90 熾燼:怒り燃え執する残火
館へのカチコミが始まったというのは、部屋に軟禁されているミルカにもなんとなくわかった。
さっきからどうにも館の外が騒がしいし、あまり聞こえちゃいけないような破壊音も断続的に聞こえていたりする。イズミ達がなりふり構わず攻撃していることは明らかで、そしてまた、そう遠くないうちにこの館に突入してくるだろうことに、ミルカは確信にも似た思いを抱いていた。
「……やっぱり、疑うまでも無かったですね!」
なんだか堪らなくうれしくなって、独り言のつぶやきも弾んでしまう。自分でもそのことを自覚しながら、ミルカはこれからのことを考えた。
「大人しくここで待っている方がいいんですかね……」
部屋の外には出られない。カルサスが施した水の封印は健在で、ミルカの実力じゃどうあがいても突破することはできないだろう。
とはいえ、だからと言って何もしなくていい理由にはならない。突破することは不可能でも、ある程度弱らせたり、綻びを作る程度はできるかもしれない。何もしないまま諦めるというのは、ミルカの性分としても許されないことである。
あるいは。
「なんとかして、この場所を知らせることができれば……」
おそらく。
こちらの人数的に考えて、陽動部隊と突入部隊に分かれるだろうとミルカは考えた。ペトラとアルベール辺りが盛大に注意を引き、その隙にイズミと奥様がこっそり、あるいは強行突破して館に突入してくるのが最も現実的だろうと考えた。
となれば、早い所助けてもらう……つまり、目的地を知らせることができれば、館の探索の時間を丸々削ることができる。すなわち、よりリスクを下げることができるはずなのだ。
「やるだけやってみましょうか!」
椅子を持ち上げ、壁に強かに打ち付けて。心の中で謝りつつも、花瓶を扉にぶん投げて。
やたらめったら暴れまわれば、その騒音できっと気づいてもらえる──だなんてミルカの考えは。
「ああもう、憎たらしい程丈夫ですわね!」
壁全体を──部屋全体を保護する風の封印により、見事に打ち砕かれた。
「見えてなかっただけで、壁も床も天井も……! 私がこうすることも予想済みだったってことですか!」
水の封印と風の封印。二つの魔法によりこの部屋は完全に閉ざされ、内側から壊して出ることもできなくなってしまっている。こうなるともう、閉じ込められたミルカとしては外からの救援を待つことしかできない。暴れたところで体力が無駄になるだけだ。
「ふんだ、いいですよもう。大人しく待っていればいいんでしょう?」
ちょっぴり拗ねたミルカは、不貞腐れるようにベッドに寝転がる。
そして、ちょっと乱れた髪を手櫛でぱぱっと整えた。
「ひ、久しぶりに会うんだし……さすがにだらしなくするわけにはいきませんよね」
で、さらにもうちょっと考えた。
「……助け出されるのなら、どういう体勢の方がいいんだろ?」
一応、今の自分は【囚われのお姫様】である。お話とかではあまりその辺詳しく触れられていないが、お行儀よく椅子に座っていればいいのか、それともいつでも動けるように準備をしておいた方がいいのか。あるいはもっと、助けに来た人間の庇護欲を刺激するように、いかにもか弱い感じでベッドに寝転がっていればいいのか。
「どうなんでしょう……そりゃあ、すぐ動けるようにしてもらったほうが楽ですけれども。ですが、それだと可愛げがないような。殿方は守りたくなるような娘が好みだと聞きますし、こういう時は素直に甘えておくのがむしろマナーなの……かなあ?」
ミルカの中では、イズミが助けに来てくれることは絶対的な決定事項である。だから、あとはどれだけイズミに「助けに来てよかった」と思ってもらえるかが重要なのだ。
