49 男のこだわり
お風呂はだいたい、夕飯の後にいただく……というのが、イズミの家のルールであった。
別に、そう大した理由があるわけではない。ご飯を食べておなか一杯になって、お風呂に入って体をさっぱりさせて、気持ちいい状態のまま寝床に入るというのが昔からの習慣だったってだけだ。
それは、この異世界に転移してきた後も大体変わらない。一人で暮らしていた時は好きな時間に風呂に入り、好きな時間にご飯を食べて、好きな時間に寝床に入っていたが、ミルカや奥様達と共同生活を営むようになってからは、かつてのようにある程度きっちりした生活に戻ってきている。
「毎度のように思うのだが……」
「ん?」
リビングのソファにて、夕食後の余韻としてホットミルクを飲んでいたペトラがふと呟く。
「家主であるイズミ殿が一番風呂でなくてもよいのか?」
風呂。共同生活を営むうえで、問題となったのがその順番だ。
この国にはそもそもとして各家庭に湯船があるわけではないが、それでも感覚として、ミルカもペトラも奥様も、沸いた直後の一番風呂は家主であるイズミに譲るべきだという認識を持っていた。きちんと体を綺麗にした後とはいえ、他所様が入った後の風呂を家主に使わせるなんてできないと考えていた。
一方でイズミとしては、男の、それももうおっさんと揶揄されてもおかしくない齢の自分が入った後の風呂を使うなど、年頃の娘にとってはあまり好ましいことではないだろう……と、そういう認識があった。
別段、この風呂だって水道代もガス代も謎の力によって賄われているため、それこそ一回一回沸かしなおすことはできる。しかしだからといって一瞬で沸かせるものではないし、イズミ側もミルカ側も、問題ないとはいえ無駄にそういった行為をするのは心情的に憚られた。
なにより、そんな真似をすれば『お前と同じ風呂になんて浸かりたくない』と言外に言っているようなものである。そんなの、ミルカたちが了承するはずも無かった。
「前にも言っただろ? 俺は別にそんなの気にしないし……先に奥様を済ませないと、テオの添い寝ができない。あいつに夜更かしさせるわけにはいかないから」
「……それは、まぁ、そうだが」
「あとな……ペトラさんだからこの手の話題は問題ないと思うが」
「ふむ?」
「俺、ちょっと毛深いんだよな。程度問題だとは思うが、それにしたって男は元々そういう生き物だ。だから、つまり」
すね毛他その他もろもろが、どんなに気を付けても浴槽に残ってしまう。果たしてそれは、大人びているとはいえ十七歳──イズミの感覚で言えば女子高生であるミルカと、人妻とはいえいかにも純情で清純派な水の巫女である奥様にとって、耐えられるものなのか。どんなに好意的に解釈しても、やっぱりいろいろ無理があるだろ、というのがイズミの認識であった。
「……きれいすぎる水ってのも考え物だな」
「そっちではそういう問題、あったりしないのか? ウチのほうでは、年頃の娘は父親が入った後の風呂に入りたくないって言うし、洗濯物は同じにしないで……なんてのは珍しくも無いんだが」
「無いわけではないが、それどころでもないってのが実際の所かな? 田舎の農村では体を清める機会自体があんまりないし、流した水は泥だらけになるのが普通だから。湯船なんて上等なものはないが、もしあったとしたら……抜け毛なんて気にならないくらいに汚れてるだろう」
「う、わー……」
「奥様は水の巫女であられるから、体を清める機会は多かった。ミルカも奥様付きの侍女だから、それなりに体を清める機会は多い。だが、私のような護衛や兵士だったりすると、湯を沸かしてタオルで体を拭うのがせいぜい……いや、それくらいしかできないことが多い」
「あー……そりゃ、都合よく水浴びできるところがあるわけでもないもんな。水だって貴重品だし、大量のお湯を用意するのは難しいのか」
「そういうことだ。……これでも私は奥様付きだから、兵士の中では綺麗な方なんだぞ」
ちなみに、今日のお風呂はミルカとテオと奥様、ペトラ、そしてイズミの順番である。いつも大体そんな感じで、三日に一回くらいあるイズミがテオと風呂に入るパターンでは、風呂自体の時間を早めにして対応していた。女性三人がどういう組み合わせで風呂に入るかは、その時の気分次第である。
「あと……」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
お風呂の後に、必ずミルカは簡単とはいえ湯船の掃除をする。いろいろ恥ずかしいと思っているのか、それとも家主に対してのせめてもの誠意か。「やっぱ抜け毛なんてするのは俺だけだよな」……なんて思っているのはイズミだけで、その裏では見えない努力が必死に行われていることを、イズミは知らない。
「それよりも、だ」
