勣水精縁編:6 男風呂
「まったく、どう見たって僕は男なのに……」
「……」
チュチュ改め──テオが、俺の前でぶつくさと文句を言っている。なるほどたしかに、あいつの股座には俺達と全く同じものがぶら下がっていて、そこだけを見ればテオのことを女の子だと思う奴なんていないだろう。
だけど、それはあくまで「そこだけを見た場合」に限っての話だ。
「ははは! まぁ許してやれよ。お前は奥様に似て綺麗な顔してるからなぁ。勘違いしたってしょうがねえさ」
「むー……」
そんなテオはここ──テオの家の風呂場で、素っ裸だ。同じく素っ裸になったおっさんに背中を流されて、言葉は不満そうにしているのに表情は嬉しそうにしているというなんとも器用なことをやってのけている。
──その姿は、いろんな意味で犯罪的だ。男だとわかった今でも、上だけを見ていたらまるっきり女の子にしか見えない。ごくまともな倫理観を持った人間として、このおっさんの股座を即座に蹴り飛ばしたくなってしまう。
「……ゴーシュ、どしたの? なんか顔、赤くなってない? もしかしてのぼせた?」
「いや……」
なんでこいつホントに無駄に綺麗な顔してるんだろうなあ。髪もすっごく綺麗でさらさらしてるし。水浴び直後の女は色気が増す……だなんて話はよく聞くけれど、こいつの場合はマジで物語に出てくる妖精のようにしか思えない。
「なんで、そんなに髪を伸ばしてるんだろうなって思ってさ」
「ああ、これ?」
ちょっと詰めて、とテオが湯船に入ってきた。俺とラウルとテオの三人で、この湯舟はいっぱいだ。ぎゅうぎゅうと言ってもいい。必然的に肌と肌が触れ合うことになるわけで、この時ほどラウルが間に挟まってくれていてよかったと思ったことは無い。
「なんかこう……タイミングを逃したというか」
「タイミング?」
「僕の髪、なんか魔法的にすごく有用らしくって。いろんなことに使えて便利だから、たくさん伸ばしてから切ろう……と思って、いざ切ろうとしたらなんかもったいないなあって」
「……」
「おかあさんも伸ばしているから、切るなら同じタイミングにしようと思って、そのまま……」
「お、おう……」
くるくると器用にまとめられた髪を、ラウルが面白がって突いている。これだけ長い髪ってのが──髪をこんなふうにまとめているのが珍しいのだろう。束ねて捩じってくるってやって頭の上の方でまとめて……なんかこう、団子みたいにしてある。
一瞬であっという間にこんな複雑そうなことをやってのけるなんて、もしかしなくてもこいつ慣れてるな?
「なあ……イズミ、さん」
「うん?」
俺達の目の前で体を泡だらけにしているおっさんに、一応聞いてみる。
「男の子に思われたいのなら、短めにしておくべきじゃ……」
「あー……それなあ。実際はちょっと違うんだ」
「あ゛」
おっさんがにんまりと笑う。テオの口から、奇妙な音が漏れた。
「自分で言ったのも嘘じゃないんだろうが、本当は単純に、おかあさんとお揃いにしたかったってだけだよ」
「イズミぃ!」
「んだよ、恥ずかしがることじゃないだろ?」
テオのかーちゃん。たしかに髪が結構長かった。今のテオと同じくらい……具体的には腰ほどまでの長さだった気がする。
「だって! 僕はイズミと同じが良いって言ったのに、それはダメだってみんなが言うから! じゃあ、おかあさんと同じにするしかないじゃん!」
「えー……ちゅ、じゃなかった、テオはイズミと同じがいいの……?」
「そいつは……うん」
俺の前でお湯を頭からかぶるおっさん。ガタイがいいな……と思うほかには、これと言って特徴はない。髪型も短めのさっぱりしたおっさんスタイルで、街中を歩けば視界に五人はこんな感じのおっさんが写ると思う。
正直言って、テオには似合わない。こいつは顔が良すぎるから、もしやるのだとしたらそれこそ挿絵の王子様みたいなキザなやつじゃなければ浮いてしまうと思う。
「テオなら、王子様みたいなやつでもよかったんじゃないっすか? ほら、お貴族様がよくやるような……」
「悪いが、それだけは諸事情があってダメなんだ。……そういう意味じゃ、奥様と同じが良いって言ってくれて助かったんだけどな」
いっそあいつの方が丸刈りにしてくれればいいんだけどな……っておっさんは苦々しくつぶやいた。……あいつって誰だろ?
