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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
75/99

75 裏切り


「いちち……」


「もう、あなたったら……」


 翌日。朝食後のゆったりとした時間。いつもと同じようにテオを抱っこしようとしたイズミは、右腕に走る鈍い痛みに思わず声を漏らした。


 言わずもがな、それは昨日刺されたほうの腕である。


「あなたは癒しの魔法の効きが悪いんですから……。治ったように見えても、安静にしていないとダメですよ」


「やー、見た目が大丈夫だし問題ないかなって……刺されたときは全然痛みを感じなかったのに、後になって痛んでくるからやってらんねえよ」


 軽く包帯が巻かれたイズミの右腕。あの騒動の後、ようやく自分の腕にナイフが刺さっていることを思い出したイズミは、大慌てで奥様に癒しの魔法をかけてもらったのである。


 体質的に癒しの魔法の効きが悪く、治るのにかなりの時間を要したうえ、さらに夜中に熱を持ってしまうという悲劇にこそ見舞われたものの、今はこうして何とか小康状態を保っている。


「みー? たー?」


「大した事ねえよ、テオ。お前を抱っこできないことの方がよっぽど辛い」


「だー!」


 イズミはテオを抱き上げ、そして微妙にじんわり痛む右腕のそれを気づかなかったこととした。いつもより腕に負荷がかかっているのはきっとテオが大きくなったからで、ケガは奥様が完全に治療したから問題ないのだと、そう心に言い聞かせる。


「しかしまあ、イズミ殿も一端の戦士みたいな風格が出てきたじゃないか。刺されてもビビらず動けるのなんて、実はあんまりいなかったりするぞ」


「お、そうなの?」


「やめてよ、ペトラ……朝からそんな物騒なこと……」


「しかし奥様。気を引き締めるのは大事なことですよ。現に、昨日までは透明になって姿を隠していた連中が石塀のすぐ向こうにいたのですから。……妙に視線を感じると思ったら、まさかホントにすぐ近くにいたとは」


「あれなあ。たしか、裏の方にも潜んでいたんだっけ?」


「ああ。あの時……ミルカがクマよけスプレーをブチかました時、姿を現して一目散に駆け出していったよ」


 昨日の騒動。イズミには知る由も無かったが、事が起きた瞬間にペトラは家の反対方向の見張りについていたらしい。正面にはイズミがいるから大丈夫──無論、敷地内にいるという前提だ──である以上、敵があえて正面に注目を集めている可能性を考慮し、裏側で何かやらかさないか警戒に当たったのである。


 結果として、その読みは当たっていた。家の裏手側にもクラリエス家の人間は潜んでいて、そしてイズミの集中が切れる瞬間を今か今かと待ち構えていたのである。


 ただし、イズミとミルカがクマよけスプレーを噴霧したためにそれは敵わなかった。いや、たとえクマよけスプレーが無かったとしても、結局あの謎バリアを破ることはできなかっただろう。


「でも、ペトラ。その……私が言うのも何だけど、もう近くに潜むってことはないんじゃないのかしら」


「「……」」


 ペトラだけでなく、イズミもミルカも。


 出来るだけ触れないようにしていたそれに突っ込まれて、思わず黙り込んでしまった。



 ──ここに水の巫女様が……!


 ──俺ぁ確かに見たぞ! あの神々しさは間違いなく巫女様だ!


 ──ああ、ありがたやありがたや……!


 ──お祈りをさせて頂きます……!


 

 家の外から聞こえてくる、そんな声。歓喜のざわめきとでも言うのだろうか、ともかく今までのそれとはまったく趣の異なる声や気配が確かに感じられる。敵意でも好奇心でもない純粋なその感情は、少なくとも日本で過ごしていたころにはそうそう体験できないものであった。


「なんか……朝からすっごくお祈りされてるよな……」


「そりゃなあ。水の巫女様本人がここにいるのに、わざわざ神殿で祈りを捧げるやつはいないだろ」


 このオルベニオの街の風習の一つに、お祈りというものがある。良いことあったらお祈りするし、悪いことがあってもお祈りする。何かの祈願としてお祈りすることはもちろん、特にこれといった用事が無くとも習慣としてお祈りすることも多い。