「……悪くはない、かも」
どうせ、この館にいる人間はみんな顔見知りで、そしてこの館を襲撃しているのは他でもないイズミたちなのである。人が死ぬような事態になるとはとても思えず、だからこそミルカにはそんなことを考える余裕もあった。
そして。
『カぁぁあぁルぅぅぅううサぁぁああスぅぅううう!』
「ひえっ」
びりびりと響いてきたその大きな怒声に、ミルカの喉から小さな悲鳴が漏れ出てしまった。
「イズミさん……相当にお冠ですね……」
この世界の人間として、イズミと一番付き合いの長いミルカにはわかった。イズミはいま、心の底からブチ切れていて、頭に血が上って狂った獣のようになっている。前々からちょっと猛々しいところがあるとは思っていたが、どうやら今日は一切自制する気が無いらしい。
『出て゛こ゛い゛や゛コ゛ラ゛ァ゛ッ゛!!』
「助けに来てくれたんだよね……う、うん」
悪の手から颯爽と救い出してくれる王子様──とは、とても思えない怨嗟の籠りきったその怒声。ロマンチックな雰囲気なんて微塵も感じないどころか、タチの悪い借金取りか何かに追われているんじゃあないかと思えてしまう。少なくとも、この状況を見てイズミのことを正義の味方だと思う人間は、このオルベニオの街を探しても一人たりとも見つからないだろう。
「ふふっ……でも、あの人らしいか」
年増の人妻扱いされたり、かと思えば小娘扱いされたり。普段の日常だってちょこちょこからかってくるとは言え、そんな相手は……今、自分のことだけを想って、自分の為だけに本気になってくれている。
「……あらやだ」
たとえ物語の王子様とはかけ離れていても。
たとえ悪人のような怒声を上げていたとしても。
たとえお姫様扱いをしてくれそうになかったとしても。
たった一人の男が、本気になって自分を求めている。
「……くふふ」
ミルカの心の中に初めて生まれた、刺激と快感。言いようのない優越感で胸がいっぱいになり、ゾクゾクとしたそれが背筋に伝っている。
「……くふ、くふふ!」
きっと自分はとても人には見せられない顔で笑っているんだろうな──という自覚がありつつも、ミルカはそれを止めることができず、それどころか、そこに何の問題があるのかとさえ思い始めている。
「……ふふっ、ふふふふっ!」
もし、第三者が今のミルカを見ていたら。
きっと、自身を抱きしめて妖艶に笑う姿に──人によっては浅ましさすら感じるその表情に背徳的な美しさを感じて、釘付けになっていたかもしれない。
「……む?」
さて、そんな風に優越感に浸っていたミルカを正気に戻したのは、目の前のそれが……さっきまでこの部屋全体を包んでいた魔力の気配が、すっかり霧散したという現実であった。
「……開く、の?」
扉は開く。窓から身も乗り出せる。水の封印も風の封印もすっかりなくなって、もうすでにこの部屋はただの部屋と化している。
それが意味することは、つまり。
「カルサス様が倒された? いやしかし……」
耳をすませば、やっぱりまだどこかでイズミが暴れている音が聞こえる。そして、扉の外に助けに来た誰かがいるわけでもない。
「……戦闘中? 攻撃を受けて、こっちの魔法を維持する余裕がなくなった?」
──本当は違う。カルサスは戦闘で攻撃を受けたのではなくて、単純に凄まじいまでの精神的ショックを受けただけだ。だけれども、今のミルカにはそんなの知る由もない。
「戦闘中なら、下手に加勢に行っても足手まといになりそうですね……かといって、この部屋に留まり続けるのも愚行。……ここはさっさと逃げて、安全であることをアピールするべきですかね」
