64 したたかな女たち/ダメな男たち
「──ってことがあったんだ……」
「うわぁ……」
ラルゴとアンナとの取引から、およそ二時間後。ようやく家に帰ってきたイズミ達は、家で待機していたペトラや奥様達に今日の出来事を話していた。
当然、イズミ達の顔には疲れが浮き出ており、そして話を聞いていた奥様達は同情のような、あるいは可哀想なものを見るかのような表情を浮かべている。
それもそうだろう。喜び勇んで相手をコントロールするつもりで出かけた三人が、逆に手玉に取られてしまったというのだから。結果だけを見れば悪くない……それどころか思っていた以上の成果を得られる可能性もあるとはいえ、相手にしてやられたというそれは完全にこちらの「負け」を意味している。
「イズミ殿とミルカだけならともかく……アルベールもいたのにそんなことになったのか。若手の中じゃやり手って話じゃなかったっけ?」
「面目ない……言い訳するつもりはありませんが、相手は名の知れた商人を尻に敷く女傑でありまして。普段は街にいるはずなのに、なんで今日に限って一緒にいたのやら」
「いやもう、マジで押しが強いというか、有無を言わせぬ迫力があったというか。逆らえないって感じがヤバかったんだよ……!」
結局、取引自体は概ねイズミ達の思惑通りに進んだ。持っていったものは全部想定以上の金額で買い取ってもらえたし、今後も同じように取引するように約束も着けられた。ラルゴたちとだけ取引をする……というのも元々考えていたことだし、イズミの家にはない服の素材も得られたばかりか、オマケとして魔宝なる値打ち物まで貰ってしまっている。
その上さらに、今後の全面的なバックアップ……商売の協力まで取り付けることが出来た。これはもう、これ以上に無い成果だと言えるだろう。
「すごい……! まさか、私が作ったものが金貨になるだなんて……!」
「うっふふふ……! あれっぽっちの布がこんなお値段に……! いい仕事ができてお金も貰えた……! えっへへ……!」
奥様もニーナも、机の上に広げられた成果を見てキラキラと目を輝かせている。自分たちの仕事がこうして目に見える形で評価されたのが堪らなくうれしいのだろう。実際、その点だけを見ればイズミもミルカもかなりの満足を得ることが出来ている。
「うーわ、こんなにでっかいミスリルなんて初めて見たぞ……」
「なぁ、それってそんなすごいやつなの?」
「おうとも。魔宝……魔力的価値の高い宝石のなかでも特に価値のある奴だな。一級品の魔法の道具には必ずと言っていい程使われているが、滅多に取れるものじゃないから……」
「……めっちゃ高い?」
「そりゃもう、すごく」
こんなに小さな……一粒のデラウェアと大して変わらない大きさのそれだけで、平民だったら数年は遊んで暮らせるほどの金になるのだという。たかだか「お近づきの印」で持ち出すようなものではないのは間違いなく、それだけ向こうが本気であることをうかがい知ることが出来た。
「ま、私バカだから詳しいことはわかんないけどさ。……これからの方針に変わりはあるのか?」
「そこなんだよな……」
なんだかんだ言って、目的だけは達成できているのだ。少々踏み込みすぎな気がしなくもないが、おおむね予定通りと言っていい。
「次は五日後に会おうってことになっている。取り置きしていたブツも合わせれば、それなりの量を渡せるはず……だよな?」
「ええ。私と奥様とニーナさんで、できるだけ用意しましたから。それに、消耗品扱いのものも毎晩必ずギリギリまで増やすようにしていますし」
「しかしながら、これだけのものを貰って、あれだけの期待をされてしまうとなると……」
「もっと他に、ネタが必要だよな」
衣服、下着、魔よけのマント。イズミ達が自信をもって売り出せるのはそれくらいで、逆を言えばそれを準備するのにかかりきりになってしまい、他のを用意する時間は無い。特に下着は取り扱いが難しく、一着作るのにそれなりに時間がかかってしまう。
「……今更ながら、死んだお袋の下着を売りさばく息子って、字面がヤバいな」
