幸運な男
俺は幸運な男だ。もうちょいとガキの頃から自覚はあった。
両親が騙されて事業に失敗し、死んだときも、俺や姉貴たちだけはなんとか逃がしてくれたし、姉弟三人スクラップ置き場でガキなりに働いても飢え死にだけはしなかったし、存在も知らなかった伯父なんてものが現れてくれ、俺たちを仔犬でも拾うように家へと連れて帰ったおかげで、小商いの倅がいまや貴族様ときた。
しかも、俺たからすれば従兄にあたる兄ちゃんが早世しちまったってんで、三人のうちの誰かに後を継げとさ。
そのせいでずいぶん厳しくしごかれた。まあ、そのほとんどは男の俺に集中したんだが、その点だけはマジで評価してる。姉貴たちにゃ手を上げないでいてくれたからな。
外面だけはなんとか見られるようになった頃、出し抜けに連合将士大学なんてところに放り込まれた。アホな俺には苦痛だったね。授業で涼しい顔をしていられたのは、せいぜい数字がらみの科目くらいだった。
ただ、まあ、ガチガチの規則で縛られた生活──寮ぐらしもふくめてな──を除けば、学校なんてものも、それほど悪いもんではなかった。
最初は貴族様の群れんなかなんて冗談じゃねえと思ったが、貴族といってもいろんな奴がいて、なかにはバカな悪さを共有できる奴らもいたし、真に貴族とよんでもいいような、立派な心と態度をもった奴もいた。もちろんクソ野郎も相当いたけどな。
白状すると、それらを引っくるめて、同世代の連中との生活はかなり愉しかった。まあ、楽しみすぎたおかげで、いまもこんな危なげな奴らと、こうして燻っているんだが。
ちょくちょく連絡をとっている姉貴たちが好きにしていいと言ってくれているのだけが、心の慰めさ。本当に感謝してる────
「あっ、おいコラ、チビ隊長! 今なにしやがった!」
机に向かって手紙をしたためていた俺、ボナパルト・コルカド・デ・バングスは、だし抜けに大声を発した。びっくりして目を丸くするちいさな姿に駆けよると、地面に落ちていた釘をひろい上げて、その顔の前に突きつける。
「備品は大切に扱えっていつもいってんだろ? つーか、そこいらに物を捨てるんじゃねェ!」
つめよられたラシュアリア・アウルフロ、通称ラシャは、俺の勢いに気圧されながらも、抵抗を試みて口ごもる。
「だって曲がっちゃったんだもん」
朱にちかい銅の髪をゆらし、懐っこい茶色の瞳でまっすぐにこっちを見上げてくる。彼女の手には、かわりの釘とトンカチが握られていた。
朝から自分の丈にあう床几がないとダダをこね出した彼女は、ないなら自分で作ろうと思いつき、こうしてカチカチやりはじめた。手だの口だのをだすとかえってむくれてしまうので、あえて遠巻きに見守っていたのだが······。
「曲がっちゃったんだもん、じゃねェ。曲がったなら伸ばしてつかえ」
「ムリだよォ、そんなの。どんな指力だよ、それ」
「釘への愛だ! 愛さえあれば出来る!」
「なに言ってんのッ?」
とつぜん無体なことを要求されたラシャは、ちかくで椅子に腰掛け、おなじくその様子をのんびりと眺めていたジュリエッタ・ウィンデスハークの優雅な美脚に抱きついて横暴を訴えはじめた。膝にすりすりまでしている。はたからみると姉に甘える弟──いや、母親に甘える子供にさえ見えるが、それは女同士だから許されるのであって、正直羨ましい。ではない。美女を味方につけようなどとは卑劣な小童だ。
「まぁ、いいじゃない。一本ぐらい」
案の定、肩をもつようなことを言い出した。こいつらは昔っからこうだ。お前はほんわか微笑んでいるが、幼馴染みのお前が甘やかすから、この隊長はわがままが直らないのだ。
ジュリエッタはゆっくりと立ち上がると、腰に抱きつくラシャの頭をよしよししながら、まるで諭すように俺に言う。
「曲がった釘を伸ばすなんて無理よ、万力でもなきゃ。せっかくこのコが自分で頑張ってるんだから、ね?」
俺か? 俺が悪いのか? 一瞬そう思ってもしまう。彼女は自身の長い金髪をさらりとやると、くらくらするような美しい蒼の瞳をもつ目を細めて俺を誘惑し──ではなく、微笑んだ。こちらが美女につよく出られないことを見抜いているぶん、姉替わりの彼女の方がタチが悪い。
「まったく細かいんだよバングスさんは。普段でりかしーがないクセにさ」
「ホントよねぇ。普段はガサツなのにね、バングスさんは」
あえての名字呼び。俺が嫌っているのを知っていてだ。どうやら敵さん、攻勢に転じたつもりらしいな。
物の大切さをわかっていない点でいえば、こいつも同じだ。俺は表情筋をひくつかせながら思った。
このお嬢様の親父さんは、一代で財をきずき、その功績から貴族の称号まで与えられた凄い人物だ。世間──おもに世襲貴族──からは金で地位を買ったと悪評をたてられてもいるが、俺から言わせりゃ、それだって立派な行為だ。必要だから買ったまでなのだ、なにが悪い。
ただ、そんな人でも娘には大甘だ。歳をとってやっともうけた愛娘だからそうもなるんだろうが、そのせいか、こいつは裕福な環境でそだったためにいろんな物に頓着がない。まぁ、だから俺たちみたいな連中とも気心がつうじたし、この騎士隊の支援筋ともうまく折り合いをつけてくれてもいるのだが。彼女の実家が、ウチの一番の支援者なのは言うまでもない。
いや、だからといってここは譲れない。いくら美女が相手でもだ。
「じゃかましいわい! 釘だってなあ、数集めりゃ、鍛えなおして剣にだって出来るんだ。敬意をはらえ、敬意を」
「彼の言うとおりです」
会話にわって入ってきたのはニコラレッティ・カノップスだ。なんだか全身が茶色い、一見にこやかな好青年にみえるこの顧問牧師兼治療士の目的は、間違いなくべつの方向にあるのだが、それはまあいい。今は助かる。おかげでラシャがすこしビクついている。
ニコルは優しく諭すように笑みをひろげ、一歩、ラシャとの間を詰める。あ、ラシャが警戒してジュリの背後に隠れた。
「彼の弁はまさしく至言です。我らが騎士隊は、つねに資金不足にさいなまれているのです。経費削減のためには、壊れるまで使う。壊れてもなおして使う。原型がなくなったら再生してまた使う。つかい倒すのです! 人間と一緒ですよ?」
なにかいま、最後にすごい言葉を吐いたように思ったが、それもまあ、いい。俺は流れにのっかっておくことにした。
「だいたいだ、誰様のおかげで俺たちが神経細かくしてると思ってる。お前らが武器だの防具だのを荒使いしては、しょっちゅう修理に出してくるからじゃねぇか」
ラシャは唇を尖らせて、ジュリエッタの後ろから顔だけのぞかせて抗議した。
「そんなことないもーん。私は私の槍ちゃんを大事に扱ってるもーん」
「ったりめーだ! んな基本のことを言ってるんじゃないんだよ、俺は!」
「どうしたの。何をモメてる」
騎士隊がたむろしている広場へと入ってきたのは、藁色の髪に金の瞳をもつ拳闘士のサキア・ドライアーネと、他称・魔法剣士ことユーティノス・ウエストだ。
いつもと違い露出のすくない余所行きの恰好なのは、まさしく余所行きだったからで、そういえば、次の任務の説明がどうのといっていた。
なぜか隊長のラシャではなく、サクが名指しで呼ばれたことは不思議におもっていたところだ。お供にはユティを指名し、面倒臭そうな顔でひきずるように出ていったが、どうやら説明とやらは済んだようだ。どうでもいいが、コイツら、あの砂漠での任務以来わりと一緒にいることが多いな。気でもあるのか。
いつものように、くだらない揉め事の原因を、くだらなそうに聞いていたサクは、ジュリに負けず劣らずの美顔を、あきれた、といったようにすこしだけ歪めると、俺の手から曲がった釘をひょいとかすめとった。そうしてそれを事もなげにぐにっと直すと、ハイとラシャに手渡して、テントのなかへすたすたと入っていった。
手渡されたラシャは無邪気に喜んでいるが、見守っていた男連中はみな、言葉を失って固まっている。なにをどう食ったら、あんな可愛い顔した万力娘が出来上がるんだ。ふたたびラシャから釘を没収しながら、他にもれず、俺も無言でその背中を見送った。
気を取り直すように、ユティが俺の肩をポンと叩いた。
こいつのことは、まあどうでもいいか。黒毛の黒目野郎だ。普段はあつくるしい鎧をよくつけているくせに、今日は平服だ。腰には柄と刀身のバランスが妙な具合の剣をさげている。あの剣。見てくれはああだが、いいものだ。使い手がイマイチなのがじつにザンネン。
「まあ、もうそのへんで勘弁してやろう。隊長も、さっきので充分わかってくれただろうし」
俺はジロリ、と湿った目線をユティに向けた。薮蛇だったとユティが一歩下がるが、しゃしゃり出てくるからだ。逃がしはしない。
「お前、最近妙に隊長に甘いよな。さては女連中に寝返りやがったな? そんなヤロウには、男社会のキツーイ制裁が待ってると知れよ? ってか、まずサクとのことだよ! お前らいつの間に······いや! まず一回謝れ。とりあえず謝れ」
当然憎らしいしどろもどろの弁解を期待していたのだが、意外なことに、ユティはすこし寂しそうな笑みを浮かべただけだった。
「俺たちはそんなんじゃない。そんなんじゃないんだ」
ユティは提げていた鞄から、そこそこの厚みの資料の束をとりだすと、これが今回の任務だそうだ、とそえてニコルに手渡した。ニコルもそれをパラパラとめくり、神妙な面持ちで目を通していたが、パタンと閉じると声をはり上げた。
「各自、本部テントに集合してください! 今回の任務について討議します!」
チェス盤をかこんでいたマウルとコーネルに、昼間っから赤い顔をして高いびきをかいていたところをたたき起こされたドルマが議場に顔を揃えると、ニコルは依頼の内訳をざっと説明した。だいたいこんな感じだった。
今回の任務とは、ある人物の発見と保護だそうだ。
対象者はソロ・ハイネツガ。ここより北西の地に君臨する大国、ウェラヌスキア出身の、自称革命家らしい。歳は自分達とそう変わらず二十歳前後。ウェラヌス国内で移民者たちを煽動し、叛乱を画策したとがで国から追われる身となった。その仲間たちはほぼ捕まったものの、彼だけがいまだ逃亡を続けているようだ。
「なぁるほど。それで隊長じゃなく、サクにお呼びがかかったって訳か」
腕を組んで話を聴いていた俺は、合点がいったとばかりうなずいてみせた。サクはあれでも魔導興国とうたわれるウェラヌスキアの五師家の一角、ドライアーネの長女だときいている。そのへんの事情で、状況がよりわかる彼女が呼ばれたのだろう。
「本人は魔法、ド下手なのにな」
いった瞬間、右隣からものすごい肘鉄が横っ腹に飛んできた。息を詰まらせながらそちらを向くと、マウルことマルグリート・スパクスが、鋭い目つきでこちらを睨んでいる。おれが素直に謝ると、サクはいいんだ、と首をふって話を戻すようにうながした。
「しかし、ウェラヌスは移民なんて受け入れてたんだな」
意外だというようにコーネルがつぶやいた。隊ではいちばん俺と気があうヤツで、よくツルんで馬鹿をやっては一緒に怒られる仲だ。ゆわえた長髪に魔法士風のコートと、スカした恰好をしている。
その質問ともいえない問いには、サクの代わりに、大あくびをひとつした坊主頭のドルマ・ディゲイロが答えた。
「ウェラヌスキアはガチガチの権威主義だからな。権威にウルサイ連中ってェのは、つまり外面を大事にするわけさ。薄っぺらなノヴレス・オブ・リージュってワケだ」
まあ、人づてに聞いた話だがね、とドルマは肩をすくめてみせ、謙虚にもそこで口をつくんだ。それを受け、彼の言葉を裏付けるように、サクはひとつうなずいてみせた。
「確かにそんな一面もある。でも、本当の理由はもっと単純で、実利的なことなの。
みんなも知ってのとおり、ウェラヌスでは魔法が全て。あらゆる価値基準の頂点にある。これは言葉どおりの意味で徹底していること。移民だろうが難民だろうが、魔法の腕がたてばよい待遇が得られるし、そうでなければ貴族だろうと軽視される。移民を積極的にうけ入れる理由は、稀にあらわれる天才的な魔導センスをもつ子供をすくい上げ、権力者側にとりこむため」
魔法はもって生まれた天性が全てだから、とサクは話を結んだ。そこでチラリと、一瞬だけ彼女がユティのほうを見た気がした。うかがってみると、ユティのほうもなんだか妙に複雑そうな表情を浮かべている。
「なんだよ、アイツら。ホントになにかあったのか?」
小声で隣のマウルにたずねると、さっきよりも怖い顔で睨みかえされた。俺は思わず身を引いて眉根をよせた。まったく、何だってんだ? いったい。
「それだけに、魔法の出来ない移民・難民の末路は、推して知るべし、だな」
