勣水精縁編:3 秘密の場所へ
「ふう……ふう……!」
「……」
歩くことしばらく。あともう少しで美味いラブラズベリーがたくさん生っているところに着くだろう……ってタイミングで聞こえてきた、明らかに荒い息遣い。気のせいで片づけるにはちょっと難しく、そして相手が相手だけに無視することも憚られるのが問題だった。
「どうしたの、チュチュ?」
「ん……! だいじょぶ、ちょっと疲れただけ……!」
「それは大丈夫って言わねえよ……」
振り返ってその姿を見てみれば、チュチュの頬は疲労で赤くなっていた。肩で息をしているうえに、その綺麗な髪が汗でぴとりと首筋に張り付いていて、なんとも……いいや、なんでもない。
曲がりなりにも「山」と呼ばれるだけある場所なのだ。やはりというか、街育ちの──それも、おそらくは結構良い所の嬢ちゃんの体力じゃ厳しいところがあったのだろう。これが村のチビたちだったら気合でどうにかしろって言ったし、なんなら俺もそう言う風に言われて育ったけれども、さすがにこいつに同じ扱いをするのは気が引ける。
いや、だってめちゃくちゃに甘やかされてる良いとこのお嬢さんだぜ? いくら平民だって言っても……なあ?
「ちょっと休むぞ。……ちょうどあそこに良い感じの木陰がある」
「えっ……でも、急いでラブラズベリーを採らないと……!」
「急いだところで大して変わりゃしねえよ。それに、疲れて動けなくなったら余計に時間がかかる。帰り道だってあるんだからな。あと……ラウルも休ませねえと」
「えー? にーちゃん、僕はまだ全然だいじょ……」
「黙ってろ」
子供の体力は底なし……と言われるが、全然そんなことは無い。実際は単純に、ペース配分が出来ないってだけだ。常に全力で動き回れるように見えて、その時が来たら一瞬でピクリとも動けなくなるってのが当たり前で、何度俺が動けなくなるまで遊んだアホどもをおぶって帰る羽目になったことかわからない。
だから、こうして適宜休ませてやるのは俺の仕事だ。正確に言えば、俺自身が楽をするためにやっていることだ。
「……うん、そうだね。ゴーシュがそう言うのなら、きっと正しいんだろうね」
「そういうこった」
まだまだ元気いっぱいなんだけど──と若干不満そうにしているラウルの頭を押さえ込んで、無理やりに座らせる。ついでにチュチュがリュックを降ろすのを手伝ってみれば、意外なことに結構な重量があることに気づいた。中に何が入っているかはわかんねえけど、家出のために準備をしてきた……ってのは、割とマジっぽい。
「……ふう! なんか肩が軽くなった気がする!」
「結構いろいろ持ってきたんだな」
「うん! どんなことにも対応できるようにいろいろ考えたんだから! ……あっ、そうだ!」
がさごそ、がさごそ。
でっかいリュックの中に手を突っ込んで、チュチュは何かを探っている。……今更ながら、いまどうやってこいつリュックの口を広げたんだ? なんか変な金具みたいなのをジーって動かしていたような……。
「はい、これ! お弁当!」
「おおお……!?」
銀。マジで銀。びっくりするくらいに銀。
チュチュが取り出したのは──木漏れ日を受けてキラキラと輝く、今まで見たことが無いくらいに綺麗な銀塊だった。
「すっごいねえ、にーちゃん……! 僕、こんな綺麗なやつ初めて見たよ! 妖精さんって、こんなに綺麗な銀を食べるんだねえ!」
「ばっ……ラウル、そうじゃねえだろ! チュチュもチュチュだ! そんな高そうなもの、むやみやたらと見せびらかすんじゃ……!」
「んー? ……ああ、違う違う! これ、銀じゃないからね!」
銀じゃない。
なるほど確かに、俺が知っている銀よりもこいつははるかに輝いている。もしかしなくとも、俺の知らない……銀よりもはるかにすごい宝石なのかもしれない。
「これね、アルミホイルだよ。塊じゃなくって包んであるだけ……ほら!」
「……む?」
ぺりぺり、ぺりぺり。
銀の塊だと思ったけれども、どうやらそういうわけじゃないらしい。俺たちの目の前でチュチュはそれをひん剥いた。
どうやらこいつはとんでもなく薄い紙のようなものであるらしく、中にあった食い物──ライスの塊になんか変な黒いのが張り付いている──を包んでいただけだったらしい。
……いや、塊じゃないだけですげえ薄い銀であることには変わりなくね? むしろ、こんなに薄くて紙みたいな銀って、作るのかなり難しいんじゃねえの?
