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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
87/99

87 カチコミ


「お客さん? 僕にかい?」


 はて、珍しいこともあるものだな──とカルサスはペンを動かす手を止めて、使用人から言われたその言葉を咀嚼した。


 普段だったら、こういう時は必ず事前に通達がある。お互いスケジュールはみっちり埋まっているため、そうでもないと無駄足になる可能性が非常に高いからだ。そうでなくとも領主(じぶん)が最近ようやくこの街に戻ってこれたというのは周知の事実であり、そんな中でいきなり訪ねてくるというのは、この業界においてはいささか常識知らずというか、失礼な行いと捉えられかねない。


 つまり、この「お客さん」は……この手のことに疎い常識知らずか、あるいはよほど火急の案件を持ち込んできたかのどちらかである。


「うん、わかった。すぐに行くから、いつもの場所で待たせておいて」


 使用人にそれだけ告げて、カルサスは思考を切り替える。


 自分の部下は、みんな有能だ。訪ねてきた相手がよほどの常識知らずなら門前払いしているし、少なくとも主の判断が必要だと思ったから──それも、仕事の手を遮ってでもそうするべきだと判断したからこうやって取り次いできたのだろう。


「……あの件、かな?」


 そんな考えの下、カルサスがいつもの部屋──応接室に向かってみれば。


「これはこれは、領主さま。本日は突然の訪問になってしまい──」


「あはは、堅苦しい挨拶はよしてくれよ。街の人間(みうち)なんだから、お互い普段通りで行こうじゃないか……ねえ、ラルゴ」


 そこには、この街でも上から数えたほうが速い程の規模を誇る商会のトップ──ラルゴがいた。


「……私のことをご存知で?」


「そりゃあ、もちろん。ちゃんとしっかり税金を納めてくれる優良な商会で、悪い噂もまるで聞かない。街の人たちからの信頼もあり、この街の発展に少なくない寄与をしている。……もしキミがこの街からいなくなったとしたら、その対策のために僕の仕事が三割くらい増えるだろうね。代わりが務まる商人なんてそうはいないだろうし」


 ラルゴは大きな商会のトップだ。そしてその仕事の性質から、この街の人間の生活を支えている人間の一人と言ってもいい。そんな人間のことを、女癖が悪いこと以外は有能である領主のカルサスが、知らないはずが無かった。


「領主さまにそう言っていただけると、商人として冥利に尽きますな」


「……でも、今日訪ねてきたのはそっちの話をしたいから……じゃないだろう?」


「……」


「お世辞でも何でもなく、ラルゴの商会は大きな商会だよ。おまけに最近、さらに急激に力を付けた。いろんな商人を抱え込んでいて、その中の一人は……いいや、もっと言えば」


「……」


「異邦の賢者──イズミと唯一繋がりのある商会だ。……さしずめ今日は、メッセンジャー代わりといったところかな?」


「……領主さまの慧眼には、驚かされるばかりですな」


 観念したとばかりに、ラルゴは懐から一通の縦長の封筒を取り出した。この世界のそれとしてはかなり珍しい、一切のくすみがない純白の綺麗な封筒だ。唯一、右上の方に意味ありげな赤い枠が七つほど連なっているが、この世界の人間にはその意味はわからない。


「ネタ晴らしをすると、イズミ自身から伝言があったからね。……これが果し状かな?」


「と、聞いております。……尤も、こんな綺麗な封筒を果し状に使うなとは思いましたが」


「場合によってはその場でビリビリに破られることも多いからね。こんな綺麗な封筒なら、愛を綴ったメッセージカードにでも使いたいところだよ……ある意味、気持ちの籠ったメッセージなのだろうけど」


「……」


「そこは笑い飛ばしてくれると、嬉しかったな」


 封蝋じゃなくて糊なのは文化の違いかな……なんて独り言をつぶやきつつ、カルサスは丁寧にその封筒を開く。中から出てきたのは、果し状としてはあまりに似つかわしくない可愛らしいデザインの便箋であった。