「う……その、ごめんなさい……」
「いや、良いんだミルカさん。最終的な判断を下したのは俺だし、何もそのまま売ってるんじゃなくて、バラして必要なパーツとかを抜き取って仕立て直してるんだろ? 売れ筋のはサテンとかレースのやつで生地ごと違うわけだしさ」
イズミはこっちの世界の標準的な下着は知らない。けれど、日本のそれとはまったく異なるであろうことは予想しているし、色々諸々あったから、その予想がほぼ正しいことも確信している。
だというのに、最終確認としてニーナとミルカが顔を赤らめながら持ってきたそれが、彼女らが知らないはずの日本でのカゲキなそれであったことを未だに不思議に思っている。下手に藪を突きたくないから、聞いていないだけだ。
「色々便利なものや珍しいものはあるが、売り捌けるようなものって実はあんまりないんだよな……」
「もともとこの家に用意してある分が補充される、ですもんね。普通に暮らす分には問題ないものの、大量生産するには向いていない……賢者の魔法とはいえ、やはりそんなに都合よくはない……いや、あえてそういう制限を付けているのか」
「そういうわけじゃないんだが……まぁ、迂闊に世間に流せないものが多いのは間違いないな」
ともあれ、考えていても始まらない。やること自体はもうすでに決まっているし、動き出してしまってもいる。となればもう、後はできる範囲で全力を出すのみで、イズミにはそれくらいしかできないのだ。
「五日後までに、家探しして売れそうなものを片っ端から集めるぞ。載せられるだけ車に載せて、必要かどうか向こうに判断させよう」
どうせ俺には価値なんてわかんねえからな、とイズミは開き直る。家主がそう言うのならそれでいいかと、アルベールもまた開き直った。結局のところ、お金を稼いで商人としてそれなりに認知されれば、イズミ達の究極の目的は達成できるのだ。
「じゃ、初の売り上げを記念してパーッとやるか! 今日は無礼講で飲むぞ!」
「ええ、こういう時は気分転換も大事ですわ!」
──宴会用に持ち出した酒が売れるのではないかと気づいたのは、宴もたけなわになったころであった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「ほっほう! 今度は酒か!」
イズミ達が持ち込んだ酒をちろりと舐めて、ラルゴとアンナが嬉しそうに顔をほころばせる。どうやら日本ではそれほど高くない酒であってもこちらの人間にとっては上等なものに感じるらしく、その手ごたえは悪くないものであった。
「その瓶の中に入っているのもいいが……このきれいな入れ物に入っているのもいいなあ」
「そうだろ? 暑い日はこのキンキンに冷えたやつを飲むのが最高にいいんだ」
「ちと量は少ないが……冷えた酒なんて、そうそう飲めるもんじゃあねえしな」
発泡酒でも第三のビールでもなく、本物のビール。イズミがこの世界に来る前にたまたま買い出しをしていたおかげで、それの備蓄もそれなりにあった。具体的には、350mlの通常サイズのそれが約三十本分である。大人五人が一日に三本ずつ飲んだとしても、十五本は余剰分として余る計算だ。
銀色の地に金色でいかにもそれらしい模様が描かれている……という、缶ビールとしてはありきたりなデザインのそれだが、逆にそれがラルゴたちの琴線に触れたらしい。金でも金メッキでもないのに金色に輝くその入れ物に興味津々で、その正体を探ろうと太陽の光に透かしたりしている。
「むむ……中身はともかく、この容器がな」
「一日に用意できる数には限りがある。ついでに言えば、俺達だってこいつを楽しみたい。……それなりのお値段を期待しているんだが」
「しかし、相場なんてあってないようなもんだ……。街に持ち帰るころには温くなっちまう……となると、適正価格は……」
「売り物にならないってんなら、もう持ってこないだけだぜ? 売るよりも自分たちで飲む方がよっぽどいいんだから」
「それは困るぜ、賢者さんよぉ」
