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1 転生しました

 二十四歳、一般事務。小さな会社だけどそれ以上に社員が少ないから、毎日朝から夜遅くまで働いた。

 残業続きで頭が朦朧(もうろう)としていた帰り道、ホームで電車を待っていた私は一瞬意識が飛んでしまった。その間、数秒にも満たないと思う。

 だけど気がついた時には線路に転げ落ち、目の前には電車のライトが迫っていた。あまりに突然のことに状況がつかめない。それでも居合わせた人々の悲鳴と、電車が急ブレーキをかける音が響く。そして視界を突き刺すような眩しいライトの光。

 その後のことは覚えていない――。



 ――という前世の記憶を、池の水面を眺めていたら唐突に思い出した。

「今」の私は、アルノワ国の王都南方に邸宅を構えるオルコット家の長女、ネル・ビーナ・オルコットである。


 そっか。私は電車にひかれて命を落とした。そしてこの世界に「ネル」として転生したんだ……。

 そうわかった瞬間、前世の二十四年分の記憶が脳内で渦を巻いた。頭の中がいっぱいになるなんてものじゃない。あまりにも膨大な情報量は一種の暴力だ。

 あっという間に脳内の許容量を超え、足元がふらつき池の中に落ちてしまった。


 残念なことに、前世と同じく今の私も運動が得意ではない。泳げないのだ。


「ガボッ……誰か……!」


 口の中に水が入ってきて言葉にならない。涙でぼやける視界に映る岸は限りなく遠く、必死に両手を動かすけど何も掴めない。両足も同じで、つま先を何度も何度も蹴るものの、地面は足先の遥か下だと感覚的にわかり、たまらないくらいゾッとした。


「誰かっ……助け……ガボボッ!!」


 助けを求めれば求めるほど水を飲みこんで、鼻も喉も痛い。でもそれより恐怖のほうが遥かに強い。私、死ぬの……?

 ああ、泳げないのにどうして奥庭の池になんか近づいちゃったんだろう。苦しいよ。私、死ぬのかな。電車にひかれて命を落として、その記憶を思い出した途端にまたも命を終えるなんて。なんて不幸な人生なの。……嫌だよ、二度も死にたくないよ!


「お嬢様!? 誰か、誰か来て! ネルお嬢様が池で溺れて――!!」


 メイドの切羽詰まった声と、慌てて池に飛び込む何人かの人影が、涙で揺れる視界にぼんやりと映った。

 よかった、助かるんだ……。心の中で渦巻く悲鳴が安心に変わった瞬間、意識が途切れた。



 この世界は、前世で言うところの十九世紀頃の中世後期ヨーロッパに似ているように思う。国王を頂点に貴族と地主からなる上流階級、医師や聖職者などの中流階級、労働者の下流階級といった身分制度がある。


 うちのオルコット家はこの中流の中の「上層中流階級」に位置する。

 代々聖職者の家系で、父は王都中心部にあるサンペル大聖堂の司祭を務めている。それに優しい母と兄と弟。それが今の家族。


 近年鉄道が開通して、大きな話題になっている。王都の大通りにはガス灯が灯り、舗装された石畳を馬車が駆け抜ける。流行のドレスと大きな帽子をかぶった女性たちが通りを闊歩して、代々続く貴族議員と選ばれた庶民議員たちが国会議事堂で議会を開く。そんな世界。


 ただ違うのは精霊が存在するところ。精霊を召喚できる「精霊使い」たちがいて、その力で国や人々を守っている。

 そして「私」はその精霊使いを目指しているのだ――。



 目を覚ますとベッドの中だった。灰色の天井に花模様の壁、サイドテーブルにはお気に入りのランタン。「私」の寝室だ。


「ネル、気がついたのね!? ああ、よかった!」


 暗かった母の顔が輝き、強く抱きしめられた。その隣で父と兄と弟もホッとした顔をしている。


「心配したんだぞ。無事で本当によかった」

「今朝までの雨続きで地面が滑りやすくなってるから、気をつけないと駄目だぞ」

「本当だよ。姉さま、泳げないんだから」


 いつもどおりの口調に助かったのだと実感した。二度も命を落とさずに済んだのだと。


 本当に転生したんだなあ。不思議な感じだ。


 お医者の診察を受けると、もう大丈夫とのお墨付きをもらってホッとした。

 ベッドで上体を起こして、一人メイド特製のパン粥をすする。ちょっと熱いけど体に染みる。


 ふと視線を移すと、鏡台の丸い鏡に自分が映っているのに気がついた。薄茶色の長い髪に同じ色の大きな目。顔色はまだ青白いと言われたけど、元々色白のせいかあまり変わらない。

