41 騎士と死体と
──時は少し、さかのぼる。
「……無事にたどり着けたでしょうか」
イズミがガブラの古塔に入っていくのを見届けたミルカは、森の樹々に潜みながら、そんなことを考えていた。
相も変わらず塔の周りには動く死体が徘徊しているため、残念ながらこれ以上近づくことは難しい。そうなるともう、テオを預かるミルカとしては、動く死体共に気づかれないように身を潜めることしかやれることはない。
幸いなのは、動く死体たちはあくまで塔の周りから離れようとしないことと、この周囲に魔獣がいないことだろう。もしかしたらたまたま運が良いだけなのかもしれないが、少なくともここに来るまでの道中ほど周りを警戒する必要はなく、辺りは不自然なほどに静かである。
「さすがに、あんな死体にちょっかいをかけるほど魔獣も暇じゃないんでしょうね……」
「うー?」
「ええ、もうちょっとですから。もうちょっと頑張れば……今度こそ、奥様に会えますからね、テオ」
「うー!」
何も知らずに腕の中でにこにこ笑っているテオを見て、ミルカの気持ちが少しだけ軽くなる。この四日ほど、テオはほとんどぐずることなく大人しくしてくれていたのだ。あの暖かくて安心できる家と比べたら、ミルカに抱かれてずっと森を進むことなんて赤ん坊に耐えられるはずがないのに、である。
今も、こうしてきゃっきゃと笑いかけてくるだけで、大きな声で泣いたりぐずったりはしていない。息をひそめて塔を見守っている現状において、それは何よりもありがたい話であった。
「……あ」
そうして、どれだけの時間が経ったことだろうか。進んでいるんだか進んでいないんだかわからない、でも太陽だけは確実に少しだけ動いている……それしか時間の流れがわからない中で、ミルカの手の中にある探知の魔道具の明るさが、確かに変わったのだ。
「これは……!」
す、とミルカはその向きを変えてみる。さっきまでは塔の最上階を示したところで最も輝いていたというのに、今は……その、ちょっと下を向けた時の方が明るくなる。
「動いている……! イズミさん、合流できたんですね……!」
僅か、しかし確かに存在する違い。それはすなわち、イズミが無事に奥様と合流できたことに他ならない。その反応はゆっくりと下の方へと向かっている……つまり、奥様が塔を下っていることを示しているのだから。
「結局、鍵ってなんだったんでしょうね……?」
「う! う!」
「……まぁ、合流できたってことは何とかなったってことか。あとは、ここからどうやって家に戻れるか、ですけれども」
「うー?」
「ああ、テオ。あなたは何も心配しなくていいのよ。今までに一度たりとも、奥様の言うことに間違いは……無くはなかったですけど、きっと大丈夫。あなたのお母さんとイズミさんを信じましょう」
「……う?」
「ええ、そうね、ペトラも……いや、そうじゃな……ッ!?」
ここにきて、ミルカは気づいてしまった。
さっきから、なんだかんだで塔の上の方しか見ていなかった。光の反応がだんだんと下に向かっていくのが嬉しくて、それしか目に入っていなかった。否、他のことはできるだけ考えないようにしていた……と言ったほうがいいかもしれない。
でも、さすがにこれは無視できなかった。
「動く死体が……集まってきている……!?」
さっきまでは塔の周囲を割と満遍なくうろついていたそいつらが、どんどん塔の方へと──塔の入口へと集まりつつある。ちょっと前なら入り口から森に逃げるまで、せいぜい五体も処理すればなんとかなりそうなくらいだったのに、今はもう、入り口に三十以上は……下手したら、五十以上は集まっている。
「そんな……なんで……あ!」
動く死体は、魔法の匂いに反応する。イズミはその魔法の匂いが無いので、奴らに気づかれずに塔に入ることができた。
しかし、行きには居なかった人物……帰りには、奥様と護衛であるペトラがいる。ペトラは魔法の素養がほとんどないとはいえ、それでも動く死体に感づかれないわけがない。奥様に至っては、この世界でもトップクラスの魔法の素養を持つ人間だ。当然、そんじょそこらの人間よりもはるかに強い魔法の匂いを放っている。
「そうか……奥様が下に降りてきたから、それにつられて……!」
さすがにこれは拙い事態だ。イズミ一人だったら動く死体がどれだけいようと問題ない。奥様やペトラと言った気づかれてしまう人間が一緒にいても、五匹や六匹くらいならなんとか対処できるだろう。
だが、五十もの動く死体はどうしようもない。いくらイズミが狙われなくとも、対処できる数には限りがある。
そのうえ、厄介ごとと言うものはまだあるらしい。
──ォォ、ン……!
