勣水精縁編:4 受け継がれたもの
「往ッ生ッ! せいやああああッ!」
目の前の光景が──というか、聞こえてきたそれも信じられなかった。いったいどうして、いいとこのお嬢さんがあんな罵声を上げながらゴブリンに切りかかるだなんて、想像できるだろうか。普通はもっとこう、レイピアで急所を一突きだとか、あるいは魔法で優雅に戦うとか……こう、そういうやつだろうに。
しかし、チュチュのそれは全く違う。鉈を思いきり振りかぶって、速さと体重を乗せた一撃をドカンって感じだ。とにもかくにも豪快で男らしい動きで、だからこそ俺もゴブリンも予想外のその動きに、呆然とするしかなかった。
そう。
呆然とするだけで……仕留めるまでにはいかなかったんだ。
──アアアアアッ!!
「うわっぷ!?」
「チュチュっ!」
チュチュの一撃は、ゴブリンの腕に阻まれていた。せいぜいが腕の表面を軽く傷つけられたくらいで、あまりダメージを与えられていない。思いのほか大したことなかったな──なんてゴブリンの声が聞こえてくるかのように、振り払われた腕でチュチュは大きく吹っ飛ばされた。
そりゃそうだ。鉈ってのは、体重をかけて叩き斬ることが出来なければ意味が無い。腕の一振りで吹っ飛ばされるようなチュチュの体重じゃ、有効打になるはずがなかったんだ。
「いったぁ……! や、やりやがったなぁ……!?」
「バカ野郎! てめえはすっこんでろっ!」
だけど、今回はそれがよかった。
「鉈! 借りるぞ!」
吹っ飛ばされた鉈と、ラブラズベリーが詰まった袋。結果として俺の手元にまともな武器がやってきて、そしてチュチュとゴブリンの間に距離ができた。
そしてもちろん──武器を持った明確な脅威に対して、背中を向けるアホはこの世にいない。ゴブリンの注目は今、完全に俺に引きつけられている。
「チュチュっ! ラウルを連れて下がってろっ!」
「でも! ゴーシュ一人じゃ!」
「お前らがいたら鉈を振り回せねえんだよ! ……ラウル! いつまでもボケっとしてるんじゃねえ! 飯抜きにするぞ!」
ザッシュがいれば。俺とあいつの二人掛かりだったら、こんなやつ余裕で囲んでぶっ殺せる。どっちかがちょっかいをかけてる間にどっちかが切りかかって、正直おちょくりながら片手間で殺せる。
俺一人だったら。多少は時間がかかるだろうが、まぁなんとか始末できる。力はそこそこだが頭の悪いゴブリンだ。フェイントでも何でも使って、時間をかけてじわじわと安全にいたぶることができる。
だけど。
だけど……お荷物二人を守りながらってのは、正直きつい。一人だけならまだしも、二人も気にかけて戦う余裕は俺にはない。
「全く……兄貴ってのはいつだって面倒ごとばかりだ……!」
気づいてくれたのか、くれていないのか。チュチュはラウルを伴って俺の後ろの方へと下がっていく。ゴブリンがみすみすその動きを見過ごしたのは、この程度気にするまでもないと……いや、この俺の迫力にビビッて動けなかったと信じたい。
「きついけど……やらなきゃいけないのが兄貴ってやつだ。……お前も、恨むなよ」
彼我の距離、だいたい五歩。向こうは魔物……ただし素手。一方で俺は立派な武器を持っている。
ならば。
「鉈っていうのはァ! こうやってッ!!」
右腕に頭上に大きく掲げて。
全力で力を込めて──タメを作って。
この一撃で、ヤツのドタマをカチ割るつもりで。
──ガァッ!?
「使うんだよぉ──ッ!!」
ヤツが怯んだ隙に、全力を込めて鉈を振り下ろす。チュチュの時とは違って腕で守ることすら……反応することすらできなかったから、俺の腕にはパキッとなんとも小気味のいい感覚が伝わってきた。
──ガァァァア!?
