2 Eクラスです
翌日は、私が通う王立精霊師養成学院の昇級試験の日である。
「行ってきます」
胸元に細いリボンがついた制服に着替えて、笑顔で家を出た。
だけど出た瞬間、大きなため息が出た。ああ、憂鬱だなあ……。
家族にも誰にも言っていないことだけど、実は私は切羽詰まった状況にある。
今日の試験で精霊を召喚できなければ退学を言い渡されてしまうのだ――。
転生したとわかった時は嬉しかった。一度目の人生を後悔半ばで終えて、二度目の人生をもらえた気がした。
だけど蓋を開けてみれば、婚約相手のことも精霊使いになる道もままならない。というより、まさに崖っぷちだ。私、大丈夫なのかな……?
不安に駆られながら学院へ向かって歩く。ふと昨日奥庭へ行った理由が頭をちらついた。
木々が茂ってうっそうとしている奥庭へは、泳げないこともあって普段から滅多に近づかなかった。
それなのに昨日は自ら向かったどころか、岸辺まで近づいた。その理由は――。
胸がざわついた。これ以上考えないほうがいいとわかる。頭の中から追い出すように全速力で走った。
王都中心部の一等地にその学院はある。木立の通路を抜けると、尖塔が二本そびえるレンガ造りの校舎が見えてくる。
ここを卒業すると、宮殿で活躍する精霊師――精霊使いになれる。
精霊使いとはこの世界に精霊を召喚して使役できる者たちのことで、呼び寄せた精霊たちは加護や不思議な力を与えてくれるのだ。
「ふうっ……」
走ってきたから息が切れた。退学がかかっているという緊張もあって、なかなか呼吸が落ち着かない。Eクラスの前で一人ふうふう言っていると、廊下を歩く生徒たちがじろじろと見ていく。
恥ずかしくなってきたので勢いよく教室の扉を開けた。
学院にはAからEクラスまである。一クラス四十人ほどで、生徒たちは能力別にわけられている。Aクラスが一番よくて、私のいるEクラスが最下位なのだ。
「おはよう」
扉付近で固まってしゃべっていたクラスメートたちにとりあえず挨拶すると、一様にギョッとした顔をされた。他の者たちもざわつき始める。
「ちょっと、あのネルが自分から挨拶したわよ……」
「一体どうなってるの……?」
ああ、そうだった。「私」はクラスの中でもいつもツンと澄ましていた。自分が退学寸前だという事実がどうしても受け入れられなくて、孤高の自分を演じることでなんとか心の中で折り合いをつけていたのだ。
そんな私が普通に挨拶したらこういう反応になるのだろう。どう返せば上手く収まるのだろうと考えていると、
「ついに退学の運命を受け入れたんじゃないか? 何せこれから昇級試験だし。ネルって入学試験で低級精霊を召喚できて以来、一度も成功してないだろ?」
「クラス全員、低級の虫精霊は呼べるのに、ネルだけ何も召喚できずだもんな。今日も成功しなかったら退学みたいだぞ」
「クラスでもいっつも最下位なのに、なんでか知らないけどあいつ偉そうだよな? 態度がでかいっていうか」
ひそひそと言ってるつもりだろうけど全部聞こえてるから。そして半笑いの子までいる。
……どうしよう。心が折れそうだ。まあ今までの私の態度のせいなんだけど。
以前の私なら、こんなことを言われたら烈火のごとく怒り狂っただろな。その証拠にほら、皆が噂をしつつも私を遠巻きにしている。まるであれだ。危険人物扱い。
落ち込むというか、なにやら物悲しい気持ちになった。
そこでまた、昨日奥庭の池へ行った理由がよみがえった。今度は止める間もなく鮮やかに。
――命を断とうと思ったのだ。
親が決めた婚約は嫌でたまらないし、精霊使いとしての道も厳しい。だけど退学になって家族や親戚たちから可哀想な子扱いされるのは絶対に嫌だった。
二年前、狭き門である入学試験を突破した時に鼻高々で自慢したからなおさらだ。馬鹿にされたり同情されるなんて耐えられない。だったらいっそ――と思ったのだ。
だけど前世を思い出した今では、とても滑稽というか悲しく感じる。
そこまで思い詰めなくてもよかったのだ。
そんなたいしたことじゃないのに。
そんな私が二度目の人生をもらった。無いと思っていた人生。
だったら好きなように生きればいい。
そのためにすることはまず――。遠巻きに様子をうかがうクラスメートたちに構わず、教室の後ろへ向かった。壁いっぱいに広がる本棚には精霊師用の書物がたくさん並んでいる。
そのうちの一冊を取って自分の席へ座った。目を皿のようにして読み始める。一冊読み終わったら次。次を読み終わったら、さらに次。
「……ねえ、ネルが読んでる本、初心者用じゃない?」
「『こんなの私にふさわしくないわ』とか言って、絶対に手に取らなかったのに。むしろ必要ない上級者用のものを読んでたわよ。一体どうしちゃったの?」
この試験で、絶対に精霊を召喚しないといけない。
だけど私が成功したのは入学試験の時の一度きりだ。それ以来一度も召喚できていない。
だからまずは「初心に帰ろう」――そう思ったのだ。
ひたすら初心者用の書物を読み漁る。基本的な心構えと召喚のやり方、精霊の種類など。ふんふん言いながらページをめくった。
クラスの皆が遠巻きに見つめてくる。気味悪そうな顔から興味深そうな顔、馬鹿にしたような顔まで色々だ。けど気にしない。そんな余裕はない。
「皆さん、おはようございます、今日は昇級試験ですよ。準備はいいですか?」