「……ふむ」


「……内容を聞いても?」


「ああ、うん。どうせ大したことは書いてないし、わざわざ危険を冒してまで持ってきてくれたキミにはその権利があるね」


「……えっ」


「冗談だよ……でも、イズミは完全に僕のことを敵とみなしているねえ」


 手に持っていた便箋を、机の上に置いて。


 該当部分を指でトントンと叩いて示しながら、カルサスはなんでもない世間話のように語りだした。


「この館にやってくる日時の予告。力ずくで奪い返すから、関係ない人は館から退避させておけという勧告。これ以上をやるなら出るとこに出てとことんやってやる、でも今なら痴情のもつれってことで済ませてやる……っていう忠告」


「お、おお……」


「ミルカを助け出し、僕が謝罪をしたらイズミたちの勝ち。それが達成できなければ負け……と、勝利条件の明示。……いっそ清々しさすら覚えるね。みんながみんなこうなら、無駄に血が流れることもないだろうに」


「しかしまぁ、痴情のもつれで済ませてやるっていうのは……」


「領主が人さらいをした、って外聞が悪すぎるからね。それにイズミにしても、領主の館に武力を以て襲撃したとなれば完全に犯罪者だ。だからお互い、あくまで個人によるよくある(・・・・)諍いということにして、そのあたりは忖度し合いましょうってことだよ」


「は、はあ……」


「尤も、イズミが自分のことまで考えているかはわからないけれど。いや、彼の性格からして、本当に最後の情けのつもりなんだろうね。……僕も犯罪をしているつもりも、するつもりもない。だから別に、この文章に関してはお互いあまり意味のあるものではないよ」


 もう一度ひとしきりそのメッセージを読んでから、カルサスはその果し状を自分の懐に仕舞い込んだ。


「ところで。あの可愛い便箋はキミの所の商品かな?」


「いえ。自分は封筒を預かっただけですよ。まともに取り合ってもらえそうなのが自分しかいないだろうってことで」


「そうか……キミの所の商品だったら、セットで買おうと思ったんだけど。やっぱりアレも賢者の技術で作られたものなのかな」


「まぁ、質もデザインも、普通の便箋よりはるかに上等でしたが……」


 この状況でよその女を口説くためのレターセットを買うつもりなのか……と、ラルゴの表情にわずかに入り込んだその気持ちをあっさりと見抜いて。カルサスは、ちょっぴり苦笑しながら言葉を紡いだ。


「……あのメッセージ、ルフィアの字で書かれてたんだよ。だからきっと、便箋もルフィアの好みで選んだんだろうね」


「それ、は……」


「うん、ちょっと衝撃だった。イズミじゃなくて、ルフィアがわざわざ僕宛てに書いたんだよ。内容自体は話し合って決めたのだろうけど……つくづく、これが愛のメッセージカードだったらなって思ったよ」


 予告された日時は明後日の午前中。果し状を出す人間が、まさか約束を違えるような真似はしないだろう。そして、まず間違いなく時間もきっちり守ってくるとなれば、カルサスに残された時間──具体的には、館の関係のない人間に暇を出して場を整える時間はあまり残されていない。


「ごめんね、ラルゴ。本当だったらお茶菓子でも出してもてなしたかったけど、どうもそんな余裕はなさそうだ。悪いけど今日はもう、お開きにさせてもらえるかな」


 仕事の調整もしなくちゃいけない──とカルサスは頭の中で素早く予定を組み直していく。明日も明後日もおそらくほとんど何もできなくなる以上、後々への影響はかなり大きい。そしてイズミが聞いたら業腹だろうが、カルサスの中では明後日を無事に乗り切れるものとして物事を考えている。それだけの自信がカルサスにはあった。


「領主さまよぉ」


「うん?」


 部屋から立ち退く直前。先ほどまでとは全然違う雰囲気でかけられた声に、カルサスは足を止めた。


「商人じゃなくて、一人の男として。嫁を娶った男として、あんたに伝えておくぜ」


「うん、頼むよ。そういう本音の言葉が僕は好きだな」


 振り返った先。ラルゴの目は、今までにない程の真剣な光が宿っている。それがどういった感情に起因して起きているものなのか、カルサスにはわからなかった。


「悪いことは言わねえ。あの嬢ちゃんをさっさと帰して、てめえの嫁さんにさっさと謝りな。うわべだけの言葉じゃない、簡単な言葉でいいから本気で謝るんだ。……うちのかーちゃんも、結局はそれで許してくれる」