ぐび、とラルゴが美味しそうにその喉を鳴らす。缶の開け方を教えるために──ついでにサンプルとして味見をしてもらうために提供した缶ビールは、その役割を現在進行形で発揮している。
太陽の光。汗ばむ陽気。缶に浮かぶ雫に、キンキンに冷えてる生ビール。これが嫌いな酒好きなんて、おそらくこの世に存在しない。
「……」
「あああ、ホントにうめえなあ……! エールに似ているが、全然違う……! こんなの知っちまったら、安酒場のぬるくて薄くて不味いエールなんて飲めねえよう……!」
「……お、俺も一本だけ」
売り物であるはずのそれに伸びてしまったイズミの手を、ミルカがぴしゃりと叩いた。
「ダメですよ、あなた。売り物に手を付けるなんて……それに、これからまた運転でしょう?」
「そ、そうだけどさ。一杯だけなら、ここで夕暮れまで過ごして酔いを覚ませば……」
「ダメです」
いかなる言い訳も聞かないぞ、と言わんばかりにミルカが視線に圧を込める。顔だけはにこにこと笑っているはずなのに、その迫力はまるで猛獣を目の前にしたかのようで、イズミは自らの負けをはっきりと悟ってしまった。
「あんたもあんただ。まだ値段も決めてないってのに酒を楽しむ馬鹿がどこにいる」
「でもよお、ホントに美味いんだよコレ。売りさばくより自分たちで楽しんだほうが……というか、普通に買いたい」
「……嬢ちゃん、一本銀貨十五枚でどうだろう? 街ならもっと高値で売れるだろうけど、冷えたものはここでしか楽しめない。さすがにこの野営場で金貨を出せるやつはいないってなると、この辺が落としどころじゃないかい?」
「あ……たしかにそうですね。手を出せるギリギリがそれくらいかな……」
「無論、いずれはこっちの方で値を上げる。まずは広めさせるところからだ。そうすりゃいずれ、向こうの方から高い値段でいいから買わせてほしいっていってくるはずさ」
「では、そのように」
十五本のビールが瞬く間に引き渡された。銀貨十五枚というのはそれなりに大金であるらしく、少なくとも夜のお供に飲む一杯の酒としては破格のものであるらしい。全く手を出せないというわけではないようだが、たった一本のそれに今手を出していいものかと、ラルゴが酷く苦悩している。
「あとは魔よけのマントにいつもの衣類……おや、真っ白な砂糖かい?」
「量は少ないですが、質は指折りですよ」
「……この、細い棒がたくさん入った箱は? なんか全部、先端が赤いようだけど」
「ああ、マッチですね。火打石の代わりに使えるもので……はい、こうやると火が付くんです」
「あらま。便利なものもあるのね」
イズミそっちのけで商談は進む。元よりイズミにこの国のお金のことなんてわかるはずがないので、そうせざるを得なかったともいう。
商談という慣れない行いであっても、ミルカは意外と堂々と対応していた。時折アルベールのサポートこそ入るものの、その金銭感覚はしっかりしているらしく、受け答えによどみは無い。むしろ、アルベールやアンナのような商人としての視点ではなく、市井の……一般市民としての感覚を存分に活かしているらしい。
「……と、今日はこんな感じでしょうか」
「あいあい、十分さ。ただ……そうだねえ、質が良いのはわかるんだけど、やっぱり量が少ない。オーダーメイドの専門店ならまだしも、あんたが目指すような行商人なら安いものをたくさん買って高く売るってのが基本だ。……アルベール、まさかこの程度のことを教えていないわけじゃないだろう?」
「ええ、それはもちろん。ただし、こちらにもいろいろ事情がありまして。どちらかと言うと、他では用意できないものを早く確実に用意できる、というのが強みなんですよね」
「……早く確実に用意できるのに、たくさんは用意できないんだ?」
「ええ、残念ながら」
ちら、とアンナの視線がイズミを貫く。ボロを出すのもイヤだったので、イズミはそれっぽい愛想笑いを浮かべておいた。
「……嬢ちゃん、あんたしっかりやりなよ。ウチの旦那も、ちゃんと見てないと……ほら、あそこで美味そうに酒飲んでダラけてる」
「あ、はは……」
▲▽▲▽▲▽▲▽
「え……金貨一枚!?」
