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ハウスリップ  作者: ひょうたんふくろう
ハウスリップ
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5 ある日、森の中


「じゅーんび、おっけーい」


 さすがに、伊達や酔狂で未知の森の中を歩くつもりはイズミにはなかった。転移してから早三か月、未だ敵対的な生物に遭遇したことは一度もないが、用心するに越したことはない。月が二つも輝く空の下で生きる生き物に、イズミの知っている常識が通用するかは怪しいところだろう。


 とはいえ、まったくもって何もかも違う、とも考えにくい。少なくとも森に生きる鳥は見かけ上は日本に生息するそれと大して変わらない。安っぽいSF映画のような宇宙生物や、一昔前のホラーに出てきそうな異次元生物なんかと遭遇する可能性はそれほど高くないはずである。


 「それほど」である段階で問題であることは間違いないが、グダグダ言っても始まらない。


「食料よし、水よし」


 大きなリュックサックに詰め込まれたそれ。別に特別遠出するつもりはないが、準備しておいて間違いはない。


「装備よし」


 長袖、長ズボン、作業用ヘルメット──そして、なぜか物置に眠っていたプロテクタ一式。バイク用の物か、はたまたなんらかのスポーツで用いるものか。腕と足と前面に取り付けられる、比較的簡易的な造りの物だ。


 田舎の家の物置には大抵のものが揃っている。無いものなんて、若い人手とかつての活気くらいだ。


「……武器よし」


 田舎御用達の鉈。草刈り鎌。金属バットにクマよけのスプレー。単純な攻撃力ならば電動草刈り機やチェーンソーも候補に入ったが、いかんせん取り回しが悪いので今回は見送る形となっていた。


「ちょっと見て、さっと行って、すぐ帰ってくるだけ」


 確かめるようにつぶやいて、イズミは初めて石垣の門扉から一歩を踏み出した。


「……ふむ」


 別段、変わったことなど何もない。すでにこの深い自然の香りには鼻が慣れてしまっているし、実は重力が弱くて体が軽く感じる……ってことも、実は空気が猛毒で体が動かなくなる……なんてこともない。


 しいて言うなら、地面の踏み心地があまりよろしくない。でこぼこしていて走るのに難儀しそうである。


 目の前には深い深い森。


 後ろには、そんな深い森に異物のようにぽっかりと紛れ込んだ愛しの我が家。そこだけ空き地のようになっていて、背景さえ見なければ日本の田舎でよくみられる風景が広がっている。


「文字通りの隠れ家じゃねえか」


 こんな森の中に家を構える人間がほかにいるだろうか。そもそも、どうやってこんなところにこんなに立派な家を建てることができるというのか。イズミはいつも、人里離れた山奥に立っている山小屋にその手の疑問を抱かずにいられない。


「んじゃまぁ、気を付けるべや」


 ゆっくりゆっくり、イズミは森へと歩を進めていく。ほんの数メートルごとに振り返り、家が視界に映っていることを確かめながら。わざとらしいくらいに木枝を切り払い、人が通ったさまがはっきりとわかるように遺して。


「……」


 デカい芋虫がいた。特大サイズのそれが木の根元の方でぐにぐにと蠢いている。


 サツマイモのそれを彷彿とさせる薄汚れた紫に、草の染みと間違えそうな渋い緑の斑点。カラーリングだけでもアマゾンやギニアあたりに生息するヤバい虫みたいなのに、そのうえサイズが本当にサツマイモだと思えるくらいに大きいというから怖い。


「少なくとも、日本にはいねェやつだよな」


 ひっくり返って蠢くさまは、日本にいる芋虫どもと変わらない。デカいかそうでないかの違いでしかない。もしかしたら毒の一つや二つ持っているのかもしれないが、こんなにも動きが遅くてコロコロとしているなら、人間様の敵ではない。


 イズミが全力で蹴飛ばせば、たぶんヤバい色の液体をまき散らしながら飛んでいく。そう確信できるような芋虫であった。


「触んなきゃ大丈夫なパターンだな」


 念のためそいつが潜んでいた場所に印をつけて、イズミはさらに歩を進めていく。


「ふーむ……」


 見たことのない柄の蝶々(やたらとデカい)、あまりにもメタリックな見た目の蜘蛛の抜け殻(と思しきもの)、明らかに食べちゃいけなさそうな銀に輝くキノコ、ちらりと遠目に見えた尾が三つもあるリス(のような何か)。