ドルマが皮肉じみた笑みを浮かべた。歳が三十路いってるだけあって、見た目も行動もオッサンなこの魔導士は、ときに皆が言いにくいようなことをズバッと口にする。ただ、そういう格好のいいことをされるとみょうに反抗したくなるな。
「何で、んなことがわかるんだよ?」
俺が口をはさむと、ドルマはまた肩をすくめやがった。
「さっき万力姐ちゃんも言ったろう? 魔法は才能だって。そして皆がみな、才能もちってワケじゃねェさ。むしろ、そんな連中がほとんどだろうぜ。なんせヨソからきた連中なんだからな」
「奴隷よ」
サクがぽつりと、だが冷たい声音にのせてつぶやいた。
「そういう立場の弱い人たちは、保護民という名の奴隷。国籍も認められなければ、国内を自由に移動も出来ない。集められている居留地で細々と自活していくしかない。国を出ることは止められていないけれど、見つかれば捕らえられる。そうでなくても、戦獸製造の実験があった翌日に、人が何人も消えていることも珍しくない」
「なっ!」
椅子を倒さんばかりの勢いで俺は立ち上がると、一瞬だけ、サクに怒りの表情をむけた。いや、ほんとうに一瞬だけだ。すぐに思いなおして、またドスンと席に戻ったし、判っている。べつにサクがしていることではないのだ。彼女ではなく、生まれた国が悪いのだ。
「もうひとつ、考えるべき点がありますよ」
場の空気をあらためるように、ニコルが口を開いた。
「ここには、依頼はミリニアの外交局から、となっていますが、彼らが内々にそえてくれたメモによると、どうやら本当の依頼主は、セレスフィアのようです」
みなの視線がいっせいに、ニコルの右隣に座るラシャへと向けられた。国の名が出たとたん、彼女も表情を一変させた。まるで戦に向かうときのような、勇ましくも緊張した面持ちで、ぎゅっと膝の上においた小さな拳を握りしめている。
「え? でもちょっと、ちょっと待って?」マウルが拍子の抜けたような声をだした。
「え? だってセレスフィアって、たしかウェラヌスキアとは同盟国のはずでしょ? なのになんでウェラヌスの重犯罪者を保護しろだなんて言うわけ?」
確かにマウルのいうとおりだった。
そもそも、この大陸においては、剣術と魔術こそが乱世の二大戦術であるといわれている。
魔術はいうまでもなくウェラヌスキア。そしてもうひとつの、剣術をおもんじる国こそが、世界の法を司るとされ、騎士の誇りが治める国、セレスフィアだ。
その歴史あるふたつの貴族国家の同盟があってこそ、他の国が生まれたといっても過言ではなく、両術が双璧をなすとうたわれる由縁であり、ついでにいえば、ユティのような魔法剣士が最強の戦士であると流布される原因でもあった。
「もう一歩、深読みするならば、ウェラヌス側から打診をうけたセレスフィアが、ミリニアに依頼をよこした、というところかもしれません。ミリニアは、元をたどればセレ国貴族らの荘園から成り立った国ですから」
「じゃあ何か? 今回の件にゃ、ウチと因縁のある国がふたつもからんでるってことなのか···」
誰も俺の問いにこたえる者はいなかった。全員が、おそらく同じような不安を感じて押し黙ったまま、しばしの時を過ごした。
ほんとうにこの依頼をうけて大丈夫なのか。かりに受けたとして、その革命家なるものを捕らえたとしても、引き渡せばまず殺される。そんな任務に意義などあるのか。げんにミリニアは、こっそりと忠告までしてくれている。
「受けよう」
静謐をやぶって、ラシャはきっぱりと言った。
「そのヒトを引き渡すかどうかはともかく、接触だけはしてみようよ。ボクはそれがいいと思う」
「······そうですね。これらがなんらかの罠である可能性も否めませんが、ことが政道がらみなだけ厄介です。断わればミリニア側にも角がたつかもしれません。なんだかんだお世話になっていますしね」
ニコルも思案げにゆっくりとうなずいた。
一同は銘々に賛同の意思をしめした。
かくしてアミュレット騎士隊は、この雲をつかむような捜索へとのりだした。この任務には、かなりの困難と時間の空費が予想された。なにせ、手がかりが皆無といってもよいような話である。
わかっているのは、捜索対象の名前と歳。そして叛乱を主導したということくらいだ。なにを探すにせよ、そのものの性質を知ることは、かなりの助けとなるはずだが、今回はそれさえも乏しい。そもそも、この任務自体の真偽さえ判然としていない。
ミリニアに入ったまでは足どりがつかめている。ただ、それから西へ行ったか東へ行ったか、そもそもまだ、この国にいるのか。追われていると気づかれれば、当然また姿をくらませてしまうだろう。居場所を突き止めたと思ったら、ヒョイとべつの国に逃げられてしまうことだってありえる。
ただ、これに関しては、さして問題はないのでは、とニコルはいった。
「ようはミリニア国内にいるかどうかがわかればいいのです。任務失敗の不名誉と資金の損失はやむを得ませんがね」
「むしろウチにゃ、そっちに転ぶほうがいいかもな」
ドルマも口を添えた。なにが面白いのかあごをさすりながらニヤニヤと笑っている。
「このさい、地味にこの国から追いたてるってのはどうだよ。いうなりゃ、俺たちはオマケだろうしな。公にできねェような影の連中も、どうせソイツのあとを追って動いてるさ。迷惑な連中にゃ、そろって退場いただけりゃあミリニア側も万々歳だ。ひとつ貸しをつくれるかもしれないぜ?」
「なるほど······一理ありますね」
ニコルも感心した、という風にうなずいている。俺はなにやら寒気をおぼえる心持ちで返した。
「お前ら、あんま仲良くしないほうがいいな」
とりあえず騎士隊は隊を五つに分けることにした。まずは中央にニコルが陣取り、全隊への連絡も兼ねることにした。どうしても行くとダダをこねたラシャは、もっとも可能性の高そうな南へサクとともに向かわせ、東をユティとジュリエッタが、西をコーネルとドルマがうけもつことに決まった。
「何でまた、私がアンタと一緒なのよ」
めでたく北の担当となったマウルはいきなり不満を口にした。いつの頃からか伸ばしはじめたらしい栗色の髪を肩からはらい、黒目がちの目をすがめてみせる。
普段どおり、派手すぎない色のチュニックに体型のでるズボン。腰には、武具用薬品から非常食までさまざまなものが小分けにされたいくつものポケットのついた太めのペルトに、足下は狩人の好む消音性にすぐれたブーツ。左肩に当てのついた軽金属のプレートで急所をかため、両膝にも革のガードをつけ、右肩からは弓と矢筒のつまった荷を背負って武装している。
それを受けて、隣をあるく俺も負けじと嘆息する。
「しゃあねェだろ、余っちまったんだから」
あれから二日。準備をおえたふたりは、北へと探索の足を延ばさんとしていた。俺も嫌々ながら、動きやすいチュニックにズボン、足に馴染んだミニブーツ。肩におなじく弓矢を負い、右腕には愛用の小盾をつけた。
ところがだ。本部を出るなりこれである。どうでもいいが、よく文句を垂れるやつだ。
「だいたいなんでこの組み合わせなのよ。それに私が余るってどういうこと?」
マウルはこう言うが、この人員の配置はなかなか妙を得ていると俺は思っている。たった九人でこのひろい国内をカバーするのだから、最少人数になるのは仕方がない。
いちばん欠くことのできない隊長は、もっともウェラヌスの空気を知っていて、いざというとき大戦力になるサクと組ませた。
つぎに欠くことのできないジュリエッタは、やはり前で身体をはれるユティに託す。これがドルマならべつの意味で心配だが、ユティならまず大丈夫だろう。そういう方面ではてんでヘタレだ。
コイツがどうこうされるとも思えないが、おなじ理由でマウルとドルマのペアもペケ。コーネルとドルマは魔術士同士のくせに微妙な距離をとっている。このさい組ませてみるのも、今後のためにはいいだろう。
で、結論としてこうなるわけだ。問題なのは、その結論の部分だ。
「けっして余ったもの同士で組ませたわけではないですよ」
ふたりでそろって文句を言うと、ニコルはじつにいい笑みをひろげてこう言いやがった。
「北は一見、もっとも見込みがなさそうにみえますが、もし出遇えればもっとも捕まえられる可能性がたかいと私は思います。なにせ地勢的に国境が近い。ウェラヌスが手ぐすねを引いているはずですから、それだけ行動も縛られやすいでしょう。それに、かの国で叛乱を画策するような人間です。そうとう図太い神経の持ち主で、ひょっとすると灯台もと暗し、ということもありえますしね」
隊のなかでもっとも目端がきくのは貴方たちふたりですし、それに獲物を追うのも得意でしょう? そういってニコルはまた笑った。
今度本気で、コイツの嫌がるネタを探りだしてやろうかと一瞬思ったが、かえって喜ぶかもしれないのでやめた。
「だったらアタシとジュリだっていいじゃん。アンタだってジュリと組めたらウレシイでしょ?」
ははあ。俺はやっと、マウルのいわんとしているところにピンときた。それと同時にあきれた。もちろん、その甘言にはおおいに同調するが。
「おまえの頭ん中にゃソレしかないのか」
「だって大事よ? そういうコトは。私たちいまが華なのよ? なのに、いつ死んでもおかしくないのよ?」
そりゃ、まぁなと俺も口ごもる。そうはっきり言われると、すこし焦りを覚えなくもない。
「なのにユティとジュリだなんて······」
そうつづけて、マウルはまだ何事か口のなかでつぶやいた。しかし驚いた。自分の知らない間に、いつしか隊はお花畑になっていたらしい。
「大丈夫だろ、ユティは。このまえ呑んだとき、まえの仕事でもお嬢様の護衛をやってたって聞いたぞ」
時間より遅れてきた待合馬車に席をしめながら俺は返した。マウルもまだブツブツいいながら乗ってきて、向かいに座った。
「だって、あのジュリよ? 誰がどう見たって隊イチの美人が相手なのよ?」
だから余計に大丈夫なんだろう。相手が美人であるほど、緊張して距離をとる奴だよユティは。
俺は心中でそう思ったが、素直に奴のフォローをするのは、なんだか面白くないので、とりあえず口にはださない。
「いや、相手が美人過ぎるとかえって声かけにくいもんだぞ、男って」
「······ふーん。そういうモン? でもユティにその気がなくても、ジュリに誘われたらついフラフラと」
「それこそねェ」
俺は座席の背にもたれながら鼻で嗤った。
たしかにジュリエッタは美人だし、見てくれは雰囲気をもってる。だが、あれは幼い頃から誉められ慣れをしているからであって、俺からみれば、そっち方面は、ヘタするとラシャともたいして変わらないんじゃないかとさえ思える。むしろ気になるのはサクとユティなんだが······まあ。それもあえていま口にすることではないな。
「まったく困っちまうよなァ。ウチの隊の女どもは美人が多くてよ」
隊長をのぞいてな、と俺はすこしの茶目っ気をきかせた。満更でもなさそうに静かになったマウルに、コイツ、案外チョロいんだなとか思いながら、俺は過ぎゆく街並みに目をうつした。
ふん。まぁいい。ちっとは気も紛れたし、良しとしよう。
ニコルのいうとおり、北方面への探索はおもいのほか楽であった。なにしろ相手が逃亡犯である以上、より潜伏場所に気を遣わなければならないこちらの方面は、おのずと探索範囲が絞りこまれる。くわえて、マウルは幼少の頃から鍛え上げてきた天性の狩人である。獲物の足跡を追うことにかけてはめっぽうハナがきいた。
俺たちはあちらのふき溜まり、こちらの酒場と、めぼしい場所を片っ端からあたりながら、やがてウェラヌスキアとミリニアの北国境地域までやってきていた。
ここで、またしても俺の幸運が追い風をふかせてくれた。ある有力な情報をつかんだのだ。
いわく、この町のとある宿で、ひとりの客がずいぶん派手に遊んでいる。その男が、どうやらウェラヌス訛りで話すらしい、と。
話をきいた肉屋の親父の道案内は、非常に細に入っていた。おかげで、その宿は道なりにくるとなんなく見つかった。それが、いま目の前にそびえる建物なのだが──俺はその扉口でたたらを踏んだ。
「···オイ、ホントにここに入るのか」
あきらかにそれっぽい恰好の、襟ぐりのおおきく開いた鮮やかな色の服を着た女に目を奪われながらも、俺はチラリと横をうかがった。マウルはまるで怒ったような顔で店の看板を睨みつけている。
いつかは入ってみたいと、正直何度も思ったことはある。あるが、色気もヘッタクレもない用件で、しかもよりによってコイツと入ることになろうとは······。
そこは一階が酒場、二階と三階が宿となっている建物で、いわゆる、男女がより仲良くなっちまうための店だった。
