71 騒動の裏 ―籠る主役:襲う敵役:奮う立役―
「今頃、イズミさんたちは出発したころかな……」
水の神殿、その地下にある礼拝場。本来ならば関係者しか立ち入りできないはずのそこに、たかだか一商人でしかないアルベールとニーナはいる。
神秘的に輝く水の光は美しく、ひんやりとした空気と相まってどことなく厳かな雰囲気。こんなに綺麗な風景を神殿が独占しているのは、ちょっとばかりずるいのではないか……そんなことを考えつつ、アルベールは自分たちだけがこの光景を見ることを許されていることに少しばかりの優越感を覚えた。
「予定通りなら、おそらくは。サリーが見送りに出ていますし、少なくとも神殿内で怪しまれることはありますまい」
少々恰幅のいい大神官が、ニーナのつぶやきを律儀に拾ってゆったりと笑う。まさか反応があるとは思っていなかったのか、ニーナはすっかり恐縮してぎこちない笑みを浮かべた。
「して、アルベールさん。今日はどうされる? 見たところ、結構な荷物を持っているようですが」
純粋に、ただの疑問。良いとか悪いとかじゃなく、本当にただ気になっただけ。文字通りの雑談として、大神官はアルベールに問いかけた。
「せっかく戻ってきたわけですし、しばらくぶりに実家の方に顔を出そうかと思いまして。ここ数か月ずっとイズミさんのお世話になりっぱなしでしたし、色々と買い揃えたりするものもありますから」
それに、とアルベールはにっこりと笑って続けた。
「何事も無ければ、夕方にはイズミさんたちも戻ってきます。せっかくの団欒の機会なわけですし、お邪魔虫は退散しておこうかな、と」
なんだかんだで忙しなかったが、ここは水の巫女である奥様の実家のようなものである。戻ってきたばかりならともかく、ちょっと落ち着いた今ならば少しくらいの団欒を楽しむゆとりがあってもいいはずだ……というのがアルベールの考えであり、そしてまた、その中には自分たちは決して混じれないことも理解しているのである。
「む……しかし、アルベールさんもここまで自らの危険を厭わずルフィアとイズミ殿を助け、そして共に過ごしてきたのだろう? 我々としては、しっかりとお礼をさせて頂きたいのだが」
「ははは、こっちだって命を助けられていますから。巫女様がいなければ、私は今頃ここにこうして立っていられませんでした」
「だが、話を聞く限りでは……」
「心配せずとも、私とてこれで御役目御免にされるつもりはありません。例え嫌だと言われても、最後まで……全ての決着がつくまでは関わらせていただく所存です。だから、その時は」
神殿の綺麗な部屋で、みんなで食事でもしてみたい。そういうのに少し憧れがあったんです──と、アルベールは照れくさそうに告げた。
「……必ずや。必ずや、招待状を送らせていただきます。その時はもう、神殿の威信をかけておもてなしをさせて頂きましょう」
「ははは。まぁ、冗談はともかくとして、今日はこっちに戻るつもりはありません。イズミさんたちが戻ってきたら、その旨をお伝え願えますか?」
「うむ、承知した。……なぜ一緒に出発しなかったのかね? 馬無し馬車とやらに一緒に乗っていけば楽だったろうに」
「念のため、ですね。私もニーナも本来の門を通っていませんし、神殿との接点も無いです。なのにいきなり朝早くから一緒に神殿から出てきたら……さすがにちょっと、怪しまれるかなと。一応、イズミさんたちがこの街に来たのは私から独り立ちしたという設定でもありま──!?」
アルベールの目の前が、いきなり明るくなった。
いや、明るくなったというと少し語弊があるだろう。より正確に言えば、光源の──光る池の前にあった、光を遮るものが突如として消えてなくなったために、今まで届いていなかった光が届くようになっただけだ。
もちろん、光を遮っていたものとは……他でもない、あのイズミの家である。
「むっ!? ……そうか、これがイズミ殿の秘術か。いやはや、目の前にいきなり家が出てきたときは驚いたものだが、消え失せるのもまた一瞬なのだな」
「……いえ、これはかなり不味い事態ですよ。ニーナ、確か家にはまだ……」
「ミルカさんとテオ坊ちゃんが残っていたけど……アルベール、不味いってどういうこと?」
あの家の特性を理解していないがゆえに状況を把握しきれていない大神官。単純に、あの家の絶対的な防御性能を理解しているゆえに状況を理解できていないニーナ。そんな二人とは対照的に、状況を理解してしまったアルベールの額にはとてつもない量の冷や汗が浮かんでいる。
「大神官様! これから何があっても、知らぬ存ぜぬで通してください! 自分たちはただ、いつも通り参拝客の相手をしただけだと……少なくとも状況が把握できるまでは、絶対にそれで通して!」
