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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
72/99

72 非日常な日常


 オルベニオの街に入って、こうして広場の中に引きこもるようになって。


 五日も経てばある程度のルーチンと言うか、一日の流れみたいなものもできてくる。


 まずは朝。さすがにこの時間はまだ騎士団もクラリエス家の人間も広場にはやってこない。いや、もしかしたら遠くから監視くらいはしているのだろうが、積極的に干渉してくることはない。


 集まってくるのは、朝の早い商人や近所の人間だ。通りすがりがてら、噂の聖女を一目でも見られないかとチラチラと視線を向けてくるのである。もし本当に見られたらこれ以上に無い吉報だし、そうでなくとも大した手間ではない。


 これに応対するのは、基本的にはミルカだ。洗濯物が多いときは、主にイズミの衣服を中心として外に干すために、嫌でも彼らと顔なじみになってしまったのである。


「あら、お嬢ちゃん。今日も精が出るわねえ」


「そちらこそ。まだ日が昇ったかどうかといった頃合いではありませんか」


「うかうかしていると、水汲み場も混んじゃうからね。あたしの家は遠いから、こうして朝早くに出る必要があるんだよ。……毎回思うけど、その物干しざおについている奴、便利そうだよね。ウチにも一つ欲しいくらいだわあ」


「ああ、コレ……ピンチハンガーですか。ふふふ、そのうち商売のネタにでもしましょうかね」


「その時は一番に声をかけておくれよ!」


 会話内容はほとんどが雑談だ。如何にも主婦らしい、朝の井戸端会議のそれと大差ない。ミルカはすでに賢者の嫁ということでそれなりに知れ渡っているため、こうして健気に朝早くから働く姿に共感を覚える主婦たちが少なくなかったのである。


 中には、若い娘を合法的(?)に見られるということでやってきている輩もいたが、その辺はミルカもすでに諦めていた。このような視線にさらされたのは今に始まったことではないため、もうすっかり慣れてしまったのである。


 そうして朝の時間が終わり、朝食を済ませて。このくらいの時間になるといよいよもって人の往来が激しくなるため、基本的にイズミ達は用がない限りは外に出ないようにしている。広場のど真ん中に家がある関係上、どうしたって好奇の視線は避けられないし、中には割と無遠慮に石塀のすぐ近くまで来て家を覗き込もうとするやつらもいたりした。


「今日も来たなあ、あいつら」


「毎日毎日、ペタペタコンコンと……見えない壁がそんなに珍しいかね?」


「珍しいんだろうな。それに、基本的に子供はみんな遊びに飢えている。あのはしゃぎようを聞けば、イズミ殿もわかるだろ?」


「……だな。……本当に楽しそうに笑いやがってよぉ」


 無論、決してそこを越えることはできないのだが……最近は眼に見えない不可侵の結界を面白がっている人間もいるくらいで、物珍しさに遊びに来たのであろう子供たちがぺたぺたとそれを触ってはしゃいでいたりすると、イズミとしても怒鳴るに怒鳴れず、結局なあなあで済ませることも多かった。


 そうして昼の時間が近づくと、広場には良い匂いが立ちこみ始める。雑貨や行商品を売りさばく露天商だけでなく、この広場には軽食を扱った屋台の類も出店しているためだ。元より、往来が激しく人が集まる場所に出店するというその戦略は間違ったものではなく、その上最近はある意味観光名所(?)と化したイズミの家があるため、以前に比べてその数も増えていたりする。


「いーい匂いだなあ、おい」


「う……たしかにちょっと、おなかが空いてきちゃう匂いですよね。なんだろう、お肉を焼いているのかな」


「いくつになっても、こういう屋台の雰囲気のワクワクって薄れないものなんだな」


「は、恥ずかしながら私もこういうのに憧れがあって……いつか、巡ってみたいなあって」


「へえ。なんか奥様は祭りとかにはしょっちゅう顔出ししているイメージがあったんだが」


「……主催者側なので、巡ることはできなかったんですよ」


「……そっか」


 何気に、イズミにとってはこれが一番つらかった。家の外から楽しそうな声と美味しそうな匂いがするのに、カーテンを閉め切って引きこもってなくてはいけない。ちょっと出て行ってサッと買って戻ってくるだけなら大丈夫だろう……と思う自分と、そんな子供じみた油断のせいで何もかも台無しにしたらどうするんだ……という自分が心の中にいて、延々とそんな考えが頭の中でぐるぐる回るのである。