「……」


「真正面から、本音で向き合ってみろよ。そういうの、向こうはすぐにわかるからな」


「……人生の先輩からの忠告、肝に銘じておくよ」




▲▽▲▽▲▽▲▽




「……ってことがあってね。だから今日は、ちょっと騒がしくなるかも」


「はァ!?」


 そして、襲撃──綺麗な言い方をすれば、決闘当日。時間ギリギリになってミルカの部屋を訪れたカルサスは、例の果し状を見せながらミルカに告げた。


「イズミの性格的に、人死にが出るほどの派手なことはしないと思うけど。あくまで痴情のもつれ、個人同士の喧嘩って態だからミルカも早まった真似はしないでね?」


「待って待って、待ってください……! なんでそんな大事なこと、こんなギリギリになって言うんですか……!」


「変にやきもきさせるのも気の毒だったし、かといって何も教えないと不測の事態が起きかねないから……だね」


 そんなわけで、大人しくしておいてね……とだけ告げて、カルサスは執務室に戻った。


「さぁて、どうなることやら……」


 いつもの机に座ったカルサスは、目の前に浮かぶ水で出来た大きな鏡を眺めた。大きさにして、一般的なベッドの面積のそれと同じくらいだろうか。もしイズミがそれを見たら、畳一畳分……あるいは、80型のモニターのようだと形容したかもしれない。


 そんな水の鏡には、館の扉の前の広場──前庭(まえにわ)が映し出されていた。


「まさか本当にこれを使う日がくるなんてね」


 誰にも知らせていない、遠見の魔法。補助の魔道具の設置が必須ではあるが、この領主の館に限って、カルサスはその場にいながら──正確にはこの執務室の中にいながら、その場所の様子を確認することが出来る。


 ついでに言えば、館には魔力感知の術式も仕込まれており、侵入者がいれば一発で知らせが届くという機能も備わっている。日常のインテリアに紛れ込ませなくてはならないという都合上、迎撃のための兵器らしい設備こそないものの、監視・管理という点だけで見ればこの領主の館は最新鋭の機能を揃えた要塞に等しかったりする。


「ん。問題なく機能しているようだ。みんなの準備もばっちりみたいだね」


 侍女や従者には休暇を言い渡したから、今この館にいるのは自分とミルカ、そして事情を知っている私兵団しかいない。金目のものや壊れると困るものは全部まとめて他の場所に運び出しているから、万が一何かがあってもなんとかなる。


 そう、あらゆる意味で、カルサスは今日の喧嘩(・・)の準備を完全に整えたし、なんなら相手のお望み通り、タイマンで少々(・・)暴れてみようとすら思っている。建前としてそうであるというのももちろん、向こうの性格からしても、そして自分の中にちょっぴり淀んでいる個人の気持ちとしても、そうしたほうが後腐れなくてすっきりするのではないか……と、そんな確信にも似た気持ちを抱いているのだ。


 そして。


『──カルサス様っ!!』


「落ち着いて、どうしたの?」


 正面入り口に待機させていた私兵からの、切羽詰まったような声。魔法の風が運び、魔法の水が伝えてきたその声に、カルサスは穏やかに問いかけた。


『家が! 正門の前にいきなり家が現れました! さっきまでなかったのに、いきなり!』


「……来た、か」


 目の前の水鏡には、件の家は写っていない。ただし、整然と待機していた私兵たちが動揺している様子は見て取れる。ついでに言えば、喧騒と言うかざわめきと言うか……明らかに空気が変わったのが、この執務室の中からでもはっきりと感じ取ることが出来た。


「家を自在に呼び出せるというイズミの魔法だね。近くに術者(イズミ)がいるはずだ。人混みに紛れていたんだろうけど……いる?」


『いえ……まだ家が出てきただけで、何も……。こちらから打って出ますか?』


「ふむ。何もさせずに捕らえるのが一番手っ取り早いけれども。ただ、こちらの門を迂闊に開けるというのも──」


『──ああッ!?』


「どうした?」


 会話を遮るように聞こえた悲鳴。訝しんだカルサスが応答をするように求めるも、もはや話はまるで通じなかった。


『逃げろ! 逃げろ逃げろ逃げろ!』


『ぼーっと立ってるんじゃない! 奴さん本気だぞ!』 

 

『嘘だろ……門が、門が……!』



 ──ドンッ!!



