82 『キミにまた会えて、うれしいよ』
「──クーデターだって? この街で?」
「かもしれない、からこうやって調べに来たんだよ」
三番通り、ラージャの店。ラルゴのおすすめのその店は、庶民がちょっとフラッと立ち寄るには少々ハードルが高いと思わざるを得ないほどの、由緒正しいちゃんとした店であった。一応ランチタイムは庶民向けの軽食を取り扱っているものの、やはりメインは別の方であるらしく、実際イズミ達の目の前には、ランチにしては少々豪華なそれが並んでいる。
「待て待て待て、話がずいぶん飛躍している気がするんだが……見ての通り、平和そのものだぞ」
「うん、それは僕も実感しつつある」
あれから。サスラックにメダルを取り戻してもらったイズミは、そのお礼も兼ねてこうして昼食を一緒に取ることとしたのである。無論、これはイズミの意向だけでなく、むしろサスラックがイズミに質問をしたかったから──という事情も多分に含まれているが、ともかく二人で優雅な(?)ランチタイムを送ることとなったのは間違いない。
そしてこのラージャの店は、ラルゴ……即ち商人のおすすめだ。当然のように内緒話ができる個室も設けられており、イズミ達はそこに居座ることとなったのである。
「そもそもだけどね、僕は噂の黄金酒を求めてこの街にやってきたんだ。しってる? ここ最近で秘かに有名になっているお酒なんだけど……」
「あー……アレかぁ……」
肉の揚げ焼き──何の肉かはわからない──をナイフとフォークで上品に食べているサスラックが、文字通り世間話をするような気やすさでイズミに問いかける。そこにはクーデター云々を気にするような緊迫感はどこにもない。
「順を追って話そうか。少し前に黄金酒の噂を知った僕の主人は、ぜひともそれを飲んでみたいと所望した。ただ、黄金酒は全然流通している気配がない。そもそも流通量が少ないみたいで、このオルベニオの街近辺でしかその目撃情報が無い」
「ほお」
「さらに噂を集めていくとわかったんだが、どうもそれはキンキンに冷えた状態で飲むのがいいらしい。しかも特殊な容器に入れられているとかで、これを開封すると著しく味が落ちるという話もあった。……つまり、たとえ入手できたとしても、主人に献上するころには本来の味を楽しむことはできない」
「そりゃそうだな」
生温いビールなんて美味しくない。開封して時間が経ったビールなんてビールじゃない。あれは汗だくで仕事をした後か、あるいは風呂上がりにキンキンに冷えたものを飲むのが最高なのだ。他でもない流通元であるイズミは、誰よりもそのことを知っている。
「となるともう、直接現地で買って飲むしかない。だから、僕が先行してこの街に来て、黄金酒を確実に飲めるように確保しておこうということになったんだ……けど」
ここで、サスラックは声のトーンを落とした。
「……街に近づくにつれ、どうにもきな臭い噂が多く聞こえてきてね」
「きな臭い噂?」
「うん。……死んだはずの水の巫女が生き返ったとか、領主が不在の内にこの街を乗っ取ろうとしているだとか」
「……は?」
「街の有力貴族がいきなり失脚して獄中にいるだとか、街中でかなり大規模な戦闘行為が行われたとか」
「……お、おお」
「とにもかくにも、荒唐無稽な物騒な話ばかりだ。……そして信じがたいことに、本当のことも結構あるらしい。多少の尾ヒレはついているだろうけど、先入観を捨てて客観的に判断するならば……水の巫女の帰還、大規模な戦闘行為、そして有名貴族の失脚までは本当みたいなんだ」
このパズルのピースから、どんな絵面が描けるのか。どれもこれもがなかなかに信じがたいことだけれども、もしそれが本当だとして話を進めるならば。これらの事実から導き出されることのあらましと言うのは、だいたい決まってくるだろう。
「参ったよ、本当に。ちょっとしたおつかいのつもりだったのに、紛争状態の街を調べることになったんだから。……何よりおかしいのは、そんなことがあったはずの街なのに」
「……妙に平和だってか?」
「それ。この街の門をくぐるとき、僕はかなり緊張して覚悟を決めていたんだけどね。拍子抜けするくらいに平和で、そしてこんな豪華なお昼ご飯を食べられるほどには豊かだ」
話をしながらだというのに、既にサスラックは皿の上のものをきれいに平らげている。サスラックよりかは話していないはずのイズミは、逆にまだ半分程度も残っていた。