 さて、昼の時間が過ぎ、そろそろお昼寝の時間になるのかな……と言った頃合いが近づくにつれ、家の中にも、広場の方にもピリピリとした緊張感のある空気が満ちてくる。イズミは落ち着きなく指をタンタンと動かしているし、精神統一しているペトラの眉間にはうっすらと皺が寄っている。不安そうに震える奥様はテオのことをぎゅっと抱きしめ、同じく不安そうなミルカはその不安を吹き飛ばすべくイズミの部屋で日課の勉学に励みだす。


 そして。


「今日こそ立ち退いてもらうぞゴラァ!」


「いい加減諦めて出てこいやコラァ!」


 家に響く怒声。ガンガンと何かを打ち付けるような音。窓のカーテンの隙間の向こうからは、物騒な顔つきをした男たちが都合十人ほど、ハンマーだのなんだのを持ってそれを石塀や門に叩きつける姿が見て取れた。


「うっせぇぞコラァ! てめぇら人の家に何しでかしてくれてんだゴラァ!」


「今日こそ鉈のサビにしてくれるッ! 貴様ら覚悟はできてるんだろうなァ!?」


 もちろん、イズミとペトラも黙っちゃいない。結界を壊そうと無駄な努力を続けるクラリエス家の雇われたちに対し、これまでのストレスの全てをぶつけるかのような鬼の形相で撃退に入る。


「来たぞ来たぞ! いったん退けッ!」


「追撃に出てきたところを弓矢か投石でやっちまえ! どうせ向こうは遠距離攻撃できねえんだ、焦らず粘っていくぞ!」


 雇われたちもバカではなかった。家を壊そうとしているというよりかは、ただひたすら騒音を出してイズミ達の嫌がらせに徹している節がある。そうしてイズミ達がそれを止めようと門の近くまでくるとあっという間に距離を取り、手ごろな石を投げたり矢を射るなどの手法に切り替えてくるのだ。


 たまらずイズミ達が敷地内に引っ込むと、再び家に近づいてきて……という、その繰り返しである。


 そんな一進一退の嫌がらせとその撃退という流れが数回も続けば。


「毎回毎回、貴様らなにをやってるんだあああああ!?」


「あっ、いつものおっちゃんが来たぞ」


「じゃあ、今日はこんなもんで引き揚げるか」


 騒ぎを聞きつけた騎士団がやってきて、その場はお開きとなる。クラリエス側もその辺はかなり気を付けているようで、たった一人の生贄役を残してあっという間に引き上げていくのが毎回のことであった。


「何度言ったらわかるんだ!? 街中で武器を振り回すなど……!」


「いえいえ、武器ではなく工具ですよ。何度も言っていますが、私達はこの違法建築された建屋を撤去したいだけでありまして……あくまでこの街の法律に則った行いですとも」


「んなわけあるか! 他所様の家にいきなりカチコミをかけていいだなんて法律あるわけないだろうが!」


「話し合いにも、騎士団の命令にも応じずに武器を振り回す狂人が目の前にいるのですが、私よりもあちらを連行したほうがいいのでは?」


「ええい、貴様ら二人とも黙ってろッ!」


 なんだかんだで毎回小一時間ほど、イズミと騎士団、そしてクラリエス家の雇われの人間の間で罵りあいという名の話し合いの場が設けられる。もちろん、議論はいつだって平行線で、一応のポーズのためにクラリエス側が詰所に連行されていくが、翌日には普通に出てきているのが現状であった。


「今日も疲れた……」


「はい、おつかれさまでした」


 そうして、夜。いつも通りに夕食を取って、いつも通りに風呂に入って。夜に出歩く人間はあまりいないから、この時間だけは安心して過ごせる、落ち着いた空気が流れている。娯楽も電気も何もないこの世界では就寝時間もそれなりに早い傾向があり、この夜のひと時もごくごく短い。