「わ、わかった……だが、いったいどうしたのだ? 何をそんなに慌てている?」
「そうだよ、アルベール……何があってもあの家があれば、万が一なんてあるはずがないでしょ?」
「だから問題なんだよ、ニーナ。何かがあった時しかイズミさんはあの家を呼ばないんだ。こんな街中で、移動するわけでもないのに……ましてやさっき出かけたばかりなのに、どうして家を呼び出したんだ?」
「……あ!」
「そ、それはつまり……!」
「ええ……何かがあったんでしょうね。それも、家に引きこもらざるを得ないと判断するほどの何かが」
アルベールは知っている。普段は控えめで優しい水の巫女様は、その実魔法戦闘に凄まじく長けており、殲滅力で言えばこの街で五本の指に入る人間であるということを。一緒にいるのはその巫女付きの護衛であるペトラであり、彼女は彼女で近距離での対人戦闘では比類なき実力を持っているということを。
さらにさらに、イズミと言うインチキ染みた道具を持つ人間だっている。自動車に乗っていればその行く手を阻めるものなどそうはいないし、追い付くこともできない。直接的な戦闘能力こそ二人には及ばないものの、クマよけスプレーをちょっとでも吹き付けるだけで相手を無力化することが出来るという他にはないアドバンテージがある。
そう、それだけの対抗手段を持つ三人なのに、家に逃げ込んでいるのだ。これは明らかに非常事態である。
「ど、どうするの……!?」
「なるべく人目につかないように、この神殿から出て行きます。何があったのかはまだわかりませんが、幸いにも……私たちと神殿が繋がっていることに、敵は気づいていないはず。有利があるとしたら、そこでしょう」
「だ、だが……アルベールさんとイズミ殿が繋がっているのは周知の事実なのだろう!? 下手に分かれて行動するよりかは、ここにいたほうが神殿として守ってやることもできるのだぞ!」
動きを必死に止めようとしてくる大神官に向かって、アルベールはにっこりと笑いかけた。
「ダメなんですよ、それじゃ。守ってもらっていたら……誰がイズミさんたちを助けるんです? 巫女様が戻ってきたことはまだ公にされていないのに……どうやって神殿が動くのですか?」
「む、う……」
「動くなら今しかないんです。今ならまだ、私たちは自由に動ける……いいや、最初から繋がっていたと悟られずに動けるんです。勝機があるとしたら、そこしかない」
「……」
「もう一度、はっきりと宣言させていただきますね」
アルベールは、傍らで不安そうにしている妻の手をぎゅっと握って宣言した。
「私もニーナも、巫女様と、テオ坊ちゃんと──あの家にいる家族みんなの味方です。この先何があっても、それは変わりません。だから」
──信じてください。
──神殿に騎士団の聞き取り調査が入ったのは、それからわずか二時間後の話であった。
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「だから、言っているでしょう? 私たちは何も知らないって」
仏頂面で厳めしく睨んでくる騎士に対して、アルベールは語気を荒らげることもなく淡々と言い返す。すでにこのやり取りは何度も繰り返されており、いい加減向こうも飽き飽きしているのが肌で感じ取れるが、アルベールはそれ以外の言葉を吐くつもりは一切なかった。
「しかし、お前があの賢者と一緒に商売をしていたという証言は出ているんだ。ならば、お前が一番あの連中に詳しいはずだ」
「ですから、何度も言っているではありませんか。私が知っているのは私の親戚の娘と、その伴侶となった賢者だけで……大罪人の騎士も、水の巫女とやらも初めて聞きましたよ」
「本当か? お前はここしばらくずっとあの賢者と過ごしていたのだろう? その時にちらりとでも姿を見たりとかしなかったのか?」
「してませんねえ。誰か、私がそんな人たちと一緒に過ごしているところを見た人でもいるんですか? 商人仲間に聞いてもらっても良いですが、誓ってそんなことはないですよ」
「……」
アルベールの予想はほとんど当たっていた。こっそりと神殿の裏口から人目につかないように大通りに出てみれば、行き交う人たちが噂するのは馬無し馬車が賊に襲われたというあまりにも心当たりのありすぎる物ばかり。
耳を澄ませつつ実家に向かってみれば、やがてその噂は「広場に家が現れた」、「破れない結界が張られているらしい」、「中には水の巫女がかくまわれているらしい」……などなど、事態が思っていた通りに悪い方向に進んでいることを示してくる。
そうして実家に到着して、いかにも仕事の準備をしてますよ、と装っていたら──予想通り、賢者との関係を聞きつけた騎士団がやってきて、こうして任意の事情聴取をする羽目になったというわけだ。