黙っていても勝手にサスラックが話を続けるだろうことはわかりきっていたので、イズミは特に気にすることなく視線でそれを促した。
「で、とりあえず緊張状態じゃないってことはわかったんだけど、またおかしな噂を聞いてね」
「今度はなんだよ?」
「──妙な賢者の噂だよ」
その噂の賢者が目の前にいるって知ったら、コイツどんな顔すんのかな──なんて思いつつ、イズミはそのまま食事をつづけた。
「黄金酒の噂を調べていくうちに、その賢者の話が聞こえてきた。賢者も別にそれ自体は隠していなかったみたいで、賢者が野営地で酒盛りを開いていた……なんて話も聞いた。黄金酒を確実に入手するには、賢者と接触するのが一番だっていう話もあった」
「ふむ」
「だけど、この賢者がどうにも曲者と言うか、きな臭い」
「きな臭い? 胡散臭い、じゃなくてか?」
ちょっと心外だとばかりに、イズミは声を発する。胡散臭いであればイズミ自身がそう認識しているし、ミルカやペトラにもそう言われたことがあるので理解できるのだが、きな臭いと言われたのは今回が初めてだ。ついでに言えば、曲がりなりにも商売人に使うような形容詞じゃない。
イズミの疑問も尤もだと言わんばかりに、サスラックは少し声を潜めて告げた。
「……水の巫女が帰ってきたのはこの賢者の助力があったかららしい。そして、例の有名貴族を失脚させたのもこの賢者だって話だ」
「……」
「あの水の巫女が認めたということは、人格も保証されているのだろう。だけど、敵対した例の貴族の人間に地獄の苦しみを与えたという話もある。水の巫女を守るためにたった一人で貴族の私兵団を返り討ちにした……けど、その際に魂を切り裂く悪魔の剣で拷問をしようとしたという話も聞いた」
「へ、へえ」
「戦い方はまるで気狂いの獣のよう。普通ならとっくに死んでいるような攻撃を受けても平然と立ち上がる。そして素手で腕をへし折り、喉笛をかみ切るのが好きだとか。思わず身を竦ませるほどの怒声を上げる姿もよく見られる……と」
「……」
「およそ賢者の戦い方とは思えない。ましてや、あの水の巫女の協力者だなんて信じられるはずがない。ただ、そんな狂人なのにやってることは聖人みたいで、そして圧倒的な力を持っているらしいというのは間違いなさそうなんだ」
「お、おう……」
「聞けば聞くほど、調べれば調べるほど……賢者も、この街の状況もわけがわからない。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか……。もっと言えば、僕がこれから会わなくちゃいけない賢者がどんな人間で、何を目的としているのか。本当に、本当にわからない」
サービスで卓の上に置かれていたレモン水を一口飲んで。サスラックは、少しだけ唇の端を釣り上げた。
「そこで、キミ──イズミに聞きたいことがある。いや、協力してほしいと言ったほうがいいか」
「……まずは聞くだけ、な」
その言葉が聞きたかったとばかりに、サスラックは少しだけ机に身を乗り出した。
「まず一つ。君の目線でのそれで構わない。この街で何が起きたのか、どういう状況にあるのか……それを僕に教えてほしい」
今まで話したことは全部、あくまでうわさやちょっとした雑談、立ち聞きのそれを寄せ集めたものに過ぎないからね──とサスラックは続けた。
「次に、こっちが本命なんだけど……賢者へ取次ぎをしてほしい」
いきなり出てきたその言葉。なんでそんな言葉が出てくるのかと頭をフル回転させたイズミは、ひとまず時間を稼ごうと無難な言葉を紡いだ。
「……なんで、それを俺に?」
「さっきのメダル、ラルゴの商会のやつだろう? 賢者と唯一付き合いがあるのがラルゴの商会だと聞いたよ。もちろん、直接取次ぎするのは難しいかもしれないが、イズミがいれば」
「少なくとも赤の他人ではない、話を聞いてもらうチャンスができる……ってか」
「その通り」
結局のところ、サスラックの究極の目的は黄金酒を入手し、それを主人に献上することなのだ。そのために必要なのは、黄金酒の確保とこの街の安全性の確認の二つである。真実は不明なもののひとまず平和であることがわかっている以上、サスラックが早急に対処しなくてはいけないのは黄金酒の確保の方だ。
「無論、イズミに迷惑をかけるつもりはない。賢者と話す機会さえ設けられれば、あとは僕の方で何とかする」
「……ま、お前には大事なメダルを取り返してもらった恩があるしな。それだけでいいってんなら付き合ってやるよ。……で、具体的にはどうすればいい?」