「それでは、イズミさん……おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 そうして一日が終わり、また新しい一日が来る。同じような繰り返しの毎日が続き、そしてとうとうそれは起こってしまった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「だうー……」


「うわぁ……」


 朝食を食べた直後。いつもならぱあっとおひさまのような笑みを浮かべているはずのテオが、これ以上ないくらいにシブい不機嫌な表情になってしまっている。しかめっつらのように眉間には皺が寄っており、いつもの明るい表情とは比べるべくもない。


「どうしたんだよ、テオぉ」


「うきゅ……」


 イズミが抱きあげ、くるくると回る。ほんの少しだけ眉間の皺が取れたものの、やっぱりすぐに戻ってしまった。


「ご飯でも、おしめでもないよな……でもって、抱っこでもない。おねむってこともないだろう?」


「うー……!」


「ああもう、可愛い顔が台無しだぞ」


 ぐずぐずとテオはむずがっている。赤ん坊とは往々にしてそういうものだが、基本的にいつだって機嫌が良い……そうでなくともイズミやミルカが抱っこすればたちまちのうちににこーっと極上の笑みを浮かべるテオであるということを鑑みると、これはなかなかの異常事態と言えた。


「ミルカさん、わかる?」


「ああ、これはきっと……」


 イズミにはわからなくとも、乳母であるミルカにはテオの気持ちがわかってしまった。


「運動不足……もっと言えば、水遊びが足りないってやつですね」


「ああー……」


 最近は全然お外で水遊びが出来ていませんでしたから、とミルカは告げる。確かに言われてみれば、ちょっと前は二日にいっぺんくらいの頻度でお外で水遊びをしていたっけ……と、イズミの方も思い当たった。


「で、でもミルカ。水遊びならお風呂で毎日やってるよ……?」


「いいえ、奥様。それはそれとして、テオにとってはイズミさんとお外で遊ぶそれは別物なのでしょう」


「う! だう!」


 それが言いたかったんだとばかりに、テオがぱたぱたと手足を動かした。


「……どうする? まだ午前中だし、ガラの悪い連中が来るってことは無いだろうが」


 敷地内であれば絶対に安全だ。テオと水遊びしようが何の問題も無い。イズミの半裸の姿が大衆に晒されることになるが、そんなものに価値を見出す人間はこの世にいない……どころか、下手をすると迷惑料を払う必要が出てくるかもしれない。


 問題があるとすれば、テオという存在が露見するというその一点だ。


「奥様は有名人だろうけど、テオはどうなんだ? 面が割れているってことは無いだろ?」


「確かに、顔まで知っている人となるとかなり限られますね。乳飲み子だったから外に出る機会も数えるほどしかありませんでしたし。それに……」


「それに?」


「……敵からしてみれば、ここにテオがいるのなんてわかりきっていることでしょう。私に奥様にペトラ……始末したはずの三人が生きているのだから、テオだって生きていると考えるのが普通です」


「……たしかに」


 結論。敵から見ればテオが生きていることは簡単に予想ができる。何も知らない人は、この赤ん坊が誰なのかを断定することが出来ない。まっとうに考えるなら、夫婦設定であるイズミとミルカの子供だと判断するだろう。


「じゃあ、ちょっとだけ遊んでやろう!」


「きゃーっ!」


 さっとテオを抱き上げ、自身もまた半裸になりながらイズミは外に出る。大自然とは違い人の喧騒が目の前に広がっているが、これで恥ずかしさを覚えるほどイズミは若くない。あまりにじろじろ見られるのは困るが、せいぜいがその程度である。


 もちろん、テオは全裸だ。日本ほど進んでいないこの世界では、この齢の子供であれば全裸で過ごしていることもそんなに珍しくは無かったりする。


「ミルカさーん、いつもの頼むぜ!」


「はいはい……」


 サンダルをはいたミルカが、いつもの外の蛇口にホースを繋げてイズミ達に水をかける。程よく広がった水しぶきがイズミとテオの体を濡らし、そして煌めきと共に小さな虹を作った。


「う! だう!」


「そうかそうか! 楽しいかテオ!」


「みー!」


 テオを大きく抱き上げて、イズミはくるくると回った。お気に入りの回転とお気に入りの水遊びを同時に楽しめているからか、テオの興奮はいつも以上であり、そしてその笑顔は太陽の輝きにも劣らない極上のものであった。



 ──珍しい、庭先で遊んでるぞ?