「え……なに、今の……!?」
「だーう……」
塔の下の方から聞こえてきた、重く低いおなかに響くような音。何かが崩落したか、あるいはひどく大きな魔物が石壁に体当たりしたかのような。いずれにせよ普通にしていて起こり得る音ではないし、しかもそれが二回、三回と立て続けに聞こえてきている。
ちら、とミルカは手元の探知器を見た。
反応は、塔の真下で完全に止まっている。
「……不測の事態が起きている。それも、何かに襲われているような、ですよね」
三人全員が無事だと仮定。なのに塔から出てくる気配はまるでなく、そしてあの大きな音はまだ断続的に続いている。となると、なんらかの……おそらく、塔の番人のようなものと戦っていて、それに阻まれて出てこられないと考えるべき。
──仮にそいつを対処できたとして、入り口には無数の動く死体がいる。
ならもう、ミルカがやることなんて一つしかない。
「テオ」
「うー?」
「あなたの大好きなお母さんと、ペトラと……そして、イズミさん」
「だう」
「これが最後です──怖いかもしれませんが、少しだけ我慢してくださいね。……ふふ、そうしたらきっと、奥様もイズミさんも、またいっぱい抱っこしてくれますから」
「……う!」
そしてミルカは、塔の敷地内へと足を踏み入れた。
「こっちを見なさいッ! この化け物どもッ! それ以上向こうへ進むことは、絶対に許しませんッ!」
ここまでの全てをぶちまけるかのような大きな声。太陽の光の下にその身を堂々と晒し、全力で魔法をぶっぱなそ……うとして。
「え……魔法が……ていうか、重……ッ!?」
奴らを引き付けるために発動しようとした魔法が、発動しない。それどころか、妙に胸が息苦しく、空気がねっとりと体に絡まっているような感覚さえある。
「なんなのこれ……!?」
「うー……」
明らかな異常事態。テオまで顔をしかめているところを見ると、おそらくこの塔の周辺になんらかの魔法的な罠が施されているのであろうと、ミルカはあたりをつけた。
──オ、ォオ……!
三つ、四つ、五つ……いっぱい。濁りきって何も映していない瞳が、ミルカの方へとむけられる。どうやら魔法自体は発動しなくとも、魔法の匂いはしっかり強まったらしい。ミルカ自身の魔法の匂いもそうだし、ここにはミルカよりも強い匂いを放つテオもいる。
何が言いたいかって、つまり。
「思惑通り……では、ありますけどね!」
塔の入口に群がっていた動く死体が、ぴたりと足を止めて。光を求めてやってくる蛾のように、ミルカの下へと群がりだした。
「ホント、ろくなのに好かれませんね……!」
赤ん坊を抱えていて、魔法も使えない。当然武器もろくなものがなく、そしてクマよけスプレーも効かない相手。そんな奴らが五十匹ばかり、虜になってこちらを求めてくる。熱烈なアプローチと言うにはあまりに血なまぐさく、何より連中は全然ミルカのタイプではなかった。
「信じてますよ、イズミさん……!」
──アプローチされるなら、あなたからがいいんですから。
ミルカは、全力で走り出した。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「どうして……動く死体がいないんだ……!?」
本来有り得ないはずの光景に、イズミの頭は一瞬フリーズする。それを解いたのは、逆に本来の状況を知らなかったゆえに、驚くことのなかった奥様の方であった。
「イズミ様! あれ!」
「マジか……っ!?」
動く死体が、そう簡単に朽ち果てるはずがない。そんな都合のいいこと、あるはずがない。ましてやあれだけ大量に徘徊していたものが、一斉になんとなく森にふらふらとで歩いてしまうことも考えにくい。となると、残るは誰かが一匹残らず片付けたか……あるいは、ペトラと同じく、引き付けているかのどちらかである。
今回の場合は、後者であった。
「ミルカさん……!? なんで、出てきたんだよ……!?」
塔の入口……より、塔を背にして左後方。塔から出たばかりでは気づきようがなかったが、くるりと振り返ったその向こうで、ミルカが大量の動く死体を引き付けて走っている。当然一緒にテオがいるし、そしてミルカは動く死体に対する対抗手段を持っていない。
「くそ……どうすれば……!」
塔の中には、石の騎士を引き付けているペトラがいる。塔の外では、大量の動く死体に追われているミルカとテオがいる。そしてすぐ隣には、今回の旅の目的である奥様がいる。
ペトラを助ける?
無理だ。そもそもそれができたらイズミはここにいない。あの石の騎士を倒せないからこそ、イズミは泣く泣く奥様だけを連れてここにいるのだ。もしかしたら今度はイズミが囮になることでペトラを助けることができるかもしれないが、それが今この場の選択肢として正しいとは断言できない。
ミルカとテオを助ける?
助けたい。だが、かなり難しい。出来る出来ないで言えば、間違いなくできる。だが、イズミがそうしている間は奥様が無防備となる。それに数匹ならともかく、あれだけの数に襲われたら、いくら奴らに対し完全ステルス状態なイズミであっても、奥様を守りきることはできない。
奥様を連れて森に逃げ込む?