きっと館の外には助けに来た誰かがいるはず。そして、すぐ近くには家もあるはずだ。絶対的な安全地帯、かつ奇襲にも使うことができるそれなのだから、イズミ達がその有利を使わないはずがない。
「……この高さなら」
カーテンとシーツをしっかりと結んでつなぎ合わせて。
ついでに保険として、枕やクッションなどを一通り窓の外に投げ捨てて。
「……ええい!」
ミルカは、館から脱出するべく窓から飛び降りた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
──ペトラがそれに気づいたのは、本当に偶然のことだった。
「……なあ、アレなんだ?」
「おん?」
領主直々の停戦命令が出てから。元より、互いにそこまで争う理由のない──あくまで痴話喧嘩の加勢という立場であるペトラと私兵たちは、少しばかりの警戒心を残しつつも、剣を納めて停戦状態だった。
お互いそれなりに体力は削られていたし、ほんの少し前までは同僚だったのだ。そういう意味では、仲良しこよし──とまではいかないものの、ぽつりぽつりと現状に対する愚痴を言い合える程度には緩んだ空気であったことは間違いない。
「……眼がおかしくなったのかな。それとも、賢者の幻術か何かか?」
「あいにく、こちら側にも心当たりがなく、そして私にも見えているから聞いているんだ」
なんか、すごくデカくてヤバそうなものが街の中にいきなり現れた。ぱっと見はゴーレムか何かのようだが、とにもかくにもその大きさがヤバい。あまりに大きすぎるせいで距離感がまるでわからず、そして不思議なことに、そいつはだんだんと大きく──否、こっちに向かって歩いてきている。
「……本当に、そっちの仕業じゃないんだろうな? できればそうであってほしいんだが」
「そうであってほしいと、誰よりも私が思っているよ」
街の中にいきなり表れた超巨大ゴーレム。一歩、また一歩とその足を進めるたびにグラグラと地面が揺れ、そして進行方向にある家や建物をお構いなく潰している。悲鳴と怒号、そして立ち込める土煙を見れば、非常事態……それも、飛び切りヤバいやつであることは疑いようがない。
──ドォォン!
大地が一際と大きく揺れ、その超巨大ゴーレムが全身を現す。
この瞬間、ペトラと私兵たちの考えは一つになった。
「──ここで仕留めるぞッ!!」
「これ以上は進ませるなッ!!」
疲れ切った体に鞭を打ち、そして彼らは剣を構える。サイズがサイズ故に、武器を構えたところでどうにかなるようなものではなかったが、それでも彼らは、立場こそ違えど誰かを守る人間たちであることには変わりないのだ。
「攻撃しようなんて思わなくていい! 攪乱して動きを止めろ! そうすればそのうち領主さまが何とかしてくれる!」
「応ッ!」
隊長の号令にすぐさま反応し、私兵たちが散開していく。さすがと言うべきか、明らかに不利な相手に対してもまるで臆した様子はない。
「おいペトラ! なんかこう、賢者の秘術でどうにかできたりしないのか!?」
「……」
ペトラは考える。
チェーンソー。たぶん無理。いくら切れ味が良いとはいえ、岩を切り裂けるとは思えない。切り裂けたとして、サイズがあまりにも違いすぎる。
クマよけスプレー。これも無理。効くのはあくまで生物のみであり、そもそも生きているとはいいがたい相手には効果が無いことは実証済みである。試すだけ試すのも悪くないが、しかしやっぱり相手がデカすぎるし顔がどこだかもわからない。
自動車で突っ込む。たぶんそのまま自分がぺちゃんこ。岩の塊に突っ込むだなんて、ただの自殺志願でしかない。
つまり、結論としては。
「こっちも、奥様の魔法頼みしかないな。いくらなんでもサイズが違いすぎて……うわっ!?」
──ドォォォンッ!!