「うん?」
「私だからこの手の話題は問題ない……と、先ほどイズミ殿は仰ったが」
「うん」
「……いったいどういう意味であろうか? 私だって、これでも乙女であるのだが? 返答によっては、決闘を申し込むのもやぶさかではないぞ?」
にこっと笑い、そしてペトラはわざとらしくファイティングポーズをとる。護衛をしていただけあって、その姿はけっこうサマになっており、そしてペトラの体は女性にしては肩幅が広く、力強いシルエットをしている。
「や、その……言葉の端々から体育会系の香りがしたというか、なんというか。なんかこう、汗と根性の世界で生きてきたような印象を受けたというか」
「ま、実際その通りなんだけどな。見習い時代からもうずっと、兵舎なんて男ばかりしかいないから。あいつら平気で全裸になるし、私がいようが平気で下品な話をするし。……街のおすすめの娼館に、どこの娘がサービスが良かっただとか……そんな、知る必要のないことばかりに詳しくなってしまった。私はすっかりスれてしまったよ……」
「大変なんだなぁ、ペトラさんも」
「全くだ。そして悲しいことに、案外こういう話題こそ互いに心が開けるというか、こういう場での会話によって友好や信頼が積みあがっていくんだよな。文字通り、互いの考えていることがわかるような間柄ができていくんだよ」
「……本当に、大変だったんだなぁ」
「女扱いはしなくてもいいが、ちょっとくらいは夢見たいものだよ、うん」
立場や得意なことから鑑みても、三人で過ごしているときはペトラが男役のそれに近いことをしていたというのは容易に想像ができる。なら、せめてここにいる間くらいは、正真正銘、身も心も男である自分がその役を十全に果たして見せるべきだ……なんて、イズミがそんなことを思ったまさにその瞬間。
「うわああああん! うわあああああん!」
「む?」
風呂場の方から、テオの大きな泣き声が響いてきた。
「なんだ、なんかあったのか?」
「ミルカも奥様もいるし、滅多なことは起きないはずだが……」
実際、テオが激しく泣いている以外は、取り立てて異常はない。大きな物音がするわけでもなければ、ミルカたちが助けを求めて声を上げているわけでもない。そもそもとしてここはイズミの家の中であるわけで、強盗や賊の類が万が一にも侵入できるはずがない。
とはいえ。
「行こう。ペトラさんも」
「おう」
一応念のため、二人で連れ立ってイズミは風呂場──より正確にいえば脱衣所へと向かう。時間にして十数秒もしないうちにはそこへたどり着くことができた。もちろん、その道程で怪しい人物を見かけたり、部屋が荒らされたり……なんてことはない。
「うわあああん! うわああああん!」
「ミルカさーん? どうした、なにかあったか?」
トントン、とイズミはその扉を叩く。叩いてから、セクハラで訴えられたりしないだろうかという考えが頭によぎった。
「あっ!? イズミさん!?」
「おう。なんかテオがすごい勢いで泣いてるから来たんだが……大丈夫か?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ! 奥様、早くっ!」
「ま、待ってぇ……!」
どたばた、どたばた。
扉一枚隔てた向こうで、ミルカと奥様がなにやら大慌てになっていることがわかる。ひとまず異常事態ではなさそうだということに安堵し、そしてイズミは扉の向こうの光景をなるべく考えないようにした。
ややあってから、その扉は開かれた。
「お、おまたせしました……」
「うわああああん! うわああああん!」
「うう……テオ……!」
髪を乾かす暇も無かったのだろう。今まさに、ちょっぱやで服を着ました……とでも言わんばかりの出で立ちの二人がそこにいる。体からはまだ湯気が出ていて、濡れた髪はぴとりと首元に張り付いていて。上気した頬はもちろんとして、普段はしゃんとしている二人の妙に乱れたその姿に、イズミの心臓は年甲斐もなく跳ね上がりそうになった。
「……すみません。その、見苦しい姿をお見せしまして」
「いやいや、もう何度か見たことあるし、これも役得ってやつだから」
「……私を見てそういう分には結構ですが、奥様に対しては……わかってますね?」
「それは、私だけを見ていてほしいっていうおねだりか?」
「ペトラっ!」
「おお、怖い怖い」
明らかに湯上り以外の理由で赤くなったミルカは置いておくとして、目下のところの問題は別の所である。
「うわああああん! うわああああん!」
「盛大に泣いてるな、こりゃ」
ミルカの腕の中で、テオがこれでもかと言わんばかりに泣きじゃくっている。風呂から上がったばかりだからか、文字通り生まれたままの姿である全裸だ。パンツ一枚履いていなくて、いわゆるフルチンモロ出し状態である。それは、赤ん坊であるからこそ許される行いであった。