 ──あんな赤ん坊いたんだな。


 ──可愛いわねえ。


 ──あのねーちゃんの子供かぁ……ちくしょう。



「……やっぱり少々、目立ちますね」


 広場のど真ん中で水遊びをしていたら、当然のように目立つ。さすがに石塀に張り付くようにして見てくる人間はいないが、遠目からちらちらとみられているのは間違いない。


 その視線の大半は、楽しそうにけらけらと笑うテオに注がれているようにイズミには思えた。やはりどんな世界であっても、笑う赤ん坊と言うものには抗いがたい魅力が備わっているらしい。水遊びをするテオを微笑ましそうに見つめる主婦たちに、イズミは少しばかりの親近感を覚えた。


「よーう、思ったより元気そうじゃねえか」


「……ん?」


 そんななか、イズミにかけられた声。聞き覚えのある声にイズミは少しばかり手を止め、そちらの方に向き直った。


「久しぶりだな、賢者の旦那。……意外といいカラダしてるじゃねえか」


「ラルゴさん……悪いが、俺にそっちの趣味は無いぜ?」


 俺にもねえよ、ゲラゲラ笑ったのはほかでもないラルゴであった。野営場で会った時と何ら変わった様子はなく、これといって緊張している感じもしない。強いて言うなら今までに比べて装備と言うか服装がラフな感じがするが、これは街中であるためだろう。


「そうじゃなくて、マダムのおねーさま方から熱い視線を注がれているってことさ! ……嬢ちゃんも、うかうかしていると取られちゃうかもなあ? こんな優良株、そうはいないぜ?」


「うふふ、御冗談が上手いんですから。……そんなこと、させませんよ」


 なぜだか一瞬ぞくっとした背筋を無理やり無視して、イズミはラルゴの手招き──体の陰でこっそり行われていた──に従い、石塀の方へと近づいていく。


「……ちょっと待ってろ。もう少しマシな状況にしてやる」


「ラルゴさん? それはつまり……」


「しかしまあ、旦那も水臭いねえ! 赤ん坊がいるなんて一言も言ってなかったじゃねえか! 何をしでかしたか知らねえけどよう、身の振り方ってもんはきちんと考えたほうが良いぜえ?」


 周りに聞こえるように、大きな声でわざとらしく。なんだかんだで暫定的な危険人物であるイズミ達に近づく人間がいないからこそ使える手法。当たり障りのない会話を大声ですることで深入りはしないように見せかけつつ、その裏でこっそり大事な話をする……という、アナログ手法しかないこの世界だからこそ生まれているスキルであった。


「……マジな話、食料や水は大丈夫なのか? もうなんだかんだで七日くらいは経つだろ? 一応、俺とかーちゃんのほうでごり押し気味に根回ししてな。ショバ代を貰っている以上、俺達はここで商売をする権利がある、それを脅かすなら商人組合全体が敵になるぞ……ってことで、午前中だけはここで確実に商売ができるようにした」


 だから、午前中だけはこの広場で家の立ち退きに関する争いは起きない。起きたが最後、騎士団もクラリエス家も商人組合からのかなりの制裁を食らうことになる。無論、商人組合も大っぴらに敵対しているわけではなく、あくまで商売の時間を確保する権利があるという態で話をしているため、商売の邪魔になることでなければ何をされても文句は言えない。