こういう荒くれのおおい町ではかならず一軒はあるような店だが、よくみると、素人っぽいカップルもちらほらと混じっており、仲良さげに腕をくんで店に入っていく。
「しょうがないじゃん、任務よ任務!」
まるでこちらの胸中をさっしたかのようにそういい、俺の腕をつかむと、ズンズンと店内へ突入した。こういうときは、いざとなりゃ女のほうが肝が据わるのだろうかと俺は少々気圧されながらも、引きずられるままに従った。
入るさい、チラッとだけうかがってみた。相変わらずむすっとした面はくずさぬままだが、頬のあたりにほんのりと朱が差しているあたり、コイツも俺もまだまだなんだなと、どうでもいいことを思った。
店口のアーチをくぐると、なかはどこか一枚、歯車が飛んでいるかのような賑やかさであった。客の入りもよく、なかなかどうして、この宿は食事処としてもけっこう評判がいいのかもしれない。
味に自信があるのなら、ちょっと試してみたい。俺がそう提案すると、マウルも周囲を見渡して、そうね、とうなずいた。
俺たちはカウンターにいくと、各々よさそうなものを注文し、戸口にちかく、それでいて奥まった席を選んで腰を落ち着けた。ここならばひと通り店内を見渡せる。
しばらく待つと、ウェイトレスがふたり分の盆を運んできた。なるほど、これは美味い。雇っている料理人の腕がいいのだろう。これだけでもじゅうぶん通い客がつきそうだ。
ふたりは満足いく食事にありつきながら、はなやぐ客に注意深く視線を走らせた。
そうしているうちに、ひとりの男に眼がとまった。
ちょうど俺たちの席とは反対の、やや奥まったところ。おおくの客や流しの演奏家までもが加わって、ひときわ賑やかな一団の中心で、いまたからかに杯をかかげた男だ。大声でたいそう騒いでいるが、店の中もうるさくて、さすがにここまで声は届いてこない。
ふたりは眼で合図を交わすと、マウルは手ぶらで、俺はくすねた酒の小瓶を片手に、その大騒ぎに興味をもって近づくほろ酔い加減の客をよそおって、とりまきの輪のなかにまぎれた。
情報どおり歳は二十歳そこそこ。日に焼けた浅黒い肌に黒い髪、うす緑の瞳。土色のシャツのうえから黒の上着をはおり、下は緋色のズボンにブーツをはいている。乱雑なテーブルの上には、彼のものだろうか、黒い鍔広の帽子がおかれていた。
多少ニヤケ気味だが、きりりとした眉の好男子で、女ウケの良さそうな部類にはいるだろう。
この大陸の言語も、とうぜん国によって違いがある。全土の共通語としては、おおくの場合セレスフィアのセイレム語がもちいられ、それが基ともなっている。その伝播とともに、各国、あるいは地方ごとにすこしずつ変遷していき、独自の言語がもちいられるようになった。
そのなかでももっとも歴史があるのはウェラヌスキアのウラヌ語だが、セイレム語のほうがききとり易く明快で、品もあるので、そちらのほうが現在もひろく使われている。
なにが言いたいのかというと、つまり、ウラヌ語には独自の言い回しがおおく、その特徴は、多国語を話してはいても端々にあらわれやすい、ということだ。
ちなみに、多国籍集団であるアミュレ騎士隊では、すでに言語が混沌化している。そもそも生粋なセレスフィア人であるラシャ本人がスラングを平気で使うので、隊員たちもとっくに慣れてしまっていた。もはやどこの国の言葉がどう混じっているのかも判然としない、隠語めいたものとなってきている。このことは、後から入ったドルマも驚いたほどで、見識のひろい彼だからこそすんなり馴染めたのだろう。
もっとも、それじたいは決して悪いことではない。騎士隊員だけにしか通じない言葉があれば、有事の際、大声で会話をしても敵に悟られる心配がぐっと減る。
話をもどそう。よく耳をそばだててみると、恰好こそこの国のこしらえに染まってはいるが、たしかに、言葉の端々にときおりサクがポロリとこぼすのとおなじ言い回しが聴いてとれた。
どうやら当たりのようだ。苦労したかいがあった。だがよりによって北方面、それも国境付近に居座っていようとは。ニコルの予見どおり、よほど図太い性質をしているのかもしれん。
俺は逡巡して、さりげないふうをして、なんとか男の隣へ寄せられないかと一歩踏み出した。
とたん、かすかな力で袖が引かれ俺は踏みとどまった。マウルがいつのまにか背後に身をよせて来ていて、小声で囁いてきた。一瞬なんだかよい香りがして、俺はうかつにも血迷っちまった。
「っと···? ねェ、聴いてんの?」
あわてて意識を戻す。危ない危ない。まさかの奇襲で不覚にもコイツにドギマギしてしまった。どうも俺までもが店の雰囲気に毒されちまってたらしい。
「背後にひとり、左右にもひとりずつ。おかしな連中がいる」
いわれて反射的にふり返ろうとして、なんとか踏みとどまる。マウルがとっさに、身体ごとぶつかって抑えてくれて助かった。
「三人か? 追手か?」
「わからない。ただ、あきらかに客の流れに溯行して動いてる」
つまりその三人だけが、全体的に見ても、不自然にあの男との間をつめる動きをしているわけだ。大勢の客の流れのかなから、しかもタイミングをはかりながらゆっくりと動くものを見出だすのは至難の業といえる。彼女の鋭い観察眼があっての芸当だけに、信頼度はたかい。
「わかった。とにかく、こっからアイツを連れだそう」
任せとけ。そういって、俺はもっていた酒を一気にあおって半分ほど空けると、もう遠慮もなしに人の波を押しのけて、ドカリと男の隣へ腰を下ろした。
「よォ! ご機嫌だな兄弟!」
男ははじめ、胡乱な目つきで俺を眺めていたが、俺が奴のジョッキに酒をドバドバ注ぐと、すぐにノリよく乾杯を返してきた。ふたりで杯をあわせると、お互い一気に中身を呑み干し、おなじ間で酒臭い息をはいた。
「アンタ、ソロ・ハイネツガさんかい?」
酒の勢いでさも机に突っ伏すようなフリをしながら、俺は小声で野郎にたずねかけた。
「そォだが、そォれがどしたァ?」
自らをソロだと認めた男は、声を殺すこともなくそう応え、酔眼を俺に向けてきやがった。こいつはいけない、どうやらそうとうに聞し召しているようだ。それでも俺は辛抱づよくいってきかせた。
「すぐにここを出るぞ、追手がいる」
「なぁに、バカなこと言ってんだあ! こ~んなご機嫌なところ生涯出るかってんだ!」
ソロはもう一杯空けると、カラになったその杯をかかげ、声を張り上げた。
「そォだろ、みんなァ!」
ウォーッとばかりに客が沸いた。どうしたもんかとマウルの方をちらと見ると、いまにも噛みつきそうな顔で、首をちょん切る手振りを返してよこした。
仕方ない。
「なにを! この野郎ォ!」
俺はいきなり怒りだすと、ソロの胸ぐらをつかんで腰を起こさせ、殴り倒してやった。それをみて、取り巻いていた客はさらに沸き立ち、興奮した。殴り倒されたソロも床で大の字になりながらも、口元を愉快そうに歪める。
「面白ェ! 闘るかァ?」
身軽にも尻をつかずに宙返りで起き上がると、いっさんに俺へとつかみかかってきた。観衆の興奮が頂点に達したところで、マウルが人陰からまえのオヤジをつき飛ばしてきっかけを与えると、その些細な小突きあいから殴り合いがはじまり、店内は大騒乱となった。
そんな混乱の中、俺はもう一度ソロを殴り倒すと、そばにいた店の女に裏口はあるかとたずねた。女がその方向を指すと、野郎の重たい身体をひきずって店から運びだす。気を利かせたマウルが、テーブルから帽子といくばくかの荷を拾い上げ、後に続いた。
追手の陰を気にしつつ、ふたりで酔っぱらい野郎を助け起こして、しゃにむに裏路地を逃げ回った。そうして土地勘のないなか苦しみながらも、どうにか店からはなれ、充分な距離がとれただろうところで、俺たちはこのお荷物を石塀のまえに放りだした。
「ええい、重てェなこんちしょう!」
俺はやっと解放された左肩をぐるぐると回し、塀によっかかって座りこむソロを見おろした。
だらしなく地面に四肢をなげ出し、石塀を枕がわりにしていたソロは、最初眠っているのかと思えたが、とつぜん愉快そうに笑いだした。
いかん、打ちどころが悪かったか? そう思ってギクリとしていると、まるで発作のような笑い声の最後の一息をはきおえたソロは、溜め息まじりの声でいった。
「愉しいなァ、この国はよォ。逃げてくんならよォ、ご先祖もこっちの国にすりゃよかったのによォ」
なにを言ってるんだコイツは。俺とマウルはおたがいに顔を見合わせ解答を求めあった。
「お宅らが何者かはしらねェが、まあ聞けよ。俺はよ、ウェラヌスキアの難民居留地の出でよォ。ホント、あすこは最悪だったぜ。とても文明的な生活なんて言えたもんじゃねェ。おまけに人として扱ってさえもらえねえんだ。俺だってれっきとしたウェラヌス生まれの民なんだぜ?
ある日そんなことを愚痴ったらよォ、仲間たちもそうだそうだと賛成してくれてよォ。んじゃあってんで、みなで居留地のお偉いさんにかけあったのさ。そうしたら連中、話すクチも聞く耳ももってねェようなツラして仲間を棒っきれでブチのめしやがった。
俺ァブチ切れたね。あんまり頭に来たんで、仲間と一緒にとって返してよォ、管主の屋敷を襲って野郎を踏ん縛ってやった。
俺たちは有頂天だった。ほかの居留地からどんどん仲間も集まってくるし、一時はよォ、ホントにこのまま俺達の国をもてるんじゃないか、なんて夢までみたのさ。
でもある日、いきなりだ。突然俺たちの夢は終わりを告げた。クソッタレ共は自分達で手を汚すことさえせず、戦獣部隊をさし向けてきやがった。そうしたらどうだ」
ソロはゆがんだ笑みをみせる。
「一夜にして俺の仲間たちはズタズタに食い散らかされて死んだ。まるでうってつけの生餌さ」
そういってまた大声で笑いだした。
「この野郎!」
俺はソロの胸ぐらをつかんで、力一杯地面に投げとばした。
「それでテメェは、ひとりで酒と女に溺れてたってのか! てめェが生きていられるのは誰のおかげだ!
てめェの仲間たちが命はって逃がしてくれたくれたからじゃねぇのか? それをテメェ────」
「だからだよクソッタレ!」
突然ソロは、力の限りで石畳を叩きつけた。
「アイツらは、こんな愉しい国があることも、美味い酒があることも、なにも考えずバカ騒ぎすることも出来ずに死んでいったんだ!
せめて俺がそれをしてやってなにが悪い! こんな世界もあったんだと教えてやってなにが悪い! 俺の魂のなかには、まだ連中の叫びが生きてんだ!
俺の身体をつかってアイツらが慰められるなら安いもんだぜ!」
そっと、俺の肩にマウルの手がおかれた。ふりかえると、そこにはなだめるような顔があった。
「もういいよ、ボナ。ちゃんと傷ついてるんだよ、コイツも」
俺は握っていた拳をおろした。ソロは口許のあたりを拭いながらノロノロと立ち上がった。
「へ···たくよォ。人様のことをさんざん殴り倒したあげく、余計なことまで叫ばせやがって。後ろのキュートなガールが止めてなきゃ、今頃ブッ放してたところだぜ」
そういって、じつに自然な動作で。俺へ向けて右腕を突きだしていた。あまりにも滑らかな動きゆえ、そうされるまでさしもの俺もまったく反応することが出来なかったほどだ。俺の肩におかれたマウルの手が緊張で固まるのがわかった。
「こんなふうにな」
「な······」
ソロの右手にはなんらかの道具が握られていた。まるで刀のように総身をつつむ金属が、陽を照りかえしてギラリと光った。あきらかに武器の類いだ。ただ、マウルも、道具関係にめっぽう自信をもつ俺をしても、はじめてお目にかかる代物だった。
ソロは間合いをつめる素振りをみせない。とすれば、弓のように遠距離を苦としない飛び道具の類いか。俺はそうアタリをつけた。
俺の邪魔にならぬよう、そしてソロを刺激しないように注意しながら、マウルがゆっくりと手をおさめると、そっと俺達から距離をとった。ソロはとくに咎めたてる気配をみせずそれを見送っている。
マウルは隙あらば援護しようとしてくれているらしいが、あいにく弓矢はくるんだ荷のなかに隠してある。それは俺も同じだった。
くそっ、抜かった。せめてマウルには武装させとくんだった。
そんな気持ちを押し隠しながら、俺は必死で周囲に目をくばった。だが現状では、どうやら頼りになりそうなものは、いつもの癖であの店から持ってきてしまった、この酒の小瓶くらいか。
「へッ、そんなモンでどーしようってんだ? ええ?」
ソロは嘲るように嗤った。
「どうやら見たことがねェようだな。コイツはエギーユって得物さ。っても、俺も管主の野郎からガメたんだがよ。なんでもとある組織が暗殺用に生み出した武器とかで、表舞台にゃまず登場しねぇ。だがコイツはスゲェぜ?