「……なるほど、ね」


 どこか遠くから聞こえてきた、妙におなかに響くその重低音。そこはかとない嫌な予感を燻らせたまま、話が通じないならばその場を直接見るしかない……と、カルサスが水鏡の方へと視線を向けてみれば。


『武装した馬無し馬車が! 馬無し馬車が突っ込んできますッ!!』


「ありゃダメだ。みんな、無理せず逃げて」


 本来ならそこに映るはずがないもの。どことなく破城槌を彷彿とさせる装いの馬無し馬車が、全力を以て正門に突っ込んできている。


 いや、突っ込んできている……というのはいささか語弊があるだろう。もう、既に正門をぶっ壊して中に入ってきているのだ。金属の塊とは思えないほどのスピードで、目の前の全てをなぎ倒そうという意志のもと、私兵たちの下へと突っ込もうとしているのだ。


『なんなんだよアレ!? 馬もないのになんであんなに速いんだよッ!?』


『知るか! ……ぼさっとするな! 意外と小回りも利くみたいだぞ! 死にたくなければ足を止めるな!』


「惨憺たる状況だね」


 耳をすませば、悲鳴に混じって特有の唸り声のようなそれが聞こえてくる。例の悪魔のうめき声なのだろうか……と頭の片隅でそんなことを考えたカルサスは、水鏡を通して送られてくる映像を眺めながら、私兵たちに指示を出した。


「落ち着いて、扉の前だけを固めて。逃げ惑わなくていい、そこに立っているだけでいいんだ」


『し、しかし! そんなことをしていたら轢き殺されてしまいます!』


「だからだよ」


 現場ではなく、あくまで遠くから第三者として見ていたカルサスだからすぐに分かったその事実。


馬無し馬車(それ)じゃ加減が出来ないんだ。だから、さっきから脅かして戦意を喪失させようとしているだけ。……現に、未だにケガ人はでていないだろう? 本気だったらとっくに何人か轢かれているよ」


『た、たしかに……』


「目的はこの館の大扉の破壊だろうね。馬無し馬車で私兵を蹴散らし突っ込んで、そのまま乗り込んでくるって算段だったのかな。……大丈夫、僕のルフィアが人死にが出る真似をするはずがないだろう?」


『──聞いたかみんな! アレはただの脅しだ! 扉の前に固まれ!』


 馬無し馬車に追われて前庭で逃げ回っていた私兵団が、少しずつ落ち着きを取り戻す。カルサスの言葉を信じたというよりかは、あの水の巫女がそんなことするはずない……という、そっちの気持ちの方が強かったのだろう。


『やっぱりそうだ! あの馬無し馬車、本気で轢き殺そうとはしてないぞ!』


『みんなビビるな! 冷静になってあの馬無しの動きを見てみろ! 転んだ奴がいたら進路をかえているぞ!』


 さすがは領主の館の私兵と言うべきか。一度冷静になればその動きに違和感があることをすぐさま見抜き、そして言われた通り落ち着いて対処している。逃げ惑いながらも少しずつ大扉の前に移動し、馬無し馬車──自動車の最小旋回半径を見切って、誰一人として欠けることなく、最初と同じように隊列を組んで見せていた。


『ほぅら見ろ! 突っ立ってるだけなのに奴さん、突っ込んでこねえぞ! やっぱり巫女様があんなことするわけねえんだ!』


『どうせこれ考えたのは例の賢者だろ!』


『もしかして、あれしきのことで俺たちがビビッて逃げ出すとでも思ったのか!? クラリエスのチンピラと一緒にするんじゃねえぞ!』


 そういうセリフはあまり縁起がよろしくないんだよな、とカルサスは心の中だけで苦笑する。ただ、状況としてはまさしくその通りで、あれほどまでに前庭を狂走していたあの馬無し馬車は少し離れたところでぴたりと動きを止め、いかにも突っ込めるチャンスだというのに動き出す気配もない。


 それはつまり、カルサスの見立てが正しかったことを示している。威嚇行為は相手が慄くからこそ意味があるわけで、その目論見がバレてしまえば……ただの威嚇でしかないと見抜かれてしまえば、それで終わりなのだ。