「暴れんなコラァ!」
顔半分がへっこんで、赤いのとか灰色のとかでぐちゃぐちゃになっているというのに、このゴブリンはよく動く。すでに致命傷を負っているから、このまま放っておいてもいずれは動かなくなる……けれども、手負いの死にかけが一番ヤバいってとーちゃんもじーちゃんもみんな言ってる。
「くたばれクソ野郎ッ!」
だから、何度も何度も鉈を振るう。頭に向かって執拗に鉈を振るう。動かなくなるまで鉈を振るう。動かなくなっても鉈を振るう。
俺のうっかりで万が一なんてあっちゃいけない。ヘビだって、首すっ飛ばしてもしばらくは噛みついてくるし、用心するに越したことは無い。
「ふう……」
頭はもう、原形をとどめていない。これだけやればさすがにもう大丈夫だろう。正直いつもよりだいぶ派手にやっちまった感があるけれど、まぁやりすぎて悪いことは無いから良いってことにする。
「ねえ、ゴーシュ……」
「あ」
後ろから聞こえてきた声に、我に返る。
もしかしなくとも、良いとこ育ちのお嬢さんには刺激が強すぎただろうか? 家畜をシメるくらいなら大丈夫かもしれないけれど、さすがに魔物をぶっ殺すところなんて初めて見るだろうし。
……ラウルの時の「はじめて」は大変だった。あの野郎、しばらく俺見ると泣いて逃げるんだもん。
「手足はいいの? ウチ、一応そこもやるけど」
「……」
訂正。そういやこいつ、なんだかんだで平民だった。オルベニオの街から来たって言うくらいだし、道中でこんなもんいくらでも見ているか。
「それにしてもゴーシュ、強いんだねえ! あんなに一方的にやっつけちゃうだなんて! ちょっとイズミみたいでカッコよかったよ!」
「……まぁ、な」
とりあえず、チュチュにこの手の光景に対する耐性があったのはよかった。これで怖がられてまともに話ができなくなったりでもしたら、正直だいぶショックを受けていたと思う。
ゴブリンの惨殺体の前でなお、キラキラとした顔で見つめてくるのは……女の子としてちょっとどうかと思わなくもないけど、ビビられるよりかは断然マシか。
「種明かしするとな。最初に鉈を掲げた時に──実はこっそり、左手で」
「……ラブラズベリー!? まさか、これを弾いて目つぶししてたの!?」
「そういうこった。じゃなきゃわざわざあんな隙を晒すようなことしないって。お前もむやみやたらに飛び掛かるんじゃなくて、ちっとは頭を使えよ」
「う……たしかに、そうだったね……」
「あー……でも、お前のおかげでラウルは無事だった。俺じゃあそこまで速くは動けなかったから……そこは、おまえのおかげだ。ありがとな」
「……うんっ!」
「ラウル、お礼」
「うん! チュチュ、ありがと!」
ゴブリンは始末した。ラウルもチュチュも無事。唯一、俺の一張羅が汚れてしまったが、これくらいはまぁ良いだろう。いい加減変えたいと思っていたし、もしかしたら、チュチュの親御さんが新しいのを買ってくれたり……しないかなあ。
「でもにーちゃん……なんで、こんなところにゴブリンなんていたんだろ? こんなの初めてだよね?」
「あ! もしかして、例の魔物の群れのやつかな?」
「いや……話に聞いていたやつとは違うな。たぶん、そいつに追いやられてここまで流れ着いてきたって所じゃねえか?」
処理された魔獣の群れ。そのはぐれ……というか生き残りがいるらしいという痕跡。そんな痕跡を見て弱者であるゴブリンが住処を変えたとしても、何ら不思議はない。俺達だって警戒してたんだから、ゴブリンだって警戒するのもある意味じゃ当然だ。
思えば、この辺のラブラズベリーに鳥や小動物に食べられた形跡が無かったのは、こいつが潜んでいたからかもしれない。今となっちゃ想像でしかないけれども。
「とにかく、採るものも採ったしさっさとズラかるぞ。村長にも報告して山狩りしないと」
「山狩り……って、なぁに?」
「うん? 山狩りってのは──」
男衆が総出で山に入って、山に潜んでいる獲物や害獣を片っ端から駆逐すること。見つけ次第ぶっ殺す……つまりは絶対に逃さず確実に根絶やしにするため、時間と手間をかけて確実に獲物を追い詰めること。
特に、今回みたいなゴブリンが出た時にやるやつだ。奴らは一匹見かけたら近くに絶対十匹はいる。単独で行動していることなんてまずありえないし、放っておくとネズミもビビるレベルでどんどん増えて、山の恵みを食い荒らしていくから。
そう。ゴブリンは、一匹いたら絶対近くに十匹はいる。だから、山狩りをして確実に根絶やしにしないといけない。
それは、今回も当てはまることだったんだって──気づくのが、ちょっと遅かった。
「──お前らっ!」
油断した! 油断した油断した油断した!