「チュチュ、それなーに?」
「おにぎり! 僕、これ大好きなんだ! たくさんあるから、みんなで食べよっ!」
ぽん、ぽん、ぽぽん。
何のためらいも惜しむそぶりも見せず、チュチュはリュックの中から取り出した銀塊を俺達の手に乗せてくる。言葉通り、食べてもいいってことなんだろう。……この銀の紙は貰ってもいいんだろうか?
「……わあ! 初めて食べたけど……すっごく美味しい!」
「そうでしょそうでしょ!」
チュチュを真似して銀の紙をひん剥き、そしてライスの塊に嚙り付いたラウル。ガキだからか、遠慮とかそういうのを一切気にしていない。これがマジに高いもので金を請求されたらどうするんだとか、せめてもうちょっと味わって食べてくれとか、そんな俺の気持ちはまるで届いちゃいなかった。
「ゴーシュも食べてよ!」
「お、おう……」
おそるおそる、嚙り付いてみる。
「……あ、美味い」
初めての感覚。ライスそのものにそこまで味があるわけじゃないけど、程よい塩気がなんとも美味い。あと、中に何か具が……なんだろう、肉っぽい何かが入っている。肉なんて滅多に食えないから、残念ながら俺にはこれ以上のことはわからない。
「良いもん食ってるんだな、お前……」
「そお? ……あっ」
追加のそれを取り出したチュチュは、何かに気づいたかのように眉をひそめた。
「ゴーシュ、足りないでしょ? おかわりあげるね」
「あ、ああ……」
他人に飯をあげる。こんな発想ができること自体が、こいつが良い所育ちであることの証明だ。俺達みたいな村育ちだったら、兄弟間で飯の奪い合いは当たり前で、間違っても自分の分を誰かに分けるだなんてことはしない。
まして、こんなに美味くて腹にたまるものだったらなおさら──
「──んぐっ!?」
唐突に襲ってきた、未知の感覚。初めて感じる、痛烈過ぎる刺激。
辛いとか渋いとか苦いとかじゃあない。そんなものよりももっと強烈な──!
「……酸っぱいよね、それ」
そう、めちゃくちゃ酸っぱい。ちょっとびっくりして声を上げる程度には酸っぱい。それも、果物の酸っぱさとかじゃなくて、もっとこう直接舌をぶん殴られたかのような……なんだこれ?
「正直僕、それちょっと苦手」
「チュチュ……! てめえ、わかってて寄越しやがったな……!?」
「梅干しって言うんだって。大人なら美味しく食べられるらしいよ? ……僕はまだ無理だけど、ゴーシュならいけるかもって思ったんだもん!」
「もん、じゃねえよこの野郎……!」
とはいえ、どんなに酸っぱくとも飯は飯だ。そして慣れてさえしまえば普通に食える。
「全く……なんでこんなもん入れたんだよ? あの肉みたいなやつでいいじゃねえか」
「えっ、にーちゃんのはお肉が入ってたの? 僕のはおさかなみたいなのだったけど……」
「ゴーシュのは作り置きしていたそぼろで、ラウルのはおかかかな! 僕のはシャケのやつ!」
にこーっと笑って、チュチュは自らの食べかけのそれをラウルに見せた。で、そのまま普通にラウルに嚙り付かせている。少々手つきがたどたどしいのは、やはり一人っ子だからだろうか。
それはともかく、だ。
「質問に答えろ、チュチュ」
「うっ……その、梅干しってなんかこう……体に良くて食中りを防ぐ効果があるんだって。だから僕はそんなに好きじゃないのに、絶対一つは入れてくるの。……たぶん嘘だと思うけど、赤ちゃんの頃の僕は梅干しをすごく食べたがってたんだぞーってイズミもミルカも言ってた」
「お前なあ……だからと言って、好きじゃねえもん作ってどうす……ん?」
ちょっと待て。
今こいつ、さらっとすごいこと言わなかったか?