 門扉からここまで、直線距離でおよそ五十メートルの範囲内。たったそれだけで、すでにこれだけの不思議生物とイズミは遭遇してしまった。


「やっぱ外国のセンも消えたか……」


 樹に止まってじっと動かないコガネムシを、イズミは軽く指で突く。コガネムシのくせにルビーのように真っ赤なそいつを、日本で売ったら一体いくらになるのだろうか。虫一匹だからせいぜいが十万円、いやいや、完全に新種で異世界原産なのだから、軽く見積もっても一億円はくだらない……なんて、そんなくだらないことが頭を巡る。


 唯一はっきりしているのは、たとえ一銭の値段がつかなくとも、子供たちのヒーローには成れるということだけだ。


「俺がもうちょっと若かったら、虫取りでも楽しんでいたんだろうなァ……」


 人跡未踏の四文字が似合うかのように、そこは生き物の楽園であった。もはや数えるのもバカらしくなってくるほどに、そこには未知の生物があふれている。地を這うものに、樹を登るもの、そして空を飛ぶもの。とりわけ虫が多いのが特徴で、どういうわけかイズミが近づいても逃げ出すものは少なく、そしてそのほとんどが大人しい性格をしているらしかった。


「人間を見たことがないのかもなァ……」


 ここで初めて思い当たる、人類存在していない疑惑。いやいや、普通に生きていくにはあまりにも過酷なこの環境で、人なんかがいるはずないとイズミはそう思うことにした。


「……しかしまぁ、どんだけ続いているんだろうな」


 三か月暮らして、誰も人はやってこなかったのだ。この世界に住む人間の文明レベルがどの程度かはわからないが、この森が相当な秘境であることは間違いないだろう。


 一般に、人間は一時間に4km歩くことができるとされている。たとえ車が通れる道路がなかったとしても、その程度の距離なら普通に踏み入ることも可能だろう。もしここが車なんて便利なものは無い、木こりや狩人が現役バリバリで活躍している世界だったら、浅い森と言われておかしくない規模だ。


 となると、一日二日では抜けられないくらい……半径50km以上はある森だと見込んだほうがまだしも建設的だ。それくらい深い森であるならば、人の出入りが全くなくても不思議ではない。


「登るにしちゃあ、高い木なんだよなァ……」


 出来るか出来ないかで言えば、たぶん出来る。田舎暮らしの人間で、木に登ったことのない人間なんていない。イズミもそろそろ肉体のピークが過ぎてくる頃合いとはいえ、体力だけはまだ十分にある。


 しかし、それなりに重い荷物に落ちたら絶対にただじゃ済まない高さを考えると、木に登って周囲をうかがうというのはあまり賢い選択とは思えなかった。


「こりゃあ、本格的に引きこもるしかないのかね……」


 今の段階で、イズミにどうしても森を抜けなくてはいけない理由は無い。どの方向に向かえばいいのかも、どれだけ進めばいいのかもまるで分らないのだ。森の中で遭難し、緩やかに衰弱して死んでしまうことを考えれば、少々退屈だが快適な我が家での生活を選ぶ。


「まぁ、出たくなったらその時考えるか」


 せめて、川か湖を見つけたい。そうすれば、釣りを楽しむことができるはず。とりあえず今日は久しぶりの外出でだいぶ気分がすっきりして、少なくない知識欲を満たすことができた。


 ──そんな、わずかな満足感。距離にして50m、時間にして一時間にも満たない小さな大冒険。


 大冒険の結末は、あまりにも意外過ぎた。


「……お?」


 がざざざ、と何かが茂みをかき分ける音。リスやネズミにしては妙に大きく、しかしクマやイノシシにしてはお上品すぎるそれ。


 それゆえに、イズミの反応は少し遅れた。


「……は?」


 ──……


 直立した狼とでも言うべきそれが、茂みからイズミをねめつけていた。

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