 やり方は簡単だ。神殿に行き、自らの水と呼ばれるそれを汲んだ後、祈りの部屋でその水に祈りを捧げる。そして、水の巫女を通してさらに大きな水という存在そのものに祈りを届けてもらうのだ。


 結果として、水の巫女本人に祈りを捧げているつもりになっている人が多いのは否めないが、祈りなんて結局はそんなものである。


「ちょっと外を見てみなよ、イズミ殿。面白い光景が見られるぞ」


「……なんだ、あれ? 石塀の上にコップがたくさん」


「祈りの水だな。本来ならアレを地下礼拝場に持ち出し、水の巫女がまとめて水にその祈りを届ける。具体的には祈りの儀式をやって、あの光る池の中に捧げるんだよ」


「……そんな祈りの水が、なんで俺の家の塀の上に? なんで連中は、俺の家の前であんなにもありがたがってお祈りしてる?」


「水の巫女が、ここにいるからでしょうね……。それにほら、祈りを届けてくれる水の巫女がすぐ近くにいるんですもの、なんかより効果がありそうな気がしませんか?」


「わかってしまう自分が嫌になるぜ……」


 今こうしている瞬間も、入れ代わり立ち代わり誰かが祈りを捧げているのがイズミにはわかってしまった。なんかこう、祈りを捧げている人は独特な気配がするうえに、信心深い(?)人ともなれば結構な大声を上げたりしているので、嫌でもわかってしまうのである。


 加えて。



 ──お祈り用のコップ、安くしておくよ!


 ──まさか祈りの水をそこらの井戸から汲んだ奴で済ませるやつはいないよな? 神殿の水が欲しい奴はここにあるぜ!



 明らかに、祈り目的ではない──祈りに来た人たちを目的とした、実に商魂たくましい声も聞こえてくるから不思議なものである。


「水を売ってるやつがいるけど、神殿関係者的にどう思う?」


「ウチも井戸や川の水を使っているからな……その手があったか、と思ってる」


「ちょっとペトラ!?」


「冗談だよ、ミルカ。……でも、一応きれいな水を汲むよう努力してるんだからな。手間賃くらいは欲しくなるよ」


「ミルカもペトラも……その、込められた気持ちが大事なのであって、水そのものはどんなものでもいいわけだから……ね?」


 なんだかんだで和やかな時間。落ち着くかと言われると話は別だが、外にいる人達は皆、水の巫女を──奥様を慕い、純粋に祈りを捧げるためにやってきている。そこには敵意も害意も無く、死んだはずの水の巫女が生きていることに涙を流して喜ぶものもいるくらいであった。


「どうするよ、奥様。どうせ今更だ、ちょっとくらい顔見せするサービスでもしておくかい?」


 イズミの問いかけに、奥様はにっこりと笑って答えた。


「うふふ……今はまだ、ちょっと怖いです。それに、彼らの声も祈りも、しっかり届いていますから。私にはそれだけで、十分ですよ」



▲▽▲▽▲▽▲▽



 それから三日後。あれから一度もクラリエス家による襲撃も、騎士団による説得も行われず、なんだかんだで平和な日常が続いている。朝から晩までお祈りの声が聞こえるため、適当なタイミングでコップを回収するのがイズミの日課となってしまったが、奥様に水を手渡すだけの簡単なお仕事だ。大した手間にもなっていない。


 むしろ民衆からは、巫女に水を届けてくれてありがとう……などと、感謝さえされている。門扉をブッ壊そうとする人間たちとは比べるべくもない、というのがイズミの所感であった。


「このまま平和な日常が続けばいいんだが……」


「ですねえ……」


 回収したコップをミルカに手渡し、そしてイズミは空になったコップをミルカから受け取る。略式とはいえ、律儀な奥様はしっかり水に祈りを捧げているため、こうしたコップのやり取りが日常のルーティンとして新たに組み込まれることとなったのだ。


「この祈りの水、風呂に溜めてまとめて祈るんだろ? なんかそれ、いいのかな……」


「二日に一回は必ず私が掃除しているので、汚れていることはないと思いますが……」


「いや……なんかその、神聖な祈りをウチの風呂場でやってもいいものなのか? 水をためるものにしたって、もうちょっとこう……なあ?」


「あれだけの量を溜められるところはお風呂以外にありませんよ。奥様が水を纏えるのもあそこだけですし……清潔さで言えば、祈りの池よりもここのお風呂の方が絶対に良いです。水の綺麗さだけで見れば、むしろこっちの方がいいですね」


