブでやったように、基本ホログラムによるAR方式ですから、皆さんの身バレ顔バレは無いものと思って構わないっすね」
横から割り込まれて愕然とする中村さんを他所に、北上さんの掛け値なしの朗報にみんなが「おおっ」と湧き立つ。
ふふふ……この様子なら全員参加は確定かな?
社畜ネキさんにコミュ障だのド陰キャだの揶揄われるあずにゃんと、自他ともに認める人見知りの琴子さんまで「よっしゃ」とばかりにガッツポーズしてるもんね。わたしもだいぶ変われたつもりだけど、この子たちの成長ぶりは我が事のように喜ばしいかぎりだ。
「で、ウチの担当は番組冒頭のゆかりさんのソロと、全員参加によるフィナーレの合唱以外の3曲はこちらの好きにしていいって言われてるんですが……できれば谷町さんにソロで1曲お願いしたいって頼まれてるんスよね」
「えっ!?」
そして北上さんの思わぬサプライズ報告に全員の視線が集中する中、谷町さんが驚愕も露わに探るような視線を投げかけてくる。
もちろんわたしは彼女が何を訊きたがってるか理解していたので、両手を振りながらこう答えた。
「わたしは特に推薦してないよ。だからこれは谷町さん自身の実力で掴んだ正当な評価だね」
「ええ、ゆかりさんの言う通りよ……。おめでとう、谷町さん。これはあなたの努力が報われた結果よ」
ふと視線を向けた中村さんに祝福されると、しばらく呆然としていた谷町さんの両目に涙があふれ──。
「うっ、ゆかりちゃん……みんなもありがとぉ……。こんなことってある? すっごく嬉しいのになんか、みんなの顔もまともに見れないよ……」
「まぁさくらはね、泣くな谷町とは言わないよ。むしろよく頑張ったな、谷町。とりあえずこれで涙を拭け……っお前! さくらの服で鼻をかむな!! この手の粗相はアーニャたんのファーストライブの前日にゆかりたんの一張羅を台無しにしたのに続いて二度目だぞ……!!」
「あーあー、仕方ねぇなぁ、谷町はよぉ……杏子さん、そっちのティッシュを渡してくんない?」
「ほいよ、社畜ネキ。なっちゃんもなんかグズってるからこれで鼻をかみなよ」
「はい、ありがとうございます……。昴も同期の谷町さんが評価されて嬉しいです。おめでとうございます」
「ああもうっ……そんなに同期が大事なら泣かせんな! みぃちゃん鼻水が止まらなくて大変なんだから……!!」
俄然騒がしくなった室内で繰り広げられるのはいつもの漫才だけど……なんというか、こういうのを見ると心が洗われてくるよね。
誰も谷町さんが泣いたことを揶揄おうとはしない。誰もが親身に世話を焼くこの光景は人類の善性を証明する一つの根拠になるとさえ思える。
「ひとまず谷町さんは親友のさくらさんにお任せするとして……」
谷町さんが落ち着くまで時間が掛かると判断したか、場を繋ぐようにマリナさんが発言すると「『誰がベストパートナーじゃい』」というクレームが合唱を奏でたが、それを真に受ける正直者はいなかったので、打ち合わせは粛々として進められた。
「とりあえずゆかりさんのアーニャだけではなく、マリナたちも年末の歌謡祭に出演することは分かりましたが……それだけだと『NNNだけズルイ』という恨み節が民放各社から聞こえることになりませんか?」
「その心配は無用よ。今回は以前からオファーのあったNNNが先んじた形だけど、他局とも貴女たちVTuberに見合った番組作りの協議を続けているわ」
「おおっ、それは失礼しました!! 具体的なことをお聞きしても……?」
「具体的なこととなるとまだまだこれからだけど……そうね。こちらから提案しているのは、日曜の午前中に貴女たちVTuberをよく知ってもらうための教育番組があるわね」
「他にも変わりどころでは、ペット番組を任せたいなんてのもありましたね。これは多分、篁さんちのゴン太君や、ゆかりさんちのユッカきゅんがネットで大人気になってるのに気付いての提案だと思いますが」
「ああ、ネットではその手のペット動画が大人気ですからね」
「あっ、それなら余も出たい。ゴン太と一緒に飼い主のマリナを紹介しちゃる」
「オイィィィ!? お前がペット枠で出ようとしてどうすんだこのバカタレが!!」
「うくっ……でもいいんでない? みぃちゃんもさくらの飼い主として出演してみようかな?」
「でゃまれ! ふつう逆だろ……!! さくらがさぁ、谷町の世話を焼いてるんだって……あれ? なんでさくら、こんなに笑われてんの……?」
うん、ざっと見渡した感じだと、半数くらいはテーブルにうずくまって、もう半数くらいは必死に笑いを堪えてるよね……。
「ま、まぁ谷町さんの興味深い提案は次の機会に話し合うとしてさ……たしかマリナさんの友人の美緒さんだっけ? 三毛猫を飼ってるんだよね?」
「え、ええ……そうか。あいつも冬休みになったら研修を受けるって言ってたから、教えてやったら喜ぶかもしれませんね」
「うんうん。わたしもね、知り合いのトレーナーさんがペットの配信に興味があるみたいだから、いい報告ができそうだよ」