行商三回目。いつもの野営場について早々ラルゴたちより告げられたのは、缶ビールの相場が上がったという話であった。
しかも、それだけじゃない。
「あんたら、噂の賢者様だよな!? あの黄金酒の賢者様だよな!?」
「馬無し馬車だ、間違いない!」
「胡散臭い賢者とその嫁の田舎娘……あと、ボってきそうな若い商人! あいつらだ!」
冒険者か、それとも同じ商人か。この前までは遠目にちらちらと様子を窺うだけだった──逆に言えば、その程度の興味しか示さなかったはずの人たちが、イズミ達を囲むように群がっている。イズミ達とラルゴたちが話し出すのを今か今かと待ち構えていて、そしてこの場から逃さないとばかりに離れようとしない。
「な、なんなんだよコレ……?」
「いやなぁ。この前別れた後、ビールが温くなる前に商人仲間に売りつけたんだよ」
もちろん、一本丸ごとなんてもったいないから半分に移し替えてな──と、ラルゴはにやりと笑った。
「そうしたらまぁウケた。こんなところで上等な酒を飲めるなんて、誰も思うはずがない。……で、依頼主の商人が美味い美味いと叫ぶものだから、その護衛の冒険者もまた興味を持った」
今回だけ、特別に通常の半額で提供してな──とラルゴはさらにその唇の端を釣り上げた。
「もちろんこいつも盛大に受けた。冒険者のバカ舌だ、今まで飲んだ中で一番美味い酒だっただろうよ。当然、そいつは……」
「……冒険者仲間に自慢して言いふらした?」
「その通り」
その結果、事情を知ることになった人間たちがこうしてイズミ達の周りに群がることになったのだろう。何人かはこの場の喧騒の物珍しさに惹かれて集まっている感もあるが、それも含めてラルゴたちの目論見なのかもしれない。
「よォく聞けお前らァ! 何度も言ったように、あの黄金酒はこの賢者様の秘術で作られたもんだァ! 今回までは金貨一枚で卸してもらえるが、次もそうだとは限らねぇぞォ!」
「はァ!? 金貨一枚で買えるのかよ! お前が俺らに売ってきた時はもっとボってきたじゃねえか!」
「当然だバカ野郎! このお方は俺達だけにしか売ってくれねえんだ! 信頼を勝ち取るのにどれだけの手間暇と時間をかけたと思ってやがる!」
別に言ってくれれば普通に直接売ってもいいんだけどな──とイズミが口を開こうとしたところで、アルベールが肩をポンと叩いてきた。静かに、ゆっくりと首を横に振って目を伏せ、そして事の成り行きを見守ろうとアイコンタクトを送ってくる。
「もしもこのお方らに手ェなんか出しやがったら、その時はおめェ、俺と俺の仲間全員を敵に回したと思えよ! ウチを敵に回すってことがどういうことか、わからねェ馬鹿はいねえよなァ!?」
怒鳴るように叫び、そしてラルゴは満足そうにうなずいた。ニッと笑ってこっそり親指をこちらに立ててきて、そしてやっぱりこっそり──アンナに見つからないように、服の陰からちょいちょいとイズミ達が持ち込んできた缶ビールを指している。
『正式に後ろ盾になってやったんだから、一本サービスしてくれ』……と、おそらくそんなことを言いたいのだろう。異世界の常識がまるでないイズミでも、さすがにそれくらいは察することが出来た。
「……ま、そういうわけだ。俺とこのラルゴさんはお互い酒を酌み交わす仲でな。少なくとも今は、この人としか商売はしないって決めている」
ほら、とイズミはクーラーボックスの中に入れてある缶ビールを一つ取って、ラルゴに手渡した。
「ウチの嫁さんの、二番目の先生でもあるからな。独り立ちが認められるまでは頼りにさせてもらうぜ」
「へへっ、旦那ぁ! わかってるじゃねえか!」
ぶしゅっとプルタブをひねり、そしてラルゴはぐびぐびと美味そうにそいつを口にした。
「どうだい、旦那も一杯やろうじゃないか!」
「おっ、いいねえ!」
「「あっ……!」」
ミルカとアルベールが声を上げるも、もう遅い。イズミは声をかけられたのを幸いに、クーラーボックスの中からさっとそれを一本抜きとって、それはもう嬉しそうにプルタブをひねった。
(ちょっと、あなた……!)