 その風呂、俺も毎日使ってるんだけど……と言う言葉をイズミは飲みこむ。ついでに、祈り終わったその水は風呂の栓を抜いて謎の空間に放出(?)されてしまっている。果たしてそれが本当に良いことなのか、イズミには判断がつかない。


「……ま、知らないほうが幸せってこともあるか」


「そもそも、大半の人は奥様がどうやって祈りを捧げているのかも知りませんからね」


 大量の空のコップをトレーに載せて、イズミは玄関の扉に手をかけよう──として。



「……さん。……ズミさん」



「……うん?」


 聞き覚えのある声が、外から確かに聞こえてきた。


「なあ、ミルカさん……今の声って!」


「え、ええ……ペトラ! 一応念のため、ついてきてください!」


 万が一のことを考え、ペトラも伴って。イズミ達は三人そろって外に出る。


「あ……!」


 石塀の外。門扉のすぐその先。どよめく参拝客(?)の中心に、久方ぶりに見るその顔があった。


「イズミさん。お久しぶりです」


「アルベールさん! よかった、無事だった……ん?」


 そこに立っているのは、アルベールだった。別れた時はイズミの服のおさがりを身に纏っていたが、今はしっかりこっちの服を着ている。クラリエス家の人間や騎士団に暴力とか振るわれているんじゃあないか──というイズミの秘かな危惧とは裏腹に、どこにもケガをした様子などはない。


 ただし。


 別れた時と同じか……と言われると、ちょっと違う。


「な、なあ……どうしたんだよ、いったい」


 アルベールを……アルベール達を避けるように、参拝客たちが身を引いている。なるべく関わり合いになりたくない、巻き込まれたら堪らないとばかりに、彼らにその場所を譲っている。


 そう、アルベールは一人じゃない。


 その後ろに騎士団と、そして剣と盾を携えた──いわゆる、冒険者たちを引き連れていた。


「イズミさん。私は今日、あなたを説得しに来たんです」


「説得? アルベールさん、あんたいったい何を……」


「わざわざ言わないとダメですか? 水の巫女様をこの結界の中から出して……私たちに引き渡してくださいってことですよ」


「なっ!?」


 イズミだけでない。ミルカもペトラも、アルベールが当たり前のように言い放った言葉に目を見開いた。


「アルベール! お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!? 私たちが何のためにここでこうして過ごしているのか……お前、忘れたわけじゃないだろう!?」


「う、嘘ですよねアルベールさん……きっと騎士団に脅されているとか、契約魔法で縛られてしょうがなくやっているとか、何か理由があるんですよね……?」


 ペトラはアルベールの正気を疑った。ミルカはアルベールに何か事情があるのかと疑った。ほんの数か月とはいえ生活を共にし、この街に入るためにあれだけ協力してもらったアルベールがいきなりトンチンカンなことを言うだなんて、とても信じられなかったからだ。


 見るからに狼狽える二人を見て、アルベールは自嘲するように笑った。


「はは……脅されるに、契約魔法か……そういう言葉がさらっと出てくるあたり、いかにもあなた達らしいというか……」


「アルベールさん……なあ、マジでどうしちまったんだよ……」


「イズミさん……いえ、賢者様。重ね重ね言いますが、私はただ、水の巫女様を騎士団の庇護下に入れたいだけです。これは脅されているわけでも、契約魔法に縛れているわけでもない、私自身の意志です。……ええ、今回こそ本当に(・・・・・・)


 イズミは騎士団を見た。団長と思われるいつもの彼は、今日もその気真面目そうな瞳のまま、真っすぐイズミを見つめ返してくる。規則にうるさそうな感じはするものの、しかし間違っても誰かを脅したり、卑怯な手でその行動を縛ったりするようなタイプには見えない。