「悪いな。本当は広場での争いを全面的に封じたかったんだが……向こうの言い分も法律的には間違っちゃいない。だから、午前中だけが限界だった」


「いいや、それだけでも十分にありがたいよ。さすがに一日中あんなの相手にしていたら参っちまうし。……正直な話、ここまで気にかけてくれるだなんて思ってもいなかった」


「水臭いぜ旦那よぉ! 俺達の仲じゃねえか! ……だから今週分のショバ代もしっかり回収させてもらうぜえ?」


「ちっくしょう! 商人組合はいつもそれだ! わかったよ、払えばいいんだろ払えば! ミルカ、部屋から金持ってきてくれ!」


 食料も水も十分にあるから大丈夫だ、とイズミは後ろを向きながら呟く。了解、と小さなつぶやきが返ってきて、そしてまたラルゴは大きな声で叫んだ。


「嬢ちゃん、ついでに黄金酒も持ってきてくれ! 俺と旦那の二人分な!」


「ええい、仕入れができないのに売れるわけないだろ! ミルカ、俺のだけでいいぞ!」


「あなたもラルゴさんも、赤ちゃんがいるのにそんなに大きな声出さないで! 引っぱたきますよっ!」


「「ひえっ」」


 金の入った小袋がラルゴの頬を掠め、二本の缶ビールがイズミの頬を掠める。魔力の匂いがわからないイズミには、それに万が一にもテオに当たらぬよう風の魔法がかかっていたことに気づけない。


 ──あの家には、賢者も大商人も恐れをなす鬼のような嫁がいる。そんな噂が立ったのは、翌日のことであった。



▲▽▲▽▲▽▲▽



「おお、アルベールさんにニーナさん……無事でしたか」


「ええ、私たちは何とか……大神官様も、おかわりないようで」


 神殿。水の巫女の加護を得ようとやってきたお偉いさんや、その他大っぴらに神殿に訪れることが出来ない人たちを通すための秘密の応接室。普段はめったに使われないそこで、アルベール、ニーナ、大神官と婦長の四人は集まっていた。


 イズミの家がいきなり地下礼拝場から消えたあの日以来の再会。正直この四人はそこまで繋がりが強いというほどでもない間柄だが、まずは無事にこうして顔を見合わせることが出来たことに、四人がホッと息をついた。


「やはり、かなり話題になっていますね……。断定こそされていないものの、広場にできた賢者の家に水の巫女が匿われているらしい、というのはもうそこらの子供でも知っているみたいです」


「むう……この神殿にも、問い合わせが殺到しておりますな。ひとまずは事実確認中だということで誤魔化しておりますが、それもいつまで持つか……」


 まずは簡単に、アルベールと大神官で情報を共有する。お互い立場が違うからか、入ってくる情報もまた異なっており、事態は思った以上に混沌としていることがどんどんと明らかになっていく。


「信じる者、信じない者……今すぐ断罪すべきだという者に、今すぐ救い出すべきだと主張する者。どうして確かめに動くことすらしないのかと、逆に詰られることもありましたな」


「こちらはむしろ、話題性という意味での影響が大きいですね。あの賢者の見たこともない秘術に加えて、そこに水の巫女までいるという信憑性のありそうなウワサ。良くも悪くも目立って人が集まるものだから、何とか一儲けできないかと考えている人間がけっこういます」


「……少し耳に挟んだのだが、商人組合はイズミ殿からも場所代を取っているとか」


「ええ。ちょっと無理があるかなとは思ったのですが……あそこは一応、商人組合が管理している広場ですからね。毎日毎日諍いを起こされては、イズミさんも含めた……あの場で商売をする商人全体が干上がってしまいます。なので、せめてやるなら午後だけにしてくれ、そうしないなら諍いによって得られなかった費用の全額を補填してもらうぞって騎士団にもクラリエス家にも正式に要請したんです」