「あああああッ!? いってええええ!!」
「ゴーシュ!?」
「にーちゃん!?」
痛い。痛い。痛い痛い痛い!
ちくしょうクソが……! 空気を読めよバカ野郎が……!
「ゴブリン……二匹目……!?」
俺の目の前に、さっきとは別のゴブリンがいる。おまけに今度はこん棒を持っていて、体格もさっきのやつよりちょっと立派だ。
血の匂いと、獣臭さに鼻が慣れていたってのもある。戦いに勝ったばかりで、油断していたってのもある。あるいは単純に──まさか、ホントにこんなすぐ近くに潜んでいるとは思わなかったって所もある。
いずれにせよ、気づくのが遅すぎた。なんとかチュチュとラウルを庇うことはできたけど、結局はそれだけ。
もう、泣きたくなるほどに背中が痛い。これだから兄貴って生き物は損だ。
──グァァァ!
「がッは!?」
汚い足で蹴りやがって。思いっきり鳩尾に入れやがって。タイマンならぶっ殺せるのに、なんでこいつは倒れた相手に遠慮なく攻撃できるのだろうか。後ろから頭をカチ割ってやりたい。
──ああ、マジでザッシュのやつがふらっとやってきてくれねえかな。あいつに貸した金を倍にして返してもらうまで、俺死にたくないんだけど。
「にーちゃん……!」
「にげ、ろ……! 大人を、よんでこい……!」
「でも!」
「ばかや、ろ……! 心配する、時間はねえだろうが……!」
ラウルはガキだ。そしてチビですばしっこい。土地勘もあるし、曲がりなりにも俺の弟だ。逃げるだけならきっと問題ないはずで──あの速さを見せたチュチュなら、きっとラウルと一緒に逃げられるはず。
マジで頼む。もしチュチュに万が一があった時、ウチの村に出せる金なんてない。次の冬を越せるかどうか──というか、村の未来はお前にかかってるんだ。このままじゃ俺のせいで村が潰れたと言われかねない。マジでそれは困るぞ俺は。
「チュ、チュ……おまえも、ラウルをたの、む──!?」
意外とシビアでドライなチュチュならば、ライルを引っ張って逃げてくれるだろう──なんて、思っていたら。
──!?