おそらくそれが、最善だ。理由はわからないが、魔封じの外に出ることさえできれば、奥様は鍵の力でなんとかなると断言している。その言葉を信じるなら、それがすべての解決につながるのだろう。
だが、ダメだ。どうして解決に至るのか、その方法がまるで分らない以上、そんなのただのギャンブルでしかない。「それ」をしている間にミルカが力尽きない保証がどこにある? 「それ」は本当にペトラを助けることにつながるのか?
刹那の瞬間、イズミの頭にいろんな考えが浮かんでは消え、そして次の考えを出せと心が叫ぶ。一刻を争うこの事態では、あまりにも大きな隙。結局のところイズミは一般人で、荒事に対する経験値はほとんどない。最適解を出せなくとも……少なくとも、折れずに出そうとする努力を続けているだけで、称賛されるべきことだろう。
だが、現実においては結果が伴わなければ何の意味も無い。
そして、そんなイズミを助けたのは──固まるイズミに先んじて行動したのは、意外にも奥様であった。
「やい! この化け物! ぐず! のろま! とんま!」
塔の中へと踵を返して戻った奥様は、土煙の向こう、石の剣を振り上げるそいつに向かってそんな罵詈雑言を吐き出した。
「あなたが追うべき罪人はこっちでしょう!? ……ほら! あなたの役割はなんですか!? 全然塔を守れてませんね!」
出たり入ったり、入ったり出たり。奥様はわざとらしく、何度もその境界を踏み越える。やっていること自体は子供の悪戯のそれとほぼ同じだが、しかしその実態は……【塔への侵入】、【塔からの脱出】を高速で繰り返していることに他ならない。しかも、それをしている奥様は塔に閉じ込められていた罪人である。
──ガ、ゴ、ゴ。
だからだろうか。石の騎士は動きをぴたりと止め、完全に奥様の方へ──すなわち、未だ入り口をすぐ出たところにいるイズミ達の方へと向き直り、そしてゆっくりと向かってきた。
「おい……! あんた、いったいどうした……!?」
「お願いです! あの石の騎士を、外まで引き付けてください! 私に考えがあります!」
「──わかった!」
鉈を構え、イズミはわざとらしくそれを壁にたたきつける。耳障りな音がして、そして心なし、石の騎士の歩調が速くなった気がした。
「こいよデカブツぅッ! てめえ、バラしてスクラップにしてやらぁッ!」
動く死体のことも、奥様のことも。何もかもを忘れて……考えないようにして、イズミは石の騎士を挑発する。別段、奥様のことを信じるとかそういうつもりはなくて、その実は「もう難しいことは考えたくない」という半ばやけくそのような気持ちがほとんどであった。
が、それが功を奏したらしい。石の騎士は、もうイズミしか見えていない。動き出しは鈍重な彼も、一度勢いづいてしまえばそれなりの速さで動けるらしく、一直線の距離であったこともあって……イズミが思っていたよりかは速いスピードで、突っ込んできた。
そして。
「やあッ!」
「なん……ッ!?」
石の騎士が、外にいるイズミに向かって塔の入口を……その境を一歩越えた瞬間。
出入り口のわきに身を潜めた奥様が、石の騎士の背中に張り付いた。
「イズミ様! そのまま……ミルカのほうまで、走って!」
「──そういうことか!」
逃げるイズミ。追う石の騎士。その騎士の首ったけにしがみつくように、奥様が必死に背中に張り付いている。石の騎士がどんなに剣を振り回しても、屋外で逃げに徹したイズミには当たらないし、同じく本来なら罪人である奥様にも、物理的にそれは届かない。
騎士の背中。それは、近づくことこそ難しいが、一度張り付いてしまえば……かなり、安全な場所であった。
そして、そんな場所にいる奥様は強い魔法の匂いを放っている。それこそ、この世界でもトップクラスの魔法の素養を持つ奥様だ。
──オォ、オ、オオオォォ……!
それは、ミルカとテオの二人の魔法の匂いを合わせてなお、敵わないほど強いものである。
当然の如く、それに惹かれた動く死体共は奥様の方へと標的を変えた。
「魔法が使えなくて、本当に良かったぜ……!」
前方の動く死体。後方の石の騎士。いわば挟み撃ちされたような状態になっているが、しかしイズミは笑みを崩さない。何のためらいもなく動く死体の群れの中に突っ込み、そして当然のように、その群れの中に身を潜めた。
動く死体が向かう先には、奥様がいる。
そして、奥様の前に……石の騎士がいる。
「そうだよ……! どうせお前ら、ろくに敵味方の区別なんてついていないんだよな……! 目の前にいる襲えそうなやつを、邪魔な奴を攻撃しているだけにすぎないんだよな……!」
──ゴ、ゴ、ギ。
石の騎士にとって、動く死体はイズミを始末するのに物理的に邪魔な存在であって。
──オオオオオ!
動く死体にとって、石の騎士は奥様を喰らうのに物理的に邪魔な存在であった。
「化け物同士、潰しあいやがれッ!」