 そんな団長の彼は、重々しく言葉を放った。


「……賢者殿。こちらの商人殿より……貴殿が、彼を利用してこの街に入ったと証言があった」


「り、利用? いや、利用って言うか協力してもらったのは事実だけど……!」


「そうか……認めるのだな。貴殿が彼に賢者の秘術をかけてあやつったことを!」


「はァ!?」


 何が何だかわからない。それがイズミの正直な気持ちで、そんなイズミに考える隙を与えないかのように、アルベールを挟んで団長の反対側に立っていた男が口を開いた。


「賢者殿。私個人としては水の巫女様を保護して頂いたあなたには感謝を告げたいが……しかし、そうも言っていられない。あなたがしたことは、私たちの組織に喧嘩を売ったことに他ならないのだから」


「はぁ? なんなんだよ、あんたは……」


「私は冒険者組合の代表だよ。ギルドマスターって言ったほうが通りがいいかね?」


 冒険者。名前だけはイズミも聞いたことがあるし、それらしい姿はあの野営場で何度も見かけている。武力を売りとし、魔物の討伐から薬草類の採集、護衛に失せもの探しまで、金さえ出せば大抵のことをやってくれるという何でも屋。その大層な名前とは裏腹に、実際はその日暮らしの派遣労働ばかりで冒険することなんてほとんどないらしいが、まあともかくそういう人間だ。


「そのギルドマスター様がなんだってんだ?」


 それくらいはイズミでも知っている……が、生憎イズミは冒険組合を訪れたことも、利用したこともない。当然、喧嘩を売った覚えなんてあるはずもなかった。


「私としても最初は信じがたかったが……いや、本人たちに直接話させたほうがいいか」


 ギルドマスターが、ちらりと視線で合図をする。


 冒険者の一団から、四人ほどが前へとやってきた。


「彼らは……ギルドの規約違反を起こしたものたちだ」


「はぁ? なんなんだよ、いったい……何が言いたいのか、さっぱりわかんねえぞ」


「まぁ、イズミさんが知らないのは無理もありません……彼らは、私の護衛依頼を受けた冒険者たちですよ」


 ギルドの規約違反。アルベールの護衛依頼。ここまで言われてようやく、イズミはこの四人の素性を察することが出来た。


「ああ! 護衛なのに護衛対象を見捨てて逃げ出したって言う、あの……」


「──ふざけるな! それも全部、お前が仕組んだことだろうが!」


 今にも切りかからんとするほどの怒気。顔を真っ赤にし、唾が飛ぶほどの勢いでその四人は怒鳴り始めた。


「あの街道の護衛程度で、冒険者が逃げ出すはずがないだろ! おかしいと思わないのか!?」


「あれは……俺達を襲ってきたあのゴブリン共は! あそこに出る魔物とは思えないほど凶暴化していたんだ! 動きだって並みのゴブリンのそれじゃない、明らかに上位存在による支配の痕跡があった!」


「あと少し判断が遅れていたら、全滅していた! ……しらばっくれるのもいい加減にしろ! お前が賢者の秘術であのゴブリン共を凶暴化させていたんだろ!」


「はぁ!?」


 その冒険者たちは、イズミが賢者の秘術でゴブリンを操り自分たちを襲撃したのだと声高に主張した。自分たちは護衛対象を見捨てて逃げ去ったのではなく、このあまりの異常事態をなんとか街に届けることを優先したのだと──止むに止まれぬ判断だった、被害の拡大を防ぐための選択だったのだとそう言い張った。


「ふざけるなよ貴様ら……! 自らの実力不足を棚に上げ、人に濡れ衣を着せるつもりか!? これだから冒険者はクズぞろいだって言われるんだよ! だいたいお前ら、もしそうだとしたらなんで今の今までそのことを報告しなかったんだ!?」


 イズミよりも前に、ペトラが額に青筋を浮かべて怒鳴り込む。その迫力に四人は気圧されるも、アルベールが彼らをかばうようにして門扉の前に立った。


「いきなり凶暴化したゴブリンに襲われたと言っても、実に嘘くさい話(・・・・・・・)ではありませんか。結果として事実とはいえ、それではまるで腰抜けが言い訳しているようにしか聞こえません。ましてや、当時はイズミさんのことは周知されていなかった……彼らが言い出せなかったのも、無理はない話です」


「アルベール……お前、本当に血迷ったのか……? 自分が何を言っているのか、本当にわかっているのか……? だいたい、そんなことをして私たちに何のメリットがあるんだ?」