「ふー……」
それにしてもまぁ、すっげえ贅沢な家だと思う。風呂桶なんてものが常備されているばかりか、こんなにも好き放題にお湯を使えると来た。薪を用意する必要も無ければ、火の番をする必要もない。ちょっとつまみをグイっとひねるだけでお湯が出てくるとか、いったいどれだけ便利なんだっていう。
「どうだゴーシュ、風呂は気持ちいいだろう?」
「はい……お湯に全身浸かるなんて初めての経験です。川や池とは全然違いますね」
「普通はお湯を準備するのも大変だもんなぁ」
「……これも賢者の秘術ってやつですか?」
「まぁそんなところ……うん? お前、なんでそれ」
「あっ!!」
唐突な、テオの大声。ほわんほわんとこの小さな部屋の中にこだまして、そして一瞬だけ静寂がやってきた。
「どうしようイズミ!? なんか、オルベニオの街にはすごくおっかない【カミナリ賢者】がいるんだって!」
「へ、へえ……?」
「こ、このお家なら大丈夫だよね……? なんかその人、悪さをしたなら領主だろうと貴族だろうと、女子供であろうと容赦なくカチコミしてきて暴れまわるとか……! 僕、絶対狙われてるよ……!」
心にもないことを言って、勝手に家出をした。俺達を自分のワガママにつき合わせ、結果としてケガを負わせてしまった。挙句の果てに自分でけじめをつけられず、最後は頼ってしまった。これだけやってしまったのだから、きっともう目を付けられている……と、テオは涙ながらに語る。
「狂った魔物みたいに無茶苦茶に暴れまわるんだって……! どうしよう、僕のせいでこの家がめちゃくちゃにされたら……!」
「あ、あー……その時は俺が返り討ちにしてやるから、心配すんな。それにこの家は絶対安全だって、お前は知ってるだろ?」
「でも……!」
「……」
──ついさっき、山に轟くほどの怒声を上げて野獣のごとく暴れまわったおっさんが、すごく困ったようにこっちを見ている。
俺でさえ、噂のカミナリ賢者の正体はほかでもないこのおっさんだってことに気づけたのに、どうしてテオはわからないのだろうか。
「ほら、お前はミルカさんって人のためにラブラズベリーを採りに来たんだろ? それは決して悪いことじゃない……よな?」
「そ、そうだそうだ。もしそれでそのカミナリ賢者ってのがカチコミしてきたら、その時は俺がそいつをぶん殴ってやるからな!」
俺の拳は世界で一番強いんだぞ、とおっさんは得意げに力こぶを作ってみせる。いったいどうやって自分で自分の顔を全力でぶん殴るのか、ぜひとも見てみたいところだ。
「それよか、お前の可愛い顔に傷がつかなくてよかったぜ。奥様なら絶対治せるだろうけど、万が一ってのもあるからな」
綺麗な綺麗な鏡越し。おっさんがちらりと見たそこ──おっさんの首筋には、なんか妙な色合いになった痣みたいなのがある。いわゆる古傷ってやつだろうけど、それにしたって場所も形もなんかちょっと奇妙だ。普通は腕とか膝とかに負うことが多いし、あんな丸っこい形にはならないと思うんだけどな。
「かわいい? ……僕、かわいい?」
「ああ、いつもみんな言ってるだろ? 俺達が嘘ついたことあったか?」
「えへへ……!」
なんだかんだで、褒められて嬉しいのだろう。というかこいつ、このおっさんがかけてくれた言葉ならなんだって喜びそうな気がする。
「……はっ!?」
「お?」
「かわいくないもん! 僕はかわいいんじゃなくて、カッコ良くてたくましいの!」
はっと何かに気づいたテオは、さっきのおっさんの真似をしてグッと力こぶを作ってみせた……いや、違う。
力こぶを作ろうとしてポーズをとったけど、それだけ。腕は相変わらず細くて触れたら折れてしまいそうだし、結局は子供の腕だ。たくましさなんてあるはずもなく、見ていて微笑ましくなってくるほど。美しさという意味では、なるほどたしかにガラス細工のような芸術品のような……と言えるとは思うものの、彫刻品のような力強いそれは間違っても感じられない。
テオも、そのことには気づいているのだろう。ラウルにちょんちょんと突かれている自分の腕を見て、なんとも恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「……僕もイズミみたいになりたいのに。どれだけ食べて鍛えても全然変わらないの」
「お前はそのままでいいんじゃないか?」
変に鍛えるのはマジで勿体ないぞ──という言葉を心の中に仕舞い込み、元凶であるおっさんの方を見てみる。
「いやあ……赤ん坊のころからかわいい、かわいいって誉めてたもんで。周りに他の子もあんまりいなかったからな。誉め言葉と言えば“かわいい”で、“かっこいい”という言葉を知ったのも割と最近だったりする」
「……」
つまり、つい最近までテオは“かわいい”は主に子供や女の子に使われる誉め言葉だと知らなかったのだろう。この野蛮な……んん、ワイルドでたくましいおっさんに憧れるテオにとって、“かわいい”は憧れとは対極の言葉であり、そして皮肉なことにテオのそれはびっくりするほど“かわいい”に適している。
「まぁ、あと五、六年もすればがっしりとした体付きになるはずだ。鍛えるのはその時で十分だろ」
「ほんとぉ……?」
「「……」」
なんで発言したおっさんまで目を逸らすんだ?