俺の目の前のゴブリンが、息をのんだ。
樹々がざわめき、空気が震え──なんか、背筋が凄くゾクゾクする。
「な、な、な……」
うつむいたチュチュ。声が震えている。
華奢で細いその身体が、魔物の前に無防備でさらけ出されている。こんな子供が魔物の前にいたら、次の瞬間には無残な光景が広がっている……と、誰もが思うはずなのに。
パッと見たら、魔物の前でビビッて俯いているだけにしか見えないのに。
俺も、ラウルも、ゴブリンでさえも。
──チュチュの体から発せられる、異常なまでに濃い魔力の圧で動けなくなっていた。
「舐めやがってよぉぉぉ……ッ!」
チュチュの髪がふわっと浮かぶ。体から迸る魔力が、才能の無い俺にさえ見えるほどに濃密になっている。魔力がこんなふうに煌めいて見えるだなんて、いったいどれだけの──。
「じょーとーだよコラァ……! 後悔するんじゃあねえぞ……ッ!」
ああ、なんでだろう。口から紡がれる言葉はすごく荒っぽいのに、その光景はすごく綺麗で神秘的だ。まるで噂の水の巫女様が祈りを捧げているような──それくらいに、幻想的な雰囲気だ。
──チュチュにこんな乱暴な言葉を教えた誰かをすごくぶん殴ってやりたい。
「水遁──瀑布螺旋」
「!?」
ぶわっと。
ぶわっと──いきなり、チュチュの周りに大小様々、無数の水の球が浮かび上がった。浮かび上がった次の瞬間にはそれらが回転しながら一つに集って……甲高い唸り声を発する、でっけえ水の角になった。
「まだまだ──紅式展開」
「は……!?」
水の魔法使い。きっとチュチュは、水の扱いを得意とした魔法使いなんだろう。子供なのにこんなすげえ魔法を使えるってだけでも驚きなのに、その上さらに。
「チュチュ……なに、それ」
「なにって……」
さっき俺がぶっ殺したゴブリンの死体。
そんなゴブリンの死体から、真っ赤な血が浮き上がっている。
「──血だって液体。つまりは水。なら、僕に扱えないはずがない」
耳を塞ぎたくなるような甲高い唸り声を上げる水の角。そんな水の角の隣に、それよりかは一回り小さい真っ赤な輪っかが現れた。やっぱりこいつも甲高い唸り声をあげているうえに、最初のそれに比べて幾分か刺々しい……というか、禍々しい。
「──まっかっかおじさんは言ってたよ。魔法っていうのは想像力。自由な発想ができる魔法使いが一番強い。ほとんどの魔法使いは想像力が足りていないか……あるいは、想像力があったとしても、それを実現できる魔力が無いだけ」
──ガァッ!?
真っ赤な禍々しい輪がふわりと浮かび、ゴブリンの体を囲む。いや……囲むというか、閉じ込めたというべきか。傍から見るとゴブリンが魔法で自分を中心として輪を展開しているように見えなくもないけれど、それが如何にヤバいものであるかは、たぶんどんなバカでもわかる。
ああ、きっと。
あの輪っかを飛び越えることなんて、出来ないのだろう。そして当然、触れたらどうなるかわかったものじゃない。そうなるともう輪の中で立ち尽くすことしかできないわけで……立ち尽くしていたら、水の角の良い的だ。
「──歯ァ食いしばれや!」
甲高い唸り声が、いっそう大きくなって。耳が潰れそうなほどの不快な音なのに、耳を押さえることすらできなくて。
顔に似合わない怒声をチュチュがあげた瞬間、真っ赤な輪がパチンと閉じて──ほぼ同じタイミングで、大きな水の角がブチ込まれた。
──ガ
もしかすると、それはゴブリンにとっては幸せなことだったのかもしれない。真っ赤な輪っかで頭と首は一瞬でお別れしていたし……たぶんそれに気づく間もなく、水の角で全部がぐちゃぐちゃになった。痛みや恐怖を感じる前に、何もかもがミンチになっちまっている。
「すげえ、な……」
それでさえ、俺の想像でしかない。俺に見えたのはゴブリンの頭がすっ飛んだその瞬間と、一瞬で赤く染まった水の角がどこか遠くの方へと流れ去っていったところだけだ。その赤いのだってすぐに透明に戻っていたから……これ以上考えてもしょうがない。
文字通り、もうどこにもゴブリンがいた形跡は残っていない。