 ペトラのその言葉を聞きたかったとばかりに、アルベールはにこりと笑った。


「まさに、まさにその点ですよ。あなたたちの目的と、この魔物の襲撃……最初から最後までの全ての説明が付き、そして付き纏っていた違和感の全てが、これで説明できるんです」


 芝居掛かった口調で、アルベールは溜め(・・)を作る。


 騎士団も、冒険者も、そして参拝客さえも。この場にいるすべての人間がアルベールに注目し、次に紡がれる言葉が何なのか、一言たりとも聞き漏らすまいとしている。


 場は、完全にアルベールが支配していた。


「私は最初……この護衛はハズレを引いたのだと思っていた。たかがゴブリンに臆して逃げ出す、腰抜けだと思ってまるで疑わなかった。おかしいですよね、ちょっと考えればそんなのあり得ないとわかるはずなのに。……何よりおかしいのは、私があなた方と普通に商売していたという事実そのもの」 


「……」


「察しがついているとは思いますが、数日前に私は騎士団より任意の事情聴取を受けています。記録を確認させてもらいましたが、先ほどの件も含めて私の証言はおかしいところばかり。一見なんともないように思えて、よく考えると無理がある。それはその場で騎士様に指摘されるほどのもの。その最たるものが……」


 アルベールは、イズミの後ろにいるミルカを見た。


「私に、あのような親戚は存在しません。顔こそ化粧で誤魔化していますが、あの妖艶な体は誤魔化せない……誘惑の秘術を操る、紛うことなき淫婦です。おそらく私は、操られていたのでしょう」


「ほぁっ!?」


 ああ、それは確かに納得だ──という、周りからの視線と空気。素っ頓狂な声を上げたのはイズミであり、言われた本人であるミルカは、羞恥と怒りがごちゃ混ぜになった感情により、顔を真っ赤に染め上げている。


「筋書きはこうです。なんとかして怪しまれず街に入りたかったイズミさんたちは、適当な商人を見繕うこととした。魔物を操り襲わせ、そこを助けることで恩を売り、自分たちが商人として街に入れるよう実績を作ることとした。ただ、それだけではあまりにも怪しくて不自然だから、私を操り、自分の嫁を親戚ということにして一応の理由付けとした」


「……」


 アルベールは、門扉にそっと手をかけた。


「おかしいんですよ。理由もなく突然魔物が凶暴化するはずなんてないでしょう? ……あと少し気づくのが遅れていたら、私の足は横転した馬車に押しつぶされていたかもしれない」


「……!」


「ですが、イズミさん。私は別に、あなたを恨んでいるわけじゃないんです」


 イズミの目をしっかりと見て、アルベールは言った。


「あなたはただ、水の巫女様をこの街に連れて帰りたかっただけ。そもそもが色々きな臭い話がありますが……巫女様を守るために、それは必要なことだったのでしょう。もし操られていなくても、事情を知ったら私はあなたに協力していたでしょうし、現に今もあなたは正しいと思っている。水の巫女様をこうしてこの街に連れ帰ってきてくれたことに、私は純粋に感謝している」


「アルベール、さん……」


「操られていたとはいえ、あなたに手を貸したことに後悔はない。ですが……この街に入ってからのあなたのやり方は、間違っている」


 アルベールの雰囲気が、はっきりと変わった。いつもの柔和な笑みは鳴りを潜め、ただ表情抜け落ちた、無機質なものだけがそこにある。


「あなたの役目はもう終わった。これ以上は然るべき組織に巫女様を保護してもらうべきだ。騎士団か、あるいは神殿か……ともかく、あなたの領分じゃあない」


「……俺の性格は知っているだろ? この件については、俺は騎士団を欠片も信用しちゃいねえぞ」


「ええ、よく存じております──だから」


 アルベールは、懐に手を持っていった。


 そして。


「やぁッ!」


「!?」


「下がれッ!」


 ガキン、と耳障りな金属音。何かが突き刺さり、そして弾かれる特有の音。参拝客の悲鳴と、何人もの人間が息をのみ込む──驚愕の気配。


「これは……!」


「バカ、な……!」


 ペトラによって、ミルカともども地面に引き倒されたイズミは。


「矢が……通った、だと……!?」


 結界の内側──家の敷地内の地面に突き刺さった一本の矢を見て、目を見開いた。


「はは……やはり、あまり慣れないことはするものじゃないですね」


 短剣を片手に持ったアルベールが、痺れた手をほぐすようにプラプラと振る。慣れないものを全力で振るったうえ、それが思いっきり弾かれたのだ。むしろ手首を痛めていないことの方が不思議なくらいであった。