「──おーい、イズミ殿」
気まずい沈黙を打ち破るかのように聞こえてきた、女の人の声。半透明の扉の先に見える、大人の影。この風呂場の前に、誰かが立っている。
「どうした、ペトラさん?」
「子供たちの着替えを持ってきたってのと……先にフェルダ村に行ってるから、一応声をかけておこうかなって」
「うん? 今日はここでみんなで泊まるつもりだぜ? 今からじゃ村に着くのは夜になるって話だぞ」
「それなんだけどさぁ……その子らの無事、伝えておかないといけないだろ? 出かけた子供が帰ってこないーって、騒ぎになりかねない」
「「あ」」
そうだ。なんだかんだで今日はここで泊まるつもりでいたけれど、よく考えてみたら家にそのこと伝えてない。魔物云々の話も合ったから、無駄に騒ぎが大きくなりかねない。
「この山道じゃ車も使えないしな。明日、村で合流しよう」
「そっか……悪いな」
「なぁに、これも仕事だ。……代わりに、明日の夕飯は豪勢にしてくれよ」
それだけ言って、扉の前の影はいずこかへと去っていく。
「待って、ペトラ! お見送りするから!」
ざばりとテオが立ち上がる。なんかどさくさに紛れて(?)普通にラウルもそれに倣っていた。結構顔が赤くなっているところを鑑みるに、だいぶ湯だってきていたのだろう。タイミングとしては悪くないか。
「テオ、ちゃんと体は拭けよ……あと、ラウルの着替えも手伝ってな」
「任せて、イズミ!」
そして、入れ替わるようにしておっさんが湯船へと入ってきた。正直図体のデカいおっさんが一緒だとかなりぎゅうぎゅうで狭苦しい感じがするし、おまけにおっさんが入った瞬間にざばーってお湯があふれ出てかなり勿体ない。
「ふぅー……いや、悪いね。狭い風呂でこんなおっさんと一緒だなんて」
「いえ……」
扉の向こう。どたばたとした動きをにこやかに眺めながら、おっさんはゆったりと呟く。
「──今回はありがとな。ウチの子が本当に世話になった」
「もののついでですし、最終的にはこっちの方が助けられましたから……さっきの人が、ペトラさんって人ですか?」
「おっ、テオから聞いたのか?」
「“ミルカ”や“イズミ”、かーちゃんには内緒のことでも、この人だけには絶対教える……って、そんな人だとあいつは言ってました。……今から村に行くって結構ヤバくないですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。剣の腕なら俺よりよっぽど強い……というか、そこらの冒険者や騎士なら余裕で勝てるくらいに強いから」
悪戯好きな叔母さんってイメージだったんだけど、このカミナリ賢者より強いってあの人なんなんだろ? 今更ながら、あいつの家族構成どうなってるんだ?