「話が早くて助かるよ! ……じゃあ、この後もちょっと付き合ってもらおうか。行きたい場所があるんだよね」
「行きたい場所?」
「──賢者の家さ。何でもこの街の中央広場に賢者が家を建てたらしい。見たことない形の不思議な家で、強力な結界が張ってあって誰も入れないそうだけど、上手くいけば直接会えるかもしれないし、そうでなくとも何か賢者のことを知れるかもしれない……って、僕よりイズミの方が詳しいんじゃないか?」
僕より長くここに滞在しているんだろう、というサスラックの問いに、イズミは口元を拭いながら答えた。
「ああ、俺もすべては知らないが……きっとお前よりかは知ってるはずだぞ」
──だってそこ、俺の家だし。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「……なんかちょっと、ざわついてるか?」
「そうかな? 気にするほどでもないだろう?」
いくらか落ち着いてきたとはいえ、あの賢者がローブのフードで顔を隠した謎の人間を引き連れて歩いている。この場合、ざわめきの元になっているのが自分の方か、はたまたサスラックの方なのか、その辺の判別がよくわからないというのがイズミの本音だ。
ともあれ。
「ほら、ここだ」
「おお……確かに家だコレ……」
ラージャの店から、歩くことしばらく。特にこれと言ってトラブルなどに見舞われることなく、イズミとサスラックは例の広場へとやってくることができていた。
家の前では今も何人かの人間が恭しく祈りを捧げており、そして石塀の上にはぽつんぽつんと祈りの水が入った簡素なコップが置かれている。奥様が通常通り神殿で務めを果たすようになった今でも、未だにこの類の儀礼は無くなっていないというのが現状であった。
「ふーむ……結界と言う割には、目に見えないし魔力も感知できない……あっ、これ触ってもいいやつ?」
「おう。近所の子供なんかは毎日のようにコンコン叩いて遊んでるぜ」
「そうなのか……おっ! ホントに何かに触れている感触がある! なんだコレ……いや、触れているのに触れていないような、結界にしても不思議な感じだな……」
「そんなものなのかねえ」
割と遠慮なしに、サスラックは石塀やその上に続く不可視の結界をぺたぺたと触っていく。最初は指先で触れる程度だったはずのそれは、いつしかコンコンと硬度を確かめるように叩くまでに至った。さすがに武器で殴りかかるようなことこそしないものの、出来ることならもっと派手に確かめたい……という気持ちが、その背中からでも伝わってくるほどである。
「ちょっと身を翻せばこんな塀なんて簡単に越えられそうなものだけど。……おっと、いくら壊れないとはいえ、さすがに門扉を弄るのはマナー違反かな?」
「だな。子供がちょっと触るくらいならお目こぼしされてたけど、大人が同じことやったらブチ切れられるぜ」
「ふむ! しかし、あの鉄格子みたいな門扉も決して壊れず開かないんだろう? どう見てもスカスカで頼りなげな形をしているというのに。結界であるにしても、どんな風になっているんだ?」
「……マジに気になるってんなら、触ってみてもいいんじゃないか? 常識の範囲内なら、賢者も許してくれるはずさ」
「その賢者の常識がわからないから、僕は君の助力を必要としているんだが。……だが、そんな君が良いというなら、ここは一つお言葉に甘えさせてもらおうか」
音をたてないように、慎重に。サスラックはその門扉に手をかけてぐっと押したり引いたり動かすことを試みた。門扉の隙間に手を突っ込んだり、あるいは門扉の上に腕を伸ばしたり……と色々諸々試してはいるものの、結局はよくできたパントマイムにしかなっていない。
「鍵はかかっていない、扉の継ぎ目だってちゃんとある……押せば確実に開くはずなのに、何かがぴたりと張り付いているかのように動かない……。隙間に手が入らないほどに結界も丁寧に張られているのに、魔法の気配がまるでしないというのが芸術的ですらある……」
「よくわからん感覚だな、それは」
「……だけど、これでどうやって賢者は出入りしているんだ? 門扉そのものの構造は見たところ複雑なものじゃない……はずなんだが」