弓以上の速度と威力で、鉄の矢を撃ち出すことができるうえに、二連発ときた。ま、とうぜん俺にゃ一発で充分だが?」
自慢の得物の紹介を終えると、ソロはニヤニヤ笑いを ピタリと消し、しずかに筒口を俺に定めた。
「······良かったわねボナ。コイツ、アンタとおなじニオイがするわよ。話が合いそうじゃないのさ」
「······そうかもな。テメェがその機械の的になってなきゃの話だがよ」
「覚悟しなッ!」
カッとソロの眼つきが変わる。ままよと意を決めるまもなく、俺はソロが引き金をひくと同時に小瓶を思いきり投げつけた。
「ボナッ!」
マウルの叫びを、想像以上の金属音が掻き消した。
──が、つぎの瞬間。人の倒れる気配がしたのは、彼女の背後からだった。マウルが驚いて振り返ると、いつのまに間をつめていたのか、怪しげな白覆面をつけた男がひとり、うつ伏せに血を流して倒れていた。
「うォォォラァ!」
マウルが異常に気づいたのとほぼ同じく、俺は走り出していた。勢いそのままにソロの横をすり抜けると、その背後、不意の投擲をくって鼻白んでいるもうひとりの白覆面に体当たりをかました。相手が倒れたところへもう一発、みぞおちにしたたかな一撃を食らわせる。覆面男は呼吸を荒げ、なんとか立ち上がったものの、形勢悪しとみたか迷わず踵をかえした。
俺は即座にとってかえすと、背中をみせているソロの背後にまわり自分もくるりと背を預けた。
「尾けられやがったな、このマヌケ! 助ける気があんならキチンと撒いてこい!」
「ウルセェ! てめェが大酒呑んで腰砕けになってたせいで追いつかれたんだろうが!」
接近がばれたことで身を隠す必要がなくなったか、覆面男たちはいっせいに姿をあらわした。みな、一様に全身を白の装束でかまとめている。ざっと十人はいるだろうか。建物の屋上にまでいる。頭上を抑えられたあげく、三人は完全に取り囲まれてしまった。
「マウル!」
こっちが弓をとり出す隙を援護すべく、飛び道具をもつ野郎を優先して、三人たて続けに射落とした彼女に、俺は叫びかける。
「虎の皮を叩く! 頼んだぜッ!」
「え? ······でもアンタたちはッ?」
「いいからやれ! こっちは俺たちで何とかする!」
俺は弓をとりだし矢をつがえた。
「なんだよ、虎の皮だ? すっとんきょうなセリフ吐きやがって!」
こちらを狙って飛んできた矢を右腕の小盾で防ぐと、つぎの瞬間にはもう、俺の一矢は、その矢本にいた男を逆に射落としていた。
間髪入れずに疾風のごとく放たれたもう一矢は、いましもナイフを放とうとしていた男の右腕に突きたたる。命中距離と精度じゃマウルには敵わないが、速撃ちなら、隊のなかで俺の右にでるやつなんかいない。
勢いついでに虎の皮云々について説明しとくか。これはげんざい、アミュレ騎士隊のなかで流行っている表現のひとつだ。いわゆるブームってやつだ。
その由来は、大昔、西北の強国カドヴァリスの将軍が、虎の皮をたたくという奇天烈な行為で、敵軍の注意を自軍の伝令からそらしたという逸話からきているらしい。
「ほっとけ! てめェの命を護ることだけに集中してろ!」
「へいへい、後でゆっくり聴かせてもらうことにするさ」
一夜明けた。あれから嵐のような追跡の手をなんとかまいたマウルは、国境州の州都に身を潜めていた。ここならば、人混みにまぎれてしまえばどうとでもなる。
これで自分の方はまだいいとして、白覆面たちの標的と一緒なボナパルトが気がかりだ。とにかく、一刻もはやく本部のニコルにつなぎをとらなければなるまい。かりに応援をあおぐにしても、各々があちこちへと散らばってしまっている現状では、とてもヨシすぐにというわけにもいかない。これからは時間との勝負となる。
三人のなかで、自分だけがはぐれたのは相手方も承知している。となれば、味方となんらかの連絡をとるであろうことは読まれているだろう。
この国でもっともはやい通信手段といえば、さいきん急速に普及しつつある、電信、という仕組みだった。自分にはなんだかチンプンカンプンだが、なんでも電気をつかってその放射の長さの加減を言語に置き換えるものだとは、ボナパルトが教えてくれたことだ。この技術ならば一日といわず、ものの半刻で本部に情報を届けることが出来るだろう。
ただし問題もある。さっきものべたように、この技術はまだまだ発展途上の、新鋭中の新鋭の技術だ。もしも相手が国家レペルの集団なら、なんらかの方法で盗み聞きされてしまうこともあるだろうし、さいあく電信線を切られてしまえばお手上げとなる。しかも扱っている施設がきわめて少なく、こんな州都クラスの街でさえ三軒あるかないかだ。とうぜんそこには見張りがたてられているだろう。
だからマウルは、べつの手段を講じることにした。昔ながらの方法、椋鳩便である。
これならぱ、この街にもあつかう店は多数にあり、どこに翔んだのかアシもつきにくいはずだ。電信よりは速度は劣るが、信頼性でいえばそうひけをとるものではない。
マウルは潜伏先の宿をでると、注意ぶかく道を選びながら、一軒の鳩便店へ入った。
店は建物の三階にあった。なかには客のまち合い席と、むこうでクルックと思いのほかおとなしい鳩たちの入った、巨大な木製の檻。そしてそのふたつをへだてるように、まるで銀行のような頑丈な柵のついた窓口があった。
客は窓口のカウンターで、専用のちいさな紙切れに文字をしたため、それをうけとった店の者が、雨に降られても安心なようになめした革でまいて金属製の小筒にいれ、しっかりとベルトで鳩の脚に固定してくれる。あとは反対側にある個別の木蓋をあげれば、おのおの定められた目的地へと、鳩たちが手紙を届けてくれるというわけだ。
「運賃のほか、鳩の欠損補償の仮払いをお願いします」
窓口の、やせた若い女店員が淡々とつげた。マウルは口中でむぅ、とうなって、残金から何羽を雇うか逡巡した。
当然といえば当然なのだが、伝書鳩一羽を育てるには、それなりの時間も金もかかっている。
鳩たちにもきちんとした序列があり、より速く、より長く、なにより、より賢いほどに重用された。有名店のエースともなれば、運賃の三倍以上の補償費をもとめられることもざらである。
この点が、電信技術との価格差をうみ、その台頭をゆるす要因となっているのだが、裏を返せば、職業人としての鳩と調教師たちにたいする信頼性のあらわれであるともいえる。
ここから国都ミレニアスまではかなりの距離がある。しかも事がことなだけにだし渋っている場合でもない。マウルはエース級の一羽と、準エース級の二羽を雇い、本部までの手紙を託すことにした。
これで、あとは本部からの報せを待つだけである。それまでは追手から身を隠し、可能ならば、なんとかボナパルトたちと合流をはからねばならない。
マウルはふたたび帽子とスカーフで面をかくし、店をあとにした。
おおきく咳き込みながら、俺は不覚にも飲んでしまった水を吐き出そうと努めた。
そろそろ夕闇がせまる頃、みなが食卓とひとときの安らぎを求めて、寝床のまつ家路へとつく時分だ。まったくとんでもない目にあった。
さすがにああ囲まれてしまっては、脱出は至難の業だった。おまけにソロが好き勝手に先を急ぐものだから、とても先導どころではない。けっきょくは奴のいきたいように行かせて、自分は追手を撃つことに専念するよりほかになかった。その結果が橋のうえからの高飛び込みというかたちとなり、ふたりして川底を蛙のように泳いで、やっとのことで岸にうちあげられたのだった。
「ホラよ、食うか?」
いやー、さすがにしんどかったな、などと悪びれもなく言いながら、ソロは懐から乾パンのような携帯食をさしだしてきた。俺は恨めしそうにソロを睨み付けると、よこせ、とばかりにそれをひったくった。とうぜんながら完全に湿っている。
「えめェな、好ひ勝手動ふんひゃねェよ。······おかげですっかり州都から外れっちまったじゃねーか」
口内のモノを飲みくだしながらそういうと、ソロは肩をすくめてみせた。
「仕方ないだらう? 俺は逃げられる方へ逃げてきただけさ。文句ならあの白兜どもにいってくれや」
フン、と俺は鼻をならしてやった。
「そのわりにゃ、それなりの見当があって道をよってたようにみえたぜ」
まぁな、とソロはニヤリと笑った。
「俺がこの国にきたのは偶然じゃねェ。俺なりにちゃんと目的があってのことさ。正直、お前らか何モンで、俺をどうしたいのかもまだわかんねーが、せっかくここまで来たんだ。もうすこし付き合ってくれや」
「──どこに行こうってんだ」
あすこさ。そういってソロは、河岸のむこう、夕闇に不可思議な光をたたえる町の一角をさした。どこかこの国のものとはちがう、異界めいた色合いをしている灯りだった。
「どうする? あすこなら、いちおう身を潜めることも出来るだろうぜ」
どうするもこうするもあるか。俺は溜め息をつくと、おもい腰をあげ、さっきほうり出した荷を担ぎなおした。
ソロが隠れ場所にしめしたのは、ウェラヌスキア出身者の集う移民街であった。
ミリニアは新興の国だ。そのうえもとが入植者たちによって切り拓かれた国である。各国から志をもって、あるいは難を逃れてくる者たちにたいしては、六国中もっとも寛容であると思ってよいかもしれない。そのためか、他国との国境ちかくにはこうした隣国からの移住者がつくった町が残っていることも珍しいことではなかった。
町中には異国情緒に富んだ風景がひろがっていた。建物にもその装飾にも、この国におおい合理性を主としたものというよりは、より精神性を大切にするというウェラヌスの風合いが強く、それでいて両者が不思議なバランスでもって融合している。
とくに、この家々の軒下に街灯のようにつるしてある、この灯りは何というものなのだろう。カンテラのような面白味のない光りとはちがい、つねにぼうっとして穏やかでいてときおりゆらぐ。
遠目からみるとおおきな蛍かなにかのようだ。しかもそれに様々な色分けがなされていて、こちらのは黄色と赤と桃色、あっちには紫と緑。むこうに青、水色、白といった具合だ。なにか意味でもあるのだろうか? 帰ったらサクにでも訊いてみよう。
そうやって俺たちは、しばらく夕闇に活気づきはじめる町をぶらついて回ったあと、表通りからひとつ奥まったところにある安宿に腰を落ち着けた。
ソロは有り金をすっかり呑んでしまったとかで持ち合わせがなく、宿代はしょうがなく俺の財布がだした。男ふたりで一室とは悪夢のようだが仕方がない。
部屋は狭いながらもちいさな暖炉がついていた。これはありがたいと、ふたりはさっそく火をおこし、生乾きの服をすっかり乾かしてしまった。
いまはおたがい、寝床にとぐろを巻きながら、安酒の瓶をあおっているところだ。
「なんつーか、こんなもんなのな」
ベッドを賭けた勝負で勝ったソロが、オンボロの寝床のバネをきしませながら寝返りをうった。
「あぁ?」
「この国へ逃げてきた連中は、もちっとマシな生活してるかと思ってたぜ」
その一言で、ようやく俺にも、ソロがこの場所を目指した理由みたいなものがぼんやりとみえてきた。
──コイツは確かめたかったのだ。自分たちとは逆に、ウェラヌスキアからとびだした者たちがつくった住み処がどんなところなのかを。
もちろんそれを知ったからどうこうなるわけじゃない。だがそれでも、ただ耐えるしかなかった自分たちとは違う、ひろい世界へ希望をかけてのりだした者たちにはいい生活を送っていてほしかったのだ。そうでなければ、自分たちが夢見たものがほんとうに幻になってしまう······
だが俺がみる限りでも、ここの暮らしが、けっして満足のいくもののようには思えなかった。
町にはたしかに活気のようなものが感じられはするが、建物はまったくの無秩序に乱立し、そこかしこに暗渠のような暗がりが形作られていた。そこから何者なりと、ろくでもない連中が潜んでいそうな気配がひしひし伝わってくる。
この町も底は深い。そんな気がした。
まっ、そうはいっても俺らよりはずっとマシだがな。ソロはそうつけ加えると立ちあがり、ガタピシきしむ窓を上げた。
冷えた風が室内に新鮮な空気を運んできた。もうそろそろ、ここいらでも秋だ。大陸の南にあるとはいえ冷えはするし、冬には雪もふる。俺は寝床がわりに敷いた毛布の上にむくりとあぐらをかいた。
「故郷をとびだしたんだ。しかも家族連れでさ。むしろよくやった方なんじゃないのかね」
「ふん、そんかモンかい·······」
ソロは鼻をならし、また眼下の風景に目をやった。三階にあるこの部屋からは、わりあい町をひろく見渡せる。日はとっくに落ちて、家々の窓にはどこか寂しげな明かりが灯っている。
「ええい、やめだやめ!」
突如、ソロは音高く窓をしめて振り返った。
「シケた話はこれくらいにして、呑みに行こうぜ!」
「ハァ? てめェ、状況わかってんのか? 俺たちゃ終われてここまで来たんだそ?」
「だからなんだ。こんな所でクサってたってなにもなりゃしないぜ。それにその町を知るにゃあ、その町の夜をみるのが一番手っ取り早いってもんだ」
あまりの考えなしなソロの言動に、俺はあきれ顔でたち上がった。俺たちもたいがいだが、コイツほどに先に興味のないやつも珍しいな。
まあいい。こっちも湿っぽい雰囲気に触発されて、昔のくらい記憶をフラッシュバックさせかけてたところだ。
「どうでもいいが酔いつぶれるんじゃねェぞ。もう金輪際、てめぇに肩は貸さねェからな」
宿代などないといっておきながら、ちゃっかり呑み代だけは隠し持っていた一夜限りの相棒に、俺はそう忠告した。
町に出ると、意外にも人出のおおさに驚かされた。夕刻には見受けられなかった店が突然のように街頭に出現し、行き場をもとめる客の逃避先を買ってでている。そんな店のおおくは男たちで埋まり、しきりとあたりに賑わいを振り撒いていた。