「ペット用のLive2Aの調整に毎回苦労してる私にとっては掛け値なしの凶報ですが、まぁいいでしょう……。今から備えておけばいいだけの話ですかね」
「あら、人間と違って動物は難しいの?」
「はい、アーリャさま。同一人種ならば骨格に大差のない人間の場合は流用が効きますが、猫はともかく犬はサイズから五体のバランスまでしっちゃかめっちゃかで……基本的に個体ごとに全部作り直しです。特にゆかりの愛犬は幼犬というだけあって成長が著しいですから、配信ごとに調整しないと……」
「えっ、そうだったの? 気付いてあげられなくってごめんね!?」
「まぁゆかりさんの無茶振りに苦労しているサーニャさんを慰めるのは後にしてもらって……明日はいよいよN社の公式生放送『社長に訊く』とのコラボになりますが、参加するメンツは本当にこれでいいんスね?」
「あっ、うん、じゃなかった、はい。あまり大勢で押しかけると脱線しまくって迷惑を掛けそうだから、わたし他には、ゲームに詳しい立場から社畜ネキさんマリナさん。あまりゲームに詳しくない立場から鴨川さんとグラちゃん。この5人でいきたいと思います」
考えなしに行動しがちなわたしは、よく暴走列車に喩えられるけども……ここまでVTuberを目指しておよそ一月ほど。まさにジェットコースターのような道のりを歩んできたわたしもここが正念場だ。
明日の磐田社長とのコラボは、未だにフワフワとした概念的なものとして語られがちなVTuberを世間一般に定着させるための大事な舞台だが、負けられない戦いを翌日に控えたわたしの胸中に不安はない。
「やはり、このまま行くことになりますか……。いや、ゆかりさんのことだからこのメンツを選んだのも、きっと深い考えがあるんですよね? ならばマリナはゆかりさんを信じて司会を全うするのみです」
「もぉ〜、なによマリナたんってば、そんなに深刻ぶって……。この際ハッキリ言わせてもらうけど、ゲーム関係はお姉さんの得意分野よ? お前らがママの子宮に潜り込む前からゲーマーとして鍛えてきたお姉さんを舐めんなよ!?」
「そうだよ。わたしも頑張るからゆかりも安心して? わたしね、事務所の人にあまりファッ◯って言わないように注意されたから、もう以前のように叱られたりしないんだよ?」
「言っておきますが、◯ァックだけじゃなく日本の放送禁止用語もダメですからね? それとセッ◯スの話も厳禁。くれぐれも口にしないように注意なさい」
「昴もゲームのことはよく分かりませんが、そのことを見込まれて選ばれたんでしたら全力で頑張ります。……でもあまりに的外れな質問をして場が白けそうになった助けてくださいね?」
そうだ、わたしは独ではない。何しろ明日のコラボで共演するのは、いつもギリギリのラインを攻める生けるセンシティブと評判の社畜ネキさんに、デビュー前から下ネタ大王の異名を恣にするグラちゃんに、世にナ虐の概念をもたらした鴨川さん──あれ? なんか今になって北上さんが何を心配してるのか理解できた気がするんだけど!?
「えー、◯ックスの話もダメなの? それじゃあゆかりとお風呂に入った時の話や、ゆかりと手を繋いで寝たときの話ならいいよね?」
「はい、ダメェー! そんなのどっから見ても事後を匂わせるのが目的だろ? そういう背伸びした発言は、せめてお姉さんのように実際にゆかりたんと肌を重ねてからにしろや」
「ああ! 何の話かよく分かりませんが、それなら昴も資格がありそうですね。実は昴もですね、ゆかりさんのお家で何度か肌を重ねたことがありまして……」
「ほほぅ……? なっちゃん、その話もっと詳しく聞かせてもらえる?」
「オイ、社畜ネキ……お前もそこを動くな。あずにゃん、社畜ネキをホールド」
「おっけい、琴子ちゃん」
なんかわたしには想像もつかない風評被害が広がりそうな予感に背筋が凍りつく。
今や直前まで和やかな雰囲気だって会議室は、ギスライブと揶揄されそうなほど殺気立って……どうしよう。この場を作り出した3人を連れてったら、司会のマリナさんと回答者の磐田社長が苦笑する未来しか見えなくない?
今からでも変更したほうが……って、なんかサーニャがわたしの肩に手を置いてフッて笑ってきた!?
なにその「少しは私の苦労を思い知るといいですよ」的な憫笑は……。
この薄情メイド。地獄の底までお供をするって口にした言葉はどこへ消えたの?
お願いだから助け舟の一つでも出してよとばかりに狼狽したわたしは、目の前の惨劇をただ黙って見守ることしかできなかった……。
お待たせしました。次回はいよいよN社公式VTuberとしての初仕事になります。
個性豊かな共演者を選択した主人公の決断が吉と出るか、それとも凶と出るかは作者にも分かりません(オイ)
いや、一応考えてはいるんですが、実際にキャラが走り出しちゃうと自分如きが制御しようとすること自体、烏滸がましいと申しますか……こればっかりは運を天に委ねるしかないと諦めた次第です。何卒ご容赦のほどを……。