(デモンストレーション、ってやつさ)
購買意欲を刺激するのに一番いいのは、そいつの目の前でその商品の有効性を証明することである。今回の場合は、生ビールと言う飲み物を自分も飲んでみたいと思わせることが出来れば勝ち……すなわち、そう思ってしまうほどに美味しそうに飲む人間が目の前にいれば良い。
「っくはぁ! やっぱキンキンに冷えたこいつがたまんねえよなぁ……!」
「あああ……! やっぱ美味いなぁ……! 賢者様は毎日こんなの飲んでるのかよぉ……!」
美味そうにビールを飲むイズミ達を見て、取り巻きの一人が溜まらずといった風に声を上げた。
「……な、なあ! 美味い酒には美味い肴も必要だろ!? 俺の店、休憩中の冒険者向けに軽食を扱ってるんだ! だから、その……!」
「あっ、ずるいぞてめぇ! そんなこと言ったら俺達だって……!」
依頼主に渡すはずの秘蔵の燻製肉がある。地元の方でしか作られていない珍味を持っている。特別珍しい肴は持ち合わせていないが、誰よりも種類と量を確保する自信がある。
そんなことを周りにいた商人や冒険者が次々に口にし出し、なんとかしてそのおこぼれにあずかろうとしている。肴を用意するから、少しだけでもその宴会に混ぜてほしい……ちょっとだけでもその酒を飲ませてほしいと、その気持ちを行動で示していた。
「ああもう、わかったわかった! せっかくの酒の席で喧嘩なんてすんなって! ……おまえらみんな、手持ちの酒と肴全部持ってこい! それで今回は特別にタダで分けてやらァ!」
「ちょ、ちょっとあなたっ!?」
ミルカが慌てても、もうそんなの誰も聞いちゃいない。イズミの言葉に気を良くした男たちが大歓声を上げて、そして一瞬遅れて提供する酒と肴を持ってこようと慌てて自分たちの荷馬車へと戻っていく。
「酒持ってきたぞぉ! 安酒だが量だけはあるぜぇ!」
「肉! いぶした肉だ! 酒に合うのは保証するッ!」
「チーズもナッツもありったけあるぞ!」
「よーしよしよしよし、みんな全部真ん中に持ってこい! ……おっと、カップを忘れるな! 今ある分を、全員に均等に分けるんだからな!」
「「うおおおおお!!」」
あっという間に始まるどんちゃん騒ぎ。真昼間から酒盛りを始めるという神すら恐れぬ悪行。出会って間もない人間たちばかりだというのに、酒を片手にした男たちは何十年も前から付き合いのある友人かのように仲良く肩を組んでいる。
「な、なんてこと……! イズミさん、酒癖は悪くないはずなのに……!」
「言ったろ、嬢ちゃん。男はきちんと躾けておかないとすぐこれだ。結婚前や結婚直後はかっよくて頼りがいのあるように見えても……所詮はガキがそのまま見てくれだけデカくなっただけに過ぎない」
「……」
「男ってそんなもんさ。……さ、こっちはこっちで商売の話をしようじゃないか」
「……その後で、人生の先達としてのお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
ミルカの言葉に、アンナはにこりと笑って答えた。
「任せろ、特別にタダでみっちり教えてやる」
▲▽▲▽▲▽▲▽
「み、ミルカさん……」
「ふーん!」
行商四回目。なんだかんだで定位置となった助手席にて、ミルカはそっぽを向いていた。イズミが声をかけても聞く耳を持たず、顔を逸らし続けるばかりである。そうなるともう、運転中であるイズミにやれることはなく、そして後部座席のアルベールは気まずい空気にただひたすら存在感を消す努力をしていた。
「わ、悪かったって……。この前のはちょっとやりすぎた……」
「へえ? 夕方近くまで騒いでいたのが“ちょっと”なんですか」
「うぐ……」
「酔いが覚めるのを待ってたせいで帰るのが遅れて……奥様もニーナさんも、すごくすごく心配そうにしていましたよね。テオに至ってはわんわん泣いていましたよね」
「す、すまん……」
あの日。なんだかんだでかなり盛り上がってしまい、結局家に帰れたのは夕方遅く、日没間近のことであった。いつもよりずっと遅い時間であることは疑いようがなく、何かあったのではないかと心配した奥様達が門扉のところで待っていたのをイズミははっきりと覚えている。