 前世が十人並みだったから、我ながらなかなか可愛い少女だと思う。

 特殊な自画自賛をしていたら母が顔を出した。


「食欲が出てきたのね。よかったわ。実はリアム様がお見舞いにいらしたのよ。入ってもらっていいわよね?」


 リアム。その名前に緊張で胸が締め付けられた。答えられずにいると、無言を肯定と思ったのか母が笑顔になる。


 すぐに黒の隊服を着た長身の青年が入ってきた。腰に剣を下げて、胸元に星型のバッジが三つと水色のリボンの勲章がついている。

 詰襟の隊服は王立騎士団のもので、勲章は騎士としての功績を称えられて国王陛下から授与されたもの。つまりはエリート騎士である。


 黒髪に切れ長の目。整った顔立ちだけど、鮮やかな青い両目が私を冷たく見据えている。


 リアム・トレンゾ。私より五歳上の二十三歳。下級階級の平民の出自ながら、騎士としての特性と実力を認められて一気に位を駆け上がり、爵位も授与された。

 そして彼は私の婚約者でもある。


 だけどリアムの冴え冴えとした冷ややかなまなざし。とても愛しい婚約者を見るものじゃない。通りすがりの人を見る目のほうが遥かに優しいだろう。


 そしてそれは今までの「私」も同じだった。

 

 兄弟の中で唯一の女である私は、優しい両親に甘やかされて育った。人からちやほやされるのは当たり前で、そうでないとすぐに機嫌を悪くするというとてもわがままな少女だった。


 だからリアムが身寄りのない出自なのに特異な能力もあって国から期待されるエリート騎士であることも、爵位を授与してうちより格上になったことも気に入らなかった。

 そして何より無愛想でお世辞なんてかけらも言わない。私を褒めることも持ち上げることもせず、その他大勢と同じ扱いをすることが癪に障った。


 婚約して一年、徹底的にリアムを避けた。あなたが嫌いだとあからさまに態度に出したし、どうしても会わなければいけない時は無視を通した。


 リアムも元から結婚や婚約に興味がなさそうだったこともあり、呼応するように日に日に態度が硬化していった。

 そしてそんなリアムに、冗談じゃないわと「私」はますます怒りを募らせた。


 そう、私はリアムを嫌っていて、リアムもまた私を嫌っているのだ――。


 なんて婚約関係なんだろう……。そして、なんて悪循環……。



「池に落ちたとか。岸辺は滑りやすいから気をつけて」


 私のいるベッドまで近づかず、部屋の中央で止まったリアムはにこりともしない。そして明らかに棒読みである。言われなくても義理でお見舞いにきただけだとわかる。

 おおかた、父が勤める大聖堂の熱心な信徒である騎士団長にでも頼み込まれたのだろう。


 先ほどメイドと一緒に寝室を出て行った母が、ものすごく心配そうな頼み込むような顔をしていたっけ。お願いだからこれ以上失礼な態度をとらないでね、と言いたいのだ。リアムに娘を気に入ってもらいたい親心はわかる。でもねえ……。

 花の細工が施されたヘッドボードにもたれたまま、少しの希望を持ってもう一度リアムに視線をやった。

 途端に彫像のように冷ややかな顔で見返された。刺すような視線とはまさにこのことだ。


 怖い……。これは無理だよ。心配してくれる母には申し訳ないけど、ここまで態度が硬化していたら何を言っても無駄だと思う。まあ今までの「私」の態度のせいなんだけど……。


「婚約しているから義務で来ただけで、別に来たかったわけじゃない。すぐに帰るから」


 その通り、バッサリと斬るような口調には温かみのかけらもない。

 用事は済んだとばかりに早々に背を向けた。大股で寝室を出て行く。

 どうしていいのかわからず、黙って見送るしかない。


 だけど出て行く直前、リアムはいぶかしそうに顔をこちらに向けた。いつもならこんなことを言われて黙っている私ではないから。『あなたなんかにそんなことを言われる筋合いはないわ』と軽蔑した顔で見返したはずだ。

 それなのに今日はえらくおとなしいな、と怪しんだのだろう。


 だけど前世の記憶を取り戻した今、そんなこと言いたいとは思わない。というより今までの自分のせいだとわかっていても、あまりに冷たい言葉を向けられてちょっとびっくりして固まってしまったのだ。

 毛布を握りしめたままひたすら見返すばかりの私に、リアムはさらに怪しそうに眉をひそめて、今度こそ部屋を出て行った。


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