たったの一歩。傍からはゆっくりとした動きに見えるが、岩の巨人が足を降ろす度にグラグラと地面が揺れ、そして破壊の痕跡が刻まれる。今はただ動いているだけだが、もしこれが本気で攻撃をしてきたらと思うと、ペトラは心の中で冷や汗を止めることができなかった。
「くそっ! こっちは完全に無視かよ!」
「隊長! こいつ、止まりません! ずっと真っすぐ、屋敷に向かって!」
「見りゃあわかる! 無理でもなんとか注意を引きつけろ!」
既に周辺にいた人間の大半が逃げ出している。さっきまで近くに一緒にいたはずのアンナもいつの間にか姿を消していて、ここには責務としてそれをしなくてはいけない人間しか残っていない。
──いや、違う。
「お、い……! だれ、か……!」
すでにボロボロなのに。額からは血を流し、腕が変な方向に曲がっているというのに、明確な意思を持ってこちらにやってきた人間──装いから見るに、騎士団の人間がいた。
おまけに。
「ちょっとあなた!? いったいどうしたんです!?」
「ミルカ!?」
今にも倒れそうなその騎士を支えたのは、館の裏手から飛び出てきたミルカだ。
「おい! こっちだこっち!」
「ペトラ!? ……なんですかアレ!?」
混沌としてきた状況。バカでかいゴーレムに、満身創痍の騎士に、そしてなぜか普通に脱出しているミルカ。もはや何が起きているのかさっぱり理解ができなくなったペトラは、とりあえず後のことは後で考えることとして、ほぼ反射的にミルカの方へと走り寄った。
「お前、無事だったんだな! ……イズミ殿と奥様は?」
「た、たぶんまだ中にいるはずですけど……それよりも、この状況は!? あの岩の巨人はいったい!?」
「わからん……いきなり姿を現したと思ったら、全てを踏みつぶしつつ真っすぐこっちに──」
『あっははははは!』
甲高い、妙にくぐもったような耳障りな笑い声。
あまりにも場違いなそんな声が、この広場全体に響き渡った。
『あらあらあらあら! 何か足元をうろちょろしていると思ったら……! 脳筋男女にカマトト巫女の取り巻きのアバズレ女じゃない! 今日は一段と貧相な格好をしているのねえ!』
とても不思議なことに。その声は、その言い回しは、ここにいるはずのない人間を連想させるものだった。
さらに不思議なことに。その耳障りな甲高い声は、空の上の方から聞こえているような気がした。
『やっぱり! やっぱりね! あの野蛮な賢者なら絶対そうすると思っていた! この状況、どう見ても……私の読みは間違っていなかった!』
「「!?」」
次の瞬間。その岩の巨人から何か見えない波動が解き放たれて、ミルカは思わず膝をつきそうになった。
いいや、ミルカだけじゃない。
ペトラも、館を守ろうとしている私兵たちも。大なり小なりみんながふら付いて、体をよろめかせてしまっている。おまけにこのめまいのような何かは一向に収まる気配を見せず、今この瞬間でさえも立っているのがやっとという状況だ。
『加勢いたしますわ……! 私が、この私が助けに行くのよ……! これで認められれば、カルサス様の寵愛は私だけのもの……! ついでに! そう、ついでに! 邪魔者を全て消してしまうの! あははは! そう、そうなの! そして私が結ばれるの!』
その声が正気を保っていないというのは誰の目にも明らかだった。独り言……というにはあまりにも大きなその声で狂ったように何事かを喚き散らしながら、耳障りな声で延々と笑っている。
この段階でもう、ミルカとペトラは……いいや、そいつのことを知っている人間は、それがそいつであることに、ほとんど確信を抱いていた。
「あ、れは……あの、岩の化け、物は……!」
わかりきっている答え合わせをしたのは、満身創痍の騎士だった。
「ティアレット・クラリエスだ……!」
『あっははははは!』
ティアレット・クラリエス。奥様の恋敵──政敵にして、ある意味では全ての始まりとなった元凶。ただし、少し前にイズミ達に返り討ちにされ、極度の怒りの余り失神してそのまま牢獄行きとなった人物でもある。
そう、本来ならこの場にいないはずの人間だ。ましてや、岩の化け物の姿で現れるだなんて、誰が想像したことだろう。
