うねび談義 #目指す作家像
ひょんなことから「目指している作家としての姿はどんなものか」という問いかけを受けました。
私が目指す作家としての姿。
描きたい作品はあるけれど、作家としての姿ってあんまり思い浮かべたことってないですよね。
人生の目標というか、生涯の夢として「角川ビーンズで本を出せたら本望」だと長年思ってはいましたが、それが目指している作家の姿ということなのだろうかと考えて、ちょっと首をひねっていたり。
間違いなく憧れではあったのですが、「夢は叶わないから夢なんだ!」みたいな気持ちで思っていたくらいなので、叶ってしまった今、ここ半年以上ずっと「作家として自分はどうあるべきか」と悩んでいたりします。まさにタイムリーで、答えに悩ましい問いかけだなと思いました。
じゃあどんな作家としていたいか、と言われたら、受賞コメントにも寄せさせていただいた「いつか誰かのきっかけになれるような作品を生み出せるような」作家になりたいな、と今は思っています。
学生の頃の私は自己表現として小説を書いていました。よく言えばクリエイティブで、悪く言えば現実逃避の場として、小説がうってつけだったんだと思います。小学校の頃から、一時間もある長い通学路を一人で歩くことが多く、頭の中には常に何がしかのお話が展開されていたんです。それを出力できるようになったことで、当時は自己表現として書く意味合いが強かったなと思います。誰かに見てほしかったし、読んでほしかったんです。
そうして私が脳内のものを出力したいと思うようになった頃。じゃあ小説として出力したい、小説ならできる、と思ったのが、神坂一先生の「スレイヤーズ」を読んだ時でした。私はそこで、はじめて生き生きとした一人称で書かれる本を読んだんです。「私でも書ける」そう思わせてくれるきっかけを与えてくれたのがラノベでした。
さらにその後、私が一番好きになったのが角川ビーンズ文庫でした。年の近いヒロインたちが夢に向かって頑張る姿って、やっぱり心に残りやすかったんでしょうね。雪乃紗衣先生の「彩雲国物語」がものすごく強烈でした。とくに2巻以降の夢に向かって努力を重ねて、茨の道も踏みしめていく秀麗の生き様が本当に鮮烈に私の中に根付いたんです。
なので今後、私が公の場で何かを綴ることができるのだとしたら、そういった「誰かのきっかけになる作品を書きたい」という気持ちがあります。
それとは別で「私が読めるのが楽しいから」という自分本位な作品は今後もwebとかで書いて、自分で読み返せるようにしていきたいなとも思っていたり。
私が目指す作家の姿は、こんな形です。
私はすぐに迷走するので、迷子になった私はここに戻って初志貫徹してください。