「そもそもの話として……水の巫女様は賊に襲われてお亡くなりになられたのではないのですか? なのにどうして、水の巫女様がかくまわれているだとか、お付きの騎士が大罪人になったとかって話が出ているんです?」
「…………」
「……市井の人間には聞かせられない何かがあるんですか? 水の巫女様の死は……嘘だったんですか?」
アルベールは知っている。水の巫女は死んでなどいない。無実の罪を着せられて、流刑にされただけだ。それは実質死刑であったが、幸運にも賢者に助けられて生き延びている。
そして、自分たちが知らされた事実と神殿関係者や貴族──上の人間たちが知っている事実が大いに乖離している。アルベールは他でもない水の巫女本人に真相を聞いているから、自分たちが知らされたそれこそが間違っているものだとはっきり理解している。
皮肉にも、賊に襲われて捕らえられたというそれは一致しているが、その意味合いが大きく異なっているのが問題なのだ。
「……だから、それを調べているのだ。そして、それはお前たちが気にすることじゃない」
ああ、この騎士も本当のことを掴みあぐねているんだな、とアルベールは直感した。不安や戸惑いが視線に露骨に表れていて、少しでも経験のある商人ならばあっという間にそれが見抜けるほどわかりやすいものである。
おそらく、関係のある人間だけがスキャンダル染みた冤罪のことを知っていて、下の人間には政治的な理由か何かで賊に襲われたことにしたのだろう……と、アルベールはあたりを付けた。
「質問を変えようか。お前はこの街を拠点にする商人だそうだが、いったいどこであの賢者と出会ったんだ?」
「ええと……ユニエラ平原の、街道からちょっと離れたところですよ。ここからだと馬車で四日か五日くらいの距離でしょうか。そこで魔物に襲われたところを、通りすがりの賢者様に助けていただきまして」
「護衛はつけていなかったのか? そこまで腕が立つようには見えんが」
「……魔物と遭遇した瞬間、臆して逃げ出しちゃったんですよ。いやはやまさか、守ってもらうために手配した護衛に囮にされるとは思いもしませんでした」
「……いくらなんでも、嘘くさすぎないか? あの場所で護衛が逃げ出すほどの魔物が出るとはとても思えないが」
「ギルドで正規に依頼をかけて紹介してもらっていますから、疑うようであればそちらを調べてください。我々としても、厳重に抗議しようと準備をしている所であります」
「……それで? 賢者に助けてもらった後は?」
「馬車がダメになってしまったので、街まで送ってもらえることになりました。……で、賢者様は商売を学びたいとのことだったので、助けてもらったお礼に師匠の真似事をした次第です」
「それの証拠となるものは?」
「うーん……ここ数か月の野営場でのやりとりか、あるいは私が魔物に襲われたところに行けば、今もまだ馬車の残骸が残っているはずですよ。もう、原型は留めていないと思いますが」
「……そうか、わかった」
もうこれ以上調査をしても時間の無駄だと思ったのだろう。仏頂面のまま大きくため息をついたその騎士は、形式だけの調査協力の礼を告げて、それ以外は一切告げずに帰っていく。もう少し、表面上だけでも愛想よくすることはできないのかとアルベールは思わずにいられなかった。
「アルベール……終わった、よね?」
「ああ。しばらくは同じように聞き取りに来るだろうけど……基本はあったことをそのまま伝えればいい。嘘は全くついていないんだから、そのうち聞いても意味がないって諦めるはずさ」
嘘は言っていない。だから、そのうち向こうも諦める。文字通り、アルベールはイズミ達の旅に巻き込まれただけの人間であり、いわばこの一連の騒動におけるちょっとした脇役でしかないのだから。やったことと言えば本当に商売の手助けをしただけで、それ以上のことは一切していない。
唯一、ただの脇役と違うところがあるとすれば。
「……だけど、おかしい」
「おかしい? いったい、何が?」
「──今回の件、状況から考えて黒幕は例の巫女様を陥れた貴族と同じだろう。でも、それにしたって行動が早すぎる」
「つまり、それって……」
「うん、たぶんだけど……」
アルベールの目には、意志の炎が燃え盛っている。それは、決して消えない強い光を放っていた。
「早く動かなきゃいけない理由が……時間がかかるとまずい何かを抱えているのかもしれない。巫女様を早く始末しないと致命的なことになってしまう、そんな理由があるのかもしれない。探るとしたら……まずはそこだね」
──命を救われた恩を、主役を押しのけてでも返したいと思っているというところだ。