唯一、残っているものと言えば。
「……あっ!? ラブラズベリーが!」
魔法の余波で、無残な姿となってしまったラブラズベリーの樹。その方向だけ全てが──土ごと抉り取られていて、とてもとても見通しが良くなってしまっている。デカい獣が山道を通るとそこだけ開けて獣道になる……なんてよく言われるけれども、巨人が通ったとしてもここまで綺麗な獣道はできないだろう。
「ご、ごめん……! ここ、ゴーシュたちの秘密の場所なのに……!」
「……そっちより、俺の心配をしてほしいんだが」
「ああっ!?」
慌てて駆けよってきたチュチュが、俺の体を抱き起こしてオロオロとしている。こうしてみると、やっぱり顔だけは無駄に綺麗で、そしてその幼さはそこらのガキと変わらない。間違っても、ブチギレてゴブリンを山ごと抉るような人間には見えなかった。
「ごめん、ごめんね……! 僕、癒しの魔法はまだ出来ないの……!」
「……大丈夫だ、骨は折れてないから。それより、お前は……」
「あっ……さっきのはその、内緒でお願いね? ミルカにバレたら怒られちゃうから……」
「……人前で魔法を使っちゃいけないとか、やっぱりそういうのあるのか?」
「えーっとぉ……アニメや漫画で覚えたやつは安易に使うなとは言われてるけど、今は『ひじょーじたい』だから大丈夫。そうじゃなくて、『じょーとー』と、『なめやがって』のほう!」
よかった。やっぱり家族の人も、アレは無いと思っているらしい。逆に、もし何の注意もしていなかったら俺の方がキレていたかもしれない。
「……これからも、そのミルカさんって人の言うことはよく聞くんだぞ。いくらなんでもお前があんな口の利き方するのは良くないだろ」
「えー……そうかなあ。カッコいいのに……」
「カッコいいとか関係なくて、やっちゃいけないから怒られるんだろ?」
「……怒られるの、僕じゃなくてイズミなんだよね。そうやって戦うイズミがカッコ良くて、僕も自然と真似しちゃってるだけなのに……イズミがそうしても全然怒られなくて、僕がそうするとイズミが怒られるの。おかしくない?」
「……」
ああ、よかった。俺が思っている以上に、ミルカって人はまともで常識がある。
……チュチュがこんなふうになってしまったのはイズミってやつのせいか。もし顔を合わせることになったら、背中にクモでも突っ込んでやろう。全然気づいていないだろうけど、イズミのせいでチュチュが取り返しのつかないことになっちまってるのだから。
「……よし。ともかく、今度こそさっさとズラかるぞ。……チュチュ、よく聞け」
「ん、なぁに?」
「ラウルと一緒に村まで行け。そんで、誰でもいいから大人に知らせろ。いいか、わかったな?」
「……ゴーシュは?」
「俺はここに残る」
「なんで!?」
「背中も腹も痛くて動けねえからだよ……。お前、俺が普通に歩けるように見えるのか?」
「う……でも!」
「俺のことが心配だってんなら、さっさと村に行ってくれ。……安心しろ、適当に木に登ってやりすごすから」
「おなかも背中も痛いのに木に登れるわけないでしょ!?」
「山道を歩くよりはずっとマシだ。田舎育ちの悪ガキの根性をなめんじゃねえ。お前とは鍛え方が違うんだよ」
ここまで言って、ようやくチュチュは納得してくれたらしい。より正しく言うならば、言い返せなくなったってほうがいいか。何かを言いたそうに口をもにょもにょと動かそうとして、結局は黙って俯いている。
今から村に戻ってだいたい夕方。そこから山狩りの準備を整えて……ってなると、どんなに早くとも村の連中がここに来るのは夜になるはず。山狩りのついでに俺を探しに来てくれるか、あるいは夜間の探索は危険と判断し、俺の救出は明日になるか。村の連中がどう判断するかが怖いところだ。
……俺がか弱い女の子だったら、悩む間もなく助けに来てくれるんだろうなあ。「あの悪ガキだったらそう簡単にはくたばらない」って思われていそうなのが凄くイヤだ。
「いいかラウル、ちゃんとチュチュを村まで連れて行くんだぞ?」
「でも……にーちゃん……!」