夜に人出があり、それが男連中だということは、ある意味でよい傾向といえる。すくなくともらここの男たちは、昼にはまっとうに働き夜は休むという、健全な生活をおくっている証拠だからだ。もっと荒れた町では、陽も高いうちから野郎どもが酒場にいりびたり、暗くなってからは不気味なほどに静まり返るのが常だ。
「なかなかの盛況っぷりじゃねェか」
町の衆にまけず騒ぎ好きであろうソロが、舌なめずりをするように笑った。ふたりは適当な店の暖簾のしたに空きをみつけて、席を占めた。
一刻の後、ふたりともすっかり出来上がり、ご機嫌で宿までの道を歩いていた。どうやら自家製だったらしい濁り酒は値こそ安かったか、おそろしくきいた。こういう酒が好まれるのもまた、普段、キツいわりにそれに見合った報酬を得られない者たちのおおい町だということを暗示している。
ふたりして大声で笑いながら歩いていると、不意に横あいから、なにか小さいものに追突された。おもわず俺がよろめく間に、やらじとソロが、その突進してきたものを押さえ込んだ。
「なにすんだ! 離せよ!」
みると十歳にも満たないだろう少年が、路地にうつ伏せに転ばされてもがいていた。その両腕をかるがると片膝で抑えこんでいるソロが、なにやらごそごそとその懐を探っていたかとおもうと、ポイッとなにかを俺に投げつけてきた。
酔いのせいで不覚にもとり落としてしまったが、それを拾いあげてみると、どうも見覚えのある財布だった。それもそのはず、俺の財布だ。
驚いたな。酔っていたとはいえ、大したもんだ。
スリの技術に感心するというのもマヌケな話だが、これには素直にそう思わされた。
「いい腕してんじゃねーの。歳のワリにはな」
ソロは笑いながら、その少年スリの右腕を固めたまま立ち上がらせた。街燈の灯りのしたに、悔しそうにこちらを睨みつける幼い顔がうかんだ。なかなかに生意気そうなこしらえである。くしゃくしゃした髪にぶかぶかの帽子をのせ、やせた汚れ顔のなかから黒い瞳がこちらを睨み返してくる。
「俺のいた所じゃよ、小僧。身内からカネをくすねる奴はいなかった。なぜだかわかるか? そんなゴミ野郎は粛清されるんだ、スパッとな」
ソロはなにが楽しいのか、ニヤニヤと嗤いながら首をはねる仕草をしてみせた。少年はおもわず息を呑んだが、こちらもなかなか、負けてはいなかった。
「へ、へん。このオレが、そんなアシのつくような真似するかよ! アンタらがいかにもよそ者で馬鹿面さげてたから狙ったんだい!」
「······ならいい。行きな」
あっけなく俺はいい放った。本来ならそんなことは絶対にありえないはずだ。とうぜん報復を覚悟していた少年は、「え?」と問いかえし、反応に困ったのか動かなくなった。
「いいから行けよ。てめェの幸運に感謝するんだな」
ソロがおもしろがるようにそう付け足した。少年はおずおずと後退ると、せめてもの抵抗とばかりソロに舌をだしてから、脱兎のごとく暗がりへ消えていった。
「──ならいい。行きな。か。く~っ、粋だねェ」
「やかましい」
茶々をいれてきたヤツを適当にあしらいつつ、俺は宿にむけて足を動かしはじめた。
別にそんなんじゃねぇ。昔の自分を思い出しそうになって、さっさと追い払いたかっただけだ。いすれにせよ、なんてこはない出会いにすぎない。また財布をスられることもないだろうしさ。
ところがだ。翌日のことだった。
なんとかしてマウルと連絡をとる方法を考えなければと思っていたところへ、ふたり部屋のドアにひかえめなノックの音が鳴った。なんだろう。このノックの主がマウルだったら最高なのだろうが、そんなことはまずあり得ない。
俺は、カチリと得物の撃鉄をおこすソロに目で合図を送ってから、自身も後ろ手にナイフを構えたまま、ゆっくりとドアを開いた。
意外なことに、そこに立っていたのは、昨夜俺から財布を失敬したあの少年だった。昨日の威勢のよさはどこへやら。しおらしく帽子をとり、頭をさげた。俺は用心深く首を伸ばし、廊下の端々まで見まわしてから訊いた。
「お前ひとりか?」
「え?···うん」
予想外の質問に面食らっている少年の表情をみて、俺はなかへ入るよううながした。
少年は妙に身構える年上の男ふたりがたつ部屋へおずおず入り、立ち尽くしたまま、室内をキョロキョロとみまわした。
「なんの用かは知らねェが、まあ座りな」
武器をおさめたソロがそう言うと、少年は素直にその言葉にしたがい、手近にあった椅子をひきよせて座った。
「あの、アンタたちに頼みがあるんだ」
俺たちは顔を見合わせた。この小僧はなにを言い出すんだ? おたがいの目がそう語っている。
「あ、オレはミルコっていいます。それで──」
「待て待て」
俺は前のめりになる、ミルコと名乗った少年を制した。そうして、昨夜とはまったくの正反対な態度をとる彼をしばらく観察してから問うた。
「頼みだ? なんで俺達なんかにいう? 俺たちはただの通りすがりの余所モンだぞ」
「だからだよ。余所者のアンタ達だから頼めることなんだ」
ミルコと名乗ったその少年のあまりの真摯な懇願ぶりに根負けした俺とソロは、彼の先導で外へと出た。
世間では朝餉をおえ、よっこらと腰を上げようという時分だ。すでに仕事に向かうのであろう人たちが、チラホラと道をいく姿がみえる。
なんとか野郎ふたりを説得したミルコはしかし、けっして明るい表情をみせることはなかった。まるで、これからが本番なのだといわんばかりの、真剣で、そしてどことなく思いつめたものがみてとれた。
ミルコが俺たちを誘ったのは、あの横丁の暗がり──俺がなにかが隠れ潜んでいそうだと直感した、その先だった。やたらと入り組んだ明かりの乏しい小路地をいくつか抜け、ミルコはやっと足を止めた。
そこは家──というには、あまりに持ち上げすぎだろうという外観の建物だった。壁はところどころ崩れて穴が開き、木材の屋根も相当に痛んでいる。いずれも、なんとかとって付けたといった拙い補修の跡が目についた。
ミルコは扉がわりとなっているボロの厚布をめくってなかにはいった。
内側は意外にもだだっ広く、しかもいっそうに暗かった。端々にあいた穴や明かりとり窓からは薄い光がさしはじめていらから、もうすこし日も高くなれば、いくらかはマシになりそうだ。
造り自体は頑丈で、どっしりとした石柱が数本、でんと列をなして立っており、重そうなその建物を支えている。家具らしきものといえば、四人掛けほどの木の丸テーブルがひとつに、椅子が三脚ほど。いや、むこうにみえる長テーブルの両脇に、大小様々な椅子がもう少し並んでいるか。おそらく全部で十一脚といったところだろう。
ぴぅい。
ミルコが指笛を鳴らした。しばらく間があって、ごそごそと衣ずれの音が聞こえた。どこに隠れていたのか、うす汚れたなりをした少年少女が数人あらわれた。みな、ホッとしたような笑顔を浮かべていたが、彼のそばに見知らぬ大人ふたりがいることに気付くと、たちどころに身体を強張らせて歩みをとめた。
数にして六人ほど。皆ミルコよりはあきらかに歳下か、いいとこ同い歳くらいだ。
「ミルコ、そいつらは?」
彼と同じくらいの歳だろう女の子が、幼い子をかばうように抱きとめて、俺とソロに警戒の視線をよこした。
「大丈夫。このヒトたちはヨソの人さ」
ミルコはうっすら笑んで少女に歩みよると、耳元に顔をよせて囁いた。
『それに大甘なんだ。こうして食料もわけてくれたし、すくなくとも話は聴いてくれるよ』
『そうかしら······』
ふたりは声を潜めたつもりだろうが、練磨された戦士の耳にははっきりと聴きとることが出来ていた。俺は片眉をクイとあげてソロをみやった。ヤツも肩をすくめて返答する。
大甘か?
違いねェな。
ミルコに諭された少女は、もういちどだけ鋭い目つきで大人の男を用心深く観察すると、どうぞ、といって道をあけた。
幼い子らが、くる途中ミルコが買い込んだわずかの食料に沸くなか、俺たちをつれた彼は、大部屋のさらに奥の、小さな部屋へとはいった。
むこうの部屋よりは日の当たりやすい方角を向いているのか、室内はやや明るい。壁などは相変わらずヒビが入ったりしているが、それでも出来るだけ居心地よくしようとしたらしく、石床におちている礫はほとんど見当たらなかった。
そこには四人ほどの子供達が、寝具替わりのボロ布のうえに寝かされていた。歳はややミルコより上。十六、七ということはなさそうだ。
ふたりはまだ眠っているのか目をつむっているが、手前の少年と少女は目を開けていた。が、その目線はどこをとらえているのか、茫洋としてさだかではない。部屋にはいってきた俺たちに反応するでもなく、ただぼうっと天井を見上げているだけだった。上からかけられた布の裾からのぞいている手足は、弱々しく痩せ細っている。
「こいつは······」
俺はおもわず、いちばんちかい少年の傍らにしゃがみこんでいた。こんなに近くによっても、相変わらず反応がない。そのあまりの異様さに俺は総毛立った。
「······オイ。お前ら、フツーの飯以外になにか口にしてるモンはないか。毎日とっているような何かだ」
ミルコはポケットから、白い紙包みにくるまれた小さなものをふたつとりだした。
「元締めが、いつも仕事の褒美にくれるんだ、稼ぎがいい奴ほど多くもらえる。甘くて美味しいからみんな喜んで欲しがるよ。病を防いだり、栄養を補ってくれたりもするんだって」
俺はそれをひとつ受けとると、掌のうえで紙包みをほどいてみた。かなから転がり出てきたのは、なんの変哲もない、鼈甲色をした円型の菓子だった。
「なんだこりゃ、飴玉か?」
「ホゥ、こいつは懐かしいな」
のぞきこんだソロがそれをひょいとつまみあげて、窓からの光にかざして見入った。
「こいつはチュラっていってな。俺たちの国の菓子さ。飴よりはトロみや後味があるんだが、まあ飴玉であってる」
しばらくそうしてみた後、なぜか匂いを嗅いでから、パクリと口にいれてしまった。あっといってミルコがとがめるような目をするが、ソロは後で替わりのものを買ってやるからと頭をくしゃくしゃやってなだめ、さらに舌のうえで転がしたあと、ペッと吐き出した。
「やっぱり間違いねえなあ。おいミルコ。こいつは食わねえほうがいいぜ。俺たちの故郷で流行った紛いモンによく似てらあ」
「紛い物だ? たかが飴玉にんなもんあんのか?」
「それがあるのさ。飴ってやつは比較的簡単に出来るだろう? だから材料ケチってロクでもないモン混ぜこむ奴もいるんだ。それをおなじく貧民に売りつける」
そりゃ、確かにロクでもないな。
「俺がガキの頃にもあったぜ。難民街の管主のヤロウが恩着せがましくコイツを配ったこと。最初はみんな喜んだが、ダチが何人か死にかけたんで、俺は金輪際近づかなかった」
俺は眉間にしわをよせてしばし考えこんでからミルコにいった。
「その元締めってのは、お前の器用な商売の親方ってことか?」
「う、うん」
なるほどな。俺はあごをさすった。
「確かにそいつはクサいな。この野郎のいうとおり、これは口にしない方がいいと俺も思うぜ。──いや捨てるんじゃねェ! ソイツは証拠になる。全員の分これに入れて俺にわたせ。替わりはちゃんとコイツが買ってくれるから心配すんな。いいな?」
俺が投げてよこした革の小袋をうけ捕ったミルコが駆け出していったあと、俺たちは茫然と、横たわる四人の子供たちを見下ろしていた。
「······気になるか」
「ああ、お前もだろ。いくら粗悪なモンでも飴玉でここまでにゃなるはずがねえ」
俺はさっきミルコからわたされたもうひとつの包みを開いて、自分でも匂いを嗅ぎ、つぎに舐めみて、最後はひと欠片かじってみてからすぐにペッと吐き出した。さすがに甘ったるい。そのせいで、味や匂いに不自然なところがあったとしても、それを判断するまでにはいたらない。だがこんな症状はたしかに聞き覚えがあった。
···亜薬、かもな。
心中密かにそうアタリをつけたが、口には出さなかった。なにせ確証などなにもない。あの医者気取りのニヤケ牧師ならあるいはわかるのかもしれないが、俺ではどうにもならん。
俺はただ悄然として、床に横たわる少年少女を見おろした。
──なんということなのだ。これが、ミルコが俺たちを頼ったワケ。言葉さえみつからない。
「···それで、コイツらは。治るのか?」
ソロが、やっとひねり出した、といった感じで口をひらく。
「······きちんとした本物の補助とか、栄養とか、必要なもんは山ほどいるだろう。もし呑んでた量が少なければ、あるいは······ってところか。俺も神父じゃないから断言なんか出来ねェ」
「──チッ、使えねェ······!」
小さく吐き捨てるように、ソロはそれだけ返した。面にはあきらかな憤怒の感情が浮かんでいる。だがそれを俺に見つけられたことを悟ると、帽子のつばをヒョイとつまんでおろし、この表情を隠した。
「これでも悪人はみてきたつもりだが、元締めだ? ここまでクソッタレな悪党にはお目にかかったことがねェぜ···!」
「······ああ、確かにクソヤローだな。だったらどうするってんだ。忘れてやしねえだろうが、俺たちは追われてる身だぜ」
俺は、ソロが掌中でもてあそんでいる武器にとがめるような目をむけた。
「······てめェはふた言めにゃすぐソレだな。この様を見ておいて、言うことはそれだけか」
「──クチに気をつけろよ? 俺が真っ当なこといってたってハラワタ煮えくり返ってねえわけじゃねえんだぜ」
おもわず本音が口を衝いてでた。そうしてお互い、怒りのやり場を失くしたまま、無言で睨みあう。
「·········フン」
さきに緊張を解いたのはソロのほうだった。
「もちろん忘れてやしませんて。······まあいいさ。お前がすこしはマシな性根してたってことで勘弁してやる。ただ、俺もひと言いっとくぜ。お前らのその任務とやら、よしんば俺が大人しくついていったところで、寿命が延びるとは限らないんじゃないか?