「さて。予定が大幅に狂ったんだろうけれども。この後の動きとなれば──」


『でてきました! 馬無し馬車から人が!』


「うん、こっちも見えてる」


 馬無し馬車で物理的に強行突破が出来ないとわかった以上、直接正面突破するしかない。幸か不幸か、私兵たちは無傷とはいえ先ほどの追いかけっこで少なくない体力を消耗している。だから判断としては、まぁそれなりに納得できるものだろう。


 問題があるとしたら。


『う、わ……! こいつら……!』


「どうしたの? ……うん? 二人だけ?」


『あいつら、鼻も口もすっかり隠して……なんだアレ!? 魔蟲の複眼みたいなのを目の所に!』


『あの鮮血の如き赤と漆黒の黒の筒……! 間違いない、地獄の緋霧だ! あれが賢者だ!』


『バカ、よく見ろ! それは二人とも持ってるぞ! そうじゃなくて得物だ! 鉈持ってるのが賢者だ!』


『じゃあ、もう一人の剣を持ってるのは……ペトラか!』


 カルサスからは……水鏡からはちょうど背を向ける形になっているため面相を確認することはできないが、水が伝えてきたその言葉通り、馬無し馬車から降りてきたのは二人であった。そして後ろ姿でもわかるほどに、その二人はフードか頭巾で顔を覆っているらしい。


 その事実と、私兵の言葉を合わせれば。


「その複眼みたいなやつ、おそらくは目の保護のために付けているんだろうね。……気を付けて、どうやらそれ(・・)については向こうは本気で使うつも……ッ!?」


 水鏡越し。


 ぐるりとそいつがこっちを見て(・・・・・・)


 ぞく、と言いようのない寒気を感じた瞬間、目の前のそれが盛大に波打ち、ただの魔力となって霧散した。


「……やられた」


『カルサス様!? いったい何が!?』


「うん、迂闊だったよ。さっきの追いかけっこはキミたちの戦意をくじこうとしていたんじゃない」


 それにしては、時間をかけ過ぎていた。それにしては、妙に生温いやり方だった。脅しだというのなら、もっと見せしめに手足の一つや二つ、轢いて見せて然るべきだった。本当は脅しなんてしたくないというのなら、もっと別の方法だってとることが出来るはずだった。


 なのに、あえてあんなことをした本当の理由。


「僕が状況を見ているって、向こうは気づいていた。そうやって情報を集めているって、最初から分かっていた。……だから、そのタネを探していた。キミたちを狙ったように見せかけたのは、その真意を探られないため」


 仕掛けた魔道具が、壊されたのだろう。魔法を使ったか、あるいは弓矢などの別の手段か。いずれにせよ場所が割れた以上、向こうがそれを壊さない理由はない。


「ルフィアが感づいていたのかな。……ごめんね、もう映像は見られないや」


『賢者が突っ込んできたぞーッ!!』


『総員、構えろッ!!』


「だろうね」


 魔法使いの後方からの支援が無くなったとわかれば、当然そうなる。むしろ剣士の仕事はここからが本番だと言っていい。


 問題なのは、その剣を振るっているのが──そもそも剣じゃなくて鉈だが──剣士ではなく賢者だという所だ。


『があッ!?』


『がッ!?』


『くっそ……! この賢者、賢者の癖に強いぞ!』


『ぎゃあああああ!?』


「……」


 カルサスには音しか聞こえない。音しか聞こえないが、人間を何か固いものでひどく叩いたような特徴的な音と、骨がぶつかって軋む音、そして悶えるような呼吸音に痛みにあえぐ悲鳴を聞けば、その戦況は簡単に想像することが出来た。


『ああああ!? いってぇえええ!?』


『落ち着け刃引きしてるやつだ! くそっ、賢者が剣にも精通してるなんて聞いてないぞ……!』


『ええい、ちょこまかと……! 人数を活かせ! まとめてかかればあれくらい……!』


『ダメです! 動きがはや……っ!?』


「……集団戦、よくわかってるね。本当に彼は賢者なのかな?」


 もしも集団に囲まれてしまったら。


 カルサスだったら、とにかく動いて的を絞らせない。動くだけ動いて、倒せそうなやつから倒して数を減らしていく。


 今回はあくまで痴話喧嘩であるという体裁のため、弓兵なんているはずもないし、いたとしても同士討ちを避けるとなると弓は使えない。そして剣士では、一度に切りかかれるのはせいぜいが三人と言ったところ。動き回って取り囲まれさえしなければ、それくらいなら割とどうにかなることも多い。