開きそうなのに、絶対に開かないその門扉。それが堪らなく不思議なのか、サスラックは人目も忘れて食い入るようにそれを見ている。これが開かない理由は果たして本当に結界だけのせいなのか、あるいは理解できないだけで門扉の構造そのものに何か秘密があるのか……などと、どこにでもある門扉をまるで貴重な発掘物か何かであるかのように検分していた。
「せめて、一回でいいから実際に開くところを見てみたいものだね。そうすれば、何かヒントでも掴めそうなものだが」
「そうなのか?」
「うん。この手の仕組みっていうのは地域性と言うか、その土地の文化みたいなのが反映されていることも多いからね。賢者がどこの出身であるかを検討することができるかもしれない」
「ほお。そりゃぜひとも検討してもらいたいもんだな」
「ま、それもこれも実際に動くところを見るまでは──」
「──こう開けるんだよ」
サスラックの言葉を遮って。
イズミは、ごくごく自然な動作でその門扉を開けた。
「は……?」
あえて語るまでもなく、イズミが結界に阻まれるわけがない。先ほどまでは絶対に動かなかったそれが自然に開いたことにサスラックは目を丸くし、そしてイズミはそんなサスラックをしり目にずい、と一歩その中へと踏み込んだ。
「ミルカさん! 悪いがビールを1パック持ってきてくれ! お礼の品が必要になった!」
「んもう! あなたったら、いったい急に何ですの! ……今持っていきますからっ!」
「悪い、ありがとな!」
家の外からの呼びかけ。姿が見えない、声だけのやり取り。それでもミルカがイズミの声を聞き逃すはずはなく、家の中では慌ただしくバタバタと動いている気配がする。
これでひとまずの義理は果たせたであろうと気分を良くしたイズミは、傍らで呆然としているサスラックに対し、得意げに宣言した。
「──何を隠そう、俺がその賢者だよ」
「…………まさか、こんな展開になるとは」
さっきまで話していた人間が、噂の狂人(?)である賢者だった。ローブのフード越しでもわかるほどにサスラックは驚嘆しており、それがますますイズミの悪戯心というか、「してやったり」の気持ちを強くさせていく。
「……そうか。いや、結構近い関係者だとは思っていたんだ。賢者は異国の人間で、そしてキミも異国の人間だ。そのうえでラルゴのメダルを持つのだから、関わりは絶対にあると思っていた」
「ほお。そこまでわかっていながら、なんで俺が賢者だと思わなかったんだ?」
「……賢者なら、スリくらい魔法でどうにかする。それにたかがスリ程度に足で負けることもないだろう。なにより噂の賢者にしては理性的で、妙に親しみがあり……自分で自分がそうだと名乗らなかった」
「褒められてる、ってことにしておくぜ。……噂の黄金酒はくれてやるよ。メダルを取り返してくれた礼だ、こいつはタダでいい」
「……しかし、困ったな」
「うん?」
ほんのすこし。そう、ほんの少しだけ……サスラックの雰囲気が変わったように、イズミには感じられた。
「黄金酒が欲しいんじゃなかったのか?」
「──イズミ。キミは純然たる善意で、親切でそうしてくれるのだろう? だからあえて、僕も言おうと思うのだがね」
「あん?」
「──黄金酒が欲しいというのは、嘘なんだ」
何を言われたのか、イズミにはわからなかった。さっきまでサスラックはそのために動いていたはずで、そのためにわざわざイズミに取次ぎを願っていたはずだ。これまでの道中はそのためにあったはずのもので、そこには何ら不可解なことも不審なところも無かった。
なにより──黄金酒が目的でないとしたら、いったい何が目的なのか。
「サスラック……お前は、いったい……」
そんなイズミの疑問。
それを打ち破ったのは──ミルカの声だった。
「な……なんで! なんで、ここにいるんですか!?」
「ミルカさん……?」
ミルカの声の様子がおかしい。何かに驚いているというのは確かなのだが、どうもそれだけじゃない気がする。
露骨なまでの嫌悪の声音。怒りと憎しみと拒絶がごちゃ混ぜになったかのような、まるで汚らわしいものを見てしまったかのような声。それは声だけでなく表情にも表れており、できれば視界にも入れたくないと言わんばかりに表情が歪んでいる。
ありていに言って、十七歳の乙女がしていい顔ではない。
「えっ……人を連れてくるの、ダメだったか? 家に入れなければいいかなって……」
「そうじゃなくて……いいえ! イズミさん! 気づいてないんですか!?」
六本入りのビールのパックを持ったまま。もっと言えば、憤怒の表情を隠そうともしないまま。そのままビールのパックで殴り殺すんじゃあないかというほどの勢いでミルカはサスラックに詰め寄り、そして。