エエ? それでも従えってのかよ?」
そう出られると俺も歯噛みするしかない。現状での隊の方針は、『見つけて確保』のみで、その先はまだ、どうするのか定まってはいないのだ。
俺が黙りこんだのをみて、野郎はフフンと鼻で嗤い、壁にあずけていた身体をおこした。
「まあ心配しなさんな。俺だって無茶と無理のちがいは心得てるつもりさ。無駄に死ぬような真似はしねェよ······」
ヤツが安息部屋を出てしばらくして、俺は頭を冷やすようにフーッとおおきく息をふき出した。なにやってんだ俺は。ついつられて脳天に血が昇っちまった。俺が冷静さを欠いてどうするんだ。
子供たちに請われるままに、とくにやることもない──すくなくともほとぼりが冷めるまでは──俺たちは、彼らのアジトにとどまった。居心地なんてものはお世辞にも宿の部屋とくらべることはできないが、野郎二匹のせまい部屋での潜伏生活から解放されたことは幸いだ。
そのかわりに、俺たち──いや、オレは彼らの食事の面倒を買ってでた。
べつに、大人に頼らず生き延びてきたコイツらを侮辱する気はない。だがこっちにも屋根を借りている恩義というものもあるからな。人数も多いし食べ盛りの頃ではあるが、俺らがちょっとずつ我慢すれば、それでも一日の宿賃よりは安くてすむ。
あと、すこしでも居心地をよくするために、住居の環境をととのえた。どうもあちこちガタついたままというのは、本能的に見過ごせない。やはり俺には、こういう作業のほうが、矢をぶっ放すよりよほど向いている。
どうせ俺たちはすぐいなくなる。メシの心配はムリでも、まあ、これならすこしは後の役にたつだろう。
だからといって、子供たちも助けてもらってばかりだったわけじゃなかった。彼らといることは、俺たちにとってもかなりの前進となったのだ。
それまで一家の稼ぎをすべて担っていたミルコは、ほんのつかの間、その責務から解放され、おまけに留守にしても仲間を護ってくれる用心棒まで手に入れた。かなりの時間を得た彼に、俺はマウルへのつなぎ役を頼むことにした。
当初の打ち合わせどおりなら、今頃マウルは追手の目をさばきつつ、本部のニコルに連絡をとってくれているはずだ。そうなればきっと鳩便をつかうに違いない。
俺はできるだけ彼女の特徴をおしえ、ミルコに鳩便の店をまわってくれるよう頼んだ。たとえ行き違いになったとしても、複数回やりとりすることもあるだろうし、少なくとも一度は返事を確かめに来なければならない。州都を例の稼ぎの庭としているミルコのほうが、土地にも明るいし目端もきく。俺たちがうろつくよりよほど可能性があるだろう。
もうひとつ、嬉しい情報を子供たちから仕入れることができた。なんとこの移民街にも、一軒だけ鳩便屋があるという。いいぞ、だんだん俺の幸運も調子を取り戻してきたようだ。
おもわず小躍りした俺は、翌日さっそくその店へいくと、本部あての鳩を一羽借りうけ、手紙を託した。これで本部を経由してとはいえ、マウルにもこちらにつなぎをとる手段があることが伝わるはずだ。うまくすればぐっと時間を節約することができるかもしれない。
すませるべきことを済ませてしまうと、俺はがぜん気がかるくなった。これで後は、マウルとどう合流し、追手の目をどう欺くかだけを考えればいいわけだ。
······ついでに、ミルコたちを苦しめている、おそらくはスリの元締めとかいう奴のことも調べておくか。べつにソロの野郎だけではない。俺だってこのままミルコたちを見捨てていく気はない。それに万が一、接点ができてしまったときのための保険としても調査は必要だ。そう、すべては任務達成のため、念のためだ。
──ところが。その接点とやらが、盤外のところで出来ちまうはめになった。それもあちらからではなく、こっちからわざわざお迎えにいった、なんて間抜けな展開で。
「おい、ソロの野郎はどこへ行った?」
俺はちかくにいた、比較的しっかりとした歳の子をつかまえてきいた。ふと気がつくソロの姿がない。これまでにもちょくちょくそういったことがあった。散歩か便所だろうとほったらかしににしておいたら、いつの間にかしれっと戻ってきていたのだが······。
ソロがいつも使っている一角もみてみたが、とりたてて変わったところはない。荷もそのままだ。だが、わずかな違和感が俺の思案の隅にひっかかった。
「──お前ら、最近ソロのやつになにかきかれなかったか? なんでもいい、教えてくれ」
子供たちの答えはまったくつかみどころのないものばかりだったが、なんとか統合していくと、どうやらその本解答がみえてきた。
あの野郎──!
今夜は家に閉じこもっておくよう子供たちに言い含めると、俺は得物を手に、いっさんに駆け出した。
俺が到着したのは、そろそろ日も西に傾きはじめようとする頃合いだった。こっちが恨めしさを視線にこめて息を切らせているのをみて、奴は何事もなかったかのように口を開いた。
「よう、遅かったな」
「黙れ」
ソロは悪びれる様子もなく肩をすくめてみせる。俺はもういちどソロを睨むと、奴が隠れていたおおきな瓦礫の前にどかりと腰を降ろした。
「みろよ。あれがクソッタレ野郎の根城らしいぜ。あんまり趣味がいいとは言えねえな」
悪態をつきながら、瓦礫の向こうをあごでしゃくってみせる。俺はもうひと息つくと、注意しながら顔をあげ、その前方をうかがった。
ふたりが隠れる瓦礫場とから即席の橋がかかった汚いドブ川をこえた広場に、ずいぶんと重厚な建物がみえた。総体は煉瓦のような石材で出来ており、漆喰で塗り固めてあった。
全体的に黒くくすんでみえるのは、自身の出したなにかよくないものに燻されているからであろう。やたらとあちこちから煙突がつきだしている。そこからのぼる不快な黒煙が、周辺の空気をよどませているのがわかった。
入り口のまわりには、見張りだろうか、人影がふたり分みえる。
「なんだよありゃあ。ここの住人は極度の寒がり野郎か?」
「は、笑える。工場に決まってんだろ。作ってるモンまで説明してほしいか?」
俺はむすっとした表情で首をひっ込めた。もちろんわかっている。あれこそが子供たちの持っていた『飴玉』の出元だ。
「だったらどうするつもりだ」
返事はなかった。ソロは懐から例の得物をとりだし、針矢の装填具合を確かめた。
「てめェ···まさかカチコむなんていいだすんじゃねェだろうな」
「アタリだ。冴えてるな」
俺は前のめりになって抗議した。
「フザけんな! 俺達は隠れてる身だぞ! わざわざ騒ぎを起こすなんてどうかしてるぜ。てめェが潜んでる町の裏のカオに、ふたりで喧嘩売るとなりゃなおさらだ!」
「ふたりじゃねェ、独りで殺るさ。誰かさんはのっかる気がないようだからな」
「ったりめぇだ! こちとらキチンと相手を知ったうえで喧嘩する性分なんだよ。お前、ちゃんと調べたんだろうな!」
無言のままソロはガチリと撃鉄をおこす。
「──やめろ。生きてここを出るんだよ。ガキどもなら一緒に連れていきゃいい! 仲間とつなぎがつきゃどうとだって出来る」
俺はつとめて冷静に、一語一句丁寧になだめるように言った。その言葉がすこしは届いたか、ソロはいまにもとび出さんと上げていた腰をもういちどおろした。
「······フン、どっちだって同じことだろ。いまあのガキ達を救えたところで、また別の誰かがおなじ目にあうんだ。奴らをぶっちめないかぎり解決とはいえないな」
それに、とソロは目をそらした。
「むこうに着きゃ、死刑ってオチがつくに決まってらぁ。前にもいったが、それはてめェらの都合だ。俺には関係ない」
──唐突に。俺はソロがなにを想ってここまで来てのか、その理由をようやく悟った。
「つまり···そうか、お前···」
死に場所を探していたのだ。
やっと合点がいった。こいつにしてみれば、いくら楽園のようなところだといったって、この国は生きていたかった場所ではない。なんのかんのいいながら、こいつが生きたいと望んだ場所は、いまや自分を抹殺せんとする祖国なのだ。
その自分の居場所をなんとか変えようと、こいつはあがいた。だが失敗し、おおくの友や仲間の命を散らせ、自分だけが生き残ってしまった。その弔いもすんだいま、もはやソロには、生き残るための何かが無いのだ。
どうせ死ぬのならば、故郷をおなじくする、おのれと似た境遇の子たちのために、その命をつかう。これに勝る最期はない。そういう考えかたをする奴なのだ······。
俺は深々と息をはいた。どうかしてるぜ、自覚はしてる。まったく俺くらい付き合いのいい奴もそうはいないだろう。また隊長にドヤされるネタを増やしたくなってきた。
「殺しはなしだ。それだけはいっとくぞ」
ソロは上機嫌でニヤッと笑った。
「応ともさ、兄弟。建物の丸焼きで手をうつぜ」
「ごめんくださ───い」
家の正面で律儀な挨拶がきこえた。こんなことは初めてだ。ミルコはいま、出ているんだっけ。そうでなければ、真っ先に彼が確認しにいくはずだもの。
いちばん幼い子の世話をしながら、女の子は思案した。傍らで手伝ってくれていた男の子に、玄関をそっとみてくるよう頼んだ。
男の子はすぐに戻ってきた。
「ボナパルトのヨメが来てるー」
さっぱりわからない。首をひねりながら女の子は立ち上がった。何にせよ、自分の名前をだして訪ねてくる者がいたら、とどめおいてくれるようボナパルト兄から頼まれている。
ドア替わりの厚布をめくると、女の子は思わず目をみはった。
優しそうな、キラキラした金色の長い髪のお姫様が、こちらの背丈に合わせるように腰をかがめている。後ろにはこの人の護衛だろうか。騎士の恰好をした男の人もいた。そのお姫様がにこっと微笑んだ。
「アナタがあのコのお姉さん? ちょっと探してる人がいるか、教えてほしいんだけど」
なんだろう。すごくいい匂いがする。どこかで嗅いだことのある香り······どこでだったのか思い出すことは出来ないけれど、そんなことも、もうどうでもいいかな────
女の子は、すこし照れ臭そうにしながら、妙にぼやけるふたりの人影にうなずきを返した。
俺は中腰のまま、荒い息をどうにか静めよう鎮めようとつとめた。
危なかった。やっと連中をまいた。しばらくは追いついてこれないだろう。今のうちにいったん態勢をととのえて、どうするか考えよう。そう思案しながら、俺は、いくらか先でおなじように息をととのえるソロを睨んだ。
工場に潜入するまでは上手くいった。とりあえず重要と思われる部分を片っかたっぱしから潰し、トドメとばかりに火まで放ってきた。いまごろ工場は跡形もないほど木っ端微塵になっていることだろう。だが、そこからが想定外だった。
相手の動きは妙に機敏で、かつ執拗だった。まるで、こんなことはしょうっちゅうある、とばかりの手馴れた様子が気にくわない。そりゃあ、なんらかの犯罪組織ではあるのだろうが、とても素人の小悪党がより集まったものの動きではない。まるで罪人専門の狩人を相手にしているような、嫌な気分を味あわされた。
いったいどんな連中なのか。うかつにも、せいぜいミルコたちのような浮浪児からスリの上がりを掠めるだけの、ごろつき程度だと思い込んでいた。