「皆さん、見ましたか!? たった一本とはいえ……同時に何十本も射った矢はとうとうあの結界を越えた! 私の……友人からの突然の一撃と言う、意識の隙をついた一撃こそがその証明! 油断していたことはもちろん、賢者の集中力はもう、この数日の攻防で確かに切れかかっている! もう、この結界は長くはもたない!」


 難攻不落、絶対防御の賢者の結界。そんな結界に初めて攻撃が通った。たった一本の矢だけとはいえ、それは非常に大きな意味を持つ。


 そう。それ即ち、賢者の結界とはいえ絶対ではないということだ。すでに集中力は切れかかっており、油断を誘ってから隙をついた同時多角的な攻撃をすることで、絶対防御のそれにもほころびができるということである。


 そして……一度でも攻撃が通ったならば。ほんの少しでも足掛かりができたならば。


 あとはもう、話は早い。


「魔法の集中力が切れていますよ、賢者様。……私が今、行動を起こしたことに疑問を持ちませんでしたか? ……この前、クラリエス家とのいざこざで刺されたと聞きました。元々長期間行使しているこの誘惑の秘術。痛みのショックと結界の維持に集中力を割いたせいで、私にかかっているそれが解けてしまったんですよ」


「アルベール、てめえ……! そうか、そういうことかよ……!」


「これからは商人組合、冒険者組合、そして騎士団でことにあたります。我々はあくまであなたに危害を与えるつもりはなく、水の巫女様の身柄を引き取りたいだけ。……クラリエス家のような真似はしませんが、確実にこの結界は壊します」


「アルベールぅ……! てめえ、だったら俺がどうするかもわかってるよな……!?」


「ええ、もちろん。心優しいあなたは、我々に対してはクラリエス家の私兵にやったような手荒な真似はしないでしょう」


 再び門扉に手をかけて、ガシャガシャとそれを揺らして開かないことを確認してから。


 アルベールは、商人らしいはっきり通る声で宣言した。


「一晩、猶予を与えます。その間にどうするのが正しいことなのか、よく考えてください。……操られていたとはいえ、私はあなたのことを好ましい善人であると思っています。頭を冷やせば冷静な判断ができる人だと……何が最善であるかを判断できる人だと、信じていますよ」



▲▽▲▽▲▽▲▽



「ははは……! あーっはっはっはっ!」


 その夜。イズミの家のリビングにて。


「くっくっく……! やるなあ、アルベールさん……!」


 家に打ち込まれた矢を片手に、イズミは高らかに笑っていた。


「こうも堂々とやってくれるだなんて、思わなかった……! なんだよオイ、俺よりよくわかってるんじゃないか……!?」


 景気づけの酒をぐびりと飲んで。今夜は無礼講だとばかりに、缶ビールをもう一本開けて。


「わかったよ、アルベールさん……! いいぜ、やってやる……!」


 空になったビールの缶をぐしゃりと握りつぶし。イズミは窓の向こう、浮かぶ二つの月を眺めながらつぶやいた。


「──お望み通り、壁をぶっ壊してやる!」


 ──結末は、近い。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] いつまでもいつまでも悪党どもが好き放題暗躍する話ばかり続いて食傷気味です。 これからもずっとこの調子で一方的な理不尽を読み続付けるだけなのでしょうか。
[一言] まあアルベールさんは教会が信頼できる事知ってるし、騎士団に参考人じゃなくて容疑者という扱いをして貰えば下手な貴族からのちょっかいから守る大義名分に出来るしね イズミたちが騎士団を敵扱いしてる…
[一言] あえて敵に攻めさせて本丸を引きずりだす作戦とかか?演技なのはわかるが、先の目的がわからんなぁ!次が楽しみです。
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