「あ、あらまぁ……」


「まぁ、今までにない事態ですからね。それによる損失がどれだけあるかなんてわかりませんし、対応できる人間がいるわけもありません」


「なので、素人な誰かさん(・・・・・・・)が計算ミスして想定より桁が二つくらい上の金額を弾いちゃったりしていたとしても、しょうがないことなんですよ!」


「「……」」


 茶目っ気たっぷりに笑うニーナを見て、大神官も婦長も顔をひきつらせた。せめて、入れ知恵したのは別の誰かでありますように……と、二人は奇しくも同じことを願った。


「それはそうと、騎士団の方はどうでした? こちらはそこそこ拘束されたのですが、一応はなんとかなりましたよ」


「私たちも、関係はなんとか誤魔化せたと思う。イズミ殿とペトラ、ルフィアがこの神殿から出てきたところを見た人間は多かったが……。兵士の一人が、「アレは気づかない、あのペトラがあんなに綺麗になっているなんて信じられるわけがない」とかなり強く主張してな」


「……兵舎時代のペトラさん、そんなにその……アレだったんですか?」


「うふふ、ニーナさん。本来、兵舎に女が寝泊まりすることはまずないのに、ペトラは普通にやってのけた……それどころか腕っぷしも一番強くて、だからこそ巫女様のお付きの騎士として選ばれたのよ」


「「……」」


 ともあれ、お互いになんとか“大罪人を匿っている人物”としてのイズミとは関係が無いことを主張できたのである。無論、完全にシロになったわけではないだろうが、関係者として問答無用で連行されるようなことは無いと言っていい。


「ただ……やはり、状況の打開策はまだ何も。商人の伝手を使って例のクラリエス家のチンピラたちを調べてはいるのですが……」


「こちらも似たり寄ったりの状況ですな。そもそもルフィアはイズミ殿の秘術でこの街にやってきたというのに、奴らは水の巫女らしき人間が街に入ったのを確認したから調査のために動き出したと主張している。時系列的に、それはあり得ない……だからこそ、そのあたりを突っ込んでみたのだがはぐらかされるばかりだ」


 アルベール達は当事者ゆえに知っているが、奥様はイズミにより地下礼拝場に家ごと呼ばれた後、そこから一切外には出ていない。翌日になって領主の館へ行くために外に出たが、襲撃が起きたのはその直後だ。どう頑張っても、それだけの時間で襲撃の準備を整えることは不可能なのである。


 つまり、敵は何らかの方法で奥様の存在を知ったわけであり、「街に入ったのを確認した」のは真っ赤な嘘であるのは明白だ。その嘘のほころびを突いて広げることで状況を打開することが出来るはず……と大神官は考えたが、しかしそう上手くいっていないのが現状であった。


「そもそも不可解なのですが……我々は、巫女様は賊に襲われて行方不明だと聞いていました。実際、巫女様もそう仰っており、テオ坊ちゃんを託されたミルカさんが帰らずの森に逃げ込み、巫女様とペトラさんが捕まったという話でした」


 なのに、とアルベールは続ける。


「処刑されたと言われた賊は、実際は巫女様とペトラさんだった。それどころか、騎士団や大神官様たちは巫女様が井戸に毒を流したために流刑にされたと言っている」


「そうですよ! 巫女様は賊に襲われたって言っていて、私達にもそう伝わっていて……! でも、上の人たちは罪人として囚われたって言ってる! いったいどういうことなんですか?」


「それには……色々と複雑な話があってな」


 険しい顔をしながら、大神官は語りだした。


「まず、我々に届いた報せは「水の巫女が井戸に毒を流すところを現行犯で捕まえた」というものだった。無論、そんなはずはないと我々は皆そう思っていたが……今となっては、それこそがルフィア達が分かれて逃げることとなった最初の襲撃だったのだろう」


 奥様とペトラが捕らえられたというその事実。奥様からしてみれば賊に襲われたというものであり、襲った賊──クラリエス家からしてみれば、奥様の身柄を確保したというそれに過ぎない。そこにカバーストーリーを付けることで、その行いを正当化しているだけである。


「濡れ衣だということはわかりきっていた。だが、それを証明することが出来ない……その上、向こうの処理はやたらと迅速だった。こちらが動き出すころにはもう、ルフィアとペトラの流刑の準備は整っていた」