うかつだったといえば、逃げながらソロに問うたら、やっぱりあの野郎、連中が何者なのか調べさえしていないとほざきやがった。コイツの案にうっかり乗ってしまった俺のほうが馬鹿だったのだ。
とにかく、そんな連中を相手に、やつらの庭ともいえるこの町でやりあうのははなはだよろしくない。一刻もはやく逃げ出す算段をはじめたほうがいい。
「おい、こうなったらすぐに出発だ。この町でて州都でマウルと合流すんぞ!」
「······いや。口惜しいが、それもどうやら遅いらしいな」
俺は慄然として、周囲の気配に目をくばった。いつの間にわいて出たのか、周囲の廃墟の陰から、ひとり、またひとりと追手が姿をあらわした。最悪なことに俺たちは、すっかり囲まれてしまったようだ。さらに最悪なことには······
「······コイツら、白いよな」
「······ああ、白い」
追手はすべて、もう二度とみたくもなかった全身白尽くめ、白頭巾の姿をしていることだっだ。
俺とソロは、またいつぞやのようにたがいの背中を向けあわせ、四方に注意を払った。囲まれているとはいえ、相手の人数はそう多くはない。みたところ弓ほどの飛び道具の持ち合わせもないようだ。間合いを詰められさえしなければ、まだ脱出できる可能性は残っている。
俺たちは暗黙の合図で呼吸をあわせると、一気に撃って出ようとした。
「待ていッ!」
街から帰ってきたミルコは、あっけらかんとして目を見張った。
いったいどうしたことだろう、これは。
アジトはもぬけの殻だった。誰ひとりとして、まるで、最初からここには人などいなかったのように。愛しの我が家は、ただ閑散と、夕闇のなかに沈みこもうとしている。
ゆいいつ住民がいた名残と呼べるのは、みなが寝床がわりにつかっていた布や、テーブルなどの家具くらいのものだった。なによりも異常なのは、元気な者はおろか、自力では動けないはずの兄姉分までが姿を消していることだ。
ずっと眠っていたのにどうしたことだろろう。とつぜん目を覚まし、全員でどこかに行ってしまったとでもいうのだろうか。それもオレひとりを残して······
途方にくれたミルコは、弁解するためにふり返りながら、そのはじめの一語を発しようとしたところで、またしても言葉を失った。
そこには、やっとここまで案内してきた客人の姿があるはずだった。まるで初秋の夕にそよぐ風にふき消されでもしたかのように、その女の人はいなくなっていた。
しずしずと歩みでてきた人影に、俺は絶句していた。
「······おいおい。どーなってんだよ、こりゃあ···!」
包囲網の中央。いわば袋の閉じ口にあたる部分から、この集団の首領とみえる人物が進み出てきた。その男も小太りな身を白装束でつつんでいたが、そんなことはどうでもよかった。それを補佐するように左右にあらわれた男女の女のほうが、金髪に純白の衣装越しでもわかるような美しい肢体の持ち主であるとか、そんなことでさえいまの俺にはどうでもよかった。
もっとも重要なのは、その女の懐におさまるようにしてたつ娘の姿。
「ちきしょ···何でだ! なんでガキどものことがわかったんだ!」
ソロは歯ぎしりするほどに悔しがった。その様をみて、首領の男は満足の笑みを浮かべた。
「フン。見たところ、お前たちはえらくこの子供らに執心のようだな。もっとはやくわかっておれば、貴重な時間を無駄にせずにすんだものを」
「···そうか。テメーが元締めとか呼ばれてるヤローだな! まさかその白い連中とグルだったとは驚きだぜ」
首領は肩をすくめた。
「こちらこそ驚いたよ。まさか、こちらの同志が追っていた獲物がみずから懐に飛び込んでくるとは···。それも、我らの所有物に勝手に思い入れをした挙げ句──都合がよすぎて喜劇にもならぬわ」
無言のまま自分を睨みつけてくるソロを充分にせせら嗤った後、首領は俺のほうにも向き直りやがった。
「お前のことも聞いているぞ。ボナパルト・コルカド・デ・バングス。あの悪名高いアミュレット騎士隊がこの件にからんできたか。雇い主殿は、よほどその男が癇に障ったらしい」
──さすがに。その気になればこちらの素性くらいわけなく探れるか···。
公にはできない影の集団。発つまえにドルマが思わせぶりなことをいってくれたが、もしかすると、彼の考えていた以上に、コイツらは規模のでかい集団なんじゃないだろうか。
国のため地下で暗躍する秘密組織。なるほど、相手にするには分が悪すぎる。
「そいつはどうも! あいにくこっちは、そちらの名前は存じ上げないが、訊きたいことはそんなことじゃない。どういうつもりでその娘を連れてきたのかってことだ」
「それは勿論」首領は目でチラリと合図をする。女の子を捕まえていた女が即座に小剣を抜き、その首元にギラリとあてがった。
「こうするためだ」
「この糞野郎! ガキを盾にするのかッ?」
ソロが大喝する。が、首領は平然といい放った。
「こいつは単なるガキではないぞ。皆、我らの愛しい後継者たちよ。なれば、任務に最大限貢献するのは至極当然だ。正直、小物一匹を捕らえるにしては手勢を傷めすぎたのでな」
女の子は状況がよくわかっていないのか、それともすくみ上がっているのか、喉元に刃を突きつけられているというのに、叫び声ひとつあげようとはしない。
「さあ、ふたりとも得物を捨てるがいい。特にソロ・ハイネツガ。貴様の持っているソレは、我らが同志が長年の研究によって産み出したものだ。我らの手以外に、この世に在ってよいモノではないのだよ!」
ソロはみずからのエギーユをみつめると、歯噛みして首領を睨めつけた。
だが。それでも抵抗しようとはしなかった。ゆっくりと、武器をおくために地面へむけて腰をかがめる。
俺もその動きに追従するほかなかった。肩かけにしていた弓と矢筒をはずしていく。
ちくしょうが! だがどうしようもない······! ほかにどうしろってんだ、クソッタレがッッ!
──ギイィィィィンッッ!──
何事が起きたのか。
一瞬ではその場の誰もが把握することなどできなかったはずだ。まったく予期せぬ方向から、鋭い金属音が響きわたった。
みながギョッとしてその方をみれば、少女を捕らえていた女の手から、小剣がポロリと滑りおちるところだった。
「!」
「うぉぉおおッ!」
その刹那。俺とソロは猛然と突進した。
ソロのはなった針矢が見事女の肩に命中し、手槍をかまえようとした首領の肩には、俺の放った一矢が高々と突きたつ。
即座に駆け出してきたまわりの白頭巾たちが、たて続けに数人バタバタと地に崩れ落ちる。その身体には一様に、赤い夕陽を鈍く照りかえす、鋼の矢がめり込んでいた。
「! こいつは···!」
首領を撃たれた白頭巾たちは、突っ込んでくる俺たちの勢いに抗うことができず、彼を庇うようにしてその場から後退した。ソロがすかさず少女を抱きすくめ、俺はふたりを護らんと、矢をつがえて周囲ににらみをきかせた。
親玉野郎は隠れはしたが、まわりをとり囲む白頭巾たちがあきらめた様子はない。刀を手に、隙あらば襲いかかる構えをみせている。そのうちの何人かは、すでに手傷を負って弱っているようだった。
──マウル、いまほどお前に感謝したいと思ったことはないぜ!
俺は心中で叫んでいた。いきおいあまって、あのじゃじゃ馬に祈りをささげかけちまったほどだ。いまだ警戒して姿こそみせないが、アイツの自慢げな顔が目に浮かぶようだぜ。帰ったらなんでも奢ってやるし、愚痴だって聞いてやろう。そう決めた。
「オイ、ガキンチョ! しっかりしろ、もう大丈夫だぜ?」
ソロは荒い息を継ぎながらも、少女の肩をゆさぶった。九死に一生を得たというのに、少女は声ひとつ漏らそうとはしなかった。ぼうっとした目つきで野郎を見上げているのみである。あまりの恐怖に魂が抜けてしまったのだ。
俺はその様子をチラチラと横目でみながらソロにうながす。
「とにかくここを離れるぞ! お前はそいつをかついで先にいけ!」
「しょうがねェな!」
ソロは舌打ちして、少女を肩に担ぎあげようと、体勢を低くした。
──ヒョイ。
「あ?」
避けた? なぜ?
そう思った瞬間、左脇腹に強烈な痛みが走った。音もなくソロの身体からガクンと力がぬけ、崩れ落ちる。一瞬遅れて気づいた俺は我が目を疑った。
ソロが腹を刺され、鮮血のなかに突っ伏していた。
それをなした張本人は、荒事とはまったく縁もない少女。しかも彼女自身はおのれで何をしたのかわからないような目つきのまま、血に濡れた右手に、雫したたるナイフを握ってたち尽くしているのだ。
やがてその瞳は徐々に正気の色をとり戻し、自らの手におさまる恐ろしい物に気づいた。そうしてそのまま、発作のような甲高い叫び声をあげると、ドサリと地面に倒れ、気を失った。
まるでおぞましい悪夢をみているかのような光景に、俺は心底ゾッとした。
「その子らにはなんと言って渡したかな。······そうそう、身体を丈夫にする飴、だったか」
どこからか首領の声が聞こえた。
「アレの作用はそれだけではない。ある種の匂いを発する者が、己にとって好ましい理想の姿にみえるのだよ。自然界でいう、刷り込みというやつに類似している。ながくとりつづけるほど、その命令には逆らえなくなるのだ。どうだ? 見た目は粗悪な飴玉にしかみえないが、素晴らしいだろう?」
──冗談じゃないぜ。そんなモン知らずに飲まされ放題になったら、世界だっててどうにかできたまわぁ。
俺はおよぎがちな視線をもどかしみながらも、必死に頭を巡らせた。
もはや退却しか手はない。だが、倒れているのはふたり。連中とやりあいながらかついで逃げるにはひとりでも重すぎるくらいだ。
こうなってしまっては仕方がない。少女には悪いが、ソロだけでも確保して逃げるほかない。この子は間違っても殺されることだけはないはずだ。むしろ下手に庇うと、もろともに消されかねない。
「だが···どうするよ?」
自嘲気味に笑みをひきつらせながら、俺は自問した。どうやってこの場を切り抜ける?
ソロを見つけて以来、満足に矢の補充さえ出来ていない。そもそも奴をかついだら、とてもではないが弓どころじゃない。
そんな俺の逡巡すら、白頭巾たちは許すつもりはなかった。ここが勝機とばかり、一斉にうって出た。
「···クソッタレがァ!」
もう知らん。こうなったら撃って撃って撃ちまくり、すこしでも奴らの頭数を減らしてトンズラだ。後はナイフででも何ででも闘ってやる!
俺は腹をくくり、弓を満々とひきしぼった。
「やってやらぁッ! 来い、やぁぁああーっ!」
「ヴォルケンフィストッ!」
だしぬけに轟音が鳴り響いた。白頭巾たちの踏む大地が突如として牙を剥き、そこから巨大な炎の柱がたち昇った。数人がその炎の直撃をうけ、身体についた火に我を忘れ、地面を転げ回った。
背後に気配を感じてふりかえると、そこには久々にみる我らが騎士隊の女神がたっていた。
「ジュリエッタ! お前ら···何で?」
我ながら嬉しさのあまり声が上ずっているのがわかる。だが今は、今だけは、そんなことはどうでもいいだろう?