「落ち着いて。状況を」


『け、賢者の勢いが凄まじく、烈火の如く怒り狂って暴れまわってます! 人間と言うよりも、もはやトチ狂った魔物といったほうが!』


「そう。ペトラは?」


『防御態勢のまま、地獄の緋霧を構えて賢者の隙を消しています! 迂闊に近づこうとしたら、発射口をこっちに!』


「自分がやるより、イズミに暴れさせる方が得策だって思ってるんだね……いや」


 やっぱり何かおかしい、とカルサスは考える。


「ねえ。今動ける中で、一番目が良い人を離脱させてバルコニーへ。僕の目の代わりになって、状況をできるだけ正確に伝えて」


『聞いたなお前ら!? 目が一番良いのは誰だ!?』


『ならマルコだ! 草原のはるか向こうのウサギだってあいつが一番に見つける!』 


『わかった! 行けマルコ!』


 一人が戦って、一人が周囲を警戒して。一人が疲れたのなら役割を後退して。彼らの意図はきっとそんなところだろう……と、カルサスは思って、しかしすぐさま自らのその考えを否定する。


 たしかにそうすれば私兵たちを全員倒すことが出来るかもしれない。後顧の憂いを経ってから、準備万端で自分の元に辿り着くことが出来るかもしれない。


 しかし、それでは時間がかかりすぎるし、体力も使いすぎる。堅実ではあるが、有効な方法であるようには、少なくともカルサスには思えなかった。


「聞こえるかい、マルコ?」


『は、はい!』


「どうやら彼らは、まだ何か策があるらしい。……いかんせん、賢者(イズミ)が何をしでかすのかまるで予想がつかないからね。正直僕は、あんな風に馬無し馬車が突っ込んでくるだなんて思わなかったし」


『そ、それは自分も……』


「うん。だから、キミは僕の目の代わりになって、状況をできるだけ正確に教えてほしいんだ。どんな些細なことでもいい。第三者が遠くから見た光景からは、時として当事者すら気づいていない事実がわかったりするからね」


 自分が直接現場に介入するのはまだ早い──とカルサスは考えた。そんなことをしたら部下を信頼していないと思われかねないし、出来ることならもっと相手の手段を観察し、相手が疲弊したところで出て行きたいという気持ちもある。


 また、遠方から魔法で介入することもできなくはないが、遠距離攻撃はどうしたってラグがある。魔法に精通した賢者が相手では、徒に居場所を教えてしまうだけ──むしろ、それこそが相手の狙いである可能性の方が強い。


「イズミはかなり直情的な性格だけど、それでも賢者と呼ばれるくらいには知恵が回るのだろう。一見正面突破に見えるこの行いにも必ず裏があるはずだ」


 魔法越しに、伝令役(マルコ)が所定の位置に着いたのがカルサスに伝わってきた。奇しくも、そこはこの館の中でもかなり高い位置にあり、見晴らしも申し分ない。前線で戦っている人間にはわからないことであっても、ここからなら──上から見れば一発でなにもかわかってしまう。


 言い換えれば、ここはどの場所からも居場所が丸わかりで的としては絶好のポジションだったりもするのだが、今回に限って言えばそのデメリットはほぼ無いだろうとカルサスは踏んでいた。


「どうだい、マルコ? イズミ達の動きは相変わらずかな?」


『変わりはない、ように自分には見えます。賢者がとにかく無茶苦茶に暴れまわって、ペトラがその隙をカバーしていて……』


「ふむ……じゃあ、他はどうだろう? そう……例えば馬無し馬車とか」


『……ああッ!?』


 切羽詰まった声。カルサスは自身の予想が当たっていたという確信を抱いた。


 馬が無くても動く馬無し馬車。それがただ、乗り捨てられたとは考えにくい。


「やっぱり……動いているんだね?」


『は……はい!』


 馬が無くても動くのなら。


 ひょっとして、御者がいなくても動くのではないか?


 例えばゴーレムのように、ある程度の自立行動を設定しておくことが可能なのではないか? 馬車本体を何か──魔法で動かしているのなら、それくらいは可能ではないのか?