「なんでまた、こんなに泣いているんだ?」
「それが……わからないのです……!」
イズミの問いに答えたのは、奥様の方だった。
「テオは、お風呂の時は普通だったんです……! 嬉しそうに笑って、私と水遊びまでしてくれて……! でも、お風呂から上がって着替えようとしたら、いきなり泣き出して……!」
「おなかが空いたってわけではないでしょうし、おトイレってわけでもないですし……私もこんなの初めてで、何が何やら」
「……まさか、ケガや病気か? もしかしたら、日中何らかのケガをして、それが今になって痛くなってきたのかもしれん。体を温めたせいで傷が開いた、なんてのも兵士の中ではよくある話だぞ」
「私も、それを疑ったけど……回復魔法を使っても、全然泣き止まなくて……! 病魔やけがの類じゃないみたいなの……!」
だからこそ、ミルカも奥様も慌てているのだろう。泣いている理由はいつもと違っていて、そしてケガや病気をしているわけではない。こうなるともう、ミルカの知識と経験も、奥様の魔法と言う大きな武器も、まるで役には立たなくなってしまう。
「うわあああん! うわあああん!」
「どれ、ミルカさん」
「あ、はい」
ミルカからテオを受け取り、イズミは大きく高い高いをする。体が健康であるのなら、あとは気分の問題。となれば、とりあえず抱っこをしたりお気に入りの行動をしてあげれば、泣き止んでくれるのでは……と考えた結果だ。
「よーしよしよしよし……」
「……う?」
「お?」
そしてそれは、結構いい線をついていたらしい。
「きゃーっ! きゃーっ!」
「……普通に泣き止んだな?」
「あ、あれ……?」
先ほどまでのギャン泣きが嘘であったかのように、テオはイズミの腕の中でケラケラと笑っている。その無邪気であどけない表情は、見ている者の心を浄化するほどに明るく尊いものであった。
「な、なんだったんでしょう……?」
「赤ん坊だからなァ。気分の移り変わりも激しいんだろうよ。……おいテオ、お前、あんまりわがまま言ってママやミルカさんを困らせるなよ?」
「うー?」
「良い子にする、だ。わかった?」
「……あい!」
「わかればよろしい」
なんだかすごくフクザツそうな表情をしている奥様を、イズミは気にしないことにした。
「それよか、このままじゃ風邪ひいちまう。俺がこのまま抱っこしておくから、早いところ着替えを……」
「え、ええ。お願いします」
イズミはテオの体を上手い具合に支え、その隙にミルカが着替え──手作りのおしめを着けようとテオの腰回りに手をかける。このままくるりとそれを巻いて結んでしまえば、テオの着替えはほぼ終わりだ。あとはタオルで作ったおくるみでフィニッシュである。
が。
「……うわああああん!」
「えっ!?」
ミルカがテオにおしめを履かせた瞬間、テオは再び盛大に泣きだした。
「そ、そんな……どうして?」
「……」
体に異常があるわけではない。そして、今はイズミに抱っこされているから機嫌もいいはずだ。そうなるともう、どうしてこうも激しく泣き出してしまうのか、ミルカには……いいや、奥様にもペトラにもその理由はわからなかった。
「……ミルカさん」
「は、はい……」
が、しかし。
「一回そのおしめ、取ってやってくれねえかなぁ」
イズミには……男であるイズミには、なんとなくその理由がわかってしまった。
「おしめを取る、ですか?」
「ああ。騙されたと思って……な?」
「は、はぁ……」
あからさまに訝しみながらも、ミルカは手慣れた手つきで素早くテオのおしめを外した。
まさに、その瞬間。
「うわあああ……んきゅ?」
「「えっ」」
あれだけ大泣きしていたテオが、嘘のように泣き止む。きょろきょろと当たりを見渡し、そして自身を抱いているイズミに気が付いて、上目遣いににこーっと笑った。
「な、なんで……? まさか、おしめなの……?」
「おしめが気に食わなかったんだろうな。それ、たしか今日できたばかりの新しい奴だろ?」
「え、ええ……。ずっとイズミさんのぱ……下着を使わせてもらうのも気が引けますし、ようやく完成したのでいい機会かなと」
信じられないとばかりにミルカが再びテオにおしめを履かせようとする。今度は体に触れられた瞬間にテオはギャン泣きし、抵抗と拒絶の意を示すべく全力で下半身をじたばたと暴れさせた。
「ウソでしょ……」
「嘘じゃないんだな、これが」
「だって、以前は普通におしめつけてましたよ!? それだって私の手作りで、しかもこっちのほうが肌触りも柔らかさも断然いいですからっ!」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、ミルカさん……」