俺の感激をよそに、ジュリエッタはてばやく地面に倒れるソロの傷を確認した。
「ニコル君から伝令を受けたから、馬を飛ばしてきたのよ。昼夜問わずにね」
たち上がったジュリエッタは、すこしだけ安堵の表情をみせていた。
「ちょっと深いけど、でも大丈夫。いそげば充分間にあうと思うわ、彼」
「そうだ! ここはいいから、お前はそいつを連れて州都に逃げ込め!」
後方を乱された白頭巾たちが混乱している隙をついて駆けこんできたユティが、向き直って杖剣を抜き放ち、背中ごしに叫んだ。
「しかし···お前らだけじゃよ!」
「大丈夫だ、マウルだっている! 俺達も適当なところでちゃんと退くから! 行ってくれッ!」
その言葉に応えるように、斬り込もうと間を詰めていた白頭巾の背に矢が突き刺さる。
「──恩に着るぜお前ら!」
俺はソロの右腕をとって自分の肩にまわして立ち上がらせ、あとは振り返りもせずに瓦礫の山を下った。
ユティとジュリエッタは、あらためて白装束の狼達と向きなおった。腰のうしろから両手に持てるだけの投げナイフをひき抜きながら、ジュリエッタは再度の確認をする。
「私たちも無理は禁物ね。ある程度やったら引きつけながらゆっくりと後退よ、ユティ君!」
「了解!」
さすがに息が切れていた。
今日だけで二度も三度も死ぬような目に遭い、思いもよらぬかたちで仲間に救われる嬉しさも再認識した。正直、俺の魂は感動のあまり口からとびでる寸前だ。
それは俺の肩を借りているコイツも同じだろう。ただ、コイツの場合はその向き加減がまったくの逆だった。
俺はこっそりと隣の様子をうかがったが、さっきからずっと伏せがちなソロの表情は、陰になってよく見えなかった。
こいつからすれば、理由はどうあれ、また救おう決心した奴を救えなかったんだもんな。
「──もうすぐだ。ここさえ抜けちまえば州都までひと足だぜ」
俺はヘバってきていることを感じさせぬよう、ソロに声をかけ続けたが、奴からは相変わらず返事もなかった。
とつじょ、足がもつれたのか、ソロにまるで内掛けのように足を払われ、俺は派手にすっ転んだ。
「わ、わりィ!」
思った以上に弱っているようだ。こりゃ帰ったら、すこし鍛えなおさないと駄目だな。苦笑しつつ立ち上がろうとして······俺はハッと息を呑んだ。
すこし離れたところで、ソロが武器を構えてたっていた。しっかりとその両足で大地を踏みしめた姿で。そしてその発射口は、正確にこちらの眉間にすえられている。
「おまっ···早まんじゃねえ。ヤケ起こしたってどうなるもんでもねェだろ」
両掌をみせつつゆっくり起きあがろうとしたが、ガチャリと獲物で制され、俺はまた同じ体勢にもどった。
「·········チッ。だな。ヤケになるのも無理ないか。ただよ、どうしようもなかったんだ、今回のことは。お前もあの子達も、精一杯もがいたんだ。誰のせいでもありゃしねえ······。まあ、あの子を連中から解放してはやれなかったけどよ、でもこれで終わりじゃねぇ! すくなくとも生きてるぜ。またチャンスは創れるんだ! ホントはあきらめの悪い、お前みたいな奴さえいればきっとな」
説得を続けながらも、おれは必死に記憶をあさっていた。ヤツの矢は何本残っている? 一本か? 二本か? あの娘を抱きすくめる前に矢を補充したっけか?
しかし、自分でも驚くくらい頭が回るな。まさか人生最期の時、なんてことはないだろうな。
二本あればまず助かるまい。そうでなくとも奴の腕だ。一射目を避けられる保証なんかない。野郎がガチリと撃鉄をおこす。
きっかけだ。そのきっかけさえ逃さなければ見切れるはずだ。狙いが正確ってことは、逆にいえば撃ってくるポイントは読み易いんだ。俺の眼は筒口から一時も離れない。
「──よかった! ふたりともいた!」
ミルコだ。そうと悟った瞬間、俺は放たれるように前へでた。鉄矢が左耳をかすめるのを感じた。が、それを恐怖とおもう間もなく、身体は的確に動いた。
ソロが伸ばしていた右腕に組みつくと、掌でかち上げ、己の右腕で巻き込むように絞めつける。ゴトリとエギーユが地面に落ちた。
「······みろよ? 無駄なんかじゃなかったじゃねえか。最低でもひとりは助けられたんだよ、テメェはッ」
ギリギリと絞めつけながら、空いた右腕で相手の胸ぐらをつかみ、俺は必死に訴えた。
「無駄じゃない···無駄なんかじゃないんだ、決してな!」
ふいにソロの左腕が後ろへ回った。俺はあわててその腕を右の手で制した。握られたナイフが、ソロの首の前で、ギラリと夕日の最後の輝きをうつした。
「この···っ、バカヤロウが······っ」
俺は視線をソロの顔に戻し、睨みつけた。と、そこでようやく気づいた。
「···お前?」
ソロの瞳が、どこかとらえどころのないように泳いでいる。いましも自決せんという局面だというのに、怒りや恐れはおろか、絶望さえ感じさせないほどの虚ろな瞳。まるでさっきの、あの娘のように────
「まさか、ひょっとして···」
そんなことがあり得るのだろうか。
いやまて、コイツは自慢気に口にしていたな。この機弓は、そもそもウェラヌスキアの難民管理官から頂戴したモノだと。そしてあの連中の首領はこうもいっていた。この武器はある男が試験的に造ったもので、その男は自分たちの同志だったと。
つまりソロが簀巻きにした管主は白頭巾どもの仲間だったということだ。そして何よりきわめつけは、あのときミルコたちのアジトでコイツがはっきりいった。
ガキの頃、自分もあの飴を食べた。じゃあそれを与えていたのは?
───難民自治区の管主。
「···ッキショオが! ホントにロクでもねェな、あの連中はァ!」
吐き捨てながら、俺は何が出来るのかを探った。この状態でのこされた手段といえばナイフだけだが、それは腰の後ろで、ソロの右腕を離さないかぎり届かない。
なにか、こいつにこれ以上深傷を負わさずに動きを止める方法は···。俺は藁にもすがる気持ちで上着のポケットをまさぐった。
ちいさな硬いものに指先が触れた。
それは先が細く尖った、金属製のもの──あの日、あのチピ隊長から巻き上げたまま、入れっぱなしですっかり忘れていたモノ。
口元に会心の笑みが浮かぶ。
「ほぉらみろ! なんでも物は大事にしなきゃあなぁッ!」
人差し指と中指で挟み込むようにひき抜くと、親指で手加減無用とばかり、ソロの左脚に刺しこんだ。
「あぁッてェな! このヤロオーッ!」
とたんに後ろへ思いっきり突きとばされ、俺はゴロゴロと斜面を転がり、仰向けになって止まった。反動でソロも尻餅をつき、その場にへたりこむ。
「──てめェ、今度おなじことやってみろ? 殺してやるからな!」
「···へっ、そん時ゃぜひ素手で頼むぜ。相手してやっからさ」
そういわれて、はじめて自分の手に握られていたナイフに気づき、ソロは茫然とそれを眺めた。
「あぁ? どういうこった···? 俺は···?」
どうもこうもあるか。それでてめェの喉を掻っ切ろうとしてたんだろうが。そう言い返してやりたかったが、とうとう全身の力が抜けてしまったのか、悪態をつく気もわいてこなかった。
「······あ、あの···?」
まったく事態を呑みこめないといった表情でのまま、間をうかがうようにおずおずと近寄りながら、ミルコが声をかけてくる。
「······ヘッヘッヘッ」
「っくは···ッ、ハッハッハ」
つられるようにソロも笑い声を上げた。まるで、とんでもなく馬鹿なことをしでかし倒した悪ガキのようなふたりの笑い声は、紺に沈もうとする夕焼けの空に、しばらく止むことはなかった。
その後のことは、さして書くことでもないだろう。俺たちはあたり前のことをした。
俺はミルコの手も借りて、当たり前のようにソロを教会に担ぎこみ、ニコルよりは熱心な職業意識のあるだろう神父に預けたその足で地方警軍に駆け込んで、移民街にヘンな輩がいると通報してやった。もちろん捕まりはしないだろうが、せめてもの嫌がらせだ。すくなくとも、これで奴らもおおっぴらに襲ってはこれまい。
夜半すぎ。事情聴取されていたユティ、ジュリエッタ、マウルが教会をみつけ出し──わざと州都のいちばんデカい教会を選んだから、みつけるのに苦労はいらなかった──やって来て、俺達は再会を喜びあった。マウルによると、やはりあの白い連中はお縄になることなく逃げおおせたらしい。
ただ、意外なことに、ミルコの仲間たちは誰ひとり欠けることなく、彼らの塒でみつかったのだそうだ。いちおう関係者ということで、いまは警軍に保護されていろいろ聴き取りを受けている。ちょっと可哀想な気もするが、また例の手段で襲われてはかなわないので、もうすこしだけ我慢してほしい。
そして出来れば、あれは悪い夢だったのだと思い込んで忘れてほしい。とくにあのしっかり者の娘──コモロというのだそうだ──のために、俺はそうであれと、祭壇の前で柄にもなく神に祈った。
おそらくはきっと、そうなるのであろう。でなければ、連中があの子たちを残していくはずがないからだ。
じつのところをいうと、その確信とはべつに、俺にはもうひとつ、漠然とだがそうおもう根拠があった。
──ひょっとしたら、ソロをいちばん消したかったのは、あの連中だったのではないか、ということだ。
連中はソロの身体にのこる例の薬の残滓から、事が発覚するのを恐れたのではないか。その秘密を漏らさぬために、ウェラヌスキアの世論を操ったのではないのか?
まあ、しょせんは憶測の域をでない俺の勝手な妄想でしかないのだが、そう考えると、国ひとつの意見を左右できるような集団とやり合ったことになるので、それはそれで当たってほしくはないな。
そして、これも俺の都合のいい願望ではあるのだが、あのクスリはおそらく、まだそこまで世には出回っていない。と思う。もしソロの故郷で、あのクスリの実験が行われたのならば、時期的にみてもまだまだ試作段階だったことになる。もちろんほかの国や地域で同時進行させている可能性もある。だが少なくとも今回の件で、このクスリは日の下に晒すことはできた。
だとすれば、今回の件の最大の功労者は、果敢にも反乱を起こしたソロとその仲間たちということになる。彼らが起こした行動がウェラヌスキアを······いや、世界を救ったといっても、決して言い過ぎではないだろう。
そう、アイツは間違いなく、多くの誰かを救った英雄だった。
以上が今回の任務に関する、俺、ボナパルト・コルカド・デ・バングスの詳細な任務報告だ。なんだか色々と書きすぎちまった気もするが、まぁご愛嬌ってことで勘弁してくれ。
なお、あの『飴玉』も証拠として添えておく。正直どうしたらいいかわかりかねるので、コイツをどうするかは、隊長とニコルに任せる。
報告書を読み終えたニコルは、バサリと書類から手をはなすと、脇に置かれていた革の小袋をつまみあげ、深々と溜め息をついた。
蛇足を承知で、その後のことをすこし語ろう。
この厄介なクスリについて、ラシャとニコルはさんざん頭を悩ませた挙げ句、自分たちのコネを最大限につかう選択をした。
すなわち、ミロス神教会を通じての、六国すべてへの同時情報公開である。もちろん、騎士隊の名は伏せたうえでだ。
このクスリの性質上、さすがに一国に任せると悪用されかねない。ならいっそ、全世界の目に晒してそれぞれで警戒してもらうのが良かろう、との判断である。
いち傭兵隊にとってはあまりにも荷が勝ちすぎる計略ではあったが、さいわいにも、以前の任務においてできた、教会上層部の信のおける人物数人との縁がいきた。それにくわえて、ジュリエッタの実家筋ほか、後援者の助力をすべて仰いだ結果、どうにか成就へとこぎ着けることが出来たのであった。
その日、六国の首脳陣が騒然となったのはいうまでもない。
ただし、いいことばかり、ということにもならなかった。いくら名を伏せたからといって、ここまでのレベルにのってしまった情報は、そう隠しおおせるものではない。
この件でアミュレット騎士隊の名は知れわたり、各国の関係機関の注目をおおいに集めることとなった。これは、なにかと秘密を抱えた騎士隊にとって、より慎重な動きが求められることを意味する。
そしてもうひとつ、この忌まわしいクスリを造った、あの謎の集団からも恨みを買ったことになる。騎士隊のとった行為は、いわば全土にむけた、この集団への宣戦布告といってよい。いざとなれば抗争は避けられないだろう。
ミルコ達は、そろってミリニア国内にある孤児院に預けられることとなった。ジュリエッタの大叔母にあたるミロス神教の尼僧が面倒をみている院で、周囲の環境も和やかで良心的な所であるから大丈夫だとは、うけおったジュリエッタ当人が保証した。
ソロはその一命をとりとめた。落ち着いた後、クスリの影響をしらべる検査がおこなわれた。結果は、現在はまだすこし影響がのこるものの、時とともにその効果は消えるだろう、ということであった。その経過をみるためにもらソロはしばらく隊に残すことになった。
その後、ソロがアミュレット騎士隊に身を投じたかどうかは、定かではない。
ここまで長々と読んでいただき、まことにありがとうございました。
こりもせずに、また前出の騎士隊の連中を描いたものとなりました。今回のメインはボナパルトとマウルであります。
彼の報告同様、すこし詰め込みすぎました。お見苦しくなかったのなら幸いです。
重ねて、読んでくださり、まことにありごとうごさいました。