「なあ、チュチュ」
「な、なあに? ……言っておくけど、それはもうゴーシュが食べていいんだからね!」
「そうじゃなくてさ。……これ、お前が用意したんじゃねえの?」
「えっ、違うよ? 僕、お料理のお手伝いはしたことあるけど、一人でやったことは無いもん」
「……」
「これはねえ、ミルカが作ってくれたの! 明日家出するからねって言ったら、『じゃあ、お弁当をたくさん用意しておかないといけないですね』って! 多めに作っておくから、食べきれなかったら残してもいいよって言ってた!」
「……」
「ミルカはね、すっごく料理が上手なんだよ! 初めての料理も、パーティーみたいな豪華な料理も、なんでも簡単に作っちゃうんだから!」
「へええ……! すごい人なんだねえ……! それにたくさん持たせてくれたってことは、優しい人でもあるんだね……!」
「うん! ……あ、でもでも、イズミの料理はミルカと違う豪快さがあって好きだし、なにより……一番好きなのはお母さんの料理だけどね!」
「はあ……! いいなあ……!」
「……」
チュチュはミルカって人の料理がどれだけ美味しいかを得意げに語る。そんなチュチュの話を目をキラキラ輝かせながら聞いているのがラウルで、そこに何の疑いも抱いていない。
「もしかしたらだけど、家出が長引くかもだからたくさん持たせてくれたのかなあ。それとも、こうやって誰かと一緒に食べることを見抜いて持たせてくれたのかも……よく考えたら、絶対一人で食べきれる量じゃないし」
「……そうだな、きっと優しい人なんだろうな。ここまでしてくれたんだ、美味いラブラズベリーをたくさん採って帰らないといけないな」
「うんっ!」
チュチュの底なしの笑顔を見て、改めて思う。
こいつ、全然気づいていないけど──家出したと思ってるの、もしかしなくてもこいつだけなんじゃねえか?
▲▽▲▽▲▽▲▽
「ほら、ついたぞ」
「おおお……!」
それからしばらく。休憩のおかげもあって歩く速さも上がった俺たちは、ようやっとラブラズベリーの秘密の群生地に辿り着くことができた。
「い、いっぱいある……!」
秘密の……より正確に言えば、俺の家族しか知らないこの場所。山道をちょいと逸れてやぶの中を突っ込んだ先に突如現れる、開けた場所。ここに至るまでのルートがルートだから他の人間が迷い込むということもほぼあり得ず、そして運が良いことに鳥や獣共に荒らされた形跡もない。
「こ、これ全部採り放題なの……!?」
「持てる分だけ、な」
しかしまぁ、正直俺もちょっとびっくりするくらいに鈴生りだ。いくら最近来れていなかったとはいえ、ラブラズベリーの特徴的な赤色がそこかしこにあって、そのどれもが丸々と大きく太っている。もしこの場に俺一人しかいなかったのなら、俺だってチュチュと同じように目を輝かせていたかもしれない。
「おおー……! いつもは葉っぱの陰とか、ちょっと探さないと見つからないのにね」
「そうなの? ……あっ、そうか、鳥さんが食べちゃうからか!」
ワクワクとした気持ちを抑えきれないとばかりに、チュチュがラブラズベリーの傍らに膝をつき、その赤い実を優しく摘み取った。
「た……食べて良い、かなあ?」
ああ、なんでこれだけの動作なのに、こいつの場合はこんなにも絵になるんだろう。ただ笑ってラブラズベリーを摘んだだけだというのに、どうしてこんなにも心が動かされるんだろう。実際はただのぽやぽや頭のガキだってのに、顔が良い奴はこれだから困る。
「いいんじゃね?」
「わぁい!」
同じくガキであるラウルと違うのは……ちゃんと、「待て」が出来ることだろうか。俺たちの場合、目に着いたらすぐに口に入れておかないと次の瞬間には無くなっているからな。案外、こいつがこんなにも無邪気なのはきちんとした躾の賜物……なのかもしれない。
「すっごい! すっごく甘酸っぱい! 僕、こんなに甘酸っぱいの初めて食べたよ!」
「気に入ってもらえたようで何よりだ……と、持って帰る分まで食べるんじゃねえぞ?」
「あはは、そんなことしないってば!」