「話を聞く限り、クラリエス家というのはその手の謀略に長けている感じがしますし、それ自体は不思議なことではないんでしょうね」


「その通り。そして奴らは狡猾でな。水の巫女が井戸に毒を入れたなんて市井に知れ渡ったら大変なことになる、無駄な混乱を起こさないためにも──水の巫女として、神殿としての名を傷つけぬよう、あくまで水の巫女は賊によって襲撃されたことにし、処刑されるのは水の巫女ではなく賊であることにするべきだと言ったのだ」


「……名誉のために、それらしい理由をつけるということは貴族の世界じゃ珍しくありません。戦場から逃げ出した挙句落馬して死んだ貴族の御子息が、味方を逃がすためにたった一人で殿を務め、敵将と一騎打ちの末に打ち取られるというという勇敢な最期だった、と脚色されたりとか。……無論、神殿関係者(われわれ)はいけしゃあしゃあと抜かすその物言いにはらわたが煮えくり返る思いでしたとも」


 ともかく、そうして奥様達は流刑にされた。何も知らない一般の人間たちは賊に襲撃されて行方不明というそれを信じ、政に係わる上層部には大罪を犯した末に流刑にされたという真実が伝えられた。それこそが、人によって知っている”真実”が異なる理由なのである。


「なるほど……だから、微妙に話が食い違っているのか。それに、囚われていた巫女様にはそのあたりの事情がわかるはずもない」


「あれ……でも、おかしくない? 名誉のために賊に襲われたことにしたって言うけど、賊に襲われたのって本当のことでしょう? じゃあ、巫女様が井戸に毒入れたという話は嘘なのに……証拠もないのに巫女様は処刑されたってことになりませんか?」


 ニーナが尤もなことを言う。大神官は、疲れようにつぶやいた。


「……井戸の近くでルフィアを見たという人間が、何人も出てきたのだよ」


「……え?」


「そればかりか、後日調査をしたところ井戸からは本当に毒が出てきたのだ」


「そんな……」


「現行犯で捕まえたと主張する一団。実際に井戸から出てきた毒。そして、第三者からの複数の目撃証言。……これだけ揃っていたら、もうどうにもならない」


「ちなみに、その捕まえた一団というのは」


「……クラリエス家の私兵団だ。遠征訓練から戻る途中に、水の巫女の蛮行を目撃したために動いたと……そう言っていた」


 もちろん、神殿側も馬鹿ではない。クラリエス家の言い分はかなり信憑性に欠けるし、そもそも水の巫女がそんな愚かな真似をするはずがないと確信している、いや、仮に水の巫女でなかろうとも、ルフィアと言う一人の心優しい人間がそんなことするはずないと、心の底から信じている。


「だが……目撃者は、クラリエス家とは何の関係もない人間たちだった。昔からその地に住んでいる、何の変哲もない普通の人たちだ。彼ら自身、自分たちが見たその人が水の巫女であったと信じたくない様子だった」


 だから、その話はそれで終わってしまった。もうそれ以上、調べる方法なんてなかったと言ってもいい。全く関係のない人間が何人も何人もそれを見たと言ってしまっている以上、公正な判断としてはクラリエス家のそれが正しくなってしまうのだ。


 ただし。


 それはあくまで、その時の話である。


「あの時はルフィアを流刑にされて……もう、実質死んだものだと思っていた。それ以上足掻こうという気力すらわかなかったが、今は違う。今度こそ、力になってみせる」


 大神官の目には力強い光が宿っている。もう二度と、あのような悲しみを誰にもさせたくないと強く思っているのだろう。それは隣にいる婦長も同じであり、その二人の対面に座るアルベールとニーナの瞳にも同じ光が宿っていた。


「これはいよいよ、危険なことも選択肢に入れる必要が出てきましたね……」


「……アルベールさん? 何か策があるのかね?」


「策、と言うほどのことではないのですが」


 アルベールは、机の上で指を組んだ。


「イズミさんたちをあの状況から助け出すには、身の潔白を証明するしかない……言い方を変えると、クラリエス家のやってきた悪事を暴くほかないです」


「それはまぁ、その通りなのであろうが……」


「──井戸に毒を入れたんですよね? クラリエス家はその毒を、どうやって用意したのでしょう? 後日の調査でまだ残っていた……この場合、あえて残るようにしていたのだとは思いますが、それなりに強く、それなりの量の毒であったことは明白。そう簡単に準備できるものではない、はず」