あの不安そうな顔は今でもイズミの瞼の裏に焼け付いていて、そしてそれを思い出す度にイズミの心は罪悪感でいっぱいになった。
「ウチで飲むときは普通なのに……。男の人って、どうして……」
「や、その……あの時は、付き合いもあったというか」
「……」
「ほ、ほら……まずは広めるってラルゴさんたちも……」
「…………」
「……ごめんなさい」
「……もう」
これ以上拗らせるつもりは、ミルカの方にもなかったのだろう。小さくため息をついた後はふるふると首を横に振り、そしていつも通りの笑顔をミラー越しにイズミの方へと向けてきた。
「まぁ、あれから一切お酒は飲んでいませんからね。行動で示されたからには、信じますよ」
「は、はは……さすがにもう、あのテオの泣き顔と奥様の顔はこりごりだよ。……ペトラさんには悪いことしちまったかもしれんが」
「いいんですよ、そんなの。だいたい、お酒を毎日飲むってことのほうが不健康なのですから」
あの日から、イズミは──というか、あの家では一切酒が飲まれていない。イズミが反省の意を示して禁酒したのをきっかけに、家主が飲めないのに厄介になっている身が飲むわけにもいかんだろう……と、家全体として禁酒と相成ったのである。
もちろん、これには売り物としての缶ビールを増やすという目的もあり、同時にまた、「酒がイズミが遅れる原因になった」ことを悟ったテオが、そのハイハイを駆使してビールのパックに取りつき、もう絶対に誰にもこれを触れさせないと全力の抵抗の意志を示したことも理由である。
そんな感じで作れた缶ビールのストックは……およそ、百五十本。そのどれもに細かく傷が付けてあるのは、これらを消耗品かつ廃棄品だと家に認識させるために行ったものだ。
「衣類に魔よけのマント、お酒にマッチにその他もろもろ……なんだかんだで、結構商人っぽくなってきましたね」
「何を取り扱ってる商人なんだ、って言いたくなってくるけどな。単純な売り上げ額だったら衣類関係だけど、知名度的には間違いなく酒だろ?」
「商人的な観点から見れば、魔よけのマントを安定供給できるってことの方が大きな売りですけど……それに、元手がゼロで売り上げがそのまんま儲けになるなんて羨ましい限りですよ」
「はっはっは! ちゃんと売り上げは全部山分けしているんだからいいじゃんか。まだまだ頼りにしてるからな、先生!」
軽口を叩いている間には野営場へと到着する。四回目となれば手慣れたもので、イズミは特に手間取ることも無く車をその柵の中まで進めよう……として。
「うわ」
「あら?」
ラルゴの馬車と、そこに群がる集団たちを見つけてしまった。
御者台の上ではラルゴが大きく笑いながら手を振っており、その傍らではアンナがとてもとても満足そうににこにことほほ笑んでいる。
──一方で、群がっている人々はどことなく血走った眼付をしており、そしてはっきりわかるほどに殺気立っていた。
「よう、賢者様ぁ! ようやく会えたなぁ!」
「お、おう……」
にこやかに挨拶をしてくるラルゴは、すでにほんのりと顔が赤く……そして、近づけばわかる程度に酒臭かった。
「見てくれよぉ、この集まった荒くれどもたちを! みんな、みぃんな賢者様の黄金酒が飲みたいってやつらだ!」
基本的に、冒険者の……というより、この世界での人間の娯楽は飲む、打つ、買うくらいしかない。その日暮らしの荒くれども達ともなれば余計にその傾向は顕著で、無事に明日の朝日を拝めるかわからない生活をしている関係上、娯楽に対して金を使うことに躊躇いが無い者も多い。
そんな連中が多く集まる野営場。ここ数日の間で噂になった黄金酒。それは見たことも無い綺麗な器に入れられていて、安いエールとは比べ物にならないほど美味いという。さすがにそれ相応の値段はするが、飲んだ後は役に立たなくなる入れ物をどこかのもの好きに売り払えば、補填はそれなりにされる……どころか、やりようによってはプラスになる可能性すらある。
それは、彼らを動かす理由としては十分すぎる物であった。
「飲みたくて飲みたくてたまらねえんだよう! だのに、ここ数日ずっと焦らされて……でもって、俺を介さないと買うことすらできない! ああ、愉快愉快!」