「チュチュ、ラウルのことをたの……チュチュ?」
おかしい。
後はもう、ラウルの手を引いて山を下りれば良いってだけなのに──チュチュは、ずっとウンウンと唸っている。眉間に皺を寄せて、顎に指を当てて……見ているだけで、ものすごく葛藤しているってのが伝わってくるくらいだ。
「……やっぱりダメだよ。どう考えても、ゴーシュを迎えに来れるのは夜になっちゃう。樹の上に登るって言ったって、ここには血の匂いが満ちている。そう遠くないうちに畜生共が集まってきて……樹上にいる獲物に気づくはず」
「……」
「夜の山はヤバいってイズミも言ってた。この帰り道だって、他に魔物がいないとも限らない。二匹もいたんだもん、きっとほかにも──」
「馬鹿野郎! そんなこと言ってたら──!」
──がさ。
ああ、ちくしょう。悪い予感ばかり当たりやがる。
「に、にーちゃん……!」
「やっぱりイズミの言う通りだ──害獣どもはいくらでも湧いて出てくるって」
怯えてチュチュに縋るラウル。なぜだか妙に冷静に呟くチュチュ。
俺達の目の前には、ちょうど今まさに藪からその姿を現したゴブリンたちがいる。二匹、三匹、四匹──全部で五匹。さっきのやつらより体格が小さいところを見ると、まだ子供のゴブリンらしい。きっとさっきの二匹がとーちゃんかーちゃんで、その帰りが遅かったからやってきたに違いない。
あるいは、もっと単純に──チュチュが言った通り、血の匂いに釣られてきた別の連中って可能性もある。あれだけ大きな音も出していたんだし、そう遠くないうちに、魔物も含めていろんな生き物がここにやってくるだろう。
……おかしくねえ? 二度ならまだしも、なんで三度も似たようなパターンで出てくるんだよ。
「ラウル……! チュチュ……! てめえら、全力で逃げろ……ッ!」
鉈を杖代わりに、無理やり立ち上がる。こうなったらもう、少しでも時間を稼いで一矢を報いるしかない。で、村の男連中にこいつらを──出来るだけ派手にぶっ殺してもらおう。
「いいか、俺が時間を──!」
「──もういいよ、ゴーシュ」
くい、とチュチュが俺の服の裾を引っ張った。
「ホントは一人でやり遂げたかったけど……これ以上は、ホントに危ないもん」
「チュ、チュ……!?」
様子を伺うように……けれど、少しずつ俺たちに近づいてくるゴブリンを前にして、チュチュはそんなの関係ないとばかりに冷静だ。まるで相手が目に入っていないかのようで、とても魔物の前に対峙している人間の様子とは思えない。
「お前なら……こいつらを」
「倒せる、と思う。けど、それをやると本気で疲れちゃうし……結局ゴーシュをここに残すことになるから意味が無い」
じゃあ、なんなんだ──って俺が言う前に。
チュチュは、ラウルに優しく声をかけた。
「ラウル。僕のリュックのポケットにあるやつ……横のポケットにあるやつ、取って?」
「え……横のって……これ?」
「うん、ありがと!」
言われるがままに、ラウルがチュチュのリュックから取り出したもの。
剣でもなければ食料でもない。魔法の道具の類かと思いきや、そういうわけでもない。金銀財宝や金目の物……あるいは、この事態を打破するために必要なものというわけでもない。
そう、それは──。
「──そんな鉄くずが何の役に立つんだよ!」
手のひらサイズの、妙な形をした鉄片。ボコボコといくつかの凹みがあるだけの、なんてことの無いただの細長い板きれ。
「バカを言ってる場合じゃねえだろうが……! てめえが今やらなきゃいけないのは、ラウルの手を引いて振り返らずに突っ走ることだッ! わかったならさっさと行けッ!!」
「ううん、もう大丈夫──ゴーシュは優しいんだね」
「あ──」
ふわりと優しく笑ったチュチュが。
子供とは思えない神秘的な雰囲気を纏ったチュチュが。
まるで物語に出てくる妖精のように──ピンチを助けてくれる妖精のように、俺とラウルを優しく抱きすくめた。
「だってこれ……スペアキーだから」
その“何か”をぎゅっと握りしめて。
チュチュは、不思議と響き渡る声で呟いた。
「──はうすりっぷ」