「そ、それは……まさか」


「実際に毒を入れたタイミングは? 最初の襲撃で確実に巫女様を確保できる保証は無かったと考えると、迅速に動け過ぎているというのが気にかかる。遠征訓練と言う名目はあったにせよ、巫女様をどこで捕らえられるかだって明確な予想ができるはずがない」


「アルベールさん……私、あなたが何を言いたいのかわからないわ……! もっとわかりやすく言ってちょうだい……!」


 堪らずと言った様子で婦長が声を漏らす。アルベールは、にっこりと笑って告げた。


「つまりですね。クラリエス家の動きはとても迅速なんです。──だからいつ、どこで事が起きようとも辻褄を合わせられるよう、入念に準備していたと考えるほうが自然です。それなりに大量の毒を用意して、各地に配備していた可能性があると思います」


「なるほど……あのシナリオを通すためには、ルフィアを捕まえた後にすぐ毒を入れる必要がある。いつ、どこでルフィアが捕まえられるか明確でない以上、その対応策を考えるのは当然というわけか」


「そういう……そういうことね。毒を入れた地で待ち伏せしても、肝心肝要の巫女様がその土地を通らなければ、偽物の存在だけが浮かび上がってしまう……!」


 クラリエス家が用意したシナリオ。そのシナリオを確実に達成するには、何よりタイミングが重要である。ピンポイントでの対応が物理的に不可能な以上、相応の準備をすることでその対策としたはずだ……というのが、アルベールの推測であった。


「もちろん、方法そのものは断定できませんが……いずれにせよ、それなりの量をすぐに動かせる位置に用意しておかなければならなかったはず。だから……」


「──探れば、何かしらの証拠が出てくるってこと!? 毒の手配履歴とか、不自然な倉庫の使用履歴とか……もしかしたら、毒の現物とかも!」


「わからない。けど、現状はそれが一番可能性があると思う」


 敵だってバカではない。証拠があるならとっくに隠滅しているだろうし、そもそも証拠を残さないように動くのが普通だ。ましてやあれからもう数か月も経っているのだから、その処理の時間だって十分にあったと言っていい。


 しかし、この世の中には絶対はない。入念な準備をした分──どんな事態でも対応できるように規模を大きくした分、見逃していることだって出ているはずである。その可能性は、決してゼロではない。


「し、しかし……! 実際、どうするのだね?」


「言ったでしょう? 危険なことを選択肢に入れるって。……幸い、時間だけはいくらでもあります。慎重に物事を進めていこうと思うので、大神官様たちは今まで通り、そちらのやり方でのアプローチをお願いします……ただし」


 アルベールは、真剣な表情で言った。


「何があっても、私たちを信じてください。イズミさんや巫女様たちを助けたいというこの気持ちは本物です。今この瞬間、こうして話している私を……どうか、信じてください」


「……アルベールさん? あなた、いったい何を」


 大神官の問いには答えず、アルベールは隣に座る妻に問いかけた。


「ニーナ。君にも少し動いてもらうことになる。危険がゼロとは言えない。僕としては、この神殿で婦長さんたちの下で安全に過ごしてもらいたいんだけど」


 できればそうしてほしい、というアルベールの気持ちが表情にありありと現れている。婦長も大神官もそれを見抜けたのだから、他でもないニーナはもっとそれがよくわかったことだろう。


 だとしても、ニーナの答えは最初から決まっていた。 


「何言ってんの、アルベールったら! ──私だって、気持ちは同じ! どんな危険なことだろうとやってみせるわ!」


 ニーナは夫の肩を軽く叩きながら、何でもないとばかりに笑い飛ばした。

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― 新着の感想 ―
[一言] この国の王族とかは動かんのかな?
[良い点] 頼もしい見方がここにいた! 前途はまだまだ不安だが [一言] イズミ達には今んとこ解決の手は無いし・・ アルベールしかいないか
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