「ほら! この顔!」
一切の遠慮も躊躇いも見せずに、そのフードをぺろりとめくり上げた。
「ん……?」
声や体格から想像した通り、サスラックは綺麗な顔立ちをしていた。さすがに女と間違えることは無いが、少女漫画に出てくるイケメンのような、いわゆる王子様みたいな造形をしている。睫毛は長く、肌はつやつやなものだから、もしかすると女装をすればそのままお姫様にも成れるかもしれない。
一番魅力的と言うか、目を引くのはその綺麗な青い瞳だろうか。これまた綺麗で艶やかな金髪と相まって、文字通り上等なお人形のような美しさである。
どれだけ美しいかと言えば──ミルカがサスラックのフードをめくった瞬間、この広場全体に大きなどよめきが生まれるほどには美しい。
ただし、イズミ個人として気になるのは。
「耳が、ちょっと尖ってる……?」
耳がなんか細長い。ただ、マンガやアニメにでてくるエルフのそれに比べたら丸みがある。あくまで個体差の範囲内で細長いというレベルだが、それでも標準偏差のかなり端っこの方、あるいはちょっぴりはみ出していると思えるほどには細長かった。
──ただし、問題なのはそこじゃなかった。
「久しぶりだね、ミルカ」
「私は二度と会いたくなかったですけどね。あなたの頭をカチ割るのをどれほどの思いで堪えているか、あなたにはわからないでしょう!?」
心底嫌そうな顔。それ以外の形容をするのが難しい程に、ミルカはサスラックに対して敵意をむき出しにしていた。
「み、ミルカさん? もしかしてサスラックとは知り合いだったの?」
「サスラックぅ? ……いいえ、この人は」
「いや、僕から話そうか」
サスラック。いいや、そいつは。
イズミの顔を真っすぐ見つめて、無邪気な笑みを浮かべた。
「僕の名前は、カルサス・オルベニオ。──ごめんね、サスラックっていうのは偽名なんだ」
先ほどまでとは違うざわめき……いいや、イズミが気づいていなかっただけで、本質は同じものだったのだろう。それは確かにこの広場を包み込んでいて、今までとは全く違う理由で、やじ馬たちが集まりだしている。
カルサス・オルベニオ。フルネームでわかる通り、彼はこのオルベニオの街の領主である。そして、それ以上に。
「ミルカ? 何かあったの?」
「奥様? いけません!」
テオを抱っこした奥様が、サンダル履きのラフな姿で玄関からこっちへやってきて──そして、カルサスの顔を見て固まった。
──テオと二人きりで留守番していたはずのミルカが、一人でビールを持って出てきたことの意味に気づくべきだったとイズミが後悔しても、もう遅い。
「あ……あな、た……?」
「やぁ、ルフィア。……噂は本当だったんだね。キミにまた会えて、うれしいよ」
「……っ!」
自分だけを見て優しく微笑むその姿に、奥様は目を見開いた。
カルサス・オルベニオ。何度も何度も聞かされたその名前。オルベニオの街の領主である以前に、彼は……水の巫女である奥様の旦那である。
そう、そもそもとしてイズミ達がこの街にやってきた理由。奥様を旦那である領主──カルサスに会わせるというが、イズミ達の目的だった。
目的だったのだが……これは、あまりにも唐突で突然すぎた。
「ごめんね、イズミ。街を調査していたという所までは本当さ。だけど……」
「……えっ、お前、マジに領主さまなの?」
ぽん、と。
イズミは、カルサスが正体を明かしたというのに、先ほどまでと変わらない気安さでその肩を叩いた。
「うん、実はそうなんだ。ただまぁ、僕自身にはそんな大層なものだという意識はないからね。……普通の友人のようにキミと話せて楽しかった。願わくばこの後も……同じように友人として接してもらえると嬉しい。いろいろ積もる話もあるだろうし」
短い間だったけど、キミという人の性格や性質はわかったつもりだよ──と、カルサスは柔らかく微笑んだ。
「……そっか、友達か」
「ああ、友達さ。いや……キミがルフィアを助けてくれたのだから、それ以上の存在かな?」
カルサスは気づいていない。
イズミの拳が、固く、固く握られていることに。
強く握られ過ぎているせいで、ぷるぷると小刻みに震えていることに。
「なら、俺も友達として……お前にやるべきことがある」
「なんだい、それって?」
「──歯ァ食いしばれや」
綺麗な顔に拳がめり込み、そしてカルサスは吹っ飛んだ。