「どういうことなんですか!? あの人は牢屋に閉じ込められているはず! あなたはそこの騎士ではないのですか!?」
「そう、だ……! ついさっきまで、クラリエス嬢は牢屋の、中、だった……! なの、に……!」
「……まさか、魔法か? クラリエス嬢も魔法使いだったのか?」
あり得ない話ではない。この国の魔法使いと言えば、だいたいが貴族だ。ミルカのように平民でも魔法使いがいないことは無いが、貴族のそれと比べるとその実力は大きく劣る。名門貴族であれば公言していなくとも魔法使いばかりであり、そういう意味ではティアレット・クラリエスが魔法を使えたとして不思議はない。
ただし。
仮に貴族の出で強力な魔法使いであったとしても、この岩の化け物はあまりにも強大過ぎた。
「わから、ない……! 本当に、わからないんだ……! 所持品なんて何もなかったし……! 念のための魔法拘束だって、していた……! なのに、いきなり魔法を使って、それで……!」
武器も魔道具も、牢屋にはなかった。貴族の出だから、魔法拘束もかけていた。そこまですれば如何に強大な魔法使いであろうと魔法を行使することは叶わず、牢屋から実力で脱出することは不可能である。
だというのに、ティアレット・クラリエスはそんな状況の中で魔法を使い、そして岩の巨人と化して牢屋から脱出したという。
一部始終を見ていた彼はそのことを伝えるべく、建物の崩落によりケガを負いながらもここまでやってきたというわけだ。
「そんな馬鹿な……! アレはどう見ても極上の魔宝でも使わなければ行使できない魔法ですよ……! 本当に調べたんですか!?」
「あ、ああ……。指輪も、イヤリングも、もちろん杖も……服を全部脱がしてまで確認したが、魔道具らしきものは、どこにも隠し持っては……」
「はァ!?」
騎士団の余りにも甘い認識に、ミルカは思わず叫んでしまった。
「それだけ!? 服を脱がしただけ!? 穴は!? 穴はちゃんと調べたんですか!?」
「あ、穴……?」
「だから、穴ですよ! お尻の穴! 何なら前の穴も! 魔宝の一つや二つ、いくらでも隠せるでしょう!?」
「な、ん……!?」
「汚物は!? 汚物の中は調べたんですか!? 魔宝を飲み込んで隠していたのなら、いずれはそこから出てくるでしょう!? ちゃんと調べたんでしょうね!?」
「い、いや……そんな、だって、取り出せたとして、また隠すときは……腐っても名門貴族のご令嬢がそんなことを……」
「するんですよ! 目的のためなら! そういう人種なんですよ!」
ミルカは知っている。奥様自身はほとんど知らなかっただろうが、その裏ではライバル同士がかなりドロドロの争いをしていたことを。お互いいつ寝首を掻かれるかわかったものじゃないから、常に備えをしていたことを。あのティアレットが何の対策をしていなかったとは考えにくく、そして現にこうして強大な魔法を使っているところを鑑みるに、それはきっと間違いじゃないのだろう。
「待ってくれミルカ。つまりいったいどういうことなんだ?」
「アレは紛れもなくティアレット・クラリエス! きっと万が一に備え、体内に魔宝を隠し持っていたんですよ! だから、魔法拘束を打ち破って牢屋から脱出することができた!」
具体的な方法なんてわからないし、知りたくもない。それはミルカの本音であることはもちろん、わかったところで事態が解決するわけでもない。
問題なのは、あのティアレット・クラリエスが……おおよそ正気とは言えない状態で、それも強大な力を持ったまま自分たちの前にいるという所だ。
『おしゃべりは終わりかしらぁ!? ……うふふ! あなたたちの首を捧げれば、きっとカルサス様も喜ぶわ! ええ、私だけを見てくれるの!』
「ええい、元々トチ狂っているとは思っていたが……! ここに来ていよいよ極まってきたな……!」
「おまけに、魔法は感情の高まりにより爆発的な威力を出すもの……! 癇癪持ちのあの人とは、ある意味で相性は最高……!」
『誰が癇癪持ちですってぇえええ!?』
「「!?」」
目の前が暗くなる。先ほどまでとは打って変わった機敏な動きで、岩の巨人が拳を振りかざしたのだ──と気づくのにそんなに時間はかからない。高々と掲げられたその岩の拳は太陽の光を遮って、隕石のような勢いでミルカたちに襲い来る。