イズミにはよくわかる。そして、こればっかりは女であるミルカには一生かかってもわからないのだろうと、イズミはそう断言することができた。
「いったいどういうことです、イズミさん?」
「あー……」
奥様に問い詰められて、イズミは一瞬言葉に詰まる。助けを求めるようにペトラにアイコンタクトを送れば、何かを察したペトラは「これくらいなら大丈夫じゃないか」と視線で了承の意を示してきた……示してきたようにイズミには見えた。
「その、な?」
「はい」
「テオが今まで履いていたのはトランクスっていうやつで、まぁ俺の国での成人男性用のパンツの一種だ」
「え、ええ……それは何となく、存じております」
テオが普段着のズボン代わりにしているのは、イズミの愛用のパンツである。サイズがサイズだからズボンに見えるだけで、紛れもなくイズミの下着である。薄々そう感じていた奥様も、面と向かってはっきり言われたことで否応なくそれを意識してしまい、羞恥心から目を伏せ赤くなった。
──ホントにこの人、人妻なのかな。
そんなくだらないことを頭の隅に追いやりつつ、イズミは言葉を続けていく。
「この国がどうかは知らんが、俺の国には男の下着は他にも種類がある。子供用にはブリーフってのがあるし、トランクスと人気を二分するボクサーパンツってのもある」
「……」
「そんな中で、なんで俺がトランクスを愛用しているかと言うとだな」
ごくり、と誰かの喉が鳴った。
「締め付けが無くて、開放的で動きやすいからだよ。……そのおしめがぴっちり締め付けてくるの、トランクスの良さを知ったテオにとってはたまらなくイヤだったんだろうなァ」
「うー!」
「……っ!」
イズミの言葉に赤くなったのは二人。その二人が誰なのかは、あえて語るまでも無いだろう。
「……」
ちら、と三人の視線がイズミが抱っこしているテオの下半身へと向かう。
足をじたばたしていたために、下半身はぶらぶらと揺れていた。つまりまぁ、そういうことである。
「つまり、なんだ、その……テオ坊ちゃんは、ち」
「ペトラっ!!」
ペトラの言葉を、ミルカがすごい剣幕で遮った。赤ん坊のそれなら、別に遮る必要も無いんじゃないかとイズミは思ったが、教育方針に下手に口を出すのもまた憚られる。よその国にはよその国なりの文化と伝統があるのだから。
「……ま、締め付けのないおしめだったら大丈夫だろ。それに、今まで通り俺のパンツをそのまま履かせてやってもいいわけだし」
「あの、そもそもおしめって締め付けが無いと意味が無いのでは……」
「……」
「それに、イズミさんのそれでは、粗相をする可能性が高いというか、被害が甚大になることが多いというか……」
トランクスである。開放的故にいろいろガバガバである。履き心地は最高かもしれないが、おしめとしての性能は最悪だ。実際、今までに何度もそれによる被害を被っており、その都度処理していたミルカが申し訳なく思ったことで、おしめの早期導入が進められたというのも事実である。
「……そこはまぁ、おいおい考えていこう。どうせ、時間だけはあるしな」
「……そう、ですね」
イズミは知らない。
おしめの問題は、テオだけの問題でないことに。
(なぁ、ミルカ)
イズミがテオになんとかおしめを履かせようと努力している中、ペトラがそっとミルカに耳打ちした。
(テオ坊ちゃんのおしめを作ったのって……私たちの下着の替えを確保するためでもあったよな?)
(……)
(イズミ殿の母上の下着、ダメだったもんな。そもそも元々私たち、下着なんて着けてた一枚しかなかったし、それもボロボロで……)
(……)
(イズミ殿のやつ、借りるしかないもんな。と言うか実際、お前はそうしていたんだろ?)
(それでも、殿方のを使うのは恥ずかしいし、バレてるにしろ数が増えてるのに気づかれたら恥ずかしいじゃないですか……! イズミさん、そういうの気を使って逆に何も言ってこないから、自分たちでなんとかするしかないんですよ……!)
気づいているけど気づいちゃいけない秘密のルール。女物の下着をイズミが持っているはずもない以上、代替品はおのずと限られてくる。ミルカが寝たきりだった時の対応がそうであったために、イズミは奥様達を迎えて以降、その辺についてはあえて何も触れずに、ミルカに任せっきりにしていたのだ。
「なんにせよ……テオ坊ちゃんが泣いた理由がわかってよかったよ」
「ええ、それはもう。あとは……可愛い下着と、テオが気に入るおしめを作るだけですね」
「“可愛い”下着? 使える下着じゃなくってか? いや、“使える”もそういう意味になっちゃうか」
「……ペトラぁッ!!」
「兵舎育ちは口が悪いんだ。知ってるだろ?」
──ぜったい、兵舎育ちは関係ない!
誰にも見えないように、こっそりと。
ミルカは、ペトラの手の甲を盛大につねりあげた。