担当の先生が笑顔で入ってきた。私は顔を上げた。
そして試験が始まった。
皆の前で一人ずつ順番に行われる。床に魔法陣を描き、精霊を召喚するのだ。
「召喚魔法発動。出でよ、精霊!」
魔力をこめてそう呪文を唱えると、魔法陣が白く浮かび上がる。そして陣の中心からゆっくりと光に包まれた精霊が出現する。すごいよね。
もちろん精霊にも能力の高い低いはあって、私たちの魔力や精霊を呼べる力などに比例する。
私たちEクラスだと、低級精霊を召喚するので精いっぱいだ。低級精霊は大抵、小さな虫の姿をしている。
精霊は違う世界の生き物なので、そこでもその姿なのか、それともこちらの世界に召喚される時に私たちのよく知る姿に変えるのかはわからない。
ただわかっているのは、Aクラスの子たちや宮殿で活躍する精霊使いたちが呼べる上級以上の精霊は、この世界には存在しない力を加護という形で与えてくれる。
「わあ、見て。マーサがバッタの精霊を召喚したわよ。可愛い!」
「アレクはテントウムシの精霊だな」
成績順なので私は最後である。一番後ろから首を伸ばして眺めていると、クラスメートたちが次々と手のひら大の小さな低級精霊を召喚していく。
魔法陣の中心で、緑色に光る小さなバッタが細い前足をバタバタさせたり、水玉の背中を光らせたテントウムシがゆっくりと回ったりする。
低級精霊は意思の疎通ができないし、召喚してもすぐに消えてしまう。
それでもずっと成功していない私からしたら、召喚できるだけでうらやましい。
二年前の入学試験で、小さな小さなダンゴムシの超低級精霊を召喚できて以来、一度も呼べていない。今日も失敗したら退学になる――。そんなの嫌!
心の中で本音を叫んだ時、前の魔法陣の周りでワッと歓声が上がった。
「見ろよ! スプラットの精霊が出たぞ!」
前世ではきびなごと呼ばれていた小魚の精霊である。銀色のお腹を見せて淡く光りながら浮いている。
「すげー! カイルの奴、Dクラスに上がれるんじゃないか? いいなあ」
「虫より階級の高い魚の精霊を召喚できたんだから行けるわよ。うらやましい」
誇らしげなカイルの前で、先生も嬉しそうにうんうんと頷いている。
いいなあ。私もうらやましい。
「次で最後ですね。ではネル・ビーナ・オルコットさん!」
皆の注目が集まる中、前に出てゆっくりと床に魔法陣を描く。
幼い頃から精霊使いに憧れていた。砂地に石で何度も描いて練習した。本を見ながらしか魔法陣を描けない人もいるけど、私はすっかり頭に入ってる。
心をこめて描いたら少し大きくなってしまった。
「……魔法陣、でかくないか?」なんて小さな声が聞こえるけど、気にしない。
大きく深呼吸をした。落ち着け。落ち着いてやれば絶対にできるんだ。自分に言い聞かせて、魔法陣の前に立ち、陣に両手をかざした。
直前まで読んだ初心者用の本の内容を反芻する。思えばプライドの高い私は初心者用の本を読んだことがなかった。初心者にも関わらず。
そう、まずは『心を落ち着けましょう』だ。
その通りに何度も何度も深呼吸をした。
「……深呼吸し過ぎじゃないか?」なんてまたも呆れた声が聞こえるけど気にしない。
そして『呼びたい精霊を頭に思い描きましょう』
呼びたいのは虫精霊。授業中、皆が次々と成功する中、私だけ失敗ばかりで一度も呼べなくてとても悔しくてみじめだった。だけど今日は絶対に成功させてみせる。
小さな虫でいいのだ。ダンゴムシやテントウムシ。丸いころりとした形を頭の中に想像した。
小さな小さな虫精霊。ほんのりと光る可愛い姿――。
「……召喚するまで長くないか?」なんてまたも呆れた声が聞こえたけど、やはり気にしないことにした。
そして『体の中の魔力を両手に集めるイメージで』
かざした両手に意識を集中させる。魔力を集めるんだ――!
息を吸い込み、呪文を唱える。
「召喚魔法発動! 出でよ、精霊!」
お願い、出て! 声に呼応するように、床に描いた魔法陣が白く浮かび上がった。
そしてその中心に、薄茶色の光をまとって現れたのは――。
小さな小さな精霊――ではない。私の顔くらいの大きさはある。このEクラスではお目にかかったことのない大きさだ。
そして確かに形は丸いけど、元々丸いのではなく丸まっているだけに見える。
……これは――猫だ。
「嘘、猫よ! 動物の精霊を召喚したわよ!?」
「マジか、中級精霊じゃないか! ネルって低級精霊すら一度も出せなかったのに……どうなってんだよ!?」
クラスメートたちが呆気に取られている。
先生もだ。羽ペンと紙の束を手に、目を丸くしている。
茶色く光る猫がこちらを向いた。吊り上がった大きな猫目で私を、そしてクラスメートたちを見据えた。
「おお、こっちを見たぞ!」
「すごいわ……!」
低級の虫精霊は召喚しても何の反応もなく消えてしまうからか、皆が興奮している。
まぶしい光を帯びた猫の精霊は、もう一度私を見て「ニャア……!」と鳴いた。近所で飼われている猫より透き通った声だ。
「おお、鳴いたぞ!?」
「すごいわ! さすが中級精霊!」
大盛り上がりだ。
びっくりしていた先生が私を見て、そして満面の笑みで言った。
「素晴らしいです。驚きました。文句なしの昇級ですよ、ネルさん。二級上がってCクラスです」
やったあ! 笑顔で思わず両手を振り上げると、猫の精霊が目を細めてもう一度「ニャア」と鳴いた。