「きゃ──!?」
「ミルカ!?」
ペトラは避けた。相手が動いた瞬間に、ほとんど反射的に足が動いていた。それは戦士としての勘というか、ともかく実戦慣れしていたからこそできた動きだった。
ところが、ミルカはそういうわけにもいかなかった。ペトラと違って実戦慣れしていないのはもちろん、ケガをした騎士の体を支えていたのだから。加えて言えば、ティアレットはミルカのことを狙っていたわけで、攻撃の着弾点のど真ん中にいた、というのも大きな理由だったりする。
『あっははは! ざまぁないわ──あら?』
「……?」
岩の巨人の拳が止まる。
いや、止まったんじゃない。
「うわああああん!」
止まったのではなく、止められた──突如空中に出現した大きな水の渦が、超質量のそれを完全に受け切ったのだ。大きな大きな水の盾として、ミルカの身を守ったのだ。
そしてもちろん、その水の魔法を使ったのは。
「テオ!? アイリス!?」
「大丈夫ですか、ミルカさん!?」
わんわんと泣きじゃくったテオ。そんなテオを抱っこしているのは、秘かにこのカチコミの間のお守り役を任されていたアイリスである。
「アイリス! どうしてここに……なんで家から出たんだ!?」
「だって! あのまま家の中にいたらぺしゃんこにされちゃう!」
当然のごとく、テオを任されたアイリスは最も安全な場所──すなわち、イズミの家の中にいた。そこであれば何があろうと絶対安全で、イズミ達に万が一があろうともテオの身だけは確実に無事であることが保証されていた。だからこそ、イズミ達はアイリスを家の中に入れるという選択肢を取った。
「バカっ! 絶対に出るなって言っただろ! あそこだけは何があっても安全なんだ!」
誤算はたった一つ。
ミルカやペトラと違って、アイリスはその謎バリアの絶対性を理解しきれていなかった。あくまで「すごい魔法使い」が使えるレベルの結界だと思っていて、「すごい魔法使い」でさえも尻尾を巻いて逃げ出すような……もはや天災にも等しい攻撃に対しては効果が無いと思ってしまっていた。
「うぅぅ……うあああああん!」
ただ、悪いことばかりかと言うとそうでもない。
『……このクソガキがァ!!』
岩の拳を受け止めていた水の大渦。そんな大渦はテオの泣き声に呼応するかのようにさらに巨大化し、そのまま岩の拳を飲み込んだ。
「テオ……! あなた……!」
「さすがは奥様の血を引いているだけあるな……!」
「やれ! やっちゃえテオ坊ちゃん!」
『あああああッ!?』
水の勢いは止まらない。拳を飲み込んだ大渦はさらにその回転力を増していき、とうとう岩の拳をねじ切った。ねじ切ったうえで、瓦礫を巻き込んだ濁流となって押し返し、巨人の腕をもろとも吹き飛ばしてみせたのだ。
「だうぅぅ……!」
『こッ、こッ、むががががッ!!』
水の魔力が霧散して、ティアレットの金切り声が大きく響く。いくら仮初の肉体とはいえ、片腕を失うというのは決して無視できないダメージだ。ましてやたかが赤ん坊如きにそうまで手痛いダメージを食らったとあれば、魔法使いとしてのティアレットのプライドはボロボロだろう。
「ううぅぅ……! うあああああ!」
「テオ!?」
赤ん坊なりに、目の前のそれが敵だと──打ち倒すべき相手だとわかっているのだろう。目から涙をぽろぽろと流し、泣きじゃくって歪んだ顔のまま、テオはその岩の巨人をキッと睨みつけた。
それは大切なおもちゃを誰かに取り上げられた赤ん坊が癇癪を起したような……傍から見れば可愛らしい顔のようにも思えたが、そこには確かに明確な敵意があったのだ。
『生意気なんだよぉぉぉッ!!』
「うきゅっ!?」
「がッ!?」
「うッ!?」
気持ちの悪い何か。魔力のようでそうでない何かが岩の巨人の中心から発せられ、ミルカもペトラも膝をつく。先ほどから何度か食らっていたものではあるものの、今回は明らかにその威力が跳ね上がっており、そして赤ん坊故に精神的に未熟なテオの魔法は発動することなく掻き消えていく。
「うぇぇ……なにこれ……気持ち悪いぃぃ……!」
「また……! いったい何なんだコレは……!?」