この一口だけ、と摘み取ったそいつを口に放り込んでから、チュチュは布袋にラブラズベリーを集めていく。あの大きさなら、いっぱいに集めるのにそこまで時間はかからないだろう。帰りは下り道だし、これなら夕暮れの前には楽勝で帰れそうだ。
「……ん、美味い」
ちょっと久しぶりに食べたラブラズベリー。甘酸っぱいのはもちろん、摘み立てだから香りがすごい。干した奴やジャムも美味いことには間違いないが、この新鮮な香り……言葉にできないこの独特の風味を楽しめるのは、こうして足を運んだ奴だけの特権だ。
「にーちゃん、僕も採ってっていいよね?」
「おう。久しぶりの小遣い稼ぎだ、採れるだけ採っていけ」
色つやが良くて美味そうなのは自分たちで食べるために。ちょいと形が歪で酸っぱそうなのはジャムにして売るために。取り立てて問題は無さそうだけどなんか気に食わないのはドライフルーツにして売るために。ここらのガキは、ガキであってもその選別眼を兼ね備えている。小遣いに直結する技術だから、自然と鍛えられるんだよな。
「ねえ、ゴーシュ! 見て見て、こんなにいっぱい!」
「そりゃよかった」
「……もぉーっ! もっとびっくりしてってば!」
「へいへい」
袋一杯のラブラズベリーを見せつけて。満面の笑みになったかと思えば、次の瞬間にぷくっと口を膨らませて。生憎俺はもうラブラズベリーの収穫ではしゃぐ年齢じゃないが、どうしてなかなか、コロコロと変わるチュチュの表情を眺めるのは面白い。
「でも、良いのかなあ? 僕たちだけ採り放題だなんて!」
「いいんだよ、ここにはたくさんあるんだから。それに、みんな同じような秘密の場所はあるんだし……おっと、だからと言ってお前の家族に言うのは無しだぞ? これは、俺達だけの秘密だからな」
「……えっ、秘密? お母さんにもミルカにも……イズミにも、ペトラにも?」
「ああ」
「……うんっ! えへへ、秘密かあ……! なんか大人みたいでいいねえ……!」
ああ、俺も昔は同じことを言われて喜んだ気がする。初めてとーちゃんにここに連れてきてもらったときは、ようやく大人の仲間入りができたんだって、舞い上がった気がする。実際はただ単に、態のいい労働力の確保だったわけだが。
「……んっ?」
「……あ?」
チュチュの動きが、ぴたりと止まった。
その視線の先には──ラウルがいる。
「ねえ、ゴーシュ」
「……」
チュチュが気づいた違和感。ラブラズベリーに夢中になっているラウルの、さらにその先。
がさがさ、がさがさと──何故だかそんな音が、ラウルの動きとは全く関係なしに聞こえてくる。
「……ここ、秘密の場所なんだよね? 誰か来ることってあるの? もしかして……尾行された?」
「いや……」
音。大きめ。葉っぱ。枝の折れる音。
葉を踏みしめる音──体はでかい?
聞こえる息遣い。
何より──獣くせえッ!
「ラウルッ! こっちにこいッ!」
──ガァァァァ!
俺の叫びに呼応して。
藪の、茂みの向こうからぬうっと姿を現したのは……ゴブリンじゃねーか!
「わ、ひゃ……!」
「ちくしょうッ!」
なんでこんなところにゴブリンがいるんだとか、運が悪いだとか、肝心な時に腰を抜かしてるんじゃねーよとか、いろんなことが一瞬のうちに頭の中を巡って……そして気づけば、足が勝手に動いている。
俺とラウルまでの距離、だいたい十歩。
ラウルとゴブリンの距離、やっぱりだいたい十歩。
動き出しはほぼ同時。これならギリギリあいつの腕をひっつかんでこっちに投げ飛ばすことが──!
「ラウルっ! 伏せて!」
「チュチュ!?」
視界の端。金色の何かが閃いたと思った瞬間、俺より数歩先の位置にチュチュがいた。
左手にはラブラズベリーが詰まった袋。
そして右手には──チュチュが持つにはずいぶんと大きい、使い込まれた鉈がある。
「往ッ生ッ! せいやああああッ!」
──アアアア!?
突進した勢いのまま、右腕を体に引き付けて……体をひねって回転するように。
チュチュは──とてもその綺麗な顔からは想像できない叫び声をあげて、そのゴブリンに切りかかった。