 少なくとも、自分なら似たようなことが出来るという自信がカルサスにはある。むしろ、そうでもないと馬無し馬車が動く仕組みがわからない。


『来てます! 馬無し馬車が! 猛烈な勢いで!』


「やっぱりね。ただの脅しと見せかけての、二重のフェイクか。……最初から、自分たちで直接大扉を狙うつもりはなかったんだね。けが人を出さないために──最高の威力で突っ込ませるために、人間の方が引き付け役となったわけだ」


『ど、どうしますか領主さま! あれじゃもう、止められない!』


「落ち着いて。まだ距離はあるだろう? 前に飛び出すふりでもすれば、動きは絶対に止ま──」




『えぇ!? 前に飛び出す(・・・・・・)!? 領主さま、いったいどうやって!?』




 妙な違和感。いや、字面だけを見れば聞き返したくなるのも当然なのかもしれないが、相手は領主(じぶん)に忠誠を誓った立派な兵士だ。この期に及んで主を裏切るような人間は一人たりともいないとカルサスは断言できる。


 そんな部下が、なぜこんなふうに言い返してきたのか。何か致命的な見落としをしているような気がして、カルサスは内心で冷や汗をかいた。


「イズミとペトラが囮になっている隙をついて、馬無し馬車が突っ込んできてるんだよね?」


『そうですけど! しかし、これは……!』

 

「だから、二人を取り囲んでいるうちの何人かを……」


『……あッ!? ちくしょう、そういう……違うんです、領主さま! そうじゃあなくて……!』




 ──ドンッ!!




「…………なるほど、ね」



 前庭とは反対方向(・・・・)から聞こえてきた、その衝突音。それは二回、三回と続き、直後に特有の唸り声を領主の館全体に響き渡らせた。


『正門のほうじゃあなくて! 裏門の方から! 二台目の馬無し馬車(・・・・・・・・・)が突っ込んできましたッ!!』


 馬無し馬車を賢者が持っている。それはカルサスも知っている。

 馬無し馬車は賢者しか持っていない。それもカルサスは知っている。


 だから。いや、だけど。


 賢者が馬無し馬車をもう一台もっているとは、さすがにカルサスも予想外だった。


『別の、別のやつです! ……あっ! 乗っていたやつが出てきました!』


「……」


『あれは……賢者と同じようにローブとフードで顔を隠していますが、おそらく例の商人です! それに大神官様と婦長と……銀髪!? あの銀髪は……間違いない!』


「……そうか、そういうことか。……言われてみれば、どうして僕はその可能性を考えなかったんだろうね」


 イズミの目的。もちろん、ミルカを助け出すこと。


 だけど、イズミがずっとオルベニオの街に滞在していた理由──もっと言えば、世界を好きに流浪できるイズミが、わざわざこのオルベニオの街に来た理由は。

 

 あまりに当たり前の前提条件だったから、カルサスはすっかり忘れていたのだ。


「そっちが本来のキミの目的だったんだね。それこそが重要で、自分の気持ちはどうでもいい……余計なことをしたのは、文字通り僕だったってわけだ」


 馬無し馬車から出てきたのは、イズミとペトラの二人。二人とも剣を扱えるバリバリの武闘派だからそこに疑問はない。そしてカルサスの知る限り、二人とも戦いを厭うような性格はしていない。だからまぁ、人選にも納得ができる。


 だけど、当事者はもう一人いる。


 カルサスの知る限り誰よりも争いや荒事を忌避している、この街の誰からも愛される心優しい存在。領主の館への襲撃なんてやるはずがない──けれど、その理由だけはしっかりあり、何より自分との対面を望んでいるであろう唯一の存在。


 その存在がいないことに、カルサスは疑問を抱くべきだったのだ。


『──水の巫女様です!』



「表は──イズミは陽動か」

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― 新着の感想 ―
[良い点] そっか 二面作戦で来たか~ 車二台あったのか そいつは盲点だったw 奥様 御出座~! [一言] と見せかけて・・・w
[一言] まともな人間ならばこの男の人に対する(特に女性)言葉の中身の無さや軽さを理解出来るわな。 まだ現代のチャラいのやヤリチンの方が心がこもっている気がするわ。
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