いつ来るかもわからない賢者の馬無し馬車。チャンスを逃さないためには四六時中野営場に張り込むしかない。当然、滞在にかかる諸経費は自分たちで払うしかない……つまり、その野営場を拠点として商売をしているラルゴたちの懐が潤うことになる。
一歩間違えれば袋叩きにされてもおかしくないんじゃないかなと、イズミは若干引きつった笑みを浮かべながらそう思った。
「持ってきたよなあ、賢者様!」
「お、おう。……その、いくらで売るかは」
「なぁに、この前よりも高く買ってやるよ! ……ここだけの話、下戸の連中も混じってる。大方、噂を聞いた街の成金が動き出したって所だろ。多少ふっかけても売れるぜ?」
もちろん、イズミたちが値段を高くした分、ラルゴたちがそれを売るときの値段はもっと高くなる。それでなお「売れる」と言い切るということは、ラルゴたちは本当に売り切る自信があり、それほどまでに需要過多と供給不足が著しいことを示していた。
「ほ、ほどほどにしておくよ。あまり値を釣り上げすぎると、後が怖い」
「良ーい判断だ、賢者様。そうしてもらえると俺の小遣いでも手が届く……と、そんなことはどうでもよくてだな」
「うん?」
「ちょーっとお互い、甘い蜜を吸いたくねえか?」
言葉を引き継いだのは、アンナの方だった。
「嬢ちゃん。例のブツは持ってきたんだろうね」
「ええ、もちろん」
「例のブツ? ミルカ、いったい何のことだ?」
醤油や砂糖、味噌の備蓄に……鉄板や鍋、その他バーベキューセット。ミルカが車のトランクより引っ張り出したのは、調味料の類に野外調理に必要な道具の一式であった。
「え……こんなのいつの間に……」
「……前回のイズミさんのデモンストレーション。いろいろ思うことはありますが、まぁ結果として悪くない行いだったのでしょう。実際、そうであったからこそ……こうして今、たくさんの人がお客さんとしてここに来ている」
「お、おう」
「──であれば、その方法は他でも活かせる。特に、持ってきてもらったはいいが量も少なくて、あんたたちしか使い道がわからないこの調味料にもね」
味噌に醤油。どちらもこの世界には存在しないものである。知らない調味料なんて使おうとする人間はまずいないし、それが高価ともなれば興味本位で手を出すことも難しい。そしてその有用性を説明しようにも、売りさばくアンナ自身が使い方を知らなければ説明のしようがない。
「だから、今回はその場で実演販売をしてみるのはどうかってこの前アンナさんにアドバイスをもらったんです。ここでは同じように軽食の屋台も出ていますから。それで味や使い方を広めれば、この調味料も売り物として十分な需要が見込めるんじゃないかって」
「ま、マジか……確かにそうだけど、そんなのいつの間に……」
「いやだわ、あなたったら。あなたが楽しそうに酒盛りをしているのを見て思いついた話ですもの」
「うっ……」
もちろん、それだけで終わる話じゃない。
「どーせよぉ、売りさばいた酒はその場でみんな飲んじまうんだ。料理もその場で捌いちまえばいいだろ!?」
「ただ、嬢ちゃんの用意するものだけじゃあまりに少ない。だから、場の賑やかしのために……ねえ?」
「は、は……」
意味ありげにアンナが目配せする。確かに言われてみれば、今日は野営場に見慣れぬ馬車が多く、そして軽食の屋台がいつもより多い気がする。そして何とも不思議なことに、そんな馬車や屋台の多くが食材の準備を万端にしてあって、場所こそ違うものの同じシンボルマークを掲げていた。
「どうせ一回飲みだせば止まりゃしないんだ。準備しておくにこしたことはないだろう? ……たまたまそれが私たちに関係のある人間たちだったってだけで、ほら、みんな幸せだ」
「もちろん、賢者様御一行はタダで飲み食いしていいぜえ? 今日は無礼講! 確実に売れるってんだから酒を取り扱うのは止められねえよなあ!」
「あらあら、残念ですわ。主人はちょうど禁酒しておりまして。でも、せっかくですしご飯だけはご一緒させていただきましょうか」
──なんか俺もう、絶対ミルカさんに逆らえない気がする。
その日の夜。過去最高の売り上げと次回の予想利益を得られたのにもかかわらず、ジュースを片手にしたイズミはペトラとアルベールに悟りきった顔で語ったという。