『あっはははは! 愚民どもには何をしているのかすらわからないのかしらァ!?』
このキンキンとした金切り声は、いったいどこから出ているのか。めまいと吐き気と頭に響く金切り声のせいで過去最高にイライラしたミルカは、せめて悪態でもついてやろうと顔を上げ──そして、固まった。
「そん、な……嘘でしょ……」
『無駄! 無駄なのよ! 無駄無駄無駄! あなたたちが何をやろうとも、私は決して倒れない!』
壊したはずの巨大な腕が、修復しつつある。今この瞬間も大地からその材料を魔力で手繰り寄せ、その形を復元せんとしている。
元が岩や土塊だからか、それはミルカたちの目の前であっという間に進んでいき、元よりも一回りほど大きくなったところでその動きを止めた。
『んーん、悪くない腕だわぁ! やっぱり無駄に魔力だけはあるみたいねえ!』
「まさか……あの女……!」
「テオの魔力を使って復元したの……!? いえ、テオの魔力だけじゃない!」
『やっと気づいたのぉ!? ……そう! そうなの! わかる!? 《岩の聖鎧》は周囲の魔力と土を糧に作られる! ただそこに在るだけで魔力を吸い尽くして! たとえ壊れようともあっという間に修復する!』
体の元となる材料はそこらへんに腐るほどある。それをつなぎ合わせ、操るための魔力は周囲から吸収する。魔力を軒並み吸い取るから、対峙した相手は魔法を使うことが困難になるし、仮に使えてダメージを与えられたとしても、あっという間に復元してしまう。
そして──魔法の使えない人間があの巨大な岩に対抗する手段なんて、皆無に等しい。
『だから無敵! だから最強! この私に相応しい究極の魔法! 唯一の欠点があるとすれば、文字通り泥くさくて華が無いことかしらぁ!?』
「くそっ……! 剣じゃ倒せないのに、魔法も使わせないなんて……! 魔法使いってのはみんなズルばっかりだ……!」
「一緒にしないでください! こんなのが普通なわけないでしょう!? どう見たって禁術クラス……! 魔宝のほかに、大事な何かを犠牲にしてようやく発動できるレベルのものですよ……!」
もうすでに、テオは動ける状態じゃない。慣れない魔法を行使しすぎたのか、あるいは魔力を吸われ過ぎたのか。熱を出したかのようにぐったりとしていて、現代日本だったら即座に病院に連れていくレベルだ。
元より、赤ん坊があれだけの魔法を使ったこと自体が奇跡に近いのだ。これ以上を求めるのは酷と言うものだろう。
『おしゃべりもそろそろ終わりよぉ! ぺっちゃんこっ! ぺっちゃんこっ! みぃーんなまとめて潰れちゃえッ!!』
振りあがる巨大な岩の拳。頼みの綱のテオは動けず、都合の良い遮蔽物も無ければ、逃げ隠れるだけの時間もない。
つまり、もうミルカたちに残された手段はない。
「ここまでか……! せめて坊ちゃんだけでも……!」
「あんなおっきいの相手にどうするって言うんですかぁ!」
底なしの悪意と共に放たれたそれは、確かなる意志と共にミルカたちの面前に迫っている。一切の躊躇いも無く、その速さを維持したまま。
『あっはははは! ──虫けらは潰れろッ!!』
「……!」
覚悟、とはまたちょっと違うかもしれない。
ただ、ミルカは……ぎゅっと目を瞑った。同じように目を瞑って震えるアイリスと、そのアイリスの腕の中にいるテオをまとめて抱きしめて、心の底から祈った。
「おねがい……!」
たとえどんな状況であろうと、不可能に等しいことであろうと。今まで何度も、何度だって、彼は助けてくれたのだから。どんなに理不尽な状況でも、彼は笑ってミルカのお願いを聞いてくれたのだから。
だから。
だからきっと──心の底から祈れば、きっと。きっと彼なら、助けてくれると本気で思ったのだ。
「──助けて、イズミさんっ!」
ミルカの心からの願いがこもった、その叫びに。
応えられるのは──応えたのは、ただ一人。
「──ハウスリップ」
聞きなれた声。がけ崩れのような激しい音。
もうもうと立ち込める土煙の中、染みる目をこすりながらミルカが顔を上げれば。
「──待たせたな、ミルカさん」
そこには帰るべき我が家と、その主のたくましく大きな背中があった。