「……あいつ、カミナリ賢者があなただって気づいていないみたいっすね」
「……それなあ。まさかこんなところまで変な噂が流れているとは思わなかったぜ」
余計な尾ひれがつきまくっていて困る──だなんて、おっさんは小さくため息をつく。少なくとも、カミナリみたいな怒声とブチギレて暴れまくるって所は噂と全く変わらないと思うんだけど。もしかしたら、テオの自覚の無さはこのおっさん譲りなのかもしれない。
「どうにもこっちの常識には疎くてね。おまけに仕事であちこち行き来するものだから、腰を据えてその土地の因習を学ぶ……って機会もない。テオも同年代と遊ぶ機会なんて全然ないもんだから、俺が普通だと思ってる節がある。……やっぱりお前から見て、テオはちょっと変わってるか?」
「変わっているというか、浮世離れしてるかんじっすね。それこそ最初は……川で水と戯れるあいつを見て、俺もラウルも妖精だと思ったくらいですから」
「嬉しいことに、奥様の血が強く出てくれたからなあ」
「あと、魔法の使い方だって、普通のそれじゃない……と思います。何よりすごいのが……」
「すごいのが?」
「その……この家を呼び出したやつ。本人は、こういう普通じゃない魔法は“まっかっかおじさん”が教えてくれた……みたいなこと言ってましたけど」
「なぬ!?」
さっきまで脱力しきっていたおっさんが、いきなり目をかっぴらいてこっちを見てきた。
「まっかっかおじさんだと!? まさか、あいつと会ったのか!?」
「は、話に聞いただけですけど。何なんですか、そのまっかっかおじさんって……」
「いや……会ってないならいいんだ。でもって、出来れば会いたくない知り合いだな。もし近づいてきたら、大声出して知らせてくれ」
「……親戚か何かじゃないんですか?」
「要観察の暗殺者だ」
「え」
「タチの悪いことに、仕事が完璧すぎて証拠が無い。だから、豚箱にブチ込むこともできない……んだが、一件だけ確定した罪があってな。それでようやくしょっぴくことができたんだが」
「……」
「……直後に、天災一歩手前くらいの魔獣災害があってなあ。あいつの力を借りざるを得なくて……腹立たしいことに、それでしっかり成果をあげやがった。元が犯罪者とは思えないほど態度も真面目で、特例として恩赦を与えられて」
「いいんですか、それ」
おっさんは、深い深いため息をついた。
「良くはない。だが、替えが利かない能力で、俺だったらあの真っ赤っか野郎には絶対に負けない。だから、魔法契約で観察下に入れろ、好きなだけタダ働きさせていいけどいざってときは対応しろ……って国から言われてな」
凄まじく苦々しい顔を見るに、体よくヤバくて面倒な人物を押し付けられたってことなんだろう。
「有事の時だけ呼ぶから、それ以外は悪させずに近づくな……って契約なんだけどな。どうもあの野郎、俺達の知らないところでテオに会って……魔法を教えている節がある。そしてムカつくことに、あいつのおかげでテオの魔法の腕は目覚ましいほどに上達した」
おっさんは賢者だけど、いわゆる普通の魔法は使えないらしい。そしてテオのかーちゃんは魔法の達人だけど、戦いを好まない優しい性格だ。だから、今まで普通の魔法戦闘を教えられる人間が近くにいなくて、「魔法が大好きな」真っ赤っかおじさんとやらは、テオの才能に目を付けてこれ幸いといろいろと仕込んでいる……らしい。
「なんでわざわざそんなことを……」
「ライバルが欲しいから、らしい。魔法を教えるってこと自体は悪いことじゃないし、結果としてテオのボディガードみたいな状態にもなってるし、事実として模範囚。何も知らないテオは懐いてすらいるんだが……」
「フクザツっすね、そりゃ」
もし魔法契約を交わしていなければ、即座にぶん殴ってまた牢屋に入れてたんだけどな、とおっさんは再びため息をついた。
「最近はテオに構ってやれる時間も少なくてなあ。そういうこともあって余計に気を使うんだ。……頼むぜゴーシュ、テオの友達になってやってくれないか?」
そうすれば、必然的にあんな悪趣味な真っ赤っか野郎のことなんてどうでもよくなるだろう……と、おっさんは力なく笑う。ゴブリン相手にあれだけ暴れまわっていたというのに、その姿はどこにでもよくいるくたびれたおっさんにしか見えなかった。
「俺はもう、あいつとは友達のつもりですよ」
「ありがとな……俺が言うのもおかしい話だけど、あいつに近づくやつは変なのが多いから。お前みたいな普通で真っ当な友達が近くにいれば、安心だ」
──テオのせいでしばらく女の子を信じられなくなってしまった俺は、果たして「変なの」に入るのか。まともな友達を作るよりも、あいつに自覚と常識を叩きこんで……ついでに、このおっさんも“ミルカ”さんに説教してもらったほうが早いと思ったのは、ここだけの話だ。




